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気がつくと、PCなら中古品ばかりを、デスクトップ型もノートブック型もいろいろ買ってきた。
最初に買ったデスクトップ型は、NECのバリュースターで10万円ほどした。2001年のことだ。
ADSL回線ではなく、「ただの電話回線」からのインターネット始めだった。
新品でパソコンを買ったのはそれが初めてだったが、それが壊れて動かなくなって以来、ずっと中古品ばかり使っている。
初めて買った中古ノート型パソコンはThinkPad R31(1万5千円)だった。それ以来ずっとオレはThinkPadファンだ。このPCの液晶がダメになって、オレの修理魂に火がついた。それ以降IBMのThinkPadは型の古い中古ものを----USB1.1時代の製品を中心に----いろいろと買って部品を集めて修理して使うようになって今日にいたる。
PCのイヤホンジャックには、当たりはずれがある。どいうことかというと、ノイズが異常にうるさいものがあるのだ。不思議なことに同じ機種でもノイズのしないものとするものがあることにオレは気がついた。この原因がいったいどこから来るのかいまだによく分からないのではあるが。
ThinkPadはオレが手に入れたどの製品もイヤホンジャックからまったくノイズは出てこなかったので、だからこそますますす気に入っていたところもある。
ところがだ。中古で手に入れたThinkPad R40eがひどいノイズ持ちだった。中古で安く手に入れたとはいえ、どれほどがっかりしたことか。
ところがUSBポートにハードディスクを接続するとノイズが止まることに気がついた。だが奇妙なことにハードディスクをじかにつなぐだけではダメなのだった。ハードディスクとUSBポートの間にUSBハブを入れなくてはならない。しかもさらに奇妙なのはUSBハブは特定の製品でないとダメだということだった。
写真の奥にあるひらべったい黒い箱がもともとPCで使っていたハードディスクを転用したものだ。で、まんなかにあるのがmade in ChinaのUSBハブ(CV054SI)で、前面に5、背面に2のポートがある。右隣もUSBハブだが、これを使用した場合はノイズに変化はまったくなかった。
CV054SIにハードディスク以外のものを接続してもやはりノイズは消えない。あくまでもこの2つの組み合わせでないといけないのだった。ThinkPadR40eには横と後ろ側にUSBポートが一個ずつあるが、どちらに接続しても同じようにノイズが消える。
これはいったいどういうことなんだろうか。電気現象に詳しい人がいたら、謎解きしてくれるとありがたい。
とにかくノイズが消えたことで、処分しようと考えていたThinkPad R40e(Pentium4 2.2GHz)はとりあえず家に残しておくことにした。ThinkPad R40e(Celeron 2.0GHz)の方は信頼していた通りのノイズレスのイヤホンジャックなので、現在は家ではこれをメインに使っているのだった。USBポートについては、USB2.0用カードを別途専用スロットにはめて使用しているので、大容量を転送するときはもちろんこちらを利用している。CPUが上位品質だからといって、「全体」として見た場合は、こんなふうにあてにならない品物をつかまされることは、中古品においては特によくあることだね。
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70年代にティン・パン・アレー周辺の人脈図に登場してくるのが南佳孝。AORなんて言葉がなかったころから、もう「AOR(オトナ)な歌」ばかり歌うシンガーであった。
ちなみにAORというのはアメリカの音楽業界人が促販キャンペーンのためにひねり出した言葉だが、日本ではこれが、アダルト・オリエンテッド・ロックの略称と宣伝されるようになった。だが「オトナ志向のロック」って何だ。
AOJ(オトナ志向のジャズ)、AOB(オトナ志向のブルース)、AOE(オトナ志向の演歌)、AOF(オトナ志向のフォーク)、AOS(オトナ志向のソウル), whatever!!!
Rの箇所を別の音楽ジャンルにしてみれば、こういった表現がいかに馬鹿げたものだったか、よく分かるだろう。
AOJというジャンルが存在しないように、AORってジャンルは、本当は存在しなかったんだよ。ロックはロックでしかないし、それは8ビート音楽のバリエーションでしかなかったはずだった。だが世の中のリスナーたちの多くが「裸の王様」のような戯画に陥っていった。90年代に入ると、AORはダサいというような風潮が特に新世代の側から言われるようになった。だが創作され世間に発表される音楽において「本当に存在する違い」というのは、それが「よい作品」であるか、「取るに足りない作品」であるかということだけだ。「その違い」はジャンルに関係なく存在するということが、多くの人(特に当時の新世代)に理解できなくなっていた。そして90年代の新世代ロックの勢いも凋落して今にいたる。
だからオレは、早く、みなが「そんな言葉上の催眠術」から目覚めてくれればいいと思う。特に若い人たちにそう願う。
南佳孝の話に戻ろう。
鈴木茂のギターをバックに歌う「これで準備OK」(「忘れられた夏」所収)なんて最高だけど、ロックなのにジャズっぽく聴こえるのが南佳孝の持つ魅力だった。
だが今回オレが紹介したいのは、この1曲なのだった。「プールサイド」という曲はこの曲よりずっと人気があるみたいだけど、同じようなモチーフを扱った歌としては、オレはこの曲「Back Stroke Swimmer」(Daily News所収)の方がずっと好きだ。ということで、若い人にもこの曲のよさが分かってもらえたらうれしい。
村田和人にも、似たモチーフのある名曲があるので、「南佳孝VS村田和人」ということで紹介したい。「Mrs.Julyへの伝言」(Boy's Life」所収)これもいい味わいがある曲だよね。
といういことで「隠れた名曲」カテゴリーは、邦楽については、南佳孝、村田和人ではじめることにしましたよ。
p.s. 「ティン・パン・アレーなんて名前、自分がティーンズだったころ、聴いたことないぞ」とおっしゃる当時ティーンズだった方々。確かにそうかもしれない。でも「オールナイト・ニッポン」という深夜ラジオ番組を当時聴いていた人は、ティン・パン・アレーという名前は知らなくとも、彼らの音楽自体はちゃんと聴いてるはず。番組の合間合間でつなぎとして短く流されていた曲が実はティン・パン・アレーの曲だったのだよ。 -
キミは世間の常識から考えて、オレが「キー・オブ・ライフ」ではなく、セールス的には大敗北だった「シークレットライフ」をスティービーの最高傑作だと言うことに疑問があるかもしれない。それに「シークレットライフ」はスティービー名義の公式アルバムではないじゃないかという反論もあるだろう。
たしかにこのアルバムはある科学映画のサントラとしてリリースされたものだ。だがいつも「また聴きたい」と思ってしまうスティービーのアルバムは、オレにとってはシークレットライフ以外にはないのだった。
なかでもこのアルバム収録曲の「愛を贈れば」(Send one your love)は忘れられない。
79年の冬、オレは大学浪人生だった。時間が深夜0時を過ぎれば12月25日、クリスマスじゃないか。オレはクリスマスイヴの深夜にいったい何をやってるんだ。ラジオを聴きながら、受験勉強かよ。なんか惨めだなあ。あ、時報が鳴った。ラジオのパーソナリティーが曲を紹介する。「では、スティービー・ワンダーで『愛を贈れば』・・・・・」
初めて聴くスティービーの新曲だった。オレはクリスマスの日にとても幸せな気持ちになったのだった。
今度はアナタが幸せな気持ちになってください。
このアルバムにはスティービーのボーカルではないけれど、名曲がもう一曲ある。やさしい女性ヴォイスで歌われる、これも隠れた名曲「Power Flower」である。
オレは、「実はどうなの?」とたずねれば、「スティービーのアルバムの中で『シークレットライフ』が一番好きだ」と答える者が実はたくさんいると思っている。だって売れた枚数がアルバムの価値を決めるわけではないのは、いまさら言うまでもないことだし、「また聴きたくなるアルバムこそ名盤」なのは「また見たくなる映画が名作」であるのと同じことだよね。 ということで、「思い出の音楽」スティービー・ワンダー編はこれで終わりにする。 -
書かないときは、一月に記事一本とか、ほんと数が少ないんだけど、やっぱ生活のためにやらなくちゃいけないことが多くて、あれこれやるためには、またあれこれ気を回して考えたりすることも多いわけで、あっという間に時間だけが過ぎていき、気がつくと「あれ、今月も記事一本しか書く気力がなかったの」って気がつかされることの繰り返し。次回はもっとたくさん記事を出そうと思っても、やっぱり記事一本が限界だったりする。でもも少し多くかけるように今後は努力したい。ということでひさびさ音楽ネタで一本。
音楽の新譜を追いかける気力も失せてる2012年のオレだった。というかオレが追いかけていられたのは90年代の音楽までで、2000年代以降、日本の音楽にも海外(おもに英米だけど)にも、ほとんど何も----もしかしたら、今まで聴いたこともない衝撃でトリハダ体験をさせてくれる音楽を聴かせてくれるかもというような----期待をしなくなっている。だから最近のミュージシャンとか誰も知らん。レディーガガとかも一度も聴いたことがない。名前を知っているのはニュースで名前を聴く機会が多かったからだ。
中学時代は70年代の前半から始まったが、親に買ってもらったラジカセは、オレの世界を変えてしまった。70年代の田舎はまだたくさんの空き地が点在し、ひどい造作の長屋もいっぱいあった。そんな時代。デパートに出掛けた暑い夏の午後のことだった。、デパートの駐車場に----そこはもちろん70年代の初期だから、舗装なんてされてない土と石ころだらけの「デパートの駐車場」だった----暑さをしのぐために両方のドアが開けられた軽トラのAMラジオから、中学1年生の丸坊主頭のオレに衝撃を与える音楽が流れてきた。スティービー・ワンダーの「迷信」だった。ギラギラする天気のもとで、軽トラの開いたドアに隠れたラジオから聴いたこともない音楽が流れてくる。それに衝撃を受けるガキンチョがそこにいたわけだ。
当時そんな経験をしたニッポンの中学生や高校生はオレだけじゃないはず。今くたびれたオッサンになってる連中のなかに「迷信」を初めてラジオで聴いた瞬間に気が狂いそうになった経験をした者、すくなくともトリハダ体験をした者はこの日本だけに限っても大勢いる。そしてそういった中坊や高校生たちが、「新しい音楽」を聴くたんびに、毛穴がゾワっとする経験を何度もしてきたのだった。当時のラジオは宝の箱だった。
現在のポピュラー音楽の原型はほぼ80年代初期までに出揃ってしまい、何の改新もなされないまま、再生機器の改新やシンセ楽器や録音技術の進歩だけが後を追って今日に至っている。90年代は最後の打ち上げ花火が打ち上げられた時代だった。
だから手元にある70年代のLPを聴くと「ああ、なんてすごい時代だっただろう」といつも思う。思い出のある音楽のひとつひとつが、どの時期、なんというラジオ番組で聴いたものだったとか覚えているオレがいる。そして多くの中年のオジサンやオバサンもまたそのような体験をいっぱい持っている。でもそれをことさら他人に話す機会なんて普通はないだろう。みな、13歳の夏に聴いた曲や、17歳の土曜日の午後に聴いた曲の衝撃体験をひそかに抱えて、くたびれはてている。
ということで、このあまりにも有名なスティービー・ワンダーの「迷信」をここでまた聴いてみよう。
キミ、ちゃんと頭を揺らしながら聴いてるかね? ドラムはスティービー自身が叩いてるんだよ。前回R.ケリーを紹介したけど、歌いまわしとかにちゃんとこの偉人の影響が出てるのが分かるよね。プリンスなんかもそうとうにスティービーのことを尊敬してるようだよ。 -
ということで、今回はいつものようなp.s.方式で前回の記事を補足していくと、記事が長くなりそうなので、異例なことだが、別枠でもう一本記事を投下させていただく。
「キラリ☆」の2:07~2:08というほんの2秒ほどの間に出てくるセンターの新井ひとみの「頭の動かし方」がものすごく面白い。
彼女だけがカメラ目線で顎の先を重心移動に合わせてヒョイヒョイヒョイ、ヒョイヒョイヒョイと動かしているんだが、なんかその「見る者の無意識な視線をそこに集める力」というか、おそらく初めてこのPVを全体的にぼんやりと眺めていた者も、このシーンを通りすぎたのち「アレ?、何か不思議な感覚が通りすぎた。なんだろう?」ってモヤモヤ感に襲われたはず。
で、その疑問を解くために改めてよーく観察して見ると、新井ひとみが「中心から磁力線を出すダンス」をしていたことに気づかされるという寸法だった。いやーすごい2秒間だ。ということで、ここ何度も見直しました。みんなも、この2秒間の面白さに気がついてほしいな。そしてこの「人間の肢体が日常とはまったく異なった動きの組み合わせをするときに生まれる力」に----つまりダンスにだね----ノックアウトされてください。
「鼓動の秘密」のイントロ部分の円陣形でくるくる回る動き方が面白いよね。最後はあの動きで列を作るんだよ(振付師誰なの、すげー斬新だよ)。映像的には画像からコマ抜きする手法を使っているけど、これは人形的な動きを強調するために撮影編集側からフォローしてるんだろうね。エンディングの音を聴いたらperfumeの「シークレット・シークレット」のPVを思い出したけど、(オレがエルゴプラクシーのピノちゃんを使ってフェイク図作った曲ね)、この曲も人形のモチーフでできてるし、なんか秘密のレスポンス動画的な隠し意図さえ感じたんだけど、実際はまったくもとネタとして意識されてないのかな?
「YMCK REMIXバージョン」も、音楽、アニメーションともに、とてもかわゆーくて面白い。 「ヒマワリと星屑」のイントロ部でのエアーギター・シーンの振り付けも斬新。いやー、ほんといいわー。アルバム全編「本物のギター奏者」は土方隆行さんっていう話だけど、やっぱ「その1」で書いた通り、「あの時代」から音楽ルーツをひっぱってきてるってことだよねえ(土方さんって、まさに吉田美奈子のギタリストだったからねえ)。ということで吉田美奈子の「TOWN」参考音源にはっときます。
子供時代の美空ひばりが「子供のくせに大人の歌を歌うなんてけしからん」と審査員の先生だかにたしなめられたエピソードが伝わっているけど、それはおもに「歌詞の内容」と照らし合わせて出てきた当時(昭和)の大人たちの倫理感から出てきた言葉だろうけど、もはや「子供が大人の歌を歌うな」などとたしなめる大人は絶滅している(それがいいことなのか、悪いことなのか、ほんとのところ判断に迷うところだけど)。
「Liar」とか「Limited addiction」とか見ると、江戸時代の角兵衛獅子の子供たちに大人たちから寄せられたような、ある種の感情も沸き上がってくる。そこにはアクロバット技術に対する称賛の隣に憐憫の情もあるのだ。オレが角兵衛獅子的感情を感じるのは「歌詞」ではなく「振り付け」に対するものだ。
あの年頃の娘には似合わない振り付けを、まるで「ささ、みな殿方を喜ばせるために踊るのよ」と歓楽街を牛耳るオーナー・マダムに命令され、「でも、がんばって踊っている幼い踊り子たち」を見るごとくに、目頭熱くせずには見られないという、ごくごくかすかに感じる感情が、やはりオッサンやオバサンたちには幾分なりとも沸き上がってくることもあるんじゃないだろーか。まあそんな微妙な感情も彼女たちが少女時代を卒業するまでの話だが。彼女たちが「薄くて軽い身体」を手放す時期がきたら、もはや角兵衛獅子的感情はやってこないだろうからねえ。ってことはこれらはある意味「貴重なPV」なんだよな。
ということで「ほんとにエロくて大人な音楽のPV」とは、かくあるべしということでここでも参考PVを紹介しておこう。オレのお気に入りアルバム、R.ケリーの「12play」からサザンオールスターズの歌の歌詞も吹っ飛んじまうくらいに「これはヒドイ!」、けどカッコいい「Bump n' Grind 」
エイベックスさんも「大きなお友だち」向けに、いたいけな娘たちにあんまりむたいなことさせるんじゃないよ、というような「お父さん目線」の釘刺しを行って本稿は終わりにする。がんばるんだよ、娘たち。