"ルドルフ・シュタイナー"カテゴリーの記事一覧
-
Webカメラを使って、顔出しモードで解説する動画を何本か作ったのだが、なんだよ、チョーゼツ難しいじゃん。
最初、モニターに読み上げる文章を映して、それを読みながら動画撮影したのだが、そのなかで昭和の大平首相みたいなあうあう的な「エー音」が頻繁に出てくる。
それが完全にインプロビゼーション的撮影になったら、考えている最中にさらに頻繁に「エー」ばかり言っていて、これ、自分じゃ無意識なんだよね。
「うわー、ひでえ、なんじゃこのおっさんモード全開のしゃべり方は…」とかなり落ち込んでしまった。
試しにいろいろと顔出しユーチューバーの動画をしゃべり方を中心にチェックすると、なんだよ、みんなチョーゼツにうまいじゃないか。
なんであんなに次から次へよどみなく言葉がでてくるんだろう。
こりゃダメだわ、と思ってしまった。
そこで自分が本当は「よどみなくしゃべりたかった言葉」を全部、読み上げソフトで読んでもらう「同内容の別バージョン」を作ってみた。
5分ほどの動画を完成させるのに、すごく時間がかかったけど、顔出しはやめてこっち系で行こうかなとすでに路線変更を考えているオレでした。
みなさん、どっちが好みですか?
p.s. 音声読み上げソフトAITalk3には5種類の声が入っているんだけど、4人が女性で1人が男性声だ。デフォルト状態の男性声は作成した動画で使われているよりも声質が低くて、自分の好みではなかったので、調整した。いろいろいじって声優の堀内賢雄系の声質になってると思う。ソースネクストさんが購入者に「アンケートにご協力ください」っていうメールをくれたときに、「声優系の声を増やしたら、また買います」と答えておいた。男女ともに、いろんな声質を試してみたいよね。アニメの女性声優の声はどれも、ほぼ喉の筋肉を調整して作った声だよね。まさにそれこそが欲しい。そういういろんな声が音声読み上げソフトに今後増えていくといいなあ。PR -
元号が変わりましたね。そこでずいぶん長くシュタイナー関連の記事はアップしてきませんでしたが、2008年に別のサイトで公開していた記事を少し言い回しなどを書き直して、このブログでも公開したいと思います。ではどうぞ。最近(2008年当時)ずっとシュタイナーの以下の発言について考えてました。===================================================================さまざまな民族の密儀に参入した者は、ある意味で同一のことを体験しました。苦しみを受け、3日間の仮死状態に到って、精神が身体から離れて神霊世界におもむいたあと、精神はふたたび身体のなかに戻りました。身体のなかに戻った精神は、神霊世界で体験したことを思い出せました。秘儀参入者は、神霊世界の秘密を告げる使者として登場しました。精神がしばらくの間物質的身体から離れて、死に到るのが秘儀参入でした。身体から離れて神霊世界に滞在したあと、物質的身体のなかに戻ってきて、神的な秘密の使者になるのが秘儀参入でした。入念な準備ののち、物質的身体という道具を用いずに3日半のあいだ生きることができるように心魂の力が鍛えられたのちに、秘儀参入は遂行されました。3日半ののち、参入者は物質的身体に結び付かねばなりませんでした。通常の生活から離れて高次世界に移ることによって、秘儀を体験したのです。(マルコ福音書講義)(ヨハネ福音書の)作者は、ラザロの復活以後の諸章において、もっとも深い内容を語っています。とはいえ、それ以前の諸章の中でも、この福音書の内容が秘儀に参加したものだけに理解できるような事柄を扱っている、と到る所で示唆しています。すでに最初の数章の中には、秘儀参入に関わる事柄が含まれている、と暗示している箇所があります。もちろん秘儀参入にはさまざまな段階があります。たとえば、東洋の或る秘儀(ミトラ教)においては、七段階が区別され、その各々が象徴的な名前で呼ばれていました。第一に「烏(からす)」の段階、第二には「隠者」の段階、第三は「戦士」の段階、第四は「獅子」の段階です。第五段階は民族に応じて、それぞれにふさわしい民族名が用いられています。たとえばペルシア人の場合、第五段階の秘儀参入者は「ペルシア人」と呼ばれます。これらの名称の意味するところは、以下の通りです。第一段階の秘儀参入者は、オカルト的な生活と外的な生活を仲介するために、あちこちに派遣されます。この段階の人物は、まだ外的な生活に身を捧げていなければなりません。そしてそこで探知した事柄を秘儀の場で報告しなければなりません。ですから、外から内へ何ごとかが伝えられねばならないとき、「烏」がその伝達の役割を果たすのです。どうぞ予言者エリアの烏やヴォータンの烏のことを思い出して下さい。バルバロッサの伝説にも、烏が出てきます。これらの烏は、外へ出ていくときが来たかどうかを、知らせなければなりません。第二段階の秘儀参入者は、すでにまったくオカルト的な生活を送っていました。第三段階の人は外へ向かってオカルト的な事柄を主張することが許されました。つまり「戦士」の段階は、戦う人を意味するのではなく、オカルト的な教義を擁護することが許された人のことなのです。「獅子」の人は、オカルト的な生活を自分の中に実現する人のことです。オカルト的な内容を言葉で擁護することが許されているだけでなく、行為によっても、つまり魔術的な行為によっても、そうすることが許された人のことなのです。第六段階は「日の英雄」、第七段階は「父」の段階なのですが、ここでは第五段階が問題になります。古代人は共同体の中で生きていました。みずからの自我を体験するときも、その自我を集合魂の一員であると感じました。しかし第五段階の秘儀参入者は、自分の人格を捨て、みずからの中に民族の本性を全面的に受け入れるという供犠を捧げた人なのです。他の人が自分の魂を民族魂の中で感じたように、この秘儀参入者は民族魂を自分の魂の中に受け入れたのです。自分の人格を問題にせず、個人を超えた民族霊のみを生かそうとしたのです。ですからこの秘儀参入者は、民族の名前で呼ばれました。(ヨハネ福音書講義)=====================================================================
この発言を読んだとき、私は日本の古代の大王(おおきみ)は実際に「秘儀参入者」だったのではないかとふと思ったんです。そして「大嘗祭」という言葉が頭に浮かびました。そして検索をしてあれこれ記事を見てまわるうち、日本財団図書館のウェブサイトで面白いと感じた記事を見つけました。======================================================================
新嘗祭が、天皇の代替わりに際して、1世1回限りの大祭として行われたのが大嘗祭である。祭りの内容はほぼ同じだが、期間が4日間と長いこと、「大嘗宮」という施設をこの祭りのために新設することなどが、毎年の新嘗祭と異なる。大嘗祭は、日本古来の祭りといいながら、その実態のきわめて分かりにくい祭りである。というのは、4日間の行事のうち、第1日の夜から第2日の朝にかけて天皇自らが殿舎にこもり、祭神に神饌(しんせん)を供する神事が大嘗祭の核心部分なのだが、これが外部からうかがい知ることを許されぬ秘儀とされているからだ。この秘儀の持つ意味について衝撃的な解釈をほどこしたのは、折口信夫だった。折口は、天皇が神事のためにこもる殿舎に、衾(ふすま)をかけた寝座が神座として設営されていることに着目し、これを天孫降臨神話でニニギノミコトがくるまって天降りした真床襲衾(まどこおふすま)に当たるとした。新しい天皇はこの寝座に引きこもって物忌みをし、天皇霊を身につけて天子としての資格を得る、と解したのである。岡田精司三重大教授によると約60年前のこの折口説(「大嘗祭の本義」)は、論証抜きに古代人の心に迫ろうとする詩人的直感の所産とでもいうべきものでありながら、天皇の祭りをはじめて民俗学的に、神話とのかかわりでとらえた研究として高く評価され、いまも学界内に大きな影響力を持っている。一方、当然のことながら折口説に留保をつける研究者もいる。折口の弟子に当たる倉林正次国学院大教授(民俗学)は、律令期以後は、即位礼―大嘗祭の順で即位儀礼が行われているのに対し、律令前では大嘗祭―即位礼と逆転して行われていたと想定し、折口の天皇霊説が妥当するのは律令前までの段階のことで、律令後の大嘗祭は、天神地祇に天皇就任を報告する性格のものに儀礼の意味が変わった、と説く。(『儀礼文化』第8号所収「祭りから儀礼への展開」)
=======================================================================大嘗祭の期間は「4日間」と書いてあります。現在天皇は「一夜しか眠らない」ですが、本来は「3日半の間眠っていた」のではないでしょうか。だからこそ「4日間続く儀式」だったのです。文献上ではニニギノミコトと秘儀体験の関連性を折口信夫が語っていますが、律令期前は「大嘗祭→即位礼」の順で行われていた儀礼が律令期以後は逆転したというのも、まさにこの古代の革命の時代に、律令制度という大陸的政治手法を始めるにあたって、日本古来からの秘儀の儀式は、これからは「単なる儀礼」となす、という意思の現れだったのかもしれません。「古代的なるもの」からの決別です。大嘗祭で天皇は何をするのでしょうか。「神殿のなかで眠る」のです。学者等の報告によって外部者にはっきりと伺い知ることのできる事実は「天皇候補者は神殿の中で眠るらしい」という報告だけです(食事をするというのは夜を明かすのに何も食べないなどということがあるでしょうか。日本人はお通夜の席でも「誰かとともに食事をする」ではありませんか。お通夜にとって食事をすることが大事な儀式なのではありません。夜を明かすことが大事なのです)。そして一般的な常識感覚で判断する人々は「眠る」と聞いたら、自分たちが普段やっている行為にしか連想が及びません。しかし秘儀というのは「単なる儀式」ではありません。たとえば結婚式の儀式を厳かにあげたので「これで二人は本当の意味での夫婦になった」というような確認儀式ではなく、「かつて」そこには「霊界へ行き、何かを体験して生還した」という「体験」が伴っていたのです。
西洋の錬金術にしてもそうですが、秘密の教えは、いわゆる符丁(ジャーゴン)によって記述されていますので、日常的な単語解釈をそこに持ち込むと「どんな成果」も得られず、読解力があると思い込んでいる人々は、そもそもこれが暗号によって書かれているという前提に思い至れません。そして近代人的常識を当てはめて考えている自分の愚かさを反省する代わりに、バカげたことしか書かれていない、古代人は妄想ばかりしていたんだろうと結論づけます。
「眠る」というのは実際には「三日半の間意識不明になる」ということです。そして「それこそが日本の秘儀の最大の秘密だった」のでした。「秘儀体験とは〈眠り=死=霊界侵入〉の体験そのもの」であるということ知る人々は、当然、古代日本の大祭司たちは「ただ眠っただけ(いわゆる一般日本人とアカデミックな学者系解説者が、そうだと思い込んでいるところの、通常の意味での「一泊して帰る」こと)」なのではないと考えるのではないでしょうか。
儀式で天皇が「1日しか眠らなくなった」のは、すでに律令期よりもずっと以前からだった可能性もあります。儀式自体が変容したのは、聖徳太子の「新しい秘儀体験」によって「すでに形骸化していた、かつての秘儀体験が更新された結果」だったのかもしれません。
三日半の秘儀の形骸化は、天皇たちの諡の変化からもうかがい知れるのです。カムヤマトイワレビコノミコトという名に入っている「ヤマト」こそ「ヤマトびと」、つまり「第五段階の秘儀参入者」であることの証だったのではないでしょうか。日本書紀などを見れば諡にヤマトを含んでいる者たちが複数いることも分かります。ヤマトを名前に持つということは「秘儀においてヤマト民族の民族霊と一体化できた人物である」という証なのです。
シュタイナーは「秘儀参入の道」で、以下のようなことを言っています。
========================================================================古代の秘儀においては秘儀参入者と神々とが出会い、このような出会いを喚起するのに適した、いわば公認の場があったと申し上げました。この古代文明すべての基盤にあって、人々に霊的な衝動を与えてきた制度は徐々に消え去り、紀元4世紀以降はもはや存在しなくなったということができます。古代の秘儀の後を継ぐものはまだありましたが、厳密な古代の形式はなくなりました。(P108)========================================================================日本人の肉体も縄文の昔から徐々に歴史的に変化してきたわけですし、文献上で遡及できる古代以後においては、「本当の秘儀」に耐えうる真の祭司候補はすでにいなくなっていた可能性があります。それは古代の民族がつまり人類の祖先全体が、多少の時期の食い違いはあれ、失わねばならない「身体上の素質」だったというのは、シュタイナーも言及しているところです。諸外国の古代の王権がそうならざるを得なかったように、秘儀参入者としての見霊体質は失われ、王権の継承はただ「男系の血のつながり」のみによって維持されていきます。聖徳太子がおのれ自身の超感覚体験によって「太陽霊の正体」を知り(「日本書紀」の聖徳太子の記事や「日本霊異記」の記事などから彼が霊界で「誰」と出会ったのか暗示されていますよね)、もはや古代の伝統に沿った三日半の「眠り(死)の儀式」を続けていく理由もなくなったのでした。そして律令制度確立以降、藤原式の「新しい祭り」が確立されていきます。
ともかく、シュタイナーの発言に学んだかたがたは、日本の古代人が行っていたであろう秘儀参入体験に思いをはせてみるとよいかと思われます。記紀における神武天皇の物語には「情報をもたらし道案内をするカラス」の話が出てきますが、これも「ヨハネ福音書講義」に出てくるカラスという呼称が意味するものと兼ね合わせて考えるとまた記紀神話を違った角度から読むこともできるかもしれません。諡に「ヤマト」という名を持った古代のオオキミ(天皇)たちの霊的立ち位置、あるいは「ヤマトタケルの命」と秘儀の関係など、案外秘儀の達成段階とその呼び名の深い関連性が記紀の記述のなかに隠されているかもしれません。 -
われわれ凡人が表象の世界へ旅立つとき、すなわち夢の世界で、あれやこれやの活動をするときは、まったく受身に徹している。そこはもちろん霊界ではない。スウェデンボルグや宜保愛子は「意識的」に、肉体を地上のある一点に残したまま、表象の世界(霊界)へ旅立つ能力を持っているが、秘儀参入者の参入レベルの差が霊界の表象能力の差として現れる。シュタイナーは死者の道行きをアストラル界から見た惑星秩序というかなり異質な観点から説明している。私には惑星軌道の境界は神霊の活動領域の範囲を示しているように思われる。したがって、低い霊視能力しか持たないものは、高次の霊的存在を見ること(認識すること)ができないのである。たとえば、キリストは紀元前、イエスの肉体に受肉して地上で認識できる「人間」として現れるまでは、けっして人間の霊視力の中で認識できない高次の神霊(キュリオテテス、叡智の霊、主天使)だった。
スウェデンボルグや宜保愛子は表象世界における死者のイメージを「旅日記」ふうに描写してくれたが、ルドルフ・シュタイナーは「別の観点」から見た死者たちの道行きを語ってくれる。
現在、われわれが学校で学習する太陽を中心とした惑星秩序を利用して、その上に霊界の惑星秩序を重ねたのが以下の絵である。
霊界における惑星の宇宙秩序はプトレマイオスが描写した宇宙の姿と一致する。
--------------------------------------------------------------------------
以前は、人間は世界をまったくちがったふうに見ていた。たとえば、コペルニクスは、地球は静止しているという誤謬を打ち砕いた。彼は、太陽が地球のまわりを回っていると想像するのは誤りだと教えた。ケプラーとガリレオ・ガリレイが、その教えを発展させた。それでも、コペルニクスも、天動説を唱えたプトレマイオスも、どちらも正しいのである。どこから太陽と地球を考察するかという、観点がちがうだけなのである。太陽系を物質界からではなく、アストラル界から見れば、プトレマイオスの体系は正しいのである。アストラル界から見れば、昔の人々が思っていたように、地球が中心にある。アストラル界では、すべてが逆に見えるということを思い出してもらいたい。プトレマイオスの体系はアストラル界に通用し、コペルニクスの体系は物質界に通用するのである。(ルドルフ・シュタイナー「神智学の門前にて」P140)
--------------------------------------------------------------------------
霊界にある地球を宇宙の惑星秩序のなかの中心として据え直して描くと、天体の順番は、(0)地球(人間の活動範囲)-(1)月(天使アンゲロイの活動範囲)-(2)水星(大天使アルヒアンゲロイの活動範囲)-(3)金星(権天使アルヒャイの活動範囲)-(4)太陽(能天使エクスシアイの活動範囲)-(5)火星(力天使デュナミスの活動範囲)-(6)木星(主天使キュリオテテスの活動範囲)-(7)土星(座天使トローネの活動範囲)となる。ただし古代では水星を金星と呼び、金星を水星と呼んでいたことにも注意を促したい。月領域までしか達することのできない秘儀参入者は天使は認識できても、大天使を見ること(認識すること)はできない。また水星領域までしか達することのできない秘儀参入者は権天使を見ることはできない。
ではシュタイナーの発言を見てみよう。--------------------------------------------
私たちは、死の扉をくぐったあと、「欲界」と呼ばれる領域を通過していきます。(ルドルフ・シュタイナー「精神科学から見た死後の生」P96)私たちは空間を越えて、広がっていきます。欲界期のあいだ、私たちは絶えず拡張していきます。そして欲界期が終わるとき、私たちは地球を回る月の軌道と同じ大きさになります。(P97
欲界期を通過しおわると、つぎの時期に、人間はもっと大きな空間のなかに生きます。人間はどこまでも拡張していきます。欲界期が終わると、人間は月の軌道内と同じ大きさの天空を越えて広がります。人間が地上での生において有した、地上生への情動、憧れ、情熱すべてが脱ぎ捨てられて、人間が死後に通過する欲界期の空間内に取り残されます。(P98)
ついで、私たちはさらに拡張していきます。
さらに拡張すると、私たちは神秘学で「水星領域」と呼ばれる、第二の領域に到ります。
不道徳な人は水星領域、すなわち欲界期のあとに来る時期において、自分と同じころに地上を去って精神界に行った人々を、見出すことができません。
地上で不道徳だった人は、精神世界の水星領域で孤独な隠者のようになります。道徳的だった人は、社交的になります。道徳的だった人は水星領域で、地上で懇意にしていた人々を、心魂存在として見出します。
欲界=月領域においては、私たちは社交に関して、これとは別の困難さを感じます。しかし一般的に言って、「月領域でも、人間は心魂の性質によって、孤独な隠者か社交家になる」と、思い浮かべることができます。(P99)
一般的に、月領域と水星領域において、すでに地上で親しかった以外の人々を見出すことは不可能です。その他の人々は、私たちには未知のままです。私たちが死後の世界で、他の人々と一緒にいるための条件は、「地上でも一緒にいた」ことです。(P101)
-----------------------------------------
「水星領域の霊視者」宜保愛子は「霊界ではときどき自分の見知っている人々に出会うが、互いに存在を確認しあう程度でみな黙々と自分の道を歩く」、「現世で仲のよかった夫婦や恋人が、霊界で会いたいなと思ったとき、その霊はスーッと側に来る。だが、心のなかでは嬉しいのかも知れませんが、ただ側に黙っているだけです」と書いている。死者は水星領域からさらに金星領域、太陽領域へと拡張する。
--------------------------------------------
死後、水星のつぎに通過する領域は金星領域です。地上で非宗教的な傾向だった場合、金星領域で「隠遁者」になります。金星領域では、死者は宗教および世界観ごとにグループを作ります。地上では、さまざまな傾向の宗教的ないとなみがあります。同じ世界観を持つ人々は、金星領域において大きな、力強い教区を形成します。それらの人々は隠遁者ではありません。
全体として、「金星領域では、自分と同じ世界観、同じ信仰を持った人々と集まることができる。他の信仰を持った人々とは、理解が困難である」と、言うことができます。(P108)
ついで、太陽領域に到ります。金星領域のつぎに通過する領域です。太陽領域では、さまざまな信条を和解させ、さまざまな宗教信条のあいだに橋を架けることができます。(P109)
--------------------------------------------スウェデンボルグの霊界報告を読むと、死者が思想や趣味嗜好ごとにグループを作る場所があることを報告している。もしかしたらスウェデンボルグは太陽領域までを見ることのできた霊能者だったのではないだろうか。ただ、私自身としては、スウエデンボルグという名前の由来から彼の認識力をもうひとつ上げて「火星領域の認識者」としたいと思う部分もある。
実はスウェデンボルグという名は彼にとって新しい名前なのだ。スウェデンボルグという名前は聖職者だった彼の父親がその功績によりスウェーデン女王から「今後はこの名前を名乗りなさい」ともらった名前なのだ。(参考資料)息子の彼は父の改名によって「そのままその名を受け継いだ」のだった。そして54歳で「死の技術」をマスターした彼は、文字通り自分の名前に国名(民族名)を背負うに足る段階の霊能力者となった。私にはロンドンに秘儀参入者スウェデンボルグを出現させるために霊界によって不思議な回り道をとって準備がなされたようにも見える。古代の秘儀の伝統によれば、第5段階の秘儀参入者、つまりの火星の秘儀参入者は民族名で呼ばれるそうだ。たとえば古代のミトラ教では秘儀参入者を以下の7段階であらわす。
(1)烏 (2)隠者 (3)戦士 (4)獅子 (5)民族 (6)日の英雄 (7)父
やはり彼は火星領域までの秘密に接することができたということが言えるのではないだろうか。記紀を読むと名前(おくりな)にヤマトを冠している人々が出てくるが、これは「日本の古代人」の一部に秘儀参入者がいたことを示す「しるし」なのかもしれない。私自身は初期の天皇たちは「本物の秘儀参入者だった」と思っている。(参考資料)
シュタイナーは続いて「死者は火星領域、木星領域、土星領域へと進み、土星領域へ達すると、今度はだんだんと領域を縮小させていく」という趣旨の発言をしているが、どういうわけか今回参照している「精神科学から見た死後の生」では「火星領域ではルシファーと出会う」と簡単に記述したあと、木星領域、土星領域の具体的な記述をおこなっていない。反転して領域縮小の道に入るといよいよ地上への転生の準備を開始することになる。
p.s. 1 ちなみにキリストとイエスは別存在である。こんなことを語るとアナタは笑うだろうが、日本人は初代ウルトラマンの物語を知っているはずである。光の国からやってきたキリストとイエスは、これもまた光の国からやってきウルトラマンとハヤタ隊員のごとくに「水辺でひとつになった存在」である。さらにいえば、シュタイナーはイエスは二人がひとつになった存在であることを語っていたが、のちに円谷プロは男女ふたりで光の宇宙から来た存在と合体させることまでやっている。昭和時代の日本の子供たちにだったら、シュタイナーの「キリスト論」はまったく違和感なく受け入れられたに違いない。まったくこんな「秘儀の秘密」を子供たちの前に、比喩としてではあるが、堂々と公開してしまった日本という国はかなり奇妙で不思議な場所であるなと思う。
p.s.2 初代ウルトラマンのエピソードのなかにウルトラマンは古代にもやって来ていて「ノアの神」(ということはユダヤの神)として祭られていたという話がでてくる。脚本家はいったい「どこからインスピレーションを得た」のだろうか。「ウルトラマン=キリスト論」を唱えてる人って私以外にもいることを、さっき「ウルトラマン ユダヤの神」で検索して発見した。おもしろい国=日本になってきたなあ。
p.s.3 以下の写真は「ゴルゴタの丘で磔にされる神」
つか、もろじゃん。
-
お盆の時期なので、それに関連した記事を書こうと思う。
宜保愛子は「死後の世界」の中で「供養の大切さを訴えるのが私の使命」と書いている。「供養」という言葉を使うと仏教的な様式のイメージがたちまちにして沸き起こり、拒絶的な感情がわきあがってくる人もいるだろうが、宜保愛子の言う「供養」という言葉について要約すれば、つまり「かつてあなたと交流のあった死者たちのことを温かく思い出してあげなさい」ということだ。
死者を思い出すためのシステムは日本においては「仏教」がおもに担ってきた。仏壇というものが各家庭に入ってきた時期については調べてみないとよく分からないが、まさにこれは「Remember The Dead」のために作られたものだと思う。
このような「習慣」は日本独特のものなのかと言えば、どうもそうではないようだ。たとえばルドルフ・シュタイナーは「精神科学から見た死後の生」の中でこう書いている。
-------------------------------------------------------------------------
比較的最近まで、生者と死者とのあいだのいきいきとした交流が、今日よりもずっと活発だったことが見出されます。生者と死者との交流は、次第に困難になってきました。中世のキリスト教徒、何百年か昔のキリスト教徒は、祈るとき、先祖や亡くなった知人のことを思ったものです。当時は、祈る人の感情が今日よりもずっと力強いものであり、死者の心魂へと突き進んでいったのです。
昔は祈りのなかに、死者のことを思う人々から、暖かい愛の息吹が流れてくるのを、死者たちの心魂は、容易に感じることができました。今日のような、外的なことがらばかりが重視される文化では、死者はそのような愛の息吹を感じられなくなっています。今日では、死者たちは生者から断絶されています。地上に生きている者たちの心魂のなかで何が生じているのかを見るのが、死者たちには大変困難になっています。(P124-P125)
私たちが死者に対して抱く愛、あるいは単なる共感でも、死者の歩む道を楽にし、死者から妨害を取り除きます。(P128)
死者が知ることができる人々は、知己に限定されます。地上で出会ったことのない人々の心魂は、かたわらを通り過ぎていき、死者はそれらの心魂を知覚しません。(P175)
-------------------------------------------------------------------------
宜保愛子が著書のなかで何度も繰り返して強調してきたことがまさに「私たちが死者に対して抱く愛、あるいは単なる共感でも、死者の歩む道を楽にし、死者から妨害を取り除く」から、「死者を思い出すことによって死者が歩む道を照らし助けてあげてください」ということだった。くわえて宜保愛子はあの世で地獄的な道行に陥っている人々のことをとても心配していた。あの世でそのような立場に陥っている人々のことを忘れてはいけないというのだ。
こういう発想についてはシュタイナーが、さきほどの著書の中でこんなことを書いている。
-------------------------------------------------------------------------
だれかが他人を憎んだ、あるいは、他人に反感を感じたとしてみましょう。憎まれた人、反感を持たれた人が死んだとします。そうすると、その人を憎んだ者、その人に反感を持っていた者は、その人をもはや以前と同じように憎むことができなくなったり、もはや反感を持たなくなったりします。
自分が憎んでいた人が死ぬとします。その人が死んだ後も、その人への憎しみがなくならないとしたら、繊細な思いやりある心魂は、この憎しみ、反感を恥じます。このような感情を、透視者は追っていくことができます。そして、「なぜ繊細な心魂は、死者に対する憎しみまたは反感を、恥ずかしく思うのだろうか。そのような憎しみを持ったことが、人に知られていない場合でも、そのような恥の感情が生じるのはなぜか」という問いが立てられます。
死の扉を通過して精神世界に赴いた人間を透視者が追っていき、地上に残った者にまなざしを向けると、死者の心魂が生者の心魂のなかにある憎しみをはっきりと知覚・感受するのが分かります。比喩的に語れば、「死者は憎しみを見る」のです。
そのような憎しみが、死者にとってどのような意味があるのかも、私たちは追及していけます。そのような憎しみは、死者の精神的な進化におけるよい意図を妨害するものです。地上で他人が目標を達成しようとするのを妨害するのと同じような妨害なのです。死者は、その憎しみが自分の最良の意図を妨害するものであることを知ります。これが精神世界における事実です。
こうして、心魂の思惟のなかで憎しみが消滅していくのが分かります。自分が憎んでいた人が死ぬと、恥を感じるようになるからです。
透視者でないと、何が起こっているのか、知ることができません。しかし自分を観察すると、「死者は私の憎しみを見ている。私の憎しみは、死者のよい意図を妨害するものなのだ」という自然な感情が、心魂なかに生じます。
精神世界に上昇すると、そのような感情を生み出すもとになっている事象に注目できます。そのようにして明らかになる深層の感情が、人間の心魂のなかにはたくさんあります。地上にある多くのことがらを、単に外的-物質的に観察しないようにし、自分を観察して、「死者から観察されている」と感じると、死者への憎しみが消えていきます。
私たちが死者に対して抱く愛、あるいは単なる共感でも、死者の歩む道を楽にし、死者から妨害を取り除きます。(P128)
-------------------------------------------------------------------------
「人は死んだらみな仏様になる」という発想を土台に宗教生活を営んできた日本人には非常によく分かる感覚である。私は子供時代、親類の集まりで死者のことをそしる人に「もうこの人は仏様になったんだから、その人の悪口を言うのはやめないさい」とたしなめる別の親類がいたことを覚えている。死者に対してこういう接し方をする日本人に、あなたも子供のころ、どこかの場面で遭遇した経験があるのではなかろうか。
こういう繊細な感覚については日本全国津々浦々共通のものがあったと思うが、宜保愛子が90年代に登場してきた当時の日本の「精神状態」はどういうものだったのだろうか。高度成長期からバブル時代とその崩壊、そしてそれに続く没落の時代にかけて、日本の人々はかなり「あの世への関心」を失っていたのだろうと逆に思われる。あの世はそれを憂えていたのではなかろうか。だから宜保愛子は「メッセージ」を伝えに「あの世からこの世に派遣されてきた」のではなかろうか。
有名人になる以前この人は学習塾の経営者兼先生をしていた人だった。テレビ番組を見れば分かるとおり、大柄で海外へ出ると通訳をつけずに英語を自在にあやつる。本人は「ヨーロッパ人から日本人に転生した」と考えている。
かつてヨーロッパ人として生きてきた人が、何度か日本人として転生し、庶民の間でずっと伝承されてきた「日本の伝統的な仏教的センス」を学んだあと----彼女の先祖はお寺さんだった----「死者を思い出しなさい」という言葉を伝えに現れたと私は思っている。
次回は「スウェデンボルグと宜保愛子」のテーマで書く予定です。
p.s. 1 日本神道確立時代(律令国家成立時代)以前の日本人の宗教感覚とその習俗は、その多くが古代に日本にやってきてその後独自な発展を遂げた日本仏教の行事の中に流れ込みぼんやりと反映している。たとえば日本の古代の人々(アイヌの人々もまたそうである)が知っていたことのひとつに「あの世は(シュタイナーの言うアストラル界)逆さまの世界として現れる」というのがある。日本人は死者の死装束を生きている時とは逆向きの左前にしつらえるが、これは古代から受け継がれてきた作法のひとつであろう。
アイヌの人々が「死後の世界」をどのように眺めていたかは梅原猛の「古代幻視」(文春文庫)に以下のような報告がある。「アイヌの信ずるあの世は、この世とあまり変わりはなく、ただこの世と全てがあべこべであるという違いがあるだけである。この世の右が左、左が右、昼は夜、夜は昼、夏は冬、冬が夏という違いがあるだけである。死ねば、人は祖先の待っているそういうあの世へ往き、しばらくあの世に滞在して、また同族の子孫となってこの世へ帰ってくる。」(P21)
古代、のちに日本と呼ばれるようになる土地に住んでいたさまざまな種族に属する人々は、仏教によって輪廻思想を学んだのではないのである。
p.s.2 神社は超越的存在あるいは超人を祭る場であって、庶民個々人の「死後の生活」についてなにひとつ「手当て」をしてはくれない。だから日本伝統の宗教が神道であったというのは一面の真理ではあろうが、一方で古代の日本人たちは「自分たち自身の死後の生活」のための別系統の儀礼ももっていたのだ。だがそれは現在にいたるまで決して「大声」で語られることはなかったのであって、それはいつも大きな物の裏側に隠れて維持されてきた。学者はその大きな物を神道だとか儒教だとか道教だとか仏教だとか呼んでいるにすぎない。そして学者たちは「日本人の宗教観にはこれらの影響があった」としたり顔で解説をしている。
p.s.3 祓い思想を前面に打ち出す現在に伝わる神道は、空から音を立てて平原に激突し、そのあたりにあったさまざまな遺物を焼き払って直径数百メートルもの巨大なくぼ地を作る隕石のようなものである。もともと内部にあったものは砂煙となって外側に吐き出される。そこに超越的存在があらたにすえられる。砂煙になって舞い上がったものは、大気に混じりこみ、「庶民がそれを吸い庶民の肺のなかでひそかに維持されてきた」。比喩的に表現すればそういうことになるのだろう。現代人である我々もその「古代に吹き飛ばされ、見えない空気に混じった灰」を吸って生きているのには違いない。ただ「意識できないだけ」である。
p.s4 三木住職が「三木大雲百物語 其の四」のなかでシュタイナーとそっくりな話をしていたので紹介しておこう(6:00を過ぎたあたりから始まる)。
「モニタールーム」のたとえを聞いたとき、以下のシュタイナーの言葉を思い出してしまったのだ。
--------------------------------------------------------------------------
生前の死者とともに体験したことを、具象的にいきいきと思い浮かべて、その思考を死者に送ろうとすると、その思考は死者のところへと流れていきます。心魂に浮かぶそのイメージを、死者は一個の窓のように感じます。その窓をとおして、死者は地上世界を覗くのです。私たちが思考として死者に送るものだけが、死者のところに到るのではありません。そのイメージをとおして、全世界が死者のところに現れます。私たちが死者に送るイメージは一個の窓のようなものであり、その窓をとおして、死者は私たちの世界を眺めます。(「精神科学から見た死後の生」ルドルフ・シュタイナーP77)
--------------------------------------------------------------------------
-
昨日ネットでこんな記事を見た。
----------------------------------------------
永久歯が足りない子ども10人に1人
オルタナ 1月9日(日)14時11分配信
永久歯が生えてこない子どもが増えている--。一般社団法人日本小児歯科学会の学術委員会は、2010年11月に「小児歯科から永久歯の先天欠如を考える」と題した一般向けの公開講座を開催した。その中で最新の調査結果として、1本以上の永久歯が生えてこない子どもが約1割いることを明らかにした。永久歯の芽(歯胚)は胎児期につくられるため、母親の食生活が影響を与えているとする説、下の第二小臼歯の欠如が比較的多いため不要な歯が淘汰されつつあるとする説など、歯科医によって複数の仮説が立てられているが、正確な原因はまだ明らかになっていない。
先天的に歯胚がなく、28本の永久歯が生えそろわない「永久歯の先天欠如」の発現頻度について、同学会は2007年に初めて全国規模の実態調査に乗り出していた。
調査は北海道大学、昭和大学、鶴見大学、朝日大学、大阪歯科大学、九州歯科大学、鹿児島大学の付属病院小児歯科が協力して2年間にわたって実施された。その結果、7歳以上の子ども1万5544人のうち1568人に永久歯の先天欠如があることが分かった。
発現頻度は、最近生まれた子どもほど高かった。出生年代別の発現率は1985年以前が9.62%、1986-1995年が10.08%、1996年以降では10.50%と微増している。ただしその差は0.9%未満であり、上の歯に限れば1996年以降の発現頻度が最も低かった。
--------------------------------------------------------
この記事を読んで、すぐに縄文人の抜歯の習慣に連想が飛んだ。
縄文人たちはなんのために抜歯などという「人体破壊」をあえて行っていたのか。この習慣は縄文時代晩期に現れるようなったらしい。
シュタイナー研究家としての私見を述べさせていただけるなら、これは
「当時、世代を重ねるごとにますます失われつつあった能力、すなわち霊視力を強制的に引きとどめるための、危機回避行動だった。人体を構築するために使われる力の流れをせき止め、あまった力を霊視力の維持に振り分けるためだった」
人体の中でもっとも硬質度の高い部分が歯である。そのため歯の構築には多大なエーテル体資源が費やされている。
アーリマン的な作用と戦う簡単な手段はあるのですが、それは人間によくないのです。アーリマンと戦おうとするなら、永久歯がはえてきたとき、永久歯を抜いてしまわねばならないでしょう。永久歯に、アーリマンのもっとも鋭い作用が存在するからです。(「シュタイナー教育の基本要素」P176)
現代の子供たちの永久歯問題は、シュタイナー用語で言うところのエーテル体と、それと結びついてる人体の関係が変容しつつあることのひとつのきざしではないのだろうか。縄文人の抜歯は乳歯と永久歯が交代する時期に行われていたのではないだろうか?
そして縄文人たちが「エーテル体と密接なかかわりのある人体の一部を強制的に排除する」ことでかろうじて保つことのできた「ある能力」つまり「霊界を見る能力」は、その後、弥生人たちとの種族混交で完全に失われてしまう時代がやってくる。弥生人たちにとっても状況は同じである。なぜなら当時「種族の混交」はそれまで「種族の血脈」によって受け継がれてきた力の弱体化、あるいは完全なる喪失を生じさせたからである。
そして今「危機回避行動としての強制撤去」ではなく「自然発生」によって、初めから永久歯を排除して生まれてくる子供たちが出現するようになった。これまでは堅い歯を構築するために使われていたエーテル体はもはや「物質構築」のために使われない。その力は何に用いられることになるのだろうか。これらの子供たちのなかには、霊視力を持っている者がいるかもしれないが、人のまわりが輝いていても、それを「あたり前なことだ」と認識して生活しているんではないだろうか。
レストランで向かいのテーブルに座っているあたまがツルツルの紳士を5歳の男の子が目をまるくしてみている。そしてお母さんにこう言うのである。
「お母さん、あの人、頭が光ってるよ」
お母さんはその紳士を見て、確かに電球の光を反射しているのをとっさに見て、
「何いってるの、やめなさい」
と子どもを叱ってしまう。
けれど子供が見ていたのは、つるつるの頭皮に映ったランプの反射ではなく、その紳士の頭全体をおおって光っているオーラだった。
こうして、子供はオーラの話をするのを今後はやめてしまう。
現在はこういう状況下にあるのかもしれない。