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なんかやる気なしモードから一転、「どうでもいい話だけど、ネタとして出しておこう」と思ったので、最近監視カメラに残っていた「たま飛びシーン」をご紹介いたします。GIF化しました。
「たま」が玄関先から外へ出て行って左に曲がって消えます。
私自身はあまりこういう「光学現象」に「深い意味」を感じたりはしないんですけど、だって自然科学現象として、ホコリの赤外線反射映像って言いながら、投稿してもいいわけですし。
ただ主観的には「比喩」、つまりファンタジーの力によって、自然現象の背後に「主観的解釈=物語」を付け足したくなるときだってあるとは思います。
去年の夏、タカサゴユリでいっぱいになった「空き家化した隣家の庭」で、以前こんな写真が撮れたことがありました。
これにフィルターをかけてみます。
一枚目より少しだけ明確になりました。私は「おお、これは私の目の前で空中を移動しているアナコンダみたいな何かが、たまたま映り込んだんだな」と解釈(空想)することにしました。
「空気」を体として活動している存在がいるらしいですし。ま、これも条件がそろったときに出現する虹という光学現象のように、「ただの自然現象」なんでしょうけど。
ただ「裸眼」では、そのとき、そのあたりに周囲と明確に区別できる「熱のかたまり」のようなものは見えなかったので(というか、たとえば風というう現象があることは皆知っていますが、「どんな見た目(形態)」で吹いているのか人類は認識できません、空気の(透明なもの)の動きですから。
水の沸騰とか対流現象、あるいはゆらゆらする陽炎現象だったら、少しだけ「光学意識」に上りますね)、カメラという機械が「瞬間の光学現象」を切り取って「人間が見逃している光学的瞬間がある」ということを教えてくれるのは、一種の「教訓」のようなものですね。
病的な状態になった人が、幻覚を見るとき、つまり光学像レイヤーに、本来なら「内界」に属しているイメージを第二レイヤーとして重ねて見てしまうこともありますね。
こういった人間の認識の錯誤体験を技術化し、軍事に応用して、最終的に日本政府が戦争犯罪者となった大佐の恨みを買った事件を「攻殻機動隊 ARISE」で描いていましたっけ。
というか、誰でも日常的に「空想」することで、「イメージ・レイヤー重ね」のようなことをやってるはずです。目を開けて何かをしながら、数字なんかを思い浮かべていたり、旅行で行ったことのある場所をふとイメージしています。「光学像」を見ながら「頭の中の別の像」を思い浮かべている瞬間が誰にでも「頻繁」にありますね。
一方のレイヤーだけを透明化したり、二つを同時に重ねて表示したり、PCの画像作成ソフトは自在にできますが、人類には「その潜在能力を駆使して内界の認識像の明確さを上昇させる時代」にはまだ至っていないようです。
ということで最後はまたまたシュタイナーの人智学内容(特に『いか超』)の暗示的な書き方になってしまいました。
Go into the layer・・・・・のために結局死ぬまで修行。でも私の場合は、来世に期待するしかないでしょうねえ。ヘタレですから。PR -
投稿が滞ってましたが生きてますよ。
シュタイナー関連の記事を投稿しようと思って当ブログを維持してはいますが、なんかやる気なしモードになっていました。そういうわけで、どちらかというとぼんやり過ごしていましたが、気が付くとアッという間に1週間、さらに1週間と時間が過ぎちゃってます。
まあ、投稿は「仕事」じゃないので、他者にとっては別にどうでもいい話でしょうけど。でも例えば、100万人に一人の確率で、ある人物が、大抵の人にはどうでもいい「ニッチな情報」を探していて、ここで書いていることを「欲しかった情報」として扱ってくれる場面があるなら、時々でも投稿を続けていく「社会的」意味はあるんじゃないかと思います。
そもそもネット空間って「草創期」は特に、そういうニッチ情報を求める人と提供する人との「共有空間」だったじゃないですか。私も特に自作PC関連で、きわめて局所個人的な今直面している問題対処の知識について、いろんな無名人たちがネットに挙げていた情報のお世話になったもんです。
インターネットはYahoo!をホーム画面にしてますので、何か検索したくなったら、Yahoo!の検索欄に単語を入れてます。AIもYahoo!検索がAIモード(Agent i)を導入しているので、ときどき使ってます。
最近もかつて見たアニメのアニソン(「え?」というセリフ)がふと思い浮かんで「そういや、あれは名曲だったなあ」と気になり始め、
「歌詞のなかに『え?』というセリフのが出てくるアニソンは何ですか?」
とYahoo!のAIに尋ねてみたら、雑談的返答はしてくれましたが、答えられませんでした。AIは「知りません」とか「分かりません」とか言わないんですよねえ。質問の追加情報を求めてきます。
しかたがないので、AI活用というタイパ(快適)主義を捨てて、「たぶん、異世界もののアニメのEDだったよなあ」と思い出し、アマゾン・プライムやNetflixでチェックしてみました。
すると分かりました。それは「農民関連のスキルばっか上げてたら何故か強くなった。」のEDでした。以下はアニメ用の短縮版ではなく、「ポップしなないで」自身による「ローリンソウル・ハッピーデイズ」の全長版。
聴き直すと「おーこれはどこかクラムボンを思い出させる個所のある名曲だったから、心から消えなかったんだ」と、はたと気が付きました。ちなみにクラムボンって「異世界居酒屋のぶ」とかアニソン関係の仕事もやってるんでした。
それでクラムボンの名盤「JP」(1999年)をひさびさ聴き直しました。
「あークラムボンっていったら、やっぱピアノのバッキングがすごく印象的なんだよなあ」
ということでYouTubeで動画を探したら、
リスナーのコメント「このアルバムセンス良すぎて弟がピアノを始めました笑」を発見。
読みながら「なんで自分じゃなくて弟?」と突っ込みを入れましたが、このアルバムのピアノバッキングに影響された人って、ピアノを始める始めないにかかわらず、当時たくさんいたんじゃないかと思いますよ。
ということで今回の関心事は最終的に「クラムボン再認識、やっぱピアノ、カッケーよ、おい」という話に収束しました。
今回の投稿の題名は「クラムボンは笑ったよ」ですが「キリストも笑ったよ」とふと返歌のようなセリフも思い浮かんだのでした(まあ、これに関してはエドガー・ケイシーのキリスト関連情報が土台ですが。いずれ別枠で言及しようかな)。で、宮沢賢治のページに飛んで改めて読み直しながら「クラムボンは殺されたよ」に対しては「キリストもそうだったよ」ともう一度返歌のようなものが思い浮かんだのでした。
こんにちのシークエンスは蟹座時代(先史インド文化期)から始まって魚座の時代真っ最中です。
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ここから後半記事に入ります。
今回、転生ものアニメ探しで「黒の召喚士」も見たんですが、エンディング・テーマのエレビアレンジが「まさにあの時代(70~80年代)」的で「なんか典型的すぎる」と感じて「とてもいいんだけど、なんかすでに今の時代とはズレてないか・・・・」と感じたのはなぜなんでしょう?
そう思いながらエピソードを見ていくと最後の3話ではエレピではなく、ピアノアレンジバージョンになってました。こっちの方は違和感なく聴けました。でも結局「その理由がよくわからない」んですよ。
エレピと言えば30年ほど前、フェンダーローズのMARK 5を持ってました。でも私は当時発作的に転職事案に突入してしまい(ほんとずーっと不安定な仕事人生だったなあ)、引っ越しの荷物になるからと、それを処分してしまいました。
こんな感じのエレピです。このエレピを使ってイーグルスの「I can't tell you why」を4トラックMTRで録りました。この曲のギターソロが好きなんですよねえ。でも、カセットテープの音源が残ってないんです(残ってたらYouTubeに挙げたのに)。その曲が入っているカセットをあげた人とは今じゃ音信不通なので、もう二度と聴けない。じゃあもう1回、エレピ、ベース、ギターを通しで弾けるように練習時間をかけたあとで録音し直す意欲があるかと言えば、ないですしねえ。そうそうイーグルスと言えば、この21世紀には、なぜか違う畑で活動しているのにそんな感じのソロギターが心地いいTokyo Tea Roomっていうバンドがいますよ。このアルバムを聴いてるとなぜかイーグルスを思い出すのが不思議です。
最後に70年代邦楽もので、私の好きなエレピのバッキング曲といえば、尾崎亜美の「冥想」です。
70年代洋楽ものだと、スティクスの「ベイブ」手弾きバッキング時代の楽曲は「うるさくない」のがいいです、こんにち聴き比べてみると、ハードロックやヘビーメタルでさえそうです。いまのDAW系オケ主体の変化盛りだくさんの(日本の)楽曲ってなんであんなにガチャガチャ、ガチャガチャとうるさく聴こえるんでしょう。それでいて意図せずとも体が揺れてしまうようなビート感がうすい(洋楽はソレは失ってませんね、ポップスって、ロックって、ソレが(歌詞で何を言っているとかは----もちろん無視はできないけど)もっと大事でしょ。この視点は部分的にクラムボンのミトさんのインタビュー記事にも出てくる視点(母音子音の響きが音楽と一致しているべき論)とも重なる。だから、あー、21世紀の日本のポップもしなないで)。ここがこれからの改善点じゃないでしょうか。日本においてもシンプルな構成で体が揺れずにはいられない、という基本への揺り戻しが起こればいいのにと思ってます。 -
高橋巌氏がものすごく長生きしていることは、かねてから知っていました。
アマゾンでルドルフ・シュタイナーの新刊が出ていないかチェックすると、春秋社から新刊がどんどん出てくるので、「もうすでに90歳超えてるはずなのに、なんて元気な人なんだろう」と思っていました。
ところが今年に入って、ネット上で彼が2024年に他界していたことを知って「ええっ」と驚いたのでした。
そして「彼」がいたからこそ、戦後、日本人にルドルフ・シュタイナーの名を広く知らしめることができたんだと改めて感謝の気持ちを持ちました。氏は角川書店と組んで1980年春に角川選書シリーズの一冊として『神秘学講義』という本を出しています。当時は「精神世界」という言葉が出版世界で頻繁に使われるようになっていた時代です。私がルドルフ・シュタイナーの名前を知ったきっかけが、まさに高橋巌氏の『神秘学講義』だったのです。
その後高橋巌氏に加えて、だんだんといろいろな人々が人智学本の翻訳者として参加してくるようになって、いまとなってはものすごい分量の邦訳本が日本国内で出回っています。
70年代にはすでに他の方々の手によってシュタイナーの邦訳が始められていましたが、高橋巌氏とイザラ書房が結びついたことで、日本におけるシュタイナー紹介が「再起動」されたのでした。氏の功績はルドルフ・シュタイナーの名前を日本においてポピュラーなものにしたということです。戦前にもルドルフ・シュタイナーのことを知っている人物(大川周明など)がいたのですが、戦後のような「邦訳本の横溢」があったわけではなく、要するに、ドイツ語圏の思想家として日本国民一般の相手にされていない人物でした。一方で中央ヨーロッパ思想に関しては、当時の世の中は「ドイツ哲学者リスペクト」の時代でした。小池都知事が「アウフヘーベン」などという「最近の大学生」にはちっともピンとこない言葉を発したシーンを見たとき、「ああ、この人も、日本の大学生たちが、そんな言い回しを口に出すのが、カッコいいと思っていた時代の残滓を引きずってきた人であったのだなあ」と思ったものでした。
高橋巌氏に続いてたくさんの邦訳本を出すようになった西川隆範氏は、東日本大震災が起こったあと病によって他界されました。
その西川隆範氏が、なにかの本で、日本で人智学を広めてきた「仲間たち」が結局みんなバラバラになってしまった、というような趣旨の感想を漏らしていたのを見たとき、「あまりにも人間的なもの」はどんな界隈でもおこらざるを得ないのだなあと改めて思いました。
ルドルフ・シュタイナーの率いてきた本家の人智学協会からして、「あまりにも人間的なふるまい」によって、ルドルフ・シュタイナーが悩まされたらしいですから。
ただ戦後日本の「人智学広宣の仲間たち」のあれやこれやの「いさかい」については、「いま、シュタイナーの『民族論』をどう読むか」の後半部に書かれていたことくらいしか私には分かりません。私は日本にある人智学関連のあれこれの組織の「会員」であったことはなかったので、「一匹へたれ(狼なんておこがましい)野郎」として長年ひとりでもっぱら読書にいそしんできたのでした。
今回の記事を書くに当たって、湾岸戦争勃発を機に出版された(1991年7月に出版)「いま、シュタイナーをどう読むか」に登場してきた対談者の方々の消息を振り返ってみたのです。
写真として掲げた4冊の本は、みなイザラ書房から出版されたものです。「いま、シュタイナーをどう読むか」で対談者のひとりとして登場してくる澁澤賛氏は、当時イザラ書房代表として紹介されていました。
それで今回改めて「イザラ書房」で検索したところ、イザラ書房のHP内の記事に行き当たりました。そこに澁澤浩子さんの回想が公開されていました。澁澤浩子さんは澁澤賛氏の奥様でしょうか?
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そして1985年、日本人智学協会が発足したのですけれど、その直前に高橋先生からイザラ書房をサポートして欲しいと頼まれたのです。協会を作るにあたって出版物が必要なのだがそれを出版する出版社がないと。高橋先生の本はイザラ書房からすでに何冊か出ていたので、皆の勉強になるような本が今後イザラ書房から出版できればいいと思うと、そのようなことを言われたのですが、その当時イザラ書房の経営状態が、はた目に見てもわかるほど悪化しているのは明らかだったのです。当時の私と夫の仕事は、全く別ジャンルの仕事で、ハーレクインロマンスの翻訳編集プロダクションだったのですが、非常に忙しい時期で、主人は業界新聞の編集長やら、はてはそこの代表取締役になったり、私は1ヶ月に多い時で6冊位の本を青山のハーレクイン日本支社に納めたりして、めちゃくちゃ大変な時でした。しかし出版のようなリスクがないので経済的にはうまくいっていて資金繰りは潤沢だったのです。ですからイザラ書房において事業的楽観は望めるとは思わなかったのですが、メインの仕事に精神性が感じられず、意義深い出版のお手伝いができればそれは心の幸いと思い、手伝わせていただくことにしました。
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20世紀後半に、日本における人智学受容の土台を作った方々が、21世紀前半の今、つぎつぎと姿を消していっています。
日本人は、「彼ら」の精力的な活動によって、「小池都知事」の学生時代のような近代ドイツ哲学リスペクト派と異なり、もう一段「山を登攀して」、さらに広い俯瞰景色を見ることができるようになっているはずなのです(ウルトラマンで言及した、日本精神の暗渠を流れる古代ドイツ人の日本への転生という伏流[非意識的流れ]もあります)。シュタイナーは「ニーチェは当時の唯物論ベースの学問世界のなかで、あれほどの才能に恵まれながら、〈もうひとつの視点〉との邂逅を果すことができず、ついに唯物論ベースの思想構築をするしかないという悲劇を体現した人物だ」という趣旨の感想を述べています。
日本に人智学の有能な「第二世代」「第三世代」は生まれているのでしょうか?
以前も紹介しましたが、米国にはドイツ本国の人智学協会とは無関係ではあるけれども、精力的にルドルフ・シュタイナーの講義録を集約公開しているルドルフ・シュタイナー・アーカイブというサイトがあります。
このサイトの「検索機能」は非常に便利です。英語ベースサイトなので、検索用語は英語で入力しないと日本語翻訳のページに日本語入れても反応しません。とはいえ、たとえばJapanese Chineseなどと並べて英単語を入れて手元のキーボードのENTERキーを押すと、たちどろこにGA番号が振られたいくつもの記事が候補リストに出てきます。
読みたいGA番号をクリックするとページ全体を読むことができます。
かつてドイツ語を読めない日本のシュタイナーファンたちは、「有志の方々」による邦訳本の出版を待っているしかありませんでしたが、すでに時代は変化しているのでした。
日本のシュタイナーファンのなかには、この米国のサイトに載っている記事を日本語翻訳機能にかけて隅から隅まで読破してしまうようなやからも出てきそうです。
-----------------------------------------------------------------------------紀元前数世紀に、ギリシア人は賢い振る舞いをしました。ギリシア人はエジプト人を非常に尊敬していました。しかし、彼らは古代エジプト語を学びませんでした。ギリシア人はエジプト語を学ばなかったのです。現代の学者はギリシア語を学ばねばなりません。ギリシア人はもっと利口でした。私たちは彼らが追及したものを模倣せずに、彼らの言語を学んでいます。現代の学者には捉われがあり、原初に地上にあったものを探求せず、古代の言語に精通しようとしています。そうすることによって、彼らは本質的なものから逸れています。青年たちが医者になろうとすると、まずギリシア語の習得で頭を悩まさなくてはなりません。私はギリシア語を非常に愛していますし、ギリシア語を役立てようとする人々は学ぶべきです。しかし、医者や法律家になろうとする人々は、そうではありません。彼らはギリシア語を習っても、のちには忘れます。(「神仏と人間」P75)-----------------------------------------------------------------------------日本人も古代のギリシャ人のようでありたいです。幕末の志士たちの外国語熱も「内容」を手に入れたいという願望があったればこそでした。誰が成績一番かなどと増上慢(利己主義)にふけっている現代の日本の中学生高校生のような志士たちはかつていなかったのです。「彼ら」は近代国家による教育システムによって「精神的荒廃(孤立化)」させられることから、まだまぬがれていました。
こんにちにつながるような、そういう増上慢マインドを持った子供たちが、明治維新後だんだん増えていきました。こんにちの親ガチャ論はその集大成です。戦前まではそれでもまだ「私ではなく、私の中の〇〇マインドに沿いたい」という感覚は「利口者たち」のマインドにも「疑いなく」存在していました。
戦後、西洋式の学校システムは、さらに「日本的」に洗練されて、西洋的なものを外面的に(悟性魂的に)凌駕するようになり「官僚選抜の予備学校」化するにつれ、学校生活において周囲の者は皆私のコンペティターだとする「強い自己保存本能」ばかりが刺激されるようになって、「学校で教え込まれるきれいごとを上手に文章化できる能力(官僚的才覚)」の内側で「強烈な利己主義」となって日本人の若い層の精神を荒廃させるようになり、こんにちの教育世界の悲惨化にいたっているのでした。「そのマインド」を国家が子供たちに芽生えさせているので、子供たちのマインドは、学年が上がっていくにつれて、ますます一方で疲弊していくのです。こんにち「学力と呼ばれているもの≒ペーパーテスト対応能力」は「近代式教育システムによって子供の心に芽生えさせられている利己主義を達成する」ための強力な引換券となっています。それは日本の未成年たちの精神生活とはかかわりのない「内容なき技術」に過ぎないのです。
日本の高等学校の古文で高校生が何をやらされているかについては、かつて当ブログでも、ぼやいたことがあります。シュタイナーの言う古代ギリシャ人のような立場で「国民一般」と向かい合ってきたのは、むしろ古典の教師たちのような学校関係者ではなく、漫画家のような人々だったとも書きました。
人智学については、もちろん、ドイツ語で読めることが一番です。大事なのは「それで自分は何をしているのか」自覚的になっておくことです。
現代日本の漫画家たち(それにアニメ制作者たち)は利口だったので、高校生がひたすらそれに苦しめられているような「翻訳能力の向上(ペーパーテスト対応能力)」にリソースを割かずに、「古文に書かれている内容をみなに広く知らせることに注力」しました。漫画家たちは「古い時代の日本の物語」の内容をよく知っていますが、現役の高校生は3年間古文に苦しめられても、何も「心」に残っておりません。そのような「ふるまい」、つまり「膨大な精神エネルギーの無意味な浪費」で日本の先祖たちの精神生活を理解できるのでしょうか?
そもそも古文は活字で書かれたのではありません。当時の文書には句読点もありません。しかし高校生は、段落分けされ、きれいな近代日本の活字で句読点を振られた文章を相手に、まるで語学をやらされているかのように翻訳作業ばかりやらされてきました。
日本の高校生が目にしているものは一体「何」なのでしょう。「近代精神で異様に捻じ曲げられた、本来そのような形で存在してはいなかった架空の印刷物」です。原本は、筆による草書体で書かれているんですよ。共通テストで古文が満点だった高校生に、「現物」(つまり昔の人が書いた文書)を渡して、読んでくれといっても、実際には何ひとつ分からないのですから。もはや草書体を読める人は現代日本人一般には存在しません。
今の日本人は「上手なペーパーテスト対応ができること」が学校教育の到達点だと思っています.
その「到達点」から逆算して作成されたような各学科の教科書と教授法(「ここ、テストに出るからな、みたいな・・・・」)で授業が行われています。技術は手に入りましたが、その技術は、「心」とは何のつながりももっていません。むしろそうすることで国民の心を疲弊させてきたのでした。
こういうことも、これから変えていかなければならないと思います。
最後に、今回は高橋巌氏の話題から始めたことにかこつけて、高橋巌はミュージシャンだった、ということを強調して終わりたいと思います。
YouTubeがGoogle傘下になる以前の時代に、高橋巌氏はハーモニカの独奏をYouTubeにアップしていました。いまでもその動画が見られるかと検索をかけてみましたが、悲しいことにかつて私が見た演奏動画は消えてしまっています(当時ダウンロードして保存しておけばよかったなあ)。けれども、かろうじて以下のような動画が残っておりました。
戦後日本には、かつてハーモニカ・ブームの時代があったってことが面白いですよ。 -
先週のことだが、YouTubeのhome画面を訪れたら、サムネイルに崎谷健次郎がドナルド・フェイゲンの「I.G.Y.」の完コピカバー・バージョンをアップロードしているのに気が付いた。彼が「I.G.Y.」のカバーを公開したのが4月29日なので、今ちょうどひと月後ということになる。
え、えつ・・・・、そもそも崎谷健次郎がYouTube用のオフィシャル・アカウントを持っていて、そこに自分の動画を上げていたという事実に、こんにちまで気が付かずにいたことにびっくりした。
ちなみに本家バージョンは以下。
あらためて崎谷健次郎についてWikipediaでチェックしてみた。なんと彼は1962年生まれで、今63歳だということが分かった。今でも非常に若く見える。1987年にオリジナルアルバム「ディファレンス」でソロ・デビュー。
当時私もすぐ飛びついて以後彼がアルバムを出すたんびに追いかけたものだった。名曲「もう一度夜を止めて」にいたってはピアノ譜を手に入れて練習していた時期があったくらいだ。今でもその譜面は持っている。
昔当ブログでcakewalkというWindows XP時代のDTMソフトについて何度か書いた。そのとき、「一曲仕上げてくたくたになり、もう打ち込みなんてこりごりだと思うようになった」というような趣旨の話をしたけど、実はその時に完成させた曲が崎谷健次郎の「GO INTO THE TV」だった。この曲のベースラインが大のお気に入りだったからだった。
で、崎谷健次郎が「I.G.Y.」の完コピ・カバーをアップロードしたのを見て、「あ、オレも崎谷健次郎のカバーを公開してもいいんじゃないか」と急に思うようになったので、昨夜動画作成ソフトAviutlのアイコンをひさびさポチッて、崎谷健次郎オマージュをささげることにしたのだった。
最初にこれを企画した当時(Windows XP時代)、自分の声でボーカルを入れ、どこかの若い女子にコーラスをやってもらって完成させたかったのだけど、自分には少々キーが高いので、ひどい歌の仕上がりにしかならなかった。それに、コーラスを手伝ってくれそうな若い女子も身近にいなかったので、結局カラオケだけが残ったのだった。大昔一度YouTubeにアップしたことがあったけど、Google傘下に入った時期に削除したのだった。
今回、動画を作り直してアップロードしたら、しっかり著作権もクリアしてくれてるので、安心して見ることができる。ということで、以下「GO INTO THE TV」のカラオケです。
ちなみに以下が本家バージョンです。
P.S.さらに、ちなみにですが、動画作成中の合間に以下の動画も見て「ほほう」と思ったので紹介しておきます。
楽器は歌は「〈自分の身体〉を使うから楽しい」んですよ。
プロンプト打ちオンリーの人はミュージシャンじゃないでしょ。
警察には犯人の似顔絵描きをする人がいますけど、その絵描きさんたちは犯人の顔を目撃した協力者たちの「こんな感じです」という「プロンプト」に沿って絵を仕上げてるんですよ。絵筆を動かしている人は「画家」ですけど、「こんな感じです」と指示を出している人は、画家じゃないですから。これまでの商習慣的アナロジーで考えると、目撃者は、発注者、クライアント側寄りです。警察から「協力してください」と発注されて、それを請け負い、さらに画家にどんな絵にするか注文する人です。AI制作においては、これまでは人が人に発注していたのが、機械相手に変わっただけですよ。クライアントがAI絵師(ここまでは人が人にです)に発注し、AI絵師(プロンプト打ち)がAI(霊魂を持たないアーティスト)に発注しているのですよ。似顔絵画家さんの話はAI絵師に、より関連した話ですけど、音楽家だっておなじですよね。
とはいえ、経済領域では、AI制作者に発注すれば、これまで人に発注してきたコストよりも安価で済み、効果も人を使っていた時代と変わらないという統計上の数字が厳然と現れるようになったら、「企業」は営利を目的として会社を営んでいるのですから、「コストのかからない方」を選ぶでしょう。超有名女優や超有名プロ野球選手をCMイメージとして雇う力のある大企業は、絵や音楽にも実績と実力のある人に発注して彼らに大金を出すでしょうが、潤沢な資金を持たない地方の中小企業はだんだんとAI制作を選ぶようになりそうです。それもまた一方では必然の未来なんでしょうねえ。あとは法整備が追いつくことですよね。 -
個人的には、まったく踊ったりしないし、「人前で踊りたい」と思ったこともない人生を歩んできたのですが(バンド活動は若いころ、ときどき人前でやってましたが)、なぜか当ブログには「ダンス」というカテゴリーがあります。考えてみるとオッサンがダンス動画を好んで見ているのは、「ダイジョブ」なことなのだろうかと不安に思うこともあります。
当方まったくその方面の知識はないし、要するにただの素人評定です。
以前から時々、YouTubeのホーム画面に「robot dance」という言葉で登場してくるダンス動画が現れることは知っていました。
そのたんびにクリックして、「おー、面白いなー」と思ってはいましたが、「この人は何者なんだ」という関心を持つまでには至っておりませんでした。
ところが最近以下の動画を見て、完全に魅了されてしまったのです。なぜか直接動画として貼れないので、リンク式でご紹介します。
another beat drop!
(↑クリックしてみてください。驚きますよ)
特にこの動画の10~11秒あたりで、彼女が頭を左に2回振る瞬間がいいですよ。
あなたもここでノックアウトされるはず。
ということで、数々ある彼女のダンス動画の中で、今回ご紹介したダンスが、私の一番のお気に入りになりました。(つまり何度も見たくなる、ということですね)。姿も衣装もメイクもなんか完成しちゃってますよね。とっても上品です。
このダンス動画をみて衝撃を受けたせいで、やっと「彼女は誰?」という関心がわいて、とうとう「調査作業」が始まりました。
Yahoo!知恵袋に以下のような回答が出ていました。
-------------------------------------------------------------------------------芸名: Barbin.ili /Ba Bin (芭比)出生名: Hu Li Lu (フー リー ル)誕生日: 1995 年 11 月 6 日出身地:浙江省温州市星座: さそり座身長: 155cm(5フィート1インチ)体重: 48キロ(105ポンド)ACKYさんという日本人ダンサーが、彼女のポッピング-------------------------------------------------------------------------------
と呼ばれるダンススタイルの師匠のようですよ。
「へー、ポッピング」っていうのかと新しい知識が増えました。
「barbin.ili芭比」という名前で活動しています。芭比=バービーみたいです。
中国のタレント発掘番組に出たことがあるようです。
Youtubeのrobot danceカテゴリーの人気女性ダンサーとして、もうひとりbabyslowという、これも中国人のダンサーが有名のようです。
YouTubeには、barbin.ili(China) vs Babyslow(Japan)として、日本人として紹介している動画もありましたが、調べてみると、中国語記事で以下のように
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ワン・チェンアー - 中国本土の女優。 2016年と2017年には、HHI世界ストリートダンス選手権上海ステーションダンス選手権大会と武漢ステーションダンス選手権大会でそれぞれ優勝した。 2018年には『This is ストリートダンス』シーズン1のレコーディングに参加。 2019年には湖南衛星テレビの「Dance...」に出演。
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とありますから、チャイナガールではないでしょうか。ただし現在日本で活動しているようです。
love MJ
ということで、
barbin.ili芭比とbabyslowという二人のチャイナガールの名前を新たに記憶することになりました。