去年の12月9日に突然父が亡くなってから、いろいろとバタバタと忙しい日々だった。母と(父の再婚相手なので私にとっては義母になるが)弟はすでに亡くなっており、それまで仏事のあれこれはもっぱら父がやっていたので、父が亡くなったあと、何をどうすればいいのか改めてネットなんぞで調べて勉強しなければならなかった。そういうわけで、今は一人暮らしで、三人の仏様の世話をすることになったのだった。
父はヘビースモーカーだったので、部屋の壁のクロスは長年のタバコのやにで変色している。現在は仕事の合間に(まあ、気が向くとだが)それを少しずつ「油汚れマジックリン」できれいにしている。写真を見ればやにがいかに家の壁を変色させるか分かるよね。
昭和の時代に家を建てたときに飾ってあった床の間の彩色山水の掛け軸は、それきり、新しいものに架け替えられることもなく、そこに何十年も吊られたままタバコのやにですすけはて、まるで油紙のような紙の色に変色していて、いままでそれに色がついていることさえ気が付かないでいた。
私は床の間を整理し、それまでそこにあった荷物を全部どけて、すすけた掛け軸を明るい色の掛け軸に取り換えたくなった。ちゃんとそこが床の間であることを意識したくなったのだった。
義母が亡くなったとき、もともと押し入れだった場所が仏壇になった。だからこの四畳半の部屋は仏間兼床の間なのである。私はそのころ地元を離れて暮らしていたので、戻って押し入れが仏壇に変わっているのを初めて見たときには驚嘆した。父が仏壇の世話をしていたころは、葬儀社からもらった巨大な額入りの写真が二つ鴨居の上に飾ってあったが、狭い四畳半にはどうにも大きさが不釣り合いでこの大きさのものが三つ鴨居の上にあるとなるとかなり「威圧感」があるなあと感じたので、L版のサイズに写真をダウンサイズして仏壇の横に飾り直している(これはPCとプリンタスキャナで自分で行った)。
掛け軸についてはなんの知識もないシロウトである。とにかく気持ちが晴れ晴れする絵をと思って鶴の掛け軸を手に入れて飾ってみると、ほんとに部屋がぱっと明るくなった。我が家は浄土真宗(真宗大谷派)である。ネットで調べると家庭では「南無阿弥陀仏」と書いた掛け軸を法事の時には掛けるらしいと知って、これも別途手に入れた。父はそういうことには無頓着だったが、お坊さんにお経をあげてもらう今年のお盆にはそれを掛けたいと思っている。
家財を整理していると、いままで意識したこともなかった、いろんな道具類が残されていたことに気づかされた。いくつかの花瓶がそうだった。青い色をした水盤と剣山もあった。
我が家で最初に亡くなったのは義母だった。父の状態が悪くなったとき、独り身で、かつ夜に仕事をしている私は、家を空けている間が不安で、結局実の母に助けを求めた。母が家で父の世話を焼き、父が亡くなって再び家を去った後、首の長い黒い花瓶に造花を刺して飾ってあったのが残されていた。「そうだ、これを床の間に飾ろう」そう思って置いてみた。
なかなかいいんじゃないだろうか。けれどこれはまったく奇妙な気分だったのだが、その花瓶と掛け軸を眺めていると、無性に自分自身でアレンジしたものを飾りたくなったのだった。それが以下の写真。
いままで知人のお見舞い用に花屋さんで花を買ったことはあったが、それは店員さんにみつくろってもらう「おまかせセット」だったし、生活の中で自分で生花に関心を持って花瓶に花を生けたことなんてなかったのだが、いまは100円ショップにすごい量の造花が陳列されていることを思い出し、これをいくつか買ってきて自分自身でも青い水盤と剣山で花を飾れるんじゃないかと思って、実際にやってみた(以下は掛け軸の風鎮を外して正面からもう一枚撮ってみたもの)。
あとになって生け花でネットを調べてみると、生け花にはちゃんと型があって、水盤と剣山をつかったこういう生け方は邪道であると知った(しかも水盤には実際には水は入っていないし)。そもそも造花と水盤と剣山でこんなことをする人がいないようだった(ネットにも写真がほぼない)。造花は花瓶にさすものだった。
写真を検索するとこの青い水盤を用いた生け花(「盛り花」というそうだ)がたくさん出てきたので、もしかしたらこの水盤は生け花教室で初心者に売っている品で、義母もそういう場所に通ったことがあったのではないかとふと考えた。
いずれにしろ、「花はきれいなものだな」と気が付いたのだった。だから、これからは生花店にも出かけて「花をめでる暮らし」を始めたいと思う。
表題に「なんちゃって」と付けたのはネットにはそういう題名をつけた「シロウトが生け花にチャレンジしました」という記事がわんさかあったので、それにあやかったのだった。いずれ生花を使って「邪道ではない生け花」で床の間を飾りたいものだ。
父はたくさんの庭木も残している。これもそういうことにまったく関心のなかった自分の悩みの種であるが、今後は「そういう世界」のことも勉強して、いまは荒れ放題の庭もおいおいきれいに整えていきたいと思っている。
南無阿弥陀仏。
P.S.
その後倉庫の中のダンポールの中味を整理していると小原流生け花の教科書が2冊みつかりました。「あ、やっぱり生け花教室に通っていたんだ」。とということで、庭にある草木で盛り花をやってみました。相変わらず我流ですが(4/23)。
生花を使った初めての盛り花です。
父はヘビースモーカーだったので、部屋の壁のクロスは長年のタバコのやにで変色している。現在は仕事の合間に(まあ、気が向くとだが)それを少しずつ「油汚れマジックリン」できれいにしている。写真を見ればやにがいかに家の壁を変色させるか分かるよね。
昭和の時代に家を建てたときに飾ってあった床の間の彩色山水の掛け軸は、それきり、新しいものに架け替えられることもなく、そこに何十年も吊られたままタバコのやにですすけはて、まるで油紙のような紙の色に変色していて、いままでそれに色がついていることさえ気が付かないでいた。
私は床の間を整理し、それまでそこにあった荷物を全部どけて、すすけた掛け軸を明るい色の掛け軸に取り換えたくなった。ちゃんとそこが床の間であることを意識したくなったのだった。
義母が亡くなったとき、もともと押し入れだった場所が仏壇になった。だからこの四畳半の部屋は仏間兼床の間なのである。私はそのころ地元を離れて暮らしていたので、戻って押し入れが仏壇に変わっているのを初めて見たときには驚嘆した。父が仏壇の世話をしていたころは、葬儀社からもらった巨大な額入りの写真が二つ鴨居の上に飾ってあったが、狭い四畳半にはどうにも大きさが不釣り合いでこの大きさのものが三つ鴨居の上にあるとなるとかなり「威圧感」があるなあと感じたので、L版のサイズに写真をダウンサイズして仏壇の横に飾り直している(これはPCとプリンタスキャナで自分で行った)。
掛け軸についてはなんの知識もないシロウトである。とにかく気持ちが晴れ晴れする絵をと思って鶴の掛け軸を手に入れて飾ってみると、ほんとに部屋がぱっと明るくなった。我が家は浄土真宗(真宗大谷派)である。ネットで調べると家庭では「南無阿弥陀仏」と書いた掛け軸を法事の時には掛けるらしいと知って、これも別途手に入れた。父はそういうことには無頓着だったが、お坊さんにお経をあげてもらう今年のお盆にはそれを掛けたいと思っている。
家財を整理していると、いままで意識したこともなかった、いろんな道具類が残されていたことに気づかされた。いくつかの花瓶がそうだった。青い色をした水盤と剣山もあった。
我が家で最初に亡くなったのは義母だった。父の状態が悪くなったとき、独り身で、かつ夜に仕事をしている私は、家を空けている間が不安で、結局実の母に助けを求めた。母が家で父の世話を焼き、父が亡くなって再び家を去った後、首の長い黒い花瓶に造花を刺して飾ってあったのが残されていた。「そうだ、これを床の間に飾ろう」そう思って置いてみた。
なかなかいいんじゃないだろうか。けれどこれはまったく奇妙な気分だったのだが、その花瓶と掛け軸を眺めていると、無性に自分自身でアレンジしたものを飾りたくなったのだった。それが以下の写真。
いままで知人のお見舞い用に花屋さんで花を買ったことはあったが、それは店員さんにみつくろってもらう「おまかせセット」だったし、生活の中で自分で生花に関心を持って花瓶に花を生けたことなんてなかったのだが、いまは100円ショップにすごい量の造花が陳列されていることを思い出し、これをいくつか買ってきて自分自身でも青い水盤と剣山で花を飾れるんじゃないかと思って、実際にやってみた(以下は掛け軸の風鎮を外して正面からもう一枚撮ってみたもの)。
あとになって生け花でネットを調べてみると、生け花にはちゃんと型があって、水盤と剣山をつかったこういう生け方は邪道であると知った(しかも水盤には実際には水は入っていないし)。そもそも造花と水盤と剣山でこんなことをする人がいないようだった(ネットにも写真がほぼない)。造花は花瓶にさすものだった。
写真を検索するとこの青い水盤を用いた生け花(「盛り花」というそうだ)がたくさん出てきたので、もしかしたらこの水盤は生け花教室で初心者に売っている品で、義母もそういう場所に通ったことがあったのではないかとふと考えた。
いずれにしろ、「花はきれいなものだな」と気が付いたのだった。だから、これからは生花店にも出かけて「花をめでる暮らし」を始めたいと思う。
表題に「なんちゃって」と付けたのはネットにはそういう題名をつけた「シロウトが生け花にチャレンジしました」という記事がわんさかあったので、それにあやかったのだった。いずれ生花を使って「邪道ではない生け花」で床の間を飾りたいものだ。
父はたくさんの庭木も残している。これもそういうことにまったく関心のなかった自分の悩みの種であるが、今後は「そういう世界」のことも勉強して、いまは荒れ放題の庭もおいおいきれいに整えていきたいと思っている。
南無阿弥陀仏。
P.S.
その後倉庫の中のダンポールの中味を整理していると小原流生け花の教科書が2冊みつかりました。「あ、やっぱり生け花教室に通っていたんだ」。とということで、庭にある草木で盛り花をやってみました。相変わらず我流ですが(4/23)。
生花を使った初めての盛り花です。
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