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楽器を弾く人にも二種類いると思うんですよ。
ひたすら技術を磨くために練習に励むタイプと、創作つまりオリジナル楽曲制作の手段として楽器を弾くというタイプ。
クラッシック音楽の世界では前者側の人が圧倒的だと思いますが、ポピュラー音楽の世界ではむしろ後者的なマインドの人が多いんじゃないかと思います。特に70年代以降、シンガーソングライターという立ち位置の音楽家たちが日本でも登場するようになって以降はますますそうなったと思うんです。
私の場合、中学3年の時、フォークギターを手に入れて以来ずっと、後者のタイプでした。
だから他人に「何か弾いて」と言われると、ものすごく困ってしまってました。そういうことをほとんどやらなかったからです。
楽曲を完成させようと決意すると、コピー曲にしろ、オリジナル曲にしろ、アコギ、エレキギター、ベース、キーボード全部練習しなけりゃならなくなって、なんとか通しで弾けるようになったら、MTRに録音してミックスダウンして終了です。1週間もしたら、忘れて弾けなくなってました。
なので一発芸的デモンストレーションをするのが嫌で、しかも基本、私の演奏能力は低いので、なるたけそういう界隈には関わり合わないような、音楽とのかかわり合い方をしてました。
もちろんいろんな楽曲を練習(コピー)しましたが、それはコード進行(楽曲の全体像)を学ぶためでした。
作詞作曲そして歌唱の領域に到るまで、いまやAIが「高品質」な「製品」を際限なく生み出せる時代になってます。
「ああ、まさに〇〇っぽい、いい曲だね」的展開です。AIは過去に存在したさまざまなジャンルの楽曲を、「高品質」かつ「のようなもの」として吐き出してくれます。
とはいえ、音楽鑑賞におけるライトユーザーにとっては、「今流行っているもの」に接近できればそれでいいのだと思います。AI楽曲がバズれは、面白がって聴くでしょう。そしてすぐに忘れるのです。
20年後30年後の「彼ら」は、その音楽体験を「大切な思い出」として思い出すこともないのです。「〇〇の曲」ではなく、「〇〇みたいな曲」では、当然訴求力は落ちます。
そもそも21世紀に入ってからは、「流行歌」のオリジナリティは20世紀のものと比べものにならないくらいに質が落ちているのではないかと思います。
特に日本では「いい声」(個性的なのに魅惑的)で歌う歌手がいなくなりました。
楽曲自体の個性に関しては、たとえば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でチャック・ベリーの楽曲をマーティ経由で聴いたプロのミュージシャンたちが、「その新しさ」にどぎもを抜かれている様子が描かれてましたが、50年代以降、ポピュラー音楽は、次々と新しい音楽要素とリズム構成の刷新の提示の連続で、本当に当時のリスナーたちは、日々感激の連続を体験することができました。「その新しさに鳥肌が立つ」というのは、修辞句ではなく、ほんとに多くの人たちが、鳥肌を立てて感激していたんです。
当時は、こんにちのような、「〇〇のようなよくあるタイプの曲だし、特に感激もしない」という連想が湧き出るようなリスナー体験とは異なった音楽体験をすることができた時代でした。
クラッシック音悪の世界で、さまざまなモードの変遷の果てに「既存のもの」を超えようとする営みの果て、「現代音楽」が奇矯でますます難解なものになってしまい、「一般庶民」からそっぽを向かれるようになったように、「モードの更新」が「みんなの感情」を強烈につかまえるような、過去には当然繰り返されてきたような状況が「流行歌の世界」においても失われてしまっているわけです。もっともポピュラー音楽の場合は「難解さ」ではなく「既視感ならぬ視(聴)感による恒常的非感激化」によるのでしょうが。
みな「今の新曲は〈新しくない〉(モード的に新しい感激体験をもたらしてくれる何かを持っていない)」よね」と感じてますが、別に大声で言わないだけです。
ここ2,30年来、人間の制作による「のような楽曲」が量産される状況がすでにずっと続いてきたのです。英米の音楽だって同じです。
ポピュラー音楽のモード的変遷への試みは、アイデア的にも汲みつくされてしまいました。次々と「これまで聴いたことがない音楽なのにとてもいい」と人に感じさせてくれるような「新曲体験」を現代の聴衆は「体験」することができなくなりました。
そして、業界で食っている生きた人間たちが「のような楽曲」を量産しながら、糊口を凌ぐ時代が始まりました。そして今度は「彼ら」に代わって「仕事」をAIに代行させて、「権利」は「実在の人間名義」で発表する時代の到来です。
すでにひそかにそういうことが起きているんじゃないかと思います。つまりまずAIに作らせて、あらためて「実在の人間」がその曲の一部をパクったり、カバー曲を制作し、スポティファイなどに登録する。
でも、人は(特に一般庶民たち)は、AI(=「のようなもの製造機」)で曲を作るなどという「めんどうなプロンプト作業」を「喜び」を持ってやるでしょうか。
「喜び」がなくとも、それができる人がいるとしたら、それを「(市場で対価が生まれる)仕事」として扱う心理的な準備ができている人たちでしょう。
楽器を弾くのは(弾けるようになった人なら分かると思いますが)、楽しいのです。そのうえ、皆で集まって合奏、あるいはバンド演奏をするとなお楽しくなります。
歌を歌うのは楽しいのです。それで二人三人四人と集まって、ハモったりすると、頭蓋骨の内部でそれぞれの出す音がぶつかってザラザラと振動して、えもいわれぬ喜び(感激)が沸いてきます。
「これらアマチュアミュージシャン系庶民たち」は近代の貨幣経済のなかでは、もっぱら流行歌に金を払って消費する側でした。けれども、一方で「生身の身体」を使って「音楽体験をする」ことに喜びを感じることのできる人々でもあります。
今カントの『純粋理性批判』を「自発的」に読んでいる中学生は、日本のどこかに確かにいるでしょうが、それは多数派ではありません。
同じように「売り物」の音楽としては、多くの人は、求道者のごとくに自分から未知の楽曲(名曲)を求めて、ネット世界を渡り歩くハンター系ではないでしょう。特に若い層は、「今皆が聴いているから自分も聴いている」的接し方をしている人が多いと思います。
「売り手(企業)」側は、とにかく売れること(数字を取ること)が至上命令ですから、「うんちく豊富で、こだわる聴き手」なんぞは、邪魔で厄介な存在でしかないでしょう。日本の企業文化もますます唯物論寄りに変質しました。握手券を入れると売り上げが爆増するなら、もちろんやるでしょう。企業の目的は「利益の最大化」などという英米系プラグマティズムが流布させた「迷信」を優等生的に反芻し、そのときそのときだけの利益の最大化のために奔走するに決まっているのです。企業人にとって「音楽文化」はもはやどうでもいいからです。
「歌は世につれ、世は歌につれ」という名台詞も、ここ日本においては、かつてのようには「実態」を持っていません。もはや「流行歌」(多くの国民が老若男女問わず知っている歌のことです)は「存在」していません。
DTMが楽器を弾けない人にも作曲の道を開いたなどと言う人もいますが(それは多分に売り手側、つまり企業の販路拡大のための方便として、リップサービスをしていたにすぎないと思います)、DTMから音楽制作に入ってきたとしても、その人がほんとにいろいろ極めたかったら、「本物の楽器」をいじって経験値を増やしたいと思うようになるんじゃないかと思います。
楽器をいじったことのない人が、本当の楽器体験をしないまま、若い頃に始めて以来、ずっとDTMだけの作業に50歳60歳になっても従事しているなんて、私にはほとんど信じられないことです。
そんな人いるんでしょうか?
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さて、とりとめのない話になってきたので、このへんで「愚痴っぽい」ことは(だって、だからと言ってどうにもならないんだもの)終了したいと思います。
サカナクションの山口一郎の動画が、なかなかよかったです。
前回の投稿で言及していましたが、かつて(YouTubeがGoogleに買われる以前に)YouTubeに挙げていて、YouTube傘下に入ったとき削除してしまった楽曲をも一度アップしました。よかったら聴いてやってください。シュガーベイブ・オマージュです。PR -
「いつかカバーをやりたい」と思っていたtaccaさんの名曲「Dear My Friend」(当ブログでも言及済み)を今週3日かけて、やっと完成させました。
結局、使った機材はWindows XP時代のDTMソフトcakewalkをMTR代わりに使うという30年前(90年代は4トラック・カセットテープ式)と変わらないローテク的アプローチ。
台所の食卓にパソコンとマイクを設置して、歌を録音しました。PCの前でギターとベースを演奏。
写真にあるように、マイクはPC用の安物を使ってます。
デモ曲って、それでいいと思うんですよ。それに今回は長年録音行為をしてなかったので、その「リハビリ」ですし。
今回はドラムパートのみMIDIにして、ピアノとかシセン音とか、あれこれの打ち込みは断念しました。ほんとめんどくさいだもん、打ち込みって。
実際に演奏したのはガットギター(エレアコ)とエレキベースのみです。
Taccaさんの原曲はバラード調で格調高い雰囲気があり、使用楽器もたくさん、アレンジも凝ってます(あらためて聞き直してみて、いいなあと思います)。
Dear My Friend
私はロック調に解釈し直してます(いや手抜きです)。ほんとなら原曲研究も含め準備に1か月くらいかけて、ピアノかエレピとかも入れて、3声とかのバックコーラスもいれて、ドラムアレンジ・ベースアレンジ・ギターアレンジも細部まで詰めて、それを一発撮りで維持できるまで練習して録音に臨むべきなんでしょうけど。手早く済ますために、むずかしいことは一切やりませんでした。
歌も1回撮ったのみで、修正すべき点あるんですが、これはこれでいいです(いつかまた別に作り直したいです)。
あと、こんなものも作りました。
大昔(17歳の頃)、思いついて作りかけてついに完成できなかった曲を、最近突然思い出したので、メモがわりにこさえました。「君への言葉を考えていたんだ」以降の歌詞を完成できませんでした、全体構成も含めて。
これ、バンドプロデューサー5というソフトの「作成モード」機能を使ってメモ代わりに作成しました。ほんと手早くできます。本来河合楽器のこのソフト「耳コピー機能」が売りなんですが、メロディを思いついたとき、PCでデモ版作ってストックしておいて、本番録音は「打ち込み系」ではなく、「演奏(手弾き)系」でやりたいという人には案外便利に使えるんじゃないかと思うようになりました。
今後はもっとオリジナル楽曲も含め、いろんな曲の「録音作業」に時間を投資できるよう、頑張ろうっと。
P.S. YouTubeでもう1曲楽曲(オリジナル)公開してます。
30年くらい前4トラックMTRで録ったやつに動画を加えたやつです。
昔アップして削除した楽曲とかも再アップするかもです。 -
「facebookを始めたのはいつだったっけ?」と思い、自分が初めて投稿した年をチェックしたら、2013年だった。
それ以来、2025年の今日まで、ほぼ無活動。そのせいで、いまだに使い方が分からない。今回の「調査」時も、自分の過去の投稿ページになかなかたどりつけなくて、ほぼ偶然たどり着けたような感じだった。
思い出すと、facebookを始めた当時もそうだったけど、「彼女ら」はどうやって、無名の地方人がfacebookを開設したことを「嗅ぎつける」のか、外国籍を含め、有象無象的女人(にょにん)たちが、「友達申請」をしてくるのがすごく気持ちが悪かった。
たぶん、そういう「部分」がすごくイヤで、facebook界隈に近づくのはやめようと思って、ほぼ「本当の友人たち」の投稿があったときだけ(Yahoo!メールが「投稿があったよ」と知らせてくれる)、彼らのページを覗きにいくだけだった。
最近になって、音楽活動に関連して「facebook投稿頑張ってやってみようか」とふと思い立ち、自分の顔写真とか背景写真とかをアップしたら、またすぐに「有象無象現象」が始まったので、「マジかよ」と恐怖した。「どういう仕組みになってるんだろう。facebook当局も認可済みなんだろうか。ほんと不気味だ」と邪推せずにはいられないほどだった。組織的な「申請請負人」たちに(写真の「中の人」が実際に本人、あるいは女とは限らないし)facebookから「情報」が流れるような仕組みがあるんじゃないかと思ったのだった。
ページトップの「知り合いかも」の欄には、通常の「市井の人々」の何の変哲もない顔写真に交じって、頻繁に「こういうのが見たいんでしょ系」の女性の上半身写真と、芸能関係者、それとなぜかいろんなタイプの大谷翔平ページが出てきて、2013年の頃よりヒドくなってるんじゃないのかと驚愕したのだった。
不思議なことだけど、今年ある時期、「友だちの投稿時」以外はfacebookのページに近づかなかった自分がふとfacebookを訪れたくなって「あれ?」と思ってしまったことがあった。
なんと弟がfacebookしているのを知り、友達申請していたのでOKしたら、「弟との共通の友達」として女人(にょにん)たちによる「友達申請攻撃」を受けるようになったので、弟のページそのものを友達扱いから消去してしまった(すまんな、弟よ)。
boundheadのブログなら、長年いろんな領域に渡って書いてきたし、コメント欄で声をかけてもらえるのはうれしい話だけど、そもそも私のような「何のfacebook活動実績もない人物」と「なぜ友達になりたいのか」分からないじゃないか。
初めのうちはとりあえずOKを出してみたけれど、「相手側にも活動実績がない」のを見て、無気味に感じて「やっぱOK取り消そう」と思い直して、今は以前のような「友だち状態」に戻してしまった。
でも、せっかくfacebook投稿活動再開したのだから、「facebookの有効活用」について、しばらく思案してみようとは思っている。
「仲間内で閉じた活動」ではなく、「誰でも来れる場所で広く活動したい」というのがblog活動を重視して今日まで続けてきた理由でもあるしね。 -
月最低2回の更新を果たさなければいけないと思い、以前書きためていた記事に手を加えて今回出すことにしました。間に合ってよかったなあ。
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大化の改新とは古代の大陸閥(外国精神)革命でした。つまり「本来の古い統治思想(豪族連合統治=仕付け糸式)を大陸精神(中央集権式)で上書きした革命」でした。それは、司馬遼太郎(『この国のかたち3』)によれば「庶民が沈黙させられた古代の社会主義革命時代」の始まりでした。
その革命以後、日本の庶民は何百年も忍耐し、ついにこれを破壊したのが、地方の豪族由来の開発武士団で、「彼らの精神」は、御成敗式目として結実しました。武家は公式に律令を廃するという布告を出さずに、いわば勝手に「自分たちの暮らしの実情に沿った決まり」を作って、「ああ、そういうのもあったよな」的に律令をほったらかしにしました。
武士団は、庶民の精神生活の再日本化に寄与したのです。しかし、呼気と吸気を長い周期で繰り返す人類の歴史の途上において、日本においては、明治革命によって、仕付け糸式の武家政権統治は姿を消し、再び世の中は「中央集権=王政復古=中国閥(藤原組)革命政権」に回帰しました。
とはいえ、こんにちにおいても、さらにもっと古い時代への復古、「大化の改新以前の日本(精神生活においてという意味ですが)への復古」はまだ起きていません。日本に律令体制、古代式社会主義体制を持ち込んだ為政者たちは、一種の言論弾圧を行ったのです。それまで庶民の間で流通していた言葉(認識)を別の言葉で上書きしました。この「国民精神への上書き」はものすごくうまくいきました。ちょうど戦後にもう一度「言ってはいけない革命」によって今の日本人一般のマインドセットが出現したように。
三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情あらなも 隠さふべしや 額田王
(懐かしい三輪山をそんなにも隠すのか。せめて雲だけでも思いやりの心があって ほしい。そんなにも隠し続けてよいものか。)
大化の改新以前の古代日本の王政とは今日的な言い方で言うと「秘儀参入者=霊界にアクセスでき、霊界の神々にまみえることができ、そこで得た経験を物質界にもたらすことができる能力を持った人物を、王として立て、国民が彼らを敬うもの」でした。
魏志倭人伝にあるように「道で行き会うとパンパンと拍手の音でもって挨拶される人々」が大化の改新よりさらにずっと以前の古い日本にはいたのです。
今の日本人は、古代日本には「特別な霊力を有した者」だけが拍手をもって挨拶を受けた時代があったことを、皆忘れてしまっています。今日の日本人からはまったく失われてしまっていますが、古代日本にはふつうの民にも「誰が偉大な人物なのか」を見分けられる程度の「霊力」は備わっていたのでした。
人々はその後霊力を完全に失いました。そのような状態で物質界を生きなければならない状況が出現し、そのような状況が20世紀まで続きました。とはいえ、失われた人類の霊力の復活と進展に関しては、すでに新しいフェーズに入っています。
21世紀に入ってからますます、こんにちその輪郭はまだ漠然としてはいますが、人類の認識力(霊力)の進展や輪廻思想も含め、特に日本のマンガやアニメは世界に向けて「紀元以前の古代思想(世界感覚)」の緩やかな普及に大いに寄与しているとも言えます。今日の日本のエンタメ(小説・漫画・アニメ等)には「そのモチーフ」がいろんな作品で何度も登場してくるのが興味深いのです。
シュタイナーの以下の言葉を思い出しました(以下『シュタイナー用語辞典』から引用)。
----------------------------------------------------------------東洋(ロシアとアジア)では輪廻思想が、思考を麻痺させる鈍い感情として現れ、その精神の墓に精神的自己(霊我)が入ってくる。
アジアの文化から未来的なものが生まれる。-----------------------------------------------------------------
一方、英米の男たちの精神的態度については、以下。
-----------------------------------------------------------------3千年紀(21世紀以降)に世界に輪廻思想が復興するが、心魂が強く地上に捕らわれている英米の男性は、スポーツを盛んにして、輪廻思想を阻止する(英米では精神生活は女性によって伝えられる)。
西のオカルト結社は、人々の心魂を地球に縛り付けて、輪廻思想を排除しようとする。-----------------------------------------------------------------
例えば、「転生したらスライムだった件」(season1-ep2)で、ゴブリンたちに向かってリムルが「どうして自分を畏れ敬うのか」という趣旨の質問をしたら、村のオサが「ものすごいオーラが、我々村人たちにだだもれしているからです」という趣旨の返事をします。このアニメの世界では最下層の人々さえそういう「感知能力(霊力)」を持っているのです。
そういう「霊力」は古代の日本人にも本当にあったのです。古代の日本人全体がごく当たり前に霊力を維持できていた時代の、かつての高次の秘儀参入者たちが、こんにち神社を訪れた人々によって、拍手でもって挨拶される人々となりました。
今の日本人は、「なぜ今日の日本人は目の前にいる生きた人々に対して拍手で挨拶をしないのか」と考えたことがありません。「儀式」や「習慣」にはもともと根拠があったのですが、それが習慣化すると、根源を問うことを皆忘れていくものですから、それは仕方のないことではあります。
しかし歴史の周期の中で、人類の霊(界参入)能力が、インド思想的に言えば、黄金時代から白銀時代、そして青銅時代とだんだんレベルを落としていき、そしてついに今日のような無能力時代(カリユガの時代)に到り、世界の諸民族からも霊力が消えてしまうと、ここ日本においても、「誰に向かって拍手で挨拶すればいいのか分からない時代」がやってきました。3世紀以降今日の日本人に到るまで誰も「自らの力(認識力)」を用いて「道で行き会った生きている偉人を見分け、その人物に対して拍手で挨拶する」ことができなくなりました。
庶民が「その能力」を失って久しいですが、「近代」に到り、今日隆盛を極めているのは、その精神性で言えば、極めてアーリマン的な、「文字象徴をいかに上手に扱えるかを競うことによる能力判断テスト」であり、それも社会人以前の、未成年時代のペーパーテスト成果が絶大な価値を持つという、考えてみれば、「歴史的」に見て、はなはだ異常な文化時代です。
自然神ではなく、人を神として祀る系統の日本の神社文化とは、「秘儀参入者を敬う」という、まだ民族全体が霊力を維持していた紀元前にさかのぼる非常に古い時代の伝統が可視化されたものです。こんにち見る神社文化以前の様相が今の日本人にはまったく「思い出されて」いないのです。
こんにち神社参拝は新しいエンタメとして若い人々にも人気になっていますが、大事なのは「こんにち見られるような神社文化を成立させた、古代日本人の霊的実相に思いをはせる」ことです
「実態(霊力を持った偉人たち)」が消えたので「思い出」としての「顕彰所・痕跡(神社)」が残ったのです。
こんにちまで伝わっている神社文化は、われわれに、「国民が秘儀参入者を敬い、秘儀参入者を通じて、人間を超えた高次の神霊たちと交流する、そういう時代があった」ということを類推させるだけにとどまっています。
天皇呼称が使われるようになる以前の「おおきみ」とは高次の秘儀参入者のことであり、古代日本では秘儀参入者のことを「カミ」と呼んで敬ったのでした。「おおきみはカミにしませば」という言葉が出てくるゆえんでした。高次の神霊(カミ)と交流できるものはカミに等しき存在として受け取られたからでした。
日本は「秘儀参入者を敬う」という1万年以前にさかのぼる「非常に由来の古い宗教感覚」によって維持されてきた国でしたが、民族全体が霊力を失った時点で(大化の改新時には壊滅状態でした)日本人全体が「その事実」を忘れてしまいました。そしてその過程で「秘儀参入文化」は「こんにち見られるような神社文化」へと変貌を遂げたのでした。
シュタイナーによると19世紀後半に人類はカリユガ期を抜け、霊力の発展期を何千年もの月日をかけて逆にたどっていくことになります。青銅時代が現れ、白銀時代、黄金時代が出現します。
彼はまた、「人類は、いずれ脳に前世を思い出すための器官を持つようになる」とも語っておりますから、その器官をまだ開花させていない我々ではまだ見通せないでいる過去も、未来に出現する子孫たちにとっては、より接近しやすい対象になるのかもしれません。こんにち学校で学習させられる歴史は(時代が古くなればなるほど)「講釈師見て来たような嘘を言い」の世界と実は大差ないようです。 -
今の日本の70代80代の人々が建てた家には、まだ様式として床の間付きの家が多かったと思うけど、彼らが30代40代の働き盛りだったころ、実際には床の間を床の間として利用していることは少なかったんじゃないかと思う。
つまり季節季節にその時期に合った絵が描かれた掛け軸をかけ替えて、水盤や花瓶に花を活け替えるというような所作を行うような「心の余裕」はあまり持てなかったんじゃないかと思う。
まだ幼い子供のいる若い夫婦の住む家の障子は「必ず破けている」のが相場だった。家族全体がいつもいつもばたばた、ばたばたしていた。
私が実家に戻ってきたとき、確かに床の間はあったが、そこには新築時に掛けたままになっている変色した掛け軸がそのまま掛かっていた。
私は家の床の間の壁も含めて、その他すすけていた壁紙を自分で全部貼り替えて、床の間を床の間としてちゃんと使ってやろうと思ったのだった。
それで季節ごとに(実際にはひと月ごとに)掛け軸を掛け替え、花も取り替える、というようなことを始めた。今日でも「その習慣」は続いてはいるが、「生の花」だけはどうにも扱い続けられなかった。
ダイソーなどという店が出現して、造花が豊富に廉価で売られている状況下では、「なんちゃって生け花派」になってしまうのも避けようがない運命だった。
8月といえばお盆の時期なので、普段は「絵」の描かれた掛け軸を垂らしているのだが、「南無阿弥陀仏」と書かれた掛け軸を飾っている。そういうわけで、今年も8月1日なって、その掛け軸に掛け替えたところだ。
舟形の水盤の中には円形の剣山が置いてあるけれど、実際には水は入っておらず、写真の白い菊一輪も造花であった。
それでも、仏壇と掛け軸と一輪の花以外に何も置かれていない部屋を眺めると心がすっきりとなるから不思議だ。
昨夜買い物から帰ると、玄関の右下でガサガサという音がした。暗くてよく見えなかったが、「なんだろう、我だろうか」と思っていると壁の隙間にすっと入り込んでしまった。
それですぐに関心をなくして、その日は終わったのだが、翌日、隣に住む老人が「回覧板でーす」と大声で叫ぶので、「はーい」とこちらも大声を出して取りに行った。
回覧板を取って振り返ったら、バルタン星人が、玄関のガラス引き戸の上にとまっていた。
さらに私を驚嘆させている事態が8月に入って、いよいよ明確になってきた。
過去2年に渡って秋にその開花を追いかけてきて、アニメ「エルフェンリート」などとも関連付けて、このブログで報告してきたタカサゴユリが(ページトップ右側の「ブログ内検索」に「タカサゴユリ」と入れると過去記事へ)、すでに開花し始めている。
しかもその本数がこれまでと異なっている。〈彼女たち〉は今、とんでもない本数になって私の目の前に出現しようとしているのだった。
「3年越しのタカサゴユリ開花物語」として眺め直してみると、何か「小さな奇蹟」でも見せられているみたいで胸がいっぱいになった(写真をクリック)。
今はまだほとんどつぼみの状態だが、〈彼女たち〉が一斉に開花したら、写真を追加して報告したいと思っている。
P.S. ということで、追加報告
かなり開花したよ。(2025-8-9)