それほど昔の話ではないが、いつだったかネットでアニメ「エルフェンリート」のオープニング曲の「Lilium」が西洋圏の教会で讃美歌として歌われているという記事を目にしたことがあった。
百合のことを英語で「Lily」と書くが、「Lilium」はラテン語である。歌詞もラテン語で歌われている。
百合のことを英語で「Lily」と書くが、「Lilium」はラテン語である。歌詞もラテン語で歌われている。
それでその時はその動画を見たあと、アニメ「エルフェンリート」についてウィキペディアの記事に飛んでさっと目を通した記憶がある。
エルフェンリート(妖精の歌)という言葉はドイツ語でelfenliedと書く。原作の漫画を描いた岡本倫氏は、もともとドイツ語圏にあった有名な楽曲から着想を得たらしい。アニメには使われなかったが、原作漫画の方では、そのヴォルフのエルフェンリートが引用されている。とはいえ、このエルフィンリートはアニメ版のオープニングテーマの「Lilium」のように悲壮な感情を呼び起こすタイプの曲ではなくもっと軽快な感じの曲調だ。
エルフェンリート(妖精の歌)という言葉はドイツ語でelfenliedと書く。原作の漫画を描いた岡本倫氏は、もともとドイツ語圏にあった有名な楽曲から着想を得たらしい。アニメには使われなかったが、原作漫画の方では、そのヴォルフのエルフェンリートが引用されている。とはいえ、このエルフィンリートはアニメ版のオープニングテーマの「Lilium」のように悲壮な感情を呼び起こすタイプの曲ではなくもっと軽快な感じの曲調だ。
私は、これまで20年近く「エルフェンリート」というアニメを見たことがなかった。このアニメは2004年に公開された作品だが、日本よりも海外で今なお評価が高い作品だという話だった。
当時は「Lilium(白百合)」という歌と、去年の秋、隣の空き家の庭で初めて目にしたタカサゴユリとはつながっていなかった。
今年の9月6日に、去年同様一輪のタカサゴユリが隣家の庭に咲いているのに気が付いた。去年の関連記事については以下のリンク参照のこと。
10月7日(土)からの三連休は変だったけど、タカサゴユリでほっとする
ふたたびタカサゴユリ
The age of the lily 水瓶座時代はユリの時代
今年見つけた花は、去年に比べて小さい花だったので「どうして小さいんだろう」と不思議に思ったが、ふたたびユリの花を見ることができたことがとてもうれしくて、「よっしゃ写真撮ったろう」と私の家の庭から腕を伸ばして撮ったのが以下の写真だ。
当時は「Lilium(白百合)」という歌と、去年の秋、隣の空き家の庭で初めて目にしたタカサゴユリとはつながっていなかった。
今年の9月6日に、去年同様一輪のタカサゴユリが隣家の庭に咲いているのに気が付いた。去年の関連記事については以下のリンク参照のこと。
10月7日(土)からの三連休は変だったけど、タカサゴユリでほっとする
ふたたびタカサゴユリ
The age of the lily 水瓶座時代はユリの時代
今年見つけた花は、去年に比べて小さい花だったので「どうして小さいんだろう」と不思議に思ったが、ふたたびユリの花を見ることができたことがとてもうれしくて、「よっしゃ写真撮ったろう」と私の家の庭から腕を伸ばして撮ったのが以下の写真だ。
写真をよく見ると(写真をクリック)、「その時咲いていた小さいユリの花」の右隣にすでに花を落とした後のタカサゴユリの茎の様子が写っている。落ちている花の様子から、咲いていたときは、今咲いている花と同じくらいの大きさだったと思われる。
「あっそうか、まず右側が先に咲いたのに、オレ、気づかないままだったんだ・・・・・ってことは8月の下旬にはすでに咲いていたってこと?そんな時期に咲くとは予期してなかったもんなあ」
そんなこんながありつつ、最近また「Lilium」をYouTubeで聴いて「やっぱいい曲だなあ」と思ったので、今度は「Lilium」という曲についてネットで調べてみた。
アニメ「エルフェンリート」のオープニングテーマの「Lilium」は悲劇的な人生を歩まざるを得なかった主人公のルーシーを、西洋(キリスト教圏)で「純粋」「無垢」あるいは「聖母マリア」の象徴とされている「白百合」に仮託して日本の作詞作曲家たち(小西香葉&近藤由紀夫)によって讃美歌様式で書かれた作品だった。
この記事に「気づいた(意識的になった)」とき、去年、当ブログに投稿したエドガー・ケイシーが語った水瓶座時代=「ユリの時代」にまつわる論考やら隣家の庭に咲いた三つのユリの花の記事に連想が接続した。
それで「あ、これはアニメを見なくちゃいけないな」と急にそわそわした気分になり始めたので手始めに地元のレンタル店に行ってみたが、なかったので、そんな場合いつもやってるようにネットレンタル店でレンタル可能かどうか調べた。ちゃんとあった。ちょうどツタヤ・ディスカスが一枚55円セールをやっている時期だった。ちなみツタヤ・ディスカスでは第1巻が借りられなかったので、あらためて別途DMMで第1巻を借りたのだった。
アニメ放送当時は、もともと16:9で制作されていたものを4:3にトリミングして放送したそうだ。残虐なシーンには修整が施されていた。DVDはトリミングなしの、もともとの16:9で製品化されており、テレビ放送時の修整は取り除かれてたので、見た目上の残虐度は増している。にもかかわらず、「このアニメは見た人を感動させる」と思った。
ひさびさに心の深いところにジーンと刺さったアニメを見たので、原作の漫画とCDも手に入れたくなった。そういうわけで原作漫画12巻とMOKA☆の合唱版CDを手も手に入れた。
このアニメのために作曲された、「白百合の象徴に関連した主題曲」があまりにも出来がよくて、オープニングのクリムトから引用された映像とともに「これなしではこのアニメのトーン(諧調)を成立させえないほどのインパクト」を視聴者たちに与えてしまうという重大な役割をこの楽曲はになっている。
だから私は、このアニメには図像としても「ユリの象徴」が出てくるはずだと思いながら見ていた。するとやはり何度か出てきた。
そのひとつが、ルーシーが幼いころ養護施設でひどいイジメに合い、その騒動の果てに、能力が暴走し、広間のテーブルの上の花瓶に生けてあったユリの花が血しぶきを浴びて赤く染まる、という、すごく象徴的なシークエンス。
ほかには、頭に銃撃を受け、「赤ちゃん(無垢)返り」になってしまったルーシーが世話になる、コウタのいる屋敷のなかにも、またさりげなく(血に染まっていない)ユリの花が出てくる。(以下参照)
そんなこんながありつつ、最近また「Lilium」をYouTubeで聴いて「やっぱいい曲だなあ」と思ったので、今度は「Lilium」という曲についてネットで調べてみた。
アニメ「エルフェンリート」のオープニングテーマの「Lilium」は悲劇的な人生を歩まざるを得なかった主人公のルーシーを、西洋(キリスト教圏)で「純粋」「無垢」あるいは「聖母マリア」の象徴とされている「白百合」に仮託して日本の作詞作曲家たち(小西香葉&近藤由紀夫)によって讃美歌様式で書かれた作品だった。
この記事に「気づいた(意識的になった)」とき、去年、当ブログに投稿したエドガー・ケイシーが語った水瓶座時代=「ユリの時代」にまつわる論考やら隣家の庭に咲いた三つのユリの花の記事に連想が接続した。
それで「あ、これはアニメを見なくちゃいけないな」と急にそわそわした気分になり始めたので手始めに地元のレンタル店に行ってみたが、なかったので、そんな場合いつもやってるようにネットレンタル店でレンタル可能かどうか調べた。ちゃんとあった。ちょうどツタヤ・ディスカスが一枚55円セールをやっている時期だった。ちなみツタヤ・ディスカスでは第1巻が借りられなかったので、あらためて別途DMMで第1巻を借りたのだった。
アニメ放送当時は、もともと16:9で制作されていたものを4:3にトリミングして放送したそうだ。残虐なシーンには修整が施されていた。DVDはトリミングなしの、もともとの16:9で製品化されており、テレビ放送時の修整は取り除かれてたので、見た目上の残虐度は増している。にもかかわらず、「このアニメは見た人を感動させる」と思った。
ひさびさに心の深いところにジーンと刺さったアニメを見たので、原作の漫画とCDも手に入れたくなった。そういうわけで原作漫画12巻とMOKA☆の合唱版CDを手も手に入れた。
このアニメのために作曲された、「白百合の象徴に関連した主題曲」があまりにも出来がよくて、オープニングのクリムトから引用された映像とともに「これなしではこのアニメのトーン(諧調)を成立させえないほどのインパクト」を視聴者たちに与えてしまうという重大な役割をこの楽曲はになっている。
だから私は、このアニメには図像としても「ユリの象徴」が出てくるはずだと思いながら見ていた。するとやはり何度か出てきた。
そのひとつが、ルーシーが幼いころ養護施設でひどいイジメに合い、その騒動の果てに、能力が暴走し、広間のテーブルの上の花瓶に生けてあったユリの花が血しぶきを浴びて赤く染まる、という、すごく象徴的なシークエンス。
ほかには、頭に銃撃を受け、「赤ちゃん(無垢)返り」になってしまったルーシーが世話になる、コウタのいる屋敷のなかにも、またさりげなく(血に染まっていない)ユリの花が出てくる。(以下参照)
実は、原作の漫画には全体を通して「白百合の象徴」は出てこない。「血にまみれた白百合」が出てくるアニメの養護施設の広間シーンは漫画には出てこない。漫画においては、ただ「そこで殺戮があったこと」が示されるのみだ。
このアニメが「悲劇」として絶大な心理的効果を視聴者に与えるのは、劇中で何度も流れる「Lilium」という曲のバリエーションと、ところどころで象徴的に示される「百合の花」が、「ルーシー(楓)の運命の悲劇性」をたえず思い出させるからだろう。
「Lilium」という讃美歌と「百合の花」の図像を象徴的に提示するという「アニメ独自の観点を持ち込んだ」ことで、このアニメは「悲劇を宗教的に昇華させる象徴性」を獲得したんだと思う。
そういうわけで毎回、白百合の象徴を讃美歌にして始まるオープニングテーマを聞きながら話の展開を追っていったキリスト教圏のアニメ視聴者たちは、日本の視聴者たち以上に、より強く宗教的テーマ性を連想し、深く受け止めることができたんだろうと思う。だからこそこのアニメは「日本より西洋圏でこそ評価された」のだと思う。
アニメではルーシー(本名は楓)、ナナ、マリコという三人の角持ちの娘たち(ディクロニウス)が主要人物として登場してくるが、私はその三人の娘と、去年、ブログ投稿時に話題に出した三本のユリの花とを連想で結びつけてしまった。そして去年は三輪の花が咲くはずが、最後の一輪は咲けなかったこと(開花の時期まで時が待ってくれなかった)を思い出していた。
けれど、今年はすでに二つの花が咲いた。そして、そのときからひと月が経過した或る日、なんと三つ目の「白百合」のつぼみが、「彼女たち」の「右側」に出現しているのを発見して、私の心は高揚した。
それからの一週間というもの、私は「雑草駆除業者がやってくるんじゃないか」とびくびくだったが、ありがたいことに、この時期、雑草駆除は行われなかった。
そういうわけで、なんとなんと、その三つ目のタカサゴユリはひと月前に咲いたユリたちよりも大きな花を咲かせて、りっぱに花の一生を終えた。
このアニメが「悲劇」として絶大な心理的効果を視聴者に与えるのは、劇中で何度も流れる「Lilium」という曲のバリエーションと、ところどころで象徴的に示される「百合の花」が、「ルーシー(楓)の運命の悲劇性」をたえず思い出させるからだろう。
「Lilium」という讃美歌と「百合の花」の図像を象徴的に提示するという「アニメ独自の観点を持ち込んだ」ことで、このアニメは「悲劇を宗教的に昇華させる象徴性」を獲得したんだと思う。
そういうわけで毎回、白百合の象徴を讃美歌にして始まるオープニングテーマを聞きながら話の展開を追っていったキリスト教圏のアニメ視聴者たちは、日本の視聴者たち以上に、より強く宗教的テーマ性を連想し、深く受け止めることができたんだろうと思う。だからこそこのアニメは「日本より西洋圏でこそ評価された」のだと思う。
アニメではルーシー(本名は楓)、ナナ、マリコという三人の角持ちの娘たち(ディクロニウス)が主要人物として登場してくるが、私はその三人の娘と、去年、ブログ投稿時に話題に出した三本のユリの花とを連想で結びつけてしまった。そして去年は三輪の花が咲くはずが、最後の一輪は咲けなかったこと(開花の時期まで時が待ってくれなかった)を思い出していた。
けれど、今年はすでに二つの花が咲いた。そして、そのときからひと月が経過した或る日、なんと三つ目の「白百合」のつぼみが、「彼女たち」の「右側」に出現しているのを発見して、私の心は高揚した。
それからの一週間というもの、私は「雑草駆除業者がやってくるんじゃないか」とびくびくだったが、ありがたいことに、この時期、雑草駆除は行われなかった。
そういうわけで、なんとなんと、その三つ目のタカサゴユリはひと月前に咲いたユリたちよりも大きな花を咲かせて、りっぱに花の一生を終えた。
その一部始終を観察して「去年咲けなかったぶん、大きく咲いたんだろうか」などと非論理的なことを考えつつ、去年のようにならずによかったと思ったのだった。
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