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「〇〇が陰謀をたくらんで人類を支配しようとしている」というトンデモ話を扱う領域を陰謀論と呼んでいます。誰かが馬鹿げた話をネットに持ち込むと、必ずそれを陰謀論という独特な用語で否定する集団も同時に出現します。ソッチ系の界隈ではフリーメーソンとかイルミナティとか大人気コンテンツのひとつですよね。しかも「本家」が媒体握って、適宜、情報頒布活動に関与しているとなれば、情報の出し役と受け取り頒布役が、たといそのプレーヤー同士が人脈的に無関係であったとしても、とどのつまり源はおんなじじゃん、という笑えない話に帰着します。近代は「そんな話ばかりで実は出来上がっている」ことも多いって話ですよね。攻撃側から「それは陰謀論だ」と言われたら「陰謀なんてない。それは事実ではない作り話だ」と言っているのと同じことですが、銀魂の神楽の焼きそばエピソードのように「ウソつくんじゃねーよ」とストレートに言わずに、英国人のように「それは陰謀論ですね」と遠まわしに言うところが、そのそぶりに対して、にやっと笑いたくなるところではあります。一昔前の英語圏アカデミーの権威筋から発せられていた「歴史修正主義者(リビジョニスト)」という呼称による、遠まわしな表現による、「視点選択の無力化活動(ある視点の、解釈選択肢からの削除運動)」も似たような源泉から出てきたものでしょう。本物の花の周りを無数の造花で飾ると、もはや人は「生きている花」をその中から選び出すことができません。目の前に咲いている花が一株だけだったなら、私たちは「探すための苦労」することもなく、近づいて手で触り、すぐにそれが本物の花だということを自力で確認できます。しかし1ヘクタールを埋め尽くす、一見植物にみえるようにしつらえられたさまざまな造花のなかに隠された本物の花を遠くから眺めて、つまり学校教育やマスメディア経由で見せられて、「どれが本物なのか」を指摘することは、特別の透視力など持たない私たちには、ほぼ不可能でしょう。近年の高校の英語の教科書に、ジャムの詰め合わせ商品の購買傾向についての記事が出ていましたが、このリサーチ報告は要するに「消費者はパッケージに盛り込まれた選択肢の数がある水準を超えると、選ぶこと、つまり判断し決断することができなくなり、結局は、よりシンプルな品数の詰め合わせセットを選んでしまう」ということでした。膨大な情報に脳が圧倒されて痺れさせられている時代には、人々は「分かりやすさ」、つまりそれは「受け入れやすさ」と同義ですが、それこそを選択の基準にしているということです。それが今日の時代です。要するに、ことわざとして昔からよく耳にしてきた「木を隠すなら森の中作戦」は「情報の秘匿方法」として、今日でも大変有効に機能しているということですね。さて、近代の民主化運動とフリーメーソンの関係について、シュタイナーは『神殿伝説と黄金伝説』にて以下のような発言をしています。-----------------------------------------------------------すでに述べたように、近代フリーメーソンはイギリスにおいて、もちろんそれまでの伝統をふまえた上で、18世紀初頭にはじめて設立されました。以来、大英帝国内ではなく、イギリス王国内でのフリーメーソンは、非常に尊敬すべき在り方を続けてきました。けれども、他の多くの地域でのフリーメーソンは、主として、またもっぱら、政治的な利害打算の中だけで動いているのです。そのような政治的な利害打算をもっとも顕著にあらわしているのは、フランスの大東社(グラントリアン)ですが、フランス以外の大東社にもこのことは多かれ少なかれ当てはまります。イギリス人は言うかもしれません。「他の諸国において、オカルト的な背景をもつフリーメーソン結社が政治的な傾向をもっているからといって、われわれに何のかかわりがあるというのか」。しかしさまざまな事実を相互に関連づけてみると、パリにおける最初の大東社ロッジは、フランス人ではなく、イギリス人の手によって創設され、イギリス人がフランス人をそこへ加入させたのだ、ということがわかります。それは1725年のことでした。1729年には、この大東社の承認の下に、最初のロッジの一つが同じくパリに創られました。次いで、同じくイギリス人の手で、1729年ジブラルタルに、1728年マドリッドに、1736年リスボンに、1735年フィレンツェに、1731年モスクワに、1726年ストックホルムに、1735年ジュネーブに、1739年ローザンヌに、1737年ハンブルクに創られました。こう述べていくと、きりがなくなります。私が言いたいのは、たとえイギリス王国の場合とは違った性格をもっているとしても、イギリス人による同じネットワークの一環として、これらのロッジが創られ、特定のオカルト的=政治的な衝動のための外的な道具にされている、ということです。もしもこの政治的衝動の深い根拠を問おうとするのなら、近世史をもう少し広く展望する必要があります。この衝動は17世紀以来----すでに16世紀から----準備されて、民主化運動となって普及していきました。ある国ではより速く、別の国ではよりゆっくりと、少数の者の手から権力が取り上げられ、大衆の手に委ねられるようになりました。私は政治的な立場から申し上げているのではありません。ですから、民主主義を擁護するつもりで語っているのでもありません。ただ事実だけを取り上げるなら、この民主化の衝動は、近世史を通じて、加速度的に、テンポを速めて普及していきました。けれどもその際、もうひとつの流れも、それと一緒に形成されたのです。複数の流れが現れているときに、その中の一つだけを取り上げて考察すると、判断を誤ってしまいます。ひとつの流れが世界中に広がっていくとき、常にもう一方の流れがあって、はじめの流れを補完しているのです。歴史の上に緑の流れと赤い流れとが並んで存在するとき、人びとは通常、その一方の流れだけを見るように、暗示にかけられているのです。にわとりの口ばしで地面を引けば、そのにわとりは線に沿って歩きます。そのように人びとは、特に大学の歴史研究者は、一方の側だけに寄り添って歩いて、歴史の歩み全体を洞察する余裕を失っているのです。民主化の流れの背後に、さまざまな結社の、特にフリーメーソン結社の、オカルト的な力を利用しようとする流れが見え隠れしているのです。オカルト的な力を利用しようとする動機は決して精神的であるとは言えないのに、一見精神的なふりをしている貴族主義が、フランス革命で大きな役割を演じたあの民主主義と、手に手をとって発展してきたのです。ロッジの貴族主義がひそかに出現したのです。私たちが現代人にふさわしく、社会に参加し、社会の仕組みに通じたいと思うのなら、民主主義の進歩についてのきまり文句に目を眩まされてはなりません。ロッジの儀礼とその暗示的な力とによって、支配力を少数者だけのものにしておこうとする働きに、眼をしっかりと向けなければなりません。西洋近代の世界は、ロッジの支配力から解放されたことが一度もなかったのです。常にロッジの影響が強力に作用していました。人びとの考え方を一定の方向へ向けるにはどうしたらいいのか、ロッジの人びとはよく心得ています。今日はそのようなロッジのネットワークの一つひとつの結び目のことを述べたにすぎませんでしたが、このようなネットワークはすでに出来上がっています。ですから、自分の好む方向へ社会をもっていこうと思ったら、ただテーブルのボタンを押しさえいいような体制が出来上がっているのです。[1917年1月8日の講義より](P428-P430)-----------------------------------------------------------ご紹介した発言の中で、イギリス本国のフリーメーソン人は世俗的ではないが、「あるイギリス人」がイギリス国外に出て行って次々に設立したフリーメーソンは「たちが悪い」と語っていますね。「旅の恥はかき捨て」という日本のことわざのように、次々と海外に植民地をこさえて独立国家を作り、国家の法のなかに人種差別条項を設けて「法の下における人種差別政策」を行ってきた国々はすべて「海外に出ていったイギリス人の子孫たち」によって作られた英語圏国家だった事実とつき合わせて歴史を眺め直してみると、その行状は「海外に出て行った、イギリス人の作ったフリーメーソン思想」とも呼応し合っています。シュタイナー発言の中から私が気になった個所を箇条書きにしてみます。①フリーメーソンは、主として、またもっぱら、政治的な利害打算の中だけで動いている。②ロッジの構成員たちの本来の目的は貴族主義(貴族統治)だが、彼らはそれを民主化運動のなかで実現させるべく暗躍してきた。③西洋近代の世界は、ロッジの支配力から解放されたことが一度もなかった。④彼らの好む方向へ社会をもっていこうと思ったら、ただテーブルのボタンを押しさえいいような体制が出来上がっている。このシュタイナーのフリーメーソン批判は、約100年前になされたものですが、今日でも状況は同じでしょう。世界的事件の数々は、実際には、緑の流れと赤い流れの「二つの流れ」が相合わさって形成されてきたのに、近代の一般の人々は幻惑されて、緑の流れだけを見せられて、「これが歴史なのだ」と考えるように誘導されてきたのだとシュタイナーは言っているのです。近代人は、学校制度というシステムのなかで「彼らが望むとおりに思考する」と評定Aプラスがもらえるので、この筆記試験の結果が形成することになる、それまでの「生まれや身分の違い」による選別方法に代わる「新たな選別方法による階級社会」の中にいやおうなく投げ込まれて、教育現場において、遠まわしに絶えずくすぐられ続ける自尊心や恐怖心から生まれる利己主義を「彼らに利用されてきた」のです。
そのような反復訓練を施されて、社会に出て行って一定の社会人的経済人的地位を得ます。彼らは「自分たちは有能で、確かな地盤に立って生きている」と感じています。利口ではあるけれど、競走馬のブリンカー(遮眼革)ように視野を狭める器具を装着されて、洞察力を奪われて生きている近代人、「誰かにしつけられた思考方法」を演繹的に用いながら、思考生活の上で受動的に生きてきたのが、近代人の「現在の立ち位置」なのです。フリーメーソンは彼らの計画を実行に移す前に必ず予告を行うとシュタイナーは言っています。-----------------------------------------------------------ヨーロッパには今日、なにごとも短絡的に考えようとする人々がいます。世界大戦の勃発を、フランツ・フェルディナンド皇太子の暗殺に関連させて考える人々がいます。それが間違いだ、と言っているのではありません。1914年6月起こった暗殺事件に遡って説明することはできます。しかし、1913年1月の西欧の新聞(パリ・ミディ)に、「ヨーロッパ人の安泰のために、フランツ・フェルディナンドが暗殺されるべきだ」という記事が載っていたことを強調す人々もいるでしょう。実際の暗殺事件まで遡ることもできるし、1913年1月の新聞に「彼は暗殺されるべきだ」と書かれていたことに遡ることもできます。おそらく真相は明らかにならない、平和な時代の最後に起こったジョレス暗殺に遡ることもできます。また、1913年にくだんの新聞に「ヨーロッパにおける状況が戦争へと突き進むとしたら、ジョレスが最初に殺される人物だろう」と書かれていること遡ることもできます。40フランで売っているオカルト・アルマナックを見てみましょう。1913年のアルマナック、つまり、すでに1912年に印刷されたアルマナックに、「オーストリアでは、統治者になるだろうと人々が思っている人物ではなく、老皇帝ののちに統治するとは思われていない若い男が統治するだろう」と書かれています。1912年の秋に印刷された、「1913年のアルマナック」です。1913年に印刷された「1914年のアルマナック」に、同じ指摘が繰り返されています。1913年には、暗殺計画が失敗したからです。
ものごとを明瞭に見通せば、外的な現実のなかで生じることと、秘密裡に企まれることとが関連しているのが明らかになるでしょう。おおやけの生活からあれこれのオカルト結社に連なる糸が認識されるでしょう。「密儀の真理については沈黙しなければならない」と今も主張する結社がいかに愚かかも、認識されるでしょう。オカルト的な源泉を専有しようとするフリーメーソンの古参会員であっても、子供っぽく無邪気なことがあります。とはいえ、彼らは人々が闇のなかにいることを欲します。(『職業の未来とカルマ』P194-P196)-----------------------------------------------------------彼らは、新聞や町の売店で安価で手に入る予言カレンダー(オカルト・アルマナック)などで、「これから彼らが引き起こすことを告知する」のです。今日でも世界情勢予測や経済予測、そして占い系のコンテンツは大繁盛していますが、印刷出版業が大発展を遂げていた当時もそうだったのです。フリーメーソンは、雑誌『ムー』だったり、今だとYouTubeの都市伝説系コンテンツでもよく取り上げられているネタです。そして彼らと関連させて言及されるのが、いわゆる「イルミナティ・カード」とかイギリスの経済雑誌『エコノミスト』の表紙です。何か大きな事件があるたんびに、「予言が当たった」と言って、そういう話題を扱う媒体が面白可笑しく取り上げて騒ぎますけど、言ってみれば、そういうコンテンツで商売をしている人々は、「自覚なき彼らの手駒たち」として利用されているわけですね。100年前にヨーロッパで活動していたシュタイナーの残した文書を読むと、実は「そういうやり方」つまり「あらかじめ予告してから実行する」という演劇的振舞い方というのは、フリーメーソンがずっと大昔から持っていた、一種の「子供っぽさ」の表れなのだということが分かります。シュタイナーによれば、「書かれたことが現実になる」ように暗躍する人々は実在するということになりますが、これをDSと言う風に今日的な言葉に言い換えても、たいした違いはないでしょう。今日の日本の独特な表現で言い直すと、彼らは「そのやり方」において「中2病っぽい」のです。そのような儀式的演劇的なふるまいを彼らは「伝統」として今日も引き続き継承して、行使し続けているのだということが分かります。たとえば「名探偵コナン」の登場人物の怪盗キッドは「誰がいつ何を奪いに来るか」を警察組織に分かるように伝えますが、フリーメーソンは彼らの計画を市井に出回る媒体に「堂々と」ではなく、「そっと」忍ばせてから、実行に移します。しかも「誰が」の部分は決して公開しません。そもそもオカルト組織ですから、そうすることは言霊(一種の魔術的作用力)を発動させるための、彼らにとって欠かすべからざる儀式的手続きになっているのでしょう。今で言ったら「引き寄せ効果」を期待しての振舞いなのかもしれません。昔結社の指導者たちに「いいか、同志諸君、欲しいものは皆の前で声に出して言え」とでも教えられたのでしょうか。しかし実際には彼らは「分かりにくい場所で、小声でこそこそとつぶやいているだけ」でした。けれども彼らの「その小さな仕掛け」こそが、彼らの「中2病マインド」をメラメラと燃え立たせ、彼らの貴族共同体的な仲間意識と自尊心を満足させる行為となっているのです。フリーメーソンが「唯物論の普及活動を行っている」ことについて、シュタイナーはこんなことを言っています。-----------------------------------------------------------オカルト同胞団は、生活の本当の法則に関連するものについて人々の知識を曖昧なままにしておこうとします。そのような人々の下で、オカルト同胞団は最も活動しやすいからです。自分が本当はどのように現代に生きているかを人々が知りはじめたら、もはやオカルト同胞団は活動できません。秘密を漏らさず、どさくさまぎれに利を得ようとする者たちにとって、本当の知識が広まるのは危険なのです。彼らは自分たちの望みどおりに人々を社会のなかで生活させるために、秘教を用いようとします。今日、オカルト同胞団のなかに、「私たちの周囲のいたるところに霊的な力が存在し、正者と死者のあいだに絆が存在する」と確信している会員たちがいます。彼らがオカルト同胞団なかで語っているのは、精神世界の法則にほかなりません。それは、いま公開されるべきものであり、私たちの精神科学が有するものです。彼らは、先祖返り的な伝統から受け継いだものを語っています。しかし、彼らはその知に反対するようにふるまって、「それは中世的な迷信だ」と、新聞に書きます。秘密結社のなかで受け継がれた霊的な教えを大事にしている人々が、マスコミでは正反対にふるまって、「中世的な迷信・神秘主義だ」と評するのです。彼らは、その教えを人に漏らさず、他人を愚かなままにしておくのがよい、と思っているからです。どんな原則によって人間が導かれているのか、人々を無知のままにしておきたいのです。オカルト同胞団のなかには、世界をよく見て、「密儀の内容を今日おおやけに人々に伝えるのは不可能だ」と語る会員たちがいます。人々を五里霧中のままにしておくには、いろいろな方法があります。本当の精神科学は、精神世界への鍵となる理念を私たちに伝えます。しかし、自然科学的な世界観によって悟性を浅薄にされていない人々をも騙せる概念があるのです。一定の方法で概念を形成できるのです。今日、おおやけの概念がどのように形成されるかを多くの人が知ったら、本当の精神科学への衝動を感じるでしょう。(『職業の未来とカルマ』)-----------------------------------------------------------シュタイナーによると、近代フリーメーソンの淵源は13世紀にまでさかのぼることができるそうです。エジプトの秘儀以来のさまざまな国家、地域の秘儀の象徴を寄せ集めて保存しています。思想の上で、最大の影響力を持っているのが旧約聖書の秘教部分、つまりユダヤ教のカバラ思想です。しかしもはや彼らは自分たちが秘匿している秘密を正しく理解していません。フリーメーソン思想はユダヤ教ではないのですが、ユダヤの秘教部分とつながりがあるのです。18世紀末になると、フリーメーソンの一部にイエズス会が浸透しました。これがいわゆるイルミナティ部門なのでしょう。イエズス会思想の土台もまた秘教、オカルト思想に根差しています。多分に物質主義的なイメージ、人類を地上から解き放つ(人類の霊界回帰、人類の天使化ではなく)、「イエスに地上の王になってもらって永遠に統治してもらおう」という、本来のキリスト教が持っていた「上への衝動」とは真逆の「地上統治への強い愛着感情」をもとに活動してきた組織なのです。人類の貴族統治を目指しているフリーメーソンとも相性のいい「キリスト教思想」なのでしょう。イエズス会がスペイン・ポルトガルの海外侵略に手を貸した理由も太陽霊キリストではなく、地上の王イエスによる人類統治という目標があればこそだったのでしょう。キリスト会ではなくイエズス会、つまりイエス会という呼称を使っていたのは偶然ではないのです。それはイエス教のイエス会だったのですから。
『社会の未来』においてルドルフ・シュタイナーは「企業集団は真の目的を隠して、蓄積された大資本で巨大な権力を手に入れ、民衆を支配しようとしていたのです。」と語っています。私たちは「資本主義は利益の最大化を目指す」と習いました。けれど「なんのためにそうするのか」は教科書には書いていません。富を増やすことが「最終目的」だと言います。しかしシュリーマンが大金を得るために企業を立ち上げて大成功し、莫大な資金を得たのは、「より多くの富の獲得」が目的だったからではなく、「手段」だったことは有名な話です。シュリーマンは「手に入れた資本」をトロイ発掘の「手段」にしたのです。近代は「紙幣の支配権を手にすること」こそが「人類統治のための手段」になったのでした。「彼ら」はお金が欲しいのではなく、お金を使って達成できることを追求してきただけなのですが、一般庶民は相変わらず、所得の不均衡には声を上げても、自分たちの唯物論化した思考態度を改めようとはしていません。庶民が「金の話ばかりしているだけ」なら、唯物論の宣布人フリーメーソンには安泰なのです。それは引き続き人類を幻影の中に置いてコントロールできるということなのですから。今日精力的に世界の企業を傘下に収めてきた人々は「神などいない。この世は偶然ビッグバンで生じ、たびかさなる偶然の連鎖の結果、猿から人間が生じた」と近代科学思想で武装した科学者たちに広宣させながら、「そうだ、お前たち民衆に神など必要ない。お前たちに我らの神は必要ない。だから我らの神をお前たちの眼の前から隠しておくのだ。その神は我らの神であって、お前たちの神ではないからだ」と思っています。ほんとに彼らは「一休さんの水あめ和尚さん」そっくりの、「大ウソつき」なんですよ。PR -
では、今回は「速日」という言葉を考察してみます。
古代の武人は同時に秘儀参入者でもありました。
現代語訳版の日本書紀を読み直していて天忍穂耳尊には呼称に別バージョンがあることに気が付きました。天忍穂根尊あるいは天忍穂骨尊です。発音上から言えば「根=骨=ね」ということが分かりました。「あめのおしほねのみこと」です。
記紀には速日という呼称を持つ神々が出てきます。私は速日というのはすぐれた武術家・武人に対して付与された敬称だと思います。
『古事記』において、出雲の国譲りの場面で日向を代表して出雲の建御名方神(たけみなかたのかみ)に「手乞(てごい)」=決闘を迫ったのが、建御雷神(たけみかづちのかみ)でした。
今で言うと柔術家同士の決闘場面です。日本の古代の武人同士の決闘における約束事は、互いに相手の手を取り合って始めることでした。決闘は以下のようにして始まります。
建御雷神(たけみかづちのかみ)が建御名方神(たけみなかたのかみ)にその手をつかませたところ、その手はたちまちに氷柱に変わり、また、剣の刃と変わった。建御名方神はびっくりして、退いた。そこで、建御雷神が、逆に「おまえの手をとらしてくれ」といって、建御名方神の手をとると、その手は柔らかい葦のようであった。そこで、その手をつかみつぶして、建御名方神を投げ倒したので、建御名方神は逃げていった。建御雷神は追って行き、とうとう、諏訪湖で追いついた。
(学研M文庫「古事記」梅原猛P63-P64)
日本書記では建御雷神は武甕槌神と表記されていまして、なぜか彼の家系紹介記事が挿入されて出てきます。
時に、天石窟(あまのいわや)に住む神で、稜威(いつ)の雄走神(おばしりのかみ)の子神の甕速日神(みかはやひのかみ)、甕速日神の子神の熯速日神(ひのはやひのかみ)、熯速日神の子神の武甕槌神がおられた。(中公バックス「日本書記」P90)
出雲で決闘をした武甕槌神は「速日」を名乗っている一族の子孫として紹介されています。本人は技量的には、まだ速日を名乗れない時期だったのでしょうか。
記紀には、名前に「はやひ」という呼称が入っている人物たちがほかにも出てきます。
饒速日尊(にぎはやひのみこと)や正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)などが代表的人物です。日本書紀では、天忍穂耳尊は天忍穂根尊あるいは天忍穂骨尊とも書かれています。もとは「根」呼称だったがのちに「耳」呼称に変化しているのです。
私は、「耳」が霊聴能力者を示す記号なら、「根」は霊視能力者を示す記号ではないか、つまり「アストラル像を見ることができる段階に到達している者」を意味していると考えました。
「速日」という呼称は武術技量において高い能力に到達している人物に付けられた記号だと思います。天忍穂耳尊は、日本書紀の記述から、「根」の武人と呼ばれていた時代もあったのではないかと思います。
スポーツ化した現代武道に励んでいる人々に理解しにくい身体感覚こそ、「秘儀参入」部分なのだと思います。近代武道としての合気道の呼称に含まれている通り、この武術は「気」つまりエーテル体とどのように向き合うかに関係する術です。
身体の観察において、唯物論的な解釈しか受け入れられなくなっている現代の格闘家、あるいはそういう武術・格闘術ファンたちにとって、古代日本の武人の最高到達地点とは秘儀参入を果たすことであり、それ(アストラル界に参入すること)が身体の力(気=エーテル体)を自在に動かす体術としての最高境地の会得であった、という観点を受け入れることは可能でしょうか。この点については中国の武術家にも同じような意識の到達領域があったのだろうと推察されます。たとえば合気道の開祖植芝盛平の伝記『武の真人』などを読むと、「ああ、植芝盛平は、今で言うと秘儀参入を果たした武人だったのだなあ」と思います。今日、日本にも世界にも、たくさんの合気道家がいますが、秘儀参入まで果たしている合気道家は多くないでしょう。
植芝盛平は、古代の呼称で速日と呼ばれるような領域にまで達していたのではないかと思われます。速日にも勝早日、饒速日、甕速日、熯速日というさらに細分化された呼称が存在することを考えると、植芝盛平は古代であれば「〇速日盛平根(あるいは骨あるいは耳)尊」とでも呼称されて祭られたかもしれません。私には植芝盛平が霊視者なのか霊聴者なのか、いまのところまだ明確に判断できないし、「〇」の部分の古代的意味が、今のところ私にははっきり分からないので、今回は欠字のまま書かせてもらいました。
神話から、日本の柔術の源流は天孫系のものと大和諏訪系の二大流派があったのかもしれないなとも感じました。
前々回に、勝海舟の先祖は物部守屋だという話をしました。物部氏の先祖が饒速日尊ですが、彼も「速日」呼称の持ち主です。ということは、凄腕の武術家だったのでしょう。勝海舟の勝は物部系の武人系の子孫に勝早日の称号を持つ人物がいて、そこから取られた名前かもしれないですね。
天忍穂耳尊は、その前は天忍穂根(骨)尊と呼ばれていたということを日本書記から読み取った私は、「そういえば骨という言葉を用いた武術の一派がいたよなあ」と思い出し、本棚から『骨法の秘密』という本を取り出して関連個所を再読してみました。著者の堀辺正史氏の先祖は、「骨」つまり「根」の秘儀参入者クラスの速日だったのではないでしょうか。
著書を読むと「骨法」(またの名を手乞)は神武天皇に仕えた大伴氏族からの流れの中で解説されていましたから、彼の話を信じるなら、もともとは日向系の手乞だったと思われます。
堀辺氏は、大化の改新以前の古代の一時期は「かばねの御代」と呼ばれており、それが「骨(かばね)の御代」とも呼ばれるようになったという伝説から、骨法と呼称される柔術の成立と結び付けていましたが、もっと大本を探ると、武人、天忍穂耳尊の以前の名前が天忍穂骨尊と書かれていることから、彼の先祖佐竹氏のさらに先祖が速日の(根=骨)クラスだったからではないかと思いました。秘儀参入において実際に「骨(ね)」という呼称を持っていた武人だったので、その流派に今日まで骨という言葉が受け継がれてきたのではないかと思ったのです。
骨法という柔術の流派は根(=骨)位階の早日から伝承されてきたものかもしれないなどと、と空想がいろいろと広がりました。とはいえ、堀辺氏自身は秘儀参入者ではないように思います。植芝盛平自身は紀州の熊野地方の出ですから饒速日に縁がありそうです。武術初心者だった十八歳の盛平に大東流柔術を教えた師匠は、武田惣角という人物だそうですが、武田という名前から、源流は諏訪系手乞だったのではないかと思いました。つまりやっぱり饒速日系です。
植芝盛平が開眼し、合気道を呼称するようになったあと、彼の合気道に関する口述筆記には「時間を超越した速さ」を伝える言葉として天忍穂耳尊を引用しています。
口述の第三章「技」において、『古事記』を引用して
時間を超越した早さを、正勝吾勝勝速日(まさかつあかつかつはやび)という。
と述べています。
盛平の出自や学んだ流派に対して、天忍穂耳尊は天孫系の武術家でしたから、「このクロスしているところが面白いよなあ」と思いました。
ちなみに「時間を超越した早さの世界」とは秘儀参入学で言い換えるとアストラル界のことです。黄泉平坂に立った人は、過去と未来が同時に見渡せます。
ハリウッド映画『マトリックス』の柔術道場場面には、よく見ると「勝速日」と書かれた掛け軸が出てきます。主人公のネオはのちに「時間を超越する速さの奥義」に達します。これは映画製作者の中に(もしかして監督自身)合気道に詳しい(あるいは深くリサーチした)人物がいたからこそ出てきたシーンなのでしょう。
前編で、根=土台という観点を提示しました。「海ゆかば、みずくかばね」という歌がありますが、「かばね」とはもともと英語で言うBODY(身体)のことでした。命を失うと「死かばね」になります。
英語でも刑事ドラマなどで死体のことをBODYと呼んでいますが、日本でも「かばね」を死体そのものとして扱う用例があることはみなさんもご存じのことと思います。英語ではBODYは骨ではありませんが、日本では「かばね」は骨とも同一視されるようになります。「かばねをさらす」とは「死体をさらす」という意味だけでなく、「白骨をさらす」という意味にまで拡張しました。
古代人にとって身体とは「かば」と「ね」でできているものだという認識があったのではないでしょうか。もともと「かば」とは「覆うもの」を指す言葉だったのではないでしょうか。うなぎの蒲焼の「蒲」について検索すると「覆うもの」いう説明はでてきませんが、「かば」は「かわ=皮」という発音にも連結しますから、古代人にとって「かば」とは、外皮をさす言葉だったと思います。
身体の「ね」、土台は、「骨」です。したがって「外皮」の「かば」と「ね」としての「骨」によって「かばね」=身体ができあがります。骨そのものも「ほ」と「ね」で出来上がったものと考えるとその場合、「ほ」と「ね」とはなんだろうと考えると、空想が広がっていきますね。大王(おおきみ)の時代の「かばねの民たち」には、国の体(国体)を形作るものという意識があったのではないでしょうか。そして「かばねの民」の中心に精神が宿るのです。それら全体が「くに」でした。
「大王(おおきみ)は神にしませば」と言うのは、古代人にとって「大王(おおきみ)は秘儀参入者であるのだから」と言っているのに等しかったのです。近代日本人が「天皇は神である」と言う言葉を聞いたときに抱く抽象的な(時に儒教的な)観念ではなかったのです。
砂泊兼基氏が『武の真人』の中でこんなことを書いています。
弘化三年正月、伴信友が七十三歳の時の著述である『鎮魂伝』によると、「物部氏の祖、饒速日命が倭の国を神武天皇に奉り、鎮魂の法を以て天皇に仕え祭りてより、うちつの島の大和の国は倭朝廷と密接の関係ありし」云々とあるから、(P81)
伴信友は江戸時代の国学者です。「饒速日命が鎮魂の法をもって天皇に仕えた」と書いています。鎮魂の法とは、これまでずっとテーマとして書いてきた三日半の秘儀参入の技術そのものでしょう。日本には鎮魂帰神という言葉がありますが、それは人智学用語で言い換えれば、秘儀参入そのものです。やはり物部氏族が「日本の秘儀の秘密の守護者たち」だったことは間違いないようです。ルドルフ・シュタイナーは「王冠の意味」について以下のようなことを書いています。
民族の力を身に付けて、子孫に伝えた人々は、王冠をかぶりました。王冠というのは、古代には、人間の霊性に贈られる最高のものを示す言葉でした。王冠をかぶることができるのは、秘儀に参入して最高の叡智を獲得した者だけでした。王冠は最高の叡智のしるしでした。元来、修道会にはみな意味がありました。のちには、修道会は虚栄のために設立され、もはや何も意味しなくなりました。しかし、「王冠」は古代人にとって、精神世界から超人的な人に贈られるものの象徴です。王が冠を戴くのは不思議ではありません。王はいつも賢明であったり、最高の天賦の才を身に付けているわけではありませんが、そのしるしである冠を戴いています。このように古代のしきたりに従って表現されたものと、のちに乱用されたもの(近代人が今目にしている王家のしきたり)とを混同してはなりません。(『神仏と人間』)
P.S. 1
すでにテレビ新聞は「資本の制圧」を受けてダメになってるけど、なんだか最近(というかコロナ以降)これまでよく参照していたネット系記事も(スレッド引用まとめサイト系は特に)同様に「資本によって制圧されてしまった」ような感じで、すでにテレビ番組とかは災害時とか特別な時以外は、いっさい見なくなってひさしいですけど、いずれYouTubeとかもいっさい訪問しなくなる日がくるんじゃないかと思ったりしてますよ。なんか旧弊によって硬直してしまったヨーロッパで息苦しさを感じていた者たちが新大陸を目指したように、どこかに情報交換の新大陸があれば、でかけてみたいという思いはあるんですけどねえ。ネット上でさえ他人と「狂歌」のようなものでやりとりするしかできないような時代になったらいやですねえ。それとも「笑い男」みたいに口をつぐんで一生を終えようかなあ。P.S.2
最初の追加記事はまったくテーマと関係なかったけど、この記事もまったく関係ないです。本日音楽(Farewell.astronauts chouchou)かけながらベッドに横になってたら、結局寝ちゃったんですけど、なんか夢を見まして、はっきり覚えてはいなんですが、目覚める直前の様子は、なんかキック式オートバイにまたがって、まさにエンジンかけて走り出そうと苦闘しているところで、周囲でEDM系の音楽が響いていて、自分の耳にガンガン重い感じのベースラインと四つ打ちバスドラアレンジ音楽がなっている。ところが突然頭の中で「さっき実際に流していたシュシュの音楽に切り替わった」ので(その間夢の中の意識が連続している)、「あれ、なんで音楽が変わったの?」って思ったんですが、「あ、そうか目が覚めたんだ」と思ったら、身体がベッドに横たわっている感覚がやってきて、ほんとに目が覚めたという体験をしました、というどうでもいい話です。
だいたい音楽かけながら寝入ってしまった人間が夢の中でまったくタイプの違う音楽を聴いているというのもシュールです。寝ぼけている感覚の中で、耳の中で鳴っている音楽がサクっと切り替わる体験というのはこれまでしたことがなかったので、やはり書き残しておこうと思い、この記事内に添えておくことにしました。 -
古代には、秘儀参入者は外的な名前ではなく、彼らが何を知っているかによって、彼らにふさわしい名前で呼ばれました。(『輪廻転生とカルマ』P138)
記紀神話に登場してくる人物たちに付けられている呼称は、実際に声に出して読んでみると、現代日本人の日常感覚からするとまことに奇妙です。
古代の神話や伝説は、古代の見霊意識が霊界の中に見た事柄を感覚界の出来事に置き換えて物語ったものであり、ときには本質的に秘儀の経過の再現に他ならないのです(『イエスを語る』P211)。記紀は「古代人の秘儀参入体験を書き表した書である」という観点で記紀に現れる不思議な言葉、「記号のような文字」をあれこれ考察してみるのは、自分を秘教学徒だとみなして日々精進されている方々には大変面白い研究テーマだと思います。神話部分は実際に秘儀参入の知識を守ってきた古代の組織によって口伝によって保持されてきたものでしょう。本来漢字を使う文化ではなかったのですから、暗唱者から聞き取って文字に起こしたという古事記の冒頭部分は事実でしょう。ですから、記紀が書物として人々の前へ出現したのは、もちろん「政争の結果」だったのですが、今日においては日本人への「贈り物」となっていることは、当時懸命に中国由来の漢文を学習習得し、それを日本語化してくれた「名もなき官僚たちの頭脳労働」、その奮闘努力には感謝の念を捧げたいと思います。天(あま)、国(くに)、彦(ひこ)、姫(ひめ)、根(ね)、火(ほ)、耳(みみ)、足(たらし)、別(わけ)、勝(かち)、甕(みか)、武(たけ)、早日(はやひ)、津(つ)、貴(むち)、などなど、「神々の名前に添えられて出てくる」こういった言葉(記号部分)にはちゃんとそれが意味している実体があったと思います。たとえば記紀には「根の国」という言葉がありますが、この言葉は「死後の世界」として語られています。人智学的な観点で言い換えると、「根」とはアストラル界を意味する言葉です。死者が最初に行く場所です。そして見霊者には原因と結果があべこべに現れる世界、つまり時間が逆に流れる世界です。
私のYouTube「秘教学徒」動画では、日本人が死者の着物を普通とは逆(左前)に整えるのは、現代人には、その由来の大本は忘れられてしまっているが、「死者はあべこべの世界にいく」という古代以来の「先祖たちが知っていた知識」が伝承されて形式だけが習慣化した結果だという趣旨の話をしたことがありました。
霊能力者に予言が可能なのも、アストラル界では結果が先に見え、原因が後に見えるからです。アストラル界では、245という数列を見たら、実際には542と受け取るのが正しい解釈なのです。自己像に関する美醜イメージもさかさまに出現します。「ね」という言葉は古代人にとって大本、土台を意味していたことがだんだん分かってきました。「ね」とは黄泉平坂の向こうにある世界です。ですからこの世の大本としての「ね」=霊界(アストラル界)と解釈することもできます。霊主体従という言葉がありますが、世界の成り立ちにおいてまず霊の国があり、その霊の国を土台、つまり「根」として、この物質界が生まれたのだ、という感覚は、東西世界に共通の、古代に生きた人々の「宗教感覚」でした。秘儀の三段階として霊視(イマジネーション)能力、霊聴(インスピレーション)能力、霊的合一(イントゥイション)能力という概念をご紹介したことがありました。この概念を記紀神話に接続させて言い直せば、霊視能力、つまりアストラル界に像意識のみで参入できる人物は霊視者であり、日本の古代の秘教用語では「根の能力」を持った人物ということになります。アストラル界で霊聴能力つまりイメージだけではなく音や言葉をも聞き分ける能力をも行使できる人物は「耳の能力」を持った人物です。この点に関しては聖徳太子に関する記事で言及しました。神話上では瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父親になっている天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)は、日本書紀の別の個所では天忍穂根尊あるいは天忍穂骨尊(あめのおしほねのみこと)とも書かれています。これは彼の秘儀参入段階に「根」段階(霊視者段階)から「耳」段階(霊聴能力者段階)への変遷があったことを暗示しているのではないでしょうか。日本書紀の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨神話を現代訳で見てみましょう。高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は、真床追衾(まとこおうふすま)で皇孫(すめみま)天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)を覆いかぶせて地上に降らせられた。皇孫は、そこで天磐座(あまのいわくら)を離れ、また天八重雲(あめのやえたなくも)をおし分けて、その威厳によって道をおし分け、きりひらいて、やがて日向の襲の高千穂峯(たかちほのたけ)に降臨された。(中公バックス日本の名著1「日本書記」P92)日本神話で言う「神が天降った」というのは、「死の体験をして天磐座(あまのいわくら=霊界)の実相を知りアストラル界の雲間を通って地上界へ戻ってきた」という意味でしょう。つまり、そういう言い回しで「彼は秘儀参入者だ」と言っているのです。シュタイナーが秘儀参入を行う場所として以下のような発言をしています。古代においては、秘儀への参入者は三日半の間、仮死状態に置かれました。そして、小さな部屋、墓のようなもののなかに置かれました。そうして、死の眠りの状態にやすらいだのです。あるいは、両手を伸ばして十字架にくくりつけられました。そのようにして、霊的な状態に入っていったのです。(「黙示録の秘密」P29)日本の秘儀参入の場合、三日半の秘儀参入が実際に行われていた時代は、真床追衾と呼ばれる寝具、これを私が現代訳の参照先とした中公バックス「日本書記」の注では「神聖なふとん」と注記していましたが、つまり瓊瓊杵尊は、今で言うところの「布団」の中に寝かされて、意識を奪われて、霊界を三日半の間旅し、そして現実界にふたたび戻ってきたのです。記紀の記述をそのまま日常生活で自然に用いている連想感覚で思い描き、たとえば宮崎駿監督のアニメのように、布団にくるまって〈空から降ってくる人〉の映像が頭の中に生じたのだとすれば、それはまったく通俗的な解釈感覚によったイメージ化なのです(「え、もしかして日本神話って、コメディ?」と唯物論者なら笑い出しさえしそうです)。古代の文献にあたるとき、問題は大抵の人は自分の抱いたイメージに疑問を抱かないということです。だから「通俗的に考えている」つまり「唯物論的に考えている」ということを、学術論文を書く高名な大学教授も、またその論文を同じような連想イメージを心に思い浮かべながら読んでいる読者も、「いま心に無意識に浮かべている連想イメージ」自体が解釈を妨げる原因になっていることを自戒できません。もしあなたが神話を読んで、古代人が、そういう「地上界で起こっている出来事のイメージ」を口伝のなかで描いていると無意識に思いながら読んでいるとしたら、そういう「安易な連想」をしている自分は「正しい位置」で古代の文献を読んでいるのだろうかと疑える感覚を取り戻さなければなりません。そうでないと「書かれていることを物質世界で魔術的に利用する勢力(書かれていることが現実化された世界を見たがる勢力)」が世の中に送り出してくる解釈に、エンタメ・ワクワク感覚で接しようが、不安感いっぱいで接しようが、心を奪われてしまいます。そういう人々は、自覚なしにアーリマン(物質界の統治者)の協力者になっているのかもしれません。たとえばヨハネの黙示録に対する「読者の接近の仕方」がそうです。ヨハネの黙示録は「秘儀参入者の秘儀体験を書き表した書」なのです。秘儀参入とは各人の魂の中にまどろんでいる力と能力を発展させることです。ヨハネは、人類個々が未来にいずれ体験するであろう秘儀体験を、前もって人々の前に提示したのです。
「黙示録の秘密」でシュタイナーはこう書いています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー黙示録の筆者はみずからのキリスト教秘儀体験を書いたのですが、ほかの人々はそれを公教的に理解しました。彼らは、偉大な霊視者が見たもの、秘儀参入者が霊的に認識した、何千年もの時空のなかで生起することを、まもなく感覚的・可視的な生活のなかで外的に生じるものに違いないと思いました。感覚的・物質的な雲のなかにキリスト・イエスは再来する、まもなく感覚的に生じる事柄について黙示録の筆者は書いたのだ、という見解が成立しました。何も起こらないと、単に期限を延ばして、「キリスト・イエスの出現によって古い宗教は終わり、地上に新しい時代が到来する」といい、「黙示録に書かれたことは一千年後に物質的・感覚的に生じる」と、感覚的に理解したのです。こうして、実際、紀元千年には多くの人々がキリスト教に敵対する力、反キリストが感覚界に現れるのを待ちました。そして、ふたたび何も起こらなかったので、また、期限を延長しました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー全世界の教会人と信徒のなかに、そういう勢力がいて、「世界感覚において唯物論者化したキリスト教徒たち」に、おおきな影響力を行使しています。彼らは聖書の言葉を物質的イメージでしか把握できません。そういう人々が「書かれていること」を利用して人々の心をコントロールしようとする勢力に、そうとは意図せずに協力しているのです。人智学的-黙示録的には、この時空が終了するのにあと魚座時代、水瓶座時代、山羊座時代を経なければなりません。26000年の宇宙サイクルを12の星座で均等に割ると約2160年ほどですが、現在の時空は魚座時代の途中なのです。実際の星座は均等に分かれて存在しているのではないので、一時代につき2000年から3000年の幅があります。現在の星占いの主流派が用いているのは「天文学的な天体関係の位置情報」ではありません。実際の宇宙物理学的な位置関係において、太陽は春分点に魚座から今後も昇り続けるのです。ですから、通常の占星術の言説と人智学の説明を混同しないように注意してください。シュタイナーの言う魚座の時代というのは占星術用語ではないのです。
人類は過去、レムリア大陸時代、アトランティス大陸時代を経てきました。人智学的には、約1万年前のアトランティス時代終焉後に開始された現在の時空が終了するのに、あと魚座時代、水瓶座時代、山羊座時代を経なければなりません。一星座時代につき2000年から3000年の幅があります。魚座時代はまだ2000年ほど続きます。
現在の地球時代(第5人種時代)は今後「ひと時とふた時と半時という三つの星座期間」つまり、約6000年から8000年ほどを費やして「万人の万人に対する戦いの時代」を迎えて、地球の大変動とともに現在の第5人種時代を終え、浮上した新大陸を主要活動地域として第6人種時代に入り、また7つの文化期を経ていきます。そしてまた地球の様相が変容して第七人種時代を迎え、7つの文化期を経て終焉し、遂に地球の物質性が解消してアストラル的な天体、木星紀に変容していきます。つまり人類が再び「失った天使の位階」の一員に戻るまでには、まだまだ膨大な時間を「耐え忍ばなければならない」のです。「どこかの教会に属して信仰告白を済ませておけば、今の人格のままで天国へ行ける」あるいは「天使になれる」と思うのはあまりにも不遜な自己認識不足の思考態度なのだということです。人類個々の地上意識部分は、今のところ、神界に存する真の自我が物質界にのばしたプローブのようなものです。長い時間をかけて二つの世界が段々と重なっていくのです。「人生1回のみの〈短い〉忍耐」ではまったく足りないのです。現代人は聖書にしてもそうですが、古代の文献を読んだとき、そういう「物質的な視覚化連想で世界を眺めている自分に疑問を持たない」ので、自分の〈人間の世界〉の解釈や分析は〈預言と付き合わせて筋が通っている〉と考えています。しかし実際にはそれはとてもとても〈安易な思考態度〉なのです。(次回へ続く)次回は今回の話をもとに古代の武人について書きたいと思います。 -
聖徳太子について「近いうちに動画一本」とか書いていましたが、全然進んでおりません。
断片的な「あれってこういうことかな」的な「思いつき」はあるんですが、文章化して書くには確信感覚が心に積もっていかないので、「やっぱだめだわ、今の状態のままだとすると」という感じです。
記紀の神話部分は「秘儀参入の書」であり、古代日本の秘儀参入者たちの秘儀体験に由来するということは自分のなかでははっきりしてるんですが、これも「誰かに伝える形式」にするのが、もうめんどくさい。それに「世間にそんな需要」ありますか?
ルドルフ・シュタイナーは『ヨハネ福音書講義』のなかで秘儀の7段階について述べていました(なんでしたらトリビアとして暗記してください)。
1烏 2隠者 3戦士 4獅子 5民族人 6日の英雄(日の御子) 7父
最近ぼんやりしていた感覚のなかでだんだんはっきりしてきたことは1から5までの秘儀について書かれているのが神武天皇の東征物語部分だということです。
八咫烏という言葉は「ムー」とかYouTubeの都市伝説、あるいは陰謀論関連のコンテンツにも登場してきますが、秘儀参入のリクルート(初心者団員)が「カラス」と呼ばれているのです。この人物は公的社会と秘儀の秘密を守っている社会との連絡役をなすとシュタイナーは語っています。
記紀においても八咫烏は「秘儀を守る中央組織から派遣されてきた連絡員」としてふるまっています。続いて「隠者」「戦士」「獅子」ですが「隠者」はオカルト生活(秘儀参入の準備修行)をすでに実践している者、「戦士」は秘儀の教えを告げ知らせ、また守る者、「獅子」はそれをそれにふさわしい他者に伝える許可を得た者であり、また言葉で伝えるだけでなく魔術的な行為を行使できる者を指しているという話です。
神武天皇の物語を読んでいけば、みなさんも「あ、これは隠者、これは戦士、これは獅子じゃないか」と思うようなキャラクターに出合うと思います。面白いのは「しっぽのはえた人」に出合ったという表現ですが、私はこれは「獅子」段階の人物と会ったということだろうと推察してます。
神武天皇自身はYouTubeの秘教学徒動画でも暗示したように「ヤマトびと」つまり「民族人」であり、ヤマト民族の民族霊をその身に宿すことが可能になった段階の、民族集団を率いる霊、つまり大天使(=民族霊)の位階に上昇できた秘儀参入者に当たります。おくり名に「大和」号を持つ大王(おおきみ)たちは、秘儀参入者だったと動画で言っていますよね。
そして「岩戸隠れの物語の主人公」たる天照大神は第6段階の秘儀参入者「ヒミコ」=「日の御子」だったことも語りました。
では第七段階の秘儀参入者は記紀に描かれているでしょうか。もちろん出てきます。ヤマトタケルノミコトの物語が第七段階「父」の位階へ達する秘儀参入の物語です。ヤマトタケルの物語は「父との関係」を描いている物語です。通俗的な読み方をする者には「仲の悪い親子の物語」「父親が一方的に子をいじめる物語」としか読めないでしょうし、童話に書き直して小さな子供たちに読んで聞かせたなら、「ヤマトタケルのお父さんはひどい人だ」とか「ヤマトタケルのために死んだお姫さまがかわいそう」というような感想を述べることでしょう。大人だってそういう「読み方」以上に先に進むことはできまんせん。
「日本の古代に実在した秘儀参入者」というテーマ自体が「存在する」ということを知らない、古典文学を研究する大学教授はザラでしょうし、古代史をやっている政治的に左派右派の傾向を感情に抱いている大学教授たちも、近代の論文は「唯物論」OS上での論理展開ですから、はなからそんな話には近づきません。日本神話に似た話が海外にあったら伝播説を採用するしかありません。本当は、古代の日本の秘儀参入者が霊界で得た体験が物語の土台になっているです。
聖徳太子の物語もまた、彼の「新しい秘儀参入体験」からとってこられた物語だと考えることができる可能性については、一般の聖徳太子研究者の間でも意識されることはないのでしょう。物部氏退場の物語は、神話上では饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)の名によって代表される子孫の部族集団によって秘匿されてきた三日半の秘儀体験の管理者たちの退場の物語だということもできます。これ以後、中国閥の中臣氏族創案による「新しい中国式の大嘗祭」(誰も意識不明体験をしない儀式)へと変容します。現代日本人が知っているのは「中国式の儀式」なのです。
聖徳太子研究者の多くは、文献学上の聖徳太子像を追及するのが「発表しても恥ずかしくない」かつ「唯一の方法」だと思っています。ですからそういう「常識感覚」に引きずられると、都市伝説系出版物でも、聖徳太子とキリスト教を結び付けるとき景教の影響という「物質界の常識」にそった伝播説解釈に帰結します。日本神話の話を現代日本の国民意識に接続するときは、皇室の話も「政治機構や権力維持の話」しかできないのです。現にYouTubeでもネット出版物の販促ビデオでも、そのような「扱い方」に終始しています。
でも、日本国民にもごくごくわずかながら、私のような話に関心を持ってくれる方はおられると思っておりますので、まあ、やる気モードになったら、このへんの話を動画にしてあげたいとは思っております。
気温が完全にあったかくなったら、やれるかもです。
P.S.
トップに掲げたのは法隆寺の救世観音。一説には聖徳太子の姿をかたどった像ともいわれているそうです。大昔、救世観音の白黒写真を初めて見たとき、アングルにもよったんでしょうが、「あ、昭和天皇のお顔にそっくりだ」と衝撃を受けた記憶があります(もしかしてほかの方はまったくそう感じない可能性もありますが)。昭和天皇はくちびるの感じが明治天皇と似ていますよね。だから、なんかやっぱ古代から遺伝的につながってるのかなあ、とも思いましたよ。まあ、でもこのPS記事は余談でしたね。P.S.2
物部氏といえば勝海舟。『海舟座談』には海舟が自分の持っている宝物として先祖の像を挙げる話が載っていますが、海舟が先祖の像だといったのは、なんと物部守屋像なんですよ。ということは「オレはニギハヤヒノミコトの子孫で、それを誇りに思っている」と言ってるわけで、数々の海舟人物伝が何度もテレビ番組で取り上げられますが、「この話」はまったく取り上げられたことがなかったように思います。おもしろい話ですよねえ。幕末物語って南九州地方人VS中国地方人VS関東中部東北人の戦いでしたが、それって、大まかな日本の位置関係としては天孫系VS出雲系VS諏訪系の神々の物語とも重なるんですよねえ。鳥獣戯画ってありますよねえ。最近では漫画の元祖とかとも言われてますが。あすこに出てくるアマガエルが天孫系、ウサギが出雲系、サルが諏訪系で、アマガエルとウサギが相撲をとって、アマガエルが勝ち、今度は一緒になってサルを追いやる絵柄を見て、「ああ、これは古代史の再現画なんだな」と思ったもんです。でも、これは自分の感想なんで、ほんとかどうかは分かりません。
P.S.3
なぜ聖徳太子像(救世観音像)を見て昭和天皇を連想したんだろう、と「奇妙な問い」を自分に向けて数日過ごしていたんですが、はっと思ったことがあります。彼らが生きた時代の前後が「言葉によって分断されている」という事実です。聖徳太子の場合没後、「大化の改新」という中国閥による革命が起き、それまでの民族的慣習や精神生活の破壊が起きました。中国閥の台頭は聖徳太子の意に反した歴史の動き方だったのではないでしょうか。以前の政治構造を否定する「成文化された法律」がうまれて、「虚偽の歴史物語」が人々におしつけられました(聖徳太子が書いたはずの、神々の歴史書たる「大王記」は意図的に焚書されて、日本書紀では、「その書物の喪失」は蘇我氏との政争時のアクシデントだったことにされました)。古き神々に対しても、「当時の奈良の住民たちが声に出して言ってはいけないこと」が生じて、多くの人が黙らされたことはもちろん記紀には出てきません。万葉集には「唱えてはいけない名」を持つ神がいることを暗示するような和歌があります。
三輪山を しかも隠すか雲だにも 情(こころ)あらなむ 隠さふべしや (額田王)
この神はヤマトにいたもうひとりの天照位階、すなわち第6位階の「太陽の英雄(日の御子)」の秘儀参入者でした。
そして昭和天皇の場合も「敗戦革命」以前以後で日本人の「精神生活の分断」が生じました。古代がそうだったように今回も「外国閥」勢力によって、古代と同じように「成文化された法律」が国民に押し付けられて、敗戦にいたるまでの「新しい歴史物語」が書かれました。そして「言ってはいけないことが生じ」て、国民一般は「新しい言葉に歯向かうことなく」、生活再建のみに邁進し、今日があります。「ああ、同じようなことが二度起きたんだ」と思いました。「ああ、だから聖徳太子の顔と昭和天皇の顔が重なって見えたのか」と、いまは勝手な解釈で自分を納得させているところなのでした。P.S.4
記紀に登場してくる神々には名前が入っているものと外されているものと二通りあるのです。
「おおぴらに名前を言葉に出してはいけない、あの方」ただしヴォルデモートのように「悪の総大将」としてそうなのではなく、当時の統治層の思惑でそうなってしまった神々です。
一人は三輪山の神「天照国照日子天火明奇甕玉饒速日尊」(あまてらすくにてらすひこあめのほあかりくしみかたまにぎはやひのみこと)、物部族の主「大物主」です。その名を布留(ふる)と言います。
今の天照大御神(あまてらすおおみかみ)、つまり「大日霊女貴尊」(おおひみこむちのみこと)には別名があります。「御」の字をつけて表記されているものがあるのは「み」が女性をあらわす記号になっているからです。大和では本来「天照大神」(あまてらすおおかみ)でよかったはずです。その名がさす対象が饒速日尊であるならば。
そのおくりなを「撞賢木厳御魂天疎向津毘売尊」(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)と言います。この文字列のなかに彼女の本名が載っています「向」(むかい)です。「津」というのは、「耳」とおなじような彼女の人物像を伝える記号のようなものだと思いますが、はっきりしたことが私にはわかりません。
彼らが少年少女だったころは、「おーい、むかい、ごはんだよ」とか、「おい、ふる、喧嘩するんじゃない」みたいな会話がなされていたんだろうなと空想すると味わい深いです。
ヤマト民たちにとって「ふる」は同じ部族血族者たちですから、先祖を地元で祭るのは当然です。「むかい」は「ふる」の親戚になりましたが、彼女が属している部族集団はもともとは遠くから来た人々です。「日向地方民の太陽秘儀参入者」だった「むかい」の親族集団は「あらたな地元になる土地」で、二人の太陽の秘儀参入者を「同じ地域で祭ること」を拒絶されたのです。そこで最終的に伊勢に祭ることに落ち着きました。
そして長い歴史時間が経過したあと、大和に新しい政変が起き、もともと「大和地方民の太陽秘儀参入者」だった「ふる」の名前が差し押さえられる時代が到来したのでした。 -
前回のchouchou関連記事の続きです。
前回、「最果て」という言葉にこだわって書いた箇所がありましたが、その後、ネットでインタビュー記事を読んで、「あ、つながってんじゃん、おもしろいな」と感じたことがあったので、追加記事上げときます。私が読んだのは以下の記事。
chouchou インタビュー
注目箇所は以下。
それで初めてutakataを作ってジュリエットに歌ってもらったら結構二人とも気に入って「これはいいよね、これは今までにない感じで独特なジャンルになりそうだよね」ってなって。それですぐに2曲目、当時僕がやりたくてやれなかったアレンジなんかを「だって別に良ければいいじゃん、誰にも文句は言わせないぜ」って感じで自由に作ったのがsignでしたね。(引用終わり)
ということでまずは記念すべき初コラボ作品の「utakata」
(2019年のアルバム「Farewell,Astronauts」のアルバム名を連想させる「astronautsっていう歌詞がすでに出てるね。)
「今までにない感じで独特なジャンルになりそうだ」というアラベスク氏の感想はまさにその通りだった。で、つぎの共作がINSOMNIA所収のsign(「NARCOLEPSYには「sign 0」と「0」が加わった別バージョンが入っている。)
INSOMNIAもNARCOLEPSYも2009年に出たアルバムで、これは「ずっと覚醒し続けている状態」VS「たえず眠り込もうとしてしまう状態」というように対立する症状を英語でアルバムタイトルにしたということだ。このことに気が付いた時、私はシュタイナーの『悪の秘儀』内の記述を思い出した。
ルドルフ・シュタイナーの『悪の秘儀』にはこういう文章が出てくる。
精神という観点から観察してみると、私たちは目覚めているとき、硬化する方向へと向かう力を備えています。目覚めているとき、私たちは自分の肉体をしっかりと捉え、手足を使用します。そして私たちは眠りにつくときに、肉体の中にある、軟化させたり、若返らせたりする力を働かせます。すると、私たちは夢の中へと沈んでいきます。このとき私たちは、もはや自分の肉体を意のままに支配することはできません。つまり私たちは、「人間というものは本来、あまりにも軟化しすぎるか、あまりにも硬化しすぎるか、どちらかの状態に落ち込む危険に絶えず曝されている」と言うことができるのです。(P23)
で、そのあと「だからフォースにバランスをもたらす必要がある」という趣旨で話はつづく。
この歌の歌詞に「例えば今世界が終わり私の名がかき消されたら探して」って箇所がある。
これってまさに「world's end girlfriendのつぶやき」つまり「世の終わりにいる(誰かの)恋人=彼女のつぶやき」じゃん。world's endは「世界の終わり」とも「最果て」とも訳せると前回の記事で書いた。そしてworld's end girlfriendというミュージシャンが日本に実在して(一番好きなアルバムは「LAST WALTZ」)、自分は「最果ての彼女」と勝手に訳して受け止めていた、という趣旨のことも書いた。
そしてアルバム「Farewell, Astronauts」でまた「world's end lullaby」という題名の曲に出会う。
で、最新作が「最果のダリア」(world's end dahlia)だ。
実に面白いと思う。彼らが影響を受けた先行のミュージシャンとして「at eden」や「sputnik」という曲を書いた新居昭乃の名前は出ていなかったけど、まったく関連性がなかったとしたら、それはそれで興味深い事実。
さらにインタビューを読んで驚愕したのが、ボーカルのジュリエットが「ドイツ語のように聴こえるけど、comaは、日本語アナグラムの架空の言葉だ」と言った箇所。えー、じゃあ、彼女は菅野よう子&新居昭乃コラボ曲の「wanna be an angel」同様、「人工言語(つまり天使語?)で歌ちゃったの」とますます興奮した。アナグラムということは「日本語解読できる」ということだろうけど、私は、まだ解読版歌詞にはネット上では出会っていない。
ジュリエットの歌唱法は基本ささやきボイス系だと思うけど、曲によって歌い方を変えてるところが面白いよね。声優的というか。ALEXANDRITEのCatastropheとかは高校生の女の子が歌っている感じ。
いろいろなアルバムを聴きながら、一番大きい連想はやっぱ新居昭乃とのものなんだけど、なぜだか声優の能登麻美子のささやきボイスも連想した。Catastropheの声と能登麻美子はつながるか? といえばNOだな。なのにchouchouが出している多数の楽曲全体を通して聴いていると、なんでかそう感じたのだった。声に関して、chouchou→新居昭乃、新居昭乃→能登麻美子(「きれいな感情」とかかな?)の2通りの連結がchouchou→能登麻美子と連結したんだろうな。
能登麻美子はあまり歌を歌っていないようだ。CD類はあるけど、ドラマCDがほとんど。YouTubeでこういうのを見つけてきた。サムネイルはあの有名な、彼女が主演した「地獄少女」。
「うーん、新居昭乃と接続までは分かるけど、なんで能登麻美子なのかわかんねえ」というのがやっぱ読者の感想なんだろうなあ。まあ、「曲を聴いている最中に喚起される印象」のなかにそういう連想感覚も起きたということなので、そういう連想感覚は人によってもちろんちがうだろうから、この辺の感覚は、突っ込まずにもうほっといてほしい。
P.S. 能登麻美子「連想感覚」に関してその後、「あ、これが〈体験の海〉の中から一番プッシュしてきてたんだな」と思ったのだった。きっとそうだ。以下lovers & cigarettes
chouchouは教会音楽系もやっている。「アベ・マリア」については大昔、スラヴァのアルバム関連で当ブログでも取り上げたことがあったね。chouchouの「アベ・マリア」もなかなかいいよ。でも、私が「どはまりした」のは「 O come O come Emmanuel」だった。エマヌエルというのはイエス・キリストのことだ。まずは一般的な音源で聴いてみたい。
これだと、たんたんと最後まで聴けるよね。ところが、chouchouバージョンはアレンジに仕掛けがしてあるので、曲の後半で「思わず高まってしまう」ことを避けることができない。実際、ある時期私はこの曲ばかりリピート再生して、「高まって」いたのだった。3:16からがやばい。この箇所があったので、何度もリピート再生する(いわゆるオーバードーズ状態?)はめになってしまったのだった。
ということで、映画やドラマやアニメや音楽や絵画やらコミックやら、なにかしら創作をやっている人々はインスピレーション(やってくるもの)を無意識に地上に可視化可聴化する仕事をしている人々なので、そういうものに定期的に触れる生活は維持していきたいものだ。「若者だから老人だから」に関係なくね。