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日本のホラーコンテンツの発展を振り返ってみると、スウェデンボルグが霊界日誌で書いている怪奇現象と似た現象が----これらをわれわれはここ日本で「心霊現象」と呼ぶようになったが----日本人の近代怪奇表現の中で文章にせよ、語りにせよ、映像表現にせよ、これでもかというくらいに提示されているのに気がつかされ、一種奇妙な気分になる。
スウェデンボルグはヨーロッパの白人のクリスチャンであった。だが彼の報告を「商業表現」のなかでしっかりと受け継いで、小説や映画やテレビドラマに仕上げているのは日本以外にはないのではないか、と思う。以下具体的に見ていこう。
-----------------------------------------------------------(1)悪霊は人間に痛みを起こす
私は悪霊がやってくるときには体に強烈なふるえが起き、そのためにベッドから転げ落ちたことが何度もある。そして、そのように霊がやってくるときは私の心臓、あるときは肺、口、目、手足などにやってくる霊によって、体の違った部分にさまざまな反応が起きたものである。
(2)悪霊は人間を病気にする病気の中には霊がからんで起こす病気も少なくない。これも霊が肉体に影響を与えるからだが、これらの病気の原因が霊だということは、霊を患者から去らせてみるとすぐに病気が治るのでよくわかる。私自身は病気とは無縁の生涯を送ってきた。しかし、霊の影響で吐き気とか発熱とかいろいろな症状を起こしたことは何度もある。ひとつだけ面白い例でこんなのもあった。何年も前のことだが、私は霊の影響でひどい吐き気に見舞われ、ものが食べられずにこれでは命も危うくなるのではないかとさえ思ったほどであった。
私はこのほかにも、人間だったときに体に問題のあった人物たちの霊が人間のところにやってくることによって多くの病気を起こす実例を何千と見てきている。
(3)悪霊は悪臭を放つ私はこのときひどく嫌な臭いで苦しめられ吐き気が続いたが、やがてその悪臭の原因が霊にあるのに気づいた。問題の霊が見えてきたからだ。霊は何人もいたが、彼らと話してみてわかったのは、彼らはみんな人間だったときに仕事もろくにせず、うまい物を食べることだけを楽しみにしていた者たちだったということである。それで死んでからは悪臭を放つ霊になったのであった。
今にも死ぬかと思われたほどの、胃からのきわめて激しい嘔吐を引き起こさせるような性質をもつ霊たちが、私のもとにいた。それはほかの霊たちを失神させてしまうほどの悪臭を放つ性格のもので、実に生命力が衰弱してしまうほどのものだった。かくて、それはいわば死にいたる失神が伴うものであった。私は、それを生み出したのは私のもとに居あわせた霊たちだったとわかったが、彼らは肉体をもって生きていたとき、どんな仕事にも、家事にさえもたずさわらずに、ただ快楽にのみ、おもに食道楽にのめりこみ、それだけを喜んだことを教えられた。
(4)悪霊は死をもたらす何かの昆虫のように身動きしないで自分の居所にじっとしている。彼らは主によってしか追放されることができず、もし彼らが追放されなければ、彼らは人間に死をもたらす、といわれた。こうした霊たちが時おり病人のところへやって来ると、病人に死がふりかかることになる。
(5)悪霊は人間の思考に影響を与える霊が人間に与える影響のうちで世間の人々には一番わかりにくく、もっとも影響としては大きいのは、彼らが人間の考えに影響を与え人間の考えを支配するという現象である。これはもっとも重要な問題である。だが、これはもっとも気づかれにくい。
私は「人間の考えなんて自由自在にこっちの思うままに左右できる。人間の頭脳を占領するのなどはたやすい」という霊にもたくさん会っている。ではなぜ霊にはそんなことが可能なのか? それは一言でいえば霊にはそんな能力があるからだ。彼らは人間に夢を起こし、その人間がまったく想像もできない光景(つまり霊界の光景)を表象という能力によってその人間に見せることもできる。霊は人間の考えを支配する能力を持っているからである。
(6)特に子供を憎む悪霊がいる悪霊やセイレンは子どもの霊を大人の霊以上に憎んでいる。子どもに危害を加える者には、霊界ではとくに厳しい刑罰が課せられている。
(7)霊は風を起こす霊は風にたとえられているが、私のもとにいる霊たちが、今、私の顔に吹きかかるとともにやってきた。こうしたことは、今までも、さまざまな機会にきわめてしばしば起こった。何とその風はろうそくの炎や紙切れを動かしさえしたのだ。それは冷たい風であって、私が腕を上げたさいに最もひんぱんに吹きつけ、私を驚かせた。この風の起こる原因を私はまだ知らない。
(8)悪霊はなぜか手で脅す彼らはとくに、むき出しになったように見える腕を、(状況や目的の)多様性に応じて、さまざまな構えで表象することが許されている。
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いかがだっただろうか。日本のホラーコンテンツの要素が羅列されていることに、アナタも気がつかれたことだろう。ヨーロッパにおける幽霊大国といえば、もちろんイギリスだ。イギリスでは幽霊の目撃報告が格段に多い。これはむしろ例外といえそうだ。イギリスは日本同様島国で、大陸と切り離され、ケルト文化の伝統を濃厚に受け継いでいたせいなのだろうか。
古代に成立した旧約聖書では「死者との交流を禁ずる」という趣旨の文言が載っている(ちなみにアジアの大陸国、中国では古代に孔子が「鬼神に興味を持ったり語ったりするな」と生者たちに釘を刺している)。自分を敬虔なクリスチャンだと自認している人々は、人前で「幽霊を見た」とは言えない気分もヨーロッパ大陸にはあったのではないか。
そしてその大部分がクリスチャンでもなく、儒教馬鹿にもならなかった日本人が、「見た通り、体験した通りに報告した結果」が、はからずもスウェデンボルグが報告したような現象と似通ってしまったということなのだろうか。
それとも真実は日本のホラーコンテンツの「たね本」こそスウェデンボルグの著作であって、日本の商業人たちがひそかにそれを日本流に翻案したにすぎないのだろうか。
アナタはどう思います?
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カルト映画「ムカデ人間」でハイターという「切れた博士」を演じていたのが、ディーター・ラーザーという役者さんだった。
ドイツの役者さんである。この映画で初めてこの役者さんのことを知り、「うわー、なんてぶっとんだ演技をする人だろう。っていうかファンだわ、オレ」とかという感想を持ってしまった人もいると思う。
だが、「この映画によってこの役者さんを知った」というのは、われわれが日本人であったゆえの不幸なのであって、北米人や西欧人ならばみな「あ、マントリッドじゃん」と即座に答えることができるのだった。
実際、英語版のウィキペディアの彼のページには以下のようにいきなり出てくる。
He is known to English speaking audiences for his roles in Lexx.
ディーター・ラーザーは、英語圏ではレックスの役者として知られているのだよ。日本のみんなよ。
マントリッドとは、私がこのブログでずっとプッシュし続けている「機甲戦虫記レックス」シリーズのシーズン2で敵役として登場してきた「エキセントリックな学者」のことである。
このときのディーター・ラーザーの演技はほんとぶちきれていて、シーズン2の最終話のエンディングにいたるまで、ほんとにレックスファンを楽しませてくれた役者さんだった。
昔、LEXXでの彼の演技を見た「ムカデ人間」の監督さんは、「ぜひともハイター博士はディーター・ラーザーにやってほしい」と思ったに違いないのだ。
日本においてもLEXXシーズン2の日本版を出す計画はあったのだが、頓挫したまま今日にいたっている。いまからでもおそくない。シーズン4までの全61話の日本語版をぜひとも出してほしい。
でもまあ私の場合は----私は熱烈なLEXXファンだったので----輸入版DVDで最低1年に1回は通しで61話を見るようにしている。そういうわけで、他の多くの日本人をさしおいて密やかなる楽しみとして「ハイター博士の前世存在のようなマントリッド博士」を今後も何度でもDVDで見ることができるというわけだ。
I destroyed the universe, I destroyed the universe......
シーズン2における最後のこのセリフ回しが実にエキセントリックで忘れられない。日本人の多くが日本語版がないゆえに、この北米産(カナダ・ドイツ+イギリス制作)カルトドラマを知らずに一生を終えることになる。まったく惜しくて残念な話である。
p.s.1 シーズン3にも一種の転生体としてディーター・ラーザーは出てくるが、自分が何者だったのか思い出せないでいる、物静かで瞑想的な人物として現れ、レックスのクルーたちに助けの手を差し伸べる。ということも申し添えておこう。 -
相変わらずXPユーザー(しかも中古品マニア)のバウンドヘッドです。
デスクトップはおもにHP製のものを使ってきました。PCに載っているCPUはもちろん旧型の(Pentium4シリーズ)のものです。
ヤフオクなどではPentium4の3.0GHzで安いものだったら500円くらいから手に入れられるので、今回580円でPentium4の3.2GHzのCPUを手に入れて、もとのCPU(Celeron2.2GHz)と交換して使ってるところです。でも、CPUファンの活動時間も強烈に増加しました。Pentium4って発熱問題を持ってるらしいです。
もともとd530SFF(Pentium4 3.0GHz)は持ってたんですが、dc5000というd530とよく似た機種がヤフオクであまりにも安く出ていたんで(500円)、落札してこれに3.2GHzを載せ変えて使ってます。
でも4畳半の部屋にデスクトップ2台を並べる余裕はないので、モニターとマウス・キーボードを兼用できるような装置はないのかなと思って探したら、ありました。サンコーのKVM SWITCHってやつです。
USB CONSOLEと書いてあるUSB端子にUSB-PS2コンバータケーブルに接続したマウスとキーボードをつなぐと、写真の中央にあるスイッチを押すたんびにPCを切り替えることができます。
そういうわけで、もともと小さめのパソコン専用デスクを利用していましたが、コンパクトにまとめることができてよかったです。
XPの使用期限が切れたら、また安い中古を探します。で、pentium4も卒業。Coreシリーズに移行しようと思ってます。Windows7とかいじったことさえないし、Windows8さえ出ようというこのご時世に、ほんと「おっくれてるー」ですよね。
でもまあ不便を感じているわけでもないし、PCで3Dゲームをする趣味もないし、いいんじゃないですか、こんなふうにほどほどにやってれば。
というわけで、USB2.0 KVM SWITCHはお勧めですよ。
p.s. 1 上で紹介したUSB CONSOLEにつなぐUSB-PS2コンバータケーブルについて、ほかの会社の製品だと認識できないなどの不具合があることがわかった。実際に使ってみて分かったのだが、ルートアールの製品だと「故障したのか」と誤解するような状態になるので(USBを認識したりしなかったりする)、お勧めできない。だったら、はじめからUSB接続方式のマウスとキーボードをつなげばいい。今回は「見た目のすっきり感」にこだわってわざわざ小さなUSBハブを探しました。こだわりがないなら、何でもOKです。
写真はヤフオクで見つけた2ポートタイプのUSBハブ(amazon.co.jpでは売ってなかったぞ、貴重品だね)にUSBマウスとUSBキーボードをつないで使っているところです。「古くても使い慣れたマウスやキーボードがいい」というようなこだわりがないなら、USBでじかにつないでお使いください。
p.s.2 「amazon.co.jpでは売っていないUSBハブ」の正体が分かりました。なんと100円ショップ「セリア」で売っている105円の品物でした。オバカな私は地元にもセリアがあるのにヤフオクで送料込みで約3倍の値段で買っていたのでした。「情報弱者」はつけこまれるってことですねえ。ということで今日もう1個、地元のセリアで同じものを「105円」で買ってきました。
p.s.3 「えーと、写真を見るとUSBポートが3箇所ありますが、ここにキーボードとマウスをそれぞれ別々に接続することはできないんですか?」という質問がありそうなので、お答えします。「もちろんできます。」ということで直結派の方は三つの中からお好みのポートを二つ選んでお使いください。 -
ついこのあいだまでGYAOでやってた魔法少女アニメ「シュガシュガルーン」(ユキヒロ・マツシタ監督作)、面白かったよねー。
前回の記事の最後がウルトラマン関連だったので、今回もウルトラマンつながりで書いてます。
「シュガシュガルーン」の作者は安野モヨコさん。私はまったく漫画には詳しくないけど、安野モヨコさんて、基本的に成人向けの漫画を主に描いてきた人ですよね。
「なかよし」に連載されて賞までとっちゃった漫画が原作のアニメです。
で、彼女のだんなが、あのエヴァンゲリオンの庵野秀明。アニメ「シュガシュガルーン」ではOPの絵コンテを仲良く夫婦でこなしてました。OPの演出は庵野秀明がやってます。エヴァンゲリオンといえば、ウルトラマン・オマージュ作品らしい(というようなことをネットのどこかで読んだ記憶がある)。
で、アニメ中に現れた、たとえば、こんなカット
これってやっぱり「ウルトラマン・オマージュ」でしょうか? ショコラの絵は実際には左手を突き上げる図になっていて、ここでは初代ウルトラマンの図と比較しやすくするために左右反転にしております。
OPテーマもEDテーマも小西康陽がやってます。これはクレジットみなくても曲を聴くだけですぐに「あ小西さんだ」と思っちゃうような彼らしい曲。
いやー、何度聞いても聞き飽きない。特に聴きどころは、バスドラのリズムと音。ほんとすごくいいですよ。
ショコラ役の松本まりかの独特の声質もとても気に入ってます。この感じは釘宮理恵系かな。それに「クイーンズブレイド」で鋼鉄姫ユーミルの声をやっていた齋藤彩夏の声にまた出会えたことがうれしい(ワッフル役です)。特徴のある声質ってほんと耳に残ります。
感情を担うアストラル体は、それぞれの持つ感情の性質によって色によって区別されるという秘教的な観点から言えば、まさに感情がさまざまな色によって区別されることを示しているこのアニメは秘儀の知識を比喩的に扱っていると言えます。
また悪心を改心させるという物語に内在しているモチーフは、マニ教的なテーマも持っていると言え、少女向けアニメとはいえ、なかなかあなどれない内容を含んでいると言えます。
とはいえ、そういう方面のことに意識を向けなくとも、「シュガシュガルーン」は笑えて、楽しいアニメなので、未見の人にはお勧めしますよ。 -
われわれ凡人が表象の世界へ旅立つとき、すなわち夢の世界で、あれやこれやの活動をするときは、まったく受身に徹している。そこはもちろん霊界ではない。スウェデンボルグや宜保愛子は「意識的」に、肉体を地上のある一点に残したまま、表象の世界(霊界)へ旅立つ能力を持っているが、秘儀参入者の参入レベルの差が霊界の表象能力の差として現れる。シュタイナーは死者の道行きをアストラル界から見た惑星秩序というかなり異質な観点から説明している。私には惑星軌道の境界は神霊の活動領域の範囲を示しているように思われる。したがって、低い霊視能力しか持たないものは、高次の霊的存在を見ること(認識すること)ができないのである。たとえば、キリストは紀元前、イエスの肉体に受肉して地上で認識できる「人間」として現れるまでは、けっして人間の霊視力の中で認識できない高次の神霊(キュリオテテス、叡智の霊、主天使)だった。
スウェデンボルグや宜保愛子は表象世界における死者のイメージを「旅日記」ふうに描写してくれたが、ルドルフ・シュタイナーは「別の観点」から見た死者たちの道行きを語ってくれる。
現在、われわれが学校で学習する太陽を中心とした惑星秩序を利用して、その上に霊界の惑星秩序を重ねたのが以下の絵である。
霊界における惑星の宇宙秩序はプトレマイオスが描写した宇宙の姿と一致する。
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以前は、人間は世界をまったくちがったふうに見ていた。たとえば、コペルニクスは、地球は静止しているという誤謬を打ち砕いた。彼は、太陽が地球のまわりを回っていると想像するのは誤りだと教えた。ケプラーとガリレオ・ガリレイが、その教えを発展させた。それでも、コペルニクスも、天動説を唱えたプトレマイオスも、どちらも正しいのである。どこから太陽と地球を考察するかという、観点がちがうだけなのである。太陽系を物質界からではなく、アストラル界から見れば、プトレマイオスの体系は正しいのである。アストラル界から見れば、昔の人々が思っていたように、地球が中心にある。アストラル界では、すべてが逆に見えるということを思い出してもらいたい。プトレマイオスの体系はアストラル界に通用し、コペルニクスの体系は物質界に通用するのである。(ルドルフ・シュタイナー「神智学の門前にて」P140)
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霊界にある地球を宇宙の惑星秩序のなかの中心として据え直して描くと、天体の順番は、(0)地球(人間の活動範囲)-(1)月(天使アンゲロイの活動範囲)-(2)水星(大天使アルヒアンゲロイの活動範囲)-(3)金星(権天使アルヒャイの活動範囲)-(4)太陽(能天使エクスシアイの活動範囲)-(5)火星(力天使デュナミスの活動範囲)-(6)木星(主天使キュリオテテスの活動範囲)-(7)土星(座天使トローネの活動範囲)となる。ただし古代では水星を金星と呼び、金星を水星と呼んでいたことにも注意を促したい。月領域までしか達することのできない秘儀参入者は天使は認識できても、大天使を見ること(認識すること)はできない。また水星領域までしか達することのできない秘儀参入者は権天使を見ることはできない。
ではシュタイナーの発言を見てみよう。--------------------------------------------
私たちは、死の扉をくぐったあと、「欲界」と呼ばれる領域を通過していきます。(ルドルフ・シュタイナー「精神科学から見た死後の生」P96)私たちは空間を越えて、広がっていきます。欲界期のあいだ、私たちは絶えず拡張していきます。そして欲界期が終わるとき、私たちは地球を回る月の軌道と同じ大きさになります。(P97
欲界期を通過しおわると、つぎの時期に、人間はもっと大きな空間のなかに生きます。人間はどこまでも拡張していきます。欲界期が終わると、人間は月の軌道内と同じ大きさの天空を越えて広がります。人間が地上での生において有した、地上生への情動、憧れ、情熱すべてが脱ぎ捨てられて、人間が死後に通過する欲界期の空間内に取り残されます。(P98)
ついで、私たちはさらに拡張していきます。
さらに拡張すると、私たちは神秘学で「水星領域」と呼ばれる、第二の領域に到ります。
不道徳な人は水星領域、すなわち欲界期のあとに来る時期において、自分と同じころに地上を去って精神界に行った人々を、見出すことができません。
地上で不道徳だった人は、精神世界の水星領域で孤独な隠者のようになります。道徳的だった人は、社交的になります。道徳的だった人は水星領域で、地上で懇意にしていた人々を、心魂存在として見出します。
欲界=月領域においては、私たちは社交に関して、これとは別の困難さを感じます。しかし一般的に言って、「月領域でも、人間は心魂の性質によって、孤独な隠者か社交家になる」と、思い浮かべることができます。(P99)
一般的に、月領域と水星領域において、すでに地上で親しかった以外の人々を見出すことは不可能です。その他の人々は、私たちには未知のままです。私たちが死後の世界で、他の人々と一緒にいるための条件は、「地上でも一緒にいた」ことです。(P101)
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「水星領域の霊視者」宜保愛子は「霊界ではときどき自分の見知っている人々に出会うが、互いに存在を確認しあう程度でみな黙々と自分の道を歩く」、「現世で仲のよかった夫婦や恋人が、霊界で会いたいなと思ったとき、その霊はスーッと側に来る。だが、心のなかでは嬉しいのかも知れませんが、ただ側に黙っているだけです」と書いている。死者は水星領域からさらに金星領域、太陽領域へと拡張する。
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死後、水星のつぎに通過する領域は金星領域です。地上で非宗教的な傾向だった場合、金星領域で「隠遁者」になります。金星領域では、死者は宗教および世界観ごとにグループを作ります。地上では、さまざまな傾向の宗教的ないとなみがあります。同じ世界観を持つ人々は、金星領域において大きな、力強い教区を形成します。それらの人々は隠遁者ではありません。
全体として、「金星領域では、自分と同じ世界観、同じ信仰を持った人々と集まることができる。他の信仰を持った人々とは、理解が困難である」と、言うことができます。(P108)
ついで、太陽領域に到ります。金星領域のつぎに通過する領域です。太陽領域では、さまざまな信条を和解させ、さまざまな宗教信条のあいだに橋を架けることができます。(P109)
--------------------------------------------スウェデンボルグの霊界報告を読むと、死者が思想や趣味嗜好ごとにグループを作る場所があることを報告している。もしかしたらスウェデンボルグは太陽領域までを見ることのできた霊能者だったのではないだろうか。ただ、私自身としては、スウエデンボルグという名前の由来から彼の認識力をもうひとつ上げて「火星領域の認識者」としたいと思う部分もある。
実はスウェデンボルグという名は彼にとって新しい名前なのだ。スウェデンボルグという名前は聖職者だった彼の父親がその功績によりスウェーデン女王から「今後はこの名前を名乗りなさい」ともらった名前なのだ。(参考資料)息子の彼は父の改名によって「そのままその名を受け継いだ」のだった。そして54歳で「死の技術」をマスターした彼は、文字通り自分の名前に国名(民族名)を背負うに足る段階の霊能力者となった。私にはロンドンに秘儀参入者スウェデンボルグを出現させるために霊界によって不思議な回り道をとって準備がなされたようにも見える。古代の秘儀の伝統によれば、第5段階の秘儀参入者、つまりの火星の秘儀参入者は民族名で呼ばれるそうだ。たとえば古代のミトラ教では秘儀参入者を以下の7段階であらわす。
(1)烏 (2)隠者 (3)戦士 (4)獅子 (5)民族 (6)日の英雄 (7)父
やはり彼は火星領域までの秘密に接することができたということが言えるのではないだろうか。記紀を読むと名前(おくりな)にヤマトを冠している人々が出てくるが、これは「日本の古代人」の一部に秘儀参入者がいたことを示す「しるし」なのかもしれない。私自身は初期の天皇たちは「本物の秘儀参入者だった」と思っている。(参考資料)
シュタイナーは続いて「死者は火星領域、木星領域、土星領域へと進み、土星領域へ達すると、今度はだんだんと領域を縮小させていく」という趣旨の発言をしているが、どういうわけか今回参照している「精神科学から見た死後の生」では「火星領域ではルシファーと出会う」と簡単に記述したあと、木星領域、土星領域の具体的な記述をおこなっていない。反転して領域縮小の道に入るといよいよ地上への転生の準備を開始することになる。
p.s. 1 ちなみにキリストとイエスは別存在である。こんなことを語るとアナタは笑うだろうが、日本人は初代ウルトラマンの物語を知っているはずである。光の国からやってきたキリストとイエスは、これもまた光の国からやってきウルトラマンとハヤタ隊員のごとくに「水辺でひとつになった存在」である。さらにいえば、シュタイナーはイエスは二人がひとつになった存在であることを語っていたが、のちに円谷プロは男女ふたりで光の宇宙から来た存在と合体させることまでやっている。昭和時代の日本の子供たちにだったら、シュタイナーの「キリスト論」はまったく違和感なく受け入れられたに違いない。まったくこんな「秘儀の秘密」を子供たちの前に、比喩としてではあるが、堂々と公開してしまった日本という国はかなり奇妙で不思議な場所であるなと思う。
p.s.2 初代ウルトラマンのエピソードのなかにウルトラマンは古代にもやって来ていて「ノアの神」(ということはユダヤの神)として祭られていたという話がでてくる。脚本家はいったい「どこからインスピレーションを得た」のだろうか。「ウルトラマン=キリスト論」を唱えてる人って私以外にもいることを、さっき「ウルトラマン ユダヤの神」で検索して発見した。おもしろい国=日本になってきたなあ。
p.s.3 以下の写真は「ゴルゴタの丘で磔にされる神」
つか、もろじゃん。