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ここ数年、身辺関係がなにかと問題が多く、音楽関係に没頭できない日々が続いております。以前は、光でネットアクセスしていたんですが、今住んでいる家には----実家ですが----高速インターネット回線はないので、こうして1週間に1回、おもに日曜日にネットカフェに出向いて、30分200円(個室300円)か60分400円(個室500円)でネットチェックしている状況です。実家からはniftyの3時間/1ヶ月約1000円の電話回線接続サービスに新たに加入して、オークション状況チェックなどに使っております。(もちろん、低速回線ですから、ギャオとかには使えません。)
以前住んでいた家は奇妙な家でしたが、出るときに大家さんに天井裏の神棚の話をしたら、「私たちが上げたんです」と答えましたが、実際には天井のどの辺りにあるのか知らなかったので、まだ隠してることもあるのだろうと思いました。「出るときに、下ろしていってくれませんか」などと言うので、「なんで、オレが」と思いましたが、大家さんは一人暮らしのクリスチャンのおばあさんなので----私が借りていた家の隣の2階建てに住んでました----、いやいやながらも「いいですよ」と答えてしまったお人よしのオレでした。
以下、その天井裏にあった神棚を携帯で撮った写真です。この下で約12年暮らしました。
結局、「ゆうれい」には一度も遭遇しませんでした。
p.s.ただし引っ越す少し前に、「後から確認したら、もしかしたらソレ系の体験」だったのかな、と思われる体験はあります。「ほんとにあった!呪いのビデオ boundhead編」にて動画公開中。
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「ネットの海は広大だ」とは「ゴースト・イン・ザ・シェル」の草薙素子のセリフだが、ネット上に無数に散らばっているアマチュアやインディーズの音楽作品をひとつひとつ丁寧にチェックするなど不可能である。私が音楽業界の人間で、給料という代価をもらってほぼ一日をまるまる未知のアーティストの発掘のためのネットサーフィンに費やせるなら、私は365日、それを嬉々としてやるかもしれないが、そのような振る舞いを仕事にしていない私を含めた普通の音楽好きたちにとっては、ほぼ「偶然」にたよるしか「発見の機会」はない。未知の音源探索に割ける時間が非常に限られているからである。
ひさびさNEXT MUSICのサイトを訪れて、アンビエント系のカテゴリーをなにげなくクリックしてまわったら、ひとつだけ心にひっかかったアーティストを見つけた。
matryoshka(マトリョーシカ)である。
覚醒状態から入眠状態へ移行する「まどろみ」という第三の意識状態を刺激するような不思議な感覚がある。マトリョーシカを聴いていると、頭から幽体がずれ、そのずれのはざまのなかに何か言葉にできない「感覚・感情イメージ」のようなものが現れるような錯覚をしてしまう。あるいは聴きながらそのまま意識不明になってしまい、そのまま黄泉の国へ行ってしまうとしたら、さぞ気持ちがいいかなあというような感覚。映画「ソイレント・グリーン」では安楽死センターに行った老人が希望して流してもらった楽曲はベートーベンの「田園」だったが、私ならマトリョーシカにしてもらおうかと思う。ひょっとすると、幽界から迎えにきた美しく輝く死の天使が臨死イメージのなかに紛れ込んでくるかもしれない。マトリョーシカが提示したものは、私にとって「お迎えの音楽」なのだ。
私は最初NEXT MUSIC版を上から順番にダウンロードしてCD-Rに焼いて聴いていた。(ただし「Evening Gleam Between Clouds」はmp3データにバグがあるのか、CD-Rに焼くと無音状態になるのでご注意ください。マトリョーシカのオフィシャルサイトに置いてある方は大丈夫でした。)
NEXT MUSIC版は、ボーカルの発音の輪郭がぼやけていて、私にはどこか外の話し声を家の中で聴いているような、あるいは壁を隔てて向こう側から聴こえてくるつぶやき声のようなそんな気がした。あるいは「幽界から聴こえてくる声もこのように音像がぼやけているのだろうか」とも連想した。私はこのはっきりと聞き取れない歌声を好ましく思ってしまったのだった。
私は改めてマトリョーシカのオフィシャルサイトに飛んで、公開されている音楽データをダウンロードし、掲示されている「zatoracenie」の曲順の通りにCD-Rに焼き直して聴いてみた。すると印象がまるで変わり、最初は違うアルバムを聴いているのかと錯覚してしまった。「幽界感覚」が若干弱まって聴こえたのだった。
私のお勧めはオフィシャルサイト版のデータを使ったCD-Rではなく、NEXT MUSIC版を使って最新公開順通りに上から10曲----ただしバグのある「Evening Gleam Between Clouds」は除いて----CD-Rに焼いてヘビーローテーションで聴くことである。やはり「Monotonous Purgatory」(題名の意味はウェブの翻訳機能などを使ってご確認ください)----これは、昔バーバーの「弦楽のためのアダージョ」を聴いたときに感じたのと同様の、ズンと落ち込むようなモチーフを持つ楽曲なのだ----から聴き始めるべきでしょう。以下の順である。
01Monotonous Purgatory
02Gentle Afternoon
03Oblivion
04Hallucinatory Halo
05Viridian
06February Lifesaver
07Anesthetic
08Slowsnow
09Beyond
10Sink Into The Sin
オフィシャルサイト版とNEXT MUSIC版はアレンジと音像に微妙な違いがある。変な話だが、私はぼやけて聴こえるNEXT MUSIC版の方がなぜか好きである。
最近はperfume以外には新しくヘビーローテションの仲間入りはしなかったので、昔の音源ばかり聴いていたのだった----perfumeは、あの「正三角の陣形の中で演じられるロータリーダンス」を見るのが好きだ。perfumeはもっと振付師の功績に注目すべきでしょう、中田ヤスタカさんのほかにも----、マトリョーシカの発見はうれしい偶然だった。 -
アルムの爺さんの人間嫌いや偏屈さをものともせず、いつの間にかジサマを自分のペースに巻き込んで、ついには「ジサマの硬直」を「内包する天然気質」で溶かしてしまった少女がいる。
ハイジである。
こういう少女は誰に対しても「そういう効果」を発揮するのか、はたまた「相性」があるのか、さだかなことは分からないが、このような「ハイジ効果」を発揮する少女なり、女なりは本当に存在する、と経験上から言える。
最近見ているギャオのアニメは「RD 潜脳調査室」のみだが、実は途中から見始めたのだった。というのも、
しばらく自分の気に入るような番組配信がなかったので、ギャオにアクセスしないでいたためだった。
だが話の途中からの視聴参加だったにもかかわらず、私はすぐに蒼井ミナモ(沖佳苗)のファンになってしまった。「RD 潜脳調査室」でキャラクター化された蒼井ミナモ以下、女性キャラたちの重心を下半身側に移したお尻の大きい太め容姿の描き方が新鮮で、「あ、実際にいる、こういう体型の女の子たちって」と感心した。だから、こういう女性キャラクター----細くない女たち----の造形化の試みも評価したいところだ。
私のお気に入りのアニメのひとつである「ダイバージェンス・イヴ」の女性キャラたちは、乳を極端に大きく描いていたので「その違和感」のために映像に慣れるまで時間がかかった。美的には、デカ乳のせいで「バランスを欠いた身体」「美的でない身体」になってしまったように思う。DVDの特典映像で女性声優陣が「あれは制作者側の趣味です」とか語っていた。でも「ダイバージェンス・イヴ」が描いていた世界は発想が実に魅力的だったと思うし、いまでもこのアニメはおおいに支持しているし、実際ときどき見直してもいる。(それにインパクトのあるエンディング・テーマが好きだ。)
今回、蒼井ミナモの身体(デカケツ)には違和感は感じなかった。
初めて「RD 潜脳調査室」を見て、この蒼井ミナモと波留真理(ハル・マサミチ)の関係の描かれ方を見て、「あ、ハイジ効果を発揮する女を見た」と思った。
波留真理というジサマがアルムのジサマで蒼井ミナモがハイジである。前回ギャオで配信されたのは、これまでのサマリーのような内容だったので助かった(前々回は矢沢永吉の70年代の歌が大フィーチャーされてて、これにもぶったまげた)。前回、蒼井ミナモと波留真理の出会いがちらりとだが、やはり「ハイジVSアルムの爺さん的」に描かれていたのを見て、ますます、私の中で
蒼井ミナモ=ハイジ説は強化されてしまった。
ちなみに「ハイジ効果」とは私の造語である。「ハイジ力(りょく)」と言ってもよい。もう随分前から「私のボキャブラリー」の中には入っていたが、これを自分以外の人に向かって使うのは今回が初めてである。
昨夜NHKで幕末の三人のお殿様の歴史秘話をやっていたが、後に妻となる桜餅屋の16歳の看板娘も阿部正弘にとってはハイジ効果を発揮する明るい少女だったのかもしれない。クリント・イーストウッド主演の映画「アンフォーギヴン(許されざる者)」で元は悪党だったイーストウッドを溶かした亡くなった女房もハイジ効果の持ち主だったのだろうと推察する。
天然のハイジ効果を持つ女は少ないと推察する。しかし、アルムのジサマも波留真理も「彼女たちの天然な感化力」によって、「どことなく硬直した心が溶けた感じ」「どことなく幸福な感じ」を得ることができたのだった。
オレのハイジはどこにいる?
昔そんな少女がひとりいたような気がする。 -
Yahoo!ウェブ翻訳機能を使って、この5月にアメリカで発売されたノーカット・ヴァージョンの「ワン・ピース」について、アマゾンコムの評価記事を読もうとしていたら、あのミュージカル・スターのシド・チャリースが----日本で出ている「ザッツ・エンターテインメント」三部作では、字幕上ではシド・チャリシーと呼んでますが----この6月17日火曜日に亡くなったという、デイビッド・ホリウチという日系アメリカ人が書いた記事(Armchair Commentary /Cyd Charisse, 1922-2008)に出くわしました。
デイビッド・ホリウチさんは彼女の出演作として、「雨に歌えば」「バンド・ワゴン」「ブリガドゥーン」なんかを紹介していますが、私が一番好きな彼女のダンスは「絹の靴下」という映画のレッド・ブルースです。「ザッツ・エンターテインメント」三部作以外に実は「ザッツ・ダンシング」という、やはりミュージカル映画のダンス部門ばかりを扱った映画が昔、日本でもVHSで出てたんですが、その中であのジュディー・ガーランド----私が一番好きな彼女の歌は「ゲット・ハッピー」です----の娘のライザ・ミネリが取り上げていたのが、「レッド・ブルース」のダンス・シークエンスでした。私は初めてそれを見たときは、驚いて思わず鳥肌が立ったものでした。その後「絹の靴下」を借りにレンタル店へ行ったのですが、借りてきたVHSは「ザッツ・ダンシング」で使用されたフィルムと違い、テレビ画面サイズ用にトリミングされたものだったので----今はDVDが新たに発売されてワイドスクリーンで見ることができますが----本来の横長のシネスコ画面で見ることができずに、がっかりしたものでした。
さらにトリビアですが、私は以前の記事で、機甲戦虫紀LEXXではどのシーズンでもミュージカルのシークエンスが出てくると書きましたが、LEXXのシーズン2に出てくるそのミュージカル・シークエンスの入ったエピソードの題はBrigadoom(ブリガドゥーム)なんです。doomには「破滅」という意味が込められています。これはシド・チャリースやジーン・ケリーが出演した有名なミュージカル映画Brigadoon(ブリガドゥーン)をパロっているのでしょう。話の設定も幾分似せておりました。LEXXシリーズにはパロディ化された造語の題名が時々使われています。
私の好きなシド・チャリースのレッド・ブルースですが、You Tubeでも見ることができます。彼女のダンスは1分55秒前後くらいから始まりますので、始まるまで我慢してください。
RED BLUES
特に2分50秒くらい(↑この辺りです)から始まる身体や手足の激しくて細かい動きは、何度見ても魅了されますねえ。
追記
ところでワン・ピース関連でおもしろいと思ったのは、いわゆる「ピュアリスト(純粋主義者)」と自分らのこと規定して発言をしている一群のアニメファンたちがあっちにはいて、アメリカ版用吹き替えではなく、日本の声優のものを英語字幕で見るのを最上としているようです。「日本の声優陣の演技はすごい」、というようなことを書いている人々がおりました。Amazon.comを訪れたことのあるかたは、すでにお気づきでしょうが、映画やテレビシリーズなどのカテゴリー欄にはanime&mangaと独自のカテゴリーが形成されていて、いわゆるアメリカ国内産系のカトゥーン(日本でいうアニメーションや漫画)とは、完全に別枠扱いとなっております。それほど、北米においては、animeとmangaの商品価値は高いということなんでしょう。 -
Making LEXX
A note from creator, writer, director and executive producer Paul Donovan
What can I say about LEXX? I seem to spend a lot of time defending myself for making the show. I accept that watching such shows as The Beverly Hillbillies, Star Trek(the original series) and Monty Python's Flying Circus wrapped my teenage brain. Spending too much time watching these types of shows also had a negative effect on my academic progress, which I suspect was the case with many other students who also never got that Ph.D.As an older person and partial adult, I now can see that what attracted me to these series at the expense of my school marks was their creative originality and the passion of their makers for the shows'characters and content.Unlike too many of today's shows, they were not the product of a marketing committee or a focus group. They were made by passionate storytellers.
In making LEXX, like making anything for television, we were always compromising. We never had enough money. The shooting schedule was, at seven(and sometimes six)days per episode, way too short. We did far too many ambitious special effects and as a result would spend a few days on sequences that really needed weeks. Scripts often went into production full of compromises, both creative and practical. We shot it in Halifax,Nova Scotia, which has some unique advantages, but also many disadvantages, such as a production infrastructure still in its infancy.
But in spite of all this, I think we made a few great shows with many great moments. LEXX always spoke with a unique voice, distinct from the Hollywood mainstream. Almost everyone involved with the series knew that they were doing something different, something special, and maybe something crazy. It was often very moving the way the cast and the crew would rise time and time again to seemingly impossible challenges.
Some days I would walk into the studio and from a catwalk high above, I would simply stand there and stare down with awe at these people running about in that huge dark space, building this crazy dream called LEXX. It felt good.
Paul Donovan
Halifax, Nova Scotia
シーズン4のDVD最終巻のspecial featuresに収められているLEXXの生みの親であるポール・ドノヴァンの回想録です。どなたか英語に堪能な方、翻訳していただけないでしょうか。ウェブ上の自動翻訳は惨憺たるものでした。