"アニメ"カテゴリーの記事一覧
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「マクロスF」についてはネット上でいくつか記事を読んだことはあったのだが、最近まで作品そのものを見たことがなかった。レンタル店に行く機会があるときは、「次回こそ借りて帰ろう」と思うのだが、そのたんびに違う作品を借りて帰っていた。
で、やっと今回「マクロスF」を見たのだった。(とはいえ、シリーズ第1作目の「超時空要塞マクロス」は見ていない。)
それで実際に視聴して一番残念に思ったのは、12話で初めて登場するランカ・リー(中島愛)の歌う「星間飛行」を、以前すでにオレはYou Tubeで聴いてしまっていたということだった。この名曲をまったく知らず、12話の「あの場面」でいきなり聴かされたら、この12話は、オレにとっては相当にショッキングなエピソードになっていたのになあ、と思うからだった。
ランカ・リー(中島愛) 星間飛行
実を言うと、初めて「星間飛行」を聴いたとき、「あれ、これってマイ・リトル・ラバーの曲?」って思ったのだった。作詞は松本隆。うん、曲調とつき合わせて考えるとこれは分かる。だが、作曲は菅野よう子じゃないか。このメロディは菅野よう子の生来の呼吸感覚から作られた曲じゃないよね。まさしく「これぞみごとな職人仕事」って言いたいくらいの、クライアントの要求を上回る上出来の曲だったと思う。それに、おっさん世代をにやっとさせるディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」をアレンジにしのばせる遊び心もいい。
初めて「星間飛行」を聴いたとき、オレは歌詞の切れ方やそれにあわせたメロディラインの切り方(呼吸感覚のようなもの)、そして歌声と歌い方にマイ・リトル・ラバーのやってきた音楽と同質のものを感じたのだった。もちろん菅野よう子がマイ・リトル・ラバーの既出の曲をパクったわけではない。マイ・リトル・ラバーの発表した曲に「星間飛行」と似た曲はないのだから。にもかかわらず、オレは「あ、マイ・リトル・ラバーだ」って感じたのだった。そして「星間旅行」のマイ・リトル・ラバー・バージョンがあったら、聴いてみたいのになあと思ったのだった(ドンピシャハマちゃうと思うぜ)。
マイ・リトル・ラバーが「evergreen」を発表したのが95年。そのころに生まれたマイ・リトル・ラバーを知らない子供たちが、中学生くらいになったとき、「マクロスF」を見て、「星間飛行」に感動したのだ。
で、おっさんのオレはマクロスFを見て、「ああまたマイ・リトル・ラバーが聴きたくなったなー」と思うわけだった。「星間飛行」のような感じの曲が好きなリスナーだったら、きっとマイ・リトル・ラバーも気にいると思うな。
というわけで、中島愛の「星間飛行」好きのアナタが、もしまだテーンエイジャーで、「マイ・リトル・ラバーは知らない」とおっしゃるなら、一度You Tubeなんぞで試聴してみるといいと思うぜ。
p.s.1 スターダストレビューに「夜間飛行」という名曲があったな。オレ実は彼らの「Thank you」というアルバムが好きで、「夜間飛行」とならんで「スーパーソニック」も好きだった。でもこれらは根本さんの歌じゃないんだよね。三谷さんつう人の曲で。若いころ「夜間飛行」と「スーパーソニック」が聴きたいがために、わざわざ夜、青島、日南海岸方面へ----昔宮崎市に住んでいたもんでね----ドライブしたもんだ。この2曲はオレにとって「夜に聴く曲」だった。
p.s.2 オレが、My Little Loverで一番好きな曲は「Yes」。これも昔車んなかで、ヘッドバンギングしながら聴いたもんだ。「メタルでもないのにそれっておかしくね?」って言うのか、アンタ。いいんだよ、それで。
p.s.3 っていうか誰かMy Little Loverの曲使ってマクロスFのMAD作ってくんないかな。PR -
「テガミバチ」(ってオレはGYAOで見てるけど)、なんかとても不思議な雰囲気のあるアニメだ。
ハチの象徴、生き別れた母を見つけたいと思っている「泣き虫な少年」(もちろん親友ゴーシュの発見の旅というテーマもある)と言ったら、タツノコプロのあの作品を誰もが思い浮かべる。そして映画「ポストマン」的な手紙をめぐる、人々の感激シーン。主人公ラグ・シーイング(沢城みゆき)のゲゲゲの鬼太郎的髪型と銀魂の銀さんのような髪の色をした一群の種族。いろんなアニメでよく見かけるようになった「記号化されたツンデレ少女デザイン」。それに「ツンデレの女王」の声を彷彿とさせる声の演技(藤村歩)などなど。およそ「引用」というテーマで挙げていけば、きりがないほどにいろんな要素が呼び集められて出来たアニメだ。だがこれは、どれもみな意図的に分かってやっているのだと思われる。
この作品は、いろんな他作品への連想が思い浮かぶ作品だけど、オレの言うところの「パロディ・コメディ」とはちょっと違う。たとえばアナタが虫の名前が酒の銘柄から取られていることに気がついたとしても、あなたは少しも笑えないはずである。このアニメは、コメディの要素はあってもパロディ劇を作劇の要素にはしていないからである。ポイントは毎回「泣きの要素」を入れること。(泣いてる人をそばで見るだけで「もらい泣き」する人がいるよな。そういう「もらい泣き効果」も入ってるアニメなのだった。)
だが今回のオレの関心は前回までのエントリーのような「引用元探し」ではないのだった。
「テガミバチにはオレの大好きなキャラが登場する」
ということを、ただ言いたいがために、このエントリーを思いついたのだった。
オレの一押しキャラ、それは、ツンデレ・ディンゴのニッチの頭の上に乗っている愛嬌のある小動物ステーキなのだった。特に第5話でニッチがステーキを焼いて食おうとするシーンの面白さは「ショッキング」だった。
以下、ニッチが「がんばっておいしく焼けるか?」とたずねると、涙ぐみながら独特の声(永澤菜教)でうなずくステーキ。
さらにぶっとぶすばらしいシーンが、以下の、フライパンの上で焼けていく陶酔感に酔いしれるがごときステーキの身もだえシーン。
オレは第5話の、この「すばらしいシークエンス」にぶっとんで以来、アニメ「テガミバチ」を「真剣」に見るようになったのだった。
オレ以外にも、ステーキ・ファンっているのだろうか? -
昔「エルゴプラクシー」のピノについて書いた。当時オレはこの作品の第14話「貴方に似た誰か」に、ある有名な絵画が引用されているという記事に行き当たったことがあったのだが、そのときは特に「引用元」を探すこともせず、「この情報」についてもブログで採り上げることなく、エルゴプラクシーにおいて描かれた、そのシーンのみを心に留めて今日まで来たのだった。で、その問題のシーンが以下である。
これは実はジョン・エヴァレット・ミレーの描いた「オフィーリア」からの引用だったのだ。実際「エルゴプラクシー」の第14話の副題は「ophelia」となっているで、絵画に詳しい人がみたら、すぐにわかる仕掛けのほどこされたエピソードだった。
本家の絵画は以下。
では、なぜ今になって語る気になったのかと言えば、もちろん前回のテーマだった「マリア様がみてる」を見て、この作品にも同じモチーフが引用されていることに気がついたからだ。オレが同じモチーフではないかと思ったのは、「マリア様がみてる」2期のOPの以下の画像である。
オレは、このシーンを見たとき、「これはエルゴプラクシーの水につかるリルと似た構図じゃないか!」と思ったのだ。それでやっと「本家の絵画」を今回探す気になったのだ。
そういうわけで今回は「ひょんなことから『オフィーリア』という絵画にたどり着くことができた」という「マリア様がみてる」シリーズ鑑賞後における後日談の報告記事である。
これでまたひとつモヤモヤが解決したのだった。 -
以前「ハイジ効果を持つ女」という題で文章を書いた。今回はその第3弾である。
実はオレには、以前のエントリーから時間が経過しても、その文章関連で何か補足すべきことなどを思いつくと、新しいページを作らずに、P.S.という形でその過去の記事に追加記事を書くクセがある。こんなことをするのは、オレがこのblogに書き込んでいる情報は、一方では自分にとっての備忘録でもあるので、「追加情報を別ページで分散させたくない」という思いもあって、そうしているのだった。
最近ではそのP.S.記事も「恋姫無双」の張飛のキューサイ青汁パロディから、なぜか「マリア様がみてる」にまで連想が飛び、ついに「マリア様がみてる」のアバンタイトルの絵がボッティチェリの「春」からの引用であったという「うれしい発見」をするところまできた。ということで、オレは急にまたあの名作「マリア様がみてる」シリーズを無性に見たくなり、なんと1期から4期まで見直してしまったのだった。
すると、ああ、ヒロインの福沢祐巳も「ハイジ効果」を持つ少女だったんだなと改めて気づかされた。
天然の明るい気質を持つ少女が、彼女自身の意図とはかかわりなく、まわりを巻き込んで、人々の心を変化させていく。彼女は自分自身では気づかない見えない光を放っているのだった。周囲の人々は「その光」を浴びて「健康」になっていく。そういう効果を持つ少女、あるいは女がいるのだ。
そういう観点で眺めなおしてみると、「カレイドスター」のヒロイン苗木野そらもそのようなタイプの「ハイジ効果」を持つ少女として描かれているじゃないかと気がついた。しかもだ、苗木野そらにも「あこがれのお姉さま」がいる。
昔のことだが、GYAOの視聴者レビュー欄を色々とつらつら雑に眺めていたとき、「マリア様がみてる」のレビューページでもないのに----そもそもGYAOで「マリア様がみてる」はやったことないハズ----、「ロサ・キネンシスうんぬん」という書き込みをしていた人がいて、それが今まで忘れられずに妙に気になっていたのだが、最近までそれがどのアニメ作品に対してだったのかはっきりしていなかったのだった。だか突然気がついたのだ、「ああ、そうか、あの記事はきっと『カレイドスター』内にあったものに違いない」と。
だから「カレイドスター」のレビューで「マリア様がみてる」を引用した人は、この二つの作品の共通性にすでに気がついていたのだ。
2期から釘宮理恵が松平瞳子役で登場してくるが、オレは最初「性格のわりー女だなー」と思いながら見ていた。だが3期の体育祭のダンスシーンで、男役側に回って福沢祐巳と手をつないでフォークダンスしている松平瞳子が福沢祐巳に「ほんとは祥子様と踊りたかったんでしょう?」というような趣旨のことを聞かれたとき、奇妙な表情を浮かべながら「え、まあ、そうです」と答えたシーンを見て、オレははっとしたのだった。「ああ、そうなのか」と・・・・・。
ここは4期へとつながる「ある重要な秘密」を視聴者に伝える伏線シークエンスだったのだ。それからは松平瞳子のことがものすごく気になる存在になってしまった。
「マリア様がみてる」3期 第4巻 体育祭での松平瞳子
このアニメは俗にいう「百合もの」だが----だからこそ同じ百合もの(姉妹愛もの)カテゴリーの「恋姫無双」の張飛が「マリア様がみてる」を引用するのは少しも不思議ではない----、そういう前提とはかかわりなく、見るものを熱中させてしまう魅力がある。
「男の子VS女の子」という通常のパタンではなく、こういうツンデレもありなのかと、松平瞳子を見て、しきりに感心していたオレだった。
まだ「マリア様がみてる」シリーズを見たことのない人には、ぜひ1期~4期連続視聴の機会を一度は持つことをお勧めする。
「そうなんだ、人の心ってこれほどまでに繊細に揺れ動くものだったんだ」と「そう、オレにもそんな10代のころがあったよな」などと、ジャリジャリと電気カミソリでひげをそる音をたてながら、鏡に映った自分のツラをつくづくと眺め、「くーっ、うつくしくねえツラだなー。こんなオッサンづら、泡にくるんでポイしちゃいたい」などと昔のCMのセリフのようなことをつぶやくオレだった。
最後がオッサン的になっちゃうところが、やっぱオレがおっさんなんだってことだな。シカタネーヨ。
P.S.1 「マリア様のこころ」という歌は原作者が作品のために作った歌詞にアニメ制作側がメロディをつけたものではなく、れっきとした聖歌だったんだね。3期の第1巻で福沢祐巳役の植田佳奈が歌うそのフルバージョンが聞ける。いいな、これ。
「マリア様のこころ」を歌い終わった福沢祐巳
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今gyaoで「あんみつ姫」をやってるけど、つい最近まで、こんな楽しいパロディ・コメディ・アニメ----略して「パロコメ・アニメ」が80年代に放送されていたなんて、知らなかった。
最近のアニメでもパロディ・シーンでは、モトネタをを暗示させるバックミュージックをわざわざ作曲して流しているけど、「あんみつ姫」でもすでにそれをやっていたネ。
時代劇(幕末)なのに、近代的道具もちらほら登場するし、テレビなんかもあって、そのデザインが、あの銀魂の銀さんの事務所にあるのと同系統のデザインなのに気がついて、にんまりしてしまった。
あんみつ姫のためにからくり人形を作った源内じいさんがいるように、銀魂にもからくりを得意とする源外じいさんがいるじゃないか。どちらも「江戸時代+近代技術で出来た世界」・・・・・つまりあんみつ姫の世界と銀魂の世界は似ているってことだ。案外銀魂の作者の空知さんは、このアニメ版のあんみつ姫に影響を受けているのかもしれないな----もしそうだったら、うれしいじゃないですか----、と思うオレだった。
あんみつ姫ED
それにあんみつ姫ったら、とってもキュート。EDのこのダンスシーンがオレのお気に入り。
ウィキペディアを参照したら、このアニメは86年モノなんだね。
第7話では、「~アル」を連発するラーメン屋の偽カンフー親子が出てくるけど、「~アル」という、「中国人がしゃべる日本語語法」を最初に日本のエンターテインメント世界に導入したのは、いったい誰なんだろうか? おそらく戦前にはすでに日本人の間で「こういうしゃべり方をする人物は中国人である」という共通認識ができていたんじゃないかと思われる。
現代の「パロコメ・アニメ」たる銀魂の神楽の「~アル」という言い回しは、実は古くからある日本人の中国人表現方法(ステロタイプ)を踏まえたものなんだということが、わからなくなっている若い銀魂ファンたちもいるみたいだから、「神楽のしゃべくり方は空知さんの発明じゃないんだよ」ということは若い人にも知っておいてほしいことだよな。(そういえば、オレが子供のころ、布で作ったヘビを道具にして客を笑わせる偽中国人の芸人さんがいたよな。)
11月で49歳になったオレだけど、実はアニメは高校生の時期に見なくなった。大学時代は4年生のとき、やっとテレビを買ったくらいなので、実は80年代のアニメはほとんど見たことがない。だから宇宙戦艦ヤマトはテレビ放映時に全話しっかり見たが(中2のとき)、初代ガンダム----オレが19歳か20歳くらいのころか----もエヴァンゲリオンもオレには空白時代なのだった。
オレがアニメを見るようになったのは、一般メディアがアニメを持ち上げるようになった時期(90年代)と一致する。オレの場合、押井守監督の「攻殻機動隊」がレンタル店に並ぶようになってからしばらく経ったあたりからだと思う。なので90年代後半に入ってからアニメも----と言ってもおもに劇場版アニメだが----レンタル店で借りて見るようになった。オレの場合、宮崎駿監督から入っていったんじゃなかったんだよね。でもテレビ放送のアニメはいまでもそうだけど高校生以来ずっと基本的には見ていない。(ってか見れないよ、仕事とかあるし。電波ちゃんと映らないし。でも、まいんはワンセグで時々)。もっぱらネット視聴とレンタルDVDね。
あんみつ姫の実写ものもまったく見たことがない。ウィキペディアにはたくさんの「歴史的作品」があげてあったけど、そのどれひとつとしてみたことがなかったんだから、今となっては実に惜しいことだよな。
ということで、アニメ「あんみつ姫」、まだ見たことがないなら、銀魂ファンのあなたにもおすすめっすよ。
p.s.1 柿の種介(千葉繁)の口癖「屁が出そ~」ってなんてストレートなセリフだ(でも毎回笑っちゃう)。ってなわけで、柿の種介----いやあほんと大発見のお宝キャラだぞ、彼は----の様々なセリフまわしを味わうのもオレの「あんみつ姫鑑賞」の楽しみのひとつになっちゃった。
p.s.2 第23話では、あんみつ姫がふたたびチャイナ服に身をつつみ、なんとおんみずから「アル語」をしゃべるぞ。神楽ファンはチェックしとくべし。
p.s.3 「おんみつ☆姫」っていうアニメがアニクリ15で放送されていたなんて知らなかったぜ。まさに「おんみつ☆姫」は「あんみつ姫」と「銀魂」の間に入って、その両方のエッセンスを両側から吸い込んだ作品って感じだね(ほかの作品の要素=引用も感じるが、これはいまひとつ確信がもてないのだった)。
p.s.4 柿の種介の「オレが昔~だったころゼリフ」はもちろん 松鶴家千とせの「引用」なのだった。松鶴家千とせのこのナンセンスな言葉遊びは当時の日本で大受けしたのだった。ナンセンスな言葉の組み合わせの行間からにじみ出てくるおかしみを理解できる日本人の言語感覚(というか詩的感覚。俳句にもある感覚)。「ナイスの森」のような映画が日本で撮られたのは、日本語がその言語の使い手たちにもたらす、そのような微妙な感覚作用のためでもあろうか?
p.s.5 OPのシーンで大好きなのが、あんみつ姫が少し姿勢を下げ、それからからだをくねらせながら、姿勢を伸ばしていく以下のシーン。
p.s.6 EDの最後の方であんみつ姫が眠り込むシーンを見ると、「ハヤテのごとく!&!!」のEDで三千院ナギが眠り込むシーンを思い出す。
p.s.7 gyaoでは第29話は権利関係で公開されなかった。具体的な理由が知りたいよね。調べたら有料配信動画サイトでは、あんみつ姫はまだコンテツ化さえされていなかった。レンタルDVD化もされていないみたい。だからこの名作がレンタルDVD化されて、ネットレンタル店でも地方のレンタル店でも簡単に借りられる日が早く来ることを望む。
p.s.8 2010/01/16(土)の更新でgyaoにおける「あんみつ姫」配信は51話目の最終回を迎えたが、50話目の「どうせ次回で最終回だからこの際いてまえ的演出」が出色の出来だった。実在の商品名を連呼しながら行われるお線香戦争とか、やっぱアニメの「あんみつ姫」は銀魂に通じるテイストを持ってるな。甘辛藩の財政赤字を競艇ギャンブルで解決するなどという落ちも、とても小さな子供むけアニメだったとは思えない展開ぶり。でもこれって小学校の低学年とか幼稚園児とか小さな子供たち向けの雑誌に載ってた漫画のアニメ版でしょう。なのにこの、ハチャメチャな展開ぶり。スバラシスギル。それに最終話の51話における「キャラたちのその後」の「落ちぶれぶり」も「この手のエンディングの定石をぶちこわして」おり、皮肉テイストたっぷりのケリのつけかただった。やっぱアニメ「あんみつ姫」って隠れた大名作だよ、ホント。