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今年の秋、人生で初めてユリに興味を持った。
不思議なことだと思う。臭気を放つクサギの生い茂る住人がいなくなった隣家の土地で、花のつぼみを三つみつけた。
その経緯については以前報告しているので、以下のリンク参照のこと。
10月7日(土)からの三連休は変だったけど、タカサゴユリでほっとする
ふたたびタカサゴユリ
つまり時間をあけて真ん中、右側、左側と順番に、三つのユリの花が開花していく様子を観察できる機会があり、最初に出会った一番左側のユリは私の家の床の間の花瓶の中で運命を全うした。しばらくしてその右側でもう一輪も開花した。その開花したユリの花もまた、舟形の水盤の剣山の中に納まってくれた。その花を摘んだのは、その日の前日、開花している姿を確認した後、いったん家の中に戻ったのだが、一夜明けて翌朝早くに、何かいたたまれないような気分を感じたので、「やっぱり摘んでおこう」と思い立ち、切り取って自宅へ迎え入れたのだった。摘み取って花を生けた後すぐに、隣家の庭で芝刈り機のような音が騒音を上げ始めた。「いたたまれない気分」を感じたのはこのことだったのかと思った。結局一番左側のユリはつぼみのまま、クサギほかその他の雑草と一緒に業者さんの手によって地上から消されてしまった。そのきれいになった裏庭を見て、ユリのつぼみのことを思い、人が亡くなってしまったような気分になった。
気分が落ち込んだのだが、同時にエドガー・ェイシーの水瓶座時代に関する発言にも連想が飛んだ。
ケイシーによると、来たる水瓶座時代は「ユリの時代」なのだそうだ。リーディングにおける英語表現は「the age of the lily」である。
それで日本語圏で「水瓶座 ユリの時代」という言葉を検索欄に入れたが、まったくヒットしなかった。
それではということで英語圏で検索すると、やっぱりたいしてヒットしない。ケイシーが「ユリの時代」に言及した記事がひとつ出ていた。あとジョー・コッカーの「the new age of the lily」という歌を見つけた。その歌詞の中に「ウイリー・リリー」という人物が出てきて、調べると17世紀に活躍したウイリアム・リリーという有名なイギリスの占星術師であることが分かった。ということは、「the new age of the lily」は、やはり占星術関連の書物か何かに載っていたエピソードからとって来られた表現なんだろうか?
じゃあ「水瓶座時代はユリの時代」という言葉はウイリアウム・リリー由来なのだろうか? それとももともとケイシー用語だったのだろうか、と思ったがまだ結論は出ていない。
ユリがキリスト教絵画のモチーフとして使われていることも同時に知った。
聖母に関係してユリのモチーフが描かれているのが一つ目(手前の花瓶に一本の茎から咲いた三つのユリの花のイメージが見える)。The Lily & Sword in the Last Judgment(最後の審判の百合と剣)
※解説が興味深いので、日本語ページ化していない場合は、ご自分でGoole翻訳などでご覧ください。
右にユリの花を左に剣を咥えたキリストのイメージが描かれてるのを見て、キリストとユリが関連付けられていることを知ったのだった。
そして当然最近話題にした「三つのユリの花体験」にも連想が戻っていくのだった。
最後に、「ユリの時代」に関するエドガー・ケイシーのリーディングも紹介しておこう。
質問 肉体的、精神的、霊的な発達に関して、水瓶座の時代は人類にどのような意味を持っているのでしょうか。また、水瓶座の時代が〈ユリの時代〉と名づけられている理由は?回答 このようなことが一言で答えられると、あなたは思っているのか。これらは成長である。その成長とは何を意味しているのか。魚座時代の中央で、人の中にインマヌエル、あるいは神の降誕があった。わかるか。それは何を意味していたのか。そのことが、今度は創造力との関係に繋がり、あるいはそれに目覚め、物質界の中に活用する能力が完全に開かれることを意味するようになる。
だが、このような目覚めがアトランティス、レムリア、ムーの時代のその時期に何をもたらしたであろうか。人類への破壊であり、そこから利己主義を通しての旅が人類に必要となってきたのである。
今後これらのことがどうなるかについて言えば、今言ったことを受け入れる者だけが、周囲に展開されつつあることの何たるかに気づくであろう。互いに同一の振動数の力を持ち合いながらも、一方から他方へ影響するその振動力に気づく人の何と少ないことか。それでもなお、あなた方は、心と体と経験の中に水瓶座の時代が何をもたらすのかと、問うのだろうか。
質問 みずがめ座の時代を〈ユリの時代〉とおっしゃったのはどうしてですか。
回答 純粋さである。その時代が表す純粋さだけが、その道を求める人々の前に置かれたあの目覚めの意味を理解できるのである。(1602-3)
日本語のテッポウユリという名前は物騒だが(ちなみに英語名はEaster lily:復活祭のユリ)、タカサゴユリは「高砂や~この浦舟に帆を上げて」のタカサゴを連想して、おだやかな感じでいいじゃないですか。PR -
前々回、タカサゴユリの話をしましたけど、続きがあって、実は、あのタカサゴユリの左右に小さなつぼみをつけたものが二本立っていました。
あの写真からちょうどひと月たった昨日、右側の方が花を咲かせました。
そのときは「また摘んで生け花にしようか」と迷ったんですが、一日判断を待つことにしました。
夜が明けて、さっそく花を見に行くと「やっぱ、摘もう」と思ったので、その場で摘んで、今度は前回造花を挿していた舟形の花器に「水を入れて飾る」ことにしました。
危機一髪。この花は私の家に来て飾られることで、少々寿命が延びました。
というのは、なんとお隣さん(の縁者さん?)が毎年、春と秋にやっている庭の雑草駆除と掃除が本日業者さんの手によって行われてしまったのでした。花を積んだ後、まもなく業者さんが乗り込んできて、大きなモーター音を響かせながら、クサギの群れ(写真参照)を庭から排除し始めました。
これが本日こうなりました。
私としてもすっきりとして一安心ですが、つぼみをだんだんと大きくしながら花を咲かせる準備をしていたはずの左側のタカサゴユリ(下の写真)は「その他の雑草」といっしょになくなってしまいました。
確実にあともう一回はタカサゴユリの開花を見られると期待していただけに青天の霹靂、3回目が消えてしまったことにがっかりしてしまいました。
こうして住む人がいなくなっているお隣さんの敷地は「まるぼうず」にされてしまいましたが、来年になるとまた茂みをたくさんはやすんでしょうねえ。
タカサゴユリが来年の秋も見られたらきっとうれしいだろうなあ。 -
最近、またエドガー・ケイシーのリーディングをもとに「ギザのピラミッド問題」を追いかけてました。
公称ではギザのピラミッドはクフ王の墳墓だということになってますが、ケイシー情報によると、「あのピラミッド」は、今からおよそ1万2千500年前、100年の歳月をかけて(紀元前1万490年から1万380年[正確には「キリストのエジプト入りを起点に数えて」とリーディングにはあります])建設されたものだということでした。
どういうことでしょう?
つまりギザの大ピラミッドは「アトランティス時代の最末期」に建てられたものでした。
世界の陸地はまだ現在のような変容を遂げ切っていない時代でした。
当時のエジプト地域の状況をリーディングが以下のように語っています。
人は当時、サハラと上ナイル地帯に居住していた。川は北へは流れず、ナイルから今の大西洋へと注ぎ込んでいた。チベット、コーカサス地方の河川は北海へ注ぎ、モンゴルでは太平洋に、また高原地方では北方海域に注ぎ込んでいたのである。そして、諸部族の最初の統治者は、今は『王家の谷』として知られている所に近い、上ナイルのその場所に拠点を定めたのである。(5748-1)
海の下に沈んだ大陸のうち、ポセイディアと呼ばれるアトランティス大陸のなごりが海上に残っている時代でした。そこから避難民が世界中に散っていった時代でした。
ケイシーのリーディングを読むと、大ピラミッドが建設された当時、ギザのピラミッド群の東側にはナイル川は流れていなかったことになります。
シュタイナーによると、旧約聖書に出てくるノアの箱舟の話は、もっと古い時代のアトランティス時代の話で、当時の地球はどこもかしこも霧に覆われていました。北欧神話において「霧の国」として描かれていたのがアトランティス大陸でした。旧約聖書の大洪水エピソードは、長きにわたるアトランティス時代の「異変」について書かれたもので、大気中に大量に含まれていた水蒸気が大量の雨となって地上に降り注いだ事件を描いているとのことです。ノアはアトランティス時代に新しい使命を帯びてユーラシア大陸に移住した人物なのです。
霧が雨水となって地上に満ち、大気が晴れ上がったので、ノアは初めて虹を見た人物として描かれています。
大ピラミッドの時代は、その地球変動時代のさらにのちの時代の話ですが、アトランティス大陸が「沈んだ」という話は、現代人なら誰もが知っている話ですが、「それと入れ替わりに、それまで海の下にあったその他の地域が浮上した」のだということは、「思い及ばない」ことが多いようです。
上に掲げた絵は、ネットから拾ってきたものですが、ヨーロッパもアフリカも南北アメリカもだいぶ現代に近い描かれ方になってます。
よーく考えてみてください。アトランティスと入れ替わりに、それまで海面下にあった場所があちこちで浮上を始めたら、盆地状になっている個所の上にあった海水は、その海抜の状況に応じて、より低い場所へと一気に流れ落ちていくでしょう。
世界中で大洪水事件が頻発したはずです。
また別の話の関連で、シュタイナーは「イギリスでは土地が四回、海の上になったり下になったりしました。イギリスは四回、水浸しにされては、また上昇しました」とイギリスを例に、大陸の上昇運動と下降運動が「大きな周期」で繰り返されていることを強調しています(『神仏と人間』)。
現在は大陸の上昇期に入っており、4000年後には、また氷河期がくるとも語っています。「近年」においてヨーロッパがもっとも暖かかったのが1200年代で、「その当時は大地が最も低かったのです」とも述べています。
面白いことに、『古代日本正史』の著者である原田常治氏は、「平安時代は冬でも掛布団がいらないくらい、最も日本が暖かかった時期だった」と語っています。
温暖化が叫ばれて久しいですが、現在、京都はまだまだ平安時代の「平均気温」に達してはいないようです。当時の植生も何百年単位で以前のものと入れ代り、また寒くなっていって、以前の植生へと変化するというような、長周期のサイクルで植生も海の魚の生息地域も変容してきたのです。
以下、大陸の浮沈問題に関してシュタイナーの発言を、ご紹介しておきます。
大洪水がやってきて、アトランティス大陸が海中に没する以前まで「アカシャ年代記」を通して地球の進化を遡っていくと、このアトランティスで生じたさまざまな出来事の経過を辿ることができます。同じ経過が後に違った形でもう一度繰り返されました。キリスト時代の遥か以前、キリスト教が南から北上してくる以前に、北ドイツ、中央ヨーロッパ、アトランティス大陸の東の方で、アトランティスの洪水が再現されました。南方からの影響があった後で、初めて、ヨーロッパに独立して人々が住むようになったのです。
よく陥る誤謬として、「アカシャ年代記」の霊的映像ではなく、アストラル的映像を追っていくと、この繰り返しを本当の古代のアトランティスの出来事とみてしまうのです。スコット=エリオットのアトランティスについての叙述は、この繰り返しを本当のアトランティスの事件ととり違えているのです。
アストラル的な映像を見れば彼が書いたことは合っているのですが、神界の本物の「アカシャ年代記」とは符合しません。誤謬の原因がどこにあるかを知ることによって、スコット=エリオットの記述に対して正しい評価ができるようになります。(『薔薇十字会の神智学』P58)
ちなみに私の場合、スコット・エリオットの邦訳本はないのでアマゾンで英語版を手に入れて、ぼちぼちと目を通してます。91ページの薄い本です。今はバラしてクリップで綴じてます。
コーカサスの王とともに神官ラータ(エドガー・ケイシー)が一族を連れて、現在上ナイル地方と呼ばれている場所にやってきて、ひとつの国家を建設したのは、今のナイル川が、北上せずに、大西洋側へ流れ落ちていた時代のことでした。
当時の国民の様相は、もともと1万2千年以上前からそこに住んでいた部族、そしてラータとともにコーカサス地方からやってき王朝部族、アトランティス(つまりポセイディア島)からの避難民と、彼らが一緒に連れてきていた〈もの〉(英語表現ではthings)と呼ばれていた、人体と不完全な結びつき方をしていた人間たち(半獣半人)などなど多彩でした。当時の人間の人体はまだ柔軟でしたから(古代の人類の人体の有様についてはシュタイナーも『神々との出会い』において強調していた点でしたね。「古アトランティス人は自我なき従者たちを従えていた」というような話が出てきます)、ラータはアトランティス人たちから「同じ人間」として扱われていなかった「自我の働きの弱かった従者あるいは奴隷身分の人々」の人体を「修復」する事業に情熱を傾けたのでした。
以下そのシュタイナーの発言です。なんらかの魔法を使って、目の前の人間の肉体、エーテル体、アストラル体から、不可視的な本来の超感覚的な自我体を引き離したなら、その人間からディオニュソスの従者たちのような姿が生じたでしょう。(P166)
アトランティス時代には、自我はまだ人体の中に組み込まれていませんでした。一体、アトランティス人のからだはどんな様子をしていたのでしょうか。ギリシア人の想像力は、そしてギリシア人の直観力は、すばらしい仕方で、通常のアトランティス人の平均的な姿を、サテュロス、ファウヌス、パンとして描いたのです。
現在の地球の状況では、こういう人間形姿は生じえません。サテュロス、ファウヌス、そもそもディオニソスの従者全体は、アトランティス人の古い形姿を最も忠実に保持し続けた、後アトランティス人の集まりでした。ディオニソスは、まさにこのような人間たちを----その人間たちはまだ自我を内的にほとんど所有していなかったのですが----自分の隊に組み入れて、自我の最初の教師として働いたのです。
このことからも分かるように、ギリシア人は、ディオニソスの一行を、古いアトランティスの平均的人間の姿として示したのです。この一行は、現在の人間のような固い骨格を持っていませんでした。人体は固くなったのです。古アトランティス期の人間は、もっと柔軟なからだを持っていました。(『神々との出会い』P167-P168)
当時、「大陸」としてではなく「大きな島」としてのみ存在するようになっていたアトランティス文明が終焉しようとしているその時代において、大ピラミッドはそのような「将来における世界の大陸状況の変化」を見越して建設する上において、被害をこうむりにくい安全な場所として、アトランティスからの避難民たち(技術の提供者たち)との合意のもとに選定された位置に建てられたのです。
現在のギザの大ピラミッド群が見下ろしている地域は、その当時の陸地の大変動によって、ナイル川の流れ方が変わり、大洪水となって、氾濫するようになった地域なのです。
アトランティス大陸沈没後に、世界各地域の大陸隆起に伴って発生した大洪水によって、大ピラミッドの東側もまた、大量の土砂で埋まり、その上を「新しいナイル川」が地中海へ向けて流れ落ちるような時代に変容しました。
スフィンクスとナイル川の間の分厚い土砂の下に今でも「変動前に建設された未発掘の神殿」が眠っているのです。そこには「アトランティス大陸からの避難民」が保存しておきたかった膨大な量の「過去の記録」が保管されています。
「新ナイル川の出現」以降、本来の歴史上のエジプト王朝時代が始まります。クフ王は大ピラミッドの周囲に街を建設しました。本来、まったく異なった歴史時間存在だった二種類の遺跡群が考古学者や炭素年代法などの近代科学手法による「解釈の不手際」によって、今日も多くの誤解を抱えたままだというのは、少し残念ではあります。
大ピラミッドの内部には、未来の地球の変遷の様子が使用された岩石の違いによって表現されていると言います。本来は1998年までの地球の有様を載せていたようですが、1958年以降の部分は、のちの時代に悪意を持ったファラオによって削り取られてしまったそうです。一方で、大ピラミッドは秘儀参入者たちのための実践的神殿でもありました。ピラミッド内部にある「空の石棺」の意味は「そこに安置されていた人物が取り去られてしまった」というのではなく、もともと「空の石棺」として、象徴的にそこに置かれたものなのです。
いずれにしろ、「預言書としてのピラミッド」の使命は、21世紀の今日果たされ終わっていると言えますが、現代人は「解釈」することがいまだに果たせていないのでした。
ピラミッドの内壁を読んでも、これからやってくる未来は書かれていないのです。いずれにしろ「彼らが展望していた時代の範囲」からすでに脱出し「新時代」に入ったのだということです。
エドガー・ケイシーが神官ラータ時代に送った人生の詳細について、分かりやすくまとめている本として『大霊視者エドガー・ケイシー』(大陸書房)をお勧めしておきます。
アトランティス時代や古代エジプトの時代については、ほかにもいろいろとエドガー・ケイシー関連の翻訳本が出ていますので、興味のある方は、手に入れて研究してみられるといいでしょう。 -
10月7日以降、不思議な星回りの集中時期だったんでしょうか、いろいろ変なことがいっぱいありましたねえ。
ハマスとイスラエルの喧嘩は一番デカい事件ですが、同時期boundheadのblogも異常動作期間に突入してまして、近況でも書き込もうかと思っていましたが、そもそもトップのバナー写真が消えており、写真のアップロードもうまくいかない状況でしたが、昨日あたり、ブログの操作回りは、通常に復帰したので、こうして更新記事を書いております。
銀行がダウン、スマホには地震が観測されていないのに津波警報が来る、なんてこともありましたねえ。気象庁は「なんでこんなことが起きたのか分からない」と言ってますけど、YouTuberのなかには「ハマスVSイスラエルのドサクサに乗じて中国が海底で核実験をした結果だ」とおっしゃってた方もおりましたねえ。一般的には海底火山の影響じゃないか、ということですが。
日本の他の地方もそうでしょうが、私の住んでいる住宅地区においても、世代交代が進みまして、周りには空き家ばかりが増え、そこを不動産が買い取り、更地にして建売住宅にしつらえ直して、売りに出すと、たいして間を置かずにどこからか新しい家族がやって来て住人になる、という新陳代謝現象がまっさかりであります。
私の家の南側の住人もすでにいなくなって久しいのですが、ふと北側の敷地を見ると、野草が一輪、花を咲かせているではないですか。「テッポウユリかな?」
「ああ、この花は去年も見たなあ。また同じ場所に咲いてんだ」と思いながら、いったん家の中に入ったんですが、ふと「一輪挿しにしてみたらどうかな」と思ったので、他人の敷地ですが、私の家の庭との隔てになっているブロック塀の高さは70cmほどなので、簡単にまたいで入れますので、「不法侵入」して摘み取ってしまいました。
どうせあたり一面クサギだらけで荒れ放題の敷地に咲いている花なのだからと、切り取って、床の間に飾ってみました。ネットで調べてみると、この花にはピンクの筋がはいっているので、テッポウユリではなく、タカサゴユリでした。
生花を使うのがめんどくさくなっている私は、こういう一輪挿しを置いていました。
しばらくの間、タカサゴユリを飾ったら、また造花に戻ります。
あとになって「そういえば、今までやったことがなかったなあ」と、彼岸花を一輪挿しで飾ってみればよかったのに、と思ったのですが、すでに時期が去ってしまいました、今年の彼岸花は写真だけは撮って残しております。
「彼岸花は曼殊沙華とも言います」という説明はこれまでの典型的な言い回しだったのですが、最近では、アニメの題名にまで使われるようになった、リコリスというカタカナ言葉もまた、彼岸花の別称として日本語として定着したようですね。
P.S
クサギの繁殖力ってすごいんですよ。切ったってすぐに葉っぱを出して伸びてしまいます。
10月になっても、まあ、こんな感じでのびのび育ってます。 -
YouTubeでOTYKENを知ってもうずいぶんになるけど、このバンドをどのように扱っていいのかわからなくて、長らく自分だけのお気に入りとして、定期的に視聴してきた。
私が初めてOTYKENに出会ったのが、GENESISという曲だった。
一体、なにもの?
なんか衣装とか見るとアイヌ的雰囲気もある、遠い昔には彼らとも関連のある(枝分かれした)北方モンゴル系? でも騎馬民族(朝青龍)系とも違うよなあと感じた。
「おー、あれって精霊の仮面をかぶっているのか?、ビジュアルもカッケーなあ」と思ったのだった(おそらく彼がアンドレイ・メドノス?)。
というのが最初の感想で、しかもこの「民族言語で歌われる奇妙な曲」は、最後まで聴かせてしまう不思議な魅力に溢れていたので、続いて、次をポチりたいと思ってしまったのだった。
それが以下のLEGENDという曲だった。
いよいよ、「こいつあただならぬバンドじゃん」と思って、例によって検索開始。当然、まずは日本国内の認知状況から入ったわけだが、ほとんど情報がない。
それで英語圏のwikipediaに飛んだら、ちゃんと記事があった。
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オティケンのメンバーはチュリム族、ケト族、ハカス族、ドルガン族、セルクプ族であり、これらの民族はアイヌやアメリカ先住民と関連している可能性があります。メンバーは全員、パセチノエ村近くの小さな集落出身の地元の人材です。そこでは医薬品や電気へのアクセスが難しく、食料は漁業、狩猟、採餌、農業、養蜂を通じて地元で得られています。 その結果、グループのメンバーは、特にコンサートが中止になる夏の間、地域で働き、家族を助けるなど、バンドの外でも多忙な生活を続けています。グループの主なメンバーは約 10 人ですが、各人の空き状況に応じて、コンサートに参加する人は少なくなる傾向があります。出演者の中には(アハを除いて)専門的に音楽の訓練を受けた者はいなかったが、シベリア先住民の多くは家庭で民謡や楽器を演奏する習慣があり、音楽の才能を持っている。
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彼女たちは国籍的にはロシア人で、民族的には北方シベリア人の少数民族に属しているということだ。
日本のJ-POPのようにAメロBメロサビの永久運動みたいな古びた定型とは無縁の「構成的にもユニークな無国籍感タップリの音楽」を民族的土台から再構築して演奏している。日本でこういうアプローチに成功していると思えるものは少ない。劇場版「攻殻機動隊」のテーマくらいだろうか。ロシア語ではなく民族言語を使って歌われているとはいえ、彼女たちがやっているのは「伝統音楽」ではまったくない、ということも言っておきたい。
世界の音楽潮流にとってのオルタナ的展開である。
彼女たちの活動が、アメリカ先住民の多くがシベリア系民族の音楽をよく聴きに来ていたことから(彼らに民族音楽を聴いてもらう)始まったことを思えば、今回の最新バージョンのGENESISのヴィジュアルがネイティヴ・アメリカン様式になったのも、奇妙なことではない。
詳しくはウィキペディアの記事を参照してもらいたいが、彼女たちが世に出たのは、彼女たちの村と家業の養蜂業を通じて知り合いになったアンドレイ・メドノス(白人系、奥さんがチュリム族)が後押しをしてくれたからだった。
この絵を見て、日本の「今どきの女子がコスプレしてる」感じをも受けちゃう、奇妙な視聴体験時間だった。たまたま今日の夕方、彼女たちの最新の更新動画を見たせいで、やっと記事の投稿をする気になったのだった(OTYKENについて書きたいとずっと思っていたので、今回達成できてよかった)。
アイヌについて政治的に語ることが好きな人(アイヌ利権側も批判側も)はここではほっておきたい。戦前金田一京助博士は、鈴鹿山脈以北にはアイヌの足跡が残っていると語っていたが、最近の政治的アイヌ論争では、金田一博士の言葉が引用された場面に出会ったことがない。
日本列島の南方と北方は入れ墨文化があって、その間に別の文化を持った種族が入ってきたようだ。古事記ではボディーガードの隼人族が目の周りに入れ墨をしているの見て、姫が驚いて「それは何なの?」と尋ねたというエピソードが出てくる。南方の諸島人たちは明治期まで女性も入れ墨をする文化があった。西郷さんが島流しされていたときの島女房の女性も入れ墨の入っている人で、薩摩人の文化とは異なっていた。
かつて暴走族の総長で、のちに役者として活躍することになる宇梶剛士はアイヌの血を受け継いでいる。私は彼の名字を聴いたとき、すぐに古事記に登場する兄弟の名前を連想した。
エウカシとオトウカシ
である。兄のウカシと弟のウカシ、という意味である。
だから、「ああ、宇梶さんて古事記にも登場してくるキャラの子孫なんだろうか」と思ったものである。まあ、これはあてにならない憶測である。
単に民族音楽ではなく、それを踏まえて他の音楽要素も取り入れる、そして「まったくの先祖文化に戻るのではなく、今の時流を超えて新生する活動」こそがオルタナであるのだよ。だから、これから生まれて来るものは「これまでになかった何か」でなければならない。
ということで、月最低2回は更新すると言っておきながら、さぼっていた更新をなんとか月の最終日にクリアできてよかったですよ。
P.S.
大昔「こころの旅 神ありて我あり 我ありて神あり」という題名のNHK番組があったのを思い出す。アイヌの芸能一家のドキュメンタリーだった。そういやあすこに出てきた女子たちもOTYKENと同じような髪の伸ばし方をしていたなあ。(ということで調べてみたら2001年11月4日にNHK教育で放送された番組だった。なんと22年前。VHSビデオに録画したものをDVDに焼き直して保存してた。改めて見直したけど、やっぱいいわ。)
近年、アイヌの音楽で話題になったものと言えば、Netflix版のドラマシリーズ『呪怨』のエンディングテーマとして使われたsonkaynoがあるね。
Sonkayno / MAREWREW
南方諸島系のおすすめ
朝崎郁恵 おぼくり~ええうみ
P.S.
1:40前後から出てくる縄というかロープをくるくる回しながら太鼓をたたく
シーンがすごくかっこいいねえ。エスニック四つ打ちミュージック。