ワシはもと西洋人の言うた七年一変の説ネ。アレを信じているのだ。どうも七、八年ないし十年にして人心が一変するよ。(『氷川清話』勝海舟)
YouTube動画、やるやると言いながらちっとも始まりません。
そもそも「動画を使ってやること」自体が、実は反シュタイナー的行為であることも確かなわけでして、どこか胸苦しい感じをいつも抱いておるのです。
シュタイナーの生きていた時代はようやっと映画が普及し始める時期で(彼は1925年に亡くなっています)、写真だってまだカラーの時代じゃありませんでした。そういう時代に二次元平面に映し出される動画、つまり当時においては映画しかありませんが、それを批判して「映画は、人間の意識の深い層に作用して、エーテル体を駄目にし、無意識を唯物論にする」というような趣旨の発言をしています。『死者の書』では以下のようなことも言っています。
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こういったものは人間から「現実的な生活対象」への積極的な関与力を奪い、「ひたすら受動的な態度に終始するマインド」になるよう人々を誘導してしまうとシュタイナーは言っているのです。21世紀の今日となっては世界中の人々の精神生活を圧倒している「コンテンツ」というものは「人々を特別に有能にも賢くもしない」ということもバレてしまいました。
「マトリックス」の住人たちのように機械に接続されて、脳内に「本当の自分の現実を反映していない偽の表象」を大量に浴びせられています。それが虚偽だと分かっていても、サイファーのような「感じ方」をする人物に至っては「そっちの内部にいた自分の方が幸せだった」と幻影の世界にいることをこそ希求するようになります。そのようなアーリマンの支配にあえて屈するような感性は、確実に現代社会のなかにも出現しています。
いまやニュース系の「危機感啓発情報」でさえ「コンテンツ」(映像商品)の一部門にすぎません。
YouTube動画、やるやると言いながらちっとも始まりません。
そもそも「動画を使ってやること」自体が、実は反シュタイナー的行為であることも確かなわけでして、どこか胸苦しい感じをいつも抱いておるのです。
シュタイナーの生きていた時代はようやっと映画が普及し始める時期で(彼は1925年に亡くなっています)、写真だってまだカラーの時代じゃありませんでした。そういう時代に二次元平面に映し出される動画、つまり当時においては映画しかありませんが、それを批判して「映画は、人間の意識の深い層に作用して、エーテル体を駄目にし、無意識を唯物論にする」というような趣旨の発言をしています。『死者の書』では以下のようなことも言っています。
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スピノザの倫理学やカントの純粋理性批判を映画で読み解くことができたら、或る面では時代の外的要求にふさわしいと言えるでしょう。どうしてそうでないと言えるでしょうか。このようなことを、私たちの時代は愛しています。人びとがこのような受動的な帰依を愛していることを、私たちは確信できます。
一度、たとえば広告塔の前に立って、その広告を見ている人びとの心の中に浮かぶ思いを推測してみて下さい。スライドを使わず、もっぱら聴き手の魂が積極的に参加することを求める講演を、人びとは好みません。人びとはむしろ受動的に帰依するだけですむのであれば、そちらの方へ行ってしまうでしょう。
一度、たとえば広告塔の前に立って、その広告を見ている人びとの心の中に浮かぶ思いを推測してみて下さい。スライドを使わず、もっぱら聴き手の魂が積極的に参加することを求める講演を、人びとは好みません。人びとはむしろ受動的に帰依するだけですむのであれば、そちらの方へ行ってしまうでしょう。
しかし、もしも時代の根底を覗き見るなら、そのような人びとの魂の中にも、活動性への衝動が存在していることが分かるのです。人びとはまったく積極的に働く魂を、ふたたび取り戻したいと思っているのです。(P35)
-----------------------------------------------------------こういったものは人間から「現実的な生活対象」への積極的な関与力を奪い、「ひたすら受動的な態度に終始するマインド」になるよう人々を誘導してしまうとシュタイナーは言っているのです。21世紀の今日となっては世界中の人々の精神生活を圧倒している「コンテンツ」というものは「人々を特別に有能にも賢くもしない」ということもバレてしまいました。
「マトリックス」の住人たちのように機械に接続されて、脳内に「本当の自分の現実を反映していない偽の表象」を大量に浴びせられています。それが虚偽だと分かっていても、サイファーのような「感じ方」をする人物に至っては「そっちの内部にいた自分の方が幸せだった」と幻影の世界にいることをこそ希求するようになります。そのようなアーリマンの支配にあえて屈するような感性は、確実に現代社会のなかにも出現しています。
いまやニュース系の「危機感啓発情報」でさえ「コンテンツ」(映像商品)の一部門にすぎません。
「怖いものがやってくる」と騒いでいるうっかり八兵衛みたいな人物が、最近交通事故で亡くなった知人を思い出して、「きみはこれから日本を襲うはずの巨大地震とそれにともなう巨大津波を体験せずに逝ってしまった」と嘆いたとしたら、「彼の不安感覚」というのはエンタメワクワク感覚のなかにある「何か」だったんではないかと疑いたくもなります。
マスコミがそういう煽り方を、「報道商品」の「売り方」の定石にしてしまったゆえに、現代人は、パンデミックやら天災やら戦争に「巻き込まれて死ぬ」のは極端に怖がりますが、多くの人は「でも自分はそういうのが来る前に、そういうふうな死に方じゃない死に方をすると思う」とは「普通」考えません。視聴者たちは「テレビ番組」で巨大な地震災害予告報道を聞かされて「いやー、そうなったら怖いですよねえ」と、ひとしきり建前なのか本気なのか分からないような感想を述べながら「予言」報道に付き合ってくれますしね。テレビ局にとっては、いいカモですよ。
エドガー・ケイシーとか日月神示の神なんぞは「安全な地域は教えることはできるが、究極それがどうした」ですからねえ。「それで死のうが生き残ろうが、あんたが正しく生きてきたならそれでいい」という但し書き付きではありますが。
ということで巷ではエンタメ都市伝説系「おどしネタ」として世界中で頻繁に「そっち系」で取り上げられているところの、前々回、神話や伝説への接近の仕方(読み方)に関してちらっと言及したヨハネの黙示録関連記事の見直しをしておるところです。特に最近はシュタイナーの『黙示録の秘密』を読み返しております。
この本は、ただ読んでいくだけでは、何も頭のなかに入ってきません。というかシュイタイナーの本はどれも、特定のカテゴリー語群やその順番、上下の位置関係など、あらかじめ記憶しておいてからでないと読書しても時間の無駄になってしまうことが多いです。
「3月下旬に桜の花が咲き、6月には雨がたくさん降りますよね」と聞けばみな即座に自分のなかに定着しているそれらに関する連想感覚を用いて、話者の話を消化しながら聞くことができます。1月から12月まで数え上げながら、その月に付着している個人的想い出や知識上の連想を無意識に「結びつけていける」ので、人は「自分にとっての1月から12月」までを具体的にイメージ把握できるわけです。
数学の教科書や参考書問題集を読んで「書かれていることを理解しよう」と独学している中高生に「理解の差」が生まれてしまう原因と同じです。書いていることが理解出来ない場合、「教科書を読むためには、自分はまだ何が分かっていないのか、あらかじめの準備として何を覚えていなかったのか」が分かっていないことが原因です。
つまりシュタイナー本は、小説を読むような「いつものノリ」で読んでいると頭の中で用語や熟語が音として頭の中を飛び交うだけで、その概念や理念が自分の持っている知識と頭のなかで「何も結びつかない」という状態に陥ってしまいます。
だから切り取られた霊学上の言葉をYouTubeの簡単編集コンテンツとして、ひろさちやのような「聞き終えるとなんかジーンくる言葉」のようなものとして受容するような人は、そもそも霊学に対する「接近の仕方」が間違っているということを自覚することから「やり直さない」とほんとの先には進めません。
近代人は身体の筋肉が凝っているだけではありません。しかし近代人は肩こりには悩みますが、「自動起動する論理と感情」が意識化されるべき凝りなんだとは思いません。学校教育やマスメディアを通して流し込まれた知識とその言葉にまつわる社会感情、それらによって「自動的に起動するようにしつけられた感情反応」こそが凝りなのです。そして学校に通っていた未成年時代、なまじ利口者だったために、文科省指導に基づいた教科書に準拠して機械的に発せられる教師の問いに「正しく答えられ、そう反応するのが社会的に正しい理屈と感情だと思われている言葉遣いで評論できる自分」に対して抱いてきた自尊心をこそ一度全部捨てないと、霊学研究へは進めないと感じられるようになっておかないといけません。
通俗的で唯物論的な感情で、神話や伝説、もっと言えば新旧の聖書に接し、それを解釈している自分の頭のなかに湧き出てくる「近代人的なモラル感覚」が、古代人の神話世界の意識を推し測り解釈する道具(メジャー)となっていることを反省できないのは、まさに近代人が何か形而上の問題についてのコメントを「世間用に公言する」時に、建前上「近代人とって馬鹿みたいに聞こえるようなこと」は言わないでおこうという世間の空気(暗黙のお約束事)に従って、この論理に乗っかって発言すれば、安全で突っ込まれる心配がないと「互いに思いあっている」ところの「唯物論OS」上で発言することしかできなくなっている自分自身を「意識化」できないからです。それは近代人にとって、壮大なる、英語で言うところの「 There is an elephant in the room」現象です。
ということで巷ではエンタメ都市伝説系「おどしネタ」として世界中で頻繁に「そっち系」で取り上げられているところの、前々回、神話や伝説への接近の仕方(読み方)に関してちらっと言及したヨハネの黙示録関連記事の見直しをしておるところです。特に最近はシュタイナーの『黙示録の秘密』を読み返しております。
この本は、ただ読んでいくだけでは、何も頭のなかに入ってきません。というかシュイタイナーの本はどれも、特定のカテゴリー語群やその順番、上下の位置関係など、あらかじめ記憶しておいてからでないと読書しても時間の無駄になってしまうことが多いです。
「3月下旬に桜の花が咲き、6月には雨がたくさん降りますよね」と聞けばみな即座に自分のなかに定着しているそれらに関する連想感覚を用いて、話者の話を消化しながら聞くことができます。1月から12月まで数え上げながら、その月に付着している個人的想い出や知識上の連想を無意識に「結びつけていける」ので、人は「自分にとっての1月から12月」までを具体的にイメージ把握できるわけです。
数学の教科書や参考書問題集を読んで「書かれていることを理解しよう」と独学している中高生に「理解の差」が生まれてしまう原因と同じです。書いていることが理解出来ない場合、「教科書を読むためには、自分はまだ何が分かっていないのか、あらかじめの準備として何を覚えていなかったのか」が分かっていないことが原因です。
つまりシュタイナー本は、小説を読むような「いつものノリ」で読んでいると頭の中で用語や熟語が音として頭の中を飛び交うだけで、その概念や理念が自分の持っている知識と頭のなかで「何も結びつかない」という状態に陥ってしまいます。
だから切り取られた霊学上の言葉をYouTubeの簡単編集コンテンツとして、ひろさちやのような「聞き終えるとなんかジーンくる言葉」のようなものとして受容するような人は、そもそも霊学に対する「接近の仕方」が間違っているということを自覚することから「やり直さない」とほんとの先には進めません。
近代人は身体の筋肉が凝っているだけではありません。しかし近代人は肩こりには悩みますが、「自動起動する論理と感情」が意識化されるべき凝りなんだとは思いません。学校教育やマスメディアを通して流し込まれた知識とその言葉にまつわる社会感情、それらによって「自動的に起動するようにしつけられた感情反応」こそが凝りなのです。そして学校に通っていた未成年時代、なまじ利口者だったために、文科省指導に基づいた教科書に準拠して機械的に発せられる教師の問いに「正しく答えられ、そう反応するのが社会的に正しい理屈と感情だと思われている言葉遣いで評論できる自分」に対して抱いてきた自尊心をこそ一度全部捨てないと、霊学研究へは進めないと感じられるようになっておかないといけません。
通俗的で唯物論的な感情で、神話や伝説、もっと言えば新旧の聖書に接し、それを解釈している自分の頭のなかに湧き出てくる「近代人的なモラル感覚」が、古代人の神話世界の意識を推し測り解釈する道具(メジャー)となっていることを反省できないのは、まさに近代人が何か形而上の問題についてのコメントを「世間用に公言する」時に、建前上「近代人とって馬鹿みたいに聞こえるようなこと」は言わないでおこうという世間の空気(暗黙のお約束事)に従って、この論理に乗っかって発言すれば、安全で突っ込まれる心配がないと「互いに思いあっている」ところの「唯物論OS」上で発言することしかできなくなっている自分自身を「意識化」できないからです。それは近代人にとって、壮大なる、英語で言うところの「 There is an elephant in the room」現象です。
自分の認識力の変容のためやっているのか、単に「それをタネに商売しているだけ」なのか、立場のはっきりしない書き手もたくさんいるのが、「この胡散臭い世界」の実情ですしね。
霊学に対して、このような意識的な感情をもって臨むことは、いわば畑に種を蒔く前に十分に準備をすることと同じです。まかれた種がよりよく育つためには、「畑の状態」を意識して、それを正しく耕しておかなければなりません。
前置きが長くなりました。excelを使って地球紀の進化にまつわるあれやこれをまとめてみましたということが実は今回の投稿テーマでした。参考にしてください。
そのうえで『黙示録の秘密』を読み直してみるなり、あるいは取り寄せてトライしてみるといいと思います。以下、図版をクリックすれば、とりあえず判読できる図が現れます。
7つに分けられた区分の上段は7つの惑星進化紀に使うことのできる一般的な用語です。下段は「地球紀専用の用語」になります。
ちなみに、シュタイナーによると、黙示録に登場する666のは「人類の進化の数」を表すということです。「進化の数」とは、人類がすでに通過したカテゴリーを上位カテゴリーから順番に並べたものです。(ただしABCの上位の三つ組みで表される数ではないのでご注意ください。)
掲げた表で説明すれば惑星状態C、根源人種D、民族文化期Eを、前から順番に並べたものなのです。現時点で人類はC4、D5、E5地点におりますから、すでに通り過ぎたカテゴリーは順番にC3、D4、E4となります。したがって「現在の人類の進化の数」は344になります。
したがって黙示録でいう666の時代とはC6、D6、E6のカテゴリーを卒業した時点での話なのだということです。その時代とはC7D7E7地点、つまり人類が、第7形態状態期の第七根源人種期の第七亜人種(民族文化)期に到達した時に起こる出来事が描写されているのだということです。まだまだ途方もなく遠い未来に起きる出来事なのです。
666=ネロとかヒトラー、あるいは今後出現することを期待されている大悪党キャラ出現とかの都市伝説系の「わかりやすい話」ではないんですよ、黙示録が描いている世界というのは。
ヨハネ存命当時にあってさえ最高の秘儀に到達している者でなければ「何を言っているのか分からないシロモノ」であった黙示録という「秘儀参入体験の一連の描写」の意味が、こうしてようやくシュタイナーによって公開されたとは言っても、実際に翻訳本に当たって、それをちゃんと読み解いてみようと試みている日本人は多くないと思います。邦訳本がどのくらいの部数日本で売れたのか分かりませんが、購入した人のうち、しっかりと読み解いて自分の中に明確な全体像を作り上げて保持できている人はさらに少数だと思います。
さて、地球は7つの惑星意識、7つの惑星生命状態、7つの惑星形態状態、7つの根源人種、7つの民族文化(亜人種)期の組み合わせて進化していくという話でした。
7×7×7×7×7、つまり7の5乗です。
組み合わせの数は16807通りです。
シュタイナーは太陽が黄道を一周する宇宙年(25920年)を12等分して一文化期の長さとしています。25920年÷12=2160年です。現在の地球は魚座時代(1413年~3573年)の途中ということです。3573-2022=1551、これに次の第六文化期の水瓶座時代の2160年と第七文化期の山羊座時代の2160年を足すと5871年になります。
いまから5871年たつと、黙示録にいうところの「万人の万人に対する戦いの時代」、つまりアトランティス時代の末期がそうであったように地球の地表が再び大変動する時代になります。
現在のA4B4C4時代(表でご確認ください)の下位カテゴリー、つまり地球紀の物質状態時代C4の下位カテゴリーD区分のみを取り出して並べてみると、そのD領域内の根源人種については、
1ポラール時代 2ヒュペルボレアス時代 3レムリア時代 4アトランティス時代 5ユーラシア時代 6第六根源人種時代 7第七根源人種時代
となりますが、1の地球が気体状だったとさえ言えない時代から、2気体状、3液体状とだんだん地球が硬化していき、現在の地球の地表こそが、もっとも歴史的に硬化している時代になっているというイメージを持ってください。そして今後地球はまただんだんと軟化していくのです。
シュタイナーが現在の地球硬化時代に2160年の周期を当てはめているにしても、時代を遡るにつれ地球の状態は異なっていますし、ポラール時代にいたっては、固い物質地球が宇宙に浮かんでいたのではないですから、地球と太陽と月の物理的運動と位置関係で一年の長さや一日の長さがイメージ化されて使われている今日的感性をそのまま適用することはできません。時間感覚についてはアトランティス時代でもレムリア時代でも現在の地球と同じようには扱えないというふうに考えるべきでしょう。
とはいえ、今日使っている「時間感覚」で数えれば、現在の5大陸上で営まれている人類の生活は5871年後には変容するということです。周期が変容するごとにレムリアが沈み、アトランティスが浮上し、またアトランティスが沈み、ユーラシアが浮上したように、未来は現在のユーラシアや他の地上の大陸群が別のもの(質も異なっている)と交代すると予想できます。
霊学に対して、このような意識的な感情をもって臨むことは、いわば畑に種を蒔く前に十分に準備をすることと同じです。まかれた種がよりよく育つためには、「畑の状態」を意識して、それを正しく耕しておかなければなりません。
前置きが長くなりました。excelを使って地球紀の進化にまつわるあれやこれをまとめてみましたということが実は今回の投稿テーマでした。参考にしてください。
そのうえで『黙示録の秘密』を読み直してみるなり、あるいは取り寄せてトライしてみるといいと思います。以下、図版をクリックすれば、とりあえず判読できる図が現れます。
7つに分けられた区分の上段は7つの惑星進化紀に使うことのできる一般的な用語です。下段は「地球紀専用の用語」になります。
ちなみに、シュタイナーによると、黙示録に登場する666のは「人類の進化の数」を表すということです。「進化の数」とは、人類がすでに通過したカテゴリーを上位カテゴリーから順番に並べたものです。(ただしABCの上位の三つ組みで表される数ではないのでご注意ください。)
掲げた表で説明すれば惑星状態C、根源人種D、民族文化期Eを、前から順番に並べたものなのです。現時点で人類はC4、D5、E5地点におりますから、すでに通り過ぎたカテゴリーは順番にC3、D4、E4となります。したがって「現在の人類の進化の数」は344になります。
したがって黙示録でいう666の時代とはC6、D6、E6のカテゴリーを卒業した時点での話なのだということです。その時代とはC7D7E7地点、つまり人類が、第7形態状態期の第七根源人種期の第七亜人種(民族文化)期に到達した時に起こる出来事が描写されているのだということです。まだまだ途方もなく遠い未来に起きる出来事なのです。
666=ネロとかヒトラー、あるいは今後出現することを期待されている大悪党キャラ出現とかの都市伝説系の「わかりやすい話」ではないんですよ、黙示録が描いている世界というのは。
ヨハネ存命当時にあってさえ最高の秘儀に到達している者でなければ「何を言っているのか分からないシロモノ」であった黙示録という「秘儀参入体験の一連の描写」の意味が、こうしてようやくシュタイナーによって公開されたとは言っても、実際に翻訳本に当たって、それをちゃんと読み解いてみようと試みている日本人は多くないと思います。邦訳本がどのくらいの部数日本で売れたのか分かりませんが、購入した人のうち、しっかりと読み解いて自分の中に明確な全体像を作り上げて保持できている人はさらに少数だと思います。
さて、地球は7つの惑星意識、7つの惑星生命状態、7つの惑星形態状態、7つの根源人種、7つの民族文化(亜人種)期の組み合わせて進化していくという話でした。
7×7×7×7×7、つまり7の5乗です。
組み合わせの数は16807通りです。
シュタイナーは太陽が黄道を一周する宇宙年(25920年)を12等分して一文化期の長さとしています。25920年÷12=2160年です。現在の地球は魚座時代(1413年~3573年)の途中ということです。3573-2022=1551、これに次の第六文化期の水瓶座時代の2160年と第七文化期の山羊座時代の2160年を足すと5871年になります。
いまから5871年たつと、黙示録にいうところの「万人の万人に対する戦いの時代」、つまりアトランティス時代の末期がそうであったように地球の地表が再び大変動する時代になります。
現在のA4B4C4時代(表でご確認ください)の下位カテゴリー、つまり地球紀の物質状態時代C4の下位カテゴリーD区分のみを取り出して並べてみると、そのD領域内の根源人種については、
1ポラール時代 2ヒュペルボレアス時代 3レムリア時代 4アトランティス時代 5ユーラシア時代 6第六根源人種時代 7第七根源人種時代
となりますが、1の地球が気体状だったとさえ言えない時代から、2気体状、3液体状とだんだん地球が硬化していき、現在の地球の地表こそが、もっとも歴史的に硬化している時代になっているというイメージを持ってください。そして今後地球はまただんだんと軟化していくのです。
シュタイナーが現在の地球硬化時代に2160年の周期を当てはめているにしても、時代を遡るにつれ地球の状態は異なっていますし、ポラール時代にいたっては、固い物質地球が宇宙に浮かんでいたのではないですから、地球と太陽と月の物理的運動と位置関係で一年の長さや一日の長さがイメージ化されて使われている今日的感性をそのまま適用することはできません。時間感覚についてはアトランティス時代でもレムリア時代でも現在の地球と同じようには扱えないというふうに考えるべきでしょう。
とはいえ、今日使っている「時間感覚」で数えれば、現在の5大陸上で営まれている人類の生活は5871年後には変容するということです。周期が変容するごとにレムリアが沈み、アトランティスが浮上し、またアトランティスが沈み、ユーラシアが浮上したように、未来は現在のユーラシアや他の地上の大陸群が別のもの(質も異なっている)と交代すると予想できます。
これまで硬化の道を進んできた地球という惑星が今後は反転して、軟化の道を歩むとすれば、現在の時間センスをそのまま適用できなくなるのではないかということも予想されます。地球紀の地球が現在の鉱物界ー物質状態を卒業するまでには、まだまだ途方もない時間が費やされるということも確かです。
木星紀にいたるにはどれほど時間を要するのか、すでに感受能力の範囲を越えています。とはいえ、現在の人類が、いまの魚座時代、水瓶座時代、山羊座時代を終了し、大陸大変動時代に達するのに5871年。それから一段上に上がって第六根源人種の7つの文化期を2160年×7=15120年、第7根源人種の7つの文化期で15120年、5871年+15120年+15120年=36111年。
このようにして3万6千年たつと、ようやく人類はさらにもう一段階上位カテゴリーで移動して、鉱物界カテゴリー内のアストラル状態の地球で生きることになります(表でご確認ください)。
再度言いますが、これらの未来へいたる時間を「今の感覚」で測れるのかという疑問はたえず付きまといますので、実際には物質地球の存在する世界感覚の産物たる、2160年という時間の長さから今の人類が受け取る時間感覚を倍数化して、そのまま時間感覚化できるわけもないだろうと思われます。実際以下のようなシュタイナーの発言があります。「第六根源人種の中頃、その三分の二が過ぎたころ、もはや物質的身体はなくなります。人間はふたたびエーテル的になることでしょう」(『人智学から見た家庭の医学』)
地球が軟化していくというのは、エーテル化アストラル化していくということでもありますから、人類も「軟化」の道をたどっていくのです。
ちなみに現在の地球に適用されている2160年の幅にしてもシュタイナーが便宜的に分けたものでしょうから、現実はかちっと区分されているというわけでもないことも付言しておきます。
現在の「地球時間感覚」で7の5乗進化の長さを測っても、次の木星紀にいたるためだけでも途方もない忍耐が人類に要求されているということになります。
秘教学徒たるもの、「最後に生き残るのは私感覚をになう霊」であって、現在私自身だと勘違いさせられているところの、輪廻のたびに気質と性別を変えていくアストラル魂に担われたものでも、ましてやそれを入れている地上の肉体でもないということも、あわせていつも意識して過ごしたいものです。
以下、「一般民衆の霊界参入能力の変遷」
古代人は実際に日常と霊界とを、ともに生きていました。近代公教育の学校の先生たちから聞いたように、古代人が、自然界には、神々、精霊がいると空想した結果が、いまに伝わる宗教感覚になった・・・・・というわけではありません。それは百科事典的な当たり障りのないような説明です。そのような説明を読むと「当たり障りがない説明で実に穏当だ」と近代人は感じます。
学問の場に供される近代式の印刷された辞典や便覧はまさに唯物論的思考の集大成です。近代の宗教学者、社会学者たちは、彼らが古代人の「空想」とみなしたものを、科学的思考態度に則って、つまり唯物論的手法によって「アニミズム」と命名しました。科学の論理作法による用語ですから、彼らは彼岸的世界の実在についてはあえて言及することは慎重に避けて「遠巻きに眺めるだけ」で、触れないで済むように論文上ではそっとしておきます。
「愛したり憎んだり悲しんだりと、生活感情のうえで、我々と基本的に変わることのなかったはずの古代人たち」が、なぜそのように考えるようになったのだろうと、古代人の「心理分析」の結果として、そう命名したのです。このように近代の論理思考は、土台がゆるぎなき唯物論によって「演繹化された出発点」を持っていますので、前提を疑うことがないのです。
秘教を学ぼうとする者は、「学者の名」によって語られる「アカデミック」な解説に耳を傾けるときは、そういう学者事情も理解したうえで、彼らの学術書と付き合っていくことが大事でしょう。
木星紀にいたるにはどれほど時間を要するのか、すでに感受能力の範囲を越えています。とはいえ、現在の人類が、いまの魚座時代、水瓶座時代、山羊座時代を終了し、大陸大変動時代に達するのに5871年。それから一段上に上がって第六根源人種の7つの文化期を2160年×7=15120年、第7根源人種の7つの文化期で15120年、5871年+15120年+15120年=36111年。
このようにして3万6千年たつと、ようやく人類はさらにもう一段階上位カテゴリーで移動して、鉱物界カテゴリー内のアストラル状態の地球で生きることになります(表でご確認ください)。
再度言いますが、これらの未来へいたる時間を「今の感覚」で測れるのかという疑問はたえず付きまといますので、実際には物質地球の存在する世界感覚の産物たる、2160年という時間の長さから今の人類が受け取る時間感覚を倍数化して、そのまま時間感覚化できるわけもないだろうと思われます。実際以下のようなシュタイナーの発言があります。「第六根源人種の中頃、その三分の二が過ぎたころ、もはや物質的身体はなくなります。人間はふたたびエーテル的になることでしょう」(『人智学から見た家庭の医学』)
地球が軟化していくというのは、エーテル化アストラル化していくということでもありますから、人類も「軟化」の道をたどっていくのです。
ちなみに現在の地球に適用されている2160年の幅にしてもシュタイナーが便宜的に分けたものでしょうから、現実はかちっと区分されているというわけでもないことも付言しておきます。
現在の「地球時間感覚」で7の5乗進化の長さを測っても、次の木星紀にいたるためだけでも途方もない忍耐が人類に要求されているということになります。
秘教学徒たるもの、「最後に生き残るのは私感覚をになう霊」であって、現在私自身だと勘違いさせられているところの、輪廻のたびに気質と性別を変えていくアストラル魂に担われたものでも、ましてやそれを入れている地上の肉体でもないということも、あわせていつも意識して過ごしたいものです。
以下、「一般民衆の霊界参入能力の変遷」
古代人は実際に日常と霊界とを、ともに生きていました。近代公教育の学校の先生たちから聞いたように、古代人が、自然界には、神々、精霊がいると空想した結果が、いまに伝わる宗教感覚になった・・・・・というわけではありません。それは百科事典的な当たり障りのないような説明です。そのような説明を読むと「当たり障りがない説明で実に穏当だ」と近代人は感じます。
学問の場に供される近代式の印刷された辞典や便覧はまさに唯物論的思考の集大成です。近代の宗教学者、社会学者たちは、彼らが古代人の「空想」とみなしたものを、科学的思考態度に則って、つまり唯物論的手法によって「アニミズム」と命名しました。科学の論理作法による用語ですから、彼らは彼岸的世界の実在についてはあえて言及することは慎重に避けて「遠巻きに眺めるだけ」で、触れないで済むように論文上ではそっとしておきます。
「愛したり憎んだり悲しんだりと、生活感情のうえで、我々と基本的に変わることのなかったはずの古代人たち」が、なぜそのように考えるようになったのだろうと、古代人の「心理分析」の結果として、そう命名したのです。このように近代の論理思考は、土台がゆるぎなき唯物論によって「演繹化された出発点」を持っていますので、前提を疑うことがないのです。
秘教を学ぼうとする者は、「学者の名」によって語られる「アカデミック」な解説に耳を傾けるときは、そういう学者事情も理解したうえで、彼らの学術書と付き合っていくことが大事でしょう。
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