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夢の中で気が付いた。なんと自分の部屋に学生服を着た弟がいて、私の机の前に座っている。
「あ、お前か。それオレの机だけど、座ってていいよ」といってもう一方の側にある机の前に座る。私も学生服を着ていた。つまり弟も兄も10代のころの姿だった。
この家には私たち兄弟とは関係のない子供づれの家族が住んでいて、私の感覚では、本来は私たちの家なのだが、その家族が住むことを許可しているらしい。
だから、食事は私たちの分も余分に作ることが、住む条件だなどと言っている。その説明が「奥方の包丁の回数は、家族だけならばトントントンでいいが、私たち二人がいるから、トントントントントンと聞こえなければならない」などと奥方に説教している。
部屋を出ると家の真ん中を通る廊下があり、向かい側にも部屋がある。その部屋のドアの蝶番から、指が一本突き出ていたので、びっくりして、扉を開けて、部屋の中の方から、その指が出ていた部分を見ると、指の部分しかない。
「なんなんだ、これは、幽霊の指なんか」と驚いてしまう。
そしてその廊下を東向きに進むと玄関があるのだが、その玄関の直前の廊下の部分を、この家の家族の子供のベッドがふさいでおり、子供がそこで寝ている。「なんでこんなところにベッドを置くのか。通れないだろう」怒りを感じてしまう。
目が覚めた後の記憶としては、だいたいこの辺りまでは覚えているのだが、起きてすぐ思ったのは、われわれ兄弟が、あの「アザーズ」というホラー映画みたいに「重なった場所」で生活していたんじゃないかと感じたことだった。
どっちが死者の側だったのか?
まあ、奥方の包丁の音が二人分余計に聞こえればいい、などと要求している点、やはり「われわれ学生服を着た兄弟」が死者側だったのだろうか。
ちなみに弟(年は一つ下)はすでに他界してこの世にはいない。PR -
「変容する世界問題シリーズ」全6回終了しました。
またしばらくは「やる気なしモード」です。
全然人気がないチャンネルですが、ちまたでウワサの登録者数一気減りだけではなく、「視聴回数」まで同時に減っているので(第42回、何時間か前に見たときは56だったのが今は50に下がっている、そもそも二けた視聴とかしょぼすぎて、「監視対象になるようなチャンネルでもない」と思うんですけどねえ)、これはいったいどういう現象なんだろうと思ってます。でっかいチャンネルは「その操作の跡」がありありと「大きい数字」として表れるってことなんでしょうか。つまりAI巡回に引っかかったら、10%程度が知らない間に削られたりする事象がある、ということ。その逆もあるんでしょうか?
朝鮮を司馬遼太郎の発言をもとにディスっているように見えた当局人あるいはAIがいたんでしょうかねえ?。
そもそも今のYouTubeって「金でインフルエンサーをコントロールする」ために「買い取られたもの」だと思いますしねえ。その大々的な実験場です。報酬システムがない時代のYouTubeは、「すべて投稿者によるgiving行為」で成り立っていましたからねえ。だから「今後も無料で利用できますが、広告が挟まるようになりますが、ご了承ください」と買い取った側のGoogleがユーザーたちにアナウンスすれば、「これまで、動画を投稿しにそこに集まっていた人々」だったら、「OKです」ってことになってたろうと思います。そして、それ以降もそこが「自分が動画で金を稼ぐ場所」だとはそもそも思わなかったでしょう。大昔の米国ドラマ『ヒーローズ』には「(そういうシステムじゃないから)YouTubeに投稿しても金はかせげない」と、姉の正体をバラす動画公開で一攫千金を狙おうとする弟に諭すお姉ちゃんが出てきますが、今は、「あのころ彼女が見ていた世界」とは変わってしまいました。
今は「言うことを聞かなければ金は渡さない」システムです。
その効果はやはり絶大です。
「なんでもいい。ここに人を集めれば金をやる」Googleの庶民へのオファーはシンプルです。当然、情報に責任を持たず、何ふりかまわない、つまり「広告を見せるために一か所に人を集める」という仕事の評価を「どのくらい人の注目を集めたか」という数字上の成果で計る、「仕事(目的)の抽象(唯物論)化」(すでに広告業界やTVメディアという大企業で働く「労働者たち=リーマン」が陥っている病気)へとますます高まっていく以外ありません。・
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第43回最終回の「シュタイナーのユダヤ教廃止(民族としてのユダヤ人消滅)提言」は、なかなかYouTube上に「引用文」として挙げにくいと思い、これまで躊躇していたのですが、とりあえずパスしてるんで、今のところ安心ですが、これもいつ削除されるか分かりませんねえ。
いろんなものに「ウラ」があるんでしょうねえ。
「東アジア人は互いにずーっと喧嘩し続けていてもらわねば、困るとか」そんなふうに思っている、その筋からアサインメントを受けて活動している連中はGoogle内部にもいるんでしょうねえ。P.S. さきほどネットで知りましたがユダヤ教徒作家が書いた『JAPAN'S HOLOCAUST(ジャパンズ・ホロコースト)』という本が米国で発売されるということです。アイリス・チャンは中国系でしたが、今度はユダヤ教徒に発注した「Mr.X」(個人か組織か?)がいるわけでしょうねえ。
P.S. 本日(5/13)、最新作の「第43回 変容する世界問題6」を覗いてみたら、ページの設定が勝手に「コメントはオフになっています」状態になっていて、こちらからコメント投稿OK状態に戻すことができない、ことに気が付いた。この動画自体は、明らかに子供向けではなく、その時閲覧回数70回のほぼ誰にも見られていないに等しいページだった。そんな無きに等しいシロモノになぜコメント禁止措置を施したのか。YouTubeというのは不気味なところだよ。 -
月に最低2回は投稿するという方針でしたが、YouTubeの動画作成に気を取られているうちにすでに4月も2週目が過ぎようとしてるじゃありませんか。
そういうわけで「秘教学徒シリーズ」の最新作をひさびさ投稿しましたというご報告を、ここでさせていただいて、月に最低2回というノルマの1本目を消化した形にしたいと思います。
「外面的」には、YouTubeへの動画投稿が滞るようになった時期に、熱心に研究していたクチパクの導入問題が一通り自分なりに納得ができたので、あまりにもクチパク研究に熱中していたので、達成感でおなか一杯になって、長めの動画をクチパクを使って作ろうという意欲がさっと失せてしまいました。
で、一年経過。
でも、なぜか最近「ぼちぼち動画作成再開したい」という思いが強くなったので、これまでと違う世界問題・社会問題系のテーマのものも(秘教解説ぽくない)いずれはやってみたいと、思っていたこともあり、今回ようやくそっちの方面の問題をシュタイナー発言と関連させて投稿することができました。
最近は、私が熱心に投稿していた時期よりもシュタイナー関連で投稿する人が増えたみたいでなによりですが、とはいえ、やはりニッチな領域ですよねえ。
でも23年でしたっけ、誰かがYouTubeで「シュタイナーが2025年に日本に大邪神がくると予言した」とかいう宣伝を始めたときは、びっくりしましたよ。
そんな話聞いたこともなかったですからねえ。それに「大邪神」なんて「翻訳語」、これまでの邦訳版のシュタイナー本で出会ったことなんてなかったですから、そうとうにうさんくさいと怪しみました。
ああ、これを広めている勢力は、70年代あたりからずっと翻訳出版によって日本にシュタイナーを紹介してきた高橋巌先生とか西川隆範先生とかそういう周辺の人たちとは系統の異なった得体のしれない連中なんだろうなあと思いました。あるいは、いわゆる「スピ系」と呼ばれるグループの侵入があったのかもしれません。
話を聞くとシュタイナーが講演ではっきりとそういう発言をしたということではなくて(だから印刷された本として、世界中のどこにも文献学的な一次資料がないんですよ)、シュタイナーの弟子だった人から、「シュタイナーがそういった」と伝え聞いたということが根拠になっているのです。
ネット上で見かけるライアーという楽器の調弦に使う432hz発言も同じで、私はシュタイナーの「講演録」で「調弦は432hzを基準にするべきです。その霊学的背景は、うんぬん」などというような記述を読んだことがないのです。シュタイナーは「基音」とのインターバルが霊的な影響力を持つことを強調してきたのであって、「特定の単体の物理的周波数」を称揚した話など、今のところ「読んだ」ことがないのです。この「432hz推し話」の出どころも、シュタイナーの周りにいた誰かが「シュタイナーがそうしなさいと言うのを聞いたから」というのが根拠になっています。
ひとつ心に浮かぶのは、日本では「シュタイナーはヒトラーの最大の敵対者だった」ということを宣伝して回るグループが以前にもいたことを知ってますが、きっとそういう系統のグループとつながっているに違いないと思っています。日本で「ヒトラー、ヒトラー」と叫ぶのを好む勢力がいるじゃないですか。かつては日本語版のウィキペディアでも「シュタイナーVSヒトラー」の記述を見かけましたが、最近見直しに行くと削除されているようですね。もちろん英語圏の記述にもでてきません。)
「本当に重要な話」ならば、いろんな場所でウィルソン大統領を「口撃」している「証拠」がたくさん残っているように(邦訳シュタイナー講演録にヒトラーの名前など一度も出て来ません)、何度も「これは大事だから」と弟子だけに内密にではなく、ちゃんと講演でそのように語るはずです。
シュタイナーは1925年に亡くなっており、ヒトラーが政権を取ったのは1932年です。敬虔なキリスト教徒たちにとって神智学をやっている連中は、異端者たちですし、今日でもそうでしょう。霊学なんてやっている集団は、一般の「常識的キリスト教徒」の庶民にも敬遠的であり、「政治的な力など皆無」です。なぜ日本には「シュタイナーを政治的に扱う勢力がいる」のか理解に苦しみます。それともシュタイナーのシオニズムについての批判が、シュタイナーはアンチ・ユダヤだ、つまりナチスと同じ側だと思われそうなので、先回りして「シュタイナーはナチスの敵だった」と宣伝することで「今の自分を守りたい」というような弱弱しい心根の発露なんでしょうか。
「2025年日本大邪神問題」について英語圏やドイツ語圏のネットを検索してみましたが、まったく出てこないんですよ。
私はこういう話を宣伝しているユーチューバーに「大邪神という言葉をシュタイナーはドイツ語で何と発音したんですか」と尋ねようとも思ったんですが、どうせとりあってくれないだろうと思って、やめました。
まあ、いずれにせよ、キャリア20年とか30年とかシュタイナーの邦訳本に取り組んできた人々にとっては「大邪神」という「人智学用語?」が違和感のかたまりに感じられただろうことは、想像がつきます。
皆さん、おとななので、表(YouTube)に出てきて喧嘩しないだけですよねえ。 -
以下のは記事は2022年の2月に書かれたものだったが、ずっと保留状態になっていたものだった。本日それに気が付いたので、もったいないので、公開することにした。
ずっと保留状態だったのは、自分の意見に確信が持てないからだった。いろいろと分からない部分が多すぎて、これでは空想の披瀝でしかないなあと書いた当時は思っていたので、公開ボタンをクリックしないで放置していたんだと思う。
愛子様が伊勢神宮と神武天皇陵を訪問した様子が報道されて、「こんなにも人気があるのか」とびっくりした。私が以下の動画をアップしたとき、心の中に想定していた「天からふとんに入って降りてくる女の子」とは彼女のことだった。
民族の力を身に付けて、子孫に伝えた人々は、王冠をかぶりました。王冠というのは、古代には、人間の霊性に贈られる最高のものを示す言葉でした。王冠をかぶることができるのは、秘儀に参入して最高の叡智を獲得した者だけでした。王冠は最高の叡智のしるしでした。(中略)「王冠」は古代人にとって、精神世界から超人的な人に贈られるものの象徴です。
王が冠を戴くのは不思議ではありません。王はいつも賢明であったり、最高の天賦の才を身に付けているわけではありませんが、そのしるしである冠を戴いています。このように古代のしきたりに従って表現されたものと、のちに乱用されたものとを混同してはなりません。(ルドルフ・シュタイナー『神仏と人間』P197-P198)
秘儀に参入することなしに神あるいは天から王権を授けられたと主張するようになった、のちの時代に現れた「単なる血統主義」が、2千年ほど続いたのち、今や近代の精神生活を営む市民社会によって人種民族を問わず、さまざまな場所において、「それはもはや不正なものとなっている」として排斥されるようになったことを人類は目の当たりにしてきた。
だから、もちろん彼女が今日の秘儀参入者だと言いたいのではなく(正直今日の皇位をめぐる政争にはうんざりだ)、大化の改新、というよりさらに以前、「漢字を使った政治」が始まる以前の日本においては、「おおきみ」の呼称で呼ばれる資格は直系の男系男子がその資格をもっていたのではなく、一族のなかで「秘儀(霊界)参入を果たした者」が〈おおきみ〉と呼ばれたのだ、という私の持論を踏まえたうえで、作成したものだ。
これに関連した記事として「人智学の光に照らされた日本神話」も参照していただけるとありがたい。
ここまでが、古い記事を公開するにあたって付け加えた部分になる。
昔、YouTube(秘教学徒)に「大嘗祭の本義」という動画をアップした。(動画の元になった記事は本blogに掲載した「令和記念 大嘗祭と秘儀参入者としての天皇」)
聖徳太子は、それ以前の大王(おおきみ)の時代から天皇の時代への転回点だったということも暗示した。
諡号に「大和(やまと」)という名前を持っている者は、「本物の(ミトラス教の秘儀と照らすと「第五段階」の)秘儀参入者」だったということも言った。その後、皇族たちは、「その能力」を失ったのである。
聖徳太子以前に出てくる「なになにの命」とか天皇の諡号に出てくる「彦」というのは皇位継承権を持つ者という意味で使われていたのではないか。またそれだけではなく、秘儀参入の到達レベルにも関連しているのではないか。男子を彦(ひこ)と言い、女子を姫(ひめ)と言っていた。この英語でprince、princessを意味する言葉は、記紀編纂の時代になると皇子、皇女(どちらも「みこ」)とう言葉に置き換えられる。
「ひ」「が抜かれたからである。「ひ」という言葉が秘儀参入能力に関連する言葉だったからだ。
「み」は美称であり、今の漢字でその原議を示すなら「御」に当たる。「御子」=「皇子・皇女」であり、「皇族の子」という「秘儀参入能力」とは無関係な意味に整理された。
記紀編纂の裏側で、そのように「数多くの改変」がなされたのである。
皇族たちから秘儀参入能力が失われて久しい時間が経過したが、聖徳太子という人物は先祖返り的な特異な霊界参入能力を持った人物だった。古代の秘儀の儀式の詳細を保持していたのが、物部氏だった。
そういう人々のなかから聖徳太子伝説の担い手となった人々が出た。聖徳太子伝説に「十人の訴えを一度に聞き分けた」という話が出てくる。シュタイナーは霊界参入能力を三段階に分けて説明している。霊視能力、霊聴能力、霊的合一能力の三段階である。
霊視能力者は現代でもたくさんいる。像意識を見る段階で、実は「何を意味しているか」を直接理解できない段階だ。今日、霊が見えると言う人々は、そのような霊視者である。
この霊視能力に「聞く能力」が加わると第二段階の霊聴能力者となるが、この段階に達して初めて「秘儀参入者」として区別されるとシュタイナーは述べている。
古代には天押穂耳命(あめのおしほみみ)という皇族の先祖が登場するが、この名前に登場してくる「耳」というのは「霊聴能力の保持者」という意味である。初期に登場してくる「大王」のおくり名に耳が入っている場合、それはインスピレーション(霊聴)能力を持っていたという「暗号」だったのでは、と私は考えている。
聖徳太子は豊耳命とも呼ばれている。この呼び名に出てくる「耳」こそ、「彼はこのような霊能力」の持ち主だったという暗示だと思われる。聖徳太子以前の「秘儀の秘密」は物部氏の政治舞台からの退場で、時の政治権力機構からは排除された。仏教台頭という「表舞台で起こった」と伝えられている出来事は「秘儀の消滅」を糊塗するための物語である。ただ「言葉の本当の意味」を知る者たちが遠回しに聖徳太子伝を書き残したのだ。
聖徳太子とその一族は不運の一族だった。彼の息子の一族は皆殺しにされたが、理由が日本書紀を読んでも分からない。聖徳太子の奥さんは聖徳太子が亡くなった翌日に亡くなったと日本書紀には書かれているが、ともに毒殺されたのだと思う。最大の問題は聖徳太子は異能の持ち主だということは「敵対者側」も知っていたが、聖徳太子は今日でいうところの中国閥、つまり「シナ派・儒教派」ではなかったのだ。
聖徳太子が書き残した歴史書は蘇我氏へのテロ事件時、倉庫が燃えて消えてしまったことにされている。それは記紀がシナ閥による改編の書だった事実を隠すためだった。聖徳太子の息子一族が皆殺しにされたのは、「真実を記した書物」が彼らの手元にあって、反大陸派だった太子とその子孫一族の権威を排除すべき対象と認識していた結果だった。
当時のシナ閥集団とはもちろん、中臣鎌足を始祖とする藤原氏一門を中核とした政治勢力である。彼らは大陸から呪術を持ち込んだ集団の子孫である。彼らは古代の「おおきみの時代」の慣習(太陽霊信仰やそれと関連した秘儀の伝統)を排除し、皇位継承の考え方や政治上のトップの呼び方を「シナ式の思考態度」とすげ替えた。
「太陽信仰の民」は「おおきみの民」だった。その代わりに「星座(北辰)信仰の民」として「天皇」という言葉をシナの古典から抜き出して使用するようになった。
藤原氏の行った政治は、シナの古典に出てくるような外戚政治そのものだった。そのようにして聖徳太子を境にして、古代にはあった末子相続(これは儒教という「漢字による支配」思想、「言葉で呪(しゅ)をかける思想」とは相いれない習慣だった)や意思決定における豪族たち(日本の神々-古い時代はみな霊界参入者だった)の集合による合議制は崩壊した。
そしてしばらくの間、日本は古代式社会主義の世界に突入したが(「律令制というのは沈黙の社会主義体制だったといっていい。」司馬遼太郎『この国のかたち3』)、藤原氏の力が弱まった平安末期以降、だんだんと武士の力が台頭すると、最終的に彼らはシナ式統治から距離を置き、古代の豪族連合体のような盟主制度を幕藩体制として武士階級の間で取り返したのだった。
さらに以下の記事も参考にしていただけると思う。
記紀の神々の名に付いている「記号」は何を意味しているのか 前編
記紀の神々の名に付いている「記号」は何を意味しているのか 後編
日本神話と秘儀の七段階、そして聖徳太子
古事記において、戦いの場面として登場する古代の神々の「手取りの技術」は、律令制度の外側で生きることになった武士団に所属する者たちに密かに連綿と受け継がれて、近代にいたって「殺しの技術」としてではなく、合気道という形で人々の目に触れるものとなった。
骨命(ねのみこと)、すなわち骨(こつ)をつかんだ者(秘儀に参入できた者)が、今日武術家のなかにも存在するのだろうか。 -
最近話題になってる「不適切にもほどがある!」をようやっとNetflixで見始めたら、すごく面白いじゃないですか。最近、また「ウルトラQ ダークファンタジー」を見直して「袴田さん今何してるんだろう」と思ってたのですが、「おお、ここにいたか」というタイムリーな驚き(すぐに答が返ってきたので)もあって、いろいろと興味深いことが続いております。
つまり、そのドラマ自体の面白さとは別個に、私にはいくつか「うれしいオマケ」がもらえたのでした。
なんとなんと、昔、私が当ブログで、その場所を追い求めて奮闘した「あの草野球場」が映っている空撮シーンが出てきたので、そのシーンに出くわした瞬間、椅子から飛び上がってしまいました。「まさにその野球場だ」ということはすぐに分かったので、驚いて、「あッ」と声に出してしまいました。
「ダイソーの『野球ゲーム』に出てくる草野球場を求めて4」で記事を書いたときに使った写真は真上から撮った航空写真でしたが、このドローンによる空撮映像を見たとき、すぐに同じ場所だと直感したのでした。
ダイソーの『野球ゲーム』に出てくる草野球場を求めて1
ダイソーの『野球ゲーム』に出てくる草野球場を求めて2
ダイソーの『野球ゲーム』に出てくる草野球場を求めて3
ダイソーの『野球ゲーム』に出てくる草野球場を求めて4
で、「これは、保存だ」と思ったので動画を止めて、椅子から立ち上がりスマホをつかんでパチリと撮ったのが以下の写真です。
以下は第二話で登場した河川敷。
一枚目の写真ではスカイツリー側の河川敷、二枚目の写真では左側の河川敷が、かつてその場所を追いかけた「草野球」というゲームに使われた野球場です。
この「すばらしい空撮シーン」は、クドカンさんがシナリオに盛り込まなければ出てこなかったはずですから、こういうかたちで、もう一度「あの草野球場」と再会できて、すごくうきうきした気分になりましたよ。クドカンさん、どうもありがとうございます。
P.S.1ある意味、袴田さんがつなぎ目となって出現した、16:9画面になった「ウルトラQ ダークファンタジー」の新作、というふうに自分の中で読み替えると、なにかジーンとくるものがありますねえ。
P.S.2 あ、そもそも仲里依紗からして「筋金入り」の「時をかける少女」だった。