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前回の記事では、「エルフェンリートと百合の花」を扱ったが、今回はエルフェンリートと角について、さらに「連想」したことを書くことにする。
エルフェンリートに登場してくる少女たちの頭には、一見すると猫耳と誤認しそうな形姿の「角」が描かれている。岡本倫先生は、なぜあのような読者が簡単に誤解してしまいそうな形姿で(猫耳っぽく見える)角を描いたのだろうかと思う。
それは単にデザイン上のつまりルック上の審美的判断によって、日本における鬼のイメージのような「伝統的な角の描き方」を避けたからということなのかもしれない。作品中では、角と松果体との関連にも言及していたので、秘儀参入関連の話として登場してくる7つのチャクラ、特に眉間(アジナ)のチャクラの話とまったく無関連だとも思えない。きっと文献的な参照はされているのだろうと思う。
近年日本の漫画家やアニメーター、あるいはラノベ作家たちは、神話や魔術や神智学や人智学文献に詳しい人が増えていると思われる。ネタの宝庫だからだ。ところで一方で、飯のタネになるからとそれらの書物群を読み、その体験をもとに物語作りに没頭している彼らクリエイターたちは、自覚はなくとも「天啓」を地上で具象化しているのであって、中世的な布教システムのなかで、古びた説教を、教えられた通りにオウム返しているわけではない。組織安堵が目的の古い西洋由来、東洋由来の教会思想の頒布者たちは、今日もはや力を失っている。「彼らの言葉」はもはや民衆を感激させる力を失っている。
西洋においては、悪魔は角を生やして描かれているし、日本においては、鬼と呼ばれる存在は、童話の挿絵などで図像化されているように、やはり頭に角を生やしている。
古代日本人は「鬼」という漢字が日本に入ってきたとき、なぜか中国原義の「死霊」の意味を、「鬼」と書いて「おに」と読ませる漢字に含意させなかった。今日においても日本人にとって鬼(おに)は中国人が思うような「死んだ人間の霊」ではない。一方、ルドルフ・シュタイナーは、『神智学の門前にて』で、ミケランジェロは、モーセが秘儀参入者であることを象徴的に示すために二本の角を頭の上に加えたと語っている。
シュタイナーによると、額のチャクラは二枚の花弁を持っており、モーセの頭部に付け加えられた二本の角は、その二枚のチャクラの花弁の隠喩なのだ。つまり「角を持つ者」とは「秘儀参入者」の隠語でもあったということだ。
------------------------------------アストラル体に、ある器官が発生する。その器官というのは、七つのチャクラである。鼻根のあたり、眉のあいだのところに、二弁の蓮華のチャクラができる。霊視的な芸術家は、このことを知っており、作品のなかにそのチャクラを象徴的に描いた。ミケランジェロはモーセ像に、二本の角を刻み込んでいる。(P55-P56)------------------------------------
ネットでチャクラの図を検索すると以下のようなタイプの絵がたくさん見つかる。
とはいえ、神智学あるいは人智学系の本が書いているような、各チャクラの花弁の数に則った図像を描いているイラストをネットでは見ることがないのはなぜだろう。
神智学者のリード・ビーターは「これがチャクラのイメージ図だ」と、彩色された七つのチャクラの姿を『チャクラ』という本の中で紹介している。以下は眉間のチャクラの図像である。
『チャクラ』によると「眉間のチャクラの花弁は2枚または96枚」と書かれている。真ん中で半分に割って左右微妙に色合いが異なっていることは確認できると思う。大まかな色としては2色に分割できるが、さらに発展すると96枚に分節していくということなのだろう。
ちなみに、シュタイナーの『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』においては、眉間のチャクラは2弁でできていると述べている。
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そして今はじめて、両目の付近にある二弁の蓮華を用いる時がきたのである。この蓮華が回転し始めると、自分の高い自我をそれより一層高次の精霊達と結びつけることが可能になる。この蓮華から生じる流れは高い位階にまで広がっていくので、その精霊たちの活動が完全に意識化できるようになる。光が物体を見えるようにしてくれるように、この流れが高次の世界の精霊たちを霊視させてくれるのである。(文庫版P183)
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このように、ルドルフ・シュタイナーは、「額の二弁のチャクラを発達させた者は、高次の精霊(神霊)たちと交流を持つことができるようになる」と『いかにして超感覚的世界の認識を獲得できるか』のなかで述べている。
そういうわけで、古代の日本においても、二弁の額の蓮華(チャクラ)を開華させえた者(秘儀参入者)は、「額に二本の角を生やした者」あるいは「おに」と形容されていた時期があったのではないかと考えたのだった。
飛鳥・奈良時代は「日本精神の中国化」が進められた時代だった。特に大化の改新の均田制の導入は司馬遼太郎によれば「古代の社会主義革命」だった。また彼によれば、その時代は一方では、国家によって民衆が黙らされた時代だった。(参考『この国のかたち』)
高松塚古墳には人物像が描かれているが、それは、あきらかに当時の中国人の風俗図であった。では、日本の選良たちが「中国文化にかぶれ」る以前の日本人は、顔をどのように描いていたのだろうか、というのが新たに芽生えた私の関心だった。
そう思ったとき、隔世遺伝のごとき復古趣味、つまり両親(飛鳥・奈良時代)からではなく、その前の世代(おおきみの時代)の祖父母の因子が遺伝されるように、平安時代の化粧法の中にその「日本本来の化粧思想」が隠れているのではないかと、ふと思いついた。
そして同時に30年ほど前、ニフティーサーブでパソコン通信をしていた時代に出会った「ある議論」を思い出した。
それはスサノオノミコトの図像には眉の下に角が描かれている、というものだった。それが以下に掲げた、島根県松江市の八重垣神社に伝わる絵画である。
左がスサノオノミコト、右がイナダヒメの図像と伝わっている。両人ともに本来の眉を消し、額の左右にべったりと墨を塗ったような大きな眉が描きこまれている。「スサノオノミコトの左側の眉はなぜ盛り上がっているのか、これは角ではないのか、角の上から眉墨を大きく塗りこんだ姿ではないのか」という問題提示だった。
今日、考古学的遺産として残されているのは、当時の日本の指導層がどのように隋・唐の政治・文化風俗に感染させられたか(かぶれたか)を示す証拠である。
高松塚古墳の壁画に出てくる人物画は、眉間に文様はないが、眉は「正しい位置」にしっかりと描きこまれており、これらはそのまま当時の中国人の風俗そのものだと言える。また正倉院にある「鳥毛立女屏風」からは、眉をしっかりと描き、眉間の間に文様を描き込むという、当時の中国婦人たちの化粧風俗を読み取ることができる。
今日の日本女性の眉は時代のよって濃くなったり、薄くなったりしてきたが、「ただしい位置」に描いている。だが、そもそも平安時代の貴族たちは、男も女も「本来の眉のある位置」に眉を描かなかった。
当時の中国人たちが「眉のある場所に眉を描いていた」のに対して、日本の貴人たちは本来の眉を消して、額の位置に新たに眉を描き込んでいる。
わざわざそんなことをする理由が「何に由来しているか」、実ははっきりしたことは一般には知られていない。ただ「確かにこの化粧習慣は中国産ではない」と思われる。とすれば、その淵源は飛鳥時代以前の「秘儀の文化」からもたらされたものではないかというのが私の見立てだ。
2.3世紀ころまでの日本人は、まだ肉の体にありながら霊界を垣間見る能力を残していたらしいことは、以前にも書いた。
そのような人々の中に、高次の神霊たちと交流する感覚を持っていることを示す「眉間のチャクラ(蓮華)」の開華者たち、すなわち秘儀参入者たちが存在した。彼ら彼女らは「光り輝く眉間のチャクラ」を有していた。
6・7世紀には、本来の秘儀参入者は日本の朝廷周辺からも消えてしまっていたが、「古代の思い出」はなお残っていた。
古い時代、魏志倭人伝に書かれているように、貴人とは秘儀参入者であるがゆえに拍手を受けて敬われる存在のことだったことも前回書いた。
平安時代に「シナ革命以前の日本の古代への復古(国風文化)」として、当時の貴人たち(貴族たち)が、自分たちの化粧として施した「不思議な眉の描き方」は、「強い霊力の持ち主の象徴として二本の角(二弁のチャクラ)を額に持っていた先祖たちの子孫」であることを表示する、いわば記号だったというのが私の見立てである。
平安時代の日本の貴族たちは<男女ともに>同じような眉の描き方をするようになった。あるいはすでに以前から「日本人の伝統」として、飛鳥・奈良時代には、そのような化粧法(秘儀参入者であった先祖の思い出として、その血を受け継ぐ子孫のあかしとして、額に角持ちの象徴として額の高い位置に眉を描くこと)はあったのかもしれないが、考古学的遺物として発見された中国式肖像画の存在が、そのような「伝統の先在」の事実を覆い隠していたのかもしれない。
飛鳥・奈良時代の人物画として日本に残っているものは、「当時の日本人」を描いたものだったのかさえ、あやしいからだ。それは単に当時の中国人の姿だったのかもしれない。
古代中国文化が流入する以前の古代日本には「神あるいは貴人の肖像を描く」というような文化はなかったのだから。
「古代へ帰れ」あるいは、新しい攘夷、あるいは王権継承というのなら、飛鳥以前の大王(おおきみ)の時代までの文化、「秘儀参入者たちが統治した時代の文化」へのまなざしが復古する必要がある。これは今日の日本人にはまったく知られていないものである。
見たり聞いたり触れたりする行為は「直観」的(直接的)認識である。先祖たちが、近代日本人が失って久しい「ある直観能力」を持って霊界と物質界を「それぞれの感覚器官(直観器官)」を用いて「認知」していた時代があったということを認めることから始めなければならない。しかしそれは唯物論者であることをやめた者にしか始められない。「それぞれの感覚器官」と書いたが、今日、その片方はずっと失われたまま「復活する」のを待っている状態なのだ。
実際には目には見えないが、「すべての自然物に神霊が宿っている」と空想することをアニムズムという、と近代西洋の唯物論の土台の上で思考作業を重ねている人文科学者たちが語ると、「その意味が担っている土台(実際には自然の中に神などいないのだが、という唯物論者の隠れた悪意」を観取できずに、「これは古い日本文化賞賛のための補強理論になる」と思い込んで「日本人は古来アニミズム思想で生きてきた。すばらしい、日本の古代人は最高のエコロジストだった。自然にはどれもこれも神々が宿っているから大切にすべきだ。実際には古代人にも神々なんて見えなかったのだろうが、考え方自体はすばらしい。だから近代日本人はそのような古代人的思考態度を持つべきだ」などという宣教にしきりに感心して、このトピックは近代日本人への「政治上の説教話」に使えると思いなして、実際にそれを言う輩がとても多いことが問題なのだと気が付かない。
YouTubeなどで「日本最高教」を布教する彼ら自身は、まさに「近代の子」であり、日本の遠い先祖たちは「自然界についてこうあれかしと空想」していたのではなく、「実際に神霊を見、交流していた」ということについては夢にも思っていないのだ。
人間が「実際に神霊を見、交流すること」はアニミズムではない。それは「近代の学者が論文用に空想してこさえ上げた架空の思想」ではなく「実体験」なのだから。日本において左翼的エコロジストにしろ、王党派的な政治的に右側を自任している人々も、実際には「近代人特有の感受性と近代に書かれた歴史解釈本で学習した連想感覚」で古代人を眺めているにすぎない。
皆「どのように思考するか」については「唯物論的近代教育の犠牲者」なのだ。近代人的な連想感覚を土台に作成された教科書の内容でテストされ、高得点をとって、権威筋から褒められ続けると「その言語ルール」のなかで他者とのペーパー競争に勝利し続けてきた自分に酔ってしまい、そこから冷めることのできない悟性魂(硬直脳)のままの利口者もいる。
だから「古代の神話を読んでみよう。万葉集を見てみよう。人の心は昔も今も変わらない」などという「近代人特有の言い回し(偏見)」から抜け出せない人々の「解説」など、本来聞くべき真実な内容を持っているはずがないのだ。遠い古代以来、人間は変容し続けてきたし、これからも変容を続けるのだから。人の心(認識力)は昔と今では変わってしまったのだ。
今後人類が「どのように変化」していくのかについての見取り図については、かつて当ブログでも書いた。
シュタイナーの語る「7の5乗の世界」
今後、一人でも多くの人に「この観点」が共有されるようになっていくことが新しい時代感覚の進展の到来時期の早さ、遅さを決めていくことになるという話だ。PR -
それほど昔の話ではないが、いつだったかネットでアニメ「エルフェンリート」のオープニング曲の「Lilium」が西洋圏の教会で讃美歌として歌われているという記事を目にしたことがあった。
百合のことを英語で「Lily」と書くが、「Lilium」はラテン語である。歌詞もラテン語で歌われている。それでその時はその動画を見たあと、アニメ「エルフェンリート」についてウィキペディアの記事に飛んでさっと目を通した記憶がある。
エルフェンリート(妖精の歌)という言葉はドイツ語でelfenliedと書く。原作の漫画を描いた岡本倫氏は、もともとドイツ語圏にあった有名な楽曲から着想を得たらしい。アニメには使われなかったが、原作漫画の方では、そのヴォルフのエルフェンリートが引用されている。とはいえ、このエルフィンリートはアニメ版のオープニングテーマの「Lilium」のように悲壮な感情を呼び起こすタイプの曲ではなくもっと軽快な感じの曲調だ。私は、これまで20年近く「エルフェンリート」というアニメを見たことがなかった。このアニメは2004年に公開された作品だが、日本よりも海外で今なお評価が高い作品だという話だった。
当時は「Lilium(白百合)」という歌と、去年の秋、隣の空き家の庭で初めて目にしたタカサゴユリとはつながっていなかった。
今年の9月6日に、去年同様一輪のタカサゴユリが隣家の庭に咲いているのに気が付いた。去年の関連記事については以下のリンク参照のこと。
10月7日(土)からの三連休は変だったけど、タカサゴユリでほっとする
ふたたびタカサゴユリ
The age of the lily 水瓶座時代はユリの時代
今年見つけた花は、去年に比べて小さい花だったので「どうして小さいんだろう」と不思議に思ったが、ふたたびユリの花を見ることができたことがとてもうれしくて、「よっしゃ写真撮ったろう」と私の家の庭から腕を伸ばして撮ったのが以下の写真だ。
写真をよく見ると(写真をクリック)、「その時咲いていた小さいユリの花」の右隣にすでに花を落とした後のタカサゴユリの茎の様子が写っている。落ちている花の様子から、咲いていたときは、今咲いている花と同じくらいの大きさだったと思われる。「あっそうか、まず右側が先に咲いたのに、オレ、気づかないままだったんだ・・・・・ってことは8月の下旬にはすでに咲いていたってこと?そんな時期に咲くとは予期してなかったもんなあ」
そんなこんながありつつ、最近また「Lilium」をYouTubeで聴いて「やっぱいい曲だなあ」と思ったので、今度は「Lilium」という曲についてネットで調べてみた。
アニメ「エルフェンリート」のオープニングテーマの「Lilium」は悲劇的な人生を歩まざるを得なかった主人公のルーシーを、西洋(キリスト教圏)で「純粋」「無垢」あるいは「聖母マリア」の象徴とされている「白百合」に仮託して日本の作詞作曲家たち(小西香葉&近藤由紀夫)によって讃美歌様式で書かれた作品だった。
この記事に「気づいた(意識的になった)」とき、去年、当ブログに投稿したエドガー・ケイシーが語った水瓶座時代=「ユリの時代」にまつわる論考やら隣家の庭に咲いた三つのユリの花の記事に連想が接続した。
それで「あ、これはアニメを見なくちゃいけないな」と急にそわそわした気分になり始めたので手始めに地元のレンタル店に行ってみたが、なかったので、そんな場合いつもやってるようにネットレンタル店でレンタル可能かどうか調べた。ちゃんとあった。ちょうどツタヤ・ディスカスが一枚55円セールをやっている時期だった。ちなみツタヤ・ディスカスでは第1巻が借りられなかったので、あらためて別途DMMで第1巻を借りたのだった。
アニメ放送当時は、もともと16:9で制作されていたものを4:3にトリミングして放送したそうだ。残虐なシーンには修整が施されていた。DVDはトリミングなしの、もともとの16:9で製品化されており、テレビ放送時の修整は取り除かれてたので、見た目上の残虐度は増している。にもかかわらず、「このアニメは見た人を感動させる」と思った。
ひさびさに心の深いところにジーンと刺さったアニメを見たので、原作の漫画とCDも手に入れたくなった。そういうわけで原作漫画12巻とMOKA☆の合唱版CDを手も手に入れた。
このアニメのために作曲された、「白百合の象徴に関連した主題曲」があまりにも出来がよくて、オープニングのクリムトから引用された映像とともに「これなしではこのアニメのトーン(諧調)を成立させえないほどのインパクト」を視聴者たちに与えてしまうという重大な役割をこの楽曲はになっている。
だから私は、このアニメには図像としても「ユリの象徴」が出てくるはずだと思いながら見ていた。するとやはり何度か出てきた。
そのひとつが、ルーシーが幼いころ養護施設でひどいイジメに合い、その騒動の果てに、能力が暴走し、広間のテーブルの上の花瓶に生けてあったユリの花が血しぶきを浴びて赤く染まる、という、すごく象徴的なシークエンス。
ほかには、頭に銃撃を受け、「赤ちゃん(無垢)返り」になってしまったルーシーが世話になる、コウタのいる屋敷のなかにも、またさりげなく(血に染まっていない)ユリの花が出てくる。(以下参照)実は、原作の漫画には全体を通して「白百合の象徴」は出てこない。「血にまみれた白百合」が出てくるアニメの養護施設の広間シーンは漫画には出てこない。漫画においては、ただ「そこで殺戮があったこと」が示されるのみだ。
このアニメが「悲劇」として絶大な心理的効果を視聴者に与えるのは、劇中で何度も流れる「Lilium」という曲のバリエーションと、ところどころで象徴的に示される「百合の花」が、「ルーシー(楓)の運命の悲劇性」をたえず思い出させるからだろう。
「Lilium」という讃美歌と「百合の花」の図像を象徴的に提示するという「アニメ独自の観点を持ち込んだ」ことで、このアニメは「悲劇を宗教的に昇華させる象徴性」を獲得したんだと思う。
そういうわけで毎回、白百合の象徴を讃美歌にして始まるオープニングテーマを聞きながら話の展開を追っていったキリスト教圏のアニメ視聴者たちは、日本の視聴者たち以上に、より強く宗教的テーマ性を連想し、深く受け止めることができたんだろうと思う。だからこそこのアニメは「日本より西洋圏でこそ評価された」のだと思う。
アニメではルーシー(本名は楓)、ナナ、マリコという三人の角持ちの娘たち(ディクロニウス)が主要人物として登場してくるが、私はその三人の娘と、去年、ブログ投稿時に話題に出した三本のユリの花とを連想で結びつけてしまった。そして去年は三輪の花が咲くはずが、最後の一輪は咲けなかったこと(開花の時期まで時が待ってくれなかった)を思い出していた。
けれど、今年はすでに二つの花が咲いた。そして、そのときからひと月が経過した或る日、なんと三つ目の「白百合」のつぼみが、「彼女たち」の「右側」に出現しているのを発見して、私の心は高揚した。
それからの一週間というもの、私は「雑草駆除業者がやってくるんじゃないか」とびくびくだったが、ありがたいことに、この時期、雑草駆除は行われなかった。
そういうわけで、なんとなんと、その三つ目のタカサゴユリはひと月前に咲いたユリたちよりも大きな花を咲かせて、りっぱに花の一生を終えた。その一部始終を観察して「去年咲けなかったぶん、大きく咲いたんだろうか」などと非論理的なことを考えつつ、去年のようにならずによかったと思ったのだった。 -
最近(9月下旬)にアマゾンのプライムビデオで「烏は主を選ばない」というアニメを見た。
そのアニメのなかに現れた「金色のカラス」のイメージを見て、30年くらい前に「奇妙な体験」をしたことを思い出した。
今から約30年前、つまり93-94年頃といえば、こんにちのような形のインターネットが登場する直前のパソコン通信(ニフティーサーブ)活動時代で、私と言えば、日本神話にまつわる神社&古墳巡り活動記事を投稿していた時代だった。
私の地元である延岡市にはニニギノミコトの陵墓だと伝わる古墳が二つあり、私が不思議な体験をしたのは、そのうちのひとつ、南方(みなみかた)古墳群にあるニニギノミコトの陵墓においてだった。
この陵墓の上には天下(あもり)神社があり、当時、私は、原田常治氏の『古代日本正史』に出てくる、「アメノオシホミミノミコトの墓ではないか」という記述にも触発されて、そこを訪れてみたのだった。
紹介した動画は近年地元のケーブルテレビ会社が制作したものだが、天下神社のさらに西側に九州保健福祉大学ができたことで、私が初めてこの神社を訪れた30年前に比べると道路状況が大変によくなっている。
私が初めて訪れたときは、神社の石段前の道は自家用車が1台通れる程度の砂利道というか田舎道で、神社の前は畑だった記憶がある。
天下神社周辺はものすごい数のカラスが生息していた地域で、天下神社とニニギ陵墓にまつわる不思議な話が伝わっている。以下天下神社の敷地内に掲げられた由緒書きより引用。
---------------------------------------天下(あもり)神社の後方に有り現在大きな石が出ていますが、これは言い伝えによ りますと村の人々が神社建設の際山を切り取った時にこの石が出てきたので石工が神社 の石段として割り出そうとしたところ頭上に多くのカラスが舞い下りて仕事を留めるよ うに鳴き散らし又仕事にたずさわっていた人々が倒れる等した等割ってはならない石で あらうと言うことで作業を取り止め現在に至ったものであります。
この古墳は高さ二米八〇、直径東西二十六米五〇、南北十二米、の大きさで大正十二 年十一月十六日元延岡城主内藤家の協力にて考古学者石塚直太郎博士と村上兄一氏が東 京より招聘され調査の結果ご神体は日子番邇々芸尊(天照大神のご子息)の塚であると 今日まで伝えられています。現在このお方の御神徳は棟木(むなぎ)の神であらせられます直古墳のお告げにより 邇々芸尊であるとして大正十二年から今日までお祭りをされている人に延岡市出北町に 住まれている前田正恵という方がおられます。---------------------------------------私はそのむき出しになっている巨石に右手でそっと触ってみた。ふと横を見ると「この陵墓の土をけっして外に持ち出してはならない」という看板が立っている。
あれこれと見て回って、さてそろそろ帰ろうかと思い、神社の拝殿の前(特に右側)に移動したとき、カアカアと鳴きながら、たくさんのカラスが屋根の上から飛び立った。
その音にびくっとしてバタバタという羽音のするあたりを見上げると、飛び立っていくカラスの後を追うかのように最後に橙色というかオレンジ色をした鳥が飛び立った。それはインコのようなサイズの小さい鳥ではなかった(とはいえ、それがインコだったとして、たとえば全身がモフモフで黄色いカナリアがたまたまその時神社の屋根にいて、カラスと一緒に飛び立ったなんて「事象」がありえるのだろうか?)。私は「幻影」を見たのだろうか?
その時は、羽を広げた全身が、橙色をしていたので、強烈な印象を受け、「なんだ、いまの鳥は?」と不思議に思ったのだった(帰宅してもずーっと「あれは、何だったんだ、あれは何だったんだ」と思い返してばかりいた)。カラスとトンビは仲が悪いのに一緒に目撃されることが多いので、トンビのおなかを下から見たのだろうかとも思ったが、どう調べても、トンビのおなかと翼の下側は「一面橙色」とは言えない。(以下はその時の体験のイメージ図)
日本神話に出てくる「金鵄」(きんし)という鳥だろうかと当時は、あれこれと考えを巡らせてみたが、ついにこんにちまで結論が出ず、自分のなかの「怪異な体験カテゴリー」に保存し続けてきたのだった。
そういうわけで、最近「烏は主を選ばない」というアニメを見て「おお、これは!!!」とびっくりしたので、ひさびさに天下神社を訪れたのだった。
最後に天下神社を訪れたのは2001年の11月なので、それから数えると23年ぶりの訪問(3回目)ということになる。この時の訪問については私の別のホームページ内の記事として公開している。この記事に出てくる天下神社は一代前の建物で、私が「橙色の鳥が羽ばたく」のを拝殿前で下から見上げた30年前も、この記事に挙げている写真の神社だった。YouTube動画「カミタビ」に登場する神社は2014年に建て替えられたものだ。
ちなみに以前、当ブログで紹介した国土交通省九州地方整備局が挙げている河川の監視カメラ映像で、天下神社がある小山の一部が確認できる。「五ヶ瀬」というテロップの下の小山が天下神社である。
下の写真、黄色い矢印から見た図が上の河川映像になる。(写真をクリック)
「南方古墳群」と出ている個所が天下神社だ。
ちなみに今回の訪問ではカラスの存在をほとんど感じなかった。
「あー、なんかカラスがいねーなー、昔と変わったなあ」と思ったら、「カア」と一声カラスの鳴く声が聞こえた。
それで「あっ、まだカラスはいるんだな、姿は見えんけど」と思って、帰路についた。
P.S.「烏は主を選ばない」にも登場し、YouTubeでは、格好の都市伝説ネタにされてる八咫烏だが、私個人はシュタイナーの神話論と秘儀参入についての記述から、「本来の八咫烏」とは、やはり「大化の改新以前(オオキミがいた時代)の古代日本の秘儀の保全者の一団、その末席に属す者として、「俗世間と秘儀の秘密の管理者たちとの間を仲介する役割」を担った者たちであったろうと思う(特に「秘儀参入者用語」としてのカラスについては「秘儀の七段階」、「シュタイナーの瞑想法 秘教講義3」参照)。
YouTubeなどの都市伝説系では(スピ系でも)「古代人の秘儀参入」というテーマ自体をまったく扱わない。フリーメーソンにしろイルミナティにしろ、「政治的秘密結社」として扱われており、本来それらは「霊界参入(回帰)」のために創設されたことを「理解し、広めよう」ともしない(とはいえすでに彼らは「伝統的儀礼と象徴図像の保存団体」に過ぎず、「本来の目的」を達成する霊力は失っている。代わりに「組織の力」を使って「物質界」をコントロールすることに粘着することしか「できない」)。神武東征の物語は第五段階までの秘儀参入の修行過程を描いたものであり(第五段階が3日半の死の儀式であり、即位の儀式がこれに当たる)、イワレヒコノミコトが物語の中で出会う「からす」(第一段階)や「隠者」(第二段階)や「戦士」(第三段階)は、彼が「その段階」を通過したことを示すしるしとして描かれている。
とはいえ、日本神話に描かれているような古代の秘儀はもはや行われていない。7世紀以降、完全に廃れて、外国(シナ大陸)の統治思想に基づいた革命政権が誕生し、大嘗祭においても古代中国の思想を取り入れた「命を危険にさらさない儀礼」として、「新たな神社文化」の発展とともにこんにち見られるような「伝統」となった。
魏志倭人伝には「倭人たちは貴人に行き合うと手をたたいて挨拶をする」という趣旨の記述が出てくる。すでに「時代」は下り坂になり、その能力を失いつつあったとはいえ、まだ2、3世紀の古代人たちの霊的感受力はこんにちの日本人とは全く別のものだった。当時は「普通の人」でも今日でいうオーラのようなものを看取するくらいの能力はあったのだ。
幾たびかの変容を遂げたとはいえ、こんにち伝わっている神社文化の淵源は、そのような「秘儀参入者を敬う文化」にあった。「彼ら」(当時の倭人たち)は尋常ならざるオーラを背負って歩いてくる一群の人々と自分たちを「区別」することができたのだ。そしてそのような人に行き会うと、「手をたたいて敬意を表し挨拶をした」のだ。
そしてさらに時代が下り、だんだんと彼ら一般民衆からも「感受力」が失われていくにつれ、「手をたたいて貴人に挨拶する風習」は廃れてしまった。もはや出会った人が「何者なのか」看取できない時代が到来したからだった。そして「生きた人間」に対しては行われなくなった「拍手の風習」は、かつては生前においても、そのような挨拶の仕方によって敬われていた秘儀参入者たちが祀られるようになった「神社という特別な場所」でのみ「継続」されるようになった。「魏志倭人伝」の時代に、民衆から手をたたいて挨拶されていた人びとが、こんにち神社の祭神として敬われている。
「死の技術」(スウェデンボルグ用語)を持った人々、つまり「高次の霊界」へ到達でき、その住人(神霊)たちと交流する異能を持った人々が、民衆に「認識され、敬われ」ていた時代があったのだ。そういうわけで、私自身は、こんにち、「その由来」を知らずに、「縄文へ帰れ」だとか「神道が世界を救う」だとか「神社文化再興だ」とかいって騒ぐ人々の「政治活動」あるいは「口八丁の営業活動」を「まったくの近代人的振る舞いそのものだ」と少々悲しみを感じつつ傍観している。 -
YouTubeにアクセスしたら、幼虫社というユニットの「廃園」というアルバムがたくさんのサムネイル画像のなかに紛れ込んでいたので、そのアルバムジャケットの絵に惹かれて(藤原カムイ氏の絵らしい)、再生してみた。
おお、いいじゃん、これ。興味がわいたので、ほかに動画があるか調べた。
以下はカセットのみで出されたというアルバム「幼虫期」中の一曲「再醒」。文語で歌われる歌は、実は近代日本語より霊力が強いのではないかとふと思わされるような名曲。あなたも私同様「祝詞の奏上」を聴いているような感覚になるはず。
「再醒」の歌詞はこちら
(ただし冒頭部分のみ。ニコニ動画に歌詞を載せている動画があった。後半部の内容から、古事記に登場する大気津姫神の逸話を扱っているらしいことが分かる。でも「眞夜の娘」とは何だろうとさらに調べていくとマヨの祭儀というニューギニアの土俗儀礼がかつてあったらしいことまで掘り当てた。つまり日本以外の食物起源神話もまた歌詞の中に含まれているらしいのだった。)
それで改めてネット検索をかけて、彼らのことを調べてみたが、2000年代初頭前後から京都発で数年活動してたらしいこと以外、はかばかしい情報が得られなかった。
シンセを駆使して楽曲を制作していたのは井蛹机(いさなぎ・つくえ)という人物でボーカルはヂヂこと古庭千尋という女性が担当していた。
今日、この二人の消息についてはよく分からない。
しかし、ネットであれこれ調べていくうち、当時、幼虫社とごく近い立ち位置で活動を共にしていたもうひとつの音楽ユニットがいたことに気が付いた。
それが猫祭り姫だった。猫祭り姫とは燈(ともり)氏のひとりユニットだという。私がYouTubeで最初に聴いた彼女のアルバムが「めぐる」だった。
その中でも、特に「水鶏姫(くいなひめ)」と「狂姫(くるひめ)」という曲を聴いて「これはただならぬ事態だ」と関心が沸いたので、そういう場合当然歌詞にも関心が沸くので、ネットのどこかに「歌詞」が載っていないかなと探したのだった。
「水鶏姫」の歌詞はこちら
「狂姫」の歌詞はこちら
そうしたら猫祭り姫が今日においても稼働させているHP内に掲げている歌詞ページにたどり着くことができた。そこには「水鶏姫」の歌詞も載っていたが、改めて中身を読んでみると、「姫」と言っても、水鶏姫が背負っているイメージが恐ろしいものであったことが分かり、「こんな歌のイメージを思いつく女性歌手ってあまり知らんなあ」とその時は思ったのだった。
猫祭り姫は小説や童話・メルヘンから歌の着想を得ている人だった。童話から着想を得て「猫の森には帰れない」という傑作を世に出した谷山浩子のことが思い出されたが、猫祭り姫は「楽しい猫フェスティバルへようこそ姫」ではなく、むしろ「猫(根子)祀りし姫巫女」と書いた方がふさわしいと思うような「怖い歌」をたくさん奏上している人だった。
彼女は猫祭りの宵というホームページを今日も維持しているが、実はかつてはTOPページから歌詞ページへ至れるようになっていたはずのリンクがなくなっている。私が見つけた歌詞ページは検索の結果、発見したページ群だった。
amazon musicには以下の3枚のアルバムが登録されていた。
「HAKOIRI」と「第N無人居住区」のリリース表記を見れば分かる通り、2000年の最初の方に出ている。けれど「めぐる」は2022年に再編集版としてリリースしたようだった。
「水鶏姫」も「狂姫」も猫祭り姫の、年月を重ねたHPに掲示されている楽曲なので、やはり2000年代に作られた作品なのだった。
だから彼女はこの20年近く、新しい楽曲の制作(あるいは発表)自体はやめていたのかもしれない。けれども彼女は近年、かつて作った楽曲をもう一度YouTubeで公開している。
彼女は多彩な人でダンボールを使ってミニチュアの街を作り、またPIXIVでそれを絵にしたものをたくさん公開している。それに漫画も描いている。
彼女のHPにある「HAKOIRI」のページを見ると、有難いことに歌詞と、作詞者、作曲者、編曲者、そして歌の担当者の名前が載っている。
猫祭り姫のアルバムを聴いて驚かされるのは、楽曲が「七色の声」で成り立っていることだった。今日で言うと、女性の声優さんたちが、子どものキャラになった声で、歌を歌っているような「声色の多彩さ」だった。
私は「すべてのアルバム楽曲において同じ女性が発声法を変えながら歌っているのだろうか、すごいなあ、ここまで徹底して声色を変えて、つまり声優的なアプローチで歌うシンガーソングライターっていただろうか?」とはじめ驚嘆しながら聴いていたのだが(かつて当ブログで大プッシュ記事を書いたchouchouのボーカルスタイルのことを「声優的」と書いたことがあったけど、猫祭り姫に比べたらら、振れ幅はずっと狭い)、「HAKOIRI」のページに出てくるパーソネルをみると、「本人の歌唱じゃない曲も含まれている? じゃあ、ほかのアルバムでは、どの曲が猫祭り姫本人の歌唱なんだろう」と四つ辻で迷子になった少年みたいになってしまった(泣きべそかきそう)。
おそらく「水鶏姫」も「狂姫」も本人の声だろうけど、3枚のアルバムすべてについて明確に判断できないのが、心残りなのだった。
「狂姫」の声を聴いて、「声のいい人だなあ」と思ったものだった。声優で言うと、ガッチャマンの「白鳥のジュン」とかドクタースランプの「木緑あかね」の役の時の杉山佳寿子声を連想した。
近ごろはHPに公開されているアルバム未収録の一連の曲も含めてアルバム4作品としてヘビーローテンションで聴いている毎日なのだった。
そうそうYouTubeにはTomori名義でアルバム「第N無人居住区」(幼虫社&猫祭り姫コラボアルバム)所収の「かげろうがい」の動画が上がっている。幻想文学、メルヘンの世界を堪能できる仕上がりになっている。
P.S.
ちなみに、「HP猫祭りの宵」の歌詞ページに出てくるストリーム再生やダウンロードボタンはWindows11環境下の現在、2000年代当時に想定されていた形では機能してくれない。とはいえダウンロードは手順に手を加えれば可能である。2000年代当時ネット上にたくさんあったmusieのようなアマチュア・インディーズ楽曲集約サイトは今日みな消滅してしまった(当ブログではかつてヤマハ系サイトやnext musicサイトについて言及したことがあった)。ダウンロード版のデータの拡張子は「.rm」なので再生ソフトを選ぶと思うが、mp3変換などの対処法はご自分で探求されてください。 -
ルドルフ・シュタイナーの『歴史徴候学』を読んでいたら、以下のような「速読モード」で読んでいたら、あるいは「?感覚」をすり抜けてしまうような一節があった。
---------------------------------------------------------------------すぐに共感、反感で相手に対することは、人類の未来の発展にとって最高に反社会的なことなのです。(『歴史徴候学』P113)---------------------------------------------------------------------
今日、人の振る舞い方として問題とされているのは、SNSにおける誹謗中傷問題だが、シュタイナーによれば「脊髄反射的共感表明」もまた「反社会的振る舞い」なのだという指摘である。
人の内面において「共感系」(賞賛、崇拝)に極度に偏ることをルシファー的、「反感系」(憎悪)に極度に偏ることをアーリマン系というふうにシュタイナー用語で言い換えると、今の人類は、シュタイナーが生きていた時代よりも「もっと危機的」に感情のジェットコースターゲームを「やらされている」のではないか、と思う。
昨今話題になるようになった「血糖値スパイク」現象のごときものに「自ら飛び込んで」、いわば魂の血管をズタズタに傷つけているがごときの様相だ。
なぜネット系の企業はわざわざ「サービス利用者たち」にトップに掲げた絵のような「振る舞い」をあえてさせているのか。
今日の「反社勢力」は、たとえば暴力団と言われるような旧来の反社団体、脅しや暴力によって庶民をコントロールするのではなく、「一見自発性の発露」であるかのような体裁をとって、庶民に影響力を行使し、「別の成果」を上げようとしているのだろうが、人類は「この便利さ・快適さ」を放擲できない。
They know how to con people
そういえば、シュタイナーは発明に関してこんなことも言っていた。
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40歳以下の人が発明した物は、人類の進化を遅らせ、特に道徳的進化を妨害する。40歳以上になっての発明品は道徳的な内容を含む。(「シュタイナー用語辞典」P227 全集192)
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今日の地球の物質文明(コンピューターを使った情報拡散技術)は「40歳以下の若い人」の発明に負っているのだなあと思ったりする。
勝海舟の『氷川清話』などを読むと、「切りに行って弟子になる」、とか、「刺すつもりででかけていって、相手に圧倒されてすごすごと帰宅する」なんてエピソードが出てくる。
高速移動できる乗り物も通信手段もない時代には「時間をかけて移動し実際に会って話をする」というのが「相手の人となりを知り理解する」ための「現実的」な方法だった。たとえ手紙のやりとりがあったとしても「それだけでは弱い」と思っていた人々がたくさんいた。だからこそ「実際に対面する」ことを重要視したのだった。
それゆえに、彼らの時代に生きていた人びとの方が「観察眼」というか「人を見抜く眼力」は今日の人々よりも本能的に上なのではないかとも思ったりする。
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坂本龍馬が、かつておれに、「先生はしばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者もいって会ってくるにより添え書きをくれ」といったから、さっそく書いてやったが、その後、坂本が薩摩から帰ってきていうには、「なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少しくたたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く。もしばかなら大きなばかで、利口なら大きな利口だろう」といったが、坂本もなかなか鑑識のあるやつだよ。(勝海舟「氷川清話」)-----------------------------------------------------------------
伯楽力は、かつての日本人にも備わっていたと思うのだが、「国民を率いていこうとする人々からその力が急速に奪われていった」のが、日本の近代化(精神の官僚(コンピュータ)化ー養老孟司)の別の側面だったのかもしれない。
かつては、ピンポンダッシュ遊びは昭和時代の小学生の遊びだった。けれども、今日では初めから悪意を持ってサムズダウンのボタンを押すことに「精神の解放」を感じる輩(大人)も増えているようだ。
ヤフーニュースで訃報記事が出ると、多くの人がその記事を見て「数字を可視化する作業」に協力する。「お悔やみ申し上げます」という、これといって特に読み手に反感を抱かせそうにない投稿にも何十個もの「下げボタン数字」の表示がつく。
初めから何にでも「下げボタン」を押そうと待機している「得体のしれない人々」がいるということだ。
40歳以下の人々によって米国から生み出された「発明」は、人々を益しているのか、と改めてその功罪についてしばし考えてみた。