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すでにオレのなかで「名作アニメの殿堂」入りしていた「カレイドスター」、なにげに第1話見ちゃったら、また止まらなくなっちゃった。ってことで、またまた見直してる最中のオレでした。現在オットセイのジョナサン登場のあたりを見てるのだった。アウアウ。
オレ、シリーズ後半に登場するOPのこのシーン(↑)が大好きでねえ。といってもやっぱりこれは飛び込んで水中でこんな顔をするマリオンの一連のシークエンス全体がいいのだった。写真だと「ほんとうのよさ」が伝わらないのが残念。(なんかニルヴァーナのアルバムジャケットをも連想させるけど、やっぱ別ものだよね。)
テガミバチのステーキの話を前に書いたけど、生き物を頭の上に乗せている少女のモチーフって、すでにカレイドスターに登場してたんだよね。
「カレイドスター」の音楽担当は窪田ミナ、おお、「ゲゲゲの女房」の音楽やってる人じゃないっすか。って、今日なにげに昼間NHKをワンセグで見ていたら気がつきました。
そういや佐藤順一監督、最近では「迷い猫オーバーラン」の第12話を監督してましたね。カレイドスターで各キャラクターが順番でやってる「みんなー、カレイドスターが始まるよー」のセリフで最高だった回は、第22話のジョナサンの回。あれは佐藤監督のアイデアなのかな?
「カレイドスター」を見直してる最中に突然あることに気がついた。タレントのあびる優(シャーロット)と組んで出ていた大森玲子(ジュリー)って、もしかしてファンシーララ? うおー、そうだったよ、今まで見過ごしてきたなんて、ウカツなオレ(相変わらずだな)。
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ということで全話見終わりましたけど、何度見てもやっぱり笑っちゃうし、感動するし、何よりも次(話の続き)が見たくてしかたがなくさせるアニメなのだった。
ほんと名作だなあ。そして微妙に百合的であるという点も含めて、苗木野そらと福沢祐巳のキャラクターの近さを改めて確認した。
p.s.1 今回初めてロゼッタを主人公にしたOVAも見たんだけど、苗木野そらとロゼッタのデュエットという体裁をとったOPテーマが実にいいんだな。なんちゅうかとってもかわいらしい歌声っつうか・・・・・・。一昔前(といってももはや40代に突入していたと思うが)、80年代の麗美のLPを集めまくっていたオレのことを知っている人は、オレがこのOPテーマにいたく反応してしまったのも理解できると思うぞ。PR -
「活劇系アニメ視聴月間」ということで、現在「ソルティ・レイ」を見てる。GYAOで昔やってたのを見逃したまま----第1話は見逃し、その後も虫食いのように数話しか見てなかった----いつか見ようと思いながらも、今までほっておいたんだけど、今回やっと見始めた。
主題歌が印象深くてサビの部分のメロディーは強烈に残ってるんだけどね。だが今回第1話からみ始めて、おお、なんだこれは。このドラマの骨格も「アルムの爺さんとハイジ」じゃないかと思ったので、ますます見るのが楽しみになった。ソルティの出生の秘密については、「総リゼンブル体」であるということ以外、まだ何も分からない。だが第1話に置かれた伏線が何かを暗示していることは確かだろう。自分なりに予想してみるんだけど、これを先に知っちゃうと感動が薄れちゃうだろーから、このアニメも予備知識ゼロで見なくっちゃ。
p.s. 1 あと「Solty Rei」には「ネコミミモード」ではない「ゴーグルモードの月詠=カーシャ」も出てるぞ。声は桑谷夏子、そう昔当ブログでも言及した「ローゼンメイデン」の「~しやがれです語」を使う翠星石役をした人だ。怒りを表すときのセリフ回しが時々翠星石っぽくてにやりとさせるぞ。
p.s.2 「Solty Rei」ついに見終わったけど、第1話でソルティが逃げ回っていた意味が結局「伏線」としては、未回収(というより映像的に説明不足)のまま終わってしまったのが残念。なんで第1話では、あんなローブみたいなものを着ていたのかとか、分かんないままだよね。でも「行方不明の娘を必死で探し続ける父親」というモチーフは、最終話までしっかり貫徹されていたのがよかったね。泣いたよ、最終話。ほんといいラストシーンだったね。やっぱオレって「笑って泣けるドラマ」が好きなんだな、基本的に。ということでソルティ・レイ、「名作アニメの殿堂(バウンドヘッド編)」入り決定----オレの場合、「名作」の定義は「また見たくなる」であることは、みなさんご存知だよな。たとえストーリー展開(あるいは伏線の説明内容と回収方法)に多少の疑念を抱く場面があったとしてもだ。
p.s.3 「Solty Rei」の19話の冒頭部に出てくるRUCの建物のホールのデザインは、絶対デビッド・リンチ監督の「砂の惑星」を参考にしているよね。列車のデザインなんかもろそうだと思うんだけど。
デューン 砂の惑星
Travelling without moving↑
ってジャミロクワイじゃないよ。
p.s.4 ソルティ・レイの 第6話「愛娘」とそっくりなエピソードを、昔見たことがあるのを、なぜか今日ふと思い出した。それは「マッハGo Go Go」の第30話「ダムサイドの対決」というエピソード。ところで、吉田竜夫の描く女性というか少女は皆キュートだよな。オレは、そういう好みの持ち主なので、「魔法のプリンセス ミンキーモモ」をギャオで見た当時、色彩やらキャラクターデザインやら線描やら比較して、やはり第1作目の方が絵的にはずっと好みだった。制作はREED(葦プロダクション)だったはずだけど、なんかオレは1作目を見て「タツノコ系を受け継いでいるよなー」と感じたのだった。実際1作目は、大人のモモも、2作目よりずっとキュートで色っぽく描かれていたと思うんだな。 -
「マクロス7」を見て「ブラスレイター」、次に「強殖装甲ガイバー」ときて、いま「忘念のザムド」第2話を見終ったところ。飛行艇や登場人物の少女、あるいは衣装とか、すごくジブリ臭のする出だしだったけど----一話目の挿入歌とかもろジブリじゃないか----たしかに絵的には制作のボンズ風の色とキャラ絵と線描なんだけど、半分ジブリ系のニュアンスに侵食を受けているという印象がどうしてもぬぐえない。これってどういうことなんだろうか。
まあ、トリビア系の話は全体を見終わって、いつものように最後の仕上げとしてウィキペディアで情報チェックとかすると、見えてくるものもあるのかもしれない。
いつものように、まったくの前情報なしで見始めたアニメなんだけど、先がどう展開するのか非常にたのしみなアニメって感じがしている。
p.s.1 「忘念のザムド」今22話まできたけど、この22話のエンドロールのクレジットにスタジオジブリって出てるのに気がついた(遅すぎるっつーの)。なーんだ、スタジオジブリも制作に加わっていたんじゃないか。EDはいつも絵の部分ばかり見て----ってそれさえテキトー----クレジットはほとんど見てない(でも声優はチェックする習慣はあり)ウカツなオレでした。なので1話目で感じたジブリ臭はちゃんとワケがあったんだね。
p.s.2 「忘念のザムド」とは「ある特殊な民族が担う巨大な人身御供宗教の終焉」を描いたドラマだったのだろうか。オレには怒涛の後半部はよく意味がつかめなかった。
p.s.3 注目ボイスは現実世界でも子供をやってる本城雄太郎。脇役だが、ほんとにたくさんのセリフをしゃべってたね。本物の子供の声には「ミルク成分」が混じっている。それはそれでとても聴いててここちいいもんだ。この声どこかで聴いたことがあるような、と思いチェックしてみたら、「RED GARDEN」のポール役だった。いやー、なつかしい。ローズの弟のポールと妹キャリー。キャリー役の諸星すみれの「ローズ、ローズ」と呼ぶ声は今でも心に残っている。「クッキンアイドル」のアニメのキャラも「本物の子供たち」が演じてるよね。「なんじゃこりゃー」と叫んだり。みんな声の周波数にミルク成分が混じってるよね。当ブログでは子供の声優については「capeta」の時にちょっと書いたね。
p.s.4 「RED GARDEN」といえば、クレア役の沢城みゆきだね。オレにとって沢城みゆきといえば、クレア役の発見から始まったのだった。 -
ついに7月になっちまったか。6月は一本も記事を書かなかったよ(なんか忙しくてあわただしくて、おまけにビンボーでさ)。
現在「マクロス7」を見ているところ。「マクロスF」で「星間飛行」に引用されているディープパープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の話をしたけど、「マクロス7」でもデープ・パープルの「BURN」を彷彿とさせる曲が使われてるね。ってことは、菅野さんがデープパープルを引用したのは、ちゃんと前作からの受け継ぎというか「伝統」に沿っていたわけだね。
マクロス・シリーズの第1作目は見ていないので、「見ることのできる機会」があれば、ぜひチェックしたいところだな。
あと新房昭之監督の「月詠」も見たよ。確かにドリフターズだった。「8時だよ 全員集合」からの引用。魔法アニメに出てくる召喚金ダライの淵源が「ドリフターズ番組(舞台物)にあった」なんて、おもしろい結論だよなあ。このアニメでは金ダライは召喚されて出現するのではなくて、舞台の上方から勝手に落ちてくる。つまりここではまだ、ドリフターズの舞台劇の引用として、当作品に持ち込まれたものだった。それが他の作品群で「召喚によって上から降ってくる金ダライ」モチーフに変容する。
「ロザリオとバンパイア」のカプチュー行為との関連性も感じた。同じ監督作品で「ダンス・イン・ザ・ヴァンパイアバンド」も見たよ。「ダブル(ヒロインにそっくりなブラックヒロイン)の存在」というのは「Blood+」にも出てきたモチーフだけど、「月詠」もある意味「ダブル」のモチーフがあるよね。あ、そういう観点からだと、「ロザリオとバンパイア」もそうだね。
ところで、アニメ「銀魂」もドリフターズ・オマージュから始まったよな。
あと見たのが「にゃんこい」ね。主人公のキャラが「とある魔術の禁書目録」の主人公に似ていた。それに彼が通ってる学校名に「常盤」の文字が・・・・(もちろんこれはスピンオフ・アニメの「とある科学の超電磁砲」の常盤台中学との連想だが・・・・)。やっぱかぶってるじゃん。これについては、番組中でも「誰かに似ているなんてことはない」的な発言があったけど、やっぱ「とある魔術の禁書目録」を意識しての発言ってことでいいのかな?
あと「夏目友人帳」1期2期。両作品のEDの雰囲気が(曲のテンポとかも含めて)みごとに一致していたけど、これって大森貴弘監督が意図して「発注」した曲想だよね、きっと。てのも昔ギャオでやってた、これも大森監督の「赤ちゃんと僕」のEDとも曲想が似ているんだな。だから「ああ、そうなんだ、これは監督の趣味なんだろうな」と思った。
この作品は笑いはもちろんだけど毎回泣きの要素が入っていて、オレは好きなアニメだったな。それに「こういう妖怪物語もあるんだ」、と「妖怪描写の新しさ」にも感心したよ。もちろんこれは原作がそのように妖怪を扱っているからだけど。ところで、「にゃんこ先生」いいじゃないっすか。たぶんいろいろ「アドリブって」声の演技してたよね。初代にゃんこ先生といえば「いなかっぺ大将」ね。
6月は、新作はほとんど見てなかったな。っていうか、オレ1週間ごとに見ると前の話を忘れちゃうので、たいてい一気見しちゃうんだな。そのほうが感動も強まるしね。だから最近の作品は終了後しばらくして見るってのが、オレ流の作法なのだった。一話完結ものだとそうでもないけど、ストーリー物だとやっぱ一気見が伏線とその解決にも気がつきやすいし、話もよく分かるよね。
p.s.1 「マクロス7」のSecond ED 「・・・だけど ベイビー!!」を聴いたら、スパイラル・ライフのことを連想した。
一般的に言ってスパイラル・ライフのことを知っている人はあまりおるまい。だがオレは彼らのアルバムの「spiral move」を初めて聴いたときに、その独特の音楽性にびっくりした口のニンゲンだ。マクロス7の「・・・だけど ベイビー!!」ってもしかしてスパイラル・ライフから影響受けてない?と感じたので、それぞれの公開時期を調べてみた。するとスパイラル・ライフの「spiral move」が94年の7月リリースで、マクロス7は94年の10月から始まっている。だから、この「思いつき」もまんざらありえない話ではないと思うんだな。 -
ヤマハはアマチュア相手の音楽集約サイトをとっくの昔に廃止しちゃったけど、ついに老舗のNEXT MUSICもネット世界から「突然消滅」した。まあ、仕方のないことだな。
当ブログでは結構な数のアーティストや楽曲を----一番最近ではdoobに言及したよな----NEXT MUSICとリンクさせて紹介してきたけど、このままだと隠れたグッド・ミュージックは永遠に隠れたままになってしまうわけだ。
もちろんダウンロードして保存している分はオレ個人では楽しめるけど、自宅で聴いている同じ音楽を再度ネット上から見つけだすには、多大な労力を要するし、実際には無理なことも多いだろう。悲しくなるね。
メジャーの音楽産業がますます斜陽化していくなかで、たとえネットという便利なツールがあっても、普通のリスナーはインディーズ・アマチュア世界にまで手は伸ばすまいし、ってことは、そういう縮小していくメジャーよりもさらに規模の小さな世界に金なんぞ落とすまい。
他のインディーズ・アマチュア音楽集約サイトも同様で、独自のサイト経営で維持できているところなんて、ほんとはないんじゃないだろうか。だから、まだ生き残っているサイトもいつ「突然消滅」しても不思議ではない。
だいたいオレ自身、熱度を失い、自分自身の音楽活動なんてまったくしなくなったし。アニソンに関心を持つのは、それが「新しい」からじゃない。アニソンにはグッドな曲がたくさんある。でも、たとえば映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で主人公のギター演奏の新しさに驚いて「おい、すごいぜ、聴いてみろよ」とチャック・ベリーに電話して、生の演奏を電話ごし聴かせたくなるような衝撃力を、現代の商業音楽はもはや持っていないのだ。
これは個人の音楽的力量の問題ではない。ポピュラー音楽は、モード的に、科学用語で言えば、一種の沸点に達したのだ。だから、現代音楽はある水準を平衡状態で横滑りしたまま、ただ蒸発しつづけるだけである。
明確な形を維持しつつ、更なる温度上昇というモード変化は起こらない。
だから人々は
「新しく出現した熱度に浮かされて、その今まで聴いたことのないような種類の音楽に我を忘れる」
なんてことも、もはやないのだ。
今、ちまたで流れている、若い人々が聴いてるはずの音楽には、すこしも新しいところがない。
若い人たちも、それがわかっているから、わざわざ金を払って既視感いっぱいの、ではなく既聴感いっぱいの音楽に金なんか落とさないのだ。
「神々のたそがれ」ならぬ、「現代ポピュラー音楽のたそがれ」なのだった。
p.s.1 古いデータを載せたままのHPもずっとほっておいたままになってた。そろそろ本家のBOUNDHEADサイトも殺処分というか、改変しなくちゃならない時期かな。