-
前回、黄道十二宮、あるいは十二星座の話題に言及してましたが、実はそのちょっと前にアマゾンでタペストリーを購入して、家で飾ろうかと思い立った一連の出来事があったんですよ。その「企画案」は最終的に以下の写真のごとくになりました。
なかなか上手に仕上がっているでしょう? 床の間に飾るために、裏側の上下に1mのポールを通す筒状の袋をアイロンと裾上げテープを使って作り、吊り紐も加えて、掛け軸用の重りを加えて完成しました。自宅にミシンがあって使い慣れている人なら、ミシン縫いもありですね。予算に余裕があえば、外注でもいいし。私は安く上げたい派でしたので、百円ショップとホームセンターのものを利用しました。
100円ショップにはツッパリ棒がいろいろ売ってますが、伸び縮み機能のない1mちょっきりの品がなかったので、ホームセンターで探したら、暖簾を売っているコーナーに鉄製のものと木製のもと2種類売ってました。両方とも買って帰り、最終的に木製のポールに吊り紐を結ぶ金具をねじ込んで吊るすことにしました。以下の写真は鉄製ポールに通したタペストリーです。下段の写真は、全体にアイロンをかけて上下の端を折って裾上げテープで加工した後の様子。
「おー、そうかこんな風な手順を踏めば、これまでのように、伝統的な様式のものを買って飾るだけではなく、これからは、世界中にある、いろんなデザインの掛け軸を自分でつくれるぞ」と気づき、得をした気分になっております。
ちなみにアマゾンでは、自分のお気に入りの布の上下に挟み込んで、掛け軸にすることのできる器具も売ってました。ただ横幅が1mとかに対応したものは見かけなかったので、大きいものを飾りたかったら、いまのところ自作一択ですね。
AliexpressとかTemuとかも見回りました。廉価で布に客の希望する絵柄をプリントできるサービスもあるようなので、昔、秘教学徒のYouTubeのトップ絵をポスターかタペストリーにできないかと思っていたこともあり、試してみるのもいいかなと思っております。でもトリミングして縦横の長さは変えないといけないですね。
冬が近づくとなぜか動画を作りたくなってしまうので、途絶えている投稿を再開しようかなあと思っておるところです。PR -
ギザの大ピラミッドは「アトランティス時代の遺物」であり、秘儀参入者のための神殿であったことは前々回書いた。
ルドルフ・シュタイナーは「中国人や日本人は紀元前1万年の歴史があり、アトランティス文化の継承者だ」というような趣旨の話を『地球年代記』でしていた。アジア・東アジアには、1万年前にすでに人間がいました。それらの人間には、もちろん子孫がいます。それらの子孫は、地上の最古の文化を有しています。モンゴル民族、日本人と中国人です。彼らは最古の地上の住人の末裔なので、非常に興味深いのです。(中略)日本人・中国人よりも古い文化には、表面的な科学は到達できないのです。『地球年代記』P179
しかしこの本の後の方で、「中国人にはまだ先祖たちのような古い感性が残っているが、今の日本人はまったく異なってしまった」というような話もしている(画像クリック)。
※一番上の段の黄道十二宮は人智学で語られる「2160年ごとの時代精神」を現し、宇宙から地球に近づいてくる太陽霊キリストの活動を象徴する時代のアイコンでもある。
時間の経過の中で、つねに、ある存在が崇拝されてきた。たとえばペルシアでは、紀元前3000年まで、双子座が崇拝された。紀元前3000年から紀元前800年まで、エジプトで神牛アピスが崇拝され、西南アジアではミトラ牛が崇拝された。紀元前800年からは、羊が崇拝されるようになった。黒海東岸のコルキスから金毛羊皮を取ってくるイアソン(ジェイソン)の伝説が生まれた。さらに、キリストが「神の子羊」として崇拝されるようになる。初期のキリスト教のシンボルは、十字架にかかった救世主ではなく、十字架を持った羊だった。(『神智学の門前にて』P50)
以上、シュタイナーによれば、今後「魚座はキリスト再臨の象徴となる」(雲間に神の光が再び見られるようになる時代、エドガー・ケイシー)という話だ。図表最下段の段の十二星座が、いわゆる近代占星術師たちが唱えている時代区分になる。ケイシーの発言はこちらの区分に準じてコメントしているようだ。アトランティス時代の七つの根幹人種の活躍時期と期間を現在の人類と同様2160年として扱うと別の情報と矛盾するのは自分でもわかっているので、今回掲げた図表はあくまでも参照対比のために便宜的に作成したものであることはあらかじめお断りしておく。
シュタイナーは、別の個所で「紀元前1万年から続く東アジアの古代文化」というような言い方もしているので、上ナイル地方でアトランティス(ポセイディア島)からの避難民たちとともにエジプト古王朝よりもさらに古い先史時代のエジプト文化をラータたちが築いていた紀元前1万2000年前の時期に、ユーラシア大陸が今日のような姿になる以前の東アジア地域で、アトランティス時代の七つの根幹人種の七番目である黄色人種(モンゴル人種)が、アトランティス文化のしんがりとして登場し、ついに「アトランティス的発展の幕を閉じた」のが、今から7000年から8000年ほど前だった。
シュタイナー的な黄道十二宮観で言うところの「蟹座時代」に文化基盤におけるアトランティス的なものからユーラシア的なものへの転換というか飛躍が行われ、ぼんやりとした世界から、まず先史時代の、つまり我々にはよく理解されていないヴェーダ以前の古インド文化が立ち現れた。
そしてインド文化期、ペルシア文化期、エジプト文化期、ギリシア・ローマ期と続き、今現在のところゲルマン・アングロ=サクソン文化期の真っ最中だ。この文化は今後、ロシア文化期、アメリカ文化期と変容していく。
井上陽水の『東へ西へ』という歌にかこつけて語れば、アトランティス文化の余波が避難民たちによって西へ伝えられて東の端へ達すると、アトランティス的なものは、そこでついに発展性を失い終焉を迎えた。そして数千年の闇のインターバルの中から古インド人がユーラシア的展開を開始し始めた。歴史の進展の渦は進行方向を反転して東から西へ向かうようになったのだった(画像クリック)。この渦巻文様は、中心の不連続点(空白部分)で時代が別種のものへ飛躍する変異の記号として使われてきたものでもある。そして人々はそれを蟹座の象徴と呼んだのである。
現在のゲルマン&アングロ=サクソン文化(唯物論的機械崇拝文化)は上の絵を見ても分かるように、ある一定の頂点に達したら方向を東へ変えてしまう。そしてシュタイナーによるとロシア人と東アジア人が霊(精神)の文化の担い手になっていくということだ。第六文化期の2160年である。
そしてまた2160年たつと時代の主流は、海を渡ってアメリカ大陸へ移動するが、この第七文化はちょうどアトランティス時代の第七人種が「アトランティス時代に引導を渡した」ように、ユーラシア時代に引導を渡すことになる。
そうすると、天から「ご破算で願いましては」と掛け声がかかり、レムリア時代やアトランティス時代がそうであったように、海上に出て人類の活動場所を提供する大陸が入れ替わり、人類は新たな目標、時代精神のもとで精進させられる時代が来るというわけである。第七文化期が終る頃、地球の状況が根本的に変化するであろう。その変化は、アトランティス期から後アトランティスへの過程で生じた大変動に匹敵するものとなろう。(神秘学概論-文庫版P421)
もし現代人が第二次世界大戦の渦中に『幼女戦記』のように「転生」させられたら、どうだろう? その状況の悲惨さは今日どころの話ではない。だれもが「今は黙示録の時代に違いない」と嘆き、世界中のキリスト教徒たちが、現代のキリスト教徒たちのように「世界の滅亡は近い」と思ったはずである。そのはずなのだが、そういう「歴史の証言」を聞いたことがない。イスラエルが再興されていなかったからだろうか?当時の人々は「地球滅亡の心配なんぞ何のその、皆、やる気満々だった」。あの時代こそ今よりもずっと「死の象徴に満ちていた時代」だったし、現実にも人の大量死が現代の比ではなかった時代だった。
現代は「うっかり八兵衛商会」と「トム・ソーヤー商法」が人類の精神生活を牛耳っている時代だから(「現代人は互いに悪徳商人になる傾向を持っています」とシュタイナー)、すっかり精神がヤワになった今日の人類は大騒ぎをするのだ、と言うこともできそうだ。
ちなみにシュタイナーによれば、ヨハネの黙示録に言うところの「新エルサレム」というのは、さらに遠い未来の木星紀のことである(画像クリック)。
現在、われわれは第五根幹(根源)人種であり、おもな活動大陸はユーラシア大陸であった。アトランティス時代にも併存するその他の陸地があったのである。その時代において「もっとも意味ある大陸」がアトランティスだったので、アトランティス時代と呼び、七つの亜人種に分かれてさまざまな土地に併存していても、みんなまとめて「アトランティス人」と呼んだのである。
古い時代の神智学者たちは第五根幹人種をアーリア人と呼んだが、アーリア大陸なるものは存在しない。だからレムリア人やアトランティス人の用例に準じて、ブラヴァツキーはもとより、シュタイナー自身もそういう用語は用いなかったが、ここでは私流に大陸名で説明している。今のような人種の区別はいずれ消えていくことはシュタイナーも強調している話で、本来の意味で「人種の区別」に意味があったのは、アトランティス時代までである。
さて、上の表を見れば分かる通り、人類は第六根幹人種と第七根幹人種時代も経ていかなければならない。
遠い未来に海上に出現する、まだ見ぬ大陸の名前など当然分からないので「NO NAME」となっている。しかし未来の人類は「それ」をちゃんと「固有名詞」で呼ぶようになるのだろう。
気の遠くなる話である。
「人類が物質界でやるべきことをすべてやって、天使族として帰還できる時代」はまだまだずっと先の話なのだった。 -
今回、人生で初めてユリに興味を持った。不思議なことだと思う。臭気を放つクサギの生い茂る土地で、三つのユリの花が咲く可能性のうち、真ん中は私の家の床の間の花瓶の中で運命を全うし、右側は危機一髪で粉砕を免れて、舟形の水盤の剣山の中に納まっている。そして左のユリはつぼみのまま、地上から消されてしまった。何かメッセージでもあるんだろうか。
そう思いながら同時にエドガー・ェイシーの水瓶座時代に関する発言にも連想が飛んだ。
ケイシーによると、来たる水瓶座時代は「ユリの時代」なのだそうだ。リーディングにおける英語表現は「the age of the lily」である。
それで日本語圏で「水瓶座 ユリの時代」という言葉を検索欄に入れたが、まったくヒットしなかった。
それではということで英語圏で検索すると、やっぱりたいしてヒットしない。ケイシーが「ユリの時代」に言及した記事がひとつ出ていた。あとジョー・コッカーの「the new age of the lily」という歌を見つけた。その歌詞の中に「ウイリー・リリー」という人物が出てきて、調べると17世紀に活躍したウイリアム・リリーという有名なイギリスの占星術師であることが分かった。ということは、「the new age of the lily」は、やはり占星術関連の書物か何かに載っていたエピソードからとって来られた表現なんだろうか?
じゃあ「水瓶座時代はユリの時代」という言葉はウイリアウム・リリー由来なのだろうか? それとももともとケイシー用語だったのだろうか、と思ったがまだ結論は出ていない。
ユリがキリスト教絵画のモチーフとして使われていることも同時に知った。
聖母に関係してユリのモチーフが描かれているのが一つ目(手前の花瓶に一本の茎から咲いた三つのユリの花のイメージが見える)。The Lily & Sword in the Last Judgment(最後の審判の百合と剣)
※解説が興味深いので、日本語ページ化していない場合は、ご自分でGoole翻訳などでご覧ください。
右にユリの花を左に剣を咥えたキリストのイメージが描かれてるのを見て、キリストとユリが関連付けられていることを知ったのだった。
そして当然最近話題にした「三つのユリの花体験」にも連想が戻っていくのだった。
最後に、「ユリの時代」に関するエドガー・ケイシーのリーディングも紹介しておこう。
質問 肉体的、精神的、霊的な発達に関して、水瓶座の時代は人類にどのような意味を持っているのでしょうか。また、水瓶座の時代が〈ユリの時代〉と名づけられている理由は?回答 このようなことが一言で答えられると、あなたは思っているのか。これらは成長である。その成長とは何を意味しているのか。魚座時代の中央で、人の中にインマヌエル、あるいは神の降誕があった。わかるか。それは何を意味していたのか。そのことが、今度は創造力との関係に繋がり、あるいはそれに目覚め、物質界の中に活用する能力が完全に開かれることを意味するようになる。
だが、このような目覚めがアトランティス、レムリア、ムーの時代のその時期に何をもたらしたであろうか。人類への破壊であり、そこから利己主義を通しての旅が人類に必要となってきたのである。
今後これらのことがどうなるかについて言えば、今言ったことを受け入れる者だけが、周囲に展開されつつあることの何たるかに気づくであろう。互いに同一の振動数の力を持ち合いながらも、一方から他方へ影響するその振動力に気づく人の何と少ないことか。それでもなお、あなた方は、心と体と経験の中に水瓶座の時代が何をもたらすのかと、問うのだろうか。
質問 みずがめ座の時代を〈ユリの時代〉とおっしゃったのはどうしてですか。
回答 純粋さである。その時代が表す純粋さだけが、その道を求める人々の前に置かれたあの目覚めの意味を理解できるのである。(1602-3)
日本語のテッポウユリという名前は物騒だが(ちなみに英語名はEaster lily:復活祭のユリ)、タカサゴユリは「高砂や~この浦舟に帆を上げて」のタカサゴを連想して、おだやかな感じでいいじゃないですか。 -
前々回、タカサゴユリの話をしましたけど、続きがあって、実は、あのタカサゴユリの左右に小さなつぼみをつけたものが二本立っていました。
あの写真からちょうどひと月たった昨日、右側の方が花を咲かせました。
そのときは「また摘んで生け花にしようか」と迷ったんですが、一日判断を待つことにしました。
夜が明けて、さっそく花を見に行くと「やっぱ、摘もう」と思ったので、その場で摘んで、今度は前回造花を挿していた舟形の花器に「水を入れて飾る」ことにしました。
危機一髪。この花は私の家に来て飾られることで、少々寿命が延びました。
というのは、なんとお隣さん(の縁者さん?)が毎年、春と秋にやっている庭の雑草駆除と掃除が本日業者さんの手によって行われてしまったのでした。花を積んだ後、まもなく業者さんが乗り込んできて、大きなモーター音を響かせながら、クサギの群れ(写真参照)を庭から排除し始めました。
これが本日こうなりました。
私としてもすっきりとして一安心ですが、つぼみをだんだんと大きくしながら花を咲かせる準備をしていたはずの左側のタカサゴユリ(下の写真)は「その他の雑草」といっしょになくなってしまいました。
確実にあともう一回はタカサゴユリの開花を見られると期待していただけに青天の霹靂、3回目が消えてしまったことにがっかりしてしまいました。
こうして住む人がいなくなっているお隣さんの敷地は「まるぼうず」にされてしまいましたが、来年になるとまた茂みをたくさんはやすんでしょうねえ。
タカサゴユリが来年の秋も見られたらきっとうれしいだろうなあ。 -
最近、またエドガー・ケイシーのリーディングをもとに「ギザのピラミッド問題」を追いかけてました。
公称ではギザのピラミッドはクフ王の墳墓だということになってますが、ケイシー情報によると、「あのピラミッド」は、今からおよそ1万2千500年前、100年の歳月をかけて(紀元前1万490年から1万380年[正確には「キリストのエジプト入りを起点に数えて」とリーディングにはあります])建設されたものだということでした。
どういうことでしょう?
つまりギザの大ピラミッドは「アトランティス時代の最末期」に建てられたものでした。
世界の陸地はまだ現在のような変容を遂げ切っていない時代でした。
当時のエジプト地域の状況をリーディングが以下のように語っています。
人は当時、サハラと上ナイル地帯に居住していた。川は北へは流れず、ナイルから今の大西洋へと注ぎ込んでいた。チベット、コーカサス地方の河川は北海へ注ぎ、モンゴルでは太平洋に、また高原地方では北方海域に注ぎ込んでいたのである。そして、諸部族の最初の統治者は、今は『王家の谷』として知られている所に近い、上ナイルのその場所に拠点を定めたのである。(5748-1)
海の下に沈んだ大陸のうち、ポセイディアと呼ばれるアトランティス大陸のなごりが海上に残っている時代でした。そこから避難民が世界中に散っていった時代でした。
ケイシーのリーディングを読むと、大ピラミッドが建設された当時、ギザのピラミッド群の東側にはナイル川は流れていなかったことになります。
シュタイナーによると、旧約聖書に出てくるノアの箱舟の話は、もっと古い時代のアトランティス時代の話で、当時の地球はどこもかしこも霧に覆われていました。北欧神話において「霧の国」として描かれていたのがアトランティス大陸でした。旧約聖書の大洪水エピソードは、長きにわたるアトランティス時代の「異変」について書かれたもので、大気中に大量に含まれていた水蒸気が大量の雨となって地上に降り注いだ事件を描いているとのことです。ノアはアトランティス時代に新しい使命を帯びてユーラシア大陸に移住した人物なのです。
霧が雨水となって地上に満ち、大気が晴れ上がったので、ノアは初めて虹を見た人物として描かれています。
大ピラミッドの時代は、その地球変動時代のさらにのちの時代の話ですが、アトランティス大陸が「沈んだ」という話は、現代人なら誰もが知っている話ですが、「それと入れ替わりに、それまで海の下にあったその他の地域が浮上した」のだということは、「思い及ばない」ことが多いようです。
上に掲げた絵は、ネットから拾ってきたものですが、ヨーロッパもアフリカも南北アメリカもだいぶ現代に近い描かれ方になってます。
よーく考えてみてください。アトランティスと入れ替わりに、それまで海面下にあった場所があちこちで浮上を始めたら、盆地状になっている個所の上にあった海水は、その海抜の状況に応じて、より低い場所へと一気に流れ落ちていくでしょう。
世界中で大洪水事件が頻発したはずです。
また別の話の関連で、シュタイナーは「イギリスでは土地が四回、海の上になったり下になったりしました。イギリスは四回、水浸しにされては、また上昇しました」とイギリスを例に、大陸の上昇運動と下降運動が「大きな周期」で繰り返されていることを強調しています(『神仏と人間』)。
現在は大陸の上昇期に入っており、4000年後には、また氷河期がくるとも語っています。「近年」においてヨーロッパがもっとも暖かかったのが1200年代で、「その当時は大地が最も低かったのです」とも述べています。
面白いことに、『古代日本正史』の著者である原田常治氏は、「平安時代は冬でも掛布団がいらないくらい、最も日本が暖かかった時期だった」と語っています。
温暖化が叫ばれて久しいですが、現在、京都はまだまだ平安時代の「平均気温」に達してはいないようです。当時の植生も何百年単位で以前のものと入れ代り、また寒くなっていって、以前の植生へと変化するというような、長周期のサイクルで植生も海の魚の生息地域も変容してきたのです。
以下、大陸の浮沈問題に関してシュタイナーの発言を、ご紹介しておきます。
大洪水がやってきて、アトランティス大陸が海中に没する以前まで「アカシャ年代記」を通して地球の進化を遡っていくと、このアトランティスで生じたさまざまな出来事の経過を辿ることができます。同じ経過が後に違った形でもう一度繰り返されました。キリスト時代の遥か以前、キリスト教が南から北上してくる以前に、北ドイツ、中央ヨーロッパ、アトランティス大陸の東の方で、アトランティスの洪水が再現されました。南方からの影響があった後で、初めて、ヨーロッパに独立して人々が住むようになったのです。
よく陥る誤謬として、「アカシャ年代記」の霊的映像ではなく、アストラル的映像を追っていくと、この繰り返しを本当の古代のアトランティスの出来事とみてしまうのです。スコット=エリオットのアトランティスについての叙述は、この繰り返しを本当のアトランティスの事件ととり違えているのです。
アストラル的な映像を見れば彼が書いたことは合っているのですが、神界の本物の「アカシャ年代記」とは符合しません。誤謬の原因がどこにあるかを知ることによって、スコット=エリオットの記述に対して正しい評価ができるようになります。(『薔薇十字会の神智学』P58)
ちなみに私の場合、スコット・エリオットの邦訳本はないのでアマゾンで英語版を手に入れて、ぼちぼちと目を通してます。91ページの薄い本です。今はバラしてクリップで綴じてます。
コーカサスの王とともに神官ラータ(エドガー・ケイシー)が一族を連れて、現在上ナイル地方と呼ばれている場所にやってきて、ひとつの国家を建設したのは、今のナイル川が、北上せずに、大西洋側へ流れ落ちていた時代のことでした。
当時の国民の様相は、もともと1万2千年以上前からそこに住んでいた部族、そしてラータとともにコーカサス地方からやってき王朝部族、アトランティス(つまりポセイディア島)からの避難民と、彼らが一緒に連れてきていた〈もの〉(英語表現ではthings)と呼ばれていた、人体と不完全な結びつき方をしていた人間たち(半獣半人)などなど多彩でした。当時の人間の人体はまだ柔軟でしたから(古代の人類の人体の有様についてはシュタイナーも『神々との出会い』において強調していた点でしたね。「古アトランティス人は自我なき従者たちを従えていた」というような話が出てきます)、ラータはアトランティス人たちから「同じ人間」として扱われていなかった「自我の働きの弱かった従者あるいは奴隷身分の人々」の人体を「修復」する事業に情熱を傾けたのでした。
以下そのシュタイナーの発言です。なんらかの魔法を使って、目の前の人間の肉体、エーテル体、アストラル体から、不可視的な本来の超感覚的な自我体を引き離したなら、その人間からディオニュソスの従者たちのような姿が生じたでしょう。(P166)
アトランティス時代には、自我はまだ人体の中に組み込まれていませんでした。一体、アトランティス人のからだはどんな様子をしていたのでしょうか。ギリシア人の想像力は、そしてギリシア人の直観力は、すばらしい仕方で、通常のアトランティス人の平均的な姿を、サテュロス、ファウヌス、パンとして描いたのです。
現在の地球の状況では、こういう人間形姿は生じえません。サテュロス、ファウヌス、そもそもディオニソスの従者全体は、アトランティス人の古い形姿を最も忠実に保持し続けた、後アトランティス人の集まりでした。ディオニソスは、まさにこのような人間たちを----その人間たちはまだ自我を内的にほとんど所有していなかったのですが----自分の隊に組み入れて、自我の最初の教師として働いたのです。
このことからも分かるように、ギリシア人は、ディオニソスの一行を、古いアトランティスの平均的人間の姿として示したのです。この一行は、現在の人間のような固い骨格を持っていませんでした。人体は固くなったのです。古アトランティス期の人間は、もっと柔軟なからだを持っていました。(『神々との出会い』P167-P168)
当時、「大陸」としてではなく「大きな島」としてのみ存在するようになっていたアトランティス文明が終焉しようとしているその時代において、大ピラミッドはそのような「将来における世界の大陸状況の変化」を見越して建設する上において、被害をこうむりにくい安全な場所として、アトランティスからの避難民たち(技術の提供者たち)との合意のもとに選定された位置に建てられたのです。
現在のギザの大ピラミッド群が見下ろしている地域は、その当時の陸地の大変動によって、ナイル川の流れ方が変わり、大洪水となって、氾濫するようになった地域なのです。
アトランティス大陸沈没後に、世界各地域の大陸隆起に伴って発生した大洪水によって、大ピラミッドの東側もまた、大量の土砂で埋まり、その上を「新しいナイル川」が地中海へ向けて流れ落ちるような時代に変容しました。
スフィンクスとナイル川の間の分厚い土砂の下に今でも「変動前に建設された未発掘の神殿」が眠っているのです。そこには「アトランティス大陸からの避難民」が保存しておきたかった膨大な量の「過去の記録」が保管されています。
「新ナイル川の出現」以降、本来の歴史上のエジプト王朝時代が始まります。クフ王は大ピラミッドの周囲に街を建設しました。本来、まったく異なった歴史時間存在だった二種類の遺跡群が考古学者や炭素年代法などの近代科学手法による「解釈の不手際」によって、今日も多くの誤解を抱えたままだというのは、少し残念ではあります。
大ピラミッドの内部には、未来の地球の変遷の様子が使用された岩石の違いによって表現されていると言います。本来は1998年までの地球の有様を載せていたようですが、1958年以降の部分は、のちの時代に悪意を持ったファラオによって削り取られてしまったそうです。一方で、大ピラミッドは秘儀参入者たちのための実践的神殿でもありました。ピラミッド内部にある「空の石棺」の意味は「そこに安置されていた人物が取り去られてしまった」というのではなく、もともと「空の石棺」として、象徴的にそこに置かれたものなのです。
いずれにしろ、「預言書としてのピラミッド」の使命は、21世紀の今日果たされ終わっていると言えますが、現代人は「解釈」することがいまだに果たせていないのでした。
ピラミッドの内壁を読んでも、これからやってくる未来は書かれていないのです。いずれにしろ「彼らが展望していた時代の範囲」からすでに脱出し「新時代」に入ったのだということです。
エドガー・ケイシーが神官ラータ時代に送った人生の詳細について、分かりやすくまとめている本として『大霊視者エドガー・ケイシー』(大陸書房)をお勧めしておきます。
アトランティス時代や古代エジプトの時代については、ほかにもいろいろとエドガー・ケイシー関連の翻訳本が出ていますので、興味のある方は、手に入れて研究してみられるといいでしょう。