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PCでネットアクセスする際は、Yahoo!を最初のページにしてます。
ネットで気軽にアクセスできるAIっていろいろあるみたいですが、Yahoo!のAgent iくらいしかいまのところ使ったことがありません。私は大学生でも報告書作成が必要な会社に勤務している会社員でもないので、今のところ「高度なAI」をどうしても使わなければならない理由がないのでした。
でも「AIって、〈小学生に答えられるなぞなぞ〉に答える能力ってあるのかなあ?」と疑問に思ったんです。
それで、私なりに考えた「名探偵コナン」の阿笠博士が言いそうな「子供向け」のなぞなぞをAgent iにぶつけてみました。
人々、人々と叫びながら、道路を走っているものなんだ?
答えは以下です。画面をクリック
想定した答えとは違ってました。
でも、名探偵コナンに出てくる少年探偵団なら、すぐに答えられたに違いありません。
もちろん、あなたにも、すぐ分かりますよね。
質問と回答がネット上のどこかにあり、AIがすでに学習済みだったら、すぐに答えられたんでしょうけど、「論理(というか連想)の連結が機械の想定外」だった場合、機械は応用力(ひねり)を行使できないんでしょうねえ。そもそも、子供たちはなぞなぞの存在自体を面白がる心を持っているからこそ、なぞなぞに関心を示すんで、機械は「究極の朴念仁」ですし。
プル、プル、プル、プル
小さな子供の中には、意味のない音を口から音楽のように吐き出して、意味ではなく言葉自体をまるで「飴玉をなめてる」ように、楽しんでいる時期がありますよね。
下唇をふるわせながら、ひたすらブー、ブーっと言って遊んでいる子もいる。
面白いと感じる発音は、それぞれの子供次第でしょうけど、この時期の彼らは「自覚なき詩人であり音楽家」なんだと思います。PR -
今年の夏も暑いです。
7月後半、室内温度が35度になる日が続いておりまして、「そろそろ新しい録音作業をやりたいなあ」と思っていた折、「そうだ。『夏なんです』をやろう」と思い立ち、「ああ、でもアコースティックギターのコピーは耳コピじゃ難しそうだなあ」と思い、ヤフオクを覗いたら、なんとバンドスコアが商品として出ているじゃないですか。
そういうわけで、落札しました。YouTubeにイントロ部分のギターのコピーが動画で上がっていないかなあ、と思って探したら、いろいろ見つかりました。
で、その動画も参考に練習を始めたんですが、もうめんどくさくて・・・・。
「ああ、もう自分流の『夏なんです』にしてしまおう。幸いコード進行は手にれたし」ということで、急遽その場で新バージョンをでっちあげました。ちなみに細野さんの声域は私よりも低めなので、気分良く声が出せるように、今回の録音ではキーを変更しています。
完成した録音を聴き直しているうちにベースラインにかぶって、ビーチボーイズの「グッド・バイブレーション」が重なって聴こえるという珍現象が起こり、「自分の声でグッド・バイブレーション」と歌って重ねようかと思いましたが、やめました。あの手の低い声が出せません。それで本物をコラージュさせていただきました。
ひさびさ、あんずちゃんと小太郎にYouTubeに出てもらえて、うれしいです。
時間があれば、もっとアレンジをちゃんと練り直して、ギターやベースもちゃんと考えて、歌もちゃんと歌って、へたくそに聴こえないバージョンを作れたらいいんですが。
今回、たまたまYouTubeに上がっている細野さんのラジオ番組を聴きました。2024年10月放送の内容です。ゲストは山下達郎さん。その番組の中で、細野さんが「いいなあ。ビーチボーイズやりたいなあ」とおっしゃていた場面に遭遇し、「おお、奇遇だなあ」と思ったのでした。
「夏なんです」のなかに「グッド・バイブレーション」が隠れ潜んでいたなんて、おもしろい体験でした。
以前「残りの人生は音楽三昧」と書きましたが、ぜひぜひこれを続けていきたいですよ。
ちなみに今回の録音の機材とか楽器とか紹介しておきます。
まずマイクです。Shureではありません。xpに入っているcakewalkをMTRのように使いました。Windowsは11持っているし、その中にはSonarというcakewalkの最新版が入っているのですが、機能が多すぎて、もうめんどくさいので、操作が楽なxp版のcakewalkを使いました。
次にベース
これは大学生時代に自分らのバンドでベースをやっていたI君のです。30年前に借りたまま、あるとき、「返そうか」と言ったら「持ってていいよ」と言ってくれたので、ずっと使ってます。YouTubeにあげてる「DOWN TOWN」のベースはこれで録音しました。彼は福岡の化学企業の社長さんになりましてて、すっかり偉い人になってしまいました。
次にエレキギター。
Ibanezのエレキギターです。地元のリサイクルショップで5000円で手に入れた品です。以前ブログにフェンダー・ローズのMarK5を手離したと書きましたが、そういうことはもう一度あったんですよ。手離した規模はさらに大きくなりました。そのときはアコギ1本とエレキギター2本とエレピ1台とシンセ1台とエレドラ1台を泣く泣くリサイクル店に出してしまいました。
「ああ、もう音楽はいいや」と思って暮らしていたのですが、また何か録音したいという欲望がもくもくとわきあがり、結局、手元にエレキギターがなくなっていたので、「もうどんなものでもいいから」とリサイクル店に行って見つけて家に持って帰った品です。
あとこれは手放さなかったのですが、エレ・アコとエレ・ガットはかろうじて処分しないでおきました。
まあ、私は「楽器演奏のエキスパート」を目指すんじゃなくて、あくまでも歌い手として、いろいろな楽器をある程度こなせればいいという考え方だったので、小説家が万年筆に大金をかければ、いい小説が書けるなどとは、まったく思わないように、楽器の演奏技能の追求を「努力目標」にする意欲がわかなかったんですよねえ。でも楽器演奏のエキスパートを目指すなら、やっぱり高価な楽器はぜひとも欲しくなるでしょうし、また必要なものですよね。
とはいえ、まとまった形の何かを通しで演奏できなくたって、音を出すだけでやっぱり楽器は楽しいですよ。
ということで、今となっては取り返しのつかないひどい人生をよくもまあ歩んできたもんだとしみじみ思います。だからと言って、今の生活が不幸だというわけでもありませんがね。 -
人があれやこれやの音楽を好むって、食べ物の好き嫌いと似てるような気がする・・・・・。
「オレはデスメタル以外受けつけない」とか、「アナタ、大衆音楽をピアノで弾くなんてもってのほかよ。クラシック・ピアノの技術が汚染されるわよ。だから絶対近づいちゃダメ」とか言う人たちがいるとしたら、これはかなり極端な部類だろうけど、でも彼や彼女だって「好きなものはスキ」以外ないんだよねえ。
でもデスメタルしか聴かなかったロンゲ兄さんが結婚して、娘ができて、彼女がアンパンマンの歌ばかり歌うようになったので、アンパンマンのCDを買ってきて娘と一緒に歌ったりするようになることもあるわけです。
とはいえ世間一般に対してはJ-POPとかK-POPなんか聴いてる連中に依然として相当に憎しみを感じてたりする。「そんなくそみたいな音楽聴いてんじゃねーよ」などと毒を吐く。でも外出中なにかの拍子にアンパンマングッズを見かけたら、娘のために買って帰ろうなどと考える。
このお兄さんは「お父さん」的には「娘の好きなものを否定したくない」のです。むしろ「理解したい」「受け入れたい」と思うから、娘への愛ゆえにアンパンマンへの関心を持つようになった。
でも人間は見知らぬ他人の好みなら、自分の好みと照らして、強烈に否定したくなるもんですよねえ。食事についてのたとえでいうなら、世に出回っているものなら、なんでも食べられる、ほとんど好き嫌いのない人もいれば、特定のものしか受け付けない偏食がちな人もいる。そういうもんです。
音楽の受容態度にも似たような問題はありますねえ。私もついついアニソンなどで最近よく遭遇するようになったDAW系の「やっつけ仕事」のような作品を「ただただうるさい編集をする楽曲」だと思って、批判的になってしまうんですけど(DTMソフトからアウトプットさた「デジタル音源オンリーなオケ」からはどこか不快感を感じさせるザラザラしたような変な周波数が出てる気がする)、それでもそういう曲を「何度も聴きたくなる名曲」として、好んで聴いている層もいるはずです。
まあ、日本のアニメ産業は番組の最初と最後に音楽を付けるという「先人が始めた伝統」を踏襲し、「こういうことを必ず盛り込む必要なんかないのにね」という疑問を当事者たちが感じていても「大人の事情」的発注作業を前例通りにやらざるを得ないんでしょうねえ。
これまでのセオリーからすれば、「編曲が歌(ボーカル)を生かす」には「やりすぎ盛りだくさん状態からいかに引き算的発想ができるか」が曲を名曲にするかどうかの分かれ目になりそうですが、彼ら「DAW系でメシを食っている人々」は「自己主張」をしなければ、つまり「ホラちゃんと仕事してますでしょ的証拠」をアリバイとして提示したいがために「デジタル音源を用いた編曲(過剰盛り込み)作業をついついやりすぎてしまう」のが常態になってるんじゃないだろうかと私はひそかに疑っています。
アニソンを発注する側も「アニメ本編の前後に約90秒の歌を入れるという伝統的フォーマットが整えばいい」だけなので、その形式に沿った発注をすることで、「これで発注者としての責任は果たした」ということなんでしょうねえ。何かすごく機械的流れ作業っぽくなってます。それに今後アニメのOPやEDもますますAI発注に置き換わっていく可能性もありますしね(すでにエンタメ業界のなかで仕事をしている「受注職人たち」は機械に吐き出させたものを自作品として自分のDAW環境に取り込んで部分的に再編集しながら楽曲作りをしているはずです)。劇伴制作も含め「アニソン(あるいはゲーム)界隈でよく流れているような〈そんな感じのようなもの〉が納期を守ってちゃんとできあがっていれば、それで業界仕事的にはOKなんだよ」的「職人マインド」(とてもこんにち的です)の成果です。
さて、前置きが長くなりました。ルドルフ・シュタイナーは「理解するということは、ある事柄を別な事柄に関係づけることです。この世では一つの事柄を他の事柄に関係づけなければ、何も理解することができません」と。「教育の基礎としての一般人間学」で語っています。
唯物論的な表象(概念)を「身近なもの」として生きてきた人は「その自分が知っている唯物論的表象」と「今出会った対象」を関連付けることで「対象が何なのか理解した」と判断します。古代のキリスト教徒は黙示録を読んでICBMと関連付けたりはできません。そんな「表象」を持っていないのですから。「彼ら」は当時彼らが身近に持つことができた表象と関連付けて理解しようとしたでしょう。こんにちでは、ICBMのたとえのように、世界を唯物論的イメージと関連付けるようになった人々がキリスト教徒を自称しています。「救済」のイメージも物質生活的表象内でしか理解できなくなっています。(また話がそれました。)
人が音楽を聴いて「これはよい、これはあまりよくない」と判断するのも、自分の過去の音楽体験が、新曲を聴くたんびにたえず想起されて、「その関連付け行為」が審美判断の助けをしているためでしょうねえ。
最近アンテナにかかったアニソンのひとつが、レトロリロンの「エゴ」です。
シンプルなエイトビート曲っていまでは希少品になってるんですよ、特に現在の日本の音楽環境下では。昔そのために世界戦略的に自滅した家電品やガラ携帯の「狭いところに機能を何でも盛り込め感」の局所最適化的適応行動、「その精神」の再現が、今再び同調的横並び音楽業界において、起きています。男性ボーカリストたちの、高域発声指向も「売れ線」を意識するがゆえの業界的「同調圧力性」だろうし(注:日本人の日常における声域の変化について別の領域から考察している車田さんの動画も面白いですよ)、女性ボーカルは皆上手なのに「個性」がない。というか、あの独特の節回しは、あえて「モデルケース」になっているような何かに寄せるように、ボイストレーナーに付いて発声訓練をした結果の「非個性化」なのかもしれないし。どちらにしろ、「個性的な」それでいて「天然のよい声(ポピュラー音楽ではこれが大事だ)」を持った歌い手が、昭和・平成時代にくらべて格段に少なくなっているのではないかというところも気になるところです。
よい歌詞を書く甲本ヒロトが「日本のリスナーは歌詞を意識しすぎる」というような趣旨の不満を漏らしていましたけど、それは皮肉な話ですが(裏を返せば「音楽」として「聴く」ためのセンスが弱いということでもあります)、歌詞なんか(それを自己主張だとかメッセージだとか言うならば)どうでもいい(誤解しないでね)、思うまま、なんでも歌にしてくれ(ただし楽曲との音韻的な--音楽的な--違和感を感じさせないこと)、とにかく自然に体が揺れる、そして誰でも1回耳にしたら、たちまち聴き手の中で自然に鼻歌化されて覚えられてしまう、そんな言葉のリズムとメロディを持っている楽曲が日本でも「再び生まれるようになってほしい」と最近つくづく思うんですよ。
------------------------------------------------------------------詩人は、詩の言葉を紡ぐ際に、呼吸のリズムを保とうと努めている。歌を作る人は、すべてを呼吸、ひいては頭の呼吸へと回帰させる。人が話すことから歌うことへと移行するとき、地上の状況に言葉を適応させるために経験してきたことを、ある意味で元に戻すことになる。実際、歌は地上での生活以前の経験を思い出す手段である。私たちは、思考システムよりもリズムシステムを通して、精神世界にずっと近いところにいる。(ルドルフ・シュタイナー「音楽の本質と音色の体験」GA283)「再び」とか言いましたが、というか流行歌をレコードにして売るという文化が日本で始まって以来最近までずっと「それが常態だった」んですよ。だから「異形の進化」を遂げた、J-POPなどと呼ぶようになった今の日本の音楽は(外国人YouTuberさんたちがいくら今の日本の流行歌をJ-POP、J-POPと言ってほめたたえようと)、これまでと異なった、非ニッポン的な何かになっており、今は異質時代なんですよ(もはや日本は大衆音楽進化史的には衰退期なのかも)。
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ジャニーズ・システムが崩壊して以降、ますますそのような「ショービズ系」の新たな展開がJ-POPなどというジャンル名を騙りながら、再起動しているんじゃないかと思います。
昭和時代まではそのようなジャンルは、新しく台頭してき世代には「歌謡曲部門」として認識されており、とはいえ明るい大衆歌謡であれ暗い演歌であれ、歌い手はよく訓練された歌手であり、ほんとに歌が上手なプロでした。
のちに「使い道」の分からなかった「若者たちの帰依心」(本来は尊いものですが)を金銭に交換させるために偶像性を売りものにするアイドル系が産業として歌謡曲部門に加わっていきます。そして今やJ-POPもこの流れの延長線上に成立しています。
しかしそれでも、60年代、70年代当時における「これまでと違う何か」を求める日本人の感情が、「別のアティチュードを持って活動し始める人々」によって日本で起動した時代があったんですよ。それらの作品群は、のちにニューミュージック(私のパースペクティブではフォーク系からポップス系、ロック系まで範囲は広いです。つまり戦前戦後を通じて歌謡曲販売において通例となっていた作詞家先生・作曲家先生への発注方式とは別のアプローチを採るようになった人々の出現です)と称されるようになりました。
「異なった精神からは異なった作品が出てくる」・・・・それは当たり前ですけど、こんにち「その精神」は消え去っているのでした。そしてネット時代になって世界が「ようやく発見」して評価してくれるようになったのは「今の旬の騒々しく落ち着きのない日本の流行音楽」ではなくて、70年代80年代の「楽曲」でした。
「ポチって支持表明」と言う安楽時代に入って以降、「統計的数字」と国民の精神に本当に「忘れられない音楽体験」として浸透できているかどうかの関連性があやしくなっている。実態は資本主義理念のもとでの音楽産業的展開にダマされてるんじゃないかと思ってます(ま、これは米国なんかも同じでしょうが・・・・)。
2:55辺りからリック・ベアト氏(彼のYouTube番組面白いですよ)がしゃべっている内容に注目です。
こんにちの日本においては、投下予算を組んでのTV局とのタッグは昔からですが、それに加えて、韓国企業から手法をまねたらしいポチリ部隊やネット書き込み部隊を編成する、という「新しいプロモーション予算の投下」が「仕掛け手側」でうごめいているんだと思います。こんにちYouTubeで日本人向けの日本語版コンテンツをAIを駆使しながら大量に作っているのは東南アジアなどに拠点を持ってうごめいている「アジア系外国人たち」です。日本の音楽産業においても、日本の資本家たちが「彼ら」を手駒のようにして利用している可能性が大です。
ということで、またまた脱線から修正。
日本ではギターのアンガス・ヤングの半ズボンにカバンという「ステージ衣装」がダサいと判定されたのか、そのせいでなのかは、はっきりしませんが、日本人には人気がなかったAC/DCとか、ドラムはただドンタン・ドンタンいってるだけですよ。そんなふうにエイトビートはやりすぎないのがいい。それでも偉大なバンドでした。
DAW系の曲のドラムアレンジって、ドラム叩いたことがないまま、思うままにやってんだろうなあと思う場面も多いです。
レトロリロンという名前のバンドですけど、最初私読み方が分からなくて、レト・ロリ・ロンと読んでしまいました。なにレト・ロリ・ロンって変な名前・・・・と思ってしまったのですが、あれこれって実はレトロ・リロンじゃね? と思うようになりました。相対性理論というバンドがいますし。だったらレトロ理論って表記してくれたらよかったのに、と思ったのでした。
声が独特です。でも、最初に聴いたとき、やはり過去作品との関連付け体験が当然起こったわけです。
声質に関して、なんかNOBODYとかを思い出しました。
それとBOOM BOOM SATELLITESとか。以下アニメ「忘念のザムド」で使われた曲です。
「忘念のザムド」については大昔当ブログでも言及したことがありました。「ジブリ臭がする」と。後でスタッフロールで気が付いたんですが、背景画にジブリが参加していたのでした。
レトロリロンと声に類縁性を感じるという切り口で採り上げた2曲でしたが、どちらも男性二人組ユニットでしたが、それぞれ相棒をすでに亡くしてるんですよねえ。
レトロリロンさんはこんにちの日本の売れっ子ミュージシャンたちのような「やりすぎな編曲癖」に走らないように願いたいですけど、やっぱ時代の同調圧力というか、同じ病というか誘惑にかられてるんでしょうか・・・・。
ああ、ロックしなないで。
ということで、最後にそのレトロリロンの「エゴ」のフルバージョン -
なんかやる気なしモードから一転、「どうでもいい話だけど、ネタとして出しておこう」と思ったので、最近監視カメラに残っていた「たま飛びシーン」をご紹介いたします。GIF化しました。
「たま」が玄関先から外へ出て行って左に曲がって消えます。
私自身はあまりこういう「光学現象」に「深い意味」を感じたりはしないんですけど、だって自然科学現象として、ホコリの赤外線反射映像って言いながら、投稿してもいいわけですし。
ただ主観的には「比喩」、つまりファンタジーの力によって、自然現象の背後に「主観的解釈=物語」を付け足したくなるときだってあるとは思います。
去年の夏、タカサゴユリでいっぱいになった「空き家化した隣家の庭」で、以前こんな写真が撮れたことがありました。
これにフィルターをかけてみます。
一枚目より少しだけ明確になりました。私は「おお、これは私の目の前で空中を移動しているアナコンダみたいな何かが、たまたま映り込んだんだな」と解釈(空想)することにしました。
「空気」を体として活動している存在がいるらしいですし。ま、これも条件がそろったときに出現する虹という光学現象のように、「ただの自然現象」なんでしょうけど。
ただ「裸眼」では、そのとき、そのあたりに周囲と明確に区別できる「熱のかたまり」のようなものは見えなかったので(というか、たとえば風というう現象があることは皆知っていますが、「どんな見た目(形態)」で吹いているのか人類は認識できません、空気の(透明なもの)の動きですから。
水の沸騰とか対流現象、あるいはゆらゆらする陽炎現象だったら、少しだけ「光学意識」に上りますね)、カメラという機械が「瞬間の光学現象」を切り取って「人間が見逃している光学的瞬間がある」ということを教えてくれるのは、一種の「教訓」のようなものですね。
病的な状態になった人が、幻覚を見るとき、つまり光学像レイヤーに、本来なら「内界」に属しているイメージを第二レイヤーとして重ねて見てしまうこともありますね。
こういった人間の認識の錯誤体験を技術化し、軍事に応用して、最終的に日本政府が戦争犯罪者となった大佐の恨みを買った事件を「攻殻機動隊 ARISE」で描いていましたっけ。
というか、誰でも日常的に「空想」することで、「イメージ・レイヤー重ね」のようなことをやってるはずです。目を開けて何かをしながら、数字なんかを思い浮かべていたり、旅行で行ったことのある場所をふとイメージしています。「光学像」を見ながら「頭の中の別の像」を思い浮かべている瞬間が誰にでも「頻繁」にありますね。
一方のレイヤーだけを透明化したり、二つを同時に重ねて表示したり、PCの画像作成ソフトは自在にできますが、人類には「その潜在能力を駆使して内界の認識像の明確さを上昇させる時代」にはまだ至っていないようです。
ということで最後はまたまたシュタイナーの人智学内容(特に『いか超』)の暗示的な書き方になってしまいました。
Go into the layer・・・・・のために結局死ぬまで修行。でも私の場合は、来世に期待するしかないでしょうねえ。ヘタレですから。 -
投稿が滞ってましたが生きてますよ。
シュタイナー関連の記事を投稿しようと思って当ブログを維持してはいますが、なんかやる気なしモードになっていました。そういうわけで、どちらかというとぼんやり過ごしていましたが、気が付くとアッという間に1週間、さらに1週間と時間が過ぎちゃってます。
まあ、投稿は「仕事」じゃないので、他者にとっては別にどうでもいい話でしょうけど。でも例えば、100万人に一人の確率で、ある人物が、大抵の人にはどうでもいい「ニッチな情報」を探していて、ここで書いていることを「欲しかった情報」として扱ってくれる場面があるなら、時々でも投稿を続けていく「社会的」意味はあるんじゃないかと思います。
そもそもネット空間って「草創期」は特に、そういうニッチ情報を求める人と提供する人との「共有空間」だったじゃないですか。私も特に自作PC関連で、きわめて局所個人的な今直面している問題対処の知識について、いろんな無名人たちがネットに挙げていた情報のお世話になったもんです。
インターネットはYahoo!をホーム画面にしてますので、何か検索したくなったら、Yahoo!の検索欄に単語を入れてます。AIもYahoo!検索がAIモード(Agent i)を導入しているので、ときどき使ってます。
最近もかつて見たアニメのアニソン(「え?」というセリフ)がふと思い浮かんで「そういや、あれは名曲だったなあ」と気になり始め、
「歌詞のなかに『え?』というセリフのが出てくるアニソンは何ですか?」
とYahoo!のAIに尋ねてみたら、雑談的返答はしてくれましたが、答えられませんでした。AIは「知りません」とか「分かりません」とか言わないんですよねえ。質問の追加情報を求めてきます。
しかたがないので、AI活用というタイパ(快適)主義を捨てて、「たぶん、異世界もののアニメのEDだったよなあ」と思い出し、アマゾン・プライムやNetflixでチェックしてみました。
すると分かりました。それは「農民関連のスキルばっか上げてたら何故か強くなった。」のEDでした。以下はアニメ用の短縮版ではなく、「ポップしなないで」自身による「ローリンソウル・ハッピーデイズ」の全長版。
聴き直すと「おーこれはどこかクラムボンを思い出させる個所のある名曲だったから、心から消えなかったんだ」と、はたと気が付きました。ちなみにクラムボンって「異世界居酒屋のぶ」とかアニソン関係の仕事もやってるんでした。
それでクラムボンの名盤「JP」(1999年)をひさびさ聴き直しました。
「あークラムボンっていったら、やっぱピアノのバッキングがすごく印象的なんだよなあ」
ということでYouTubeで動画を探したら、
リスナーのコメント「このアルバムセンス良すぎて弟がピアノを始めました笑」を発見。
読みながら「なんで自分じゃなくて弟?」と突っ込みを入れましたが、このアルバムのピアノバッキングに影響された人って、ピアノを始める始めないにかかわらず、当時たくさんいたんじゃないかと思いますよ。
ということで今回の関心事は最終的に「クラムボン再認識、やっぱピアノ、カッケーよ、おい」という話に収束しました。
今回の投稿の題名は「クラムボンは笑ったよ」ですが「キリストも笑ったよ」とふと返歌のようなセリフも思い浮かんだのでした(まあ、これに関してはエドガー・ケイシーのキリスト関連情報が土台ですが。いずれ別枠で言及しようかな)。で、宮沢賢治のページに飛んで改めて読み直しながら「クラムボンは殺されたよ」に対しては「キリストもそうだったよ」ともう一度返歌のようなものが思い浮かんだのでした。
こんにちのシークエンスは蟹座時代(先史インド文化期)から始まって魚座の時代真っ最中です。
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ここから後半記事に入ります。
今回、転生ものアニメ探しで「黒の召喚士」も見たんですが、エンディング・テーマのエレビアレンジが「まさにあの時代(70~80年代)」的で「なんか典型的すぎる」と感じて「とてもいいんだけど、なんかすでに今の時代とはズレてないか・・・・」と感じたのはなぜなんでしょう?
そう思いながらエピソードを見ていくと最後の3話ではエレピではなく、ピアノアレンジバージョンになってました。こっちの方は違和感なく聴けました。でも結局「その理由がよくわからない」んですよ。
エレピと言えば30年ほど前、フェンダーローズのMARK 5を持ってました。でも私は当時発作的に転職事案に突入してしまい(ほんとずーっと不安定な仕事人生だったなあ)、引っ越しの荷物になるからと、それを処分してしまいました。
こんな感じのエレピです。このエレピを使ってイーグルスの「I can't tell you why」を4トラックMTRで録りました。この曲のギターソロが好きなんですよねえ。でも、カセットテープの音源が残ってないんです(残ってたらYouTubeに挙げたのに)。その曲が入っているカセットをあげた人とは今じゃ音信不通なので、もう二度と聴けない。じゃあもう1回、エレピ、ベース、ギターを通しで弾けるように練習時間をかけたあとで録音し直す意欲があるかと言えば、ないですしねえ。そうそうイーグルスと言えば、この21世紀には、なぜか違う畑で活動しているのにそんな感じのソロギターが心地いいTokyo Tea Roomっていうバンドがいますよ。このアルバムを聴いてるとなぜかイーグルスを思い出すのが不思議です。
最後に70年代邦楽もので、私の好きなエレピのバッキング曲といえば、尾崎亜美の「冥想」です。
70年代洋楽ものだと、スティクスの「ベイブ」手弾きバッキング時代の楽曲は「うるさくない」のがいいです、こんにち聴き比べてみると、ハードロックやヘビーメタルでさえそうです。いまのDAW系オケ主体の変化盛りだくさんの(日本の)楽曲ってなんであんなにガチャガチャ、ガチャガチャとうるさく聴こえるんでしょう。それでいて意図せずとも体が揺れてしまうようなビート感がうすい(洋楽はソレは失ってませんね、ポップスって、ロックって、ソレが(歌詞で何を言っているとかは----もちろん無視はできないけど)もっと大事でしょ。この視点は部分的にクラムボンのミトさんのインタビュー記事にも出てくる視点(母音子音の響きが音楽と一致しているべき論)とも重なる。だから、あー、21世紀の日本のポップもしなないで)。ここがこれからの改善点じゃないでしょうか。日本においてもシンプルな構成で体が揺れずにはいられない、という基本への揺り戻しが起こればいいのにと思ってます。