"ルドルフ・シュタイナー"カテゴリーの記事一覧
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(古代には)選ばれた人だけが、秘儀参入を通して、霊界を見ることができました。そのような人びとは、古代においては、「蛇」と呼ばれました。蛇とは秘儀参入者のことなのです。(ヨハネ福音書講義P140)
--------------------------------------------------------------------------------古来、象徴あるいは象徴図は多義的に用いられてきたので、判断を行う場合は、文脈を理解しないと大抵誤解に終わります。
たとえばヨハネの黙示録を「物質世界、あるいは世界政治的に読む人」は、ちょうどタロットカードに描かれている図案を「王様がさかさまに落ちていきます」次のカードは「火がが山頂に降り注いでいます」などと説明している人の言葉に、図案通りに反応し、かつて歴史的に物質界に存在したあれやこれやを「連想的に当てはめて、おそろしい未来が来る」と吹聴してまわる人と同じことをやっているにすぎません。タロット占い師はイメージが指し示しているものを解読します。ヨハネは人々に、タロットカードの絵柄をこんなものが描かれていると順番に説明する人のように霊界で見たイメージをそのまま書き並べているのですが、そのように受け取りたくない、唯物論的な感受性を持った人々が、物質界で起こるべき大災害だ、政治的変動だと受け取ります。
インドのヨガなど、神秘思想の領域において、尾骶骨から背骨に沿って上昇していく力(クンダリニー)を、英語でserpentine fire(サーペンタイン・ファイア)と呼んでいたりします。
日本人にはクンダリニーとサーペンタイン・ファイアと、どちらがより聞き覚えのある「用語」でしょうか?アース・ウィンド&ファイアのファンだった人なら、アルバム『太陽神』(原題All 'n All[オール・アンド・オール])に「serpentine fire」という曲が収められていますから、あるいはサーペンタイン・ファイアという言葉を知っているとおっしゃる日本の方もおられるかもしれません。
クンダリニーについては、ウィキペディアでは以下のように説明しています。
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インド哲学用語。 原義は「とぐろを巻いている雌のへび」で、人間の個人存在の奥底にある活力、可能力を意味する。
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シュタイナーの『ヨハネ福音書講義』にはこう書いてあります。
-------------------------------------------------------------------------------彼ら(秘儀参入者たち)がイエス・キリストの先ぶれでした。モーセは蛇を掲げる(民数記21章8-9)、つまり霊界を見る人びとに高めるという使命を、象徴として民衆に示したのです。(ヨハネ福音書講義P140)-------------------------------------------------------------------------------聖書には人類の言語が分断される原因となったバベルの塔の話が出ていますが、神智学の文献によると、アトランティス時代の人類の言語は皆膠着語だったそうです。その時代は、今日よりもずっと世界の人種・民族・国民相互の意思疎通が容易な時代だったはずです。
神智学、あるいはシュタイナーの解説によれば、アトランティス時代の終焉期に勃興したのがモンゴロイド、黄色人種です。それ以前にすでに6つの人種が勃興し、前衛の役割交代を重ねて行きました。ある人種が、力を得、力を発揮し、そして、次の時代の人種に勢力が移動していきました。今日でもそういう「力の担い手の交代劇」は「フラクタル的」に起こっています。
アトランティス時代の文明が「7つの人種による交代劇」によって進展していったのに対し、アトランティス後のユーラシア文明は「7つの民族の交代劇」によって進展します。
15世紀以降、今日までアングロ・サクソンが世界を牽引しています。英語は世界共通語になりました。しかし少し以前までは、ラテン系の民族が世界を牽引し、今日のアングロ・サクソンたちの先祖たちは自分たちを文化的に劣った者として、ギリシア・ローマ文化的なものを、あるいはラテン語を敬っていたのです。
それ以前の前衛文化はエジプト文化であり、その前は(今日知られているよりも以前の)ペルシャ文化であり、その前は(今日知られているよりも以前の)インド文化が人類の前衛的立場に位置しておりました。それより以前になると、すでにアトランティス時代末期の別のサイクル時代に突入します。
インドを大きな円の最下部として、左向きに時間を動かしていくと(下図クリック参照)、古代文明の担い手から近代文明の担い手へ順番に左回りに力が移動していることに気づくはずです。古代インド東隣にアトランティス人としての最後の人種、黄色人種が生きていました。黄色人は前時代の一連の文化継起の最後の場所を生きました(小さな6の端っこ)。継起する時間は、新時代を生きるようになったアトランティス系モンゴル人種と新たに生み出されたインド民族の間で分断されています。
神智学の文献によれば、アトランティス時代の黄色人種は、それまでの人種と異なり、アトランティス大陸では生じず、今日のユーラシア大陸が、古代的な形をしていた時代に、今日のロシアの北東部あたりを居住地として始まったということでした。
今日の人種は素質のいくつかを受け継いでいることはありますが、アトランティス時代の、人種と全く同じというわけではありません。今日の、人種は新しく生まれたもの、新生されたものです。
エドガー・ケイシーの1万年以上前の超古代時代のエジプトに関するリーディングに黄色人種の記述が出て来ますが、「黄色人種とはいっても、彼らは今日黄色人種と分類される人々とは顔つきが異なっていた」という不思議な記述がでてきます。
ちなみに余談ですが、アトランティス大陸からエジプトへ避難してきた高貴な人々は両性具有者だった。彼らはそれを誇り、両性具有者ではない現地民を軽蔑していたというこれまた奇妙な記述もあります。
アトランティス後の新しい周期は「新しい言語構造」を人類にもたらしましたが、今日でも膠着語を話している日本人は、古い時代の言語構造を受け継いだ民族です。今日の中国人の話す言語は膠着語ではありませんが、周辺のモンゴロイド系の民族には膠着語系が多いので、中国人は、ある目的で特別に分けられた人々だったのでしょう。
紀元前2000年より少し前頃に、ルシファーが人としてかつての中国に出現し、現地人を指導したとシュタイナーは語っていますから、モンゴロイドの仲間であるにも関わらず言語構造はむしろ、アトランティス後に世界中に出現した非膠着語系の言語を使うようになった今の中国人たちの先祖たちは、やはり特殊な立場に置かれていた人種民族集団だったのでしょう。
アトランティス文明が終焉して、新しい周期が始まり、今日もその時間軸上で事件が展開し続けています。前の周期においては、すべての人類が一般庶民まで秘儀参入者的でした。つまり地上生活を行いながらも、霊界もまた体験していたのでした。しかし、そのような「感覚体験」はたくさんの世代交代を重ねる間に次第に民衆生活から消えていきました。
キリストが地上に、人間の肉体のなかに顕現した当時、一般の民衆からは前の周期では当たり前に行使できていた「霊界を見る感覚」は失われていました。ただ言い伝えや伝説だけが霊界の存在を教えてくれていました。
それゆえにアトランティス崩壊後の周期において「秘儀参入者」という人々が価値を持つようになったのです。彼らはいわば菩薩道に参入した人々です。富士山が山開きするときは、まず富士山登山のあれこれに通暁したエキスパートが先に入って、後から来る「一般登山者たち」のために人知れず「道を整え」ます。そのように「彼ら」は、これから未来に向けて、霊界参入していく人類の安全を考慮し、見届けます。
「日本の神話部分は秘儀参入(霊界参入)を描いている」と何度も訴えてきましたが、YouTubeなどでも、このテーマをまじめに取り上げている「その方面の広宣人たち」をいまだに目にすることがないのが少々残念です。
伊勢遍歴をする倭姫命(やまとひめのみこと)は個人名ではないとどこかの記事で書いたことがあります。これは秘儀参入用語のひとつです。同様に、倭彦命(やまとひこのみこと)、も倭建命(やまとたけるのみこと)も「個人名」ではありません。
たとえばこの秘儀参入者用語は以下のように使います。
倭イワレ彦命
これは神武天皇の諡号として日本書紀に伝わっているものです。
倭〇〇〇彦命、という形式で呼ばれる人物は、「ある段階の秘儀参入」に至ったことを示しているのです。女性の場合は、倭〇〇〇姫命と呼ばれます。有名な人物として日本書紀に登場する倭迹迹日百襲姫命 (やまとととびももそひめのみこと)の逸話があります。ともに秘儀の7段階のうち、第5段階の秘儀参入を成功させている男女への呼称です。
神話上では、さらに高い段階の秘儀に参入できた者は、倭〇〇〇建命と呼ぶことになっていたらしいいことが暗示されています。ですから、神話に登場するヤマトタケルノミコトの「個人名」は今日伝わっておりません。倭姫命の遍歴物語もまた、彼女の「個人名」は示されていないのです。
西洋には「白鳥」を象徴とする秘儀の高次段階が存在します。ヤマトタケルの物語も「白鳥となって飛び立つお話」で終わるのは、興味深いことです。
「蛇」は秘儀参入者を暗示する符牒でした。オオキミの時代の日本において、「蛇」の象徴を持っていたのが大物主大神ですが、具体的にはその子孫と言われる物部一族が「秘儀実践の細則」を「不立文字」(とはいえ、当時は、もともと文字なき口承の時代でしたが)として保全してきたのでした。
のちの時代の物部氏の没落物語(=表舞台からの隠遁)は、「もはや本来の秘儀参入は行われない」ということの別様の表現でもありました。
遠い古代以来の霊界参入能力を素質として持っている人々は、必然的に減っていきました。アトランティス後の時代の「前半」は、そうなるように運命づけられていました。人間はかわりに知性を育てる周期に入っていたからです。
神話に登場する、倭姫命が「箸にホドを突かれて絶命するエピソード」は「蛇の一族、すなわち物部族に導かれて行われた秘儀参入の失敗を告げる物語であり、もはや秘儀の7段階のうちの、第6段階の秘儀参入の儀式に耐えられる者(アマテラス)はいなくなった」ということを示す物語でした。
-------------------------------------------------------------------------------《日本書紀》に登場する巫女的な女性。《古事記》では夜麻登登母母曾毘売(やまととももそびめ)命と名のみみえる。謀叛の予見,神憑りによる神意の伝達などで崇神天皇を助けたとある。姫は蛇体の大物主(おおものぬし)神の妻となるが,その正体に驚いて夫の怒りをかい,後悔のあまり箸で陰部を撞いて死ぬ。よって姫の墓は箸墓(はしはか)とよばれた。奈良県桜井市にある大規模な前方後円墳がそれだといわれる。姫を邪馬台国の卑弥呼(ひみこ)に比定する説もあるが,ともあれ大古墳の主という伝承自体,当時の巫女的女性の権威の大きさを物語っている。
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「蛇体の大物主神の妻となる」=第6段階のアマテラスの秘儀を敢行する
「その正体に驚いて夫の怒りをかい,後悔のあまり箸で陰部を撞いて死ぬ」=高次の霊界への上昇に失敗し、命を落とした。
この神話はエロ話をしているのではありません。今日のような唯物論者ならば、エロくて悲惨な話と受け取るでしょうが、「秘儀の秘密の管理者たち」は秘密を知るべきでない人々が「そのように受け取ってくれるなら、むしろ歓迎だ」と思っていたでしょう。
世界中にある「蛇殺し」の神話は、「アトランティス後の人類はそれまであった霊界を見る能力を失った」ことを神話的に表現したものです。ギリシア人の活躍した時代はもはや「特殊な素質を遺伝的に受け継いでいる少数の者以外、一般庶民たちが蛇たることをやめてしまった時代」でした。ただ、そのような神話・伝説を未来に解読されるべき贈り物として受け取り、知性の育成の時代に入っていったのです。
今年は巳年、蛇の年ですし、「モーセが蛇を掲げた」ように、新しい秘儀参入体験を持つことのできる人々がさらに増えていくのでしょうか?
楽しみですね。PR -
前回の記事では、「エルフェンリートと百合の花」を扱ったが、今回はエルフェンリートと角について、さらに「連想」したことを書くことにする。
エルフェンリートに登場してくる少女たちの頭には、一見すると猫耳と誤認しそうな形姿の「角」が描かれている。岡本倫先生は、なぜあのような読者が簡単に誤解してしまいそうな形姿で(猫耳っぽく見える)角を描いたのだろうかと思う。
それは単にデザイン上のつまりルック上の審美的判断によって、日本における鬼のイメージのような「伝統的な角の描き方」を避けたからということなのかもしれない。作品中では、角と松果体との関連にも言及していたので、秘儀参入関連の話として登場してくる7つのチャクラ、特に眉間(アジナ)のチャクラの話とまったく無関連だとも思えない。きっと文献的な参照はされているのだろうと思う。
近年日本の漫画家やアニメーター、あるいはラノベ作家たちは、神話や魔術や神智学や人智学文献に詳しい人が増えていると思われる。ネタの宝庫だからだ。ところで一方で、飯のタネになるからとそれらの書物群を読み、その体験をもとに物語作りに没頭している彼らクリエイターたちは、自覚はなくとも「天啓」を地上で具象化しているのであって、中世的な布教システムのなかで、古びた説教を、教えられた通りにオウム返しているわけではない。組織安堵が目的の古い西洋由来、東洋由来の教会思想の頒布者たちは、今日もはや力を失っている。「彼らの言葉」はもはや民衆を感激させる力を失っている。
西洋においては、悪魔は角を生やして描かれているし、日本においては、鬼と呼ばれる存在は、童話の挿絵などで図像化されているように、やはり頭に角を生やしている。
古代日本人は「鬼」という漢字が日本に入ってきたとき、なぜか中国原義の「死霊」の意味を、「鬼」と書いて「おに」と読ませる漢字に含意させなかった。今日においても日本人にとって鬼(おに)は中国人が思うような「死んだ人間の霊」ではない。一方、ルドルフ・シュタイナーは、『神智学の門前にて』で、ミケランジェロは、モーセが秘儀参入者であることを象徴的に示すために二本の角を頭の上に加えたと語っている。
シュタイナーによると、額のチャクラは二枚の花弁を持っており、モーセの頭部に付け加えられた二本の角は、その二枚のチャクラの花弁の隠喩なのだ。つまり「角を持つ者」とは「秘儀参入者」の隠語でもあったということだ。
------------------------------------アストラル体に、ある器官が発生する。その器官というのは、七つのチャクラである。鼻根のあたり、眉のあいだのところに、二弁の蓮華のチャクラができる。霊視的な芸術家は、このことを知っており、作品のなかにそのチャクラを象徴的に描いた。ミケランジェロはモーセ像に、二本の角を刻み込んでいる。(P55-P56)------------------------------------神智学者のリード・ビーターは「これがチャクラのイメージ図だ」と、彩色された七つのチャクラの姿を『チャクラ』という本の中で紹介している。以下は眉間のチャクラの図像である。
『チャクラ』によると「眉間のチャクラの花弁は2枚または96枚」と書かれている。真ん中で半分に割って左右微妙に色合いが異なっていることは確認できると思う。大まかな色としては2色に分割できるが、さらに発展すると96枚に分節していくということなのだろう。
ちなみに、シュタイナーの『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』においては、眉間のチャクラは2弁でできていると述べている。
以下は『チャクラ』掲載の図像に手を加えたものだ(画像をクリック)。
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そして今はじめて、両目の付近にある二弁の蓮華を用いる時がきたのである。この蓮華が回転し始めると、自分の高い自我をそれより一層高次の精霊達と結びつけることが可能になる。この蓮華から生じる流れは高い位階にまで広がっていくので、その精霊たちの活動が完全に意識化できるようになる。光が物体を見えるようにしてくれるように、この流れが高次の世界の精霊たちを霊視させてくれるのである。(文庫版P183)
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このように、ルドルフ・シュタイナーは、「額の二弁のチャクラを発達させた者は、高次の精霊(神霊)たちと交流を持つことができるようになる」と『いかにして超感覚的世界の認識を獲得できるか』のなかで述べている。
そういうわけで、古代の日本においても、二弁の額の蓮華(チャクラ)を開華させえた者(秘儀参入者)は、「額に二本の角を生やした者」あるいは「おに」と形容されていた時期があったのではないかと考えたのだった。
飛鳥・奈良時代は「日本精神の中国化」が進められた時代だった。特に大化の改新の均田制の導入は司馬遼太郎によれば「古代の社会主義革命」だった。また彼によれば、その時代は一方では、国家によって民衆が黙らされた時代だった。(参考『この国のかたち』)
高松塚古墳には人物像が描かれているが、それは、あきらかに当時の中国人の風俗図であった。では、日本の選良たちが「中国文化にかぶれ」る以前の日本人は、顔をどのように描いていたのだろうか、というのが新たに芽生えた私の関心だった。
そう思ったとき、隔世遺伝のごとき復古趣味、つまり両親(飛鳥・奈良時代)からではなく、その前の世代(おおきみの時代)の祖父母の因子が遺伝されるように、平安時代の化粧法の中にその「日本本来の化粧思想」が隠れているのではないかと、ふと思いついた。
そして同時に30年ほど前、ニフティーサーブでパソコン通信をしていた時代に出会った「ある議論」を思い出した。
それはスサノオノミコトの図像には眉の下に角が描かれている、というものだった。それが以下に掲げた、島根県松江市の八重垣神社に伝わる絵画である。
左がスサノオノミコト、右がイナダヒメの図像と伝わっている。両人ともに本来の眉を消し、額の左右にべったりと墨を塗ったような大きな眉が描きこまれている。「スサノオノミコトの左側の眉はなぜ盛り上がっているのか、これは角ではないのか、角の上から眉墨を大きく塗りこんだ姿ではないのか」という問題提示だった。
今日、考古学的遺産として残されているのは、当時の日本の指導層がどのように隋・唐の政治・文化風俗に感染させられたか(かぶれたか)を示す証拠である。
高松塚古墳の壁画に出てくる人物画は、眉間に文様はないが、眉は「正しい位置」にしっかりと描きこまれており、これらはそのまま当時の中国人の風俗そのものだと言える。また正倉院にある「鳥毛立女屏風」からは、眉をしっかりと描き、眉間の間に文様を描き込むという、当時の中国婦人たちの化粧風俗を読み取ることができる。
今日の日本の女性の眉は時代によって濃くなったり、薄くなったりしても、本来眉のあるべき「ただしい位置」に描いている。だが、そもそも平安時代の貴族たちは、男も女も「本来の眉のある位置」に眉を描かなかった。
当時の中国人たちが「眉のある場所に眉を描いていた」のに対して、日本の貴人たちは本来の眉を消して、額の位置に新たに眉を描き込んでいる。
わざわざそんなことをする理由が「何に由来しているか」、実ははっきりしたことは一般には知られていない。ただ「確かにこの化粧習慣は中国産ではない」と思われる。とすれば、その淵源は飛鳥時代以前の「秘儀の文化」からもたらされたものではないかというのが私の見立てだ。
2.3世紀ころまでの日本人は、まだ肉の体にありながら霊界を垣間見る能力を残していたらしいことは、以前にも書いた。
そのような人々の中に、高次の神霊たちと交流する感覚を持っていることを示す「眉間のチャクラ(蓮華)」の開華者たち、すなわち秘儀参入者たちが存在した。彼ら彼女らは「光り輝く眉間のチャクラ」を有していた。
6・7世紀には、本来の秘儀参入者は日本の朝廷周辺からも消えてしまっていたが、「古代の思い出」はなお残っていた。
古い時代、魏志倭人伝に書かれているように、貴人とは秘儀参入者であるがゆえに拍手を受けて敬われる存在のことだったことも前回書いた。
平安時代に「シナ革命以前の日本の古代への復古(国風文化)」として、当時の貴人たち(貴族たち)が、自分たちの化粧として施した「不思議な眉の描き方」は、「強い霊力の持ち主の象徴として二本の角(二弁のチャクラ)を額に持っていた先祖たちの子孫」であることを表示する、いわば記号だったというのが私の見立てである。
平安時代の日本の貴族たちは<男女ともに>同じような眉の描き方をするようになった。あるいはすでに以前から「日本人の伝統」として、飛鳥・奈良時代には、そのような化粧法(秘儀参入者であった先祖の思い出として、その血を受け継ぐ子孫のあかしとして、「角持ち」の象徴として額の高い位置に眉を描くこと)はあったのかもしれないが、考古学的遺物として発見された中国式肖像画の存在が、そのような「伝統の先在」の事実を覆い隠していたのかもしれない。
飛鳥・奈良時代の人物画として日本に残っているものは、「当時の日本人」を描いたものだったのかさえ、あやしいからだ。それは単に当時の中国人の姿だったのかもしれない。
古代中国文化が流入する以前の古代日本には「神あるいは貴人の肖像を描く」というような文化はなかったのだから。
「古代へ帰れ」あるいは、新しい攘夷、あるいは王権継承というのなら、飛鳥以前の大王(おおきみ)の時代までの文化、「秘儀参入者たちが統治した時代の文化」へのまなざしが復古する必要がある。これは今日の日本人にはまったく知られていないものである。
見たり聞いたり触れたりする行為は「直観」的(直接的)認識である。先祖たちが、近代日本人が失って久しい「ある直観能力」を持って霊界と物質界を「それぞれの感覚器官(直観器官)」を用いて「認知」していた時代があったということを認めることから始めなければならない。しかしそれは唯物論者であることをやめた者にしか始められない。「それぞれの感覚器官」と書いたが、今日、その片方はずっと失われたまま「復活する」のを待っている状態なのだ。
実際には目には見えないが、「すべての自然物に神霊が宿っている」と空想することをアニムズムという、と近代西洋の唯物論の土台の上で思考作業を重ねている人文科学者たちが語ると、「その意味が担っている土台(実際には自然の中に神などいないのだが、という唯物論者の隠れた悪意」を観取できずに、「これは古い日本文化賞賛のための補強理論になる」と思い込んで「日本人は古来アニミズム思想で生きてきた。すばらしい、日本の古代人は最高のエコロジストだった。自然にはどれもこれも神々が宿っているから大切にすべきだ。実際には古代人にも神々なんて見えなかったのだろうが、考え方自体はすばらしい。だから近代日本人はそのような古代人的思考態度を持つべきだ」などという宣教にしきりに感心して、このトピックは近代日本人への「政治上の説教話」に使えると思いなして、実際にそれを言う輩がとても多いことが問題なのだと気が付かない。
YouTubeなどで「日本最高教」を布教する彼ら自身は、まさに「近代の子」であり、日本の遠い先祖たちは「自然界についてこうあれかしと空想」していたのではなく、「実際に神霊を見、交流していた」ということについては夢にも思っていないのだ。
人間が「実際に神霊を見、交流すること」はアニミズムではない。それは「近代の学者が論文用に空想してこさえ上げた架空の思想」ではなく「実体験」なのだから。日本において左翼的エコロジストにしろ、王党派的な政治的に右側を自任している人々も、実際には「近代人特有の感受性と近代に書かれた歴史解釈本で学習した連想感覚」で古代人を眺めているにすぎない。
皆「どのように思考するか」については「唯物論的近代教育の犠牲者」なのだ。近代人的な連想感覚を土台に作成された教科書の内容でテストされ、高得点をとって、権威筋から褒められ続けると「その言語ルール」のなかで他者とのペーパー競争に勝利し続けてきた自分に酔ってしまい、そこから冷めることのできない悟性魂(硬直脳)のままの利口者もいる。
だから「古代の神話を読んでみよう。万葉集を見てみよう。人の心は昔も今も変わらない」などという「近代人特有の言い回し(偏見)」から抜け出せない人々の「解説」など、本来聞くべき真実な内容を持っているはずがないのだ。遠い古代以来、人間は変容し続けてきたし、これからも変容を続けるのだから。人の心(認識力)は昔と今では変わってしまったのだ。
今後人類が「どのように変化」していくのかについての見取り図については、かつて当ブログでも書いた。
シュタイナーの語る「7の5乗の世界」
今後、一人でも多くの人に「この観点」が共有されるようになっていくことが新しい時代感覚の進展の到来時期の早さ、遅さを決めていくことになるという話だ。 -
ルドルフ・シュタイナーの『歴史徴候学』を読んでいたら、以下のような「速読モード」で読んでいたら、あるいは「?感覚」をすり抜けてしまうような一節があった。
---------------------------------------------------------------------すぐに共感、反感で相手に対することは、人類の未来の発展にとって最高に反社会的なことなのです。(『歴史徴候学』P113)---------------------------------------------------------------------
今日、人の振る舞い方として問題とされているのは、SNSにおける誹謗中傷問題だが、シュタイナーによれば「脊髄反射的共感表明」もまた「反社会的振る舞い」なのだという指摘である。
人の内面において「共感系」(賞賛、崇拝)に極度に偏ることをルシファー的、「反感系」(憎悪)に極度に偏ることをアーリマン系というふうにシュタイナー用語で言い換えると、今の人類は、シュタイナーが生きていた時代よりも「もっと危機的」に感情のジェットコースターゲームを「やらされている」のではないか、と思う。
昨今話題になるようになった「血糖値スパイク」現象のごときものに「自ら飛び込んで」、いわば魂の血管をズタズタに傷つけているがごときの様相だ。
なぜネット系の企業はわざわざ「サービス利用者たち」にトップに掲げた絵のような「振る舞い」をあえてさせているのか。
今日の「反社勢力」は、たとえば暴力団と言われるような旧来の反社団体、脅しや暴力によって庶民をコントロールするのではなく、「一見自発性の発露」であるかのような体裁をとって、庶民に影響力を行使し、「別の成果」を上げようとしているのだろうが、人類は「この便利さ・快適さ」を放擲できない。
They know how to con people
そういえば、シュタイナーは発明に関してこんなことも言っていた。
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40歳以下の人が発明した物は、人類の進化を遅らせ、特に道徳的進化を妨害する。40歳以上になっての発明品は道徳的な内容を含む。(「シュタイナー用語辞典」P227 全集192)
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今日の地球の物質文明(コンピューターを使った情報拡散技術)は「40歳以下の若い人」の発明に負っているのだなあと思ったりする。
勝海舟の『氷川清話』などを読むと、「切りに行って弟子になる」、とか、「刺すつもりででかけていって、相手に圧倒されてすごすごと帰宅する」なんてエピソードが出てくる。
高速移動できる乗り物も通信手段もない時代には「時間をかけて移動し実際に会って話をする」というのが「相手の人となりを知り理解する」ための「現実的」な方法だった。たとえ手紙のやりとりがあったとしても「それだけでは弱い」と思っていた人々がたくさんいた。だからこそ「実際に対面する」ことを重要視したのだった。
それゆえに、彼らの時代に生きていた人びとの方が「観察眼」というか「人を見抜く眼力」は今日の人々よりも本能的に上なのではないかとも思ったりする。
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坂本龍馬が、かつておれに、「先生はしばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者もいって会ってくるにより添え書きをくれ」といったから、さっそく書いてやったが、その後、坂本が薩摩から帰ってきていうには、「なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少しくたたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く。もしばかなら大きなばかで、利口なら大きな利口だろう」といったが、坂本もなかなか鑑識のあるやつだよ。(勝海舟「氷川清話」)-----------------------------------------------------------------
伯楽力は、かつての日本人にも備わっていたと思うのだが、「国民を率いていこうとする人々からその力が急速に奪われていった」のが、日本の近代化(精神の官僚(コンピュータ)化ー養老孟司)の別の側面だったのかもしれない。
かつては、ピンポンダッシュ遊びは昭和時代の小学生の遊びだった。けれども、今日では初めから悪意を持ってサムズダウンのボタンを押すことに「精神の解放」を感じる輩(大人)も増えているようだ。
ヤフーニュースで訃報記事が出ると、多くの人がその記事を見て「数字を可視化する作業」に協力する。「お悔やみ申し上げます」という、これといって特に読み手に反感を抱かせそうにない投稿にも何十個もの「下げボタン数字」の表示がつく。
初めから何にでも「下げボタン」を押そうと待機している「得体のしれない人々」がいるということだ。
40歳以下の人々によって米国から生み出された「発明」は、人々を益しているのか、と改めてその功罪についてしばし考えてみた。 -
月に最低2回は投稿するという方針でしたが、YouTubeの動画作成に気を取られているうちにすでに4月も2週目が過ぎようとしてるじゃありませんか。
そういうわけで「秘教学徒シリーズ」の最新作をひさびさ投稿しましたというご報告を、ここでさせていただいて、月に最低2回というノルマの1本目を消化した形にしたいと思います。
「外面的」には、YouTubeへの動画投稿が滞るようになった時期に、熱心に研究していたクチパクの導入問題が一通り自分なりに納得ができたので、あまりにもクチパク研究に熱中していたので、達成感でおなか一杯になって、長めの動画をクチパクを使って作ろうという意欲がさっと失せてしまいました。
で、一年経過。
でも、なぜか最近「ぼちぼち動画作成再開したい」という思いが強くなったので、これまでと違う世界問題・社会問題系のテーマのものも(秘教解説ぽくない)いずれはやってみたいと、思っていたこともあり、今回ようやくそっちの方面の問題をシュタイナー発言と関連させて投稿することができました。
最近は、私が熱心に投稿していた時期よりもシュタイナー関連で投稿する人が増えたみたいでなによりですが、とはいえ、やはりニッチな領域ですよねえ。
でも23年でしたっけ、誰かがYouTubeで「シュタイナーが2025年に日本に大邪神がくると予言した」とかいう宣伝を始めたときは、びっくりしましたよ。
そんな話聞いたこともなかったですからねえ。それに「大邪神」なんて「翻訳語」、これまでの邦訳版のシュタイナー本で出会ったことなんてなかったですから、そうとうにうさんくさいと怪しみました。
ああ、これを広めている勢力は、70年代あたりからずっと翻訳出版によって日本にシュタイナーを紹介してきた高橋巌先生とか西川隆範先生とかそういう周辺の人たちとは系統の異なった得体のしれない連中なんだろうなあと思いました。あるいは、いわゆる「スピ系」と呼ばれるグループの侵入があったのかもしれません。
話を聞くとシュタイナーが講演ではっきりとそういう発言をしたということではなくて(だから印刷された本として、世界中のどこにも文献学的な一次資料がないんですよ)、シュタイナーの弟子だった人から、「シュタイナーがそういった」と伝え聞いたということが根拠になっているのです。
ネット上で見かけるライアーという楽器の調弦に使う432hz発言も同じで、私はシュタイナーの「講演録」で「調弦は432hzを基準にするべきです。その霊学的背景は、うんぬん」などというような記述を読んだことがないのです。シュタイナーは「基音」とのインターバルが霊的な影響力を持つことを強調してきたのであって、「特定の単体の物理的周波数」を称揚した話など、今のところ「読んだ」ことがないのです。この「432hz推し話」の出どころも、シュタイナーの周りにいた誰かが「シュタイナーがそうしなさいと言うのを聞いたから」というのが根拠になっています。
ひとつ心に浮かぶのは、日本では「シュタイナーはヒトラーの最大の敵対者だった」ということを宣伝して回るグループが以前にもいたことを知ってますが、きっとそういう系統のグループとつながっているに違いないと思っています。日本で「ヒトラー、ヒトラー」と叫ぶのを好む勢力がいるじゃないですか。かつては日本語版のウィキペディアでも「シュタイナーVSヒトラー」の記述を見かけましたが、最近見直しに行くと削除されているようですね。もちろん英語圏の記述にもでてきません。)
「本当に重要な話」ならば、いろんな場所でウィルソン大統領を「口撃」している「証拠」がたくさん残っているように(邦訳シュタイナー講演録にヒトラーの名前など一度も出て来ません)、何度も「これは大事だから」と弟子だけに内密にではなく、ちゃんと講演でそのように語るはずです。
シュタイナーは1925年に亡くなっており、ヒトラーが政権を取ったのは1932年です。敬虔なキリスト教徒たちにとって神智学をやっている連中は、異端者たちですし、今日でもそうでしょう。霊学なんてやっている集団は、一般の「常識的キリスト教徒」の庶民にも敬遠的であり、「政治的な力など皆無」です。なぜ日本には「シュタイナーを政治的に扱う勢力がいる」のか理解に苦しみます。それともシュタイナーのシオニズムについての批判が、シュタイナーはアンチ・ユダヤだ、つまりナチスと同じ側だと思われそうなので、先回りして「シュタイナーはナチスの敵だった」と宣伝することで「今の自分を守りたい」というような弱弱しい心根の発露なんでしょうか。
「2025年日本大邪神問題」について英語圏やドイツ語圏のネットを検索してみましたが、まったく出てこないんですよ。
私はこういう話を宣伝しているユーチューバーに「大邪神という言葉をシュタイナーはドイツ語で何と発音したんですか」と尋ねようとも思ったんですが、どうせとりあってくれないだろうと思って、やめました。
まあ、いずれにせよ、キャリア20年とか30年とかシュタイナーの邦訳本に取り組んできた人々にとっては「大邪神」という「人智学用語?」が違和感のかたまりに感じられただろうことは、想像がつきます。
皆さん、おとななので、表(YouTube)に出てきて喧嘩しないだけですよねえ。 -
以下のは記事は2022年の2月に書かれたものだったが、ずっと保留状態になっていたものだった。本日それに気が付いたので、もったいないので、公開することにした。
ずっと保留状態だったのは、自分の意見に確信が持てないからだった。いろいろと分からない部分が多すぎて、これでは空想の披瀝でしかないなあと書いた当時は思っていたので、公開ボタンをクリックしないで放置していたんだと思う。
愛子様が伊勢神宮と神武天皇陵を訪問した様子が報道されて、「こんなにも人気があるのか」とびっくりした。私が以下の動画をアップしたとき、心の中に想定していた「天からふとんに入って降りてくる女の子」とは彼女のことだった。
民族の力を身に付けて、子孫に伝えた人々は、王冠をかぶりました。王冠というのは、古代には、人間の霊性に贈られる最高のものを示す言葉でした。王冠をかぶることができるのは、秘儀に参入して最高の叡智を獲得した者だけでした。王冠は最高の叡智のしるしでした。(中略)「王冠」は古代人にとって、精神世界から超人的な人に贈られるものの象徴です。
王が冠を戴くのは不思議ではありません。王はいつも賢明であったり、最高の天賦の才を身に付けているわけではありませんが、そのしるしである冠を戴いています。このように古代のしきたりに従って表現されたものと、のちに乱用されたものとを混同してはなりません。(ルドルフ・シュタイナー『神仏と人間』P197-P198)
秘儀に参入することなしに神あるいは天から王権を授けられたと主張するようになった、のちの時代に現れた「単なる血統主義」が、2千年ほど続いたのち、今や近代の精神生活を営む市民社会によって人種民族を問わず、さまざまな場所において、「それはもはや不正なものとなっている」として排斥されるようになったことを人類は目の当たりにしてきた。
だから、もちろん彼女が今日の秘儀参入者だと言いたいのではなく(正直今日の皇位をめぐる政争にはうんざりだ)、大化の改新、というよりさらに以前、「漢字を使った政治」が始まる以前の日本においては、「おおきみ」の呼称で呼ばれる資格は直系の男系男子がその資格をもっていたのではなく、一族のなかで「秘儀(霊界)参入を果たした者」が〈おおきみ〉と呼ばれたのだ、という私の持論を踏まえたうえで、作成したものだ。
これに関連した記事として「人智学の光に照らされた日本神話」も参照していただけるとありがたい。
ここまでが、古い記事を公開するにあたって付け加えた部分になる。
昔、YouTube(秘教学徒)に「大嘗祭の本義」という動画をアップした。(動画の元になった記事は本blogに掲載した「令和記念 大嘗祭と秘儀参入者としての天皇」)
聖徳太子は、それ以前の大王(おおきみ)の時代から天皇の時代への転回点だったということも暗示した。
諡号に「大和(やまと」)という名前を持っている者は、「本物の(ミトラス教の秘儀と照らすと「第五段階」の)秘儀参入者」だったということも言った。その後、皇族たちは、「その能力」を失ったのである。
聖徳太子以前に出てくる「なになにの命」とか天皇の諡号に出てくる「彦」というのは皇位継承権を持つ者という意味で使われていたのではないか。またそれだけではなく、秘儀参入の到達レベルにも関連しているのではないか。男子を彦(ひこ)と言い、女子を姫(ひめ)と言っていた。この英語でprince、princessを意味する言葉は、記紀編纂の時代になると皇子、皇女(どちらも「みこ」)とう言葉に置き換えられる。
「ひ」「が抜かれたからである。「ひ」という言葉が秘儀参入能力に関連する言葉だったからだ。
「み」は美称であり、今の漢字でその原議を示すなら「御」に当たる。「御子」=「皇子・皇女」であり、「皇族の子」という「秘儀参入能力」とは無関係な意味に整理された。
記紀編纂の裏側で、そのように「数多くの改変」がなされたのである。
皇族たちから秘儀参入能力が失われて久しい時間が経過したが、聖徳太子という人物は先祖返り的な特異な霊界参入能力を持った人物だった。古代の秘儀の儀式の詳細を保持していたのが、物部氏だった。
そういう人々のなかから聖徳太子伝説の担い手となった人々が出た。聖徳太子伝説に「十人の訴えを一度に聞き分けた」という話が出てくる。シュタイナーは霊界参入能力を三段階に分けて説明している。霊視能力、霊聴能力、霊的合一能力の三段階である。
霊視能力者は現代でもたくさんいる。像意識を見る段階で、実は「何を意味しているか」を直接理解できない段階だ。今日、霊が見えると言う人々は、そのような霊視者である。
この霊視能力に「聞く能力」が加わると第二段階の霊聴能力者となるが、この段階に達して初めて「秘儀参入者」として区別されるとシュタイナーは述べている。
古代には天押穂耳命(あめのおしほみみ)という皇族の先祖が登場するが、この名前に登場してくる「耳」というのは「霊聴能力の保持者」という意味である。初期に登場してくる「大王」のおくり名に耳が入っている場合、それはインスピレーション(霊聴)能力を持っていたという「暗号」だったのでは、と私は考えている。
聖徳太子は豊耳命とも呼ばれている。この呼び名に出てくる「耳」こそ、「彼はこのような霊能力」の持ち主だったという暗示だと思われる。聖徳太子以前の「秘儀の秘密」は物部氏の政治舞台からの退場で、時の政治権力機構からは排除された。仏教台頭という「表舞台で起こった」と伝えられている出来事は「秘儀の消滅」を糊塗するための物語である。ただ「言葉の本当の意味」を知る者たちが遠回しに聖徳太子伝を書き残したのだ。
聖徳太子とその一族は不運の一族だった。彼の息子の一族は皆殺しにされたが、理由が日本書紀を読んでも分からない。聖徳太子の奥さんは聖徳太子が亡くなった翌日に亡くなったと日本書紀には書かれているが、ともに毒殺されたのだと思う。最大の問題は聖徳太子は異能の持ち主だということは「敵対者側」も知っていたが、聖徳太子は今日でいうところの中国閥、つまり「シナ派・儒教派」ではなかったのだ。
聖徳太子が書き残した歴史書は蘇我氏へのテロ事件時、倉庫が燃えて消えてしまったことにされている。それは記紀がシナ閥による改編の書だった事実を隠すためだった。聖徳太子の息子一族が皆殺しにされたのは、「真実を記した書物」が彼らの手元にあって、反大陸派だった太子とその子孫一族の権威を排除すべき対象と認識していた結果だった。
当時のシナ閥集団とはもちろん、中臣鎌足を始祖とする藤原氏一門を中核とした政治勢力である。彼らは大陸から呪術を持ち込んだ集団の子孫である。彼らは古代の「おおきみの時代」の慣習(太陽霊信仰やそれと関連した秘儀の伝統)を排除し、皇位継承の考え方や政治上のトップの呼び方を「シナ式の思考態度」とすげ替えた。
「太陽信仰の民」は「おおきみの民」だった。その代わりに「星座(北辰)信仰の民」として「天皇」という言葉をシナの古典から抜き出して使用するようになった。
藤原氏の行った政治は、シナの古典に出てくるような外戚政治そのものだった。そのようにして聖徳太子を境にして、古代にはあった末子相続(これは儒教という「漢字による支配」思想、「言葉で呪(しゅ)をかける思想」とは相いれない習慣だった)や意思決定における豪族たち(日本の神々-古い時代はみな霊界参入者だった)の集合による合議制は崩壊した。
そしてしばらくの間、日本は古代式社会主義の世界に突入したが(「律令制というのは沈黙の社会主義体制だったといっていい。」司馬遼太郎『この国のかたち3』)、藤原氏の力が弱まった平安末期以降、だんだんと武士の力が台頭すると、最終的に彼らはシナ式統治から距離を置き、古代の豪族連合体のような盟主制度を幕藩体制として武士階級の間で取り返したのだった。
さらに以下の記事も参考にしていただけると思う。
記紀の神々の名に付いている「記号」は何を意味しているのか 前編
記紀の神々の名に付いている「記号」は何を意味しているのか 後編
日本神話と秘儀の七段階、そして聖徳太子
古事記において、戦いの場面として登場する古代の神々の「手取りの技術」は、律令制度の外側で生きることになった武士団に所属する者たちに密かに連綿と受け継がれて、近代にいたって「殺しの技術」としてではなく、合気道という形で人々の目に触れるものとなった。
骨命(ねのみこと)、すなわち骨(こつ)をつかんだ者(秘儀に参入できた者)が、今日武術家のなかにも存在するのだろうか。