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アラン・カルデック 〈彼ら〉は失望するでしょう。前編
抹茶ラテの口パク化に熱中して一通りの満足を得られたら、「やる気なしモード」に突入して、「さあ、じゃ次回は口パクを導入して新作に挑もう」という流れになりませんでした。

ダラダラ過ごしながら、20年前のPCゲーム(ダイソー系)ばかりやってました。特にはまったのが「野球ゲーム 52」ですが、あまりにも気に入ったので、いろいろと調べたくなり、関連ソフトを収集したりしながら過ごしてました。

ダイソーの「ピンボールゲーム」のときにも深堀記事を書きましたが、今回もいろんな事実が分かり、「そーだったのかあ」と深い感慨にふけりながら、今日も野球ゲームやってます。「その調査生活の日々」については、また日を改めてご報告させていただきますね。

ということで、今回は、「野球ゲーム三昧」に入る以前に、あれこれやっていた「別系統の調査」の報告になります。


エーテル視力の獲得を目指しながら一方で重りとなって取りつくアーリマン族
とともにある人類の図



エドガー・ケイシーの全リーディングが納められたDVDを手に入れたという報告を以前しましたけど、実はケイシーのリーディングには公開されていないものがあることをご存じでしょうか。

これは、W・H・チャーチという作家さんがケイシー関連の著書のなかで言及している話です。

その公開禁止の条件で行われたリーディングの依頼主たちには2系統あり、一人はあのルドルフ・シュタイナーが警告を発し続けていたウッドロー・ウィルソン大統領であり(彼のいとこが代理人として派遣されてきた)、もう一系統が、当時イスラエルの再興運動、つまりシオニズム運動に参加していた米国在住のユダヤ人でした。

通常のリーディングにおいてはケイシーの奥さん(質問者役)や秘書(筆録役)の補助のもとにおこなわれていたリーデングですが、そういう「通常形態」ではなく、ケイシー関係者を排除して、ケイシーだけが招かれて行われたと言います。

そして守秘義務の書類にでもサインさせられたのか、ケイシーは死ぬまでそのときに行われたリーディングの内容を公開することはありませんでした。


ルドルフ・シュタイナーの黙示録解説については、そのさわりを少しだけ当ブログでも扱いましたが、ヨハネが扱っている時空は途方もない未来にまで及んでおり、21世紀に世界が崩壊し、「今の自称キリスト教徒たち」の天国に移行するという話ではありません。

長大な時空のなかで4(地球紀)-5(第五根源人種)-7(第七文化時代)の末期時代に起こることが、今ある種の人々が「起こってほしいと期待している地球の大異変」です。シュタイナーはこう語っていました。

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第七文化期が終る頃、地球の状況が根本的に変化するであろう。その変化は、アトランティス期から後アトランティスへの過程で生じた大変動に匹敵するものとなろう。(神秘学概論-文庫版P421)
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宇宙のひと時を2160年とすると、現在4-5-5(1413-3573)の時代の途中(610/2160)ですから、「大陸の模様替え期」までに約三分の二時と二時(1550+2160+2160=5870)が残っています。もちろん2160年という数値は説明の便宜のために用いている単位であることは踏まえておいてください。実際には前後するのです。

宇宙は7の数によって進展していきますから、ひと時とふた時と半時というのは、7という歴史単位の半分、すなわち3,5時ということになります。

4-6-1の時代に突入する直前に地球の様相が、アトランティス時代の終焉時代同様に変化するとシュタイナーは語っています。

4-5-4の時代、つまり7つの文化期の4番目の途中、ひと時と二時と半時に、インマヌエルの降誕がありました。そしてキリスト降誕から数えて、再び人類はひと時と二時と半時の時空を通り過ぎていくのです。7の半分、1+2+0,5とは、人類個人がが秘儀に参入する長さでもありました。


シュタイナー同様にケイシーの予言も短期の時空を扱っているものではないと思えない人は「聖書」に基づいて「人類の滅亡が近々やってくる」という「期待感あるいは恐怖感」を抱いて生きている「うっかり八兵衛的な人々」、あるいはそういうマインドを経済的利益に転換してやろうと思っている人々のお祭り騒ぎ(≒営利活動)のカモにされているのでしょう。

人類はこれから霊的発展の上昇期に向かうのですが、その前にアーリマンが地上にもたらしたものの精算期(今日)を通り過ぎなければならないので、アーリマンの受肉と言われる1998年は一種の焦点であり、ケイシーが新しい周期が1998年以降から始まると述べたのも、そのような長大な人類史の中に時おり現れるエポック現象を俯瞰して述べたものと考えるとよいでしょう。

アーリマンの地上降下事件は、ある意味、人類の成熟をテストするための中間試験のようなものでしょう。英語的振動(それはコンピュータ言語でもあります)を駆使して「人類の未来について狡猾な言葉を吐く人々」を人類は拒絶できるか、それが試されているのです。

ラテン語のスピリトゥスとは、もともとは「物質が希薄化したもの」を意味していました。今日、英語のゴーストは幽霊という意味で用いられています。ドイツ語で霊・精神を意味するガイストは古代の英語ではゴーストだったのです。けれどもこの近代の200年の間に、英米人たちは、物質性に関連づけられた言葉だったスピリットをゴーストの代わりに霊・精神という意味で口語訳聖書で使うようになりました。この意味をしばし考えてみてください。アングロサクソン精神の唯物論化はこういう領域でもひそかに進行してきたのです。

ラテン語が西洋の各民族言語を超えて支配していた時代はルシファー的錯誤の時代でした。15世紀以来徐々に、世界は英語という霊性・精神性を欠いた言語(シュタイナー曰く)、つまり物質の統治に最適な言語によって支配されるようになりました。しかし第6文化期(1500年後ですが)になると、支配言語もきっと交代するに違いありません。





前回「ドーリスライという言葉の脳内固着」の話をしましたけど、こういう現象って誰にでも普通にありますよね。特に多いのが特定の音楽、曲なり歌なりが、なぜか繰り返し頭のなかで鳴ってしまう日があるような…。

実は以前にも突然言葉がなんの脈絡もなく、頭の中に浮かぶ経験が去年の9月にありまして、それというのが、ケイシーのリーディングDVDの内容を調べている時期だったんですが、突然、なんの脈絡もなく「アラン・カルデク」という言葉が頭に浮かびました。

「え、アラン・カルデク、誰?」

それで、すぐネットで検索したら、「ああ、あの本を書いた人か」と思い出しました。若いころ地元の古本屋で『精霊の書』という、それまで聞いたことのなかった人物の「精神世界本」を見つけて買って帰って読み、すでにケイシーファンだった私は、当時の読後感としては特に新しい驚きや知見を得たということもなかったので、一度読んだきりそのままになって引っ越しを繰り返す中で無くしてしまっていた本でした。

記憶に残っていたのは「ブラジルの霊能者だ」ということだけでした。翻訳者の解説にはそのように書いてあったような記憶がありました。自分の頭の中に情報として残っていたのはそれだけだったのです。

しかし改めてアラン・カルデクをネットで調べてみると、「彼はブラジル人ではない」ことが分かりました。「間違って記憶していたんだ」と思いました。本自体が失われているので、記述を確認することもできません。例えば、翻訳者が「ブラジルで有名な…」と書いていたものをのちに私が記憶改変してしまった可能性があります。

「彼は19世紀後半にフランスで活躍した心霊主義者で、今日では本国よりもブラジルのカトリック教徒たちの間で有名である。彼らはカトリックでありながら、輪廻転生を信じており、カルデシアンと呼ばれて区別されている」というような趣旨の説明がネット上にありました。

そこで次に、本を手に入れようと思ったんですが、私が持っていた『精霊の書』は絶版で中古市場でも見つかりませんでした。それで代わりに『霊との対話』『天国と地獄』の二冊をネット経由で手に入れました。

その本の日本語呼称は、アラン・カルデックとなっており、21世紀の日本においては、私が記憶していたアラン・カルデク表記は廃れているようです。別の翻訳本ではアラン・カーデックという表記も見かけました。

さて、前置きが長くなりましたが、そうやって「奇妙な成り行き」で手に入れることになったアラン・カルデックの翻訳本のなかに私の印象に強く残った個所がありましたので、次の回でご紹介したいと思います。


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