宜保愛子は「死後の世界」の中で「供養の大切さを訴えるのが私の使命」と書いている。「供養」という言葉を使うと仏教的な様式のイメージがたちまちにして沸き起こり、拒絶的な感情がわきあがってくる人もいるだろうが、宜保愛子の言う「供養」という言葉について要約すれば、つまり「かつてあなたと交流のあった死者たちのことを温かく思い出してあげなさい」ということだ。
死者を思い出すためのシステムは日本においては「仏教」がおもに担ってきた。仏壇というものが各家庭に入ってきた時期については調べてみないとよく分からないが、まさにこれは「Remember The Dead」のために作られたものだと思う。
このような「習慣」は日本独特のものなのかと言えば、どうもそうではないようだ。たとえばルドルフ・シュタイナーは「精神科学から見た死後の生」の中でこう書いている。
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比較的最近まで、生者と死者とのあいだのいきいきとした交流が、今日よりもずっと活発だったことが見出されます。生者と死者との交流は、次第に困難になってきました。中世のキリスト教徒、何百年か昔のキリスト教徒は、祈るとき、先祖や亡くなった知人のことを思ったものです。当時は、祈る人の感情が今日よりもずっと力強いものであり、死者の心魂へと突き進んでいったのです。
昔は祈りのなかに、死者のことを思う人々から、暖かい愛の息吹が流れてくるのを、死者たちの心魂は、容易に感じることができました。今日のような、外的なことがらばかりが重視される文化では、死者はそのような愛の息吹を感じられなくなっています。今日では、死者たちは生者から断絶されています。地上に生きている者たちの心魂のなかで何が生じているのかを見るのが、死者たちには大変困難になっています。(P124-P125)
私たちが死者に対して抱く愛、あるいは単なる共感でも、死者の歩む道を楽にし、死者から妨害を取り除きます。(P128)
死者が知ることができる人々は、知己に限定されます。地上で出会ったことのない人々の心魂は、かたわらを通り過ぎていき、死者はそれらの心魂を知覚しません。(P175)
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宜保愛子が著書のなかで何度も繰り返して強調してきたことがまさに「私たちが死者に対して抱く愛、あるいは単なる共感でも、死者の歩む道を楽にし、死者から妨害を取り除く」から、「死者を思い出すことによって死者が歩む道を照らし助けてあげてください」ということだった。くわえて宜保愛子はあの世で地獄的な道行に陥っている人々のことをとても心配していた。あの世でそのような立場に陥っている人々のことを忘れてはいけないというのだ。
こういう発想についてはシュタイナーが、さきほどの著書の中でこんなことを書いている。
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だれかが他人を憎んだ、あるいは、他人に反感を感じたとしてみましょう。憎まれた人、反感を持たれた人が死んだとします。そうすると、その人を憎んだ者、その人に反感を持っていた者は、その人をもはや以前と同じように憎むことができなくなったり、もはや反感を持たなくなったりします。
自分が憎んでいた人が死ぬとします。その人が死んだ後も、その人への憎しみがなくならないとしたら、繊細な思いやりある心魂は、この憎しみ、反感を恥じます。このような感情を、透視者は追っていくことができます。そして、「なぜ繊細な心魂は、死者に対する憎しみまたは反感を、恥ずかしく思うのだろうか。そのような憎しみを持ったことが、人に知られていない場合でも、そのような恥の感情が生じるのはなぜか」という問いが立てられます。
死の扉を通過して精神世界に赴いた人間を透視者が追っていき、地上に残った者にまなざしを向けると、死者の心魂が生者の心魂のなかにある憎しみをはっきりと知覚・感受するのが分かります。比喩的に語れば、「死者は憎しみを見る」のです。
そのような憎しみが、死者にとってどのような意味があるのかも、私たちは追及していけます。そのような憎しみは、死者の精神的な進化におけるよい意図を妨害するものです。地上で他人が目標を達成しようとするのを妨害するのと同じような妨害なのです。死者は、その憎しみが自分の最良の意図を妨害するものであることを知ります。これが精神世界における事実です。
こうして、心魂の思惟のなかで憎しみが消滅していくのが分かります。自分が憎んでいた人が死ぬと、恥を感じるようになるからです。
透視者でないと、何が起こっているのか、知ることができません。しかし自分を観察すると、「死者は私の憎しみを見ている。私の憎しみは、死者のよい意図を妨害するものなのだ」という自然な感情が、心魂なかに生じます。
精神世界に上昇すると、そのような感情を生み出すもとになっている事象に注目できます。そのようにして明らかになる深層の感情が、人間の心魂のなかにはたくさんあります。地上にある多くのことがらを、単に外的-物質的に観察しないようにし、自分を観察して、「死者から観察されている」と感じると、死者への憎しみが消えていきます。
私たちが死者に対して抱く愛、あるいは単なる共感でも、死者の歩む道を楽にし、死者から妨害を取り除きます。(P128)
「人は死んだらみな仏様になる」という発想を土台に宗教生活を営んできた日本人には非常によく分かる感覚である。私は子供時代、親類の集まりで死者のことをそしる人に「もうこの人は仏様になったんだから、その人の悪口を言うのはやめないさい」とたしなめる別の親類がいたことを覚えている。死者に対してこういう接し方をする日本人に、あなたも子供のころ、どこかの場面で遭遇した経験があるのではなかろうか。
こういう繊細な感覚については日本全国津々浦々共通のものがあったと思うが、宜保愛子が90年代に登場してきた当時の日本の「精神状態」はどういうものだったのだろうか。高度成長期からバブル時代とその崩壊、そしてそれに続く没落の時代にかけて、日本の人々はかなり「あの世への関心」を失っていたのだろうと逆に思われる。あの世はそれを憂えていたのではなかろうか。だから宜保愛子は「メッセージ」を伝えに「あの世からこの世に派遣されてきた」のではなかろうか。
有名人になる以前この人は学習塾の経営者兼先生をしていた人だった。テレビ番組を見れば分かるとおり、大柄で海外へ出ると通訳をつけずに英語を自在にあやつる。本人は「ヨーロッパ人から日本人に転生した」と考えている。
かつてヨーロッパ人として生きてきた人が、何度か日本人として転生し、庶民の間でずっと伝承されてきた「日本の伝統的な仏教的センス」を学んだあと----彼女の先祖はお寺さんだった----「死者を思い出しなさい」という言葉を伝えに現れたと私は思っている。
次回は「スウェデンボルグと宜保愛子」のテーマで書く予定です。
p.s. 1 日本神道確立時代(律令国家成立時代)以前の日本人の宗教感覚とその習俗は、その多くが古代に日本にやってきてその後独自な発展を遂げた日本仏教の行事の中に流れ込みぼんやりと反映している。たとえば日本の古代の人々(アイヌの人々もまたそうである)が知っていたことのひとつに「あの世は(シュタイナーの言うアストラル界)逆さまの世界として現れる」というのがある。日本人は死者の死装束を生きている時とは逆向きの左前にしつらえるが、これは古代から受け継がれてきた作法のひとつであろう。
アイヌの人々が「死後の世界」をどのように眺めていたかは梅原猛の「古代幻視」(文春文庫)に以下のような報告がある。「アイヌの信ずるあの世は、この世とあまり変わりはなく、ただこの世と全てがあべこべであるという違いがあるだけである。この世の右が左、左が右、昼は夜、夜は昼、夏は冬、冬が夏という違いがあるだけである。死ねば、人は祖先の待っているそういうあの世へ往き、しばらくあの世に滞在して、また同族の子孫となってこの世へ帰ってくる。」(P21)
古代、のちに日本と呼ばれるようになる土地に住んでいたさまざまな種族に属する人々は、仏教によって輪廻思想を学んだのではないのである。
p.s.2 神社は超越的存在あるいは超人を祭る場であって、庶民個々人の「死後の生活」についてなにひとつ「手当て」をしてはくれない。だから日本伝統の宗教が神道であったというのは一面の真理ではあろうが、一方で古代の日本人たちは「自分たち自身の死後の生活」のための別系統の儀礼ももっていたのだ。だがそれは現在にいたるまで決して「大声」で語られることはなかったのであって、それはいつも大きな物の裏側に隠れて維持されてきた。学者はその大きな物を神道だとか儒教だとか道教だとか仏教だとか呼んでいるにすぎない。そして学者たちは「日本人の宗教観にはこれらの影響があった」としたり顔で解説をしている。
p.s.3 祓い思想を前面に打ち出す現在に伝わる神道は、空から音を立てて平原に激突し、そのあたりにあったさまざまな遺物を焼き払って直径数百メートルもの巨大なくぼ地を作る隕石のようなものである。もともと内部にあったものは砂煙となって外側に吐き出される。そこに超越的存在があらたにすえられる。砂煙になって舞い上がったものは、大気に混じりこみ、「庶民がそれを吸い庶民の肺のなかでひそかに維持されてきた」。比喩的に表現すればそういうことになるのだろう。現代人である我々もその「古代に吹き飛ばされ、見えない空気に混じった灰」を吸って生きているのには違いない。ただ「意識できないだけ」である。
p.s4 三木住職が「三木大雲百物語 其の四」のなかでシュタイナーとそっくりな話をしていたので紹介しておこう(6:00を過ぎたあたりから始まる)。
「モニタールーム」のたとえを聞いたとき、以下のシュタイナーの言葉を思い出してしまったのだ。
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生前の死者とともに体験したことを、具象的にいきいきと思い浮かべて、その思考を死者に送ろうとすると、その思考は死者のところへと流れていきます。心魂に浮かぶそのイメージを、死者は一個の窓のように感じます。その窓をとおして、死者は地上世界を覗くのです。私たちが思考として死者に送るものだけが、死者のところに到るのではありません。そのイメージをとおして、全世界が死者のところに現れます。私たちが死者に送るイメージは一個の窓のようなものであり、その窓をとおして、死者は私たちの世界を眺めます。(「精神科学から見た死後の生」ルドルフ・シュタイナーP77)
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