今回は「怪異な出来事」カテゴリーの話です。
「怪異な出来事」テーマで最後に投稿した日付をチェックしてみたら、2018年だったので、ずいぶん長い間投稿してませんねえ。小さな「あれっ、なんだろ、この現象?」体験なら、ちょくちょく発生はしてるんですが、他人が読んでおもしろいものなのかというと、それも疑問でして。
とはいえ子供時代以来こんにちまで体験してきた小さなあれやこれについて、やっぱりふと思い出して「あれって何だったんだろう」と思っちゃいます。というわけで今回は子供時代の思い出話です。
見間違いなのか、誤解釈なのか、幻影なのか分からないドッペルゲンガー体験は2回覚えてます。
ひとつは小学生だった時代。何年生の時だったのかはっきりしないんですが、低学年ではなかったと思います。季節は暑い時期だったのでしょうか。
学校が終わっていつもの通学路をとぼとぼ一人で帰っていたら、向こうから自分の顔をタオルで拭きながらオヤジが歩いてくる。「えっ、おとうさん?」と度肝を抜かれて、「でも、なんでこんなところにおとうさんが一人で歩いてるの」という思いが即座に浮かんだので、心はすでに身構えている感じになってるわけです。
当時の父は九電工の社員(電気工)で、チームを組んで、でかいトラックに乗って移動し、山奥とかに電線を架けにいくような仕事をしてましたから(以下ネットから取ってきた参考写真)、電気工の姿をした父(ヘルメットはかぶっていなかったです)がひとりでこっちに向かって歩いている事象そのものが受け入れられない状況として私には映ったんですね。
「あの人、ほんとにボクのおとうさんなのかな」という疑問が沸き上がってきて、そのために「違っていたら恥ずかしいな」などという気持ちも沸き上がって、「お父さん」と声をかけるのがすごく怖くなってました。
だから、「ボクに気がつくかな」と思いながら、ずうーと「その人の姿」を目で追いながら歩き続けたんですが、とうとうすれ違ってしまいました。「その人」は私のほうを一度も見ないで通り過たのでした。
振り向くとちゃんとその人はいて、なおも向こうへ歩いていくので、私は気を取り直して向きを変え帰路につきました。
その日の夜、いつものように父は仕事から帰ってきましたが、その日あったことを確かめることがなんとなくはばかられたので、結局、話して確かめることができませんでした。
子供時代に印象に残る体験をしたにもかかわらず、体験を心の中で消化できないので、それを親に話さないまま、今では大人になってしまったという人はたくさんいるでしょう。
父はすでに他界しているので、もはや確かめようもありません。なのでいまでも「あれは何だったんだろう」と時々思い出してしまうんです。
もうひとつのドッペルゲンガー体験は、中学2年生のときですね。学校が終わっていつものように通学路を歩いて帰っていたら、同じ学校の制服を着た小集団が向こうから歩いてくる。
今から考えてみると、学校が終わってるのに、なんで向こうから中学生の小集団が中学校のある方向へ歩いていたんだろうって思います。
で彼らの一人に目が行くと「え、オレ?」を衝撃を受けます。「え、オレが歩いて来る」と瞬間思いました。帽子かぶって雑嚢さげてて上から下までそっくりです。で、最後に靴を見たら、おんなじだったので、そこでまたまたショックですよね。でも「まてまて、そんなわけあるか。たまたまオレに似たやつだろう」と思い直して、そのまますれ違い、気を取り直して帰宅しました。
でも、今でも思い出すんですよ、その時のこと。それ以降だって、自分に似た人とすれ違うことだってあったし、でも「あ、オレじゃん感覚」は起こりませんでしたし、似た人を見たという感覚はあるんですが、もはやそのときの様子、どんな服装をしていたかとか、場所とか状況と何一つ覚えていません。その時々でちゃんと区別はできたんですよね。中学生時代の体験を忘れていないということは、「衝撃を強く受けたから」ですよね。
まあ、でも父の件にしろ、中学生の件にしろ、実は「なーんだ、そういうことだったのか」という説明はつくんでしょうね。自分には「そう説明し考えることのできる情報」がないので、ただの思い込みをロマン話にしちゃったってところでしょうか。
ということで、「なんか新しい投稿されてないか」ということで来てくださる方々に気の毒なので、こうやって、つなぎみたいな軽い記事投稿してみました。
「怪異な出来事」テーマで最後に投稿した日付をチェックしてみたら、2018年だったので、ずいぶん長い間投稿してませんねえ。小さな「あれっ、なんだろ、この現象?」体験なら、ちょくちょく発生はしてるんですが、他人が読んでおもしろいものなのかというと、それも疑問でして。
とはいえ子供時代以来こんにちまで体験してきた小さなあれやこれについて、やっぱりふと思い出して「あれって何だったんだろう」と思っちゃいます。というわけで今回は子供時代の思い出話です。
見間違いなのか、誤解釈なのか、幻影なのか分からないドッペルゲンガー体験は2回覚えてます。
ひとつは小学生だった時代。何年生の時だったのかはっきりしないんですが、低学年ではなかったと思います。季節は暑い時期だったのでしょうか。
学校が終わっていつもの通学路をとぼとぼ一人で帰っていたら、向こうから自分の顔をタオルで拭きながらオヤジが歩いてくる。「えっ、おとうさん?」と度肝を抜かれて、「でも、なんでこんなところにおとうさんが一人で歩いてるの」という思いが即座に浮かんだので、心はすでに身構えている感じになってるわけです。
当時の父は九電工の社員(電気工)で、チームを組んで、でかいトラックに乗って移動し、山奥とかに電線を架けにいくような仕事をしてましたから(以下ネットから取ってきた参考写真)、電気工の姿をした父(ヘルメットはかぶっていなかったです)がひとりでこっちに向かって歩いている事象そのものが受け入れられない状況として私には映ったんですね。
「あの人、ほんとにボクのおとうさんなのかな」という疑問が沸き上がってきて、そのために「違っていたら恥ずかしいな」などという気持ちも沸き上がって、「お父さん」と声をかけるのがすごく怖くなってました。
だから、「ボクに気がつくかな」と思いながら、ずうーと「その人の姿」を目で追いながら歩き続けたんですが、とうとうすれ違ってしまいました。「その人」は私のほうを一度も見ないで通り過たのでした。
振り向くとちゃんとその人はいて、なおも向こうへ歩いていくので、私は気を取り直して向きを変え帰路につきました。
その日の夜、いつものように父は仕事から帰ってきましたが、その日あったことを確かめることがなんとなくはばかられたので、結局、話して確かめることができませんでした。
子供時代に印象に残る体験をしたにもかかわらず、体験を心の中で消化できないので、それを親に話さないまま、今では大人になってしまったという人はたくさんいるでしょう。
父はすでに他界しているので、もはや確かめようもありません。なのでいまでも「あれは何だったんだろう」と時々思い出してしまうんです。
もうひとつのドッペルゲンガー体験は、中学2年生のときですね。学校が終わっていつものように通学路を歩いて帰っていたら、同じ学校の制服を着た小集団が向こうから歩いてくる。
今から考えてみると、学校が終わってるのに、なんで向こうから中学生の小集団が中学校のある方向へ歩いていたんだろうって思います。
で彼らの一人に目が行くと「え、オレ?」を衝撃を受けます。「え、オレが歩いて来る」と瞬間思いました。帽子かぶって雑嚢さげてて上から下までそっくりです。で、最後に靴を見たら、おんなじだったので、そこでまたまたショックですよね。でも「まてまて、そんなわけあるか。たまたまオレに似たやつだろう」と思い直して、そのまますれ違い、気を取り直して帰宅しました。
でも、今でも思い出すんですよ、その時のこと。それ以降だって、自分に似た人とすれ違うことだってあったし、でも「あ、オレじゃん感覚」は起こりませんでしたし、似た人を見たという感覚はあるんですが、もはやそのときの様子、どんな服装をしていたかとか、場所とか状況と何一つ覚えていません。その時々でちゃんと区別はできたんですよね。中学生時代の体験を忘れていないということは、「衝撃を強く受けたから」ですよね。
まあ、でも父の件にしろ、中学生の件にしろ、実は「なーんだ、そういうことだったのか」という説明はつくんでしょうね。自分には「そう説明し考えることのできる情報」がないので、ただの思い込みをロマン話にしちゃったってところでしょうか。
ということで、「なんか新しい投稿されてないか」ということで来てくださる方々に気の毒なので、こうやって、つなぎみたいな軽い記事投稿してみました。
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