去年、私にとって「家族問題」でもっとも衝撃的だった事件は、5月、大阪で5歳の女の子が、自分の目の前で父が母を刃物で刺し殺す場面に遭遇し、続いて自分も背中から肺に達する刺し傷を負わされて倒れ(そのとき父親は娘が亡くなったと思ったか)、今度は父親自身が刃物で自害して倒れ伏してしまった部屋で、両親の死体とともに数日過ごし、夜を明かし、ついに、それまでどうしていいか分からないで両親のそばにいた「5歳の女の子の心」が外に出ようと決断して近所に助けを求めた、というものだった。数日間、家から出ずに両親の遺体のそばにいた彼女が何を感じて長い長い時間を「がまん」して暮らしていたのか私は空想した。
最近の事件では、36歳の母親が、夫からすれば無人だったはずの自宅で高校生の息子と小学生の二人の息子とともに心中した事件もショックだった。そのあとも年が明ける直前まで、別の地域で起こった母子心中の報道がいくつか続いた。
最近はニュースはYahoo!のポータルサイトで見ているが、去年「5歳の女の子」の記事に出会って以降、「主なニュース」が並ぶ上段の記事ではなく、その下に出てくる記事に「家族間の事件」を扱う記事が一日数件、毎日のように載るようになっていることに気がついた。
昔「その欄」は、写真がひろゆきだらけになっていることがあって、当ブログで「気持ち悪い」とわざわざYahoo!のポータルの編集方針に疑問をぶつけたことがあったが、最近はあのころと記事の傾向が変わっている。

それでこの取り残された5歳の女の子の報道記事をきっかけに、試しにYahoo!の「家族間の事件」を扱った記事をPCのメモ帳に転記して集め始めたら、ひと月で膨大な数になった。それを去年の12月まで続けたのだが、毎日毎日、日本のどこかで、夫婦間で、親子間で、兄弟姉妹間で、「暴力&殺人事件」や「死体放置事件」や「心中事件」が起きていて、もうほんとにいやになったので、記事を集めるのは去年でやめにして、集めた記事も削除してしまった。
こんな記事ばかり集めて読んでいたら気分が悪くなるばかりだし、熱心に記事を読んでいる自分の周りに悪霊さえ寄ってきかねないと思ったのだった。
Yahoo!は、なんでこれほどまでに家族間の事件を頻繁に取り上げるようになったんだろう。統計的に過去に比べて家族問題が急に増えたというわけではあるまいにと思う。「彼ら」の編集方針に、何か隠れた意図でもあるんだろうか、とまで疑ったほどだった。
ちなみに実話めかして感動的な話を聞かせてくれる、いわゆる嘘松系の書き手が(アニメ銀魂の「自動車教習編」はそれをメタ次元で指摘してくれているいい教材だ)2チャンネル全盛時代に暗躍したものだが、この手の文芸の才能のある者たちの一部は、こんにちYouTube事業を手がける大小あまたある企画事務所の雇われ作家として、人情話や都市伝説、恋愛コンテンツから占いにいたるまで、それどころか、すでにあらゆる領域であれやこれやの作り話の台本を書き、企画事務所の雇われ者である動画作成担当者に渡しているんだろう。
「次は〇〇のテーマで15分用の台本を作れ」という指令のもと、締め切りに追われながら「作り話」の台本を書き、動画作成者がそれをもとに動画を作り、「この絵を見てAと思った人はこれこれの可能性があり、Bと思った人は、こういう傾向がある」とかなんとか…、そのような話を真に受けて真剣に動画に付き合っている視聴者たちをカモにして稼いでる。
オールドメディアからニューメディアまで、結局、「言葉で騙して稼ぐ」という手法に違いはない。重要なのは「一か所に人(耳目)を集める」ことなのだから。人(企業が商品を売りつけたい相手)を一か所に集めるから、視聴者に企業CMを見せませんか、CMは売り上げに大貢献してくれるでしょう」。そう言って「企業という本来の顧客(これもまたカモ)」相手に法外な広告料を吹っ掛けてきた。かつてメディアがマス(巨大)化していく時代にこの手法(金の集め方)を考え付いた人物(西洋人の誰か)は、すばらしいアイデアマンだったのであり、希代の詐欺師だったとも言える。
Yahoo!に載る記事の話に戻ろう。「彼ら」が事件として載せている記事のなかには「ある都市の夫が妻を殴った」いう趣旨の実名なしの話があり、ただの夫婦喧嘩なのに、なぜこの程度の話まで全国に「さらす」(報道する)のか理解に苦しむような編集方針ではあった。「名前を伏せて報道しているんだから、ほんとにこんな事件が起きてなくても記者が創作することも現代では簡単だろう」と疑いたくなったこともあった。
「昭和の奥さんは殴られたら我慢したが、令和の奥さんはその場でスマホから警察に電話する。すると、その事件の起きた場所が当事者たちの名前を伏せたうえでYahoo!で全国報道される」
他にも父親が息子に暴力をふるい、息子がその場で警察に連絡してYahoo!の記事になったものなど、いろいろとバリエーションがあった。かつてはうちうちでやり過ごされていた家族間の暴力問題は、いまでは即刑事事件になるというのが令和式だということなのだろうか。
Yahoo!に載る家族問題では、夫VS妻、親VS子、兄VS弟、祖父母VS孫などなど、加害者と被害者においても、いろんな組み合わせで事件になっている。
「ニッポン人てこんなに家族の仲が悪いんだ」と思ってしまう。
「毒親」や「親ガチャ」という言葉がネット世界を頻繁に飛び交う時代にもなった。もしかして今や世の中はいわゆる「毒親」で満ちてるんだろうか、と思う。
昭和時代に相良直美が「世界はふたりのために」という歌で大人気になったが、子どもが生まれると「世界はふたりのため」にあるんじゃないとすぐ気づくことになる。それでも昭和時代はまだ「家族の紐帯は堅固」だったんじゃないかと思う。女性の忍従という但し書きは必要ではあるけれども。
こんにちでは子供は成人後「隠れた恨みの念」を親に対して抱き続けていることが多いのかもしれない。その子は「家族運営における、模倣先、よき家庭モデルを知らない」ことで、結局自身も毒親化するんだろう。
今の若者たちにとって、こんにち家族を持つことは、親の側にとっても子供の側にとっても、「未来に発動する時限爆弾」をみずから確率的に用意しているようなものだ。
「家族を持つことはリスクである」
そもそも結婚しなければ、将来爆発するかもしれない時限爆弾を作り出し、そのスイッチを押すこともないし、そうなれば「家族」の加害者になることも被害者になることもない。
そんな表現がごく当然のようにネット上を飛び交う時代になった。
Yahoo!で毎日のように「家族の地獄化」を提供すべき話題として読者に見せつけるようになった。
年齢が80歳を超えてから、ついに自宅で同居している息子に殺される母親や、殺人ではないけれども、病死したままほっておかれた母親の事件が去年あまりにも多かったことに愕然とする。
「息子を持つこともまたリスクである」
同居息子との関係における高齢の母親の受難報道をこれだけたくさん見せられると、まだ若い母親の中にはそんな思いに漠然ととらわれてしまった人も、あるいはいるのかもしれない。
今回こんな記事を書く気になったのは、YouTubeでたまたま見かけた新築住宅の流行に関して、以下のような「意外な言葉」が解説文に添えられていたことがきっかけだった。

「家族を持つリスク」
昭和時代には聞いたことのない表現だ。
実際の動画は以下。
今の世の中、いろんなことが複雑になりすぎて、家族は、もはや心のよりどころじゃないっていう話なんだろう。
「人間はひとりの方がいい」と歌ったのは森田公一とトップギャランだった。
-----------------------------------------------------
人々はますます小さなグループに分裂していきます。その結果、ついにはグループにはたった一人の人間しか属さないようになるでしょう。そうなればさらに、一人の人間は左と右に分裂し、自分自身と争うようになるでしょう。つまり右の人間が左の人間と争うのです。そのため多くの素質が現在すでに、人間の進化の中に現れています。(ルドルフ・シュタイナー『悪の秘儀』P207-P208)
-----------------------------------------------------