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YouTubeで「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」を聴いて「しみじみした」と書いたけど、実は同じ頃、武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」タモリ編も聴いた。タモリの出世話はそれはそれでとても面白かったけど、それとは別に記憶にはっきりと残ったのは、「1975年の日本の30歳以下の割合は全体の49.4%だった。当時は日本人の半分が若者で日本中が若者だらけだった」というような趣旨の部分だった。
今年の日本の人口はどんな具合になっているのだろうと思って、ネット検索してみると、①15歳未満、②15~64歳、③65歳以上のおおまかに三つに分けた資料ばかりでてきて、30歳未満の人口比率が分からない。
けれどおおよその予想はつく。私が15歳だった1975年。中学3年だったときの学年の人数は約400人で10クラスあった。いま同じ中学校の3年生はすでに200人を切っている。市内のほかの中学校も1975年時の半分以下になっている。
おそらく2017年の日本において30歳未満の「若者たち」はおよそ25%~35%くらいの間にいるんじゃないだろうか。
「若者の音楽」を買ってくれる「若い層」が1975年の半分近くに減っているとすれば、産業が斜陽化するのも当然だ。それに加えて「新譜購入の誘引力」となる「新しい音楽の出現」という70年代に生じた「若者に鳥肌感覚をもたらした音楽感覚の革新」はもはや「商業的」には、起こりそうにない。今の日本の音楽状況はダブルパンチ状態なのだった。
私の場合、2000年以降、インターネットを始めて、仕事から帰ったら見ていた深夜のテレビニュース番組もだんだん見なくなってしまった。
ただテレビ経由で出会った音楽については、2007年に公共広告機構のCMでPerfumeが踊りながら歌っていたのを見て「おお、誰だ、この女の子たちは」とひさびさ「追ってみたくなる対象」を見つけたが、それ以後は、またもとにもどってしまった。もはやテレビ(というか電波系)をまったく見なくなったし(映画・ドラマ・アニメコンテンツはhuluとかGyaoのみ)。
Perfumeの音楽を担当した中田ヤスタカの仕事部屋は、シンセで一世を風靡した小室哲哉の仕事部屋とはまったく違っていた。以下の写真はYouTubeからとってきたもの。
PCとモニターとMIDI鍵盤とモニタースピーカー、そして隣に半畳ほどの声を録音するための部屋。たったこれだけである。音楽製作は究極のスタイルにまで到達した。これはギタリストなどの演奏家の部屋ではなく、「作曲家の部屋」である。かつては、たとえばベートーベンの目の前にあったピアノとペンとまっさらの楽譜がPCとMIDI鍵盤になった。YouTubeなんかで見かけるアマチュアの部屋のほうがもっと物(機材)が多くで雑然としているのに、なんとシンプルなんだろう。
さて「音楽の革新」「新しい音楽感覚」についてはどうだろう。シュタイナーなんかは将来人類は8度(オクターブ)の音程を特別に感じるようになると語っていたが、それと商業音楽が連結する時代がくるかどうかは分からないな。
そういうわけで、私は「思い出の音楽」に浸り、このブログでも紹介した「日本ではちっとも有名にはならなかった2000年以降、日本で手に入れることのできたJ-POP以外の音楽」をおもに聴いている。
最近「若者の音楽」で「これいいなあ」と思っているのはガリレオ・ガリレイの「ALARMS」というアルバム(解散しちゃったけど)。当然存在を知ったのはアニメ経由。「サークルゲーム」とかぐっとくるフックがあっていいよね。彼らは米国の小説家サリンジャーの登場人物を引用しているね。アニメ攻殻機動隊の「笑い男」で引用されたあのサリンジャーだよ。PR -
ここ最近、YouTubeで「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」というラジオ番組の録音を聞いていたんだけど、なんかしみじみしちゃってねえ。吉田拓郎は今年4月で71歳になってるんだよね。小田和正が今年9月で70歳になり、70年代に登場し日本の音楽を牽引してきたミュージシャンたちはみな60歳以上になっている。
CDの売り上げで見れば、90年代が最高の時代だったけど、それは70年代に打ち上げられたロケットのエンジンから出る炎が80年代末期に消えたにも関わらず、ジェットエンジンの推進力の余力でもう少しだけ上空(90年代)へ向けて飛んでいき、2000年代以降、ゆるやかに放物線を描いて降下し始めたイメージなんだよね、自分にとっては。
60年代にも音楽会社はもちろんレコードを売っていたけど、いわゆる流行歌、「歌謡曲」の購買対象は別に「若者限定」ってわけじゃなかったよね。70年代に「若者に売りつける音楽」が「音楽産業」に登場したんだよね。
そして巨大な波のように「音楽の消費者」として登場してきた若者たちが、「若いミュージシャンたち」の音楽を追いかけてきたが、21世紀の彼らはもはや「若者」ではなくなって、ミュージシャンとともに老いてしまった。
私は1960年生まれなので、1973年に中学1年生だった。その中学生1年生が当時はやりだったラジカセを親に買ってもらい、熱心に音楽を聴くようになった。中学2年になると親戚の叔父さんにいくつかのレコードといっしょに中古のモジュラーステレオをもらった。母と一緒にデパートにでかけたとき、「レコードを買ってやるよ」と言われたので、かぐや姫の「かぐや姫LIVE」を買った。それが私が買った最初のLPだった。ちなみに購入時期はあとになるが、最初のEP(ドーナツ盤)はクイーンの「キラークイーン」だった。
そこから小遣いをすべてLP購入に投入する生活が始まるわけだが、結局大学を卒業して、社会人になり、ラジオを聞かない生活が始まるとだんだんと「新しく出た音楽をあさる習慣」はなくなっていった。まるで「いちご白書をもう一度」の歌詞的な道行だよね。中学3年のとき、このシングル盤を聴きながら、「ああオレも大人になったとき、こうなるのかなあ。人生って悲しいんだなあ」と思ったのを思い出すが、中学生の「もののあわれを感じる心」は当たっていたんだね。
YouTubeで大貫妙子と山下達郎の対談も聞いたけど、山下達郎のコンサートにくるお客の中心は40歳から50歳代のオトコたちだと聞いて、20代のころ宮崎市で山下達郎のコンサート(EPOや村田和人がバックコーラスにいた)に出かけた自分を思い出して、またしみじみとした。
90年代にスピッツやMr.Childrenや宇多田ヒカルが出てきたとき、「ああ、いいじゃん」とは思うのに、自分には「それを追いかけるマインド」がすでに消えていた。「ああ、自分がいま中高生だったら、今の中高生のように夢中になったかもしれない」と思った。「いいんだけど、新しい音楽じゃない」と。90年代を折り返し地点に、それからは、「流行歌」を追いかけることはまったくなくなって、「思い出の音楽」つまり自分が中高生だったときに聞いていたミュージシャンの音楽を聴くか、時々、「あれ、これいいかも」と単発的に出会えたJ-POP以外の領域の新譜の音楽CDを年に数回購入するばかりの生活になって現在にいたっている。でも2000年前半くらいまではときどきビデオデッキでFMの音楽番組を留守録していた。それをカセットテープに再編集するのである。インターネットは2001年に始めた。当然最初はダイアルアップ接続だった。そしてエアチェック音源をCD-Rに焼く時代に入るが、それもいつしかやめてしまった。
大滝詠一や村田和人の訃報を聞いたときは、愕然とした。なんだかすごくもやもやした。加藤和彦の辞世の言葉「世の中が音楽を必要としなくなり、もう創作の意欲もなくなった。死にたいというより、消えてしまいたい」を思い出す。若者が「若者の歌の時代」(音楽産業隆盛時代)を支えた時代は終焉しているんだと痛切に思う。そして「自分はいつまでも若いと思いたいけど、やっぱり、すでにただのおっさんでしかなかったのだなあ」としみじと思ったのだった。(つづく) -
あのPerfumeの振り付けをしているMIKIKO先生の振り付けによる「恋ダンス」が大ブレイクして、その「恋ダンス」で踊る北朝鮮の少年律動体操のMAD映像がテレビ番組で紹介されて、「テレビで紹介された」という記事がネットのポータルサイトに出て、まあ、そんな流れでYouTubeの関連動画を適当に眺めていたら、そこでかやっちの「恋ダンス」を見つけたのだった。
非常に気になる人だったので、ほかのダンスもいろいろと見てみた。最近UPの「恋ダンス」時は22歳くらいらしく、髪を短くしてツインテールをやめ、すこし大人っぽくなっていたが、超スレンダー時代(未成年時代)の破壊力がすごかった。昔このブログでも紹介したベッキー以来の衝撃だなあ。それに「さまざまな衣装をまったく違和感なく着ている」のも衝撃だった。全身が細くて手足が長い(身長は170cm、あるいはもっとあるらしい)というのはその通りなんだけど、彼女の踊りはひょろひょろしていない。なんかシュッとしてるじゃないか(この関西弁の使い方でOK?)
香港人でサブカルマニア。すごい娘だなあ。
私のお気に入りは以下の三つ。
バレンタイン・キッス
彼女が踊っているのはオリジナルの国生さゆりバージョンではなくて、AKB(渡り廊下走り隊7)バージョンの振り付け。特殊効果を使った二人バージョンもいいね。
以下、振り付け本家バージョン
恋愛サーキュレーション
ラブポーション
出だしの、ピストルを撃ってるのような振り付けがいいよね。 -
ダイソーに寄ったら、南天が1本売れ残っておりました。それで、これは使えるんじゃないかと思い、買って帰り、さっそくヤフオクでゲットした一輪挿し用の花瓶と花台をセットにして、「なんちゃって生け花」(ニセモノを生ける場合の呼称としました)をやってみました。
このまま1週間ほど飾っておりました。
本日やっといい感じの気温になりましたねえ。そこで庭に咲いていた馬酔木の枝を切って、これまたヤフオクでゲットしておいた一輪挿し用花瓶&花台に生けてみました。
写真では伝わりにくいですが、近くで接すると、これもなかなかジンとくる趣があっていいですねえ。小原流式に水盤を用いて派手目に花を生けるのも、これはこれでいいんですが、しばらくはワビサビ系を追求してみるつもりですよ。
p.s.1
上の写真はほとんど形がわからないみたいなので、最近買ったスマホ(au アルバーノ・青)で撮った接写バージョンを改めて、上げておきます。もとの写真をPCで0.4倍に縮めちゃった写真ですけど、まあこれなら分りますよね。 -
自営業なので、当然毎年確定申告するわけです。
e-Taxで行うようになって4年目になりますが、もうほんとに分かりにくい。
去年はWindows7でブラウザはfirefoxで行ったんですが、今年はまたシステムが変更され、windows10の標準ブラウザEdgeは使えず、代わりにIE11を呼び出して行ってくれ、などと注意書きが書かれている始末。「なんだよ、それ。おかしいぞ、国税庁」と叫びました。
しかも去年はそれまで使っていた住基カードの代わりに新しく届いたマイナンバーカードを使ったんですが、要求された暗証番号は住基カード時代と同じ4桁のみでした。今年は突然6桁を要求され、「知らんぞ、6桁なんて」とまた叫びました。結局、適当に入れていたら、はじかれてロックされたので、6桁の暗証番号を確認するために市役所にいくはめになりました。ちなみに市役所のシステムはWindows7でしたよ。日本の役所って日本全国どこもまだWindows10を使ってないんじゃないのかな。国税庁の職員ももしかして与えられているパソコンのOSはいまだにWindows7のままの可能性が大ですね。そして一般の人がWindows10にさっさとくらがえしちゃっているので、職場ではWindows7を使っている国税庁職員がe-taxではWindows10を使った申告システムについて解説している。
「今年のe-taxはおかしいですよ。Edgeでは申告作業ができず、IE11でしかできないなんて、国税庁が書いてるんですよ。Windows10に付いているサブブラウザを使えってんですよ。IEの呼び出し方はこうですと。去年、私firefoxでやったんですけどね。しかも今年から6桁の暗証番号を要求するようになったんですよ。確かマイナンバーカードに替えたとき、市役所の職員さんから暗証番号はそのまま使えますと言われた気がしますが、それって4桁の暗証番号のことなんですよねえ。実際去年は4桁でOKでしたから。今年はe-taxあきらめて直接税務署に行った人が多いとおもいますよ」と言ったら、市役所のお兄さんが「えっ」と言って確認すると「わ、ほんとIEだけですねー」とか言って驚いてる。
最近、ネットニュースで源泉徴収の申告をe-taxで行っている企業が450万件くらいあるが、今年1月ごろ、e-taxにシステム不具合が生じ、企業側の申告が完結していない案件が多数報告されているという記事を見た。このことを知らない企業が多数存在すると。
あー、やっちまったなー、で、そんな中、確定申告の時期に入り、やっぱりやっつけ仕事で、改変ソフトウェアを国税庁に納入したんだな、ほかのブラウザまで確認作業間に合いませんでした、というわけだったのだろう。国税庁にシステムを納入している企業はどこなんでしょうか。まったくひどいソフトウェア会社ですよね。きっとe-Tax導入が決まった時期、役所に言い値でひどいシステムを高値で売りつけて、そのまんま現在までメンテナンスでボロ儲けしてきたんでしょうねえ。国民の利便性への関心はそっちのけで。
でも来年「使い勝手」がどう改変されているか、楽しみにしていよう。