"AIあるいはPCソフト"カテゴリーの記事一覧
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以前、「勝海舟の写真をカラー化してみました」という題で、CODIJY Colorizer Pro 4という、白黒写真をカラー化するソフトの報告をした。そのときの写真が以下である。
このソフトは自動的にカラー化するのではなくて、あくまでも作業者が「手作業」で色付けをしてかねばならない。
とはいえ、「忙しい現代人」にとって、そういう作業に膨大な時間が奪われてしまうのは惜しい。
そういうわけで、、前回の投稿では「でも、こういった作業も未来には、さらに人の手を離れて写真を読み込んでAIに「適当に色を付けて」と命令すれば、延々と着色された別バージョンの提示を繰り返してくれ、その中からベストと感じたものを選ぶというようになるのでしょうか」と書いた。
するとそんなに時間を置かずにソースネクストから『着彩! モノクロ写真』という「自動着彩」を売りにしたカラー化ソフトの販売の案内が来た。「え、もうすでにそんなソフトがあんの?」と、もちろん即飛びついてしまった。
このソフトは色を付けたい白黒画像を読み込ませたら、おまかせで自動的に色を付けてくれるから、非常に作業が楽になった。とはいえ、フィルター機能はあっても、着彩のバリエーションを順次提示するということはないので(こう書いた当時は、初期のStable Diffusion Onlineのイメージを想定していたが、いまのStable Diffusionはもはや次々に画像を表示する仕組みをやめて、代わりに一枚提示式で高画質化している)、白黒写真の質が悪い場合、あまりいい結果を出してくれない。
けれど、特に傷も汚れもなく、濃淡のムラもない少人数の集合写真だったら、別に手を加えなくてもそのまま使えそうである。
以下の写真などがその手の写真だった。
『着彩! モノクロ写真』でカラー化すると、以下のようになった。
左から、私、母、三男、祖母(母方)、次男である。場所は日南のサボテン公園である。
卒業写真など人物が大量に含まれている集合写真の場合、顔認識に難があるみたいで、色のついた顔と青白いままの顔と混ぜ混ぜになってしまったり、黒い学生服集団の上着がみんな赤色に着色されていたりとかもあった。だから、こういう場合、オートで終わりというわけにはいかない。さらに手動で修整作業に入る必要がある。有難いことに、このソフトは自動着色ののち、その画像を土台に手動で着色修整を施すことができ、操作も簡単なので、「ソフトの自動色付けが完了したら、不満があってもあきらめろ」(by メーカー)・・・となっていないプログラム構成になっているところは有難い。
スキャナーで取り込んだ写真がすでに経年劣化(写真がセピア色化していたり、全体、あるいは端っこの色が薄くなってしまってたり)している場合は、無料のPhotoshop expressなどを手に入れて、そういう色あせを補修して、改めて、このソフトで着色してみるといいと思う。
カラー写真の退色復元には、EPSONのスキャナー「PX-402A(古いけど)」のEPSON Scanの機能が威力を発揮してくれた。
小さな傷は、Windows10とか11に入ってる「フォト」のレタッチ機能を使うと結構きれいに修復可能だ。
さて、以下のルドルフ・シュタイナーの写真は、ネットで拾った白黒写真を『CODIJY Colorizer Pro 4』で手動で着色して作ったものだ。その下のものは、それをWindows10の「フォト」の「フィルター機能」を使ってブルー系に変えたものだ。ほんと印象変わるよね。
今日、白黒写真のカラー化ソフトに手を出している人々は、若い人たちではないだろう。そもそも若い人たちはもはや、「写真を紙で所有する」という習慣を維持しているとは思えない。
「子ども時代の思い出写真はカラーでしか持っていない」という世代の人は、スキャナーとレタッチソフトがあれば十分だろう。
しかし昭和40年代くらいまでは、世の中の人にとって写真と言えば白黒写真の時代だった。だから、年配の人たちこそ、「終活の一環」として、子供時代の思い出を振り返り、白黒でしか見てこなかった子供時代の自分たちの姿やその当時の風景をもう一度カラーで眺めて直してみると、まことにしみじとして、感慨深い感情が湧き出てくるだろう。
私の手元には色あせてもはや何が映っているのか分からなくなっている白黒写真が何枚かあったが、それをスキャナーにかけ、『着彩! モノクロ写真』で着色してみると、「ああ、この人が映ってたのかあ、懐かしいなあ」と確認できた場面が何回かあって、そういう意味でも、経年劣化した写真を持っている人は、カラー化に挑んでみると、新たな発見があるかもしれない。
たとえば以下の写真なんかは、周囲の白い縁をカットして取り出したものだが、この部分だけで大きさを何かと比べるとすれば、クレジットカードほどの大きさだった。今の写真の規格としてもすたれてしまった大きさで、実物を見るとかなり判読に苦労するシロモノだった。
このクレジットカードほどの大きさの白黒写真を拡大、カラー化し、そのうえでPhotoshop expressとかWindows10の「フォト」のレタッチとかで修正を加えて、仕上がったのが以下。
「なんだ、左から二番目の麦わら帽子は自分じゃないか、で、一番右は弟。左端の女の子は道路向かいの近所の〇〇ちゃんで、右隣の背の高い少年は……誰?」と感動した一枚である。
当時の日本の家屋はどこもタールを塗ったような暗い板壁の木造建築ばかりだった記憶がある(今の日本の住宅の外壁はどこもほんと明るくなったね)。写真の背後に映っている木造住宅は、貧乏な若い夫婦(親)が暮らしていたものだろう。自分にはほとんどこの時代の借家暮らしの記憶がないのだが、家の外にぼっとん便所があって、長屋の住人たちが共同で使っていたし、水道もまた共同の井戸水を手動のポンプで汲み上げて使っていたと思う。
こんな田舎町でも、すでに水道は完備されつつあった時期だけど、きっと両親には金がなかったんだろう。家族がこの場所へ引っ越さねばならなかったのは、火事に遭ったからだった。アパートの住人の失火のせいで、家の中にあったものは何もかも焼けてしまった。だから私や次男の赤ん坊の頃の写真は一枚も残っていない。
このころの思い出話として、夕食時に母が「あら、息子がおらんが、どこへいったのか?」と外に探しに行くと、私が向かいの家の上がりがまち(縁台)にいて、障子の破れ目からテレビ放送をじーっと見ていたのをみて、「まー、ほんともぞなぎい(=不憫だ)」と感じた母が、「テレビを買ってやろうや」と、父に相談して小さな白黒テレビを買ったという話だった。今回最も力を入れたのは、傷とかしわとか破れとか、さんざんに傷んでいる白黒写真のカラー化だった。例えば、以下の写真(白い縁を除外すると、写っている面積はクレジットカードより少しはみ出す大きさ)。プロの写真屋さんなら(もはや自分の街からもほぼ姿を消してしまっているが)、もっと上手に修復できるのだろうが、まあ自分でも頑張ったほうだと思い、一応満足はしている。
今回、カラー化&修復の結果、意外なことも知れた。なんと神社の写真にはオーブがたくさん映り込んでいるじゃないか。これまでは破れた小さな白黒写真なんぞに深い関心なんて浮かばなかったので(というか、そもそも写真を見ることがほとんどなかった)たまたま写真を見ることになっても、「オレの子供時代だ」というくらいの感想で一瞥してまたもとに戻すという感じだった。
私が手をつないでいる人は、もちろん父である(すでに亡くなって久しい)。彼の背後の神社の右側の柱の真ん中あたりのオーブは、よく見ると、人の顔のようにも見えるじゃないか。以下、拡大写真。「おー、おれんちにもやっと一枚、心霊写真が存在したことが分かったぞー(しかも写真が撮られて約60年後に)」と、これはまた別な意味で得した気持ちになった。
いったい当時私と父はどこに出かけていたのか? 父は宮崎県高千穂町上野(かみの)の出身なので、そこいらあたりの小さな神社だろうか、とは思うのだが、今のところはっきりしない。
それはともかく、古い白黒写真も含めて、自宅に残っていた写真のデジタル化を行っている最中なので、すべての作業が完了するにはまだ時間がかかりそうである。
気が向くたんびにぼちぼちと進めていきたいと思っている。PR -
不思議とシュタイナーの言葉と勝海舟の言葉は、私の中ではつながっていて、かずかずある人智学関連図書と一緒に勝海舟の聞き書き本(『海舟座談』『氷川清話』)も、「その関連本」のなかに含まれる重要参照本と感じる私の感覚は、おかしいのでしょうか。
そう言えば、「理解する」ということについて、シュタイナーはこういうことを言っていましたねえ。「理解するということは、ある事柄を別な事柄に関係づけることです。この世では一つの事柄を他の事柄に関係づけなければ、何も理解することができません。(P109)」(教育の基礎としての一般人間学)---------------------------------------------------------------------------------------
最近、以前買っておいた白黒写真のカラー化ソフト(CODIJY Colorizer Pro)のことを思い出して、「そうだ『氷川清話』の扉に掲げてある、あの写真をカラー化してみよう」と思ってトライしてみました。とはいえ、素材はネットから採ってます。文庫本の写真をコピーして着色しようとしたら、ドットの粗さが目立ってとても使いものになりませんでしたので(写真をクリックすればもとの作成サイズで見ることができます)。
本来の着物の色は分からないので何通りか試してみましたが、「派手系」の仕上がりの方が「より色が付いてる感」が強いので、着物は黒ではなく派手系にしてみました。
こういう作業はほんとめんどくさいです。アニメ制作をやっている人たちは、線描にいちいち色を指定して延々と色付けしていく作業を繰り返しているのでしょうが、白黒写真に色を付けるこのソフトにおいても、場所ごとにいちいち色指定していくのです。
だから白黒写真は線描画ではありませんが、部分ごとに色指定を繰り返すことでカラー化していくという点では似ているところがありますね。というか塗り絵ですよね。
でも、こういった作業も未来には、さらに人の手を離れて写真を読み込んでAIに「適当に色を付けて」と命令すれば、延々と着色された別バージョンの提示を繰り返してくれ、その中からベストと感じたものを選ぶというようになるのでしょうか。
さて写真だけではさみしいので『氷川清話』から海舟語録として、いくつかご紹介しておきます。
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何事も知らないふうをして、独り局外に超然としておりながら、しかもよく大局を制する手腕のあったのは、近代ではただ西郷一人だ。世が文明になると、皆が神経過敏になって、ばかのまねなどはできなくなるから困る。坂本龍馬が、かつておれに、「先生はしばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者もいって会ってくるにより添え書きをくれ」といったから、さっそく書いてやったが、その後、坂本が薩摩から帰ってきていうには、「なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少しくたたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く。もしばかなら大きなばかで、利口なら大きな利口だろう」といったが、坂本もなかなか鑑識のあるやつだよ。
西郷は、どうも人にわからないところがあったよ。大きな人間ほどそんなもので、小さいやつなら、どんなにしたってすぐ腹の底まで見えてしまうが、大きいやつになるとそうでないのう。子どもを教育するには、よほど気を付けんといかん。あまり学問学問といっていると、口ばかり達者になって、じきに親父(おやじ)をやりこめるようになるよ。今の若い連中には、おれはとてもかなわない。しかしそういう息子のある家の庫(くら)には、遠からずくもが巣を張るよ。
これは一家のことばかりではない。一国もまたそのとおりで、人民が理屈ばかりいっておっては、おっつけ貧乏してしまうだろう。------------------------------------------------------------------------------
「もう君(政府)には頼まない」「もう一度自分らでやり直す」という律令(出羽守)政治から御成敗式目政治への故事の(その本質は「こんなゴワゴワな身体に合わないお仕着せ服を着続けられない」という精神改革でした)再来はあるでしょか。
古代中世においては、当時の権威者だった出羽守たちが当時の日本人に従うようにと押し付けてきたのが「隋唐の舶来統治思想」でしたし、そのための革命政権でしたが(以前このブログで聖徳太子と昭和天皇に関連して言及したことがありますね)、結局それを変えてしまったのは地方の豪族たち、のちの武士団でした。
さて、「出羽守からの離脱」=「利口者に見せるために周囲に合わせて裸の王様を褒めたたえて生きる」というその場限りの自己保身からの離脱(自分自身で考える)を、日本人は「もう一度」始められるでしょうか。 -
明けましておめでとうございます。
YouTubeへの動画投稿が停止してますが、今年はなんとか再開したいなあと思ってます。
ここ数日はウェブ上で遊べる「安定拡散オンライン(笑)」、つまりStable Diffusion Onlineサイトで、プロンプトを(その界隈では〈呪文〉と言われているようですが)打ち込んで、何が出てくるか楽しむ、つまりワロたり、「もうちょい惜しい」と思ったり、「おお」と感心したりする、といういうようなことをやっておりました。
何が飛び出してくるか、まったく想像がつかないし、そういう意味で、〈呪文〉で遊んでいる人にガチャ的な感覚を引き起こさせるんですが、「安定拡散オンライン」は「同じ絵を二度と吐き出さない」という特性を持っているようなので(多分)、まさに一期一会の観賞タイムとなっておりました。
実際にはいろんな呪文を投入して、写真系からアニメ絵系までいろいろ吐き出してもらいましたが、まだまだ精度的には「安定」してないです。(ちなみに最初に4枚の絵が現れますが、右上の「Generate image」ボタンをクリックすれば次の「提案」がまた4枚吐き出されます。延々とボタンをクリックして変化を楽しむことができるので、かなり暇つぶしになりますね。
この絵画AIは、heavenという一単語だけで美しい風景画を吐き出します。そういう「連想動作」をするように構成されています。人間が今のところその具体像を空想できないでいるところの、「あの世」は描けません。AIにとって人間が考えるheavenとは「美しい自然」のことなのです。「よいか、皆のもの、ヘブンは地上にあるのじゃ」みたいな……。
じゃあhellは?
おお、往年のハードロック(AC/DCみたいな)、あるいはヘビーメタル系のアルバムジャケットにしたくなるような一品じゃないですか。そういうわけで、hellと呪文を唱えると、AIは極彩色から一転、モノトーン系の暗い色を使って絵を吐き出します。
参考絵は示しませんが、ゴッホとかパウル・クレーとか入れると、まさにそのような絵を吐き出してくれます(ほんと面白いですから「まだ呪文を唱えていない方」はぜひサイトに飛んで、ゴッホとかパウル・クレーとかピカソとかで遊んでみてください。呪文はもちろん英単語を入れます。つづりはネット検索すればすぐ手に入りますので)。この手の巨匠絵画の吐き出しは違和感ないですが、日本的なアニメ絵を上手に吐き出させるにはまだまだAIのほうの学習も必要なんじゃないかと思います。
ネット上の記事によりますとNovelAIのほうがずっとクオリティが高い絵を合成してくれるようです(ただし課金式です)。
まあ、私の場合、金を払ってまで「絵画ガチャゲーム」をやろうとは思っていないので、何か動機になるようなきっかけがないと、NovelAIを試しには今のところいかないだろうと思ってます。
以下のGIFは比較的完成度の高い画像を10枚集めて作成したものです。
「呪文」は「two cute girls,Japanese animation,city」
まだまだ未熟な絵ですよねえ。
P.S.いろんな呪文にcyberpunkとかsteampunkとかという「呪文」を混ぜて使うと都市の様子や人物像もかなり変化しますよ。
P.S.2 時間帯によっては、プロンプト記入欄のみで、ネガティブ・プロンプト欄が出てこない場合もあります。アクセス時にプロンプト記入欄が二段になっているときはラッキーです。
たとえば、下段に「black hair」と入れると、これは「髪は黒くしないで」という追加命令になります。つまりnotが付かない単語なり文をそのまま入れます。するとAIの側が「そういう属性は排除せよ」と解釈してくれるわけです。