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実は、YouTubeでよく見にいくのが「国土交通省九州地方整備局」が管理している川の映像なのだった。
今年の6月までは地元の監視カメラ映像ばかり見ていた。(夜間の河川映像は魅力が半減するので、興味を持った方は、お日様が出ているいずれかの時間、都合のいい時に覗いてみてください。)
7月に入ってすぐ、YouTube上に九州内のほかの河川の監視カメラ映像を「国土交通省九州地方整備局」があげているのに気づき、こちらもよく見るようになった。
筑後川は五ヶ瀬川よりもかなり規模が大きいので、最近はこちらもよく見るようになった。
すごくいい映像だと思うんだが、五ヶ瀬川にしても、筑後川にしても、登録者はすくないし、五ヶ瀬川の場合は、見に出かけると視聴者0だったりして「え、これ見てんのオレだけ。なんで河川映像ってこんなに人気ないの?」と不思議に思ってしまう。
球磨川の映像もいい。
以前、国土交通省九州地方整備局による五ヶ瀬川ライブ映像を発見したとき、日本全国の河川もほかの地方の国土交通省の管理部門が公開しているんじゃないかと思って探したことがあったけど、その時にはいい結果が得られなかった。
「もしかして五ヶ瀬川だけなの?」とがっかりしながら、長年過ごしてきたが、梅雨の時期に合わせたのか、今年の7月になって、たくさん河川のライブ映像が「スーパーマーケットのチラシ画面」(YouTubeのホーム画面のこと)の中に紛れ込むようになって、「おお」と驚いて、即出かけていって登録しまくったのだった。
今後、さらに「全国河川」のライブ映像が増えてくれたら、YouTubeを見る楽しみが増えるというものだ。
前回は「小さい水路」の話で終わったけれど、連想作用でも働いたのか、今回は「でっかい水路」の話でした。PR -
京極夏彦の小説が原作の『魍魎の匣』(もうりょうのはこ)というアニメがある。
ひさしぶりにこのアニメを見直そうと思ったので、Netflixやamazonやらをチェックしたが、なかったので、DMMでDVDをレンタルした。来週には届くだろうから、見直そうと思っている。
このアニメに「呪」という陰陽道用語の解説が出てくる。音読みだと、日常的には普通「呪」は「ジュ」という読み方をまず連想するはずだが、陰陽道では、これを「シュ」と読ませている。
「言葉で相手を縛る術」である。これを「呪(しゅ)をかける」という。近代は実は物理的な大戦争の背後で、この「呪(しゅ)」の魔術によって、人類が特定の思考方法しかできないようにさせられている時代でもあると、私などは思うのだが、どうだろうか? 統計やらなにやら、学問的権威めかして、「人々を誘導する技術の研究」の実践である。
ルドルフ・シュタイナーが「鶏の嘴て線を引くと、それをやられた鶏は、その線に沿って歩くようになる」という趣旨の話をしていたのを思い出した。人間も同じことをやられている、と。
アテンション・エコノミー全盛時代の現在、庶民のレベルまで「呪(しゅ)の飛ばし合い合戦」を行うようになっている。
XやらYouTubeやらが、その戦場である。
1対1で行うリバーシゲームではなくて、複数で行う「転ばしゲーム」である。
昔、ロバート・レッドフォード主演の映画内で「アフガニスタン・バナナスタン」という言葉を彼がささやくと、あらかじめかけられていた催眠状態に復帰して命令を実行し始める男のシーンがあったが、「多くの有名人たち」が世界中でそれをやっている。
以下、深田萌絵のYoutube番組より
アフガニスタン・バナナスタンの例(各社新聞の1面トップ)
もちろん、彼らが催眠術にかけられているというのではなく、「彼らのふるまいの数々の属性のうちのひとつ」が「契約」(金銭)によって発動されるような事態になっている。これは有名人を含め多くの人が「信念」というものを失っている時代だからこそ成り立つ「取引」なのだった。
普段はその有名人たちはみなめいめい勝手に好きなことを言ったり行ったりしているが、時々、「指令」が飛んでくる。すると彼らはビジネスとして「彼らの要請通りに発言する」。その代わりメディアで「〇〇はこう言った系」の記事を定期的に投下してもらい、それが記事集約サイトの管理者と連携して、共感・反感問わず、人々の関心(人気)を維持させる動きをする。
すべてが壮大な茶番だが、人々は「簡単に感情に溺れる」(ルシファーに陥落させられる)ので、胴元が作ったルールを是正する試みに関心が行くよりも、そのゲーム内でいかにチートするか(例えば、偏差値人選ゲーム突破のチート行為が塾通いであるように)、その技法探しに熱中する。
今日でも人は「お金とは何か」を学校で学ぶことはないし、労働者として、サラリーマンがもらっているものも公務員がもらっているのも等しく「労働の対価」だという「まやかし言葉」に疑問を持たないように「その嘴で地面に線を引かされたまま」だ。「時給」という考え方もそうだ。「労働時間」と金銭を交換していると思い込む(自動的にそのように連想するように「育てられてきた」)こと自体に「幻影」が入り込んでいるという気づきがやってこない。
マルクスは「賃金は労働の対価ではなく、生み出した商品の市場価値に対する対価だ」という真実を、自身の説く労働価値説で覆い隠して、「労働者たちがお金とは何かを考える機会」を隠蔽するのに大きな力を発揮した。見かけ上マルクスらの敵対者であるはずの資本家(企業体)側も、その「まやかし言葉」の上に乗っかって、「賃金」を支払っている。議会は「商法」「労働法」を作り、法律家が解釈する。官僚は日々「その思考線上に沿って、法案作成向けの下書き」をする。
その「思考方法」は「胴元がこさえたゲーム上のルール」から始まったのであって、胴元の主催するゲーム自体を破壊しない限り、胴元が勝つようにできてる。この200年の間に彼らは、そのもとのゲームをファインチューニングし続け、なおも人々に呪(しゅ)をかけ続けている。株式制度やら金融制度の世界的普及と均一化も近代以前の軍事的制圧とは別の手段によるアーリマン傘下の武器になった。あらゆる近代法体系が、「資本による(人間精神の)制圧」(脱精神化あるいは個々人の精神生活の漂白化)を容易にし、「彼ら」の目的に十分に仕えるためにファインチューニングされ続けて今日にいたる。「人間精神に干渉できる」という意味で、人類の闘争方法は野蛮力の行使から先へ進んで、「巷にあふれる言葉」こそ人類精神に対する最大の武器となったのだった。
戦後の日本人の精神的屈服も結局仕上げは原爆ではなく、その後に開始された一連の「言葉による制圧」(西洋式陰陽術)だった(似た事件は大化の改新時にも大規模に起きた)。学校では試験を課し、「彼らの欲する回答」に好成績で応じられる者たちが左右から選抜されて、同胞に対する監視官にされた。彼らはプロレスを延々とやり続けてきた。東アジアの三民族が「彼ら」に同じ目に合わされているが、まさに優秀ゆえに同胞の監視官にされた者たち自身には皆その自覚はない。ただ大衆から抜きんでているという自覚、その自尊心が「自分はほんとうは同胞たちの監視者であり実際には敵対者として振る舞っている」という自己洞察を阻んでしまう。あとは「彼ら」が、ぽんと背中を押すだけで、自ら分断統治という、戦前から準備され、戦後に眼に見えるものにされた東アジア統治の仕組みを率先してファインチューニングしてくれる「利口で便利な自動思考人形」として利己心を燃料にして生きる。それは霊界vs物質界の比喩としての「マトリックス」的世界というよりも、この物質界で起こっている「トータルリコール」的世界だ(ただしコリン・ファレル版の)。
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などと、つぶやいてみたが、蒸し暑い時期なのに「唇寒し、初夏の空」である。
すこしだけ「嘆いて」から、近況を書こうと思ったら、やっぱり長くなってしまった。
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以下が今回の本題である。
前回、駐車場の天井にスズメバチがよく巣を作ってきた、という話をしたが、この駐車場は南側が内側で側溝になっていて、家の南面側の瓦屋根の傾斜から流れ落ちてくる雨水を集めて、敷地外のもっと大きい側溝に流れ込むようになっている。
痛みがひどく数年前に一度モルタルを練って修繕したのだが、以後まったく関心を失っていた。今年、梅雨が始まる直前に、突然関心が沸き、チェックしたら、穴だらけだったことに愕然とした。
側溝の開いた穴から駐車場のコンクリートの下にたくさんの雨水が流れこんでいたのに、ほっておいたのだった。
それで、コンクリートのひび割れに使うチューブ式のひび割れ塞ぎ剤を買って応急処置をした。
修繕跡は動画で見れるが、実はブロック塀側ではなく、駐車場側の側溝部分がひどかったのだが、今回の動画では撮れていない。
修繕と言っても見た目相当にひどいが、大量の雨水が「変なところにもぐっていかない」ようになって、一安心である。
パイプの排出口が側溝にかかっているが、ももともはなかった部分で、今回付け加えた。もとは垂直に立った雨どいのパイプの口から、動画の最初に出てくる苔が映っているコンクリートの上を勢いよく雨水が流れ込む形になっていた。このコンクリート部分も大きくひび割れしていて、雨水の一部が流れ込んでいたのでふさいだ。
これまで何の関心もなかったくせに、四散せずにひとつにまとまった透明な水が水路をとうとうと流れていく様子を見ていると、不思議に「もっと眺めていたい」と思ってしまった。
それがスマホで動画を撮って残すことにした理由である。 -
私の家は毎年なぜかスズメバチに巣作りの「候補地」として狙われる。
毎年夏が近づくとスズメバチの女王がやってきて、以下の写真のような巣を作り始める。この写真は私の家の西側の倉庫前に出現したスズメバチの巣だ。
以前は家の敷地の東側の駐車場の天井に巣を作ってきた。その時々に「あ、また今年も作ってる」と気が付くと、すかさず駆除してきたので、気の毒に私の家の敷地内では、スズメバチの巣は、この世にはこのくらいの大きさまでしか存在し続けることができないのだった。
蜂は夜眠る。
「オレは毎年、夜、女王が寝静まった時をみはからって、巣に近づき、彼女を巣ごとペシャンコにしてつぶしてきた・・・・・」と思い出すのだった。
近年は、ダイソーのチリトリでその仕事をする。ゴミを集める部分の底部(裏側)が平らになっているので、その部分を押し当ててつぶすのだ。
まったくバチ当たりな行為だが、彼女の行為をほっておくと、もっとやっかいな事態が出来してしまうことになるので、毎年「殺す」という意図を明確に持って、新たに敷地内にやってきた女王に接近する。
このような昆虫であっても、「殺し」をやると、微妙な気分になる。「生存の可能性」を奪っているわけだから。
ゴキブリが駐車場の地面をはい回っているのを見れば、すかさず靴の裏でペシャンコにする。逃げれば追いかけてつぶす。足をどかすと、無残につぶされた虫の姿を見て、また、「なぜ出てきたのだ」と微妙な気分になる。
今年のスズメバチの巣も、去年と同じように私につぶされて、破壊された巣のかけらが破れた紙片のようにひらひらと落ちた。
足元を見ても、女王の死体が見つからない。
それで巣がかかっていた箇所をようく見ると、全体に圧迫を受けてつぶされて、もはや原形をとどめていない女王の死体の後ろ脚部分が確認できた。
「オレはひでえやつなんだな」と、それを見て思った。 -
今月2本目の投稿です。
無料で使えるcakewalkというDTMソフトのことについては以前書いたことがありすが、とうとう私も、噂になっていたローランド提供のソフトウェアシンセサイザーTTS-1が昨日使えなくなっていることに気がつきました。
cakewalkがソフトの無料配布をやめて、今後は金をとるぞ、というアナウンスをしたことは、ちらっと小耳には挟んでいたのですが、「とうとう来たか」という失望感に襲われました。
というのも、最近、KEYSTATION88というM-AUDIOが出している88鍵MIDIキーボードを買い直して、遊んでいた最中に起こった出来事だったので、そのがっかり感も余計にブースト状態になっちゃいました。
無料配布を終了、つまりダウンロードサービスをやめても、これまでこのソフトを利用していた人々は、引き続いて利用できますが、今後はメンテナンスしなくなるということらしいです。
とはいえ私は、コテコテのシンセサーザー使いではなく、基本アナログ楽器派なので、DTMソフトをMTR(マルチトラックレコーダー)代わりに使っていることに変わりはありません。
cakewalkではTTS-1のほうに入っていた生ピアノ系の音源が消えたので、「スイッチ入れたらまずは、とりあえず生」みたいな感じで、まずは生音系でごくごくとのどを潤して、みたいなことができなくなったので、さっそく飢餓感に襲われたわけです。
音源がないと、このMIDIキーボードは鳴りませんからねえ。気を取り直して、無料ピアノ音源情報を検索して、ABS FREE AUTOGRAPH GRANDという音源を入れて、がっかり感を慰めました。以下のページを参考にさせていただきました。
Cakewalk、TTS-1のサポート終了で最新版ではバンドルされず。
確かになかなか、いい感じなので、音を聴いて、また元気になりました。
P.S. TTS-1が消えてしまうcakewalkの最新バージョンをダウンロードしてがっかりしている人が多いと思うんですが、YouTubeで以下のような復活方法を見つけました。ただし、この場合、古いバージョンを別途持っている人向けの対処法になっています。幸い私の場合、いくつかほかのPCにも昔導入したものが使わないまま残っていたので助かったのですが。
というわけで、本日(24/6/12)たまたまYouTubeでこの情報に出会い、さっそく試してTTS-1を復活させることができました。 -
前回の投稿で「奇妙な夢」の話を書いたあと、ぼんやりと過ごしていたら、5月が終わりそうになっていた。今月は、書きたいことが特に思い浮かばなかったので、ほっておいたのだったが、月2回投稿の予定をこなしていなかったので、まずは1本目を投下しておこうと思う。
私の家には真宗大谷派の仏壇がある。中段には左から花瓶、焼香用香炉、蝋燭立てを並べるのが、この宗派の一般的形式なので、私もそれに倣って飾っているのだが、実際にはこの場所で香をたいたり、ろうそくをつけたりはしない。
そんなことをすれば、仏壇の箱の内部で熱を放出していることになるので、煙はこもるし、ろうそくの炎と熱で、火事にさえなり、大変なことになる。
実際には、仏壇の前に台を置いて、その上に別の、寝かせて燃やす線香(これは浄土真宗式)の香炉とろうそく立てを置いて、こちらを「実用品」として使っている。
写真ではLED式ろうそく(13cm)に灯がともっているが、もともと中段に飾ってあったろうそく立てはこんな感じだ。
ろうそく立ての上にはろうそくの形をしたイミテーションが載っている。長年この形でかざっていたのだが、昔ダイソーで、ろうそく立て対応のLED式ろうそくを見つけたので、これをイミテーションと取り換えて使うようになった。単4電池一個で灯るが、私は充電式の電池を使っている。燃えないゴミを増やすのが面倒だからだ。
田中真紀子氏が火事を起こした(?)報道などもあり、最近では、LED式のろうそくなども需要が伸びているものと思われる。
私がかつてダイソーで購入した底部にろうそく立て用の穴の開いているLED式ろうそくは、もう売っていない。現在ダイソーで110円で手に入るLED式ろうそくは、黒いろうそく立て部分の付いたものだけである。
浄土真宗は飾り様式が金色ベースなので、そのダイソーで売っていた黒のろうそく立て部分の付いたLED式ろうそくを金色に塗装し直したものを時々使ったりもしている。
とはいえ、主に家で使っているのは5分で燃え尽きるミニサイズのろうそくである。LEDろうそくを使うときはライターの火で線香に火をつけているので、「趣(おもむき)」がそがれるのが、残念である。
一枚目の写真の中段で灯っている、この、もはやダイソーには商品として出ていないLED式ろうそくが故障するようになって、一度はボンドを使って修理したのだが、頻繁に電池を交換していると、構造的に壊れやすい箇所があるので、やはり故障してしまった。
それでオリジナルではスプリングの先端部の差込口がある個所をボンドで固めて再利用していたのだが、今回は反対側の位置にある電極(極性は同じ)とスプリングとをはんだ付けすることにした。
これでまた底部のスイッチでONとOFFを切り替えることができるようになった。
アマゾンなどを調べると、ろうそく立てに挿して使えるLED式ろうそくは400円くらいからあるのだが、ボタン電池だったり、単4電池2個連結式で大きいサイズだったり、小さくても充電式の電池が使いにくい単5電池だったりで、サイズと単4電池式の両方の要求を満たす商品がないのだった。
もしあれば、たいした値段でもないので、さっさと購入して、取り換えて使ったのだが、今のところ修理対応で、この、故障したことのある、LED式ろうそくを使い続けている。
ダイソーさんが「同じ商品」を「再販」してくれることを期待している。