-
PCゲーム「100万人のためのお得セット ゴルフ・釣り・ビリヤード(Windows8/10/11対応版)」所収の「めっちゃGOLFデラックス」のオリジナルは、PS2用に販売されていた「エンジョイ・ゴルフ!」です。
パッケージデザインがいかにも地味で(ゲームキャラのトムくんだよね、これ)、のちにPC版で採用されるようになる「おきゃんな18歳女子ベティ」のデザインで売り出していたら、もうちょっと売れていたのではないかと思います。
PS2版にはオリジナル・ゴルフコース作成機能がついていましたが、その機能を省いたPC版(Windows2000/XP対応)が「めっちゃGOLFデラックス」と名前を変えて販売されました。
アマゾンには今もダウンロード版のページがあります。パッケージ版のページもありますが、使われている写真はVista対応版時代のものです。「一時的に在庫切れ」との表示ですので、パッケージ版が廃番になったわけではなさそうです。Windows2000/XP対応版には、「めっちゃGOLFデラックス」版から、7つあるゴルフコースを2ずつチョイスして簡略化したバージョンが3作品あります。このバージョンは、この3作品を全部インストールすると、「めっちゃGOLFデラックス」版と同内容のゲームに変わり、全7ステージ35試合を突破してグランドスラムを目指すトーナメント戦が可能になるという、かなりトリッキーな販売方法を採用したバージョンです。
以下写真。左から順に「めっちゃGOLF 高原でナイスショット!」「めっちゃGOLF 海岸でナイスショット!」「めっちゃGOLF ラスベガスでナイスショット!」
そしてWindows2000/XP版に続いて、「SoftBank Selection 爽快3Dゴルフ」(WindowsVista対応版のちには7対応版)とまた名前を変えたバージョンが販売されました。YouTubeには、このバージョンを用いて作られた動画がいくつかアップされています。
「爽快3Dゴルフ」をヤフオクで手に入れたあと、Windows11対応表示のある最新版の「めっちゃGOLFデラックス」をアマゾンで手に入れました。このバージョンは、釣りゲームとビリヤードゲームとの抱き合わせパッケージになっています。
「めっちゃGOLFデラックス」は、ほんとに息の長いロングセラー商品です。つまりPS系ゲーム機用の「みんなのゴルフ」シリーズのような大ヒット作品ではないけれど、もとはPS2用ゲーム(「エンジョイ・ゴルフ!」)だったものが、「めっちゃGOLFデラックス」と名前を変えてPCゲームとして販売されるようになって以来、四半世紀に渡って「毎年買ってくれる誰かがいる」からこそ、廃番にならずに、PCのOSが新しくなれば、その対応版と銘打ってまた市場に出てくるわけです。もし、あなたが、こんにちにおいてもなお販売され続けている、この息の長いタイトルについて関心がわき、かつ私同様の「変わり者」であるなら、旧販から最新版まで「コレクション」して違いの研究をしてみるのも一興でしょう。ちなみにもっとも初期のPC版である「めっちゃGOLFデラックス」も3分割版「めっちゃゴルフ・シリーズ」も「爽快3Dゴルフ」もちゃんとWindows11で動きます。さて、「爽快3Dゴルフ」「めっちゃGOLF デラックス」というPCゲームを始めて1年以上経過しました。うれしいことに、この10月に、ようやくグランドスラム(全試合優勝)を達成できました。このゴルフゲームについての続報を書く気になったのは、まさにそれがあったからでした。このゲームは、ゲームパッド、マウス、キーボードのいずれでもゲームできますが、私の場言、以前の投稿でも書いた通り、右手の人差し指でキーボードのN(パワーゲージ)、左手の人差し指でYのキー(打ち出し)を押しながら、球を飛ばしています。
このゴルフゲームの利点は、さっきまでYouTube見てたのに「飽きたので、ちょっとだけゲームしよう」と思ったら、ゲームパッドをわざわざ取り出て接続設定作業を入れなくても、そのままキーボードを「引き続き使いながら」、ゲームに入れる点。
ゲームパッドのほかにマウスを使って遊ぶこともできますが、これだと「操作難易度が爆上がりする」のでオススメしません。
キーボードのNとYのキーで「グランドスラムに挑む」のがもっとも達成の近道だけど、それでもなかなか簡単には「最後まで」行かせてくれないゲームでもあります。
ただし、フェードやドローや高くあるいは低く飛ばすために上下左右キーはやはり必須なので、ノートブックのキーボードは小さめなので、上下左右キーは右手の小指と同時使用でやってますが、ダイニングキッチンのPCでは、以下の写真のような工夫をしてやっています(私、手が小さいんです)。二つ重ねの錘(おもり)は釣りで使う奴です。これを発泡スチロールの台に載せて上下左右キーに載せて使います。↑キーのときは横にしてキーの上に乗せています。
トーナメント戦を最終的にクリアするためには7つのステージをクリアしなければなりません。またそのステージごとに、いくつかの試合会場が設けられています。
全体では35試合を勝ち進んでいかなければなりません。
ゲーム開始時、ゴルフコースは2コースしか公開されていませんが、実は、7つのコースが英語表記で、このゲームのOPに当たる隠しムービーで紹介されているのでした。以下参照。
ゲーム開始時の「press enter」画面が出てから60秒何もしないでいると、突然この隠し動画が流れ始めます。この動画には、これから勝ち進んでいかないと、使えるようにならないキャラクターたちや、新たに登場してくるはずのゴルフコースが名前とともに出てくるので、関心のある方はじっくり確認してみるのもいいでしょう。ただPCゲーム自体はPS2時代のアナログ画質からデジタル画質へと大幅に画質が向上していますが、この隠し動画は(実はエンドロール動画も)、なぜかPS2時代のアナログ画質のまま出て来ます。OPとEDのもとの制作担当者に予算を割かなかったのでしょうか。それとも、原本の動画用デジタルソースを失っていて、再エンコードができなかったので、PS2の画像を録画したものを転用したのでしょうか。
ちなみに、失敗したリカルドが地団太踏んでいるとき、バックで流れてるBGMの個所が私大好きです。試合内容は以下の通りです。1 アマチュア編(4試合)01さくらカップ02ひよどりカップ03デザートオープン04アマチュアトーナメント
2 アマプロ編(5試合)05チャレンジコンペ06クローバーカップ07オーペンナイツ08スコピオカップ09アマプロトーナメント
3 ジュニアプロ編(5試合)10クラシカルオープン11オウルシップ12イーグルカップ13ドリームカップ14ジュニアツアー
4 ツアープロ編(5試合)15カントリーカップ16ベスパーカップ17キャッスルリーグ18クリスタルオープン19ビクトリアトーナメント
5 シニアプロ編(7試合)20サザンクロスカップ21ブロンズカップ22ジャパンシップ23ブリティッシュカップ24ゴールドカップ25アゼリアトーナメント26ワールドトーナメント
6 ワールドプロ編(7試合)27デッドリーフツアー28ウィンターオープン29プラチナリーグ30ナショナルリーグ31マスターズシップ32ダイアモンドリーグ33エデン・トラディション
7 スペシャル編(2試合)34ジ・エンペラーズ35アヴァロンズ・サバイバル※予選本選抱き合わせの試合もあります。その場合、予選と本選は連勝できないと、また以前のステージ位置にもどってしまうので、本稿では2つ合わせて1試合で数えています。スペシャル編の最後の試合は12人のゴルファーたちと順にマッチプレーをして生き残っていかなければなりません。
私の場合、最終ステージにおけるひとつ目の試合「ジ・エンペラーズ」がなかなかクリアできずにいたんですが、今年10月になって、なんとか「ジ・エンペラーズ」をクリアし、続いて最後の試合となる「アヴァロンズ・サバイバル」に挑んで、ようやく一連のトーナメント全体をクリア(グランドスラム)することができました。私の場合、キーボードでの参戦(チートモード)でしたけど、こんなに苦労したので(それでも1年かかったのでした)、ゲームパッドやましてやマウスで参戦してしまうと、ほぼグランドスラムなんて無理なんじゃないかと思ったりもします。ということで、あーよかった、めでたし。めでたし・・・・・・・
じゃない?
どゆこと?
・・・・・・
次回へ続くPR -
ひさびさ近況的な軽い話題です。
普段私が使っている寝室は、ミドルケース型のPC置き場と兼用でして(抹茶ラテ名義のシュタイナー動画はこれで作りました)、数年ごとにPCケースを取り替えたくなる衝動に駆られてしまうのはなぜでしょう。
それでこれまでは黒いミドルケースを使っていたんですが、もうちょっと小さいやつに変えたいと思うようになり、もとSOTEC製だった銀色のケースをヤフオクで手に入れて、これに乗せ換えました。
一番上の5インチベイは引き出し式の小物入れが入ってます。2番目の部分には化粧板がはまっているだけで、なにも入っていません。3段目は上下にスライドして開け閉めできます。
一段目の小物入れはもともとシルバー系でしたが、2番目の化粧板は本来黒だったんですが、ダイソーで売ってるラッカースプレーで銀色で塗装しました。
3回に分けて塗装しました。塗装作業って、一日じゃ終わらない作業なんですよねえ。気長に作業する心持ちがあれば、案外キレイに仕上がるもんですね。
しばらく2番目には化粧板をはめて運用、ということで維持していたんですが、やっぱりDVDドライブも入れたいじゃないですか。
YouTubeでも「最近PCからDVDドライブが消えていっている」という話題がいくつかアップされているのを見ましたが、実際私も「CDやDVDを焼く」というような作業をあまりやらなくなってます。
それでも時々音楽CDの私家版を作って車の中で聴くので、いちいち外付けのDVDドライブを接続するのが面倒だという、ただそれだけの怠け心のために、改めてDVDドライブをこのPCに組み込むことにしました。
でも、シルバー系のDVDドライブって手元になかったので、在庫品を塗装することで代用しようと思い、これも羽目板同様にダイソーのラッカースプレーで塗装することにしました。
もともと左側に置いていたPCを右側に、右側に置いていたPCを左側に置き直しました。今回の塗装に関しては、ちゃんと動作するならば、外見に統一感がなくたって全然かまわないじゃないか、という意見はまったくその通りで、これはただ「小さなわがまま」というか「ちょっとだけいい気分」になるためにやってることですね。PCのとなりは88鍵のキーボード(暇つぶし用)のスタンドです。キーボード背面から伸びたUSBのコードをPCに接続。Cakewalk Sonarの音源を鳴らす用です。
ちなみに、写真に写っているミニスピーカー・スタンドは自作品です。柱部分(9cm×9cm×30cm)が500円×2とカットして使う板材1000円くらい?、それと百均のニスと筆で左右合わせて2000円くらい材料費にかかりました。ホームセンターには、こんなふうに柱状にカットされた木材がいろんな長さのバリエーションで売られているので、作ろうと思えば、ただ買ってきてニスを塗って組み立てるだけで簡単にできちゃいます。暇な人は自作のスピーカースタンド作りにトライしてみるのも一興ですね。
P.S. スピーカーにしろPCにしろ、左右対称に置きたくなりますよ、審美眼的に。そんなことを考えていたら、アニメ「ソウルイーター」を思い出しました、「そう言えば、キャラの一人にシンメトリー狂がいたなあ」と。で、記事の投稿後、NetFlixに飛ぶと、なんと「ソウルイーター」を宣伝する大画面。「ええ、ソウルイーターやるの」・・・・かなり感激しました。それに私、小見川千明の声の大ファンです。そして「おおー、今回の投稿作業につながる、明確なシンクロニシティーだなあ」と思いました(思ったすぐあとに現れる、なんて)。そして「魂を喰らう者か・・・・・何か意味があるんだろうか、このシンクロ的展開は」とも思いました。個人的運命か、それとも日本社会の運命にかかわることなんだろうか、などと・・・・。ま、考えすぎですよね。 -
11月は私の誕生月です。
11月27日生まれなので射手座になります。
そういうわけで、前回は中学高校時代の音楽に関する思い出話をしましたが、今回は、私が小学3年生だったころの話です。
私の両親はともに戦前生まれで、しかも山奥のド田舎出身者です。加えて双方に兄弟姉妹が7.8人もいて、本人たちも含め兄弟姉妹が親に大事に扱われて誕生日を祝うというようなハイカラな習慣を家庭内で持った経験がなかったんだと思います。
年を重ねるというのは、戦前生まれの田舎暮らしの人々にとっては、数え年方式ですから、正月を迎えれば皆一斉に歳をひとつ取るというのが、本来の「日本式の年齢の感じ方」でした。
そのせいか、小学生時代、同級生の誕生会に呼ばれたことはありましたが、自分の家の中では、「誕生日おめでとう」と両親から言われたことは一度もありません。もちろん誕生日のプレゼントなどもらったこともありません。
小さいころから「ウチはそういうウチなんだ・・・・・」と受け入れていたので、親の誕生日が来たとき、逆に子どもの側から親に向かって「誕生日おめでとう」と言うこともまたありませんでした。「家族の誕生日は勝手に過ぎていく」・・・・。そういう家庭でした。
それが小学3年生の11月27日の夜、私はなぜか(ついに我慢できなくなったのでしょうか)「今日はボクの誕生日なんだからケーキかなんか買っててよ」と母に言うと、「ああそう。じゃこのお金をやるから店で何か買ってきな」的なことを言われて、お札を一枚渡されました。何円札だったのかははっきり覚えていません。
とにかく「誕生日を覚えていないなんて、ひでえ親だ」と内心思いながら、もらったお金をポケットに突っ込んで、一番近い店に買い物に行くことにしました。
過去、その店と私にはちょっとした私的な縁もありました。私が幼稚園に通う時期になったとき、その店のおばちゃん(奥様)が「年少組の4歳の長女を連れていっしょに幼稚園に通ってくれないだろうか」と頼みごとをしてきたのを、母が快諾したのでした。「あんたはあの子といっしょに幼稚園に通いなさい」。それで私はまず自宅を出て家の前の道を真っすぐに南に進み(灰色のスーツの男に後をつけられた道です)、最初の角を右に曲がって、その店の前まで行って、その女の子を拾って幼稚園まで一緒に通園していた時期があったのでした。幼稚園はその店の前の道を延々と東に進んだ先にありました。
さらに余談ですが、こんにちではこんな地方都市でも幼稚園児たちが(ましてや4歳児が)街中を歩いて通園している姿を見かけることはありませんが(基本送迎バスです)、今思うとあれだけの距離(約1km)を黄色い帽子に紺の園児服を着て、4歳と5歳の子供がふたりで毎日トコトコ、トコトコと歩いていたなんて、とんでもない話だなと思います。
話を小学3年生の11月の時点に戻します。
当時の小路は、こんにちのような明るい夜道ではありません。月明り以外ほぼ真っ暗です。私は、その真っ暗な道をとにかく店まで走りきることに心のエネルギーを集中させました。「ここから真っすぐ走って、それから右に曲がれば店に着く」とイメージしつつ、それでもまだ小学3年生ですから、生い茂った柳の木々なんぞ見ると何か出て来そうで怖いのです。タッタッタと軽快に、しかし、ドキドキもしながら走っていきます。
走ってきた道を右に曲がると、明るい光に照らされているその店先が見えました。店の前で走るのをやめて、外から店の中を覗くと、想定外の理解不能な光景を目撃しました。
店主のおじさんが、椅子に座って腹のあたりを押さえながら、うなっていました。腹の前のあたりに血の跡が広がっていました。今思い出すと不思議なのですが、すでに寒い時期だったはずなのに、おじさんは白い肌着にステテコ姿だったように思います。その肌着の腹の部分が血に染まっていたのでした。「え、これ何・・・・・」おじさんに声をかけようなんて思い浮かびもしません。私は店の外で立ちすくんでいました。(イラストは昭和テイストがまったくないので、店内の明るさも含め、読者の昭和の商店イメージで補完してください)。
「おじさん刺されたんだ」と思いました。私はショックを受け、茶色い木製の三脚椅子に座って腹を押さえてうなっているおじさんの様子をただ見ていました。店はしーんと静まり返っていて、普段店番をしていたはずの奥さんが見当たりませんでした。
すると救急車がサイレンを鳴らしてやってきました。
私は突然脱兎のごとくに駆け出しました。真っ暗な道を、来た時よりももっと一生懸命に自分の家に向かって走りました。
自宅にたどりついて、母が私の様子を見て「あんたどうしたと。顔色が青いが・・・・・」と言いました。私は、いま自分が体験したことを語りながら、もらったお札を母に返しました。
結局、その夜は「悲惨な誕生日」になったのでした。店で買えたはずだった「うまいもの」は何も手に入らず、ただ、ショック状態で床に就いただけでした。
後にご近所で仕入れた噂話を母が教えてくれました。ある男がその店でクリームパンを買ったのですが(当時50円くらいでしょうか)、金を払わずに逃走したのです。「金を払え、払わない」でひと悶着あったのでしょうか、その時、奥さんは刃物で手の指を切られ、おじさんは、その男を追いかけましたが、追いついたときに、その男に腹を刺されたのでした。
男はその場から逃走し、近くの大瀬川に飛び込んで泳いで渡って逃げたそうです。もちろん犯人は捕まりました。ある意味悲しい昭和時代の事件です。腹がすいているのに食べ物を買う金がない男が、たった50円のクリームパンのために店主の腹を刺してしまったのでした。「金を出せ」とナイフで脅してレジスターから金を奪うというような典型的な強盗事件ではなかったのでした。男はなぜそういう境涯(すきっぱら状態)にいたって、私のご近所に現れたのでしょう。詳しいことは私にはわかりません。
結局、その誕生日以降、私は二度と自分の誕生日を親に訴えるようなことはしませんでした。
「家族の誕生日は勝手に過ぎていく」別にそれでいいと思いました。
大晦日には「今夜は歳取りの晩だから」と、父がおちょこにお酒をついで、「お前たちも飲め」と「三人の小学生の息子たちに飲酒を強要してきました」から、家族が歳を重ねることに関心がなかったわけではなかったろうと思うんですよ。
習慣はあっという間に変わります。明治維新以前は、葬儀は皆白装束で臨むのが基本でした。日本人が葬儀において黒い衣装を着るようになったのは、「近代西洋人の文化」がそうだったので、西洋基準に合わせた結果、一気に日本全国に広がりました。
神社文化における神前結婚も明治維新以前にはありませんでした。結婚式はそれぞれの家で行っていたのを、西洋人が教会で結婚式をしているのを日本人が見て、それでは神社もやりましょうと始めたものです。
ということで、最後はまったくの余談になりましたね。今後も「何がフォーマルか」「何が常識か」についての日本人一般の観念体系も変わっていくのでしょうねえ。 -
最近、よく聴いているのがThe Booyah! Kidsです。
もう1曲紹介
彼らの楽曲をいろいろ聴いたなかでもっともお気に入りの2曲です。
日本人受けしやすいアレンジやメロディーラインを持ってるなあと感じます。メンバー構成はジュリアン・カウフマン、エイダン・ラドラム、エマ・リーの3人組構成です。
実際に聴いてみて、「うん、いいじゃん」と気に入ってくれる方がいるといいなと思います。
私の一番のお気に入りは、紹介したくらいですから、もちろん「Don't trust me」ですが、英語圏のページを検索して読んでみたら、リーダーのジュリアン・カウフマンは「最も誇りに思う曲は何ですか?」というインタビュアーの質問に「Don't trust meです」と答えてます。彼自身にとっても会心の出来だったんですね。以下、参照したページです。
インタビュー:ブーヤ・キッズ
ニューヨークを拠点にして始まったバンドです。エマ・リーは東洋系の女性です。Leeというラストネームから中国か韓国をルーツに持っている人なのかなと思います。
自分個人用にいろんなアルバムから20曲ほどチョイスして、「私家版ベストアルバム」も作成して聴いてますよ。
・・・・・・ということで、
おすすめ記事が簡単に終わっちゃったので、以下私の、社会人になる以前の音楽についての思い出話をしようと思います。
今はテクノロジーの発展のおかげで、こうして「お気に入り曲」の「披瀝」なんぞをしてますが、「不特定多数相手にそんなことをしようとは思っていなかった時代」もありました、という話です。
中坊のころから、音楽に関して生意気な態度をとってきた私でした。
21世紀の今ではJ-POPという言葉で「型抜き」されるようになった日本の流行歌界隈ですが、私が中坊だったころ(昭和40年代後半)は、日本の音楽は「歌謡曲」と呼ばれていました。それまでは歌手は歌を歌うことだけにおのれの技量を特化し、歌詞や楽曲は「先生と呼ばれる人たち」が注文を受けて制作していた時代です。
当時の私の観察によれば、歌謡曲において、ランキングのトップ10を競っている勢力には演歌系とアイドル系の二大派閥があるという認識でした。
いっぽうで、当時の音楽産業界における「オルタナティブ」としてフォークとよばれるジャンルがありました。彼らは基本テレビに出て来ませんでした。井上陽水やかぐや姫など(アニメ「トリトン」のEDには出てましたけどね)はそういう界隈から出てきたのでした(今回は当時の洋楽体験の思い出話ははずします。もちろん邦楽同様強烈なものがいっぱいあるんですけどね。当時のラジオ文化って邦楽も洋楽もごった煮状態で流れていましたよね)。
まだまだAMラジオは絶大なる影響力を持っており、FMの方が音がよいということで、だんだと皆が、音楽ならFMで聴くというような流れができ始めていた時代です。
こんにち、当時の流行歌界隈においてトップ10に入っていた多くの「歌謡曲」が忘れ去られています。いっぽうで、たいしてヒットもせず、したがってオリコンの上位ランクとは無縁だった楽曲が、いまだに忘れられない曲として、当時、私と同じような中坊だったり、高校生だったりした人に強烈な「忘れられない音楽との遭遇体験」として保持され続けています。山口一郎の父上はまことに的確なご指摘をなさっております。
時代は私が中坊から高校生に移行するころに、フォーク時代からニューミュージック時代になりました。こんにちYouTubeで、海外において、日本の70年代80年代の音楽がバズっているという動画をよく見かけますが、まさに「同時代体験」ができたことは幸福なことだったと思います。
とはいえ、生意気な中坊だった私は、トップ10の音楽には関心がありませんでした。いつも「私だけがそのすばらしさを理解しているミュージシャンがいる」と感じさせてくれる歌をラジオを通じて探し求めていました。実はこの「生意気な感覚」は当時の少年少女の多くが抱いていた人前では大声で語らない「隠れた感情」でありました。
当時、「私だけが知っている名曲を求める」というような、ある種、飢えのような、精神的な態度をもってラジオを聴いていた中学生や高校生が実はたくさんいたんじゃないかと思います。だから「本当に自分がすきなもの」は自分だけの心の金庫にしまって人には明かさない・・・・・、みたいな奇妙な心の態度を「あの頃の少年少女たち」の多くが持っていたと思うんですよ。
そのような少年少女の心の態度って、福音書の種のたとえ話を思い出すじゃないですか。たくさんの種が広い場所におちて根を出したのに、根が浅いので風が吹いたら、みな吹き飛ばされてしまった。一方で数は少ないけれど、しっかりと地中に根を張ったものたちは、その場に踏みとどまって、さらに成長をしていくみたいなイメージのたとえ話がありましたよね。
だから、ヒットチャートという「瞬間測定器」には、はかばかしい売り上げデータとして表にでてこなかった楽曲群が、ひそかに当時の少年少女たちの心の中で大事にされてきた、ということなんでしょう。「少年少女だった彼ら」が成人していくにつれ、「その時代にはまだ全面的に表に現れていなかった価値」がのちに「だんだんと社会的に評価される」ようになる。「売り上げ」は、「物質界に関わる産業的な評価」であり、「未成年たちの思い出から消えなくなる力」は「精神界に関わる評価」です。
以前にも、当ブログで今回の投稿と同じようなことを書きましたが、いい歳こいた今でも、私はヒットチャートに登場してくる楽曲には(海外も日本も)まったく関心が沸きません。必殺仕掛人たる広告代理店などと共闘して行われる産業主義のにおいがプンプンするものが、いやなんでしょうねえ。いや「そういう外面性」を持って現れても「いい曲」ならば、「いい曲」として評価してきましたよ、もちろん。ただ、本質はいまだに〈中坊魂〉のままなのです。
思い出話をひとつ。私がカバー曲として公開したシュガーベイブの「DOWN TOWN」。17か18歳の高校生だった当時、私はこの曲の一部しか知りませんでした。ドアを開け自室に入って机の上のラジオをつけたところでした。すると「ダウンタウンへくりだそう」とフェイドアウトしていく最中でした。たぶん終わりの10秒くらいしか聴けなかったのに、その時受けた衝撃といったら。「え、いまの何、何、何?」と今流れた楽曲の紹介を期待して待っていましたが、情報は得られませんでした。それ以降一度もその楽曲に「遭遇する」ことがありませんでした。
のちにその曲がシュガーベイブという山下達郎が所属していたバンドの曲だったと解ったとき、また衝撃を受けました。というのは、山下達郎は別口で追いかけ始めたアーティストだったからです。79年ころの話です。いろいろアルバムを集め始めました。情報を追うと彼はシュガーベイブというバンドにいて「SONGS」(1975年リリース)というアルバムを出しているということを知り、ついにそのアルバムにまで手が伸びました。
家に帰って即買ってきたレコードをかけました。曲名とかチェックしないで、流し聴きです。しょっぱなから出てくる音(村松邦男のギター)が独特で「おー、いいじゃんこれ」と思いながら聴いていました。すると曲目が変わり、次に流れ始めた曲のなかで、あの「ダウンタウンへくりだそう」と繰り返すコーラス部分が流れたとき、「あっ」と衝撃がきました。曲名をずっと知りたいと思っていながら、「もう一生出会うこともないんだろうなあ」と半ばあきらめていた楽曲。「なんとこれだった!」と分かったときの鳥肌感たるや・・・・。
私はその時まで「あの曲はなんという曲なんだろう」というもやもやを抱いたまま暮らしていたのでした。今ならネットで即解決ですけどね。ラジオだけが頼りの時代、ラジオは結構聴いていたはずなのに遭遇できませんでした。当時は「それほどにラジオ局のDJにさえ相手にされない曲だった」んです(まあ、めぐり合わせというか、私の運もなかったんでしょうねえ。どこかでは流されていたでしょうし)。
そして「最後の10秒間」ではなく、曲全体をあたらめてちゃんと聴いたとき、「やっぱこれすごい名曲やわ」と確認できたのでした。「よい音楽」は、たった10秒流れただけでも、当時17か18歳だった高校生に強烈な印象を残したんです・・・・。この曲と言わず、「みんなに知られていない楽曲」に強烈な思い入れを持ってしまった、「ラジオ」が頼りの昭和時代の少年少女たちがいっぱいいたはずです。
ということで、もはや少年少女世代ではないですが、いまでも中坊魂を持って音楽を聴いています。下校時間帯にたまたま道で中坊たちを見ると、「あの子ら(浅く根を伸ばす多数派系ではなく、風に吹き飛ばされない根を深く伸ばすことのできる系統の子ら)も人に明かしたくない自分だけの宝物をひそかに心に抱きしめて生きてるんだろうなあ」などと思いますよ。子供だから子供扱いされている彼らの内面で機能している「その審美感覚、センス」は馬鹿にできないものなんですよねえ。 -
今回は前回の記事をさらに補足するため、シュタイナーがスポーツについてどのような見解を持っていたかこれからご紹介したいと思います。-------------------------------------------------------------
一度、「人間は生まれてから死ぬまで、地上存在である」ということを、考えてみてください。人間は地上で働かねばなりません。しかし、いつも仕事をしていることはできません。身体が消耗したりします。
人間は身体を動かそうとしますが、地球に適したように物質的身体を動かそうとはしません。人間はエーテル体に従おうとします。エーテル体は円環運動をしようとします。それで、人間は踊ります。踊るのは、人間が物質的身体ではなくエーテル体に従おうとすることなのです。踊りたいと欲望するのは、人間が物質的身体を忘れて、自分は宇宙に属する存在であると感じることができる、ということなのです。
人間は内的な感情に従うと、宇宙に属したいと思い、エーテル体に従うでしょう。人間は本来、地球が欲するように動こうとせず、エーテル体に従おうとします。エーテル体が欲する動き、円を描く動きが大変気に入ります。ですから、人間は地球に属する動きに慣れねばなりません。この通常の動きを、私たちは教育のなかにも受け入れねばなりません。体操です。
なぜ人間は体操をするのでしょうか。体操は、普通に地球に適応できる以上に、もっと地球に適応するためのものです。人間がエーテル体から離れて、常時エーテル体に従うことがないように、体操をするのです。しかし人間は、宇宙からまったく切り離されないために、地上に結び付かない動きもしなければなりません。
私たちは唯物論の時代に生きています。唯物論に憧れる人間は、たいてい西洋に生きています。古い文化を有する東洋人・アジア人は、地球に属することに執着しません。東洋人・アジア人は、キリスト教徒よりもずっと、地上を「涙の谷」と考察します。東洋・アジアに生きる人々は、できるかぎり早く、そっと浮世から去ろうと願います。
しかし、西洋の人間は地球を、非常に好みます。口には出しませんが、西洋人はいつまでも地上にとどまりたいと思っています。
「エーテル体は、天に合った動きをしようとする。惑星は円を描いて動き、地球は円を描いて動く。エーテル体は円環運動を欲し、物質的身体は円環から抜け出たいと思う」と、言わねばなりません。人間はたくさん仕事があると、この円から抜け出ます。しかし、西洋の上層階級は仕事をする必要がありません。彼らは、どうなるのでしょう。
彼らには、奇妙なことが起こります。エーテル体が絶えず煩わしい思いをさせるので、彼らは居心地悪く感じます。ビーフステーキを食べる人間が世界を歩むと、絶えずエーテル体に悩まされ、苦しめられます。そして、円環運動をしたくなります。ビーフステーキを食べる人間は、エーテル体の円環運動に従おうとします。しかし、何ということでしょう。それは大変不快なのです。
エーテル体は絶えず踊ろうとし、きれいな円環運動をしようとします。ビーフステーキを食べる人は、その動きについていけません。彼は物質的身体を強くして、エーテル体に円環状にひっぱられないように、物質的身体を慣れさせようとします。こうして、彼はスポーツをします。体操ではなく、スポーツです。
スポーツをすると、その結果、人間は完全にエーテル体から抜け出て、物質的な地球の動きにのみ従います。こうして人間は、ますます地上に親しみ、精神界から離れます。
人間は精神世界について考えないことによってのみ精神世界から遠ざかる、と思ってはなりません。スポーツをしすぎることによっても、精神世界から遠ざかるのです。つまり、物質的身体をエーテル体からまったく離れさせることによって、人間は精神世界から遠ざかるのです。これは人間にとって恐ろしいことであり、まったく気がかりなことです。
スポーツに打ち込むと、人間は精神的なものを忘れます。そういう人たちは、死ぬと、すぐに精神世界から戻ってきます。西洋文明全体が精神を受け取らないと、精神世界に戻りたくない人間のみが地上に住むようになるでしょう。そうなると、しだいに地球を崩壊させる人間たちのみが、地上に住むようになるでしょう。すでに、そうなりはじめています。人間がもはや、まったくエーテル体にへと向かわず、物質的身体のみに向かうと、地上には恐ろしい状態が到来するでしょう。ですから、精神科学によって介入しなければなりません。人間を物質的身体のなかに駆り立てて、まったく地上的にする動きに、別の動きを対峙させることによってのみ、それは達成できます。
いま人間は、最も重要なのは地上的人間になることだ、と考えています。このような状況に、みなさんは心が痛むでしょう。
私は去年の夏、イギリスに行ってきました。イギリスを発つとき、イギリス全体が興奮に満ちており、夕刊に載る重要な出来事を待っていました。みんながかたずを飲んで、いまかいまかと、夕刊を待っていました。何を待っていたのでしょう。サッカーの結果です。
私たちは、ノルウェーから下ってきたところでした。私たちが乗車すると、多くの人々が私たちとともに乗車しました。プラットホームは満員でした。汽車が動き出すと、「万歳、万歳」という声が響き渡りました。つぎの駅でも、「万歳」と、人々が叫びました。もちろん、私たちに向かって歓声が上げられたのではありません。中欧からやってきたサッカー選手たちが、汽車で帰るところだったのです。
今日、人間は何に興味を抱いているのでしょう。何百万という人々の幸福と苦痛に関わる出来事よりも、物質的身体をエーテル体から引き離すもの、つまりスポーツに今日の人間は関心があり、人間は地上動物になっていくでしょう。
これが今日、全世界でなされている運動、ますます広まっている運動に、別の運動つまりオイリュトミーを対峙させねばならない理由です。オイリュトミーはエーテル体に則ります。オイリュトミーを鑑賞すると、エーテル体が行う動きを見ることになります。スポーツを鑑賞すると、物質的身体が遂行する動きを見ることになります。
スポーツへの憧れが強いので、これは非常に重要なことです。私はスポーツ全般に反対して語るつもりはありません。仕事をする人がスポーツに駆られるのは、よいことです。仕事においては、不自然な動きに慣れねばならないからです。物質的身体に適合した、自然な動きをスポーツのなかに持ち込むと、スポーツはレクリエーションとしてよいものです。しかし、多くの人々が参加する今日のスポーツ活動は、レクリエーションになっていません。
朝急いで教会に行って、「私は天にいます一なる神を信じる」云々と祈るスポーツマンがいます。もちろん、スポーツマン全員がそうなのではありません。しかし、なかには、そのように祈ってから競技場に行くスポーツマンがいます。彼らの行動を言葉にすると、「私は天の一なる神を信じない。神は私にエーテル体を与えた。しかし、私はエーテル体について何も知りたくない。私は肉と骨を信じる。それが、私の唯一の至福なのだ」という意味になります。
これが、今日行われてものの、必然的・無意識的な結果なのです。「精神的なものを何も知りたくない」と言う人が唯物論者なのではありません。人間全体が精神的なものから引き離されることによって、人は唯物論者になるのです。
だれかが森のなかを歩いており、霧が深くて道に迷ったら、エーテル体について行く、と私は言いました。そうすると、同じ場所に戻ってきます。回転するのは、そんなに悪いことではありません。あるときはエーテル体に、あるときは物質的身体へと揺れ動きます。人間は物質的身体とエーテル体を育成すべきです。
しかし今日、西洋では一般に、エーテル体から完全に離れて、物質的身体のみを育成する傾向があります。それは恐ろしい唯物論、有害な唯物論を形成します。思考的な唯物論は最悪ではありません。最も有害なのは、人間全体を動物へと突き落とす唯物論です。このことを、よく考えねばなりません。
人々は、「こいつは生半可な知識を振り回す俗物だ。スポーツを罵っている。スポーツは、とても有益なものなんだ」と、言いがちです。
私はスポーツを罵っているのではありません。人間は自由な存在です。しかし、単にスポーツに熱中していると、人間として崩壊するでしょう。(『人体と宇宙のリズム』P69-P75)-------------------------------------------------------------
今回も私が気になった個所をいくつか箇条書きしておきます。
①踊るのは、人間が物質的身体ではなくエーテル体に従おうとすることなのです。踊りたいと欲望するのは、人間が物質的身体を忘れて、自分は宇宙に属する存在であると感じることができる、ということなのです。
②物質的身体に適合した、自然な動きをスポーツのなかに持ち込むと、スポーツはレクリエーションとしてよいものです。しかし、多くの人々が参加する今日のスポーツ活動は、レクリエーションになっていません。
③今日、西洋では一般に、エーテル体から完全に離れて、物質的身体のみを育成する傾向があります。それは恐ろしい唯物論、有害な唯物論を形成します。思考的な唯物論は最悪ではありません。最も有害なのは、人間全体を動物へと突き落とす唯物論です。
最近、YouTubeの「ハンターCh」で榎木孝明氏が古武術をやっている自分に関連させて「筋力に頼らなくて済むのが本来の日本人の体の使い方だというのが分かったので」と述べていたのが印象的です。
日本の盆踊りに典型的に見られるように、日本の伝統的ダンスは円運動を行います。東洋の舞、ダンスは「筋肉に負担をかけるようなこと」をそもそも行ってきませんでした。
日本の古武術、というかその淵源となっている記紀の神々の時代以来の武術(そういえば記紀の神々の武術考察を当ブログでやったことがありました)は筋力に頼った技術体系ではなく、エーテル体の動きに則していたと思います。
植芝盛平によって近代に成立した合気道も、「その精神」の系譜にあるために、「筋力トレ」を修行の基礎に置いていません。達人のワザは、まるで舞っているように見えます。
シュタイナーは別の著書で「バレエは幾分唯物論的です」と語ったことがありますが、バレエが「身体に筋力の負荷を要求するダンス」であることを考えれば、その著書を読んだ際「はて、どういう意味?」と思いながら読み飛ばしてしまった学徒にも、今回のシュタイナーのスポーツ論を読めば、合点がいくのではないかと思います。ちなみに、私はバレエを見るのは大好きです。ただし古典バレエですが。古典バレエはまだ古い時代の精神性へのまなざしの余韻を、その舞台演出などで垣間見ることができますから。20世紀末から21世紀にかけてますます盛んになっているように見える、米国製のダンスは、いまはヒップホップをBGMにして激しい動きを頻繁に行うようになっています。ダンスというより「有酸素運動」といってよいほどに「優雅さ」とは無縁な動きを行います。
「筋肉への偏愛」は「近代の西洋男性たち」から始まったのです。近年アメリカ人男性たちのマッチョイズムは女性をも男性化しています。そして女性の外皮をかぶった「男性性」がスポーツ競技の世界にまで入り込んでいます。フリーメーソンは女性性を排除した秘儀をめざしています。(この問題についてはいずれご紹介する機会もあるでしょう)。
「精神ではなく筋肉運動の喜び」が勝ります。それは審美的にも「女性性の撲滅」「女性の外皮の中身が男性化」「男性性のみによる秘儀参入」(さきほども言いましたが、シュタイナーによれば、これはフリーメーソン思想の土台でもあるのですが)、それがもっとも顕著に表れているように見えるのが、こんにちの米国の政治的文化だと感じます。それは、精神生活、あるいは霊界への道とつながるよりも、むしろ、それを忘れさせるようなもの、つまり「物質界のことだけを考えて生きていたい」と思うような人々を量産するのに大きな寄与をしていると言えます。