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金烏(きんう)?金鵄(きんし)?「烏は主を選ばない」に触発されて
最近(9月下旬)にアマゾンのプライムビデオで「烏は主を選ばない」というアニメを見た。




そのアニメのなかに現れた「金色のカラス」のイメージを見て、30年くらい前に「奇妙な体験」をしたことを思い出した。

今から約30年前、つまり93-94年頃といえば、こんにちのような形のインターネットが登場する直前のパソコン通信(ニフティーサーブ)活動時代で、私と言えば、日本神話にまつわる神社&古墳巡り活動記事を投稿していた時代だった。

私の地元である延岡市にはニニギノミコトの陵墓だと伝わる古墳が二つあり、私が不思議な体験をしたのは、そのうちのひとつ、南方(みなみかた)古墳群にあるニニギノミコトの陵墓においてだった。



この陵墓の上には天下(あもり)神社があり、当時、私は、原田常治氏の『古代日本正史』に出てくる、「アメノオシホミミノミコトの墓ではないか」という記述にも触発されて、そこを訪れてみたのだった。





紹介した動画は近年地元のケーブルテレビ会社が制作したものだが、天下神社のさらに西側に九州保健福祉大学ができたことで、私が初めてこの神社を訪れた30年前に比べると道路状況が大変によくなっている。

私が初めて訪れたときは、神社の石段前の道は自家用車が1台通れる程度の砂利道というか田舎道で、神社の前は畑だった記憶がある。

天下神社周辺はものすごい数のカラスが生息していた地域で、天下神社とニニギ陵墓にまつわる不思議な話が伝わっている。以下天下神社の敷地内に掲げられた由緒書きより引用。

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天下(あもり)神社の後方に有り現在大きな石が出ていますが、これは言い伝えによ りますと村の人々が神社建設の際山を切り取った時にこの石が出てきたので石工が神社 の石段として割り出そうとしたところ頭上に多くのカラスが舞い下りて仕事を留めるよ うに鳴き散らし又仕事にたずさわっていた人々が倒れる等した等割ってはならない石で あらうと言うことで作業を取り止め現在に至ったものであります。

この古墳は高さ二米八〇、直径東西二十六米五〇、南北十二米、の大きさで大正十二 年十一月十六日元延岡城主内藤家の協力にて考古学者石塚直太郎博士と村上兄一氏が東 京より招聘され調査の結果ご神体は日子番邇々芸尊(天照大神のご子息)の塚であると 今日まで伝えられています。

現在このお方の御神徳は棟木(むなぎ)の神であらせられます直古墳のお告げにより 邇々芸尊であるとして大正十二年から今日までお祭りをされている人に延岡市出北町に 住まれている前田正恵という方がおられます。
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私はそのむき出しになっている巨石に右手でそっと触ってみた。ふと横を見ると「この陵墓の土をけっして外に持ち出してはならない」という看板が立っている。

あれこれと見て回って、さてそろそろ帰ろうかと思い、神社の拝殿の前(特に右側)に移動したとき、カアカアと鳴きながら、たくさんのカラスが屋根の上から飛び立った。

その音にびくっとしてバタバタという羽音のするあたりを見上げると、飛び立っていくカラスの後を追うかのように最後に橙色というかオレンジ色をした鳥が飛び立った。それはインコのようなサイズの小さい鳥ではなかった(とはいえ、それがインコだったとして、たとえば全身がモフモフで黄色いカナリアがたまたまその時神社の屋根にいて、カラスと一緒に飛び立ったなんて「事象」がありえるのだろうか?)。私は「幻影」を見たのだろうか?

その時は、羽を広げた全身が、橙色をしていたので、強烈な印象を受け、「なんだ、いまの鳥は?」と不思議に思ったのだった(帰宅してもずーっと「あれは、何だったんだ、あれは何だったんだ」と思い返してばかりいた)。カラスとトンビは仲が悪いのに一緒に目撃されることが多いので、トンビのおなかを下から見たのだろうかとも思ったが、どう調べても、トンビのおなかと翼の下側は「一面橙色」とは言えない。(以下はその時の体験のイメージ図)




日本神話に出てくる「金鵄」(きんし)という鳥だろうかと当時は、あれこれと考えを巡らせてみたが、ついにこんにちまで結論が出ず、自分のなかの「怪異な体験カテゴリー」に保存し続けてきたのだった。

そういうわけで、最近「烏は主を選ばない」というアニメを見て「おお、これは!!!」とびっくりしたので、ひさびさに天下神社を訪れたのだった。

最後に天下神社を訪れたのは2001年の11月なので、それから数えると23年ぶりの訪問(3回目)ということになる。この時の訪問については私の別のホームページ内の記事として公開している。この記事に出てくる天下神社は一代前の建物で、私が「橙色の鳥が羽ばたく」のを拝殿前で下から見上げた30年前も、この記事に挙げている写真の神社だった。YouTube動画「カミタビ」に登場する神社は2014年に建て替えられたものだ。




ちなみに以前、当ブログで紹介した国土交通省九州地方整備局が挙げている河川の監視カメラ映像で、天下神社がある小山の一部が確認できる。「五ヶ瀬」というテロップの下の小山が天下神社である。



下の写真、黄色い矢印から見た図が上の河川映像になる。(写真をクリック)

「南方古墳群」と出ている個所が天下神社だ。




ちなみに今回の訪問ではカラスの存在をほとんど感じなかった。

「あー、なんかカラスがいねーなー、昔と変わったなあ」と思ったら、「カア」と一声カラスの鳴く声が聞こえた。

それで「あっ、まだカラスはいるんだな、姿は見えんけど」と思って、帰路についた。


P.S.「烏は主を選ばない」にも登場し、YouTubeでは、格好の都市伝説ネタにされてる八咫烏だが、私個人はシュタイナーの神話論と秘儀参入についての記述から、「本来の八咫烏」とは、やはり「大化の改新以前(オオキミがいた時代)の古代日本の秘儀の保全者の一団、その末席に属す者として、「俗世間と秘儀の秘密の管理者たちとの間を仲介する役割」を担った者たちであったろうと思う(特に「秘儀参入者用語」としてのカラスについては「秘儀の七段階」、「シュタイナーの瞑想法 秘教講義3」参照)。

YouTubeなどの都市伝説系では(スピ系でも)「古代人の秘儀参入」というテーマ自体をまったく扱わない。フリーメーソンにしろイルミナティにしろ、「政治的秘密結社」として扱われており、本来それらは「霊界参入(回帰)」のために創設されたことを「理解し、広めよう」ともしない(とはいえすでに彼らは「伝統的儀礼と象徴図像の保存団体」に過ぎず、「本来の目的」を達成する霊力は失っている。代わりに「組織の力」を使って「物質界」をコントロールすることに粘着することしか「できない」)。神武東征の物語は第五段階までの秘儀参入の修行過程を描いたものであり(第五段階が3日半の死の儀式であり、即位の儀式がこれに当たる)、イワレヒコノミコトが物語の中で出会う「からす」(第一段階)や「隠者」(第二段階)や「戦士」(第三段階)は、彼が「その段階」を通過したことを示すしるしとして描かれている。

とはいえ、日本神話に描かれているような古代の秘儀はもはや行われていない。7世紀以降、完全に廃れて、外国(シナ大陸)の統治思想に基づいた革命政権が誕生し、大嘗祭においても古代中国の思想を取り入れた「命を危険にさらさない儀礼」として、「新たな神社文化」の発展とともにこんにち見られるような「伝統」となった。

魏志倭人伝には「倭人たちは貴人に行き合うと手をたたいて挨拶をする」という趣旨の記述が出てくる。すでに「時代」は下り坂になり、その能力を失いつつあったとはいえ、まだ2、3世紀の古代人たちの霊的感受力はこんにちの日本人とは全く別のものだった。当時は「普通の人」でも今日でいうオーラのようなものを看取するくらいの能力はあったのだ。

幾たびかの変容を遂げたとはいえ、こんにち伝わっている神社文化の淵源は、そのような「秘儀参入者を敬う文化」にあった。「彼ら」(当時の倭人たち)は尋常ならざるオーラを背負って歩いてくる一群の人々と自分たちを「区別」することができたのだ。そしてそのような人に行き会うと、「手をたたいて敬意を表し挨拶をした」のだ。

そしてさらに時代が下り、だんだんと彼ら一般民衆からも「感受力」が失われていくにつれ、「手をたたいて貴人に挨拶する風習」は廃れてしまった。もはや出会った人が「何者なのか」看取できない時代が到来したからだった。そして「生きた人間」に対しては行われなくなった「拍手の風習」は、かつては生前においても、そのような挨拶の仕方によって敬われていた秘儀参入者たちが祀られるようになった「神社という特別な場所」でのみ「継続」されるようになった。「魏志倭人伝」の時代に、民衆から手をたたいて挨拶されていた人びとが、こんにち神社の祭神として敬われている。

「死の技術」(スウェデンボルグ用語)を持った人々、つまり「高次の霊界」へ到達でき、その住人(神霊)たちと交流する異能を持った人々が、民衆に「認識され、敬われ」ていた時代があったのだ。そういうわけで、私自身は、こんにち、「その由来」を知らずに、「縄文へ帰れ」だとか「神道が世界を救う」だとか「神社文化再興だ」とかいって騒ぐ人々の「政治活動」あるいは「口八丁の営業活動」を「まったくの近代人的振る舞いそのものだ」と少々悲しみを感じつつ傍観している。



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