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アマゾン・プライムで動画を見ていることはすでに書いたけど、最近はプライム・ミュージックの方が利用頻度が多くなってしまった。
特に最近はビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビー」と「サンデイ・アット・ザ・ビレッジバンガード」ばかり聴いている。何がいいかというと、スコット・ラファロのウッドベースの演奏と音がすごくいいんだな。それが聴きたいので、ビル・エバンスのピアノ演奏を聴いている。だからスコット・ラファロの参加していないほかのアルバムは特に聴いてはいないんだよね。
あとアコースティック・ギター系では、ジョニ・ミッチェルの「Blue」。「All I want」では、右のスピーカーから聴こえてくるギターの6弦がガンと鳴った時の胴鳴りの響きがすごくいいんだよねえ。調べたら、あの音作りは、ジェームス・テーラーのバックアップがあったればこそ、ということらしく、結局ジェームス・テーラーのアルバムを探して聞くと、これが独特でまたいいんだな。
CDをリッピングして外付けハードディスクに入れ、これをWindows10のGrooveミュージックで聴くっていう習慣が始まって、リッピングが済んだCDはまとめてダンボールに入れて、倉庫に保管とかいうふうなことになっちゃうと、ますます部屋の中が片付くよね。自分の聴きたい曲が、すべてストリーミングで探せるなら、もともと部屋のなかをものでいっぱいにしないことが、日本の家の美意識だった時代に少しは戻れるかもしれないね。
でもさすがに本はアナログ式で、つまり手を使って「あの記事はこの辺に載っていたよな」って探すほうが速いような気がするので、キンドルとかはやっていない。
「ウッドベースいいなあ」というわけで、低音の出るスピーカーをヤフオクで探したら、70年代にNECがDianGo(ジャンゴ)名で出していたコンポのものだったろうスピーカーの写真が目に入った(AUS-5500)。
低音がボーンボーンと響きがちなバスレフ方式ばかりの商品のなかで(低音ブリブリ系が欲しかった)、「なんかデザインが異質」、ウーハーが2つ付いてて、「なんか低音出そう」と思ったので(しかも100円)、誰も見向きもしていなかったこのスピーカーを100円で落札した。送料が2000円ほど。
家に到着してさっそく鳴らしてみたら、なんかひでー音だった。「なんだよ、一番下のウーハー鳴っていねえじゃねーか(最初ごく小音量で聴いたのでそう感じてしまったのだった。音圧を利用するスピーカーなので、それなりの音量が必要だった)、欠陥品だったのか? 」ということで、裏側のネジを外して、中を見たら、そもそも一番下のウーハーには電源が来ていなかった。
「ああっ、これはいわゆるパッシブ・ラジエーターっていうやつじゃねえか?」そうだったのだった。初めて目の前で見た。うわー、70年代の、しかも、大型のスピーカーに付いている超珍しい形式のスピーカーじゃないか。まあ、「音質は現代風じゃない」けど、これはこれで珍品なので「ありだな」と思って使っている。70年代のセット売りコンポの慣例通り、スピーカーのネットは外れない。
スピーカーにはホームセンターで買ってきた、かなり小さめの硬質ゴム製のインシュレーターのごときものを木ネジで4つずつ取り付けた。
それにしても異常に音質が悪く聞こえたのは、プライム・ミュージックのストリーミング音質が「高・中・低」と自動的に切り替わることを知らなかったからだった(PC側の能力によるらしい。今では常時高音質設定にして聴いている)。使用するPCをHP DC7900USからHP DC5750SFにかえたら、高音質で聴けるようになった。もともと自宅にあったスピーカーで聴くと、低レート時でも、それほどひどくは聴こえないのに、このパッシブ・ラジエーター式スピーカーはもろに音源劣化の反応が出る。それが自分には不思議なことだった。ちなみに音源はPCのラインアウト信号をアンプに直結。USB-DACとか使わなくても自分には十分いい音なのだった。PCラインアウトからノイズがそもそも出ていないし、ハイレゾ音源を購入する予定もないし。70年代の高校生はLPをわざわざ音質の下がるカセットテープに録音して聴いていたじゃないか。LPを守るために。だから多少の音質の差は許容範囲なんだよ。どうせあんまり区別つかないんだからさ。
このセットは32インチモニターとカラーボックス以外は、もちろんヤフオク系中古品セットだけど、居間にあるセットとは別に、かつて自分が高校生まで自室として使っていた四畳半に一辺50cmのタイルカーペット敷き詰めて、据え付けたもの。いわゆるチープオーディオの世界だけど、結構きれいでしょ。ネットなんかで見かけるオーディオ・マニアの部屋は、まるで科学実験室のごとき「異空間」に満ち溢れているので、「人が暮らす場所として、やりすぎない」のも大事かと。PR -
Wndows95が出て以来、音楽用の録音メディアがCD-R化していく前は、当然のことながら世の中、カセットテープがメインだった。私もカセットテープにはずいぶんお世話になった。
けれど、大部分を処分してしまい、手元に残っているのは20個ほど。大半はデモテープとかそんなのばかりで、かろうじてクロスオーバーイレブンを録音して編集したカセットが二つ残っていて、なぜか無性にこれらをカセットデッキで聴きたくなった。家にはラジカセがひとつあるので、それで聴けば済むことなのだが、「よしヤフオクで中古デッキを手に入れよう」と思い立ち、家で使っているパイオニアのアンプSA-7900とデザイン系列が似ているCT-415を見つけ、「ああ、これを上下に並べてレイアウトしたら、なかなか美的になるし、これデザインいいよなあ」と思い、1000円の値段のものを落札した。ヤフオクには同商品が多数出品されていた。届いた品物は、あわよくばそのまま動いてほしいと思っていたが、案の定稼働しないジャンク品だった。
早速中を開けてみると、駆動輪にかかっているはずのゴムが2つなくなっていた。黒い塊がべっとりと車輪にこびりついている。
このデッキの修理情報は出ていないだろうかとネットでチェックしたら、2つでていたので、その記事を参考にした。ただしこのカセットデッキ、いまだに発売年次が分からないままなのだった。
古いオーディオ達との戯れ記録
岩ちゃんのガラクタ倉庫
後日、ヤフオクで落札した平ベルト(内径63mm)と角ベルト(内径37mm)が届いたので、作業を開始した。
どろどろになってこびりついている古いゴムは、蓋を開けて、100円ショップで売っている落書き消しスプレーを綿棒に吹きかけて、上から何度ももごしごしとやりながら、きれいにしていった。
「岩ちゃん」の修理の仕方は、駆動部をまるごと取り出していたけど、自分は、記事を読んだだけでは、その取り出し方の細部がよく分からなかったので(強引にバラバラにしていくと、自分の技量ではもとに戻せなくなってしまう予感もして)、上蓋のネジを2つはずして、デッキの前面にある回転する軸を固定している黒いプレートのネジを3つはずし、フライホイールを軸から少しはずして、あとはピンセットでゴムをつまんで押し込み、ひっかけ、広げながら掛け、すべてをもとの状態に戻して終了した。
電源を入れ、カセットをセットしてプレイボタンを押すと、ちゃんと動いてくれ、ひさびさカセットデッキから流れる音楽を聴けたのだった。ヤッター。
これが居間にあるテレビとステレオセット。今回カセットデッキが入ったことで、チューナーの上に載っていたDVDプレイヤーを撤去した。これは昔はCD再生用に使っていたものだった。
上からターンテーブル(中古、駆動ベルト修理)チューナー(中古)カセットデッキ(中古、駆動ベルト修理)アンプ(中古)DVDプレイヤー&VHSデッキ(中古)。つかすべてヤフオクで手に入れた中古品じゃん。スピーカーは昔、地元のリサイクル店でセット品1500円で手に入れた品。テレビと外付けハードディスクだけが新品購入品。さすが、おれってボンビーマン。ちなみにPCもヤフオク中古品。テレビの下のテレビ台のなかにHPのdc7900sfが入ってるんですが、暗くて見えませんね。操作はワイヤレスのマウス&キーボードでやってます。
地元のレンタル店でDVDを借りて映画を見るなんてことをしなくなって久しいし、huluとかGyaoとかamazonプライムビデオとかで、もう十分だし、外付けハードディスクの容量がテラバイトレベルになっている今、音楽CDはmp3でリッピングじゃなく、WAV(無損失)でハードディスクに入れても全然容量気にしなくて済むようになったし、Windows10のGrooveミュージックという再生ソフトを使うと画面いっぱいにCD情報や再生情報を表示しながら(これCDプレイヤーではできなかったことだよねえ)、マウス操作だけで、即座にHDからアルバムを呼び出して音楽鑑賞もできるし、そういうわけで、ますますCDやDVDメディアを再生機にかけて見たり聴いたりするという行為を行わなくなってしまった(ただしLPはいまでも聴いてますよ)。なんという無精者になってしまったんだろうか。
しかし楽な行為に流されてしまうのが、悲しいかな、人間のサガというものですよねえ。 -
YouTubeで「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」を聴いて「しみじみした」と書いたけど、実は同じ頃、武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」タモリ編も聴いた。タモリの出世話はそれはそれでとても面白かったけど、それとは別に記憶にはっきりと残ったのは、「1975年の日本の30歳以下の割合は全体の49.4%だった。当時は日本人の半分が若者で日本中が若者だらけだった」というような趣旨の部分だった。
今年の日本の人口はどんな具合になっているのだろうと思って、ネット検索してみると、①15歳未満、②15~64歳、③65歳以上のおおまかに三つに分けた資料ばかりでてきて、30歳未満の人口比率が分からない。
けれどおおよその予想はつく。私が15歳だった1975年。中学3年だったときの学年の人数は約400人で10クラスあった。いま同じ中学校の3年生はすでに200人を切っている。市内のほかの中学校も1975年時の半分以下になっている。
おそらく2017年の日本において30歳未満の「若者たち」はおよそ25%~35%くらいの間にいるんじゃないだろうか。
「若者の音楽」を買ってくれる「若い層」が1975年の半分近くに減っているとすれば、産業が斜陽化するのも当然だ。それに加えて「新譜購入の誘引力」となる「新しい音楽の出現」という70年代に生じた「若者に鳥肌感覚をもたらした音楽感覚の革新」はもはや「商業的」には、起こりそうにない。今の日本の音楽状況はダブルパンチ状態なのだった。
私の場合、2000年以降、インターネットを始めて、仕事から帰ったら見ていた深夜のテレビニュース番組もだんだん見なくなってしまった。
ただテレビ経由で出会った音楽については、2007年に公共広告機構のCMでPerfumeが踊りながら歌っていたのを見て「おお、誰だ、この女の子たちは」とひさびさ「追ってみたくなる対象」を見つけたが、それ以後は、またもとにもどってしまった。もはやテレビ(というか電波系)をまったく見なくなったし(映画・ドラマ・アニメコンテンツはhuluとかGyaoのみ)。
Perfumeの音楽を担当した中田ヤスタカの仕事部屋は、シンセで一世を風靡した小室哲哉の仕事部屋とはまったく違っていた。以下の写真はYouTubeからとってきたもの。
PCとモニターとMIDI鍵盤とモニタースピーカー、そして隣に半畳ほどの声を録音するための部屋。たったこれだけである。音楽製作は究極のスタイルにまで到達した。これはギタリストなどの演奏家の部屋ではなく、「作曲家の部屋」である。かつては、たとえばベートーベンの目の前にあったピアノとペンとまっさらの楽譜がPCとMIDI鍵盤になった。YouTubeなんかで見かけるアマチュアの部屋のほうがもっと物(機材)が多くで雑然としているのに、なんとシンプルなんだろう。
さて「音楽の革新」「新しい音楽感覚」についてはどうだろう。シュタイナーなんかは将来人類は8度(オクターブ)の音程を特別に感じるようになると語っていたが、それと商業音楽が連結する時代がくるかどうかは分からないな。
そういうわけで、私は「思い出の音楽」に浸り、このブログでも紹介した「日本ではちっとも有名にはならなかった2000年以降、日本で手に入れることのできたJ-POP以外の音楽」をおもに聴いている。
最近「若者の音楽」で「これいいなあ」と思っているのはガリレオ・ガリレイの「ALARMS」というアルバム(解散しちゃったけど)。当然存在を知ったのはアニメ経由。「サークルゲーム」とかぐっとくるフックがあっていいよね。彼らは米国の小説家サリンジャーの登場人物を引用しているね。アニメ攻殻機動隊の「笑い男」で引用されたあのサリンジャーだよ。 -
ここ最近、YouTubeで「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」というラジオ番組の録音を聞いていたんだけど、なんかしみじみしちゃってねえ。吉田拓郎は今年4月で71歳になってるんだよね。小田和正が今年9月で70歳になり、70年代に登場し日本の音楽を牽引してきたミュージシャンたちはみな60歳以上になっている。
CDの売り上げで見れば、90年代が最高の時代だったけど、それは70年代に打ち上げられたロケットのエンジンから出る炎が80年代末期に消えたにも関わらず、ジェットエンジンの推進力の余力でもう少しだけ上空(90年代)へ向けて飛んでいき、2000年代以降、ゆるやかに放物線を描いて降下し始めたイメージなんだよね、自分にとっては。
60年代にも音楽会社はもちろんレコードを売っていたけど、いわゆる流行歌、「歌謡曲」の購買対象は別に「若者限定」ってわけじゃなかったよね。70年代に「若者に売りつける音楽」が「音楽産業」に登場したんだよね。
そして巨大な波のように「音楽の消費者」として登場してきた若者たちが、「若いミュージシャンたち」の音楽を追いかけてきたが、21世紀の彼らはもはや「若者」ではなくなって、ミュージシャンとともに老いてしまった。
私は1960年生まれなので、1973年に中学1年生だった。その中学生1年生が当時はやりだったラジカセを親に買ってもらい、熱心に音楽を聴くようになった。中学2年になると親戚の叔父さんにいくつかのレコードといっしょに中古のモジュラーステレオをもらった。母と一緒にデパートにでかけたとき、「レコードを買ってやるよ」と言われたので、かぐや姫の「かぐや姫LIVE」を買った。それが私が買った最初のLPだった。ちなみに購入時期はあとになるが、最初のEP(ドーナツ盤)はクイーンの「キラークイーン」だった。
そこから小遣いをすべてLP購入に投入する生活が始まるわけだが、結局大学を卒業して、社会人になり、ラジオを聞かない生活が始まるとだんだんと「新しく出た音楽をあさる習慣」はなくなっていった。まるで「いちご白書をもう一度」の歌詞的な道行だよね。中学3年のとき、このシングル盤を聴きながら、「ああオレも大人になったとき、こうなるのかなあ。人生って悲しいんだなあ」と思ったのを思い出すが、中学生の「もののあわれを感じる心」は当たっていたんだね。
YouTubeで大貫妙子と山下達郎の対談も聞いたけど、山下達郎のコンサートにくるお客の中心は40歳から50歳代のオトコたちだと聞いて、20代のころ宮崎市で山下達郎のコンサート(EPOや村田和人がバックコーラスにいた)に出かけた自分を思い出して、またしみじみとした。
90年代にスピッツやMr.Childrenや宇多田ヒカルが出てきたとき、「ああ、いいじゃん」とは思うのに、自分には「それを追いかけるマインド」がすでに消えていた。「ああ、自分がいま中高生だったら、今の中高生のように夢中になったかもしれない」と思った。「いいんだけど、新しい音楽じゃない」と。90年代を折り返し地点に、それからは、「流行歌」を追いかけることはまったくなくなって、「思い出の音楽」つまり自分が中高生だったときに聞いていたミュージシャンの音楽を聴くか、時々、「あれ、これいいかも」と単発的に出会えたJ-POP以外の領域の新譜の音楽CDを年に数回購入するばかりの生活になって現在にいたっている。でも2000年前半くらいまではときどきビデオデッキでFMの音楽番組を留守録していた。それをカセットテープに再編集するのである。インターネットは2001年に始めた。当然最初はダイアルアップ接続だった。そしてエアチェック音源をCD-Rに焼く時代に入るが、それもいつしかやめてしまった。
大滝詠一や村田和人の訃報を聞いたときは、愕然とした。なんだかすごくもやもやした。加藤和彦の辞世の言葉「世の中が音楽を必要としなくなり、もう創作の意欲もなくなった。死にたいというより、消えてしまいたい」を思い出す。若者が「若者の歌の時代」(音楽産業隆盛時代)を支えた時代は終焉しているんだと痛切に思う。そして「自分はいつまでも若いと思いたいけど、やっぱり、すでにただのおっさんでしかなかったのだなあ」としみじと思ったのだった。(つづく)