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ヨーロッパでスウェデンボルグが心霊家として活躍し始めたのが18世紀の後半だった。ちなみに、彼が28歳のとき日本では徳川吉宗の享保の改革が起き、彼が亡くなった年の1772年には田沼意次が老中になっている。すでにヨーロッパ人たちが近代化に邁進していた時代である。多くの西欧人たちの心から「敬神の念」が薄れていきつつあった時代に彼は登場した。彼は「続 霊界からの手記」(タツの本)の中で「世間の人々の中には、初めからあの世なんて存在しない、世界とはこの世だけだと考えている人も少なくないのは私も知っている」(P26)と述べている。唯物論者が幅をきかす時代が幕を開け始めていた。
スウェデンボルグがいわゆる「霊に目覚めた」のは50歳半ば近くになってのころだった。それは見知らぬ男との出会いから始まる。「霊界からの手記」(タツの本)によると以下の通りである。------------------------------------------------
私が霊の世界に導かれる最初の機縁となった不思議な経験のことを少し述べておこう。忘れもしない二十数年前の夏の夕べのことであった。このころ、私はある用向きのため故国スウェーデンを離れ、海をへだてた異国イギリスの客舎で初老に入ろうという身でひとりわび住まいをしていた。その夕べ、私は街にでていつもの店で夕食をとっていた。そのとき、店にはほかに客はなく、客は私ひとりだけであった。
食事をすませた私は、今夕は、やや食べ過ぎたかなと思いつつフォークをテーブルに置き、くつろいでいた。
不思議な経験はこのとき起きたのである。
私が食事をとっていた部屋の床面いっぱいに、蛇やガマガエルなどの気味の悪い生き物が突然湧いてでた。私は気もどうてんするばかりに驚いた。だが、しばらくするとこの気味の悪い生き物の姿は消えてなくなり、そこに、それまで一度も会ったことのない異様な雰囲気をただよわせた人物が現れた。
彼は私に告げた。
「汝、あまりに食を過ごすなかれ」その人物は、私にこれだけいうと私の視界からかき消すように消え、そのあとには雲や霞のようなものが部屋中にただよい、私もその中に包まれてしまった。そして、すぐ雲や霞も消え、私は前のように部屋の中にひとりいる自分を発見した。
私は急いで宿に帰った。だが宿の主人にはなにも話さず自分の部屋にこもって、いまの奇怪な経験について考えた。私は体や心の疲れかなにかの変調のせいかと考えてみたが、そんなことでないのは私自身が一番よく知っていた。
しかし、健康で現世の用向きに忙しかったそのころの私は、このことを深くは思いわずらわず、すぐ眠りについた。翌日の夜には、もっと驚くべきことが起こるとは思いもよらずに……。
翌日の夜、この不思議な人物は再び、今度は私が眠りにつこうとしたベッドのそばにあらわれたのである。私の驚きと恐怖がどれほどのものであったかはいうもおろかであろう。驚きと恐怖にふるえている私に対し、彼はつぎのように、さらに驚くべきことを告げたのである。
「われ、汝を人間死後の世界、霊の世界へともなわん。汝、そこにて霊たちと交わり、その世界にて見聞きしたるところをありのままに記し、世の人々に伝えよ」
この不思議な人物には、その後この世ではもちろん霊界、死後の世界でも一度も会わない。いまの私には、あれが世の人々のいう神というものであったのか、それとも私自身の気づかなかった私の心の中の霊であったのかとも思うが、それはさだかにはわからない。ただ、はっきりわかるのは、私がこれを機縁として人間の死後の世界、霊の世界へ出入りするようになったことだけである。(「スウェデンボルグの霊界からの手記」タツの本P24-P26)
---------------------------------------------------彼は見知らぬ人物から「世間にメッセージを送れ」と命令され、スウェデンボルグ言うところの「死の技術」を得て、その要請を忠実に実行して人生の晩年期を生きていく。
この「霊界からの手記」のなかで彼は「死者はまず精霊界で精霊となり、その後、霊となって霊界に入る」という趣旨の説明をしている。つまり、日本語的な概念で言い換えると、成仏以前の死者を精霊と呼び、成仏以後の死者を霊と呼んで区別しているのである。だから彼によると「精霊界」は厳密に言うと「霊界」ではないということである。そして、われわれ日本人が大好きな怪談話で出てくる「幽霊たちが引き起こすさまざまな問題」は未成仏霊が引き起こす現象だと説明している。日本では精霊界のことを中有界と呼んで区別している本もある。
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この世の人間が死んで、まず第一にその霊がいく場所が精霊界である。人間は死後ただちに霊となるわけではなく、いったん精霊となって精霊界に入ったのち、ここを出て霊界へ入り、そこで永遠の生を送る霊となる。精霊が人間と霊の中間的な存在であるように精霊界も、人間の世、この世の物質界、自然界と霊界との中間にある世界なのである。(「霊界からの手記」P45)精霊界は少なくとも精霊たちの意識のうちでは、人間界と少しも変わらないところだといってよいくらいに似ている。(「霊界からの手記」P47)
現代の人びとに、それもごく限られた人にだけだが、直接的な霊との交流が可能なのは、まだ本当の霊にはなっていない精霊との対話だけである。(「霊界からの手記」P201)
精霊と人間との直接の対話が、人間にとって非常に危険な理由は、精霊はまだ精霊界での選別をへた霊でないため、中には凶霊も少なくないこと。また、精霊には、まだこの世にあった人間のときの記憶がかなり残っているため、これが対話の相手の人間に害をあたえることがしばしばあることのふたつによるものである。(「霊界からの手記」P202)
死んだ人間は死後の第一状態から第二、第三状態へという変化を経験しつつ本物の霊になって行く。この変化は霊界における一時的な居留地・精霊界で行われる。第三状態に至れば初めて本物の霊になるわけだが、その前の第一、第二状態ではまだ彼は人間と霊の中間とでもいうべき存在に止まっている。だから第一状態、第二状態のころの彼はまだまだ人間だったときの「尻っぽ」を強くつけているといってもいい。
霊が人間の生活に大きな影響を与えていることは前章で述べた。しかし彼らが与える影響にはいい影響もあれば悪い影響もある。このように一口に霊の与える影響といってもさまざまなものがあるのは、ひとつには彼が善霊か悪霊か、霊界のどの団体に属しているかといったことによる。しかし、他方では彼が死後のどの状態にいるかによっても違ってくるためだ。
前章で私は自分の死さえまだ自覚していなかったスウェーデン国王の例を上げたが、このときの国王はまだ人間にもっとも近い第一状態にいた。そして、このような状態にいる霊は人間にもっとも近いだけに人間にもっとも強い影響を与える。
第一状態から第三状態までの変化に要する時間は霊によって相違し、数カ月の者もあれば数年かかる者もある。中には数十年も第一状態に止まっている霊もあり、こういう霊は仏教的ないい方でいえば成仏できない霊である。世間には数十年も前に死んだ者の霊が幽霊になって出没したり、そのほかさまざまな気味悪い現象を起こしたり、いわゆる「たたり」をもたらしたりといった現象がよくある。そして、これは誰でももっともよく知っている現象である。これもその霊が人間に強い影響を与える第一状態にずっと止まっていることから起きる現象にほかならない。(「続 霊界からの手記」p69-P70)
---------------------------------------------------スウェデンボルグは本書の中でまず精霊界を描写し、続いて霊界を描写するのだが、その霊界の様子は以下の通りである。
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眼に入るのはどこまでも続いているかわからない赤茶けた色の広漠たる世界----それは砂漠のような感じもしたが、それとは明らかに違うものだった----が広がっており、私はその中に、夕闇のようなうす明かりの中にひとりいるのだった。この世界には、まったくなんの生命あるものの存在も、そのかけらさえ感じさせるものはなかった。それは、まさに永遠の死の世界だった。(「霊界からの手記」P64)
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これと似たような霊界描写をしているのが宜保愛子である。---------------------------------------------------
霊界とはどんなところなのでしょうか。霊視でこれまで見てきた霊界の様子をご説明しましょう。まず、霊界には、朝、昼、晩の区別はなく、夕方より多少明るいかなという感じです。しかも、季節などありませんから、寒くも暑くもない、どんよりとしたところです。ギラギラと太陽が照るということもないのです。そして、赤土のおまんじゅうのような山また山が広がっています。高い山はなく、丘陵がどこまでも続いています。緑の樹や草はほとんどなく、ただほんの少し小さな雑草が生えているだけです。大きい木などはどこにも見当たりません。(「死後の世界」P62)
---------------------------------------------------ただ二人とも霊界で最初に見る世界はそういう世界だが、その後別の世界が現れると述べている。
また地獄についての説明も似ている。
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地獄の霊とても人間だったときの悪業に対する刑罰として地獄に落とされ、そこで刑罰を受けているわけではない。地獄の霊は地獄が自分に合っているがゆえに自分で自由に地獄を選んでそこに行くということであった。(スウェデンボルグ「霊界からの手記」P95)
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地獄へと行くべき霊は、ひとりでに自然に足がその方向へと向いていくのです。だれかに選別されて地獄への道を歩くのではありません。霊が霊界に着くと、あらかじめそれぞれの霊のために用意されている道があるわけです。霊界で進むべき道は、現世ですでに決定づけられています。現世での生きざまそのものが、霊界での道に続いているともいうことができます。(宜保愛子「死後の世界」P58)
---------------------------------------------------宜保愛子の場合、死者はずっとひとりぼっちで、ひたすら「変化のない世界」をとぼとぼと歩き、最後に来世に到るという趣旨のことを述べているが、スウェデンボルグは「思想や宗教を同じくする人々が集団を作って生活している」という描写をしている箇所がある。
シュタイナーは死者は社交期と孤独期を繰り返しながら死後の生活を送ると述べている。社交期は人間の生活の昼、孤独期は夜にあたるとも言っている。
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魂はいろいろな状態を体験していきます。魂はいつでも自分の霊的な照明力、創造力を環境へ向けて放射し、それによって周囲の神霊たちを体験できるようにするのではありません。この状態は、照明力が放射できないように感じられる状態と交替するのです。この状態のときの魂は内的に鈍くなり、もはや光を放射できず、その全存在を内に向け、まったく孤独な生活を体験します。ですからちょうど日常生活において、眠りと目覚めが交替するように、死後の魂は、外側へ流れ出る生活と内的な孤独の生活とを交互に繰り返すのです。(「死後の生活」P63)
----------------------------------------------------「新耳袋」には父親に話しかけてくる亡くなった幼い娘の話が出てくるが、父親が「あの世ってどんなところや?」と訊ねると「お花畑みたいなところもあるけど、真っ暗なところやで」と娘が答えたという話を伝えている。今までの話となにがしか関連性を感じる報告ではある。
宜保愛子とスウェデンボルグの霊界描写の違いは両人の霊視能力の差から来ているのではないかと私は考えている。シュタイナーは、死者の道行(精神の変化と成長にともなう行動領域の変化)を霊界の惑星軌道によって説明している。そこから考えると、宜保愛子は「水星領域までの霊視者」であり、スウェデンボルグは「太陽領域までの霊視者だった」と言えるのではないかと思う。認識の領域の範囲が拡張すると今まで見えなかった高次の霊(そして深遠なる摂理)を認識できるようになる。宜保愛子もスウェデンボルグも通常の人間では体験しえない体験を持ったわけだが、二人にとっても「まだ認識しえない世界・霊眼に映じてこない世界・さらに遠くへ達する惑星領域」というものはあったのである。しかし彼らの「体験報告」には素直に耳を傾けたい。人間は死後、自分自身を拡張させて、順次行動領域を地球自身から月の軌道範囲、水星、金星、太陽、火星、木星、土星の軌道範囲まで広げていくという記述をシュタイナーが行っている。ただしこの惑星軌道はコペルニクスの惑星観(現在学校で学習しているもの)ではなくプトレマイオスの惑星観による。
これについては次回披露しようと思う。
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お盆の時期なので、それに関連した記事を書こうと思う。
宜保愛子は「死後の世界」の中で「供養の大切さを訴えるのが私の使命」と書いている。「供養」という言葉を使うと仏教的な様式のイメージがたちまちにして沸き起こり、拒絶的な感情がわきあがってくる人もいるだろうが、宜保愛子の言う「供養」という言葉について要約すれば、つまり「かつてあなたと交流のあった死者たちのことを温かく思い出してあげなさい」ということだ。
死者を思い出すためのシステムは日本においては「仏教」がおもに担ってきた。仏壇というものが各家庭に入ってきた時期については調べてみないとよく分からないが、まさにこれは「Remember The Dead」のために作られたものだと思う。
このような「習慣」は日本独特のものなのかと言えば、どうもそうではないようだ。たとえばルドルフ・シュタイナーは「精神科学から見た死後の生」の中でこう書いている。
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比較的最近まで、生者と死者とのあいだのいきいきとした交流が、今日よりもずっと活発だったことが見出されます。生者と死者との交流は、次第に困難になってきました。中世のキリスト教徒、何百年か昔のキリスト教徒は、祈るとき、先祖や亡くなった知人のことを思ったものです。当時は、祈る人の感情が今日よりもずっと力強いものであり、死者の心魂へと突き進んでいったのです。
昔は祈りのなかに、死者のことを思う人々から、暖かい愛の息吹が流れてくるのを、死者たちの心魂は、容易に感じることができました。今日のような、外的なことがらばかりが重視される文化では、死者はそのような愛の息吹を感じられなくなっています。今日では、死者たちは生者から断絶されています。地上に生きている者たちの心魂のなかで何が生じているのかを見るのが、死者たちには大変困難になっています。(P124-P125)
私たちが死者に対して抱く愛、あるいは単なる共感でも、死者の歩む道を楽にし、死者から妨害を取り除きます。(P128)
死者が知ることができる人々は、知己に限定されます。地上で出会ったことのない人々の心魂は、かたわらを通り過ぎていき、死者はそれらの心魂を知覚しません。(P175)
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宜保愛子が著書のなかで何度も繰り返して強調してきたことがまさに「私たちが死者に対して抱く愛、あるいは単なる共感でも、死者の歩む道を楽にし、死者から妨害を取り除く」から、「死者を思い出すことによって死者が歩む道を照らし助けてあげてください」ということだった。くわえて宜保愛子はあの世で地獄的な道行に陥っている人々のことをとても心配していた。あの世でそのような立場に陥っている人々のことを忘れてはいけないというのだ。
こういう発想についてはシュタイナーが、さきほどの著書の中でこんなことを書いている。
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だれかが他人を憎んだ、あるいは、他人に反感を感じたとしてみましょう。憎まれた人、反感を持たれた人が死んだとします。そうすると、その人を憎んだ者、その人に反感を持っていた者は、その人をもはや以前と同じように憎むことができなくなったり、もはや反感を持たなくなったりします。
自分が憎んでいた人が死ぬとします。その人が死んだ後も、その人への憎しみがなくならないとしたら、繊細な思いやりある心魂は、この憎しみ、反感を恥じます。このような感情を、透視者は追っていくことができます。そして、「なぜ繊細な心魂は、死者に対する憎しみまたは反感を、恥ずかしく思うのだろうか。そのような憎しみを持ったことが、人に知られていない場合でも、そのような恥の感情が生じるのはなぜか」という問いが立てられます。
死の扉を通過して精神世界に赴いた人間を透視者が追っていき、地上に残った者にまなざしを向けると、死者の心魂が生者の心魂のなかにある憎しみをはっきりと知覚・感受するのが分かります。比喩的に語れば、「死者は憎しみを見る」のです。
そのような憎しみが、死者にとってどのような意味があるのかも、私たちは追及していけます。そのような憎しみは、死者の精神的な進化におけるよい意図を妨害するものです。地上で他人が目標を達成しようとするのを妨害するのと同じような妨害なのです。死者は、その憎しみが自分の最良の意図を妨害するものであることを知ります。これが精神世界における事実です。
こうして、心魂の思惟のなかで憎しみが消滅していくのが分かります。自分が憎んでいた人が死ぬと、恥を感じるようになるからです。
透視者でないと、何が起こっているのか、知ることができません。しかし自分を観察すると、「死者は私の憎しみを見ている。私の憎しみは、死者のよい意図を妨害するものなのだ」という自然な感情が、心魂なかに生じます。
精神世界に上昇すると、そのような感情を生み出すもとになっている事象に注目できます。そのようにして明らかになる深層の感情が、人間の心魂のなかにはたくさんあります。地上にある多くのことがらを、単に外的-物質的に観察しないようにし、自分を観察して、「死者から観察されている」と感じると、死者への憎しみが消えていきます。
私たちが死者に対して抱く愛、あるいは単なる共感でも、死者の歩む道を楽にし、死者から妨害を取り除きます。(P128)
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「人は死んだらみな仏様になる」という発想を土台に宗教生活を営んできた日本人には非常によく分かる感覚である。私は子供時代、親類の集まりで死者のことをそしる人に「もうこの人は仏様になったんだから、その人の悪口を言うのはやめないさい」とたしなめる別の親類がいたことを覚えている。死者に対してこういう接し方をする日本人に、あなたも子供のころ、どこかの場面で遭遇した経験があるのではなかろうか。
こういう繊細な感覚については日本全国津々浦々共通のものがあったと思うが、宜保愛子が90年代に登場してきた当時の日本の「精神状態」はどういうものだったのだろうか。高度成長期からバブル時代とその崩壊、そしてそれに続く没落の時代にかけて、日本の人々はかなり「あの世への関心」を失っていたのだろうと逆に思われる。あの世はそれを憂えていたのではなかろうか。だから宜保愛子は「メッセージ」を伝えに「あの世からこの世に派遣されてきた」のではなかろうか。
有名人になる以前この人は学習塾の経営者兼先生をしていた人だった。テレビ番組を見れば分かるとおり、大柄で海外へ出ると通訳をつけずに英語を自在にあやつる。本人は「ヨーロッパ人から日本人に転生した」と考えている。
かつてヨーロッパ人として生きてきた人が、何度か日本人として転生し、庶民の間でずっと伝承されてきた「日本の伝統的な仏教的センス」を学んだあと----彼女の先祖はお寺さんだった----「死者を思い出しなさい」という言葉を伝えに現れたと私は思っている。
次回は「スウェデンボルグと宜保愛子」のテーマで書く予定です。
p.s. 1 日本神道確立時代(律令国家成立時代)以前の日本人の宗教感覚とその習俗は、その多くが古代に日本にやってきてその後独自な発展を遂げた日本仏教の行事の中に流れ込みぼんやりと反映している。たとえば日本の古代の人々(アイヌの人々もまたそうである)が知っていたことのひとつに「あの世は(シュタイナーの言うアストラル界)逆さまの世界として現れる」というのがある。日本人は死者の死装束を生きている時とは逆向きの左前にしつらえるが、これは古代から受け継がれてきた作法のひとつであろう。
アイヌの人々が「死後の世界」をどのように眺めていたかは梅原猛の「古代幻視」(文春文庫)に以下のような報告がある。「アイヌの信ずるあの世は、この世とあまり変わりはなく、ただこの世と全てがあべこべであるという違いがあるだけである。この世の右が左、左が右、昼は夜、夜は昼、夏は冬、冬が夏という違いがあるだけである。死ねば、人は祖先の待っているそういうあの世へ往き、しばらくあの世に滞在して、また同族の子孫となってこの世へ帰ってくる。」(P21)
古代、のちに日本と呼ばれるようになる土地に住んでいたさまざまな種族に属する人々は、仏教によって輪廻思想を学んだのではないのである。
p.s.2 神社は超越的存在あるいは超人を祭る場であって、庶民個々人の「死後の生活」についてなにひとつ「手当て」をしてはくれない。だから日本伝統の宗教が神道であったというのは一面の真理ではあろうが、一方で古代の日本人たちは「自分たち自身の死後の生活」のための別系統の儀礼ももっていたのだ。だがそれは現在にいたるまで決して「大声」で語られることはなかったのであって、それはいつも大きな物の裏側に隠れて維持されてきた。学者はその大きな物を神道だとか儒教だとか道教だとか仏教だとか呼んでいるにすぎない。そして学者たちは「日本人の宗教観にはこれらの影響があった」としたり顔で解説をしている。
p.s.3 祓い思想を前面に打ち出す現在に伝わる神道は、空から音を立てて平原に激突し、そのあたりにあったさまざまな遺物を焼き払って直径数百メートルもの巨大なくぼ地を作る隕石のようなものである。もともと内部にあったものは砂煙となって外側に吐き出される。そこに超越的存在があらたにすえられる。砂煙になって舞い上がったものは、大気に混じりこみ、「庶民がそれを吸い庶民の肺のなかでひそかに維持されてきた」。比喩的に表現すればそういうことになるのだろう。現代人である我々もその「古代に吹き飛ばされ、見えない空気に混じった灰」を吸って生きているのには違いない。ただ「意識できないだけ」である。
p.s4 三木住職が「三木大雲百物語 其の四」のなかでシュタイナーとそっくりな話をしていたので紹介しておこう(6:00を過ぎたあたりから始まる)。
「モニタールーム」のたとえを聞いたとき、以下のシュタイナーの言葉を思い出してしまったのだ。
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生前の死者とともに体験したことを、具象的にいきいきと思い浮かべて、その思考を死者に送ろうとすると、その思考は死者のところへと流れていきます。心魂に浮かぶそのイメージを、死者は一個の窓のように感じます。その窓をとおして、死者は地上世界を覗くのです。私たちが思考として死者に送るものだけが、死者のところに到るのではありません。そのイメージをとおして、全世界が死者のところに現れます。私たちが死者に送るイメージは一個の窓のようなものであり、その窓をとおして、死者は私たちの世界を眺めます。(「精神科学から見た死後の生」ルドルフ・シュタイナーP77)
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もーほんとに暑くて暑くてたまらないこのごろ。
そういうわけで、涼しくなるためのツールとしてのホラー映画や怪談話のお世話になりっぱなしなこのごろ。
YouTubeやGYAOなんぞで稲川淳二の話をまた聞いたりするわけです。
そんななか三木大雲というお坊さんの怪談がYouTubeにあがっているのに気がつきました。これがけっこういいです。
なかでも呪いの人形の話(「土産」)が「実にいやな感じ」でインパクトありました。
300万円のオレオレ詐欺の話(三木大雲の百物語1)もまたいやーな感じでよかったです。「三木大雲の百物語」というシリーズがぽつぽつとYouTubeに上がり続けてますので、これはぜひとも「百話」までやってもらいたいですよ。
この和尚さん、素人の怪談グランプリで準優勝だったそうで、稲川淳二さんから「練習しずぎましたね」と言われたとか。
この人は小さいころから特殊な方面で霊感が働くようで、「死のにおい」(つまり「この人は死にかけている」ってこと)がわかるそうです。(えっ、「死神の匂い」?もしかして。でも「ごげついたような、すっぱっぽいにおい」とは違うようです、住職の場合。」)
なんか顔がいいですよね、三木さん。信頼できるお坊さんというか。
p.s.1そういうわけで調子に乗って三木大雲和尚の文庫本(怪談和尚の京都怪奇譚)まで買ってしまいました。
p.s.2 ワタシ、宜保愛子さんも好きなんですが、YouTube少ないですねえ。著書を読んで気がついたのですが、あの世(中有界=精霊界ではなくて霊界)の描写(赤茶色の荒涼とした景色)がスウェデンボルグと同じなのが非常に興味深かったですよ。
p.s.3 「新耳袋」の木原浩勝・中山市朗コンビは本のなかで怨念系というか因縁復讐系は意図的に載せなかったと書いてましたけど、今度世に出すべき本は、そのまだ世に出していない「怨念系列」の話じゃないでしょうか。霊視によって見えてきた因縁話を書いてきた宜保愛子さんの本(「死後の世界」)はほぼ怨霊の復讐劇ばかりでしたしね。
p.s.4 大津中2自殺事件では越市長が夕方のTBSのニュースに生出演した際、顔面部の画像だけが何度もゆがむなどという面妖な事件もありました(まさに「ほんとにあった呪いのビデオ」を地で行く感じです)。偶然とは思えないんですよねえ、これ。
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今でこそホラー系のショートドラマがたくさん作られるようになっているが、一昔前はそうじゃなかった。
最近は映画監督としての稲川淳二の活躍をみることができないが、稲川淳二は過去積極的にフィルム製作をやっていたのだった。
映像的に私が好きな稲川作品と言えば、「心霊」のなかの「首なし地蔵」と「稲川淳二の恐怖物語6」の「鬼女霊」なのだった。
この映像作品の共通点は何かと言えば、
ともに主演が「鬼気迫る中村恵美子」
であるということだ。この中村恵美子という役者の持っている雰囲気がものすごくいいのだった。
もし小学生のころ、テレビの深夜番組でこの2作品をみたら、一生忘れられないトラウマ体験になっっていたんじゃないかと思う。大人になって見ても、強い印象が残ったのだから。とくに役者としての中村恵美子の顔は忘れられない。
いつまでもいつまでもこころから離れない衝撃のカットは「鬼女霊」の横顔の変化を追っていくシーン。
暗闇の中からぼんやりと姿を現す女の横顔。この直後、子供を奪われ殺されて怨霊となったこの女は、歌舞伎のごとく、効果音とともに目をかっと見開く。そして徐々にこちら側に視線を移してにらみ続ける。眼力だけで演技をするシーンである。
「すげー、なんて戦慄的で斬新なカットなんだろう」最初にこのシーンを見たときはその絵の作り方にほんとに感激した。
上に掲げた写真はまだ目を閉じている最初の方の横顔のシーン。ほんとの戦慄体験はこのあとやってくる。なので、この続きを見たい人は作品を手に入れて見てください。
「心霊」の方はDVDが出ているので比較的に手に入りやすいが、「稲川淳二の恐怖物語シリーズ」はDVDになっていないんじゃないかと思う。だから、興味がある人はネットオークションとかアマゾンの中古VHSなんかを探して手に入れてみるといい。
ところで、ネットで検索しても中村恵美子さんの情報ってほとんどないんだよね。今何をされてるのだろうか?
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昨日(6/22)奇妙な体験をした。
目を覚ましてぼんやりした頭で起き上がり、ベッドにしばらく腰掛けていた。だが、いっこうにぼんやりした頭ははっきりしない。
私は再びまくらに顔をつけてベッドにはらばいに寝てしまった。しかし、なぜか閉じたまぶたの黒いスクリーンをじっと見てしまったのだ。すると、いままで起きたことのない現象がまぶたの中で生じた。
黒い世界の真ん中に小さく色彩が現れたのだった。
「あれ、何だろう」と、しばらくそのまままぶたの黒い世界を観察していると、色彩を上から覆っている黒いベールが中心から外側に向けてさーっと円状に広がりながら後退していき、ついには、閉じていたまぶたの裏側全体に広がった。
それは色彩の世界だった。そのなかに人物絵が現れたようにも見えたのだが、色彩が全体に広がったのは、ほんの一瞬だったので、それは私の視界全体に達するとすぐに消えた。
ふたたびまぶたの裏側は黒くなった。また何か色が現れるかと待っていたが、もはやなにも起きなかった。
上下の絵はそのイメージ図だが実際にはもっと直線でできた図柄にさまざまな色が載っていたように思う。だから、私が見たものは、この絵とはまったく似ても似つかないものだが、あとで思い出した印象がこんな感じなので、説明の便宜のために一応図示してみることにした。
普通、人は目を閉じて何かをイメージしようとするとものすごく苦労する。何かを思い浮かべたつもりでも、実際にはまぶたの裏を総天然色でいっぱいにすることなどまず無理だ。ためしに富士山の絵柄を背景も含め、画面全体がすべて総天然色になるようにイメージしてほしい。「ありありとした全体像」はまず維持できない。
だが、今回の体験では「こっちはなにも意志しなかったのに、勝手に向こうから色彩が現れ、みるみる広がった」ように思えたことだった。私は確かに色彩を全体的に見たのだった。
私は何一つ「意志」しなかった。それは夢に似ている。夢の像も「向こうから勝手に現れる」のだから。だが私はそのとき、眠ってはいなかったのだ。ただ完全覚醒状態かといえば、目をさました直後に起きた出来事だという条件は付く。
皆さんにはこんな体験があるだろうか。「これって何だろう?」などと考え込まず、「別になんでもないや」と、無視しようと思えば無視できる体験。きっと3日もすれば忘れてしまうようなトリビアルな出来事。そういうわけで、書いておかないときっと忘れてしまうと思い、今回こうして報告することにした。
p.s. そうそう今年初めてやもりを見た。6/6の夜10時くらいのことだ。職場の倉庫のドアにしばらく現れ続けたやもりの話は以前、写真付きで紹介した。だが6/6に見て以来、一向に現れない。次はいつ現れるのだろうか?
p.s.2 「次はいつあらわれるのだろうか?」と書いたら(6/30)、なんとあれから(6/6)4週間ぶりに「やもりん」が姿を現してくれた(7/3)。しかも明かりのついている部屋の窓を外側から悠々と横切って消えたのだった。
やもりん、窓を右下から斜めに横切るの図
窓の向こう側は倉庫になっているのだが、今までこんなことは一度としてなかった。こんな明るい窓の向こう側に堂々と姿を現すなんて。なんかチョー感激したというか、うれしかったよ。ゆるゆると歩きながら「アンタがオレのこと気にしてたから、ちと挨拶しに来てやったぜ」とかつぶやいているのだろうか。
p.s.3 やもりんは、その日の夜は「定位置」(倉庫の入り口ドアのガラス窓)に姿を現さなかったが、次の夜からずっと定位置にはりついて、私が帰るのを見送っている。