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ルドルフ・シュタイナーの『自由の哲学』のエッセンスを「Hunter ×Hunter」(アニメ 第12話)でクラピカが簡潔にまとめてくれている。
長く困難な道から入って、壁に穴を開け、短くて簡単な道に入る。
「自由」についてシュタイナーが述べた発言で、私がもっとも心に残っている発言は、実は『自由の哲学』のなかで語られていたことではなく、『社会の未来』のなかで語られていたことだった。
-----------------------------------------------------------------------一般社会での自由の概念の例としてウッドロウ・ウイルソンの場合を取り上げてみましょう。彼の考え方は、現代文化の特徴をよく示しております。 ウイルソンは真実、心の底から、現代の政治生活のために自由を求めております。 しかし彼の言う自由とは何なのでしょうか。 それは彼の次のような言葉からも明らかです。 彼によれば、船が自由に航海できるのは、船の構造が風向き、海流その他、航行中の周囲のあらゆる条件によく適応できたときなのです。 したがって船を先へ進めるためには、風や波から生じる力による障害がどこにも生じないようにしなければなりません。同じように人間生活が自由でありうるには、生活環境から来る力にさからわず、どこからも障害が起こらないようにすることなのです。ウイルソンは人間の自由な生活を機械の部品とも比較しています。つまり機械もまた、自由に働くためには、組み込まれた部品がどこからも妨げられず、まさに機械の中で自由に働けるような構造をもっていなければならないのです。私はただひとつのことだけを言おうと思います。 このような環境への適応の正反対を行うときにのみ、人間の自由が語れるということをです。最高の仕方で風や波に適応する海上の船のよう在り方が人間の自由なのではありません。 周囲から来る力の働きなどにかまうことなく、風や波にさからってグルグルまわったり、立ち止まったりする船なら、人間の自由と比較できるでしょう。ウイルソンの自由観の根底には世界に対するまったく機械主義的な考え方があるのですが今日の人びとはそのような考え方を唯一可能な考え方だと思っています。 このような考え方は、近代になって表面に現れてきた主知主義の産物なのです。 私は『自由の哲学』の中で、そのよう考え方に対する批判を試みました。 個人的な印象をつけ加えれば、この本は生まれたときの卵の殻をまだ身につけたままでいます。それはヨーロッパ哲学の伝統の中から生み出されました。ですからヨーロッパ哲学の中で使われている概念を用いて論を展開しなければなりませんでしたので、読者はそれを教科書風と思うかもしれません。しかし著者は教科書を書くつもりではなかったのです。著者が求めていたのは、実際生活の核心になりうるような生活衝動を暗示することでした。そしてそこで論証された諸理念を通じて、 人間の意志が社会生活の中に直接流れ込むことができるようにすることでした。-------------------------------------------------------------------
しかしそのためには、これまでとはまったく違った仕方で、人間の自由が問いなおされねばなりません。 ここ数世紀の間、 どんなところでも、意志の自由、 人間存在の自由に関して、次のように問われてきました。 人間の存在は自由なのか、不自由なのか。私はこの問いがまったく間違った仕方で立てられていること、問いそのものをまったく新しい基礎の上に立てればならないことを示す必要がある、と感じました。なぜなら人間は、近代の自然科学的世界観や近代意識に基づいて人間の本質を観察する限りは、自然的な存在でしかありえず、決して自由な存在ではありえないからです。この問題は内的必然性に基づいて扱われねばなりません。人間が近代自然科学の主張するようなものでしかないなら、 その人間の自由はウッドロウ・ウイルソンの言う自由でしかなくなります。 しかし、そのような自由は決して自由なのではなく、自然的な原因による必然的な結果に基づく行為でしかないのです。
近代人の意識は人間存在の自由にとっての出発点となるべき、もうひとつの問題をあまりにも考えずにきました。 そして人間における自然的なもの、自然因果性に支配されたものだけに眼を向けてきました。しかし人間の本性を深く洞察する人なら次のように言う筈なのです。 人間は生まれたときにあらかじめ定められていた通りの存在であるに留まらず、生活を通してもっとそれ以上の存在にもなることができるのだ、と。人間とは何かを知るためには、人間の究極の目標を知らねばなりません。たしかに人間の本性の一部分は遺伝されて存在していますが、人間はその体的本性が備えていない別の本性をも、自分自身の中から生じさせることができるのです。自分の内部にまどろんでいる人間を目覚めさせることによってです。 ですから「人間は自由か」ではなく「内的発展を通して、私は自由な存在になることができるのか」と問うべきなのです。人間が自由になりうるのは、自分の中にまどろんでいるもの、目覚めさせて自由にすることのできるものを、自分の中に育て上げたときなのです。言い換えれば、人間にとっての自由は生まれたときから与えられているものではありません。 それは自分の中から目覚めさせることによって可能となるものなのです。(邦訳版P178-p181)
「 周囲から来る力の働きなどにかまうことなく、風や波にさからってグルグルまわったり、立ち止まったりする船なら、人間の自由と比較できるでしょう」・・・・・、ルドルフ・シュタイナーの『社会の未来』の引用個所を読みながら、私が最初に理解の糧として「連想」したのが、まさにHunter × Hunter 第12話でゴンたちがやった「試み」のシーンでした。
いろいろな人が集まる場で「自由」という「概念」を扱うのは、困難がともないますね。
あなたのおっしゃる自由、「あなたの中にある自由についてのイメージ」をお聞かせください。それを私たちそれぞれが心の中に抱いている自由のイメージとつき合わせてみましょう。もし、私たちが「同じ言葉」なのに「違う話題(イメージ)」について会話をしていたら、話がかみ合うわけありませんものね。
「自由」という「言葉」に限らず、ある概念について議論を始める場合、まずはここから会話の前提部を始めなければならない困難さがあります。
別の場面(『現代と未来を生きるのに必要な社会問題の核心』)でシュタイナーは「精神の自由」「法における平等」「経済における友愛」とも語っています。そして別の場面では、なによりもまず「思考が自由にならなければならない」とも。
「はて、人類は自由に思考していないのか?」と思いますよね。
YouTubeなどでは、相変わらず星占いやタロット占いが人気のジャンルになってます。「通俗的になってしまった占星術は迷信ですが、遠いカルデア時代のそれは迷信ではありませんでした」とも。とはいえ、ルドルフ・シュタイナーにしろ、エドガー・ケイシーにしろ、個人を判断する場面で「出生時の星位」には言及していましたね。
エドガー・ケイシーの方が残された文書に、そういう場面がたくさん出てきますが、ルドルフ・シュタイナーも『治療教育講義』で、問題になっている子供の出生時の星位に言及している場面がでてきます。
とはいえ、最終的に人類は「星の影響力」からも脱していくのが、遠い未来の課題のひとつでもあるとシュタイナーは語っています。
「宇宙の影響力(星の支配)からの自由」・・・・こういう解放の境地もいずれ人間は迎えることになると。
聞かされなければ、そもそも人類の「共通の問題意識」にさえなったことがない隠れた秘密(問題)がどれだけ今でも隠されているのか、それを思うと途方に暮れちゃいますよ。PR -
近年のNHKの紅白歌合戦って、毎回批判を浴びてるけど、「すでに終わってるもの」を延命しようとしているからだよねえ。
昭和時代の紅白歌合戦は「その年に流行った歌の年末総集編」、「今年はこんな歌が流行ったよね」という国民全体で行う確認行事だった。
でも近年の紅白歌合戦は、もはやそうじゃないよね。
Yahoo!のAgent iにこんな質問をしてみた。
--------------------------------------------------------------------------------------------------日本から流行歌の全国ヒットと呼びうるような現象が消え始めた年代は?--------------------------------------------------------------------------------------------------Agent iの回答は以下。
--------------------------------------------------------------------------------------------------音楽の広がり方をたどると、この変化はかなりはっきり見えてきます。
日本から流行歌の全国ヒットと呼べる現象が消え始めたのは、だいたい2000年代後半から2010年代初めです。
特に2008年前後から2012年ごろを境目として見るのが自然です。CD市場は1998年ごろを頂点に減少へ転じ、その後は着うた、配信、動画サイト、SNSへと聴取行動が分散しました。全国民が同じ曲を同じタイミングで知る条件が弱まったためです。
かつてはテレビ、ラジオ、有線、レコード店が強く、同じ曲が全国へ一斉に届きやすい構造でした。
しかし2000年代後半以降は、メディアの共通基盤が弱まり、人ごとに触れる曲が違う状態が進みました。CD売上の長期減少は、その土台の変化を示す一つの材料です。
1990年代まで 全国ヒットが強い時代2000年代前半 まだ全国ヒットは成立2000年代後半 崩れ始める時期2010年代以降 断片化が定着
なので、消えたのは一気にではなく、2000年代後半に崩れ始め、2010年代にほぼ常態化したと考えるのがいちばん実態に近いです。CD市場のピーク後に長期下降が続いたことも、この見方を補強します。
年代で答えるなら、2000年代後半。より厳密に言うなら、2008年から2012年ごろに全国ヒットの時代が終わり始めたと言えます。----------------------------------------------------------------------------------------------
「ロックは死んだ」というセリフは有名だけど、ロックどころか「商業音楽」そのものが「全国流行」「世界流行」することを終えている、ってのが真相だった(以前このブログでも紹介したリック・ベアト氏も同じようなことを語っていたっけ)。もはや音楽業界から新しい「世界的スーパースター」が出てくることもない。以下、その参考動画。日本語版ではないので、ご自分で音声選択or字幕操作を行ってからご覧ください。
大衆はもはやパッケージされた音楽の録音商品に身銭を切らない。かつて少年少女たちは、少ないこずかいの中からこの一枚を選んで買い、自分の家の中で何度も何度もそのレコードやCDを聴いていたが、こんにちスポティファイなどが大衆の行動に持ち込んだ手法は、かつては自宅の部屋の中だけで完結していた「繰り返し聴く」と言う行為が、「ネット世界へ流出し」、かつては「個人的体験だったはずの、同じ曲を何度も聴くという行為(繰り返し聴いた回数)」がスポティファイなどの「錬金術的知恵」によって、「彼ら」仲介者たちに大金をもたらす行為へとまんまと変えられたのだった。かつての少年少女は1枚のアルバムに一種自分の身をけずるような対価を払って聴いていたが(身銭を切って買ったことが、その音楽体験が思い出の中に強烈な根を張る根拠にもなった時代だった)、その曲を何回聴いたかという「公称的統計値」に「広告的価値」が付く時代が来るなど思いもよらなかっただろう。
AI音楽の登場によって、ますます生身の人間が長時間スタジオに入って、何度も何度も録音作業を繰り返す価値などない時代に突入した。その時その時の気分で大衆行動を取ることを本分とする大多数のリスナー側の立場からしたら「よい曲なら出自は問わない」というのも、「大衆は何に金を払うか」に関する、もう一方の「経済活動的真実」だ。21世紀のリスナーたちにとっては、未来は、かつてのような「大衆が商業音楽が更新される様を同時体験する時代」ではなく「すでに出尽くしている、かつての音楽要素の再編集行為に付き合わされる時代」の幕開けである。新奇なものに対する熱狂ではなく、ただの消費活動である。
結局、ショウビズ系という、舞台的出し物で大衆を喜ばすという、その始まりにおいて近代以前から続いてきたビジネス(幻影売り)が最終的に勝ち残ることになるんだろう。日本のアニメに付属しているアニソンCDや劇伴CDしかりである。大衆の音楽への接近がある場合、音楽は、もはやそのような業界で、ショウビジネス的作品やその演者として立ち回らざるえなくなった人物たちへの大衆側からの支持表明機能(推し活)の中のひとつとしてチョイスされるに過ぎなくなる。
そういうわけで、さようなら、流行音楽、大衆音楽の時代よ。
P.S.あ、ちなみに私が音楽を聴かなくなるとか、音楽活動をやめるということではないです。 -
以前、自作の楽曲のアップロード先としてYouTubeに新たにページを作成したことがありました。
そのboundhead名義の自分用のアイコンは、かつて私が見た不思議な夢について書いたページにイメージとして張り付けたものを流用したものでした。
「ジリ・レーンに会え」ページに飛ぶ
その後、私はもう一本その後日談のような記事を投稿しました。
Jackie Februaryというミュージシャンが宇宙飛行士のヘルメットをかぶって、地球に(日本に)やってきた様子を描いた動画をアップしていました。その動画に遭遇したとき、ジリ・レーンの夢との連想でどんなに驚愕したかというのが、その時書いたことでした。
「Jackie February / lonesome」ページに飛ぶ
動画を上から順番に見ると話しの流れがよく理解できますよ。
で、なぜ、今、また「この話」を蒸し返す気になったのかというと、本日また「普段着姿で宇宙飛行士のヘルメットをかぶった若い女性」というモチーフが突然YouTubeのおすすめに現れたからです。
「ええっ」とまたまた驚愕したことは言うまでもありません。
実はこの楽曲はSunoで作ったものです。ヘルメットをかぶった女性のイメージもAIを利用したんでしょう。たぶん、動画作成者(Ana Luisa、ブラジル在住らしい)が歌詞をSunoに食わせて作ってもらったのでしょう。
楽曲があまりにも良質なので、どちらかというとアンチSuno派でやってきた自分が「陥落しそうに」なりました。
AIというアーリマン精神の極致の技術を用いて、ルシファー的な「空想イメージ世界」へ連れて行かれそうになったのでした(というか聴いているときは「あっち」にいた)。
純粋にリスナーサイドの立場で考えれば、「よいと感じる曲だったら、音楽業界人が作ろうが、それで商売がしたいクライアントにこんな曲を出してと〈発注を受けた機械〉が作ろうが、庶民はいちいち気にしないだろう」という事実です。すでにYouTubeにはChillを宣伝文句にしたインスト系の楽曲(2時間~4時間もの)があふれかえっていますし。
実在するミュージシャンたちも今では、オートチューンを使って「プロ仕様」の仕上がりにするようになっていますが(元歌が下手でもOK)、オートチューンはまだ「実際に歌ったものの修正」です。そんなことをするなら、声をサンプリングして、初めから全部機械に歌わせれば、「完璧なプロ仕様」(皮肉ですよ、もちろん)に仕上がるし、「歌手はスタジオで歌う必要もなくなる」んじゃないでしょうか。こんなことは誰でも考え付く話だし、音楽業界の裏ではすでに起き始めている事案なのかもしれません。
「ああもう〈経済活動がやりたい人々〉が行っている〈商業音楽制作〉は、だんだんSunoのような機械制作に代替されて行ってもいいんじゃね」
などと思いました。そしてAna Luisaの39番目の登録者になりました。
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いったい彼女はなぜ宇宙飛行士のヘルメットを普段着の女性にかぶらせるというモチーフで何度何度も(現時点では6曲)Sunoを使った動画を作成したのでしょう。
彼女は以前、Jackie Februaryの動画を見たことがあり、それに触発されたのでしょうか。
もしSunoを使ったあの楽曲に、たとえばブラジルのどこかの都市の実写映像を合わせていたとしたら、私はこれほどまでに動揺しなかったはずです。
「えっ、Sunoを使った楽曲なの? Men I trustとか、そっち系を感じるけど、
完成度高けえな、おい・・・・・」
とだけ思ったはずです。
Jackie FebruaryにしろAna Luisaにしろ、YouTubeにやってくる人々に大人気のページとは、言えませんし、「普段着のまま宇宙飛行士のヘルメットをかぶった若い女性」というモチーフが存在すること自体、多くの人にとって思いもよらないことでしょう。
私には、この奇妙なシンクロ現象があまりにも不可解で、以前同様、解釈不能の状況です。
本日、Ana Luisaがアップした動画に行き当たって、ますます当惑を感じているのでした。 -
以前、このブログで「この緩さがいい」ということで、ASOの「Ur OK」を紹介したことがありました。
そのとき、はっぴいえんどの「夏なんです」のことにも合わせて言及してました。
「緩さがいい」と感じる流れは、その時以来ずっと続いているし、実際今でも繰り返しASOの「Ur OK」が入っているアルバム(「HOME」)は、思い出したように何度も聴いてきました。
最近バウンドヘッド版「夏なんです」をYouTubeにもアップしたのも、結局昔ASOの「Ur OK」を聴いた影響からなんだろうなと最近は思うようになりました。
で、その流れはまだ続いていたのか、「一匹猫」という題名の動画をYouTubeにアップしました。
題名は選んだ動画が「一匹猫」だったので、成り行きで付けたのでした。
「歌詞付きバージョン」(バウンドヘッド歌唱バージョン)も作ったんですが、自分の感想ではセンチメンタルになりすぎてボツにしました。
歌詞なしでもそれ自体で十分センチメンタル系楽曲なので、これ以上「やりすぎる」必要はないかと思い直したのでした。
この曲も2002年版のcakewalk(Windows XP)で打ち込み&録音をしましたけど、次回は最新版のcakewalk Sonarの入っているWindows11のPCを使って何かまた出したいなと思ってます。 -
PCでネットアクセスする際は、Yahoo!を最初のページにしてます。
ネットで気軽にアクセスできるAIっていろいろあるみたいですが、Yahoo!のAgent iくらいしかいまのところ使ったことがありません。私は大学生でも報告書作成が必要な会社に勤務している会社員でもないので、今のところ「高度なAI」をどうしても使わなければならない理由がないのでした。
でも「AIって、〈小学生に答えられるなぞなぞ〉に答える能力ってあるのかなあ?」と疑問に思ったんです。
それで、私なりに考えた「名探偵コナン」の阿笠博士が言いそうな「子供向け」のなぞなぞをAgent iにぶつけてみました。
人々、人々と叫びながら、道路を走っているものなんだ?
答えは以下です。画面をクリック
想定した答えとは違ってました。
でも、名探偵コナンに出てくる少年探偵団なら、すぐに答えられたに違いありません。
もちろん、あなたにも、すぐ分かりますよね。
質問と回答がネット上のどこかにあり、AIがすでに学習済みだったら、すぐに答えられたんでしょうけど、「論理(というか連想)の連結が機械の想定外」だった場合、機械は応用力(ひねり)を行使できないんでしょうねえ。そもそも、子供たちはなぞなぞの存在自体を面白がる心を持っているからこそ、なぞなぞに関心を示すんで、機械は「究極の朴念仁」ですし。
プル、プル、プル、プル
小さな子供の中には、意味のない音を口から音楽のように吐き出して、意味ではなく言葉自体をまるで「飴玉をなめてる」ように、楽しんでいる時期がありますよね。
下唇をふるわせながら、ひたすらブー、ブーっと言って遊んでいる子もいる。
面白いと感じる発音は、それぞれの子供次第でしょうけど、この時期の彼らは「自覚なき詩人であり音楽家」なんだと思います。