われわれ凡人が表象の世界へ旅立つとき、すなわち夢の世界で、あれやこれやの活動をするときは、まったく受身に徹している。そこはもちろん霊界ではない。スウェデンボルグや宜保愛子は「意識的」に、肉体を地上のある一点に残したまま、表象の世界(霊界)へ旅立つ能力を持っているが、秘儀参入者の参入レベルの差が霊界の表象能力の差として現れる。シュタイナーは死者の道行きをアストラル界から見た惑星秩序というかなり異質な観点から説明している。私には惑星軌道の境界は神霊の活動領域の範囲を示しているように思われる。したがって、低い霊視能力しか持たないものは、高次の霊的存在を見ること(認識すること)ができないのである。たとえば、キリストは紀元前、イエスの肉体に受肉して地上で認識できる「人間」として現れるまでは、けっして人間の霊視力の中で認識できない高次の神霊(キュリオテテス、叡智の霊、主天使)だった。
スウェデンボルグや宜保愛子は表象世界における死者のイメージを「旅日記」ふうに描写してくれたが、ルドルフ・シュタイナーは「別の観点」から見た死者たちの道行きを語ってくれる。
現在、われわれが学校で学習する太陽を中心とした惑星秩序を利用して、その上に霊界の惑星秩序を重ねたのが以下の絵である。
霊界における惑星の宇宙秩序はプトレマイオスが描写した宇宙の姿と一致する。
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以前は、人間は世界をまったくちがったふうに見ていた。たとえば、コペルニクスは、地球は静止しているという誤謬を打ち砕いた。彼は、太陽が地球のまわりを回っていると想像するのは誤りだと教えた。ケプラーとガリレオ・ガリレイが、その教えを発展させた。それでも、コペルニクスも、天動説を唱えたプトレマイオスも、どちらも正しいのである。どこから太陽と地球を考察するかという、観点がちがうだけなのである。太陽系を物質界からではなく、アストラル界から見れば、プトレマイオスの体系は正しいのである。アストラル界から見れば、昔の人々が思っていたように、地球が中心にある。アストラル界では、すべてが逆に見えるということを思い出してもらいたい。プトレマイオスの体系はアストラル界に通用し、コペルニクスの体系は物質界に通用するのである。(ルドルフ・シュタイナー「神智学の門前にて」P140)
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霊界にある地球を宇宙の惑星秩序のなかの中心として据え直して描くと、天体の順番は、(0)地球(人間の活動範囲)-(1)月(天使アンゲロイの活動範囲)-(2)水星(大天使アルヒアンゲロイの活動範囲)-(3)金星(権天使アルヒャイの活動範囲)-(4)太陽(能天使エクスシアイの活動範囲)-(5)火星(力天使デュナミスの活動範囲)-(6)木星(主天使キュリオテテスの活動範囲)-(7)土星(座天使トローネの活動範囲)となる。ただし古代では水星を金星と呼び、金星を水星と呼んでいたことにも注意を促したい。
月領域までしか達することのできない秘儀参入者は天使は認識できても、大天使を見ること(認識すること)はできない。また水星領域までしか達することのできない秘儀参入者は権天使を見ることはできない。
ではシュタイナーの発言を見てみよう。
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私たちは、死の扉をくぐったあと、「欲界」と呼ばれる領域を通過していきます。(ルドルフ・シュタイナー「精神科学から見た死後の生」P96)
私たちは空間を越えて、広がっていきます。欲界期のあいだ、私たちは絶えず拡張していきます。そして欲界期が終わるとき、私たちは地球を回る月の軌道と同じ大きさになります。(P97
欲界期を通過しおわると、つぎの時期に、人間はもっと大きな空間のなかに生きます。人間はどこまでも拡張していきます。欲界期が終わると、人間は月の軌道内と同じ大きさの天空を越えて広がります。人間が地上での生において有した、地上生への情動、憧れ、情熱すべてが脱ぎ捨てられて、人間が死後に通過する欲界期の空間内に取り残されます。(P98)
ついで、私たちはさらに拡張していきます。
さらに拡張すると、私たちは神秘学で「水星領域」と呼ばれる、第二の領域に到ります。
不道徳な人は水星領域、すなわち欲界期のあとに来る時期において、自分と同じころに地上を去って精神界に行った人々を、見出すことができません。
地上で不道徳だった人は、精神世界の水星領域で孤独な隠者のようになります。道徳的だった人は、社交的になります。道徳的だった人は水星領域で、地上で懇意にしていた人々を、心魂存在として見出します。
欲界=月領域においては、私たちは社交に関して、これとは別の困難さを感じます。しかし一般的に言って、「月領域でも、人間は心魂の性質によって、孤独な隠者か社交家になる」と、思い浮かべることができます。(P99)
一般的に、月領域と水星領域において、すでに地上で親しかった以外の人々を見出すことは不可能です。その他の人々は、私たちには未知のままです。私たちが死後の世界で、他の人々と一緒にいるための条件は、「地上でも一緒にいた」ことです。(P101)
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「水星領域の霊視者」宜保愛子は「霊界ではときどき自分の見知っている人々に出会うが、互いに存在を確認しあう程度でみな黙々と自分の道を歩く」、「現世で仲のよかった夫婦や恋人が、霊界で会いたいなと思ったとき、その霊はスーッと側に来る。だが、心のなかでは嬉しいのかも知れませんが、ただ側に黙っているだけです」と書いている。
死者は水星領域からさらに金星領域、太陽領域へと拡張する。
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死後、水星のつぎに通過する領域は金星領域です。地上で非宗教的な傾向だった場合、金星領域で「隠遁者」になります。
金星領域では、死者は宗教および世界観ごとにグループを作ります。地上では、さまざまな傾向の宗教的ないとなみがあります。同じ世界観を持つ人々は、金星領域において大きな、力強い教区を形成します。それらの人々は隠遁者ではありません。
全体として、「金星領域では、自分と同じ世界観、同じ信仰を持った人々と集まることができる。他の信仰を持った人々とは、理解が困難である」と、言うことができます。(P108)
ついで、太陽領域に到ります。金星領域のつぎに通過する領域です。太陽領域では、さまざまな信条を和解させ、さまざまな宗教信条のあいだに橋を架けることができます。(P109)
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スウェデンボルグの霊界報告を読むと、死者が思想や趣味嗜好ごとにグループを作る場所があることを報告している。もしかしたらスウェデンボルグは太陽領域までを見ることのできた霊能者だったのではないだろうか。ただ、私自身としては、スウエデンボルグという名前の由来から彼の認識力をもうひとつ上げて「火星領域の認識者」としたいと思う部分もある。
実はスウェデンボルグという名は彼にとって新しい名前なのだ。スウェデンボルグという名前は聖職者だった彼の父親がその功績によりスウェーデン女王から「今後はこの名前を名乗りなさい」ともらった名前なのだ。(参考資料)息子の彼は父の改名によって「そのままその名を受け継いだ」のだった。そして54歳で「死の技術」をマスターした彼は、文字通り自分の名前に国名(民族名)を背負うに足る段階の霊能力者となった。私にはロンドンに秘儀参入者スウェデンボルグを出現させるために霊界によって不思議な回り道をとって準備がなされたようにも見える。古代の秘儀の伝統によれば、第5段階の秘儀参入者、つまりの火星の秘儀参入者は民族名で呼ばれるそうだ。
たとえば古代のミトラ教では秘儀参入者を以下の7段階であらわす。
(1)烏 (2)隠者 (3)戦士 (4)獅子 (5)民族 (6)日の英雄 (7)父
やはり彼は火星領域までの秘密に接することができたということが言えるのではないだろうか。記紀を読むと名前(おくりな)にヤマトを冠している人々が出てくるが、これは「日本の古代人」の一部に秘儀参入者がいたことを示す「しるし」なのかもしれない。私自身は初期の天皇たちは「本物の秘儀参入者だった」と思っている。(参考資料)
シュタイナーは続いて「死者は火星領域、木星領域、土星領域へと進み、土星領域へ達すると、今度はだんだんと領域を縮小させていく」という趣旨の発言をしているが、どういうわけか今回参照している「精神科学から見た死後の生」では「火星領域ではルシファーと出会う」と簡単に記述したあと、木星領域、土星領域の具体的な記述をおこなっていない。反転して領域縮小の道に入るといよいよ地上への転生の準備を開始することになる。
p.s.2 初代ウルトラマンのエピソードのなかにウルトラマンは古代にもやって来ていて「ノアの神」(ということはユダヤの神)として祭られていたという話がでてくる。脚本家はいったい「どこからインスピレーションを得た」のだろうか。「ウルトラマン=キリスト論」を唱えてる人って私以外にもいることを、さっき「ウルトラマン ユダヤの神」で検索して発見した。おもしろい国=日本になってきたなあ。
p.s.3 以下の写真は「ゴルゴタの丘で磔にされる神」
つか、もろじゃん。
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