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ダークスーツというぞっとするもの

最近特にぞっとするもの(ってこれは「すさまじきもの」っていう古典の名文のパクリではないよ)、それはおそろしくダークな色ばかりになった男女のスーツ姿。ほんとにこれはオレにとっては、ぞっとする光景だ。

昔の日本は、まだスーツの色やがらにもいくらかバリエーションがあったような気がするのだが、ここ最近(いったいこのような現象がいつ始まったのか正確には言えないのだが)、ほんとに一様化してしまったように思う。もちろん私服姿では若い人も年配の人も思い思いの色合いとデザインの服を着てはいるんだが、この「スーツの黒化現象」って、いったい何を暗示してるんだろう。就活スーツとかいう言い方があるけど、こんな田舎の地元で見かける若い女性たちのスーツ姿もみな、

「葬式仕様」

ばかりになってる。仕事をする若い女性が皆示し合わせたみたいに、あんなふうに「これから葬式にでかけてきます」----実際には毎日「葬儀場」ではなく「会社」に行っているのだ----、みたいな格好しているのをみると、ますますぞっとするオレだった。「にっぽん」ってどうなっちゃったの?

日本における、「公(おおやけ)の世界の葬儀場化現象」とでもいうのだろうか。

昔ネットであるアメリカ人が日本人が葬儀でも結婚式でもダークスーツ姿でいるのを見て「ビルの前にひとだかりがあるので葬式帰りの人々かと思ったら結婚式帰りの人たちだった」と、「その黒い集団と化した姿に驚いた」と感想を述べているのを読んだことがあるが、最近とみに昔読んだこのアメリカ人の感想を思い出し、ほんとなんだか知らんが、あの若い人たちの黒いスーツ姿を見ると、なんとなく「ぞっとする」というか「コワい」というか「軽い不快感(というより反感か)」さえ感じてしまうオレだった。アナタはどうですか。21世紀に入ってからますます深まった日本の黒化現象のことをどう感じてます?

たぶん、オレの感じている「このぞっとする感じ」がまったく分からないという人も多いだろうけど、オレ同様に「ひそかにぞっとしているけど、黙っている」って人も同じくらいいるんじゃないかと思ってはいるんだけどね。

p.s.1  そうそう、ルドルフ・シュタイナーが「現代の男性の正装は精神病院を思わせるものになっている」っていうような趣旨のことを書いてるよ。日本人は近代化以降、いろんな面において、西洋オリジナルの文化・文明を「精神的に深めることなしに、外面的に極大化する」という振る舞いを続けてきたけど、こういう服飾方面においても、その「魂の病」のようなものがついに、「外面的にも目に見えるもの」として析出しちゃったんだろうか?

p.s.2  ちなみに日本の葬儀は伝統的には白装束がフォーマルだった。それが近代以降、西洋人が葬儀を黒装束で行っているのを日本人がまねて、いまや葬式は江戸時代だって黒装束でやっていたような顔をして、全国津々浦々どんな田舎でも皆葬式は黒装束で行うようになった。だが「葬儀を黒装束で行う」ことは「もともとは西洋風」だったのだ。そして日本人は儀式(会社にどんな格好で行けばよいかというような決め事も含めての、フォーマルな振る舞い)は「皆黒でつっぱしればよい」と短絡する----これが「西洋から取り入れられた外面」の「極大化」ね----ようになって現在にいたっているのだった。

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