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トランスとかハウス・ミュージック、あるいはEDMとか、いろんな言葉が流通してるけど、要するにデジタル系の音楽、とくに四つ打ち系に、私は、あまり関心を向けなかったこともあり、全体像はよくわからない。
昔ユーロビートという言葉が日本で流通していたように基本トランス系四つ打ち音楽はヨーロッパ系なんだろうかとも推察する。
自分は数千数万単位の人間が一か所に集合するような場所には行きたくないので、もっぱらYouTubeなんぞでその様子を「観察」するくらいのことしかやれない。
今回言及するanymaというミュージシャンも、やっぱりYouTubeで出会った人物だった。
最近のAI議論の盛り上がりとか、トランスヒューマニズム、あるいはムーンショット計画とか、そうい議論の盛り上がを背景に、anymaが野外ライブで「CGで作った機械のような人間イメージ」を前面に打ち出しているのも、意外なことではない。
これまでよく知らなかったのだけど、最近の音楽のライブは日本においてもLEDパネルをくみ上げて巨大なスクリーンに映像を映すようなことが普通になっているようなのだ。
初めてこの巨大なスクリーンに映る機械のような人間イメージを見たときはびっくりした(特に連続する「壁ドン」シーン)。
「わ、おもしろいなあ」と思ったので、いろいろと、ほかのanyma関連の動画を見始めたが、会場では撮影許可されているのか、観客が皆スマホを持ち上げて体を縦揺れさせながら録画している姿を見て「あ、今までオレが知らなかったコンサート会場の姿だ」と思った。つまり「異様だ」と思ったのだった。
他の曲では、男のイメージや女のイメージが同じようなロボット像で描かれる(以下はフルバージョン)。
YouTubeで最初に出会った、けれん味たっぷりの「壁ドン」映像(「仕掛け」)には圧倒されたけれど、男女のロボットイメージが流れるシーンでは、正直「美的像」としては「いつまでも眺めていたい」とは思えなかった。
そういう感覚を覚えるのは、私だけじゃないだろう。人間一般の審美眼というものは、絶えず対象に向けて本能的に共感と反感を感じているものだし。
けれどセイレーン像を見たときは、魅了されてしまい、今でもときどき見に戻ってくる。
YouTubeではsyrenと表記しているけれど、このつづりだと辞書的には「空襲警報」なんかで言うところのサイレンだ。
日本人がギリシャ神話の訳語として長く使ってきたセイレーンは、英語ではsirenとつづるけど、、発音はやはりサイレンなので、英語話者の中ではすでに混同が起きているということだろうか。
私の地元ではダムの放流を知らせるときに「ウ~ウ~」と大音量の警報が流される。サイレンの音は人の心を不安にさせる。「〈サイレン〉(警報)のような歌声を聴いて、それに魅了されて海に引きずり込まれる船員」という者がいたとしたなら、〈相当な倒錯的趣味人〉だろう。
wikipediaによると、anymaという名前で活動している人物の名をMatteo Milleriといい、本来はTale of usという二人組の男性ユニットで活動してきた人物(もう一方の名前がCarmine Conte)で、それぞれ米国とカナダ生まれ、その後イタリアに移住して活動を始め、現在はドイツを拠点にしているそうだ。やっぱりヨーロッパ系であった。Tale of usが所属している(というか、彼らが立ち上げた)レーベルの名をafterlifeという。「あの世」と名乗る「会社」であった。
審美眼的には、頭がツルツルの男女のロボット像よりも、このセイレーン像の方がずっと好みだ(ただしヘルレイザーのピンヘッド像なら大歓迎だ)。
(ピンを抜くとこうなる)
このセイレーン像が、もし、フィギュアになって(まあないだろーが)売り出されるというのなら、手に入れたいなあと思っている。PR -
夕方、眠くなってしまったので、ベッドのなかでうとうとしているうちに眠り込んでしまった。
すると、「姉だが妹だかに子供が生まれた」という知らせが入った。というより「分かった」という感じだった。姉(または妹)にはすでに子供がひとりいたのだが、二人目が生まれたという「予備知識」も自分のなかには存在していた。
その知らせは、「どこ」から、「誰」から来たのかは判然としない、ただ直感的にそういう段取りで夢が始まった。
ちなみに現実の私には姉も妹もいない。私は夢の中で、その子に会うために、姉だか妹だかの家に行こうとしたのだった。
私が「その子」と対面すると、それは人間の子供の姿をしていなかった。
「えっ」と思ったのだが、別段恐怖心などは感じず、それどころか私は、「ああ、これは、件(くだん)というやつではないのか、じゃあ、質問をしなきゃ」と思ったのだった。
ちなみに、「件の」を「くだんの」と読むという受験勉強的な知識は前からあったが、「件」と書いて「くだん」と読む「魔物のような何か」の存在について私が知ったのは、たしか『新耳袋』シリーズにおいてだったと思う。
けれども、一般に流布している魔物としての「くだん」というもののイメージが曖昧だったので、目が覚めたあと検索をしてみたのだが、いろんな図像を眺めながら「あ、これだ」と思ったのは、以下の写真だった。
色はまさに写真のような感じだったが、顔はもっと牛に近かった。
上の写真は地べたに伏しているが、夢の中の件(くだん)は四つ足で立っていた(以下ペイントでラフに描いてみた)。夢の中ではもちろん背景もあったのだが、ぼんやりしていてはっきりしない。何か(白い自動車の右側?)の隣に接近して立っていた。右半分は向こうまで奥行きがあったが、街中であるということは覚えているが、土地の様子ははっきりしない。
「くだん」は予言をする、という話が頭に浮かんだので、私は質問をしようと思い、「私の未来はどういう感じになるだろうか」というような趣旨の問いかけを「その子」にした。
「その子」は何かをもごもごと言おうとしていたが、私には何を言っているのか分からず、結局、私の将来についての明確な返答は得られなかった。
ただ「あなた個人の将来は範囲外、そういうたぐいのことは言えない」的な感じの返答にも感じられたので、「なんか困った風な顔つきだったのは、そういうことなのか」と思い、なおも「その子」と顔を突き合わせていたのだったが、突然、スマホの音が鳴って(母からだった)、私はベッドから起き上がってしまい、そのまま夢の世界から日常世界へ帰還してしまった。
電話での会話を終え、部屋に静寂がもどると、「さっきの夢はなんだったんだろうか」と思ったので、ネットで写真を検索し、将来参照することもあるかもしれないと、このように、夢の報告記事を「自分用」に残しておくことにした。
P.S. せっかくなので夢繋がりで、「件の夢」の2、3日前に見た夢も報告しておこう。
松本人志が出てくる夢である。登場人物たちはみな黒服を着ていて、まるでマフィアあるいはやくざの集まりのように見えたのだが、お笑い芸人たちの集まりのようでもあった。
巨大なステージの上で行われている、何かの会合のようでもあり、ジャッジの現場でもあるようだった。右側に黒服の芸人たちが並んでいる。
ある茶髪で長髪の若者(後輩芸人の一人か?)がいて、松本人志がその若者に歩み寄って、「ほんとに申し訳なかった」といって彼に抱き着いて、涙を流しているというものである。
何かこの事件の背景を暗示していたのだろうか。だとしても、なぜ私がそんな夢を見る必要があるか、寝ても起きても世界は分からん事ばかりだ。 -
年末年始はなんやかんやで皆「眠らない夜」だったりするわけです(早寝早起きの子供たちや老人たちも寝る時間が遅くなったりします)。
でも2024年の始まりは、「眠れない夜」になっちゃいました。私もまた(他の方もそうでしょうから)地震やら航空機事故やらの続報を見ているうちに夜が明けちゃいました。で、朝方になって寝て、目が覚めてニュースをチェックしたら今度は「小倉が燃えている」じゃありませんか。
「さすがに三日目はないだろう」と思っていたら、安心して正月を過ごせない人々がまた増えてしまいました。この三日間の事件を目の当たりにして、これまで関心が薄かった人々も、備蓄品に意識を向け始めるようになるかもしれませんね。日本で、そういうサバイバル系の商品の売り上げが伸び始めるとするなら、皮肉な話です。
さて、年始の感想はここまでにして、去年からの懸案になっていたノートパソコンのCPU交換を本日やっと実行することができました。
もともとこのパソコンはWindows10でcakewalk(最新版)のDTMソフトを運用したいと思ってヤフオクで購入したものでした。
日本市場での販売を請け負っていたUNIT COMが出していたC4101です。これを当時3500円で手に入れました。中古品ではなく新古品(つまり売れ残り処分品)でした。名の知れたメーカーのPCではなかったせいかは分かりませんが、新品同様であることが表示されていても長く入札が入らず、売れ残っていた商品でした。
そのような人気のなかった商品を、当時、中古PCを探していた私が「新古品」の魅力に負けて、入札後、手に入れたわけですが、届いた商品は、思った通り、液晶もキーボードも人の手が触れないままだったので、新品同様でした。
ただしバッテリーは充電不能品になっており(出品者側が「別物」に差し替えていた?)、廉価の対応品をあとで別途買い直しました。また内部の電池も死んでいたので(「biosを書き替えても元に戻るときは、電池交換」と覚えておきましょう)、当ブログでも紹介したような方法で、わざわざ割高な部品を購入せずに百均の電池ともともとあった電池部品を組み合わせて、biosが機能するようにしなければなりませんでした。
落札時はWindows7 homeが入っていたPCで、いろんなソフトがバンドルされていました。当時はもちろんまだWindows7からWindows10へのアップグレードキャンペーン中でしたから、さっそく自動的にアップグレードできるだろうと、手続きを踏んだのですが、「アップグレード対象外です」的な通知が現れて、Windows10にできませんでした。
実はこういうメッセージを出すPCの場合、HDをフォーマットし直して新たにインストール作業を行うと、ちゃんと最後まで更新作業をやってくれます。それでバンドルされていたさまざまなソフトはそもそも必要ないので、HDをフォーマットしてクリーンインストールして、Windows10に仕上げることができました。認証もちゃんと行われます。
そのままWindows10で使い続けてきたのですが、やっぱり動作がどこかもっさりしていたのは否定できません。それで「現在のCPU(Celeron T3500)を交換したらどうだろう」と思って調べてみると、Core2 Duo T7700が使えそうだということが分かりました。
それで年末にヤフオクで目的のCPUをゲットして(1200円)、本日1月3日に到着したので、さっそく交換作業に入りました。
裏側のカバーを開けます。
CPUソケットからT3500をはずして、ペーストを塗り替えてCore2 Duo T7700に交換です。
さあ、これで放熱部品とカバーをもとに戻して、電源を入れたら、どうなるか……ドキドキでしたが、ちゃんと立ち上がってくれました。
CPUの温度関係が心配でしたが、室温28度のもとで、最低値45度、通常50度前後、最高値は70度(即更新状態になったので)あたりを示していました。何も心配ないと安心しました。
この日本であまり知名度のないノートパソコンは、日本ではUNIT COMという代理店が販売をしてたことは、さきほど書きました。製品名はC4101となっています。けれども実はこのパソコンの「本名」はCLEVO C4100なんです。CLEVOは台湾の会社です。
ドライバー関連は英語圏のページでCLEVO C4100で検索すれば出てきますので、ドライバーを探してたまたまこの記事に来た人はご自分で探してみてください(以下参考)。
C4100 driver
C4100 driver2
C4100 driver3
C4100 マニュアル
ちなみに私はこのC4101を年末にWindows11にアップグレードして使っています。要件を満たしていないWindows10でも、11を入れることができるというYouTube情報をもとにアップグレードを試みてみましたが、すんなりとWindows11化することができました。
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ということで、今年も残すところあと一日になってしまった。
昔は「私の好きなアニソン集」なども投稿していたけど、最近はやってなかったなあ。
なので今年も含めてちょっと遡って、今でも強い印象が薄まることのない「忘れられない名曲」も前振りとして紹介しておこう。
まず1曲目は「骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中」のED、DIALOGUE+の「僕らが愚かだなんて誰が言った」
当時アマゾン・プライムで視聴して、評価投稿とか読んでたら、このEDをめちゃくちゃけなしている投稿があって、「?????」感覚でいっぱいになった。アニメ自体は評価してたので、アイドルグループの歌なので「そっち系の恨み」みたいなアンチの投稿なのかと思ったが、「自分の口に合わないのなら、黙っていればいいだけの話」なんだよねえ。
コーヒーが苦くてまずいと感じる人はたくさんいるけど、「別の感受」をする人たちもいるから、コーヒーの苦手な人は「わざわざ大声上げてコーヒーをけなしにSNSに出かけたりしない」よねえ。
飲み物や食べ物についてはSNSでも比較的そういう「常識感覚」を発揮して、「自分の嫌いなもの」について「人前で事挙げしないで黙っていることができるという美徳」を体現できている人々も、別の分野では「自制感覚」が働かないようだけど、これだって未来には、変容していくんだろうねえ(参考 岡田斗司夫=ホワイト社会&ルドルフ・シュタイナー=弥勒菩薩論)。
さて、アニメのOPやEDは1分30秒に編集されてしまうので、フルで聴くなら以下。
この骸骨騎士様アニメのEDに触れて、再び連想が及んだのが、「アサシンズプライド」のOP、Run Girlas,Run!「shere the light」だった。
それでYouTubeで探して聴き直してみたら、やっぱりDIALOGUE+の曲と同じようなバイブレーションを感じる名曲だった。
フルバージョンは以下。
さて、23年秋のアニメの私の一押しは、「七つの大罪 黙示録の四騎士」のOP、Little Glee Monsterの「UP TO ME!」だ。
そして同じアニメのED Moonchildの「Friends Are for」
この2曲を聴いたら「ハンソン」を思い出したので、探してみた(今や皆成人して三人ともひげ面のおっさんになってる。そりゃあ「かわいい男の子時代」はあっという間に過ぎ去っていくからなあ)。
やっぱ似ているバイブレーションだよなあ。(あと、フィンガー5とかジャクソン5とか?)
ちなみに米国には同じMOONCHILDって名のR&Bバンドがいて、実は私は彼らのファンなのだが、結局彼らを紹介するタイミングを逃して今日まで来てしまったので、ここでお薦めしておく。
最後に挙げたいのが「帰還者の魔法は特別です」のED、ももすももす「6を撫でる」
「君しかいないと思っていたよ、君しかいないと思っていたよ」のフレーズは強烈だなあ。
「23年秋のアニソンは名曲ぞろい」なので、ほかにも言及したい曲がいっぱいあるんだけど、これ以上やるとページが重くなっちゃうので、今回はこのあたりではしょりたいと思う。
P.S.
最近ずっと投稿してなかったけど、何をしていたかというと、「今日も始められなかったパソコンミュージック・ソフト」(CAKEWALK)をまたまた取り出してシュガーベイブの「downtown」のドラムの打ち込みとかそれに合わせる楽器の練習とかしてたのだった。打ち込みのドラム以外はMIDIじゃなくて、「手動」で楽器を操ってオーディオ録音で重ねていく予定。
20代の時にカセットテープ式の4トラックのMTRで作ったやり方と同じだけど、この時代のものをYouTubeにおけるGoogle式商売が始まる以前の時代に投稿してたんだが、Google式になったのを機に削除してしまった(今検索してみると、わー、たくさんdowntownのカバーから奏法紹介まで、いろいろとYouTubeに上がってる。今はそういう時代なんだなあ)。
ということで、今回、XP時代のDTMソフトを多重録音機材として使ってる。まあ、仕上がりは20代のものを超えられないだろうなあ(もはや声がでねえ)。 -
以前、「勝海舟の写真をカラー化してみました」という題で、CODIJY Colorizer Pro 4という、白黒写真をカラー化するソフトの報告をした。そのときの写真が以下である。
このソフトは自動的にカラー化するのではなくて、あくまでも作業者が「手作業」で色付けをしてかねばならない。
とはいえ、「忙しい現代人」にとって、そういう作業に膨大な時間が奪われてしまうのは惜しい。
そういうわけで、、前回の投稿では「でも、こういった作業も未来には、さらに人の手を離れて写真を読み込んでAIに「適当に色を付けて」と命令すれば、延々と着色された別バージョンの提示を繰り返してくれ、その中からベストと感じたものを選ぶというようになるのでしょうか」と書いた。
するとそんなに時間を置かずにソースネクストから『着彩! モノクロ写真』という「自動着彩」を売りにしたカラー化ソフトの販売の案内が来た。「え、もうすでにそんなソフトがあんの?」と、もちろん即飛びついてしまった。
このソフトは色を付けたい白黒画像を読み込ませたら、おまかせで自動的に色を付けてくれるから、非常に作業が楽になった。とはいえ、フィルター機能はあっても、着彩のバリエーションを順次提示するということはないので(こう書いた当時は、初期のStable Diffusion Onlineのイメージを想定していたが、いまのStable Diffusionはもはや次々に画像を表示する仕組みをやめて、代わりに一枚提示式で高画質化している)、白黒写真の質が悪い場合、あまりいい結果を出してくれない。
けれど、特に傷も汚れもなく、濃淡のムラもない少人数の集合写真だったら、別に手を加えなくてもそのまま使えそうである。
以下の写真などがその手の写真だった。
『着彩! モノクロ写真』でカラー化すると、以下のようになった。
左から、私、母、三男、祖母(母方)、次男である。場所は日南のサボテン公園である。
卒業写真など人物が大量に含まれている集合写真の場合、顔認識に難があるみたいで、色のついた顔と青白いままの顔と混ぜ混ぜになってしまったり、黒い学生服集団の上着がみんな赤色に着色されていたりとかもあった。だから、こういう場合、オートで終わりというわけにはいかない。さらに手動で修整作業に入る必要がある。有難いことに、このソフトは自動着色ののち、その画像を土台に手動で着色修整を施すことができ、操作も簡単なので、「ソフトの自動色付けが完了したら、不満があってもあきらめろ」(by メーカー)・・・となっていないプログラム構成になっているところは有難い。
スキャナーで取り込んだ写真がすでに経年劣化(写真がセピア色化していたり、全体、あるいは端っこの色が薄くなってしまってたり)している場合は、無料のPhotoshop expressなどを手に入れて、そういう色あせを補修して、改めて、このソフトで着色してみるといいと思う。
カラー写真の退色復元には、EPSONのスキャナー「PX-402A(古いけど)」のEPSON Scanの機能が威力を発揮してくれた。
小さな傷は、Windows10とか11に入ってる「フォト」のレタッチ機能を使うと結構きれいに修復可能だ。
さて、以下のルドルフ・シュタイナーの写真は、ネットで拾った白黒写真を『CODIJY Colorizer Pro 4』で手動で着色して作ったものだ。その下のものは、それをWindows10の「フォト」の「フィルター機能」を使ってブルー系に変えたものだ。ほんと印象変わるよね。
今日、白黒写真のカラー化ソフトに手を出している人々は、若い人たちではないだろう。そもそも若い人たちはもはや、「写真を紙で所有する」という習慣を維持しているとは思えない。
「子ども時代の思い出写真はカラーでしか持っていない」という世代の人は、スキャナーとレタッチソフトがあれば十分だろう。
しかし昭和40年代くらいまでは、世の中の人にとって写真と言えば白黒写真の時代だった。だから、年配の人たちこそ、「終活の一環」として、子供時代の思い出を振り返り、白黒でしか見てこなかった子供時代の自分たちの姿やその当時の風景をもう一度カラーで眺めて直してみると、まことにしみじとして、感慨深い感情が湧き出てくるだろう。
私の手元には色あせてもはや何が映っているのか分からなくなっている白黒写真が何枚かあったが、それをスキャナーにかけ、『着彩! モノクロ写真』で着色してみると、「ああ、この人が映ってたのかあ、懐かしいなあ」と確認できた場面が何回かあって、そういう意味でも、経年劣化した写真を持っている人は、カラー化に挑んでみると、新たな発見があるかもしれない。
たとえば以下の写真なんかは、周囲の白い縁をカットして取り出したものだが、この部分だけで大きさを何かと比べるとすれば、クレジットカードほどの大きさだった。今の写真の規格としてもすたれてしまった大きさで、実物を見るとかなり判読に苦労するシロモノだった。
このクレジットカードほどの大きさの白黒写真を拡大、カラー化し、そのうえでPhotoshop expressとかWindows10の「フォト」のレタッチとかで修正を加えて、仕上がったのが以下。
「なんだ、左から二番目の麦わら帽子は自分じゃないか、で、一番右は弟。左端の女の子は道路向かいの近所の〇〇ちゃんで、右隣の背の高い少年は……誰?」と感動した一枚である。
当時の日本の家屋はどこもタールを塗ったような暗い板壁の木造建築ばかりだった記憶がある(今の日本の住宅の外壁はどこもほんと明るくなったね)。写真の背後に映っている木造住宅は、貧乏な若い夫婦(親)が暮らしていたものだろう。自分にはほとんどこの時代の借家暮らしの記憶がないのだが、家の外にぼっとん便所があって、長屋の住人たちが共同で使っていたし、水道もまた共同の井戸水を手動のポンプで汲み上げて使っていたと思う。
こんな田舎町でも、すでに水道は完備されつつあった時期だけど、きっと両親には金がなかったんだろう。家族がこの場所へ引っ越さねばならなかったのは、火事に遭ったからだった。アパートの住人の失火のせいで、家の中にあったものは何もかも焼けてしまった。だから私や次男の赤ん坊の頃の写真は一枚も残っていない。
このころの思い出話として、夕食時に母が「あら、息子がおらんが、どこへいったのか?」と外に探しに行くと、私が向かいの家の上がりがまち(縁台)にいて、障子の破れ目からテレビ放送をじーっと見ていたのをみて、「まー、ほんともぞなぎい(=不憫だ)」と感じた母が、「テレビを買ってやろうや」と、父に相談して小さな白黒テレビを買ったという話だった。今回最も力を入れたのは、傷とかしわとか破れとか、さんざんに傷んでいる白黒写真のカラー化だった。例えば、以下の写真(白い縁を除外すると、写っている面積はクレジットカードより少しはみ出す大きさ)。プロの写真屋さんなら(もはや自分の街からもほぼ姿を消してしまっているが)、もっと上手に修復できるのだろうが、まあ自分でも頑張ったほうだと思い、一応満足はしている。
今回、カラー化&修復の結果、意外なことも知れた。なんと神社の写真にはオーブがたくさん映り込んでいるじゃないか。これまでは破れた小さな白黒写真なんぞに深い関心なんて浮かばなかったので(というか、そもそも写真を見ることがほとんどなかった)たまたま写真を見ることになっても、「オレの子供時代だ」というくらいの感想で一瞥してまたもとに戻すという感じだった。
私が手をつないでいる人は、もちろん父である(すでに亡くなって久しい)。彼の背後の神社の右側の柱の真ん中あたりのオーブは、よく見ると、人の顔のようにも見えるじゃないか。以下、拡大写真。「おー、おれんちにもやっと一枚、心霊写真が存在したことが分かったぞー(しかも写真が撮られて約60年後に)」と、これはまた別な意味で得した気持ちになった。
いったい当時私と父はどこに出かけていたのか? 父は宮崎県高千穂町上野(かみの)の出身なので、そこいらあたりの小さな神社だろうか、とは思うのだが、今のところはっきりしない。
それはともかく、古い白黒写真も含めて、自宅に残っていた写真のデジタル化を行っている最中なので、すべての作業が完了するにはまだ時間がかかりそうである。
気が向くたんびにぼちぼちと進めていきたいと思っている。