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若者が「若者の歌の時代」を支えた時代の終焉
ここ最近、YouTubeで「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」というラジオ番組の録音を聞いていたんだけど、なんかしみじみしちゃってねえ。吉田拓郎は今年4月で71歳になってるんだよね。小田和正が今年9月で70歳になり、70年代に登場し日本の音楽を牽引してきたミュージシャンたちはみな60歳以上になっている。

CDの売り上げで見れば、90年代が最高の時代だったけど、それは70年代に打ち上げられたロケットのエンジンから出る炎が80年代末期に消えたにも関わらず、ジェットエンジンの推進力の余力でもう少しだけ上空(90年代)へ向けて飛んでいき、2000年代以降、ゆるやかに放物線を描いて降下し始めたイメージなんだよね、自分にとっては。

60年代にも音楽会社はもちろんレコードを売っていたけど、いわゆる流行歌、「歌謡曲」の購買対象は別に「若者限定」ってわけじゃなかったよね。70年代に「若者に売りつける音楽」が「音楽産業」に登場したんだよね。

そして巨大な波のように「音楽の消費者」として登場してきた若者たちが、「若いミュージシャンたち」の音楽を追いかけてきたが、21世紀の彼らはもはや「若者」ではなくなって、ミュージシャンとともに老いてしまった。

私は1960年生まれなので、1973年に中学1年生だった。その中学生1年生が当時はやりだったラジカセを親に買ってもらい、熱心に音楽を聴くようになった。中学2年になると親戚の叔父さんにいくつかのレコードといっしょに中古のモジュラーステレオをもらった。母と一緒にデパートにでかけたとき、「レコードを買ってやるよ」と言われたので、かぐや姫の「かぐや姫LIVE」を買った。それが私が買った最初のLPだった。ちなみに購入時期はあとになるが、最初のEP(ドーナツ盤)はクイーンの「キラークイーン」だった。

そこから小遣いをすべてLP購入に投入する生活が始まるわけだが、結局大学を卒業して、社会人になり、ラジオを聞かない生活が始まるとだんだんと「新しく出た音楽をあさる習慣」はなくなっていった。まるで「いちご白書をもう一度」の歌詞的な道行だよね。中学3年のとき、このシングル盤を聴きながら、「ああオレも大人になったとき、こうなるのかなあ。人生って悲しいんだなあ」と思ったのを思い出すが、中学生の「もののあわれを感じる心」は当たっていたんだね。

YouTubeで大貫妙子と山下達郎の対談も聞いたけど、山下達郎のコンサートにくるお客の中心は40歳から50歳代のオトコたちだと聞いて、20代のころ宮崎市で山下達郎のコンサート(EPOや村田和人がバックコーラスにいた)に出かけた自分を思い出して、またしみじみとした。

90年代にスピッツやMr.Childrenや宇多田ヒカルが出てきたとき、「ああ、いいじゃん」とは思うのに、自分には「それを追いかけるマインド」がすでに消えていた。「ああ、自分がいま中高生だったら、今の中高生のように夢中になったかもしれない」と思った。「いいんだけど、新しい音楽じゃない」と。90年代を折り返し地点に、それからは、「流行歌」を追いかけることはまったくなくなって、「思い出の音楽」つまり自分が中高生だったときに聞いていたミュージシャンの音楽を聴くか、時々、「あれ、これいいかも」と単発的に出会えたJ-POP以外の領域の新譜の音楽CDを年に数回購入するばかりの生活になって現在にいたっている。でも2000年前半くらいまではときどきビデオデッキでFMの音楽番組を留守録していた。それをカセットテープに再編集するのである。インターネットは2001年に始めた。当然最初はダイアルアップ接続だった。そしてエアチェック音源をCD-Rに焼く時代に入るが、それもいつしかやめてしまった。

大滝詠一や村田和人の訃報を聞いたときは、愕然とした。なんだかすごくもやもやした。加藤和彦の辞世の言葉「世の中が音楽を必要としなくなり、もう創作の意欲もなくなった。死にたいというより、消えてしまいたい」を思い出す。若者が「若者の歌の時代」(音楽産業隆盛時代)を支えた時代は終焉しているんだと痛切に思う。そして「自分はいつまでも若いと思いたいけど、やっぱり、すでにただのおっさんでしかなかったのだなあ」としみじと思ったのだった。(つづく)
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