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    <title>BOUNDHEAD</title>
    <description></description>
    <link>https://boundhead.blog.shinobi.jp/</link>
    <language>ja</language>
    <copyright>Copyright (C) NINJATOOLS ALL RIGHTS RESERVED.</copyright>

    <item>
      <title>東アジア、東南アジアの大衆音楽（おもにインディーズ系）状況って、どんなだろ？</title>
      <description>昔、河添恵子が「イギリスが世界に輸出した最大のものは何でしょう？」とYouTubeの動画内で視聴者に質問を投げかけたことがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのとき私は「はて、人種差別思想かな・・・イギリス人て旅の恥はかき捨てで、本国では人権主義者然としていたけど、インド、米国、オーストラリア、南アフリカなどなど、近代法のもとで人種隔離法まで作って異人種を統治してたしな」と思ったのだが、河添恵子の回答はもっとシンプルなものだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「それは英語です・・・・・」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それで私は「河添恵子ってシュタイナー本の読者に違いない」とその時は思ったものだった。最近のイエズス会への言及を見て、ますますそう思えてきた。きっと彼女はシュタイナーの『神殿伝説と黄金伝説』を読んでいるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フランスのフリーメイソンは「あるイギリス人」が「国外」に「出かけた」ことで成立したものだった。フランス革命以前から、世界各地にイギリス人フリーメイソンが発起人となって現地人化されたロッジを開設したがるような「特殊なタイプの英国人」がつねに「外国で何かをやらかしてきた」のが近代だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ルドルフ・シュタイナーは「英米の左道オカルト結社は英語を世界支配言語にしようとしている。」「真実を表現するのに適さない英語を世界言語にしようとする左道オカルト結社の影響下にある心魂、うんぬん・・・」（用語辞典）と発言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１００年前、シュタイナーは「～しようとしている」と現在進行形的な表現をしていたが、こんにちにおいては、すでに「英語の世界支配言語化」は完了している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそもスピ活動が、英語（米国）発の霊的覚醒運動であることは、一種の矛盾なのです。ドイツ語圏の人びとは「霊・精神」と「幽霊」を別語として扱っています。ドイツ語のガイストと英語のゴーストは語源が同じですが（霊・精神を意味する）、近代に入り、ますます英米人は本来「霊・精神」を意味していた言葉を、この物質界で感覚的に認識できる何か、と思われているもの、つまり「幽霊」に対してのみ使うようになりました。「英語は真実を表現するのに適さなくなっていった」（シュタイナー）のです。英米人は「言葉の本源」を失ったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本では「スピリチュアル」という英語由来のカタカナ日本語が「精神変革運動用語」として「商業的に流通している」ことに違和感を感じることのできない人士もまだまだ多い状況だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「物理的な次元で最も進歩した言語、英語を例にとってみましょう。英語はほとんど言葉に終始し、思考の内容は最も少ない言語です。」(ルドルフ・シュタイナー　GA192-2)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
カトリックが人間に霊など備わっていないと教えたので、英米人にとってゴーストの本来の意味が彼らの「日常生活」から失われようと、気にすることでもなかったのでしょう。かわりにラテン語由来のスピリットが近代英語聖書の翻訳本に使われるようになります。ドイツ語系の白人たちは、そうしませんでした。こんにちでもキリスト教到来以前からの古い言語的意味を保持し続けています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
奇妙なことに、英米人が失ったゴーストという英語の「本来の意味」を取り戻して使っているように見えるのが、攻殻機動隊の草薙素子です。原作者は日本語話者であるにもかかわらずです。こんにちの課題として英米人は「体」、フィジカルな領域を踏破するようにアサインメントを受けているからでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「すでにそれぞれの地域の民族的な宗教衝動が、人間は体と魂と霊からなる存在であることを示してきました。ロシア人を含む東洋人は、霊を理解する課題を担っています。西方は体を、中部は魂を理解する課題を担っています。」(ルドルフ・シュタイナー『歴史兆候学』P274)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
将来、霊を理解する課題を担っている東洋人から、ゴーストの古い用法が飛び出してきたのは面白い出来事です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「世界の英語化」は何も学問領域の話だけではない。英米発の（英語土台の）映画・大衆音楽の世界への波及こそ、「英語による世界制覇」のひとつの完成だった。英米の言語による浸食は、戦後一時期流行ったシャンソンやボサノバも結局日本人が好むジャンルから駆逐した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでも日本が第二次世界大戦で米国に負けるまでは、日本人にとって西洋文化の参照先として、ヨーロッパ、とくにドイツ語圏・フランス語圏発の芸術や思想や自然科学の成果への参照が大きい比重を占めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は小さいころ、近所の町医者にかかったとき、先生が日本語とは違う筆記体で紙に何事かを書き込んでいる姿を目撃したものだった。私が子供だった昭和３０年代４０年代、日本の医者たちはドイツ語でカルテを書いていたのだった。これは明治維新以降、第二次世界大戦後のある時期までは、日本の医者の世界にも「英語によるインベージョン」がまだこんにちのように進んでいなかったことを示す一例だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして１９５０年代以降、日本は英米の言語的影響力のもとで「急速な復興」を遂げたのだった。英米発の映画と大衆音楽が、世界中へ輸出され、絶大な文化的影響力を及ぼした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
英米と同じ白色人種もだんだんと英米の言語に屈するようになった。たとえば、アバにしろ、カーディガンズにしろ、英語が母国語でないミュージシャンたちが、英語で歌を作り、「世界の人気者」になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近の日本の大衆音楽（特にDAW系オケで歌う歌手たちの楽曲）に食傷気味な私は、YouTubeでたまたまオススメページに現れる「まったく人気のない音楽系動画」（登録者50名以下のような）は、なるたけポチるようにしている。そういう超不人気動画を私のIDと紐づいたオススメページに出してくれるYouTubeのアルゴリズムって、どうなってるんだろうと思うのだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そんななかでも、日本でもその界隈（インディーズ界隈）では人気者であるらしいシンガポール出身の&lt;a href=&quot;https://www.youtube.com/channel/UCIrG2yjxTURl53uuFZl8ygw&quot; title=&quot;&quot;&gt;Shye&lt;/a&gt;は私のお気に入りのひとりになった。「英語を解するアジア圏のリスナーたち」にはそこそこ人気があるらしい。英語版のWikipediaに彼女の記事があるということは、それなりの認知度があるってことだろうし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
PINTADOというフィリピン発のYouTube動画では、いろんな非白人系のミュージシャンたちが「英語」で楽曲を作って発信している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/DZEQrhRxdhY&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Shye(シャイ)はよく日本に来て歌っているようである。今回紹介したのは、シンガポール人のShyeがフィリピンの音楽番組PINTADO(スペイン語。英語のpaintedに当たる)に出演しているの図である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あとかなりびっくりしたのがベトナム女子発の以下の動画。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/FJQZgc8pGN8&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
カバーなのに、ある意味本家(&lt;a href=&quot;https://www.youtube.com/watch?v=7RWbq-lbBlk&quot; title=&quot;&quot;&gt;Cafun&amp;eacute;&lt;/a&gt;)を超えちゃってる。こういう感じの女子高校生、いるよね、日本にも。ダンス仕草かわいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう日本語文化とは無縁の東洋系の若い人々たちが、英語で活動している大衆音楽の世界に最近はYouTubeで触れる機会が増えたので、「これは研究し甲斐があるな」と思っているところですよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最後に、東洋系ではないけれど、まったく人気がない（登録者数が異常に少な過ぎる）のに、私自身は「何、この人才能(他と容易に区別できる音楽的個性が)すごくね・・・・」と思った&lt;a href=&quot;https://www.youtube.com/channel/UCPnV5JLWNM1t3rxSM7vAZcA&quot; title=&quot;&quot;&gt;UNNI&lt;/a&gt;(ウニ)の楽曲を紹介しておきたい。４年前に初めて楽曲がアップロードされて以来、10曲に満たない公開数だ。最近、新たに楽曲が公開されたので、活動を再開したのだろうか。私は見つけてすぐ30人目の登録者になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この人の母国はスウェーデンなので、本来スウェーデン語で「大衆音楽する」と「自然」なのだろうが、英語で歌っている。ただし公開されている楽曲のなかの１曲だけスウェーデン語の楽曲があり、「これはこれでいいじゃん」と思うのだが、皆さんはどうだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/vCfxYQYYnTw&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下、スウェーデン語で歌われる「Vägen hit」（ここに至る道）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/ql09WJ_pt1k&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼女の公開動画は10曲程度なので、全部聴くのにたいして時間はかからないと思うので、興味がわいた人はどうぞ本人の管理ページに飛んで全曲鑑賞してみてください（歌詞は翻訳機能を使って確認してね）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ほんと世の中の「人気」（最近ではバズりというのか）って「意味が分からない」と思うんですよ・・・・、それで「このUNNIという人はYouTubeのアルゴリズムのせいで、ほとんど人目に触れられない扱いにされてる人物のひとりなんではなかろうか」と思うことにしたのですよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
P.S.１&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに今回私が話題にした、子供のころのかかりつけの病院は、井伊内科という看板を掲げていた。隣が井伊歯科で内科も歯科もお世話になった。立地的にかつての延岡藩の武家屋敷があった地域にあって、井伊直弼（長男）が大老になる以前に、彼の弟（九男）が延岡藩に養子としてやってきたという故事があるから、きっとその親族関係者の子孫に当たる兄弟が経営していた病院だったのだろう。こんにち井伊内科も井伊歯科も廃業済で、別の建物が建ち、かつてここに病院が建っていたと思わせるようなものは何も残っていない。地元の小学校の先生も中学校の先生も高校の先生も歴史の授業で井伊直弼の弟が幕末期に延岡藩に養子に来たなどとは教えてくれなかったので、「あの病院ってそういうことだったんだ」と気がついたのは、みなもと太郎の『風雲児たち』という漫画を読んだあとのことだった。ちなみに同じ地元で「ボクの先祖は桜田門外の変に参加した武士でした」という知り合いにも出会ったことがある。縁とは不思議なものだよなあ。地元には「井（い）」という苗字の同級生がいたけれど、「もしかしてこれは井伊から伊の字を省いたものだったのだろうか」とも空想した。ただしこれは、まったく的外れな推理かもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
P.S.2&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ近年日本人は映画にしろ大衆音楽にしろ、アメリカ文化に魅力を感じなくなっていることはあきらかだ。これまで日本人にとって英語の学力とは、大学受験向けに身につけるべき「内容無き技術（解法訓練の成果）」に過ぎず、費やされる時間と精神的エネルギーは、その「技能」を「〈同胞〉の権威筋に向けて」示すべきデモンストレーションでしかなかったし、今後もまたそうなんだろう。基本高校生たちが日本の古典と中国の古典を「語学的」に学んでいるときの「対処マインド」と何も変わらない「同じ態度のバリエーション」でしかない。高校生たちは「内容持つ教養」を持ちたいなどとは、はなから思っていないし、そういうマインドによって育てられた官僚と政治家が運営する国家は、国民がそうなる（費やされた膨大な時間が人間的内容を持たせてくれる）ような教育システムを提供するつもりもないので、「出来レース」のような外面的で形式的な「努力」によって、精神力（リソース）を浪費し続けるように国民に強い続けるのだろう。いずれ異なった未来もやってくるかもしれないけれど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>https://boundhead.blog.shinobi.jp/%E7%A7%81%E3%81%8C%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E9%9F%B3%E6%A5%BD/%E6%9C%80%E8%BF%91%E5%87%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BBunni%E3%81%A8%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%83%94%E3%82%B7%E6%A8%AA%E4%B8%81</link> 
    </item>
    <item>
      <title>岸部シローは美声の持ち主だった</title>
      <description>当ブログにて「残りの人生は音楽三昧」というスローガンを掲げて以来、ひと月に１曲は「録音作業」をやろう思って奮闘中であります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ということで、今回は「シローとブレッド＆バター」版の「野生の馬」のカバーに挑みました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例によってドラムをMIDI音源で、ボーカル&amp;times;１，バックコーラス&amp;times;2、アコギ&amp;times;２、ベースという構成で録音しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やっぱり上手に歌えない。トホホですよ（だからと言って、何度も録音し直す気にもなれんのだった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/2SXaDIWy5Ik&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この曲のEPが発売されたのが1971年。シングル盤のジャケットを見ると「WILD HORSE」って英語で表記してるので、アメリカの「名前のない馬」(A Horse With No Name)が連想されて、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この曲って、「名前のない馬」に触発されて作られたのかな&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と思って「名前のない馬」の発売された年を調べたら1972年だった。つまり、馬という単語は、両方の曲に出てくるけど、関連性はまったくなかったのだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
岸部シロー版の「野生の馬」はアコースティック・ギターがガンガンとリズムを刻んで相当にかっこいい。ブレバタ版は、かなりおとなしく聴こえる仕上がりで、元来私はブレバタの楽曲、そして声質の大ファンなのだけれど、この楽曲については、岸部シローの伸びやかな美声に軍配を上げたいのだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
岸部シローって、なんていい声してるんだ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と改めて思ったのだった。「おい、沙悟浄やってる場合じゃねーぞ」と思ったのだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鈴木ヒロミツといい、岸部シローといい、すばらしい音楽センスを持っていながら、ミュージシャンとしてよりもタレントとして「生きる道」を歩まざるを得なかった人たちなんだろうなあと思ったのだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下、カバーもとの岸部シロー版「野生の馬」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/sBF7XizLAhg&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そしてブレバタ版&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/wjSnVVRs6b0&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ついでにアメリカの「名前のない馬」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/09YKl-06JYQ&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ということで、次回作もがんばろーっと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最後にNHK「みんなの歌」の岸部シロー。「風の子守歌」。当時、私は高校生だったけど、「いい声だなあ」と感動してギターコードを耳コピして、自宅の部屋でよく歌っていた楽曲です。YouTube版は静止画像ですけど、実際の映像は自然の風景だった記憶があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/x9ld4Udkt7I&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>https://boundhead.blog.shinobi.jp/%E7%A7%81%E3%81%8C%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E9%9F%B3%E6%A5%BD/%E5%B2%B8%E8%BE%BA%E3%82%B7%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%81%AF%E7%BE%8E%E5%A3%B0%E3%81%AE%E6%8C%81%E3%81%A1%E4%B8%BB%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F</link> 
    </item>
    <item>
      <title>自由の哲学ではなく、その行使・・・困難な道から入って楽な道へ抜ける</title>
      <description>ルドルフ・シュタイナーの『自由の哲学』のエッセンスを「Hunter &amp;times;Hunter」(アニメ 第12話)でクラピカが簡潔にまとめてくれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/File/750x422.png&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/Img/1790621141/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長く困難な道から入って、壁に穴を開け、短くて簡単な道に入る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「自由」についてシュタイナーが述べた発言で、私がもっとも心に残っている発言は、実は『自由の哲学』のなかで語られていたことではなく、『社会の未来』のなかで語られていたことだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
-----------------------------------------------------------------------&lt;div&gt;一般社会での自由の概念の例としてウッドロウ・ウイルソンの場合を取り上げてみましょう。彼の考え方は、現代文化の特徴をよく示しております。 ウイルソンは真実、心の底から、現代の政治生活のために自由を求めております。 しかし彼の言う自由とは何なのでしょうか。 それは彼の次のような言葉からも明らかです。 彼によれば、船が自由に航海できるのは、船の構造が風向き、海流その他、航行中の周囲のあらゆる条件によく適応できたときなのです。 したがって船を先へ進めるためには、風や波から生じる力による障害がどこにも生じないようにしなければなりません。同じように人間生活が自由でありうるには、生活環境から来る力にさからわず、どこからも障害が起こらないようにすることなのです。ウイルソンは人間の自由な生活を機械の部品とも比較しています。つまり機械もまた、自由に働くためには、組み込まれた部品がどこからも妨げられず、まさに機械の中で自由に働けるような構造をもっていなければならないのです。私はただひとつのことだけを言おうと思います。 このような環境への適応の正反対を行うときにのみ、人間の自由が語れるということをです。&lt;span style=&quot;text-decoration: underline;&quot;&gt;最高の仕方で風や波に適応する海上の船のよう在り方が人間の自由なのではありません。 周囲から来る力の働きなどにかまうことなく、風や波にさからってグルグルまわったり、立ち止まったりする船なら、人間の自由と比較できるでしょう&lt;/span&gt;。ウイルソンの自由観の根底には世界に対するまったく機械主義的な考え方があるのですが今日の人びとはそのような考え方を唯一可能な考え方だと思っています。 このような考え方は、近代になって表面に現れてきた主知主義の産物なのです。 私は『自由の哲学』の中で、そのよう考え方に対する批判を試みました。 個人的な印象をつけ加えれば、この本は生まれたときの卵の殻をまだ身につけたままでいます。それはヨーロッパ哲学の伝統の中から生み出されました。ですからヨーロッパ哲学の中で使われている概念を用いて論を展開しなければなりませんでしたので、読者はそれを教科書風と思うかもしれません。しかし著者は教科書を書くつもりではなかったのです。著者が求めていたのは、実際生活の核心になりうるような生活衝動を暗示することでした。そしてそこで論証された諸理念を通じて、 人間の意志が社会生活の中に直接流れ込むことができるようにすることでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしそのためには、これまでとはまったく違った仕方で、人間の自由が問いなおされねばなりません。 ここ数世紀の間、 どんなところでも、意志の自由、 人間存在の自由に関して、次のように問われてきました。 人間の存在は自由なのか、不自由なのか。私はこの問いがまったく間違った仕方で立てられていること、問いそのものをまったく新しい基礎の上に立てればならないことを示す必要がある、と感じました。なぜなら人間は、近代の自然科学的世界観や近代意識に基づいて人間の本質を観察する限りは、自然的な存在でしかありえず、決して自由な存在ではありえないからです。この問題は内的必然性に基づいて扱われねばなりません。人間が近代自然科学の主張するようなものでしかないなら、 その人間の自由はウッドロウ・ウイルソンの言う自由でしかなくなります。 しかし、そのような自由は決して自由なのではなく、自然的な原因による必然的な結果に基づく行為でしかないのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近代人の意識は人間存在の自由にとっての出発点となるべき、もうひとつの問題をあまりにも考えずにきました。 そして人間における自然的なもの、自然因果性に支配されたものだけに眼を向けてきました。しかし人間の本性を深く洞察する人なら次のように言う筈なのです。 人間は生まれたときにあらかじめ定められていた通りの存在であるに留まらず、生活を通してもっとそれ以上の存在にもなることができるのだ、と。人間とは何かを知るためには、人間の究極の目標を知らねばなりません。たしかに人間の本性の一部分は遺伝されて存在していますが、人間はその体的本性が備えていない別の本性をも、自分自身の中から生じさせることができるのです。自分の内部にまどろんでいる人間を目覚めさせることによってです。 ですから「人間は自由か」ではなく「内的発展を通して、私は自由な存在になることができるのか」と問うべきなのです。人間が自由になりうるのは、自分の中にまどろんでいるもの、目覚めさせて自由にすることのできるものを、自分の中に育て上げたときなのです。言い換えれば、人間にとっての自由は生まれたときから与えられているものではありません。 それは自分の中から目覚めさせることによって可能となるものなのです。(邦訳版P178-p181)&lt;/div&gt;-------------------------------------------------------------------&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「 周囲から来る力の働きなどにかまうことなく、風や波にさからってグルグルまわったり、立ち止まったりする船なら、人間の自由と比較できるでしょう」・・・・・、ルドルフ・シュタイナーの『社会の未来』の引用個所を読みながら、私が最初に理解の糧として「連想」したのが、まさにHunter &amp;times;　Hunter　第12話でゴンたちがやった「試み」のシーンでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いろいろな人が集まる場で「自由」という「概念」を扱うのは、困難がともないますね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あなたのおっしゃる自由、「あなたの中にある自由についてのイメージ」をお聞かせください。それを私たちそれぞれが心の中に抱いている自由のイメージとつき合わせてみましょう。もし、私たちが「同じ言葉」なのに「違う話題（イメージ）」について会話をしていたら、話がかみ合うわけありませんものね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「自由」という「言葉」に限らず、ある概念について議論を始める場合、まずはここから会話の前提部を始めなければならない困難さがあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
別の場面（『現代と未来を生きるのに必要な社会問題の核心』）でシュタイナーは「精神の自由」「法における平等」「経済における友愛」とも語っています。そして別の場面では、なによりもまず「思考が自由にならなければならない」とも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「はて、人類は自由に思考していないのか？」と思いますよね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
YouTubeなどでは、相変わらず星占いやタロット占いが人気のジャンルになってます。シュタイナーは「通俗的になってしまった占星術は迷信ですが、遠いカルデア時代のそれは迷信ではありませんでした」と語っています。とはいえ、ルドルフ・シュタイナーにしろ、エドガー・ケイシーにしろ、個人を判断する場面で「出生時の星位」には言及していましたね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
エドガー・ケイシーの方が残された文書に、そういう場面がたくさん出てきますが、ルドルフ・シュタイナーも『治療教育講義』で、問題になっている子供の出生時の星位に言及している場面がでてきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とはいえ、最終的に人類は「星の影響力」からも脱していくのが、遠い未来の課題のひとつでもあるとシュタイナーは語っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「宇宙の影響力（星の支配）からの自由」・・・・こういう解放の境地もいずれ人間は迎えることになると。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
聞かされなければ、そもそも人類の「共通の問題意識」にさえなったことがない隠れた秘密（問題）がどれだけ今でも隠されているのか、それを思うと途方に暮れちゃいますよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>https://boundhead.blog.shinobi.jp/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC/%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%80%81%E3%81%9D%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BD%BF%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E5%9B%B0%E9%9B%A3%E3%81%AA%E9%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E5%85%A5%E3%81%A3%E3%81%A6</link> 
    </item>
    <item>
      <title>とっくの昔に「流行歌」現象って終わっていた</title>
      <description>近年のNHKの紅白歌合戦って、毎回批判を浴びてるけど、「すでに終わってるもの」を延命しようとしているからだよねえ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和時代の紅白歌合戦は「その年に流行った歌の年末総集編」、「今年はこんな歌が流行ったよね」という国民全体で行う確認行事だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
でも近年の紅白歌合戦は、もはやそうじゃないよね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Yahoo!のAgent iにこんな質問をしてみた。&lt;br /&gt;
--------------------------------------------------------------------------------------------------&lt;div&gt;日本から流行歌の全国ヒットと呼びうるような現象が消え始めた年代は？&lt;/div&gt;&lt;div&gt;--------------------------------------------------------------------------------------------------&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;div&gt;Agent iの回答は以下。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--------------------------------------------------------------------------------------------------&lt;/div&gt;&lt;div&gt;音楽の広がり方をたどると、この変化はかなりはっきり見えてきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本から流行歌の全国ヒットと呼べる現象が消え始めたのは、だいたい2000年代後半から2010年代初めです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特に2008年前後から2012年ごろを境目として見るのが自然です。CD市場は1998年ごろを頂点に減少へ転じ、その後は着うた、配信、動画サイト、SNSへと聴取行動が分散しました。全国民が同じ曲を同じタイミングで知る条件が弱まったためです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつてはテレビ、ラジオ、有線、レコード店が強く、同じ曲が全国へ一斉に届きやすい構造でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし2000年代後半以降は、メディアの共通基盤が弱まり、人ごとに触れる曲が違う状態が進みました。CD売上の長期減少は、その土台の変化を示す一つの材料です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1990年代まで 全国ヒットが強い時代&lt;/div&gt;&lt;div&gt;2000年代前半 まだ全国ヒットは成立&lt;/div&gt;&lt;div&gt;2000年代後半 崩れ始める時期&lt;/div&gt;&lt;div&gt;2010年代以降 断片化が定着&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なので、消えたのは一気にではなく、2000年代後半に崩れ始め、2010年代にほぼ常態化したと考えるのがいちばん実態に近いです。CD市場のピーク後に長期下降が続いたことも、この見方を補強します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
年代で答えるなら、2000年代後半。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;より厳密に言うなら、2008年から2012年ごろに全国ヒットの時代が終わり始めたと言えます。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;----------------------------------------------------------------------------------------------&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ロックは死んだ」というセリフは有名だけど、ロックどころか「商業音楽」そのものが「全国流行」「世界流行」することを終えている、ってのが真相だった（以前このブログでも紹介したリック・ベアト氏も同じようなことを語っていたっけ）。もはや音楽業界から新しい「世界的スーパースター」が出てくることもない。以下、その参考動画。日本語版ではないので、ご自分で音声選択or字幕操作を行ってからご覧ください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/o_KEYg3IZk0&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/O70vlx77-5A&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大衆はもはやパッケージされた音楽の録音商品に身銭を切らない。かつて少年少女たちは、少ないこずかいの中からこの一枚を選んで買い、自分の家の中で何度も何度もそのレコードやCＤを聴いていたが、こんにちスポティファイなどが大衆の行動に持ち込んだ手法は、かつては自宅の部屋の中だけで完結していた「繰り返し聴く」と言う行為が、「ネット世界へ流出し」、かつては「個人的体験だったはずの、同じ曲を何度も聴くという行為（繰り返し聴いた回数）」がスポティファイなどの「錬金術的知恵」によって、「彼ら」仲介者たちに大金をもたらす行為へとまんまと変えられたのだった。かつての少年少女は１枚のアルバムに一種自分の身をけずるような対価を払って聴いていたが（身銭を切って買ったことが、その音楽体験が思い出の中に強烈な根を張る根拠にもなった時代だった）、その曲を何回聴いたかという「公称的統計値」に「広告的価値」が付く時代が来るなど思いもよらなかっただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ＡＩ音楽の登場によって、ますます生身の人間が長時間スタジオに入って、何度も何度も録音作業を繰り返す価値などない時代に突入した。その時その時の気分で大衆行動を取ることを本分とする大多数のリスナー側の立場からしたら「よい曲なら出自は問わない」というのも、「大衆は何に金を払うか」に関する、もう一方の「経済活動的真実」だ。２１世紀のリスナーたちにとっては、未来は、かつてのような「大衆が商業音楽が更新される様を同時体験する時代」ではなく「すでに出尽くしている、かつての音楽要素の再編集行為に付き合わされる時代」の幕開けである。新奇なものに対する熱狂ではなく、ただの消費活動である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結局、ショウビズ系という、舞台的出し物で大衆を喜ばすという、その始まりにおいて近代以前から続いてきたビジネス（幻影売り）が最終的に勝ち残ることになるんだろう。日本のアニメに付属しているアニソンCDや劇伴CDしかりである。大衆の音楽への接近がある場合、音楽は、もはやそのような業界で、ショウビジネス的作品やその演者として立ち回らざるえなくなった人物たちへの大衆側からの支持表明機能（推し活）の中のひとつとしてチョイスされるに過ぎなくなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういうわけで、さようなら、流行音楽、大衆音楽の時代よ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
P.S.あ、ちなみに私が音楽を聴かなくなるとか、音楽活動をやめるということではないです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description> 
      <link>https://boundhead.blog.shinobi.jp/%E7%A7%81%E3%81%8C%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E9%9F%B3%E6%A5%BD/%E3%81%A8%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%81%AE%E6%98%94%E3%81%AB%E3%80%8C%E6%B5%81%E8%A1%8C%E6%AD%8C%E3%80%8D%E7%8F%BE%E8%B1%A1%E3%81%A3%E3%81%A6%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F</link> 
    </item>
    <item>
      <title>ジリ・レーンに会え２</title>
      <description>以前、自作の楽曲のアップロード先としてYouTubeに新たにページを作成したことがありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのboundhead名義の自分用のアイコンは、かつて私が見た不思議な夢について書いたページにイメージとして張り付けたものを流用したものでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「&lt;a href=&quot;https://boundhead.blog.shinobi.jp/%E6%80%AA%E7%95%B0%E3%81%AA%E5%87%BA%E6%9D%A5%E4%BA%8B/%E3%82%B8%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%81%AB%E4%BC%9A%E3%81%88&quot; title=&quot;&quot;&gt;ジリ・レーンに会え&lt;/a&gt;」ページに飛ぶ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、私はもう一本その後日談のような記事を投稿しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Jackie Februaryというミュージシャンが宇宙飛行士のヘルメットをかぶって、地球に（日本に）やってきた様子を描いた動画をアップしていました。その動画に遭遇したとき、ジリ・レーンの夢との連想でどんなに驚愕したかというのが、その時書いたことでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「&lt;a href=&quot;https://boundhead.blog.shinobi.jp/%E7%A7%81%E3%81%8C%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E9%9F%B3%E6%A5%BD/jackie%20february%20-%20lonesome&quot; title=&quot;&quot;&gt;Jackie February / lonesome&lt;/a&gt;」ページに飛ぶ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/_EiffEXdoUw&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/JzG1JECQcJk&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
動画を上から順番に見ると話しの流れがよく理解できますよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
で、なぜ、今、また「この話」を蒸し返す気になったのかというと、本日また「普段着姿で宇宙飛行士のヘルメットをかぶった若い女性」というモチーフが突然YouTubeのおすすめに現れたからです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ええっ」とまたまた驚愕したことは言うまでもありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/hgp2T1Vk738&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実はこの楽曲はSunoで作ったものです。ヘルメットをかぶった女性のイメージもAIを利用したんでしょう。たぶん、動画作成者(&lt;a href=&quot;https://www.youtube.com/@analuisaai&quot; title=&quot;&quot;&gt;Ana Luisa&lt;/a&gt;、ブラジル在住らしい)が歌詞をSunoに食わせて作ってもらったのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
楽曲があまりにも良質なので、どちらかというとアンチSuno派でやってきた自分が「陥落しそうに」なりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
AIというアーリマン精神の極致の技術を用いて、ルシファー的な「空想イメージ世界」へ連れて行かれそうになったのでした（というか聴いているときは「あっち」にいた）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
純粋にリスナーサイドの立場で考えれば、「よいと感じる曲だったら、音楽業界人が作ろうが、それで商売がしたいクライアントにこんな曲を出してと〈発注を受けた機械〉が作ろうが、庶民はいちいち気にしないだろう」という事実です。すでにYouTubeにはChillを宣伝文句にしたインスト系の楽曲(2時間～4時間もの)があふれかえっていますし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実在するミュージシャンたちも今では、オートチューンを使って「プロ仕様」の仕上がりにするようになっていますが(元歌が下手でもOK)、オートチューンはまだ「実際に歌ったものの修正」です。そんなことをするなら、声をサンプリングして、初めから全部機械に歌わせれば、「完璧なプロ仕様」（皮肉ですよ、もちろん）に仕上がるし、「歌手はスタジオで歌う必要もなくなる」んじゃないでしょうか。こんなことは誰でも考え付く話だし、音楽業界の裏ではすでに起き始めている事案なのかもしれません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ああもう〈経済活動がやりたい人々〉が行っている〈商業音楽制作〉は、だんだんSunoのような機械制作に代替されて行ってもいいんじゃね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などと思いました。そしてAna Luisaの39番目の登録者になりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・・・・・・・・・・・・・・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いったい彼女はなぜ宇宙飛行士のヘルメットを普段着の女性にかぶらせるというモチーフで何度何度も（現時点では６曲）Sunoを使った動画を作成したのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼女は以前、Jackie&amp;nbsp; Februaryの動画を見たことがあり、それに触発されたのでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もしSunoを使ったあの楽曲に、たとえばブラジルのどこかの都市の実写映像を合わせていたとしたら、私はこれほどまでに動揺しなかったはずです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「えっ、Sunoを使った楽曲なの？　Men I trustとか、そっち系を感じるけど、&lt;br /&gt;
完成度高けえな、おい・・・・・」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とだけ思ったはずです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Jackie FebruaryにしろAna Luisaにしろ、YouTubeにやってくる人々に大人気のページとは、言えませんし、「普段着のまま宇宙飛行士のヘルメットをかぶった若い女性」というモチーフが存在すること自体、多くの人にとって思いもよらないことでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私には、この奇妙なシンクロ現象があまりにも不可解で、以前同様、解釈不能の状況です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本日、Ana Luisaがアップした動画に行き当たって、ますます当惑を感じているのでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>https://boundhead.blog.shinobi.jp/%E7%A7%81%E3%81%8C%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E9%9F%B3%E6%A5%BD/%E3%82%B8%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%81%AB%E4%BC%9A%E3%81%88%EF%BC%92</link> 
    </item>
    <item>
      <title>一匹猫</title>
      <description>以前、このブログで「この緩さがいい」ということで、ASOの「Ur OK」を紹介したことがありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/R6SgQzf93nw&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのとき、はっぴいえんどの「夏なんです」のことにも合わせて言及してました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「緩さがいい」と感じる流れは、その時以来ずっと続いているし、実際今でも繰り返しASOの「Ur OK」が入っているアルバム（「HOME」）は、思い出したように何度も聴いてきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近バウンドヘッド版「夏なんです」をYouTubeにもアップしたのも、結局昔ASOの「Ur OK」を聴いた影響からなんだろうなと最近は思うようになりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
で、その流れはまだ続いていたのか、「一匹猫」という題名の動画をYouTubeにアップしました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/_oEVT_yY15s&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
題名は選んだ動画が「一匹猫」だったので、成り行きで付けたのでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「歌詞付きバージョン」（バウンドヘッド歌唱バージョン）も作ったんですが、自分の感想ではセンチメンタルになりすぎてボツにしました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歌詞なしでもそれ自体で十分センチメンタル系楽曲なので、これ以上「やりすぎる」必要はないかと思い直したのでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この曲も2002年版のcakewalk(Windows XP)で打ち込み&amp;amp;録音をしましたけど、次回は最新版のcakewalk Sonarの入っているWindows11のPCを使って何かまた出したいなと思ってます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>https://boundhead.blog.shinobi.jp/%E7%A7%81%E3%81%8C%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E9%9F%B3%E6%A5%BD/%E4%B8%80%E5%8C%B9%E7%8C%AB</link> 
    </item>
    <item>
      <title>Agent iになぞなぞを仕掛けてみた</title>
      <description>PCでネットアクセスする際は、Yahoo!を最初のページにしてます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ネットで気軽にアクセスできるAIっていろいろあるみたいですが、Yahoo!のAgent iくらいしかいまのところ使ったことがありません。私は大学生でも報告書作成が必要な会社に勤務している会社員でもないので、今のところ「高度なAI」をどうしても使わなければならない理由がないのでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
でも「AIって、〈小学生に答えられるなぞなぞ〉に答える能力ってあるのかなあ？」と疑問に思ったんです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それで、私なりに考えた「名探偵コナン」の阿笠博士が言いそうな「子供向け」のなぞなぞをAgent iにぶつけてみました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人々、人々と叫びながら、道路を走っているものなんだ？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
答えは以下です。画面をクリック&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/File/f5e39355.png&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/Img/1786996517/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
想定した答えとは違ってました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
でも、名探偵コナンに出てくる少年探偵団なら、すぐに答えられたに違いありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もちろん、あなたにも、すぐ分かりますよね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
質問と回答がネット上のどこかにあり、AIがすでに学習済みだったら、すぐに答えられたんでしょうけど、「論理（というか連想）の連結が機械の想定外」だった場合、機械は応用力（ひねり）を行使できないんでしょうねえ。そもそも、子供たちはなぞなぞの存在自体を面白がる心を持っているからこそ、なぞなぞに関心を示すんで、機械は「究極の朴念仁」ですし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
プル、プル、プル、プル&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小さな子供の中には、意味のない音を口から音楽のように吐き出して、意味ではなく言葉自体をまるで「飴玉をなめてる」ように、楽しんでいる時期がありますよね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
下唇をふるわせながら、ひたすらブー、ブーっと言って遊んでいる子もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
面白いと感じる発音は、それぞれの子供次第でしょうけど、この時期の彼らは「自覚なき詩人であり音楽家」なんだと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>https://boundhead.blog.shinobi.jp/%E8%BF%91%E6%B3%81/agent%20i%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%9E%E3%81%AA%E3%81%9E%E3%82%92%E4%BB%95%E6%8E%9B%E3%81%91%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%81%9F</link> 
    </item>
    <item>
      <title>夏なんです</title>
      <description>今年の夏も暑いです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
７月後半、室内温度が３５度になる日が続いておりまして、「そろそろ新しい録音作業をやりたいなあ」と思っていた折、「そうだ。『夏なんです』をやろう」と思い立ち、「ああ、でもアコースティックギターのコピーは耳コピじゃ難しそうだなあ」と思い、ヤフオクを覗いたら、なんとバンドスコアが商品として出ているじゃないですか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/File/IMG_20260808_162259_734.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/Img/1786651012/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういうわけで、落札しました。YouTubeにイントロ部分のギターのコピーが動画で上がっていないかなあ、と思って探したら、いろいろ見つかりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
で、その動画も参考に練習を始めたんですが、もうめんどくさくて・・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ああ、もう自分流の『夏なんです』にしてしまおう。幸いコード進行は手にれたし」ということで、急遽その場で新バージョンをでっちあげました。ちなみに細野さんの声域は私よりも低めなので、気分良く声が出せるように、今回の録音ではキーを変更しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/FU1i_8X9NuM&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
完成した録音を聴き直しているうちにベースラインにかぶって、ビーチボーイズの「グッド・バイブレーション」が重なって聴こえるという珍現象が起こり、「自分の声でグッド・バイブレーション」と歌って重ねようかと思いましたが、やめました。あの手の低い声が出せません。それで本物をコラージュさせていただきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ひさびさ、あんずちゃんと小太郎にYouTubeに出てもらえて、うれしいです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
時間があれば、もっとアレンジをちゃんと練り直して、ギターやベースもちゃんと考えて、歌もちゃんと歌って、へたくそに聴こえないバージョンを作れたらいいんですが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回、たまたまYouTubeに上がっている細野さんのラジオ番組を聴きました。２０２４年１０月放送の内容です。ゲストは山下達郎さん。その番組の中で、細野さんが「いいなあ。ビーチボーイズやりたいなあ」とおっしゃていた場面に遭遇し、「おお、奇遇だなあ」と思ったのでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/TM-vmg5yUGc&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「夏なんです」のなかに「グッド・バイブレーション」が隠れ潜んでいたなんて、おもしろい体験でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以前「残りの人生は音楽三昧」と書きましたが、ぜひぜひこれを続けていきたいですよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに今回の録音の機材とか楽器とか紹介しておきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まずマイクです。Shureではありません。xpに入っているcakewalkをMTRのように使いました。Windowsは11持っているし、その中にはSonarというcakewalkの最新版が入っているのですが、機能が多すぎて、もうめんどくさいので、操作が楽なxp版のcakewalkを使いました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/File/IMG_20260814_042814_459.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/Img/1786651022/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/a&gt;次にベース&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これは大学生時代に自分らのバンドでベースをやっていたＩ君のです。３０年前に借りたまま、あるとき、「返そうか」と言ったら「持ってていいよ」と言ってくれたので、ずっと使ってます。YouTubeにあげてる「DOWN TOWN」のベースはこれで録音しました。彼は福岡の化学企業の社長さんになりましてて、すっかり偉い人になってしまいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/File/IMG_20260814_042847_814.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/Img/1786651034/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/a&gt;次にエレキギター。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/File/IMG_20260814_042918_150.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/Img/1786774020/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Ibanezのエレキギターです。地元のリサイクルショップで５０００円で手に入れた品です。以前ブログにフェンダー・ローズのMarK5を手離したと書きましたが、そういうことはもう一度あったんですよ。手離した規模はさらに大きくなりました。そのときはアコギ１本とエレキギター２本とエレピ１台とシンセ１台とエレドラ１台を泣く泣くリサイクル店に出してしまいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ああ、もう音楽はいいや」と思って暮らしていたのですが、また何か録音したいという欲望がもくもくとわきあがり、結局、手元にエレキギターがなくなっていたので、「もうどんなものでもいいから」とリサイクル店に行って見つけて家に持って帰った品です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あとこれは手放さなかったのですが、エレ・アコとエレ・ガットはかろうじて処分しないでおきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まあ、私は「楽器演奏のエキスパート」を目指すんじゃなくて、あくまでも歌い手として、いろいろな楽器をある程度こなせればいいという考え方だったので、小説家が万年筆に大金をかければ、いい小説が書けるなどとは、まったく思わないように、楽器の演奏技能の追求を「努力目標」にする意欲がわかなかったんですよねえ。でも楽器演奏のエキスパートを目指すなら、やっぱり高価な楽器はぜひとも欲しくなるでしょうし、また必要なものですよね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とはいえ、まとまった形の何かを通しで演奏できなくたって、音を出すだけでやっぱり楽器は楽しいですよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ということで、今となっては取り返しのつかないひどい人生をよくもまあ歩んできたもんだとしみじみ思います。だからと言って、今の生活が不幸だというわけでもありませんがね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>https://boundhead.blog.shinobi.jp/%E7%A7%81%E3%81%8C%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E9%9F%B3%E6%A5%BD/%E5%A4%8F%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%99</link> 
    </item>
    <item>
      <title>蓼食う虫も好き好き、だし</title>
      <description>人があれやこれやの音楽を好むって、食べ物の好き嫌いと似てるような気がする・・・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「オレはデスメタル以外受けつけない」とか、「アナタ、大衆音楽をピアノで弾くなんてもってのほかよ。クラシック・ピアノの技術が汚染されるわよ。だから絶対近づいちゃダメ」とか言う人たちがいるとしたら、これはかなり極端な部類だろうけど、でも彼や彼女だって「好きなものはスキ」以外ないんだよねえ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
でもデスメタルしか聴かなかったロンゲ兄さんが結婚して、娘ができて、彼女がアンパンマンの歌ばかり歌うようになったので、アンパンマンのＣＤを買ってきて娘と一緒に歌ったりするようになることもあるわけです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とはいえ世間一般に対してはJ-POPとかK-POPなんか聴いてる連中に依然として相当に憎しみを感じてたりする。「そんなくそみたいな音楽聴いてんじゃねーよ」などと毒を吐く。でも外出中なにかの拍子にアンパンマングッズを見かけたら、娘のために買って帰ろうなどと考える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このお兄さんは「お父さん」的には「娘の好きなものを否定したくない」のです。むしろ「理解したい」「受け入れたい」と思うから、娘への愛ゆえにアンパンマンへの関心を持つようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
でも人間は見知らぬ他人の好みなら、自分の好みと照らして、強烈に否定したくなるもんですよねえ。食事についてのたとえでいうなら、世に出回っているものなら、なんでも食べられる、ほとんど好き嫌いのない人もいれば、特定のものしか受け付けない偏食がちな人もいる。そういうもんです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
音楽の受容態度にも似たような問題はありますねえ。私もついついアニソンなどで最近よく遭遇するようになったDAW系の「やっつけ仕事」のような作品を「ただただうるさい編集をする楽曲」だと思って、批判的になってしまうんですけど（DTMソフトからアウトプットさた「デジタル音源オンリーなオケ」からはどこか不快感を感じさせるザラザラしたような変な周波数が出てる気がする）、それでもそういう曲を「何度も聴きたくなる名曲」として、好んで聴いている層もいるはずです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まあ、日本のアニメ産業は番組の最初と最後に音楽を付けるという「先人が始めた伝統」を踏襲し、「こういうことを必ず盛り込む必要なんかないのにね」という疑問を当事者たちが感じていても「大人の事情」的発注作業を前例通りにやらざるを得ないんでしょうねえ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまでのセオリーからすれば、「編曲が歌（ボーカル）を生かす」には「やりすぎ盛りだくさん状態からいかに引き算的発想ができるか」が曲を名曲にするかどうかの分かれ目になりそうですが、彼ら「DAW系でメシを食っている人々」は「自己主張」をしなければ、つまり「ホラちゃんと仕事してますでしょ的証拠」をアリバイとして提示したいがために「デジタル音源を用いた編曲(過剰盛り込み)作業をついついやりすぎてしまう」のが常態になってるんじゃないだろうかと私はひそかに疑っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アニソンを発注する側も「アニメ本編の前後に約90秒の歌を入れるという伝統的フォーマットが整えばいい」だけなので、その形式に沿った発注をすることで、「これで発注者としての責任は果たした」ということなんでしょうねえ。何かすごく機械的流れ作業っぽくなってます。それに今後アニメのOPやEDもますますＡＩ発注に置き換わっていく可能性もありますしね(すでにエンタメ業界のなかで仕事をしている「受注職人たち」は機械に吐き出させたものを自作品として自分のDAW環境に取り込んで部分的に再編集しながら楽曲作りをしているはずです)。劇伴制作も含め「アニソン（あるいはゲーム）界隈でよく流れているような〈そんな感じのようなもの〉が納期を守ってちゃんとできあがっていれば、それで業界仕事的にはOKなんだよ」的「職人マインド」（とてもこんにち的です）の成果です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さて、前置きが長くなりました。ルドルフ・シュタイナーは「理解するということは、ある事柄を別な事柄に関係づけることです。この世では一つの事柄を他の事柄に関係づけなければ、何も理解することができません」と。「教育の基礎としての一般人間学」で語っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
唯物論的な表象（概念）を「身近なもの」として生きてきた人は「その自分が知っている唯物論的表象」と「今出会った対象」を関連付けることで「対象が何なのか理解した」と判断します。古代のキリスト教徒は黙示録を読んでICBMと関連付けたりはできません。そんな「表象」を持っていないのですから。「彼ら」は当時彼らが身近に持つことができた表象と関連付けて理解しようとしたでしょう。こんにちでは、ICBMのたとえのように、世界を唯物論的イメージと関連付けるようになった人々がキリスト教徒を自称しています。「救済」のイメージも物質生活的表象内でしか理解できなくなっています。（また話がそれました。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人が音楽を聴いて「これはよい、これはあまりよくない」と判断するのも、自分の過去の音楽体験が、新曲を聴くたんびにたえず想起されて、「その関連付け行為」が審美判断の助けをしているためでしょうねえ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近アンテナにかかったアニソンのひとつが、レトロリロンの「エゴ」です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/4cGnQ8gFCCs&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
シンプルなエイトビート曲っていまでは希少品になってるんですよ、特に現在の日本の音楽環境下では。昔そのために世界戦略的に自滅した家電品やガラ携帯の「狭いところに機能を何でも盛り込め感」の局所最適化的適応行動、「その精神」の再現が、今再び同調的横並び音楽業界において、起きています。男性ボーカリストたちの、高域発声指向も「売れ線」を意識するがゆえの業界的「同調圧力性」だろうし(注：&lt;a href=&quot;https://www.youtube.com/watch?v=6vcbg8A43L8&amp;amp;t=1245s&quot; title=&quot;&quot;&gt;日本人の日常における声域の変化について別の領域から考察している車田さんの動画&lt;/a&gt;も面白いですよ)、女性ボーカルは皆上手なのに「個性」がない。というか、あの独特の節回しは、あえて「モデルケース」になっているような何かに寄せるように、ボイストレーナーに付いて発声訓練をした結果の「非個性化」なのかもしれないし。どちらにしろ、「個性的な」それでいて「天然のよい声（ポピュラー音楽ではこれが大事だ）」を持った歌い手が、昭和・平成時代にくらべて格段に少なくなっているのではないかというところも気になるところです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
よい歌詞を書く甲本ヒロトが「日本のリスナーは歌詞を意識しすぎる」というような趣旨の不満を漏らしていましたけど、それは皮肉な話ですが（裏を返せば「音楽」として「聴く」ためのセンスが弱いということでもあります）、歌詞なんか(それを自己主張だとかメッセージだとか言うならば)どうでもいい（誤解しないでね）、思うまま、なんでも歌にしてくれ（ただし楽曲との音韻的な--音楽的な--違和感を感じさせないこと）、とにかく自然に体が揺れる、そして誰でも１回耳にしたら、たちまち聴き手の中で自然に鼻歌化されて覚えられてしまう、そんな言葉のリズムとメロディを持っている楽曲が日本でも「再び生まれるようになってほしい」と最近つくづく思うんですよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
------------------------------------------------------------------&lt;div&gt;詩人は、詩の言葉を紡ぐ際に、呼吸のリズムを保とうと努めている。歌を作る人は、すべてを呼吸、ひいては頭の呼吸へと回帰させる。人が話すことから歌うことへと移行するとき、地上の状況に言葉を適応させるために経験してきたことを、ある意味で元に戻すことになる。実際、歌は地上での生活以前の経験を思い出す手段である。私たちは、思考システムよりもリズムシステムを通して、精神世界にずっと近いところにいる。(&lt;a href=&quot;https://rsarchive.org/Lectures/GA283/English/AP1983/19221202p01.html&quot; title=&quot;&quot;&gt;ルドルフ・シュタイナー「音楽の本質と音色の体験」&lt;/a&gt;GA283)&lt;br /&gt;
------------------------------------------------------------------&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;「再び」とか言いましたが、というか流行歌をレコードにして売るという文化が日本で始まって以来最近までずっと「それが常態だった」んですよ。だから「異形の進化」を遂げた、J-POPなどと呼ぶようになった今の日本の音楽は（外国人YouTuberさんたちがいくら今の日本の流行歌をJ-POP、J-POPと言ってほめたたえようと）、これまでと異なった、非ニッポン的な何かになっており、今は異質時代なんですよ（もはや日本は大衆音楽進化史的には衰退期なのかも）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ジャニーズ・システムが崩壊して以降、ますますそのような「ショービズ系」の新たな展開がJ-POPなどというジャンル名を騙りながら、再起動しているんじゃないかと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和時代まではそのようなジャンルは、新しく台頭してき世代には「歌謡曲部門」として認識されており、とはいえ明るい大衆歌謡であれ暗い演歌であれ、歌い手はよく訓練された歌手であり、ほんとに歌が上手なプロでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
のちに「使い道」の分からなかった「若者たちの帰依心」（本来は尊いものですが）を金銭に交換させるために偶像性を売りものにするアイドル系が産業として歌謡曲部門に加わっていきます。そして今やJ-POPもこの流れの延長線上に成立しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしそれでも、６０年代、７０年代当時における「これまでと違う何か」を求める日本人の感情が、「別のアティチュードを持って活動し始める人々」によって日本で起動した時代があったんですよ。それらの作品群は、のちにニューミュージック（私のパースペクティブではフォーク系からポップス系、ロック系まで範囲は広いです。つまり戦前戦後を通じて歌謡曲販売において通例となっていた作詞家先生・作曲家先生への発注方式とは別のアプローチを採るようになった人々の出現です）と称されるようになりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「異なった精神からは異なった作品が出てくる」・・・・それは当たり前ですけど、こんにち「その精神」は消え去っているのでした。そしてネット時代になって世界が「ようやく発見」して評価してくれるようになったのは「今の旬の騒々しく落ち着きのない日本の流行音楽」ではなくて、７０年代８０年代の「楽曲」でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ポチって支持表明」と言う安楽時代に入って以降、「統計的数字」と国民の精神に本当に「忘れられない音楽体験」として浸透できているかどうかの関連性があやしくなっている。実態は資本主義理念のもとでの音楽産業的展開にダマされてるんじゃないかと思ってます（ま、これは米国なんかも同じでしょうが・・・・）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/GB3gr03sJ_Y&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2:55辺りからリック・ベアト氏（彼のYouTube番組面白いですよ）がしゃべっている内容に注目です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こんにちの日本においては、投下予算を組んでのTV局とのタッグは昔からですが、それに加えて、韓国企業から手法をまねたらしいポチリ部隊やネット書き込み部隊を編成する、という「新しいプロモーション予算の投下」が「仕掛け手側」でうごめいているんだと思います。こんにちYouTubeで日本人向けの日本語版コンテンツをAIを駆使しながら大量に作っているのは東南アジアなどに拠点を持ってうごめいている「アジア系外国人たち」です。日本の音楽産業においても、日本の資本家たちが「彼ら」を手駒のようにして利用している可能性が大です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ということで、またまた脱線から修正。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本ではギターのアンガス・ヤングの半ズボンにカバンという「ステージ衣装」がダサいと判定されたのか、そのせいでなのかは、はっきりしませんが、日本人には人気がなかったAC/DCとか、ドラムはただドンタン・ドンタンいってるだけですよ。そんなふうにエイトビートはやりすぎないのがいい。それでも偉大なバンドでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
DAW系の曲のドラムアレンジって、ドラム叩いたことがないまま、思うままにやってんだろうなあと思う場面も多いです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
レトロリロンという名前のバンドですけど、最初私読み方が分からなくて、レト・ロリ・ロンと読んでしまいました。なにレト・ロリ・ロンって変な名前・・・・と思ってしまったのですが、あれこれって実はレトロ・リロンじゃね?　と思うようになりました。相対性理論というバンドがいますし。だったらレトロ理論って表記してくれたらよかったのに、と思ったのでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
声が独特です。でも、最初に聴いたとき、やはり過去作品との関連付け体験が当然起こったわけです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
声質に関して、なんかNOBODYとかを思い出しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/87YI3_Qymf0&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それとBOOM BOOM SATELLITESとか。以下アニメ「忘念のザムド」で使われた曲です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/aco7m9yIkSU&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「忘念のザムド」については大昔当ブログでも言及したことがありました。「ジブリ臭がする」と。後でスタッフロールで気が付いたんですが、背景画にジブリが参加していたのでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
レトロリロンと声に類縁性を感じるという切り口で採り上げた２曲でしたが、どちらも男性二人組ユニットでしたが、それぞれ相棒をすでに亡くしてるんですよねえ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
レトロリロンさんはこんにちの日本の売れっ子ミュージシャンたちのような「やりすぎな編曲癖」に走らないように願いたいですけど、やっぱ時代の同調圧力というか、同じ病というか誘惑にかられてるんでしょうか・・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ああ、ロックしなないで。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ということで、最後にそのレトロリロンの「エゴ」のフルバージョン&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/OF5KU3bOyw8&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>https://boundhead.blog.shinobi.jp/%E7%A7%81%E3%81%8C%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E9%9F%B3%E6%A5%BD/%E8%93%BC%E9%A3%9F%E3%81%86%E8%99%AB%E3%82%82%E5%A5%BD%E3%81%8D%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%80%81%E3%81%A0%E3%81%97</link> 
    </item>
    <item>
      <title>たまが飛ぶ</title>
      <description>なんかやる気なしモードから一転、「どうでもいい話だけど、ネタとして出しておこう」と思ったので、最近監視カメラに残っていた「たま飛びシーン」をご紹介いたします。GIF化しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「たま」が玄関先から外へ出て行って左に曲がって消えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/File/02-1.53.gif&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/Img/1785066567/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私自身はあまりこういう「光学現象」に「深い意味」を感じたりはしないんですけど、だって自然科学現象として、ホコリの赤外線反射映像って言いながら、投稿してもいいわけですし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ主観的には「比喩」、つまりファンタジーの力によって、自然現象の背後に「主観的解釈=物語」を付け足したくなるときだってあるとは思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
去年の夏、タカサゴユリでいっぱいになった「空き家化した隣家の庭」で、以前こんな写真が撮れたことがありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/File/fa05d161.jpeg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/Img/1784930340/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これにフィルターをかけてみます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/File/2.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/Img/1784930346/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一枚目より少しだけ明確になりました。私は「おお、これは私の目の前で空中を移動しているアナコンダみたいな何かが、たまたま映り込んだんだな」と解釈（空想）することにしました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「空気」を体として活動している存在がいるらしいですし。ま、これも条件がそろったときに出現する虹という光学現象のように、「ただの自然現象」なんでしょうけど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ「裸眼」では、そのとき、そのあたりに周囲と明確に区別できる「熱のかたまり」のようなものは見えなかったので（というか、たとえば風というう現象があることは皆知っていますが、「どんな見た目（形態）」で吹いているのか人類は認識できません、空気の（透明なもの）の動きですから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
水の沸騰とか対流現象、あるいはゆらゆらする陽炎現象だったら、少しだけ「光学意識」に上りますね）、カメラという機械が「瞬間の光学現象」を切り取って「人間が見逃している光学的瞬間がある」ということを教えてくれるのは、一種の「教訓」のようなものですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
病的な状態になった人が、幻覚を見るとき、つまり光学像レイヤーに、本来なら「内界」に属しているイメージを第二レイヤーとして重ねて見てしまうこともありますね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういった人間の認識の錯誤体験を技術化し、軍事に応用して、最終的に日本政府が戦争犯罪者となった大佐の恨みを買った事件を「攻殻機動隊　ARISE」で描いていましたっけ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/File/1.png&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//boundhead.blog.shinobi.jp/Img/1784934060/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というか、誰でも日常的に「空想」することで、「イメージ・レイヤー重ね」のようなことをやってるはずです。目を開けて何かをしながら、数字なんかを思い浮かべていたり、旅行で行ったことのある場所をふとイメージしています。「光学像」を見ながら「頭の中の別の像」を思い浮かべている瞬間が誰にでも「頻繁」にありますね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方のレイヤーだけを透明化したり、二つを同時に重ねて表示したり、PCの画像作成ソフトは自在にできますが、人類には「その潜在能力を駆使して内界の認識像の明確さを上昇させる時代」にはまだ至っていないようです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ということで最後はまたまたシュタイナーの人智学内容（特に『いか超』）の暗示的な書き方になってしまいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Go into the layer・・・・・のために結局死ぬまで修行。でも私の場合は、来世に期待するしかないでしょうねえ。ヘタレですから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>https://boundhead.blog.shinobi.jp/%E6%80%AA%E7%95%B0%E3%81%AA%E5%87%BA%E6%9D%A5%E4%BA%8B/%E3%81%9F%E3%81%BE%E3%81%8C%E9%A3%9B%E3%81%B6</link> 
    </item>

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