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「と申されますと・・・・・」という変な日本語

アニメ版や実写版の時代劇(舞台が西洋であれ日本であれ、あるいは架空の世界であれ)をつらつら見てきて、どうにも気になるのが、「おっしゃる」と「申す」の使い方の「?(ハテナ)的展開」。特に身分制度が厳然としてあった時代劇物で頻繁に耳にするのが、身分の低い者(商人や家来など)が身分の高い者(武士や殿様など)に「と申されますと・・・・・」などと返答する箇所。

こういう「返答」をきくたんびに、「そこは『とおっしゃいますと・・・・・』じゃない?」とか突っ込みをいれたくなる。当ブログにこられる読者の中にも「同じ違和感体験」をした方はおられると思う。

殿様あるいは武士が、家来や町人百姓の発言に対して「と申すか・・・・」----でも「申されますか」になったらもはや変----というならかまわないが、シナリオライターの多くが、この敬語表現の機微をよくつかんでいないままシナリオを書き、そのシナリオを渡された誰もが----監督、役者、声優ほか、さまざまな制作関係者たちが----「この言い方って変じゃない?」ってチェックをいれないまま、シナリオを担当したライターの「言語感覚」、つまり「変な日本語」が通っちゃうって現状はよくない傾向だと思う。

みな高校の古典の授業で源氏物語などをテキストに敬語を学習したと思うが、あれはほんと複雑怪奇で大変だったよね。「と申される」という言い回し----「申す」のあとに「れる」という尊敬の助動詞が来てよい場合----が許されるのは、ある主君に使えている家来1のそのまた家来2が、手紙文とか文書のなかで自分の直接のあるじ(家来1)の主君に対する言動を他者に文書で伝えるような場合だ。

わがあるじ(家来1)が主君に対して何々と申されました。(家来2が第三者に送った手紙文)

この場合なら「申す」のあとに「れる」が続いてもまったく問題ない。そのときの「申す」は家来1が主君に対してへりくだる態度であって、そのあとに続く「れる」は文書を書いている家来2が自分のあるじ(家来1)に対してへりくだっているのだ。目の前の主君に対して「と申されますか」というような変な表現を「物事の分かっている家来2」は恐れ多くて言えるわけがない。こういうことを平気でやるのは「身分制度下の社会」で生きていない新しい日本人たちである。というか高校時代の古典の授業(源氏物語)をまじめにやらなかった現シナリオライターたちね。目の前にいるエライ人に対する 「と申されますと」という言い回しはあまりにもいろんな作品で「耳にする表現」なので、制作側にも「チェック能力を有している者」がいないのかな、とか思う。年配の俳優さん、声優さんとかも「そのまんまのシナリオ通りに読んでいる」ようなので、たとえ気づいていたとしても、「あえて黙っている」のだろーかと勘繰りたくなるほどの奇妙さだ。

そのあたりのこと、今まで考えずにアニメとか実写ドラマとか映画とか見てきた人は、今度気をつけてセリフを聞いてみるといい。「申す」の使い方が変なシナリオがたくさん存在していることに気がつくだろうから。

この辺のことは監督さんを含め、もう一度気をつけてシナリオを読み直してみるように、業界的に「注意報」を出しておいた方がいいと、オレは思うんだけどな・・・・・。

 

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