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今の日本の70代80代の人々が建てた家には、まだ様式として床の間付きの家が多かったと思うけど、彼らが30代40代の働き盛りだったころ、実際には床の間を床の間として利用していることは少なかったんじゃないかと思う。
つまり季節季節にその時期に合った絵が描かれた掛け軸をかけ替えて、水盤や花瓶に花を活け替えるというような所作を行うような「心の余裕」はあまり持てなかったんじゃないかと思う。
まだ幼い子供のいる若い夫婦の住む家の障子は「必ず破けている」のが相場だった。家族全体がいつもいつもばたばた、ばたばたしていた。
私が実家に戻ってきたとき、確かに床の間はあったが、そこには新築時に掛けたままになっている変色した掛け軸がそのまま掛かっていた。
私は家の床の間の壁も含めて、その他すすけていた壁紙を自分で全部貼り替えて、床の間を床の間としてちゃんと使ってやろうと思ったのだった。
それで季節ごとに(実際にはひと月ごとに)掛け軸を掛け替え、花も取り替える、というようなことを始めた。今日でも「その習慣」は続いてはいるが、「生の花」だけはどうにも扱い続けられなかった。
ダイソーなどという店が出現して、造花が豊富に廉価で売られている状況下では、「なんちゃって生け花派」になってしまうのも避けようがない運命だった。
8月といえばお盆の時期なので、普段は「絵」の描かれた掛け軸を垂らしているのだが、「南無阿弥陀仏」と書かれた掛け軸を飾っている。そういうわけで、今年も8月1日なって、その掛け軸に掛け替えたところだ。
舟形の水盤の中には円形の剣山が置いてあるけれど、実際には水は入っておらず、写真の白い菊一輪も造花であった。
それでも、仏壇と掛け軸と一輪の花以外に何も置かれていない部屋を眺めると心がすっきりとなるから不思議だ。
昨夜買い物から帰ると、玄関の右下でガサガサという音がした。暗くてよく見えなかったが、「なんだろう、我だろうか」と思っていると壁の隙間にすっと入り込んでしまった。
それですぐに関心をなくして、その日は終わったのだが、翌日、隣に住む老人が「回覧板でーす」と大声で叫ぶので、「はーい」とこちらも大声を出して取りに行った。
回覧板を取って振り返ったら、バルタン星人が、玄関のガラス引き戸の上にとまっていた。
さらに私を驚嘆させている事態が8月に入って、いよいよ明確になってきた。
過去2年に渡って秋にその開花を追いかけてきて、アニメ「エルフェンリート」などとも関連付けて、このブログで報告してきたタカサゴユリが(ページトップ右側の「ブログ内検索」に「タカサゴユリ」と入れると過去記事へ)、すでに開花し始めている。
しかもその本数がこれまでと異なっている。〈彼女たち〉は今、とんでもない本数になって私の目の前に出現しようとしているのだった。
「3年越しのタカサゴユリ開花物語」として眺め直してみると、何か「小さな奇蹟」でも見せられているみたいで胸がいっぱいになった(写真をクリック)。
今はまだほとんどつぼみの状態だが、〈彼女たち〉が一斉に開花したら、写真を追加して報告したいと思っている。
P.S. ということで、追加報告
かなり開花したよ。(2025-8-9)PR -
昔、ネットで「GHQに発禁処分を受けた書物を復刻販売します」というキャンペーンをやっていて(今もやってるのかな?)、いろいろと買い込んだ時期があった。
その発禁本の中でも、「それ、まさに今の日本の話じゃん」と思ったのが、昭和19年に出版された長谷川泰造の『ユダヤの対日謀略』という本だった。
以下、長文で引用。
-------------------------------------------------------------------------新聞と通信「ニューヨークの新聞記者」の部分を「現代日本のメディア関係者、テレビ局員らおよび出演者たち」に置き換えて読むと、ここ200年間ずっと続けてこられた、認知改変術、始まりはヨーロッパにおいて局地戦的に、そして大戦後は、いわば「ナルト」における無限月読のごとき大魔術、つまり世界全体を攻撃対象とした「壮大な認知改変魔術」がまだ続いているんだということが分かる。
各国の新聞と通信とがユダヤの手中にあるように、米英の言論界もほとんどユダヤ人の手中に牛耳られている。ユダヤ人問題の知識もなく、何らの疑惑を有せぬ読者は、新聞に掲載された報道を、そのまま鵜呑みに真実と信じてしまうのが常である。
しかしユダヤ人に経営される新聞において真実が報道されることは、かくすることがユダヤ人に好都合の場合以外には有り得ないのである。
この問題について、アメリカ一流の論説記者ジョン・スウィントンは、ニューヨークの記者会議席上で次のような演説をしたことがある。
『アメリカでは田舎の町村以外には独立した新聞は存在しない。諸君はこの事実を知っている。余もまた知っている。諸君のうちには、真面目な議論を発表しようとする者は一人だっているまい。もし発表しようとしても、諸君はそれが活字にならないことを予め知っている。
余が執筆している新聞に、余が正直な主張を書かずにいることに対して、余は一週間に一五〇ドル貰っている。諸君も、他の新聞に対して同じ役目をすることによって、同額の給料を貰うことが出来る。もし余にして一度でも余の主張を新聞に掲載しようと無理をすれば、余の地位は二十四時間以内にふっ飛んでしまうであろう。
この事情がわからずに自分の正直な主張をのみ書こうとする記者は、失職して路上に他の職を探さなければならない。真実を偽り、威嚇し、財貨の前に跪き、報酬のため、即ち日々のパンのために国を売り、同族を売ることは、ニューヨークの新聞記者の仕事である。
われらは楽屋に身を隠している富裕な人々の道具であり、家来である。われらはまた操り人形に過ぎない。背後の人々が糸を操り、われらは踊るのである。われらの時間、われらの天分、われらの生涯、われらの能力、その他すべては他人の財産に過ぎない。われらはインテリの売節漢である』(以上はレスター・F・ウオード 「純正社会学」より引用)
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日米開戦が準備されることになった事情において、まだ世界にはっきりと「周知」されていない事実がある。それは「先に精神制圧攻撃を受けて、〈彼ら〉の知恵に屈したのは米国の方だった」という事実だ。
「米国人の時間、米国人の天分、米国人の生涯、米国人の能力、その他すべては〈彼ら〉の財産に過ぎない」
と言い換えて読んでみよう。
兵隊となった多くの米国の若者たちの命が、〈彼ら〉の世界戦略のいけにえとしてささげられることになった。「素朴な米国人の単純さゆえに、彼らの正義感は世界支配のための燃料」になった。米国の制圧という準備段階を経て、日本(米国)は米国(日本)と戦争をさせられたのだった。世界の諸国民は「実は原爆よりも制圧力のある兵器がある」こと、それが何だったのか、ようやく気付きつつあるところだ。それは一種の魔術のような何かであり、陰陽道における呪(しゅ)掛けと類縁な何かだった。
そしてGHQの統治が始まって以降、米国人がそうされたように、「今度は日本全体に認知改変という魔法がかけられた」のだった。もちろん大戦後のヨーロッパ人にも魔法がかけられた。そして保守と革新というプロレス興行が今日まで続いた。保守も革新もその根をたどれば「同じ雇い主」にいたる。そういうからくりだった。
〈彼〉あるいは〈彼ら〉は人間ではない。福音書で荒野のイエスに「自分の家来になれば地上の王にしてやる。地上世界はお前の〈所有物〉になる」とディールを持ちかけて来た存在だ。
だが〈彼〉は、「その時にはもはや「本来の自分」には戻れないし「真の故郷」にももちろん帰れない。お前の地上での栄光にはタイムリミットがある」と、この取引条件の隠れた部分は声に出しては言わなかった。
これまで「そのようなオファー」にたくさんの人間が向き合わされて、「どう行動するか」を試されてきたのだった。
(↑)筆者近影。
ということで、私も個人的な認知戦をしかけてみよう。
残りの人生は音楽三昧 -
カセットテープたくさん持ってました。でも、ある時期、ほとんど処分してしまいました。
自宅に残しているのは、貴重なエアチェックものとか、人からもらったものとか、自分の声とかギターとかの音の入ったアイデアテープ、大学時代のバンドの録音とか、です。
一番古いテープは「1978年もの」、高校生の時の自分の声が入っているテープです。やっぱ年代物は「味わい」がありますねえ。
文化祭なんかで高校生の時にやった楽曲は歌詞を書いたノート類も含め全部どこかへ消えてしまいました。それにそもそも録音していませんでしたので。ラジカセは持っていたのに、なんで録音して残しておかなかったんでしょう。なので、かすかに一部を覚えているだけで、全部記憶から飛んでしまいました。
古いカセットテープを聴き直したくなった時は、テープデッキで聴いていました。だから、そうしようと思えばすぐにでもデジタル化できたのに、そうしていませんでした。
最近、手元に残してあった、いろんな音源の入ったカセットテープをようやくデジタル化しておこうと思うようになり、Windows XPに入っているCakewalk Pyro 2004を使って、録音作業を開始したまではよかったんですが、なんとデッキが途中で壊れました。
「はー、なんでだよー」
箱を開いて中を確認したら、歯車を回転させるためのゴムが解けて切れていました。
「まあ、古い機種だから、いずれそういうことがあるだろうなあ」とは予期していましたが、まさかその日に起きるとは思っていませんでした。
それで残りはラジカセのヘッドフォンジャック経由で対処しました。
上の写真に写っているカセットケースはAXIA Artist Audition '96です。いわゆるアマチュアミュージシャンたちのオーディションで、最終選考に残った個人・バンドの楽曲を全国1万人のリスナー審査員(『ギターマガジン』とかの音楽雑誌に広告を載せて募集していたと思います)にカセットテープを送って審査してもらうという催しでした。私は94年度の大会にも審査員として参加しました。
最近、「楽曲録音活動復活したいなあ」「またオリジナル楽曲の制作を始めたいなあ」と切に切に思っているのです。
大昔シュガーベイブの「ダウンタウン」とかYouTubeにアップしてた時期もあったんですが、Googoleに買われた時期に削除してしまいました。
今はかろうじて「レイディ」という楽曲(オリジナル)を一曲置いてます。当時はYAMAHAの DX7Ⅱ(処分済)というシンセを全部手弾きでやってました。今だったら、打ち込みでしょうけど。
大昔このブログでもTaccaさんの「Dear My Friend」のカバー曲を作りたいと投稿したことがありましたが、いまだに「思いを遂げていない」のでした。
とはいえ音感鈍っているし、ところどころコードが自分の耳コピでは分からないところがありました。
それで「バンドプロデューサー5」という音楽ソフトにコード認識機能があることに気づき、使ってみました。いやー、これ便利です。
ということで、「今度こそちゃんと自分バージョンのDear My Friendを完成させよう」と思ってます。 -
去年の11月あたりから、何だかもやもやした感じの中で生活してまして、この気分は相変わらず続いています。
皆さんは、どうですか?
気分的には階段の踊り場で、ぐるぐる回って停滞している感じです。
最近、約30年周期の土星が一周を終えて、新しいサイクルを始めるという話をネットで知って、「あ、だから、オレの気分も安定しないんだろうか」と「合理化」してみたり。とはいえ、「理由付け」できたからといって、状況は何も変わりません。
自分にとって、第二次性徴以前の少年時代は、もっとも幸福だった時代です。だから幼稚園時代から小学6年生までの期間を過ごした場所には、強い思い入れがあります(中学に上がると、我が家は途中で引っ越しをしてしまいます)。ちなみに当時もっとも好きだった科目は、体育と図画工作でした。
古い写真を整理して、カラー化した話は以前書きましたが、下の写真はその時代に取られたモノクロ写真をカラー化したものです。道路はまだ砂利道です。このような細い砂利道がだんだん舗装されていく様子を見ながら、学校へ通った時代でした。
(左から母の妹、私、次男、三男、伯父、母、祖母、父)
この写真には、当時の我が家は写っていません。写真のさらに右側に建っていました。写真の左側には裁判官が住んでいる大きな屋敷がありましたが、これも今はありません。その隣が「空き地」で、放課後近所の小学生が三々五々集まってくる場所でした。もちろん、今は「空き地」などどこにもありません。どこもかしこも家が建っています。
のちに中学に上がった時、林田君という野球部のクラスメイトが(ちなみに私は剣道部でしたが)「あんなボロ屋に住んでるなんて、驚いた」などと失礼(率直)な「感想」を私に向かって披瀝してくれたのを覚えています。事実なんで怒るわけにもいきません。
写真に写っている長屋の一番奥には、若い警察官夫婦が住んでいましたが、奥さんが癌になって、臥せっていました。「奥さんがね、布団のなかで寒い寒い、って言うんだよ」と見舞いに行った母が語ったことを、なぜか強烈に覚えています。
あの場所はどうなっているのだろうと、最近、自転車で遠出して、ひさびさに訪れてみました。
なんと更地になっていました。古い家族写真は、左手前の白い自動車の前、かつてあったブロック塀の前で、撮られたものでした。ブロック塀の土台の部分だけが今も残っています。
世の中に子供がたくさんいて、子どもを中心にご近所づきあいがあった時代です。電話はまだ普及していませんでしたから、皆、友達を遊びに誘いたかったら、わざわざ出かけて行って、外から言葉に節をつけて「〇〇くん、遊ぼーや」と大声で呼ばうのです。
駄菓子屋へ入るときは、やはり節をつけて「ごめんください」と歌うかのごとく敷居をまたいだ時代でした。そのように、「子供たちの使う日常言葉が音楽的だった時代」があったということを、昭和時代の思い出語りとして語る人をあまり聞かないのが不思議です。 -
以前は仏壇に供えるために、下の写真にあるような、特殊な道具を使って型抜きしたごはんをを供えていたんです。ちなみにウチは真宗大谷派です。
でも、最近、お米がとても高いので、マシュマロを供えることにしました(写真をクリックしてください)。遠くからだと、見た目が似ています。
毎日取り換えてます。これで一日もたせて、前日のものは、取り換え時にパクっと口に入れて、食べてしまいます。
ごはんのときは、そんなこともできず、無駄にしてしまうことも多かったんです。
昔は、一回の食事で一合のご飯をどんぶり茶碗で食べていた時期もありましたが、今は四分の1合メシを小さなちゃわんで食べてます。その代わり、たっぷりのキャベツを食べて、腹を膨らませています。
浄土真宗系は、寝かせて線香をたきます。これまではセリアで購入した十徳香(ラベンダー)を(安価なので)使ってましたが、あまりよくない質のものに最近品揃えがかわりましたね。
がっかりしてたんですが、でも、新しい品揃え品の片隅にパッケージが簡素化された十徳香が置いてあるのに気が付いて、ちょっとほっとしました。見つけたら、まとめて買うようにしてます。