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アラン・カルデック 〈彼ら〉は失望するでしょう。後編
以下、前回の投稿の続きです。


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アラン・カルデック 『霊との対話』

1866年4月25日パリ

地球に風が吹き渡り、すべての人間に覚醒を促しているのを感じませんか。嵐が近づきつつあるという漠然とした予感が、世界全体を包んでいるのではありませんか。

しかし、世界の終わりが来るわけではありません。地球は、創られたとき以来、進化を続けているのであって、これからもまだ進化を続ける必要があるからです。しかし、人類は、大いなる変容の時期に差しかかっています。地球は次なる段階に入っていかなければなりません。

したがって、訪れようとしているのは、物質的な世界の終焉ではなくて、これまでの精神のあり方の終焉なのです。偏見、エゴイズム、傲慢、狂信が滅んでいくのです。毎日少しずつ、それらが消滅していき、やがて、新たな世代が新たな建物を建て、それに続く世代が、その建物を堅固にし、完成させていくでしょう。

罪が償われ、地球は幸福な星になっていくでしょう。そして、そこに住むことは、罰ではなく、報いを意味することになるでしょう。悪に代わって、善がそこを支配するようになるでしょう。

人類が地球上で幸せに暮らすには、地球が、よき人で満たされる必要があります。善を望む人々だけが生まれ変わってくる必要があるのです。そして、実際にそうした時期がやってきました。

現在、大規模な移住が進行中です。悪のために悪を犯す人々、善の感情を持つことができない人々は、変容後の地球にはふさわしくないので、地球外へと移り住むことになるでしょう。なぜなら、彼らが残っていると、新たに混乱をもたらして、進化の邪魔をすることになるからです。彼らは、地球よりも進化の遅れた星に移住して、そこで、善に対して無感覚になった心を変えていく必要があります。地球で獲得した知識を携えて、その星の進化のために使命を果たすのです。

彼らが出ていったあとには、もっと優れた魂がやってきて、正義と平和と友愛に基づく生活を展開するでしょう。

すでに言ったように、地球は、一世代全体を滅ぼすような大規模な天変地異によって変容するのではありません。いま地球上に生きている世代は徐々に姿を消し、それに続く世代が同じく徐々に姿を現すのです。自然の秩序が乱れるということではありません。物理的な世界が変わるのではありません。そうではなく、『いままで地球で生まれ変わっていた魂の一部が、もはや地球には生まれてこなくなる』ということなのです。

これからは、未発達の、悪に傾きやすい魂の代わりに、進化した、善への傾向を持った魂が生まれてくるということです。人類の肉体が大きく変わるということではなくて、そこに宿る魂のレベルが上がるということなのです。

したがって、『何か超自然的な、驚くべきことが起こって、人類が変わっていくだろう』と思っている人々は、失望することになるでしょう。

現在は、移行の時期です。いまは、二つの世代が混在しているのです。あなたがたは過渡期にあって、一つの世代が地球を去り、別の世代が地球にやってくるのを見るでしょう。

それらの世代を見分けるのは簡単です。それぞれに性格が際立っているからです。

交代しつつある二つの世代は、まったく異なるものの見方、考え方を持っています。心の傾向性もそうですが、生まれつきの直観力においても大きく異なっていますので、両者を区別するのは極めて簡単です。

一段と進んだ時代をつくる新たな世代は、幼少のころから発達する知性と理性、生れつき持っている善への傾向性、見えないものを信じる力などによって際立っていますが、それらは、彼らが過去世でしっかりと修行してきたことの、疑いようもない証なのです。彼ら全員が、霊格の非常に高い人々だというわけではありません。そうではなくて、すでに、ある程度の進化を遂げているために、進んだ考え方を取り込みやすく、人類を再生させる運動を支えることができる、ということなのです。

逆に、未発達霊の特徴は、摂理を否定し、高級霊の存在を否定し、神に対して反逆することです。さらに、低劣な欲望に本能的に惹かれ、傲慢、憎悪、嫉妬、煩悩といった、人と人を切り離す感情に親和性があり、そして物質に対する執着が非常に強いということなのです。

そうした悪しき精神作用を地球から一掃しなければなりません。そのためには、進化を否定する人々には地球から出ていってもらうほかないでしょう。これからやってくる友愛の時代に、彼らはふさわしくないからです。彼らがいると、善なる人々が苦しむことになるからです。

中略

そして、それ以外にも、自殺者の数が前代未聞のレヴェルに達するでしょう。そこには子供たちさえ含まれることになります。多くの人々が狂気に取りつかれ、みずからの命を絶つことになるのです。まさに、それこそが時代の異常さを告げるしるしとなるでしょう。

以上のようなことが、次から次へと生じるはずですが、それらはすべて自然の法則に則っているのです。

とはいえ、あなたがたを覆っている黒い雲を通して----すでに嵐のうなり声が聞えていませんか----、新たな時代の光が射しはじめているのを感じ取ってください。

地球上のあちこちで、友愛の基礎が築かれ、人々は手を差し伸べ合っています。野蛮が姿を消しつつあります。これまで数多くの流血の原因となってきた、民族的な偏見、宗教的な偏見が消えつつあります。狂信、不寛容がその立場を失いつつあり、一方で、良心の自由が社会に導入され、一つの権利となりつつあります。

あらゆる場所で、人々の考え方が変化してきています。悪が至るところに見られますが、人々はその悪を癒そうとしています。しかし、多くの人が、羅針盤なしに歩んでおり、夢想の世界に迷い込んでいます。世界はいま、産みの苦しみの最中なのです。これは、まだ百年は続くでしょう。まだまだ混乱は続きますが、やがては目的がはっきり見えてくるでしょう。和解の先触れである統合が感じられるようになるはずです。

それもまた、時代のしるしなのです。しかし、先に述べたのが、過去が滅びゆく断末魔の姿であったのに対して、これらは、新たに生まれつつある未来の新生児たちの泣き声なのです。新たな世紀が目撃することになる曙の最初の光なのです。やがて、新たな世代が力に満ちて立ち上がってきます。18世紀の様相と19世紀の様相が明らかに違うように、19世紀の様相と20生起の様相は、はっきりと異なるのです。

新しい世代の持つ特徴のうちで、最も目立つのは、彼らが生れつき信仰を持っているということです。それも、人間を分断する、偏狭で盲目的な信仰ではなく、人間を隣人への愛と神への愛で一つに結びつける、理性的な信仰なのです。いまの世代が消えていくにつれ、精神と社会の進歩に反する不信と狂信の名残も、姿を消していくことでしょう。

中略

戦いには、魂を鍛えるという意味もあります。悪に接することで、善の価値をよりよく認識することもできるようになるのです。諸能力を発達させる戦いがないと、霊はみずからの向上に無頓着になることもあり得るのです。自然の力との戦いは、肉体的な諸能力と知性を発達させます。悪との戦いは、モラルの力を発達させるのです。(P335-P346)
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19世紀の当時においては、まだそうではなくとも、いずれ世界中で「子供が自殺するようになる時代が来る」という言葉はすでにその通りになっています。ルドルフ・シュタイナーは『神智学の門前にて』において、今後も唯物論が克服されることがなかったら、「ますます人類一般は神経質になっていき、狂気という流行病が蔓延するようになる」とか「子供が震えながら生まれてくるようになる」と語っています。


実際には、単に震えながら生まれてくるだけでなく、たといこの世に生まれても原因のわからない死、つまり「突然死」という形で、「肉体との結びつきを放棄する赤子」だってすでに出ているかもしれません。


子供を唯物論的な思考態度(今日「日本的」と呼ばれているもの、戦後、特に発展し定着していった社会制度や慣習慣例の大部分もそうなのです)から守らなければ、今後も子供の受難は続くのです。





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