"私が好きな音楽"カテゴリーの記事一覧
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7月下旬から8月初旬にかけて熱中していたのが、北米のインディーバンドを聴きまくることだった。私が当blogで推したいバンドがいくつか見つかったのだが、今回はまず最初にXinxinを紹介したい。
Xinxinというのは変な単語だと思う。英語っぽくない。ジンジン?それともズィンズィンだろうかと思って、検索をかけたら、これは中国語の「欣欣」を中国人がアルファベットを使って表音化するときに使う表記だと分かった。
ということは「シンシン」というふうに発音するのが一番原音に近いと思うが、例によって、彼らが自分たちのバンド名を声に出して発音している場面に出会っていないので、「おそらくそうだろう」ということではある。
私はスポティファイは利用していないし、アマゾンミュージック・アンリミテッドは一時期利用していたこともあったが、結局使わないので解約して今はほとんどサイトに近づくこともない。
そういうわけで、今のところ「新しい音楽体験はもっぱら、YouTubeで」ということになっている。
New Indie MusicとかIndie Pop/Rockとか、さまざまなアーティストたちの曲を3時間程度に集約して流してくれる人々(選者たち)がいるので、「選者のセンス」と「自分の好み」の傾向が一致している場合、これはほんとに驚愕の新曲体験となるのだった。
本を読みながら流し聴きしていると、ふと注意が本から曲の方へ逸らされるタイミングがときどきくる。「あれ、なんかいいじゃん」そういうときは、曲名とアーティスト名をチェックして、再度YouTubeで検索をかけて、お目当てのアーティストをさらに深堀していくのだ。
そういう風なふるまいによって、大ファンになったバンドやユニットやソロアーティストがここ最近かなり増えた。
でも、こういうこと(今まで知らないでいた名曲を探求したい気分に襲われること)は、やってくる時期に周期があるので、「そういう時期が来る」かどうかで、また数年、あるいは10年以上も「発見が遅れてしまう名曲」だって多々あるだろう。でも、それはそれで「いつ出会えるか」ということに関しては「偶然」にゆだねるしかないのも事実だ。
私がXinxinの曲として初めて聴いたのが「blue flowers」だった。
私がおもに聴いていた多くの曲がリバーブ感たっぷりの反響系の(人によっては気持ち悪いと感じるかもしれない)ミックスダウンをほどこされた曲だった。だから「Blue flowers」もそういう傾向を好むアーティストたちのなかに出てくる一曲だと思っていた。
それで、この曲には「読書のジャマをされた」ので、俄然興味がわき、いつものように「調査」を始めたわけだ。
XinxinをYouTubeで検索し、その他の曲を数曲聴いてみたら、「blue flowers」みたいなサイケデリック系じゃなくて、まさに黒人の女性ボーカリスト独特の節回しで歌われる楽曲のオンパレードだった。
「どういうこと? これって、もろブラックミュージックじゃん」と思った。そして「ああ、この感じの楽曲アレンジって日本のそっち系のミュージシャンたちもよくやってたよなあ」と思った。最初に心に浮かんだのは80年代前後のころの吉田美奈子バンドの音だった。
英語圏におけるXinxinについての評論記事には2つしか出会わなかった。YouTubeの再生回数を見れば、分かる通り、みごとなまでの「無関心」ぶりである。もちろん日本のアマゾンにはページすらない。
こんなブラックブラックした曲がなぜこれほどまでに「そっち界隈の人々」に相手にされないんだろうと不思議に思った。
数少ないXinxinへの言及記事のなかに以下のような記述があった。
----------------------------------------------------------------------------------------------The group – which consists of Janize Ablaza on vocals and guitar, Stephen Reed on drums, Carlos Elias on bass, and Jonah Huang on keys – formed in Southern California’s Inland Empire, the suburban expanse that buffers the megalopolis of L.A. against the Mojave Desert.
このグループは、ボーカルとギターのジャニズ・アブラーザ、ドラムのスティーヴン・リード、ベースのカルロス・エリアス、キーのジョナ・ファンで構成されており、南カリフォルニアのインランド・エンパイア、モハーベ砂漠に対してロサンゼルスの大都市を緩衝する郊外の広がりで結成されました。
Vocal&Guitar ジャニズ・アブラーザdrums スティーヴン・リードBass カルロス・エリアスKeyboard ジョナ・ファンブラックミュージック的なアプローチで名をなした吉田美奈子が黒人女性ではなかったように、このバンドのボーカルであるジャニズ・アブラーザもまた黒人女性ではなかったのだった。
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FacebookやInstagramのフォロワー数を見て、長年活動を続けてきたろうに気の毒になってしまった。YouTubeにもバンドが演奏する動画がいくつか上がっているが、見てくれてる人はほんとに少ない。
カリフォルニアと写真と名前から類推できるのは、彼女はスペイン語を話すメキシコ系の先祖を持ち、容貌はインディオ系の血を色濃く反映しているように見える。
中南米インディオ系×アングロサクソン系×ラテン系×中国系=Xinxinなのだ。
大学時代から数えればかなりキャリアは長いはずだが、公開されている楽曲の数が極端に少ない。ライブにおいては、ジャニズ・アブラーザはエレキギターを抱えてテンションコードを駆使しながら歌を歌う。基本目立つようなソロは弾かない。エレキギターで独特のテンションコードを鳴らしながら歌を歌う女性ボーカリストはめずらしいんじゃないか。
ライブ演奏動画は、声がちゃんと拾われてなくて、あまりよい録画のものがない。それにライブではジャニズの声を複数用意してハモらせることができないので、「録音もの」よりも説得力が落ちている(コーラスこそ聴きどころだ)。もしバックコーラス要員を調達したうえで、ライブ会場を回れたら、リスナーたちの反応ももっとあがったんじゃないかとは思う。
今回は全部で8曲紹介しようと思っているが、YouTubeでもその程度しか拾えなかった。彼女はもしかしたら「blue flowers」のようなサイケデリックな(というか精神的・内省的な)方向の歌をもっとやりたくなっているのかもしれない。既存の発表曲のジャケット絵には、中国だけではなく、日本の影響(草書体の引用)も感じるのだが、どうだろう。
私としては、これまで楽曲を一枚のアルバムにして、それこそ「日本仕様盤」(つまりCD)を出すなんて企画が出ないかな、などと思ってるところだ。それは、表題にもある通り、北米人よりも日本人に発見された方が「ウケがいい」と思う故だ。もっともっと新曲を出してもらって、彼女たちの歌と演奏を味わってみたいと思うが、とはいえ、私と同じ気持ちを抱いている人は北米にも日本にも少ないんだろうなあ。
p.s.
ちなみにXinxinのInstagramやFacebookを見ると、私が抹茶ラテ(秘教学徒)動画で引用したアーニャ(アニメ「Spy×Family」のキャラクター)の、「謎の笑い顔」が出てくるページに出会って、「あー、ジャニズもあのアニメ好きで見てたんだ」と思ったのだった。PR -
前回の投稿の最後の方で、「すでに私は、シー・オリーナという名前を知る前に彼女のファンになっていた」と書いた。そのことに今年の6月に気づかされたのだった。
去年の10月、YouTubeで私は、CLANNという映像作家兼音楽家集団(カナダ人のマッキノン兄弟)の存在を知り、妖精女王とさまよえる騎士の交流を描いた短編映像が気に入って、その関連で以前に公開されていた三部作のサントラを自宅でよく聴いていたのだった。
彼らは「CLANN KIN Fables」と「CLANN Seelie」という二枚のアルバムを出していた。
Seelie(シーリー)は古語で、もともと古代には「陽気な」というような意味で使われていたが、この単語はsilly(馬鹿げだ)の語源であるという解説も検索の過程で見た。
短編映画「CLANN - KIN Fables: The Stolen Child」
この映画は日本語字幕で見ることができる。字幕アイコンをクリックするとなぜか英語ではなくロシア語が出てくる。けれどここでがっかりせずに設定アイコンをクリックしてロシア語>>日本語を選択すると、ロシア語が日本語になるので、これで会話を日本語で理解しながら視聴することができるようになる。
もちろん、彼ら(マッキノン兄弟)のことはシー・オリーナ同様、日本ではまったく知られていないも同然だった(ちなみに騎士を演じているのは監督のセブ・マッキノン自身だ)。だから彼らの情報を得たかったら、英語圏のウェブサイトに飛んで調べるしかなかった。
weblioで調べると、英語のCLANという単語は
(スコットランド高地人の)氏族、一族、一門、閥、族、一味、大家族
と出てくる。源氏とか平氏と織田家、武田家の集団を指すときに使われる英単語でもある。
Nが一個増えているCLANNは、アイルランドの古い言語から取られたもので「家族」を意味すると、〈彼ら〉は、自分たちの管理しているウェブサイトで説明していた。
6月下旬に改めてCLANNのウェブサイトを訪れて、アルバム紹介ページに出ている英文をつらつら眺めていたら、「the signature ethereal vocals of Charlotte Oleena」という部分に目が止まった。
えっ、Oleena?
この説明に出てくるOleenaはSea Oleenaと関係があるのだろうか、と思った私はCharlotte Oleenaで検索をかけてみた。すると、
Charlotte Oleena、bka Sea Oleena,(シー・オリーナことシャーロット・オリーナ)
という表現が出てくるページがあった。
それで「あ、CLANNのアルバムでボーカルを担当していたのは、シー・オリーナだったんだ」と愕然となったわけである。
アルバム紹介ページをchromeのウェブ翻訳にかけると「シャーロット・オレナの特徴的な幽玄なボーカル」という訳が現れたことにもはっとしたのだった。
かつてchou chou(シュシュ)のことを勝手に幽玄(幽界)系と名付けていた私だったが、ethereal(エーテル的)に対するクロームの訳語が「幽玄な」となっていた偶然に驚いた。
「シャーロット・オレナのエーテル的ボーカル」という訳になっていてもよかったのだが、「幽玄」なら通じても、秘教用語の「エーテル」ではイメージが通じない日本人はたくさんいるだろう。
だからまあ順当な訳語だろうとは思ったが、逆に英語圏では音楽批評として「エーテル的」が普通に流通してんだろうか、と「それって、どういうことなんだろう」と思ったのだった(そもそもわれわれが今オンラインに入るときに使っている、英語でいうところのイーサネットって、本来の日本語対訳で言い変えるとエーテルネットだからね、と誰かに突っ込まれそう。今は廃れて廃棄された化学用語としてのエーテルではなくて、世界をつなぐ通信技術用語として「エーテル」(ギリシャ神話の方へ接続する)を用いようと思ったエンジニアたちがいたわけだ。このコテコテのアーリマン的技術に秘教用語をあてがったというのが興味深いよねえ)。
英語圏では彼女はetherealだとかairyだとか言われているようだった。
日本仕様の紙ジャケCDを手に入れて裏表紙を見たとき、並んだ曲名の末尾に曲名よりも小さな文字でCharlotte losethという名前が印刷されているのに気が付いた。「あれ?Sea Oleenaじゃないの?」
それでYouTubeでこの名前を検索したら、以下のような動画が見つかった。
そして改めてウェブ上でCharlotte losethを検索したら、シャーロット・ロセスはシー・オリーナ名義でアルバムを出す以前に用いていた名前だったことが判明した。
2010年 Sea Oleena
2011年 Sleeplessness
2014年 Shallow
2015年 KIN Fables(CLANN)
2017年 Seelie(CLANN)
2020年 Weaving a basket
2021年 untethering(シングル)
最初、Charlotte loseth名義でSea Oleenaという「題名」のアルバムを出し、それが今度は彼女の「活動名」になってしまったというのが真相のようだ。
そういうわけで私はSea Oleenaの4枚のアルバムに加えてCLANNにおける彼女の仕事も一連の主要な活動として編入して扱うことにしたのだった。
「Untethering」は「Weaving a basket」制作時期の作品である旨を検索情報で得たので、私は、編集で「Weaving a basket」の8曲目の追加曲として同じホルダーに入れて聴いている。
アマゾンのSea Oleenaのページを見ると「feat.Sea Oleena」というクレジットのある楽曲が複数出てくるが、彼女は請われていろんな方面に出かけて行って、彼らのアルバム作りをボーカルで手伝っていた人でもあった。
日本のリスナーの間でも彼女の知名度が上がって、たくさんのファンができればいいなあ、と思ってますよ。 -
6月もっともたくさん聴いていたのがSea Oleenaだった。
とりあえず英語表記から始めたのは、このカナダ人ミュージシャンは、日本では、ほとんどまったく、と言っていいほど認知されていないからだ(つまり「決まったカタカナ表記」が日本人一般に共有されている状態にはなっていないのだった)。
とはいえ、日本のアマゾンでは、シー・オリーナという表記が当てられたページがあるので、日本のリスナーとまったく無縁な人というわけでもなさそうだ(とはいえ評価コメントは英文ばかりだが)。
日本では、彼女のファーストとセカンドの中身を一枚に収めたCDが販売されているが、その販売を請け負っている日本側の代理店は「シー・オリーナ」という名前で販売しているので、この表記に従えばいいのかもしれないが、伝統的に案外いい加減なのが日本側の対応なので、少しだけ自分の中に保留部分は設けておきたいのだった。
YouTubeで「Hi,I'm Sea Oleena」などと言っている動画に行き当たることができれば、その発音に沿って実際の英語の音が分かり、それから自分なりに日本語化(カタカナ化)できるんだけれども、活字をウェブ上で日本語翻訳にかけると、オレナかオレーナのどちらかが出てくるので、頭が混乱する。
WeblioでOleenaを調べると、ちゃんとした回答が出てこない。本来の表記はOlenaらしい。しかももともとは現在ホットな話題を世界に提供し続けているウクライナ人が使う名前らしい。Olenaにもうひとつeを加えてOleenaと表記して自分の音楽活動用の名前としているようだ。
2010年以来、彼女はSea Oleena名義のアルバムを4枚発表しているが、私の一番のお気に入りは2020年発表の「Weaving a basket」(籠を編む)
2013年に、彼女の2010年(「Sea Oleena」first)と2011年(「Sleeplessness」second)のアルバムを一緒に収めた「日本仕様」のアルバムが販売されている(手に入れた紙ジャケの裏表紙を見ると「printed In Taiwan」と印刷されている。えっ、日本版を台湾で作ったの?と思ったのだった)。
現在彼女は頭髪を長く伸ばしているようだけど、YouTubeでたまたま遭遇した「なんかおもしろいな」と思った動画では、彼女は坊主ヘアーで、屋外でエレキギターをエフェクター(Boss Loop Station RC-20XL)につないで歌を歌っていた。
私が彼女に興味を持ち、突っ込んで調べようと思い始めたのは、この動画のせいだった。
それでYouTubeで視聴できる曲をかたっぱしから見るようになって、すっかりファンになってしまった。
「おー、いいじゃん、シー・オリーナ」……以前、このブログでルドルフ・シュタイナーの『悪の秘儀』におけるルシファーとアーリマンの属性の対比まで引用して(その宇宙の2大フォースを相手に「フォースにバランスをもたらす者」としてのキリスト属性についてのシュタイナーの言及は省略しちゃったけど)大プッシュ記事を書いたchou chou(シュシュ)と同じ「幽玄系」だよなあ、と思いながらつい最近まで暮らしていたのだった。
ところが、私はすでに去年の時点で彼女の大ファンになっており、去年から最近までずっと入眠用御用達アルバムとして彼女の声を聴きながら過ごしていたことに最近までまったく気づかずにいたのだった。しかも彼女は私が知っている範囲で三つの名前を持って活動していたことが分かって、「おもしれなあ、シー・オリーナ」と思ってしまったのだったが、その話は次回に回そうと思う。
次回へ続く。 -
アニメspy×familyが大ヒットして、今年10月には第3期が放送される予定とか。
私もつい調子に乗って、自分の動画にてアーニャ・オマージュをしてしまいましたが、この冬期のアニメで別口の「血のつながらない者同士が家族になっていく物語」をやってまして、「うーん、やっぱ絶対spy×familyと較べちゃうよなあ」と思いながら、Netflixで見始めたら、ことのほか面白いじゃないか。そうです、「Buddy Daddies」であります。
このアニメのエンディングテーマが名曲なんです。私、歌を聴くとき基本歌詞をちゃんと聴かずに聴き始めて、楽曲そのものが気に入ったら、歌詞にも関心を示すタイプのリスナーです。
歌声の質、トーンも、意味を把握せずに母音の連なりとして耳に入ってくるものが楽曲全体として耳に入ってくるとき、歌詞、というより、その言葉が「発音」されたときに、母音とメロディの連結が違和感を感じさせる歌、つまり歌詞が音像に埋まっていない曲はやっぱりよくないんだと思いますよ。
そういうふうに歌詞の意味を把握せずに声も楽器の一部として、歌声も楽器構成の一部として「曲全体」として聴いても、よい音楽であれば、聴き手は感動するものですよね。日本人の洋楽の受容態度がそうでしたしね。あるリズムに乗って鳴らされる和音が、人の感情に意味を想起させずに影響するのが音楽ですからねえ。
「DURDN」の「My Plan」は、そういう楽曲の仕上がりそのものが、全体として人を感動させる質を持っていて、私久々にエンデングテーマを飛ばさずに毎回聴いてます。OPやEDを飛ばすとか、そういう「振る舞い」をしてしまうNetflixの視聴者は多いと思います。歌が平凡だったら、やっぱ省略モードで、「物語の続き自体」に気持ちがいくんです。曲がよかったら、「これは聴かなくちゃ。で物語へ行こう」と思っちゃいますよね。
なんか後頭部からぼわーっと頭が抜けていくような感覚に襲われる瞬間があるんですよ、この曲って。
フルバージョン
ダーダンの詳細については、以下を参照
音楽ナタリー
参照先の記事を読んでもらうと分かる通り、男二人女一人の三人でやってるユニットだそうです。
で、なんとこの曲のボーカルをしているのがBakuさん。韓国人です。向こうで兵役に就くまでは日本語はしゃべれず、兵隊やりながら日本語の勉強始めて、結局、いろんな縁が重なって日本に移住してミュージシャンになったという話は面白いですねえ。
本記事の冒頭で「血のつながらない者同士が家族になっていく物語」と書きましたが、思い出してみると、私、そういうモチーフ〈も〉内包しているアニメが結構好きなんだなってことを再認識させられました。
当ブログでもその手のアニメに言及してるんですよね。
まずは「ウィッチブレイド」
それから「エルゴプラクシー」
そしてアーニャ・オマージュの動画にも引用した「小林さんちのメイドラゴン」
「spy×family」と「ウィッチブレイド」で家族になる女の子は「人間」ですが、「エルゴプラクシー」ではロボット少女(愛玩用オートレイブ)ですし、「小林さんちのメイドドラゴン」では、子供のドラゴンです。
もう、日本の漫画・アニメ制作者たちって、どこまで「先走っていく」のだろうと思うくらいに〈彼ら〉は「異質なものを結ぶ衝動」を抱えていますよね。
21世紀に「炎の舌」を使って、「ある衝動」を世界に提示している人々は、「そういう業界」にいる人々であって、決して旧来の古代や中世以来の宗教の伝統の末端にいて組織力拡大運動に邁進している人々ではないってことでしょうねえ。
P.S. ということで本記事書きながら、一方でその日は「ドーリスライ、ドーリスライ」という言葉が頻繁に頭に浮かぶ日だったのです。「なんだ、ドーリスライって? なにかの洋画かアニメの登場人物だろうか?」と思いながらほっておいたのだが、結局ドーリスライが止まらない。本記事を書き終えて買い物に車で出かけたのが、運転中もやっぱり「ドーリスライ」という言葉が湧き上がってくる。
しかたなく家に帰ってから検索したら、「神曲奏界ポリフォニカ」の登場キャラクターだった。正確にはドーリスラエ。で、「あ、あの少女と同化した精霊さんか」と思い出した。
「神曲奏界ポリフォニカ」は私のお気に入り作品だったが、さすがにドーリスラエは忘れていたのだった。
けれども、実はこのアニメ(1期)のエンディングテーマが大好きで、今でも定期的に無性に聴きたくなるので(その時はいつもリピート再生モードで)、よく聴いている。この曲も「頭がぼあっと広がっていく感覚のする名曲」だ。今回の投稿の後日談ということで、ご紹介いたします。
concordia(コンコルディア) kukui
P.S.2 あ、あんずのクチパク映像(「ごはん」という決めぜりふ)で引用した「ヒナまつり」も今回のテーマに沿ったアニメだった。〈彼女〉の場合、戦闘マシンとして育てられた異世界人です。 -
やっと暖かくなってきましたねえ。
ブログのほうは、「これは書いておきたい」ということも特に思い浮かばなくて、かなり時間があいちゃいましたね。なので、更新記事のつなぎに一本投下しておこうと思います。
私、ギタリストとしての才能はないんですが、ジョー・パスの「Night and Day」を一生懸命練習していた時期がありました。
ジャズ系のソロギターっていうと、ジャズ愛好者ではない(つまりソッチ系にはあまり詳しくない)自分にはジョー・パス以外ほとんど思い浮かばないんですが(それでもバンドでやってる人たちはある程度は知ってますが)、かつてアマゾン・ミュージックでたまたま出会って気に入ったギタリストにジョナサン・クライスバーグって人がいて(アマゾン・ミュージックはクレイズバーグとカタカナ化していてますが、間違いですかね?)、「ONE」というアルバムのしょっぱなの曲がいたく気に入りました。
「Canto De Ossanha」って曲です。
「Canto De Ossanha」はブラジルでは国民的名曲扱いされているって話を、あとで調べて知りました。日本語のウェブ上ではこのポルトガル語を「オサーニャの歌」と訳して紹介している記事に一度出会ったのみで、日本語で得られる情報は少ないです。
英語では「Chant Of Ossanha」と表記しているものにも出会ったので、まさに「オサーニャの歌」ですね。オリジナルもYouTubeで聴けますので、興味のある方はさらに聴いてみるといいです。
ジョナサン・クライスバーグもYouTubeで活動しています。ジョナサン・クライスバーグは「カント・ヂ・オサーニャ」と発音してましたね。
ひさびさ、クライスバーグアレンジの「オサーニャの歌」はコピーしてみたくなった曲です。
うれしいことにYouTubeには譜面付きの教則動画まであります。
ちなみにジョー・パスの「Night and Day」の教則動画も同じシリーズのなかにありますよ。
さて、近況です。
シュタイナー関連動画の方は、最後のアップロード以来、「抹茶ラテのクチパク化を新たなチャレンジ目標」に掲げて自宅であれこれ試みをやってきて、一応自分なりの「これでいいんじゃないか」というものは出来たんですけど、「だからと言ってクチパクが何よ?」という思いもありまして、「目標クリア」できた時点で、新たな動画作成自体への意欲が半減して、ほんとある意味、次回作の予定も何も思い浮かばずにぼんやり過ごしてきた2月、3月でした。
D-IDというサイトが個人の写真と音声をアップロードすれば、勝手にクチパク動画を作成してくれるという情報に出会って、それではということで抹茶ラテのイラストイメージをアップしてみたんですが、このAIは「イラスト絵対応」ではなく、人の肖像写真じゃないとダメでした。
自分の顔写真をアップして投稿動画で使ったAI Talk3の音声と合わせてみたら、ちゃんとクチパク(しかもちゃんとリップシンクする)&まばたきする動画が作れました。でも、そんな動画、自分自身で顔出してしゃべれば済むだけの話で「世界的需要」があるのかなと、疑問ではあります。
そうではなく、D-IDが、顔写真ではなく、2D系3D系さまざまな顔の絵を簡単にクチパク化させてくれるサイトだったなら、ピクシブとかに絵を投稿している連中は、きっと大喜びするんじゃないかと思いますよ。
自分もイラスト動画作成が「完全なるリップシンクモード」で可能になるような進化をD-IDが果たしてくれたなら、その時は利用を考えてもいいかなと思ってます。
当ブログでも紹介したあんずの「ごはん」GIFは動画本編では母音の口の形にリップシンクさせて作成したものですが、ああいうタイプのものを長い時間に渡っていちいち「手動」で作っていたら、それだけでヘトヘトになることは分かってます。だからコスト思考の上に成り立っている日本のアニメの場合、リップシンクさせていませんよね。岡田斗司夫氏によると、そこが海外のアニメと日本のアニメの違いだということです。米国が日本のアニメ会社に発注するとリップシンクを要求する、とYouTubeで語っていましたね。
D-IDに限らずとも、きっと世界のどこかにそういう系統の、イラスト系2D画像を自動的にリップシンク化するウェブAIも出現すると思うので、気長く待っていよーっと。