"隠れた名盤"カテゴリーの記事一覧
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以前、CDをWAVでリッピングしてハードディスクに収め、それをPCからステレオアンプにつないでオーディオスピーカーで鳴らして聴いていると書いたのだが、最近は、それさえやらなくなってしまった。
amazonの「3か月間お試し価格、amazon music unlimited 99円攻撃」を受けて、試しに入会して使ってみたら、私がリッピングして聴いていたアルバムはほぼネット経由で聴けるじゃないか。
気が向いたら、新しい楽曲を探索し、お気に入りのアーティストとかも増やしているところ。
もはやリッピングという手間さえも必要がない。だから、CDを収納する棚もCD自体も必要ない。そうやって断捨離が進むのだった。
車に乗ってさえ、ダッシュボードに備え付けてあるオーディオ機器でネットアクセスできることが標準装備になったら、ほんとに円盤商売は消えてしまいそうだ。
パッケージ込みでの付加価値だった音楽商売は、完全に変容してしまったね。PR -
あるメディアの取材で100%逃避主義を受け入れると言い切ったそうですが、あなたがそう考えるようになったのはどうしてでしょうか。
だって、逃避主義はウォッシュト・アウトの大きな一部なんだよ。
YOUTUBEでアンビエント系の曲をチェックしていたら、「GREAT ESCAPE」という曲を発見した。ウォッシュト・アウトのPARACOSMの中の1曲だった(アルバムはその後購入済)。
南洋系(あるいは昔流行った言い回しのコロニアル系)サウンドというか、あるいはインナートリップ系サウンドといってもいい。
GREAT ESCAPEで検索をかけると、あの往年の名作映画「大脱走」がヒットした。
原題が「THE GREAT ESCAPE」だったんだね。これに「大脱走」という邦題を付けた。
しかしGREAT ESCAPEっていう題名の曲がほかにもいっぱいあることに、検索をして初めて気づいた。「ここからエスケイプしたい」と思っている人が多いことの反映なんだろう。
最近、ネットで西部邁が川に投身自殺したという記事を見つけて、前々からしようと思っていたアルバム・プッシュをやっとする気になった。
西部邁は著書のなかで「自分の最期は自殺」と予告していたそうで、実際にやってしまったわけだ。私が彼の訃報を聞いたとき「もしかしたら、奥さんに先立だれていたのか」と思ったのだが(江藤淳がそうだった「奥さんに先立たれ、自身も体調不良だった)。人が自殺するときは「理念の死」など選ばないと思う(近代以前の切腹は「名誉を渇望する理念の死」だが)。たぶん自殺願望(生命感覚の萎縮)があった人なんだと思う。
命を保ったまま水平線上に逃げれば、たとえば南洋楽園への逃走者なんだろうが、垂直逃走者(すなわち自殺者)という者もいる。しかし仏教的にはこれは「究極の大脱走」ではないらしい。因縁という「引力」が彼をいずれ地上に引き戻す。宗教的な意味での「本物の垂直逃走者」は「地球」から逃げおおせた人のことだろう。キリスト教も仏教も「人類の地球体験」と「地球へ引き戻す力=引力」からの「人類大脱走」計画を実現する方法だった(宗教を「人間に道徳を教え、地上生活をよりよくする教え」だと誤解しているのが近代人だよね)。
西部邁は「欲望の充足を求めて、ひたすら水平面上(地上)を移動するばかりの現代人は下劣だ」というような趣旨の発言を著書でしていたが、一方で人は「垂直」(宗教的な超越)の移動をめざすしかないが、「私にはそれを選択できない」ということも言っていた。唯物論者として生きていたからだった。
逃げるなら「地球」からだが、古い宗教的伝統は「近代人」に疑念を抱かせるばかりで、脱走に成功している人間はもはやいないのだろう。
ならばせめてウォッシュト・アウトの「GREAT ESCAPE」を聴いて、曲が流れている間の数分間だけ、自分の中に逃げるくらいしかないのだろう。 -
アマゾン・プライムで動画を見ていることはすでに書いたけど、最近はプライム・ミュージックの方が利用頻度が多くなってしまった。
特に最近はビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビー」と「サンデイ・アット・ザ・ビレッジバンガード」ばかり聴いている。何がいいかというと、スコット・ラファロのウッドベースの演奏と音がすごくいいんだな。それが聴きたいので、ビル・エバンスのピアノ演奏を聴いている。だからスコット・ラファロの参加していないほかのアルバムは特に聴いてはいないんだよね。
あとアコースティック・ギター系では、ジョニ・ミッチェルの「Blue」。「All I want」では、右のスピーカーから聴こえてくるギターの6弦がガンと鳴った時の胴鳴りの響きがすごくいいんだよねえ。調べたら、あの音作りは、ジェームス・テーラーのバックアップがあったればこそ、ということらしく、結局ジェームス・テーラーのアルバムを探して聞くと、これが独特でまたいいんだな。
CDをリッピングして外付けハードディスクに入れ、これをWindows10のGrooveミュージックで聴くっていう習慣が始まって、リッピングが済んだCDはまとめてダンボールに入れて、倉庫に保管とかいうふうなことになっちゃうと、ますます部屋の中が片付くよね。自分の聴きたい曲が、すべてストリーミングで探せるなら、もともと部屋のなかをものでいっぱいにしないことが、日本の家の美意識だった時代に少しは戻れるかもしれないね。
でもさすがに本はアナログ式で、つまり手を使って「あの記事はこの辺に載っていたよな」って探すほうが速いような気がするので、キンドルとかはやっていない。
「ウッドベースいいなあ」というわけで、低音の出るスピーカーをヤフオクで探したら、70年代にNECがDianGo(ジャンゴ)名で出していたコンポのものだったろうスピーカーの写真が目に入った(AUS-5500)。
低音がボーンボーンと響きがちなバスレフ方式ばかりの商品のなかで(低音ブリブリ系が欲しかった)、「なんかデザインが異質」、ウーハーが2つ付いてて、「なんか低音出そう」と思ったので(しかも100円)、誰も見向きもしていなかったこのスピーカーを100円で落札した。送料が2000円ほど。
家に到着してさっそく鳴らしてみたら、なんかひでー音だった。「なんだよ、一番下のウーハー鳴っていねえじゃねーか(最初ごく小音量で聴いたのでそう感じてしまったのだった。音圧を利用するスピーカーなので、それなりの音量が必要だった)、欠陥品だったのか? 」ということで、裏側のネジを外して、中を見たら、そもそも一番下のウーハーには電源が来ていなかった。
「ああっ、これはいわゆるパッシブ・ラジエーターっていうやつじゃねえか?」そうだったのだった。初めて目の前で見た。うわー、70年代の、しかも、大型のスピーカーに付いている超珍しい形式のスピーカーじゃないか。まあ、「音質は現代風じゃない」けど、これはこれで珍品なので「ありだな」と思って使っている。70年代のセット売りコンポの慣例通り、スピーカーのネットは外れない。
スピーカーにはホームセンターで買ってきた、かなり小さめの硬質ゴム製のインシュレーターのごときものを木ネジで4つずつ取り付けた。
それにしても異常に音質が悪く聞こえたのは、プライム・ミュージックのストリーミング音質が「高・中・低」と自動的に切り替わることを知らなかったからだった(PC側の能力によるらしい。今では常時高音質設定にして聴いている)。使用するPCをHP DC7900USからHP DC5750SFにかえたら、高音質で聴けるようになった。もともと自宅にあったスピーカーで聴くと、低レート時でも、それほどひどくは聴こえないのに、このパッシブ・ラジエーター式スピーカーはもろに音源劣化の反応が出る。それが自分には不思議なことだった。ちなみに音源はPCのラインアウト信号をアンプに直結。USB-DACとか使わなくても自分には十分いい音なのだった。PCラインアウトからノイズがそもそも出ていないし、ハイレゾ音源を購入する予定もないし。70年代の高校生はLPをわざわざ音質の下がるカセットテープに録音して聴いていたじゃないか。LPを守るために。だから多少の音質の差は許容範囲なんだよ。どうせあんまり区別つかないんだからさ。
このセットは32インチモニターとカラーボックス以外は、もちろんヤフオク系中古品セットだけど、居間にあるセットとは別に、かつて自分が高校生まで自室として使っていた四畳半に一辺50cmのタイルカーペット敷き詰めて、据え付けたもの。いわゆるチープオーディオの世界だけど、結構きれいでしょ。ネットなんかで見かけるオーディオ・マニアの部屋は、まるで科学実験室のごとき「異空間」に満ち溢れているので、「人が暮らす場所として、やりすぎない」のも大事かと。 -
調べてみると、matryoshkaの「Monotonous Purgatory」について書いたのが、2008年のことなので、もうずいぶん昔のことなんだけど、この曲のmusic videoが存在することを本日まで知らないで暮らしていたのだった。
この楽曲に合わせて、アニメ作家の銀木沙織がアニメーションを制作している。そこで描かれているのは、
「荒涼とした世界で眠りと死(埋葬)と目覚めの表象を繰り返している少女の姿」
だった。 ということで、今回はこの銀木沙織作品について書いていきたいと思う。(以下はアニメの内容のネタバレなので、知りたくない人は先にリンク先のYouTubeでアニメを見てください。)
matryoshka - Monotonous Purgatory (MUSIC VIDEO)
ここで描かれているアニメーションが、私がかつてこの楽曲と題名(マナータヌス・パーガトーリ)から連想したイメージ(眠りと死と天使)に重なる部分を感じて、なんだか心をジンとさせながら、何度も見直していた。
あの世にいくと案内人が現れるとよく聞くけれど、このアニメのなかにも「彼女を星空のもとへ連れて行く友達のような存在」が現れる。もしかしたら、それは天使だったのだろうか? 本当のところは分からない。
古びた病院のような建物の屋上で彼女はたくさんの流れ星を見る。だが彼女はその後、融けたようになって消えるのだった。ベッドの上から融けて消えたように。
彼女は埋葬され、森のなかで目覚める。そしてこの物語の始まりと同じ道をたどって、アパート(それとも病室なんだろうか)に戻るとふたたびベッドで眠りにつくのだった。
このアニメを見る者は、なにか心にうごめくものを感じずにはいられない。ただそれが何なのかうまく言葉にできる人はいないんじゃないかとも思うのだ。
p.s.1 実を言うと20代のころ、「夢かうつつか定かでない意識状態のなかで繰り返される反復行為」を短いながらも本当に経験したことがある。
物憂い感じのする日差しの照っている午後、自宅にいてステレオから音楽を流しながら、その前に寝転がっていた。無性に眠気を感じる。ちょっと音が大きすぎる感じがするので、体をねじって半身だけ起き上がってアンプのボリュームに手をかけて右に回した。
心なしか音が小さくなった気がしたので、それでまた同じ体勢に戻って寝転がってうとうとしていた。だが気がついたのだった、「音が小さくなってない」。おかしいなと思いながら、また同じ体勢になって、さっきと同じようにボリュームに手をかけて寝転んだ。すると、また「あれ、やっぱり音がちいさくなっていない」。
そんなことを4,5回繰り返したと思う。いったいどういうことか分からなかったが、「もうこれは絶対おかしい」と思い、さっきまでの中途半端な体勢を取るのをやめて最後に完全に体を起こして、ステレオアンプの前に座りなおし、ちゃんと確認しながら音を絞った。すると今度はずっと音量は下がったままだった。「自分は夢を見ていたんだろうか。でも、どこからどこまでが夢だったんだろう。自分の意識、というか記憶の中ではすべての行為が連続していたじゃないか。こんな不思議なことがあるんだろうか。そのときそんなふうに思ったけれど、もはや今日まで同じことは二度と起きなかった。
p.s.2 だが別の不思議なことが起こった。これも物憂い感じのする午後のことだったが、同じ家、同じ場所で目を閉じて寝ころんでいたら、額の上に白く光る両手が一瞬現れたことがある(この話は既出だったね)。それは蛍光灯のような色合いの、ぼっと輝いている感じのてのひらだった。とにかく20代のころ住んでいた家は不思議なことばかり連続して起こる家だった。(さらに知りたい人は「怪異な出来事」カテゴリーに飛んでください)。
p.s.3 ふと思い出したのだが、押井守監督の「天使のたまご」をみると、「マナータヌス・パーガトーリ」状態に陥っていると思われる人々が出てくるよね。
p.s.4 LEXXシーズン3で出てくる海上に浮かぶさまざまなタウンに「死んではまた現れる」を繰り返している人々も、やっぱり「マナータヌス・パーガトーリ」状態だね。彼らは最終的に地球に転生するけど。
p.s.5 黒澤明監督の「乱」で、荒涼とした大地にさ迷いこんだ一文字秀虎(仲代達矢)が叫ぶ、「ここは無間地獄か」。という具合に、銀木沙織さんのアニメーションを見て、実はさまざまなことを思い出したのだった。
p.s.6 「ダークシティ」という映画は傑作だと思う。ここにも輪廻転生というか生まれ変わりのアイデアは使われているけど、ネタバレになるので詳しく語るのはやめておこう。この映画のラストシーンのイメージがどことなく押井監督の「天使のたまご」のラストシーンに重なる。
p.s.7 「一生の?お願い」という映画では主人公はこの世で生きることそのものが「マナータヌス・パーガトーリ」だと感じたんだろうな。 -
最近GYAOで「地獄少女」の第二期の配信が始まったけど、それをきっかけにオレは第一期を見ることになったのだった。第一期ED「かりぬい」の最後で鳴らされる(マンドリンかな?)の音色がやけにノスタルジーをかきたてる。オレはあの最後の音にさらにキメの音色を勝手に付け加えて悦にいるのだった。あの最後の音にさらに演奏をもう一呼吸分付け加えたいと感じた者はなにもオレばかりじゃないだろう。
マンドリンのトレモロ奏法はなぜあんなふうに人の心に不思議な効果を与えるのだろう。マンドリンとノスタルジーといえば、日暮しの歌う長崎犯科帳のエンディング・テーマ「坂道」の伴奏がそうだ。
さらにいえば、アルバム「かぐや姫LIVE」で存分に堪能できるマンドリンの音色。特に伊勢正三の「置手紙」におけるマンドリンは秀逸なのだった。実際オレが一番好きなかぐや姫のアルバムはこの「かぐや姫LIVE」だったりする。
12弦ギターにしてもそうだが、こういう系統の弦楽器はなにかキラキラした小粒な音素をまわりにばらまく。一定の旋律を延々と続ければ、もはやトランス音楽だ。(今回のテーマとは離れてしまうが、アコギ・トランス系を聴きたかったら、ウィンダムヒル・レーベルのウィリアム・アッカーマンとかマイケル・ヘッジスとかをお薦めする)。
90年代にジミー・ページが出した「ノー・クオーター」にしても、中近東系キラキラ系の楽器の音色が大フィーチャーされていたよね。
12弦ギターの音色が印象的な名曲と言えばイーグルスの「ホテルカリフォルニア」もはずせない。
昔、といっても80年代後半だが、職場に、誰かのカセットテープが置き忘れてあった。よくみるとグルジェフの音楽じゃないか。すごく興味があったので、悪いとは思ったが、カセットテープレコーダーで鳴らしてみたら、まさに小粒でキラキラしたトランス系音楽。「わ、スゲー」・・・・。でもほんのしばらくかけてすぐにカセットをもとに戻した。あとから持ち主がやってきて「あ、ここにあった」ともっていったが、中年の化粧のハデな女の人で、「えっ、まさかこの人だったの」と逆にどぎもを抜かれた。とてもグルジェフなんて知ってそうな人には見えなかったからだ。あのとき勇気を出して「あの、このカセットかしていただけないでしょうか」と言えなかったのが今でもくやまれる。
で、ここからがオレが大好きなシャオ・ロンのアルバムの話だ。
まずは「wild rose」を聴いてみてほしい。
楽器はマンドリンではなく、2000年の伝統を持つ中国琵琶だけど、トレモロ奏法によって心をかき乱される感じは同じですよ。オレは昔この人をFMラジオで知り、すぐにアルバムをネット販売で手に入れた。でも当時はアマゾンでは手に入らなかった。いまはアマゾンで、しかも廉価な輸入盤が手にはいるので、今回の紹介で気に入った人はぜひぜひ一家に1枚置いて、心をかき乱されたくなったら(なんか内側のアタマが半分現実の頭から出ていきそうなのだった)、聴いてください。プラケースにお香が入れてあるので、いい香りもするアルバムなのだった。
Shao Rongについて
amazon.co.jpのShao Rong