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BOUNDHEAD

地球の超地質層としてのイミテーション界
前回の記事内に以下のような個所があった。

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マトリックスのサイファーが戻りたかった場所のことも連想つながりで思い出す。つまり「幸福な生活を感じさせてくれるイミテーション界」への回帰願望のことだが、アーリマンも着々とそういう「イミテーション界」とでも呼ぶべき「地球の楽園」を作ろうと鋭意画策中なんだろう。

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シュタイナーによれば、アーリマンたちが人類の前進を阻もうとしているのは、「人間は霊である」「人類はかつて天使の第四ヒエラルキア(現時点では第四ヒエラルキアが天界から消失し、第三ヒエラルキアまでしか成立していない特殊状況が続いている)に属するリクルート(候補生)だったのだ」という認識であり、一方で推進しようとしているのは「物質界の快適な経験を永遠のものにすることが人類が追求すべき理想だ」と吹き込むことである。

彼らが広宣するのは、「あなたは、今のあなた、今の自己感覚のまま、機械(電気現象)の中の永遠をめざせ」というアジテーションである。

「イミテーション界」という言葉はシュタイナー用語ではなく、私の造語である。

実は、前回、記事を書いたときに、『シュタイナー用語辞典』において、西川隆範氏がまとめていた関連個所のいくつかも思い出していたので、参照先として、以下、紹介しておこう。

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1850年以来、アーリマンによって、機械の世界が地球の超地質層として形成される危険がある。(P19)

1850年以後、アーリマンの作用によって機械世界が地表の層を形成する危険があり、合目的性の追及・官僚主義・技術にアーリマン的傾向が存在する。(P89)

アメリカでは、アーリマン的な技術によって人間を身体(および身体から発する霊性)に縛り付け、イエズス会に支えられて、キリスト認識を不可能にしようとする。(P32)

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シュタイナー本人が存命中の時代は、蒸気機関全盛時代であり、さら晩年には石油の大規模利用の開始、初歩的な電気技術の普及の時代だったが、シュタイナーの言う「超地質層」というのは、当時の人類には「そのあり方」を空想することさえできなかった電気技術を土台にしたネット空間、いわば「疑似霊界」の出現をも意味している思う。この見立てについてはYouTubeの抹茶ラテの秘教学徒内においても言及した。「電気は蒸気機関よりも魔的な技術である」というのがシュタイナーの見立てであった。

「身体から発する霊性」とは、「地上の物質的身体感覚を土台にした精神活動」と言い換えてみる。日本語の「霊」(幽霊という意味の霊ではない)も「精神」も、ドイツ語ではガイストである。アーリマンの仕事は人類の霊界認識を妨害することなので、シュタイナー的観点に立って地上で継起していく現象を観察すれば、人類がその便利さゆえにありがたがっている近代の機械的電気的技術によって地上に出現した世界は「真の霊界(精神界)」をベールで覆い隠すというアーリマン勢力の行っている仕事の延長線上にあると、言うこともできそうだ。

映画「マトリックス」には、実は聖書や神話からの引用がたくさんあるにしても、それは近代人が行っている唯物論的解釈に立ったそれであった。

「マトリックス」は「荒廃した物質界で〈本来の物質的身体〉のなかで覚醒して生き延びようとする人類」が「機械の中で電極につながれて夢を見ている人類」を助け出そうとする〈だけ〉の物語である。そして結局仕事は完遂されてないまま終わる。

サイファーは二者択一を迫られて、イミテーション界に戻る決断をする。機械から解放されて生身の身体のなかで覚醒しても、太陽の見えない荒廃した地上で生きるしかないとすれば、「自分が今理解できる範囲の、今空想できる幸福観」を満たしてくれる世界を選ぶというサイファーの選択は、その他大勢の、唯物論の中で生きる人類の選びそうな一般的解だと思われる。

宮台真司の娘が「マトリックス」を見て、サイファーの選択の感想を求められたとき、「なんでそれがいけないの」と答えたというエピソードはその象徴的な出来事だ(YouTube参照)。

この映画には「霊界」(物質的身体から抜け出なければ行きつけない領域)が出てこないのである。電脳空間とは言っても、それは地上にちゃんと〈物質的身体〉が存在していることが大前提となっている。

生身の身体のなかで覚醒している少数の人間たちは、地上を荒廃しきった地獄同然の世界と見なしている。彼らは機械の世界を滅ぼせるとはもはや思っていない。そして映画の登場人物たちにも映画を見ている観客にも、伝統的な宗教がずっと人類に主張しつづけてきた「人類が本来生きていたはずの場所」あるいは「人類が動物の身体と結びつく以前にいた世界への回帰」に関しては、まったく暗示さえされていないのである。

そしてさらに空想的な「攻殻機動隊」においては〈人類が物質的身体から抜け出して行きつく世界〉が「ある」と暗示して終わる。「ネットの世界は広大ね」という草薙素子の言葉とともに。


「ゴーストが鉱物的=物質的機械を土台とした電気のネットワーク現象のなかで生きることができる」という暗示である。こういう発想自体は近代に出現した唯物論的思考の成果である。ただ攻殻機動隊においては、「ゴースト」というのは「あいまいな概念」として物語上で利用されているので、制作側からも、それが何なのかについては明確な言及がない。

近代英語ではゴーストとは幽霊のことになっている。ところが、勝海舟の『海舟座談』に登場する米国における教会体験として「ホーリー・ゴースト、ホーリー・ゴーストで固めて祈ってるよ」というのが出てくる。この逸話に登場するゴーストは「幽霊」を指すのだろうか。

以下『海舟座談』から引用

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アー、西洋では、いつも礼賛堂(教会)へ行ったよ。大層、褒められたよ。世話をしてくれた親仁(おやじ)が極く熱心だったから、その息子などと一処に行くとネ、ホーリー、ゴースト、ホーリー、ゴーストで固めて祈ってるよ。息子が、親仁の祈っているのを指さして、オレの顔を見て笑うのサ。(P96)

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今でもドイツ語では、日本語で言う「(幽霊という意味ではない)霊」も「精神」もガイストである。実は英語でも近代以前は、ゴーストは、「霊」あるいは「精神」を指して使われていたのだ。英語のゴーストとドイツ語のガイストは、口に出して発音してみると、もともと同じ語源から生まれたものであることが分かる。


古い時代の英語圏の伝統的聖書(ジェームズ王の欽定聖書)では、ホーリー・ゴーストとは聖霊を指す言葉であり、かつてはジェームズ王の聖書にもとづいて民衆がホーリー・ゴーストと呼んでいた対象(聖霊)を、近代口語英訳の聖書ではホーリー・スピリットと差し替えて用いるようになったのだ。

そして英語圏の聖職者(その権威筋の認定を受けたキリスト教布教の権威者である人々)が「ゴーストもスピリットも同じです」などと解説をして一般信者の疑問に回答している。

聖霊をホーリー・ゴーストと呼んでいたジェームズ王の聖書時代の英語民だったら、アーサー・ケストラーの「ザ・ゴースト・イン・ザ・マシーン」は「機械の中の幽霊」ではなく「機械の中の霊(精神)」と解釈しただろう。


アニメ映画「攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL」という映画では、さらにゴーストの意味をツイストさせて、「機械の中に宿った霊あるいは自我のようなものがネットの海に溶融する」という暗示を行って終わるのである。これだと無我論の伝統に沿った小乗仏教的「涅槃に入る」の唯物論的翻案である。


近代日本に生きる人々が「霊」という言葉を聞くとまず最初に連想する「対応イメージ」が、人をおどかすところの「幽霊」になってしまったように、イギリスの一般民衆も、そして世界に散った英語圏民も「ゴースト」と聞くと「幽霊」をまず「最初に連想する」ようになったのである。この現象は近代に唯物論が人類の精神を広範囲に侵すようになった副産物でもある。

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英米の結社は人類に「霊は高次の自然にすぎない」と思い込ませる。『シュタイナー用語辞典』(P165)

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これは9世紀にカトリック教会が「人間は霊と魂と体からなる」という古代キリスト教にあった見立てを否定して「人間は魂と体からなる」というのを正解としたという故事と連動している。カトリック教会は「人間個人は霊を持たない。霊(精神)の部分は教会が受け持つ」と公布して、地上から「霊の真相」を隠したのだ。そして近代の西洋のキリスト教徒たちは霊と魂の区別がもはやつかなくなったまま、教会に通うようになった。

将来において、民衆が「霊」という言葉を聞くと人をおどかす「幽霊」を連想するようになる下地(つまり唯物論的感性)をカトリックが用意したからである。

君子(士大夫たる貴族)は心(精神)を労し、小人(被統治民)は体を労す。(古代中国)
霊(精神)はカトリック教会が担い、人間は魂と体を担う。(カトリック)
共産党は人民の頭脳であり、人民はその体である。(共産党)

これらはすべて、時代や地域は異なれど、被支配民は「精神(霊)」を所有するべきではない、という遠回しな警告であり、貴族統治主義の変奏曲である。そして冷戦後は、民主主義の皮をかぶった官僚統治主義として、資本主義を謳う先進諸国家内においても新手の貴族統治主義思想が「主旋律」に「新しい編曲」を施されて展開中である。

特に聖書は、近代において典型的な通俗的読解娯楽本にされてしまったが、聖書も含め、近代以前に成立していた神話や寓話あるいは童話を、近代人的感覚で受け取って「表現が残虐でけしからん。子供の教育に悪い」とか「ハッピーエンドに改変しろ」などと突っ込みを入れたり、「聖書予言的中、生き残れるか、人類」などと面白がっている感性は、唯物論的に地上世界を感じる以外にできなくなった近代市民一般の「俗物性」「通俗性」の反映でもある。寓話としてのウルトラマンにもそのような「市民に迷惑をかけるウルトラン」という神経質症的突っ込みが「オトナの感性側」から出現し、童話として無意識に子供なかに侵入している霊的な真理をともなうファンタジー部分の意味を見過ごしてしまう。

古代人は神話や聖書や童話に対して、今とは別様の受け止め方をしていたということが、まず前提として近代の知的に奢った一般市民に共有されていなので(彼らの中には敬虔なキリスト教徒を自認している者が大勢いる)、たとえば日本においては、偏差値70の現代文読解力を駆使して「古代の文献の翻訳書籍」が解釈できると思っている。

だが高等数学の教科書も一種の書籍だが、論説文や小説文解釈に強いことを自負している人物は「準備なし」に、「書き手が意図していた内容」を「読み解ける」と思うだろうか。高等数学に関しては、「用語の解釈においても日常的読解感覚で数学の本を解釈してはいけない」ことを「無自覚に受け入れている」のに、古代の文献に対しては「近代人の通俗的感受性」で向き合っていることを自覚できないということこそが、まさにアーリマンにはお気に入りなのだ。

もちろんわれわれが知っている「ネット空間」は「物質界の延長」であり、「霊界」ではない。「そこ」は、シュタイナーが暗示したところの「超地質層」、物質界の地球に付属している世界である。今後ますます、「俗物性普及の王」アーリマンとその軍団(左派)は「空想的熱狂性の王」ルシファーとその軍団(右派)と共闘して人類の抵抗勢力として、より多くの人類を永遠の幸福な地上生活願望に縛り付けるという作業に没頭する。そして「人類を鍛えよ」という、神に託された仕事、「人類に認識の錯誤をさせるという仕事」、つまり「悪のお役目」を完遂させようと奮闘努力していくんだろうねえ。


P.S.

ちなみに「マトリックス」も「攻殻機動隊」映画版アニメ版ともに大好きですよ。

P.S.2

以前、河添恵子が「イギリスが世界に輸出した最大のものは何でしょう?」というような趣旨の質問をYouTubeの動画内でしたことがあった。「うーんなんだろ、帝国主義思想?」と、思いついた言葉を頭の中でもてあそんでいたら、間髪入れずに「英語です」と答えた。その途端、『シュタイナー用語辞典』で読んだことのあった記述が自分の中で蘇った。

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英米の左道オカルト結社は英語を世界支配言語にしようとしている。(P107)
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そして今回「ゴースト」という言葉にまつわる英語圏の聖書の歴史に言及したとき、以下の言葉も思い出した。

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英語では語られたものが精神(霊)に完全に重なる可能性がない。(P107)

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英語は聖書を「唯物論的イメージで頒布する」には最適の言語ツールとしても機能するようになったのではないか、ということだ。

「英米の左道オカルト結社」について西川隆幡氏は具体的な注記をしていないので、いわゆる「あいつら?」と空想するしかないのだが、「左道オカルト結社」といっても「英米系」という但し書きは入っているので「イギリスとアメリカの」ということは分かる。具体的にどんなことをシュタイナーが書いていたか、『シュタイナー用語辞典』から、ご紹介しておこう。

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西洋のオカルト結社は、ドッペルゲンガーと関連する磁気の力を用いて、世界を支配しようとしている。(P129)

3千年紀(21世紀以降に)に世界に輪廻思想が復興するが、心魂が強く地上に捕らわれている英米の男性は、スポーツを盛んにして、輪廻思想を阻止するが、英米では精神生活は女性によって伝えられる。(P32)

西のオカルト結社は、英米が第五文化期を指導するようにし、ラテン系の要素を破壊しようとした。真実を表現するのに適さない英語を世界言語にしようとする左道オカルト結社の影響下にある心魂は、大天使と結びつくことができず、大天使の位階にとどまったアーリマン的なアルカイに捕らわれる。

西のオカルト結社は、人々の心魂を地球に縛り付けて、輪廻思想を排除しようとする。

西の左道オカルト結社は、エーテル界へのキリストの出現をそらせて、エーテル的なアーリマン存在をもたらそうとしている。西のオカルト結社には、アーリマン的な四大元素存在が多数受肉している。(P73)

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今もこの戦いの(アストラル界ではさらに大規模に)真っ最中なんだろうなあ、と思いますよ。
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