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前回の投稿で、「お薦めアーティスト」系記事がさらに続くような書き方になっていた手前、そういう約束はちゃんと果たしておかないとダメだろうと思ったので、あともう一本記事を投稿しておきたい。
YouTubeにおけるインデー系アーティストたちのプレイリスト紹介のなかで、「選者のセンス」と「自分の趣味」が一致すると最高の新曲体験が味わえるという趣旨のことを書いた。
数々の選集ページの中で私がもっともお気に入りの楽曲選集ページはMusic like Men I Trust | Similar Artists Playlistに集められた楽曲集だった。
Men I Trustというバンドに似た楽曲集というテーマで集められた52曲だが、ほんと「選者さん」はいい曲を集めてくれたなあと思う。
思い出すと、エマニュエル・プルクスがボーカリストとして定着した以降のMen I Trustとか、スペイン語系のルーツを大事にしているThe Maríasとか、70年代のラジオ番組を聴いてるかのような感情を湧き出させるStrawberry Guyとか、Japanese BreakfastとかJakob Ogawaとか、ほか(and more)にも「調査意欲を沸き立たせたアーティストたち」が目白押しだった。
Men I Trust自体はOncle JazzというYouTubeページを偶然試しにクリックして知り、そこから似た楽曲のプレイリストということで今回の言及記事となった。
とはいえ、Xinxinみたいに「気合を入れて記事を書く=布教活動にいそしむ」よりも「結局自分が楽しんでいれば、それいいじゃん」とも思うが、「偶然の接触」こそ最強の出会い衝動の行使でもあるので、その行使が「誰か」にとっては別の局面において小さなお役にたってくれるかもしれないとも思っている。
さてここまで前振りをしておきながら、結局、名前を挙げたアーティストたちの深堀記事は今回書かないのだった(なんだ、それ?)。
今回紹介したいアーティストは、別のプレイリストで出会ったバンドだった。その名を「Night Tapes」と言う。
bandcampの紹介文はこのように書いてある。
Night Tapes started out as evening jams between housemates Max Doohan, Sam Richards and Iiris Vesik in London.
Night Tapes は、ロンドンでハウスメイトのマックス・ドゥーハン、サム・リチャーズ、アイリス・ヴェシクによる夜のジャムセッションとして始まりました。
前回紹介したXinxinは米国の西海岸側出身のバンドだったが、Night Tapesはロンドン出身のバンドだ。
彼らもXinxin同様に発表曲が極端に少ない。物販品としてビニール系、つまりレコードかカセットテープを作っている。CDは作らず、デジタル配信はさまざまな場所を通じて行っているようだ。
英語圏の検索機能を使ってNight Tapesのディスコグラフィーを調べてみたが、一番古いのがカセットテープとして発売された2019年発表の「Dream Forever In Glorious Stereo」で、実は「 Dream」 「Forever」「 In Glorious Stereo」という3曲を並べて、カセット版のタイトルにしていただけの話だった。
発表曲は次の順番だ。
「Dream Forever In Glorious Stereo」(2019) 3曲入り
「Download Spirit」(2020) 5曲入り
「Forever Dream Kids」(2021) 「Download Spirit」からのシングルカットとしてA面「Forever Dream Kids」B面「Forever」
「Perfect Kindness」(2023) 6曲入り
つまり彼らの既存曲は、3曲+5曲+6曲=14曲で、2019年を活動開始の年として数えると、すでにキャリアは5年ほどになるが、公式にNight Tapesとして公開された楽曲は14曲しかないということだ。
けれども内容はすばらしい。Men I trustの初期メンバーは男たちで結成されたので、初期の楽曲には男性ボーカルものもあるし、複数の女性ボーカリストを招いてアルバムを作っているが、Men I Trustが本当の魅力を発揮し出すのは、エマニュエル・プルクスが正式の女性メンバーとしてボーカルを引き受けるようになって以降に発表されたアルバム群からである。
同じようにNight Tapesにおいても初期(記念すべき第1曲目)は男性メンバーの声メインの楽曲も出しているが、やはりこのバンドはアイリス・ヴェシクの個性的なきんきら声あってのバンドなのだ。
私が小学生の昭和時代、「まこち、Mさんは、はよ、しね、はよしねち、きんきら声でおらんじかいよー」などと母がその日あったことなどを語っていた時代があった。私は一学年下の近所の遊びともだちのお母さんたる、Mさんを知っていたので(当ブログ「怪異な出来事」記事において灰色の背広男に追いかけられたときに私が逃げ込んだ家の敷地こそ彼女の家だった)、もちろん具体的に脳内でMさんの顔を思い浮かべ、きんきら声を再生しながら母の話を聞いていたものだった。
ちなみに標準語現代語訳では「ほんと、Mさんは、早くして、早くして、と言って、キンキンする声で叫ぶんだからねー」くらいの意味である。
私がYouTubeで最初に出合ったNight Tapesの楽曲が「Silent Song」という曲だった。他の音楽愛好家なら「ああ、〇〇っぽいね」と連想(過去体験との比較思考)できた人もいるかもしれないが、私の狭い知識では「新しい音像体験」だった。
それで「これはおもしろいぞ」と、いつものように「調査」を始めたわけだ。そして他の楽曲にも複数触れて、「このバンドはすごくいいぞお」と確信した私は、今では彼らの数少ない楽曲を発表順に14曲並べてヘビーローテーションで聴いている日々である。2023年の今年発表された「Perfect Kindness」は特に最高の出来だと思う。
ボーカルの声質に触れれば、アイリス・ヴェシクの歌声を聴くと、往年のケイト・ブッシュの声に連想が飛ぶ人もたくさんいるだろう。
ケイト・ブッシュを知らない若い人たちにとってはNetflixの「ストレンジャー・シングス」で引用されて話題にされた楽曲(Running Up That Hill)がケイト・ブッシュのものだったと言えば、「あ、なんかそんな記事読んだ記憶があるな」という人もいるかもしれない。
ケイト・ブッシュのような声質は、私の地元では古くから「きんきら声」と呼んで区別している。日常会話において、こんな声でまくしたてられたら、さぞ大変だろう。特に旦那になった人は夫婦喧嘩なんぞ絶対したくないと思うはずである。
けれども、近代芸術の世界においては、強烈な個性を持った声こそ武器である。クラッシックの声楽(あるいは日本の能などの芸能における発声もそうだ)が一定の型に沿って皆似たような響きになるように寄せていく訓練をほどこされるのに対して、販売を目的に作られている「現代のポピュラー音楽」においては誰かの声に似ている(というか、印象に残るような特徴がない)と感じられることはマイナス点でしかない。
だからこそ現代において「個性的な声質」をもって生まれてきた人は祝福された人である。洋画やドラマの吹き替えやアニメの仕事をする声優さんたちの声質の差異や個性に対して、長年に渡り、強い関心を持ちつつ視聴者として接してきた日本人にとって、戦後に新たに発展したこの独特のセンスは、近代以前から続く、詫び寂びを肯定的に感じる感覚や虫の声を雑音ではなく音楽的に聴いたりできる感覚同様、他国では生まれてこなかった感覚であった。だから声の個性に対する独特の関心もまた、日本でこそ生じた新しい何かであって、他国的ではないものだった。
そしてそういう感性があったればこそ「日本にしかない声優業」という仕事も「価値」を持ち、業種として成立できている。日本人という人々は「声の個性の価値」を世界中でもっともよく理解できる人々でもあるのだった。
とはいえ、一方では、最近の邦楽ミュージシャンたちの「声の個性は弱い」と感じる。
バンドで歌を売って成功したかったら、「宝(個性的な声質)を持っているボーカリストをまず探せ」と、日本でインディー活動をしたいと思っている人々には言いたい。
ということで、最後はNight Tapesとは直接関係のない話になってしまったけど、「Night Tapesいいじゃん」と思ってくれるリスナーが少しでも増えてくれれたら、幸いである。
p.s. ちなみに表題の「Silent Song」は「Perfect Kindness」所収の曲で、このアルバムの最後に出てくる曲だ。YouTube内に掲示している英語の歌詞を味わいつつ試聴してみるのも一興である。PR -
7月下旬から8月初旬にかけて熱中していたのが、北米のインディーバンドを聴きまくることだった。私が当blogで推したいバンドがいくつか見つかったのだが、今回はまず最初にXinxinを紹介したい。
Xinxinというのは変な単語だと思う。英語っぽくない。ジンジン?それともズィンズィンだろうかと思って、検索をかけたら、これは中国語の「欣欣」を中国人がアルファベットを使って表音化するときに使う表記だと分かった。
ということは「シンシン」というふうに発音するのが一番原音に近いと思うが、例によって、彼らが自分たちのバンド名を声に出して発音している場面に出会っていないので、「おそらくそうだろう」ということではある。
私はスポティファイは利用していないし、アマゾンミュージック・アンリミテッドは一時期利用していたこともあったが、結局使わないので解約して今はほとんどサイトに近づくこともない。
そういうわけで、今のところ「新しい音楽体験はもっぱら、YouTubeで」ということになっている。
New Indie MusicとかIndie Pop/Rockとか、さまざまなアーティストたちの曲を3時間程度に集約して流してくれる人々(選者たち)がいるので、「選者のセンス」と「自分の好み」の傾向が一致している場合、これはほんとに驚愕の新曲体験となるのだった。
本を読みながら流し聴きしていると、ふと注意が本から曲の方へ逸らされるタイミングがときどきくる。「あれ、なんかいいじゃん」そういうときは、曲名とアーティスト名をチェックして、再度YouTubeで検索をかけて、お目当てのアーティストをさらに深堀していくのだ。
そういう風なふるまいによって、大ファンになったバンドやユニットやソロアーティストがここ最近かなり増えた。
でも、こういうこと(今まで知らないでいた名曲を探求したい気分に襲われること)は、やってくる時期に周期があるので、「そういう時期が来る」かどうかで、また数年、あるいは10年以上も「発見が遅れてしまう名曲」だって多々あるだろう。でも、それはそれで「いつ出会えるか」ということに関しては「偶然」にゆだねるしかないのも事実だ。
私がXinxinの曲として初めて聴いたのが「blue flowers」だった。
私がおもに聴いていた多くの曲がリバーブ感たっぷりの反響系の(人によっては気持ち悪いと感じるかもしれない)ミックスダウンをほどこされた曲だった。だから「Blue flowers」もそういう傾向を好むアーティストたちのなかに出てくる一曲だと思っていた。
それで、この曲には「読書のジャマをされた」ので、俄然興味がわき、いつものように「調査」を始めたわけだ。
XinxinをYouTubeで検索し、その他の曲を数曲聴いてみたら、「blue flowers」みたいなサイケデリック系じゃなくて、まさに黒人の女性ボーカリスト独特の節回しで歌われる楽曲のオンパレードだった。
「どういうこと? これって、もろブラックミュージックじゃん」と思った。そして「ああ、この感じの楽曲アレンジって日本のそっち系のミュージシャンたちもよくやってたよなあ」と思った。最初に心に浮かんだのは80年代前後のころの吉田美奈子バンドの音だった。
英語圏におけるXinxinについての評論記事には2つしか出会わなかった。YouTubeの再生回数を見れば、分かる通り、みごとなまでの「無関心」ぶりである。もちろん日本のアマゾンにはページすらない。
こんなブラックブラックした曲がなぜこれほどまでに「そっち界隈の人々」に相手にされないんだろうと不思議に思った。
数少ないXinxinへの言及記事のなかに以下のような記述があった。
----------------------------------------------------------------------------------------------The group – which consists of Janize Ablaza on vocals and guitar, Stephen Reed on drums, Carlos Elias on bass, and Jonah Huang on keys – formed in Southern California’s Inland Empire, the suburban expanse that buffers the megalopolis of L.A. against the Mojave Desert.
このグループは、ボーカルとギターのジャニズ・アブラーザ、ドラムのスティーヴン・リード、ベースのカルロス・エリアス、キーのジョナ・ファンで構成されており、南カリフォルニアのインランド・エンパイア、モハーベ砂漠に対してロサンゼルスの大都市を緩衝する郊外の広がりで結成されました。
Vocal&Guitar ジャニズ・アブラーザdrums スティーヴン・リードBass カルロス・エリアスKeyboard ジョナ・ファンブラックミュージック的なアプローチで名をなした吉田美奈子が黒人女性ではなかったように、このバンドのボーカルであるジャニズ・アブラーザもまた黒人女性ではなかったのだった。
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FacebookやInstagramのフォロワー数を見て、長年活動を続けてきたろうに気の毒になってしまった。YouTubeにもバンドが演奏する動画がいくつか上がっているが、見てくれてる人はほんとに少ない。
カリフォルニアと写真と名前から類推できるのは、彼女はスペイン語を話すメキシコ系の先祖を持ち、容貌はインディオ系の血を色濃く反映しているように見える。
中南米インディオ系×アングロサクソン系×ラテン系×中国系=Xinxinなのだ。
大学時代から数えればかなりキャリアは長いはずだが、公開されている楽曲の数が極端に少ない。ライブにおいては、ジャニズ・アブラーザはエレキギターを抱えてテンションコードを駆使しながら歌を歌う。基本目立つようなソロは弾かない。エレキギターで独特のテンションコードを鳴らしながら歌を歌う女性ボーカリストはめずらしいんじゃないか。
ライブ演奏動画は、声がちゃんと拾われてなくて、あまりよい録画のものがない。それにライブではジャニズの声を複数用意してハモらせることができないので、「録音もの」よりも説得力が落ちている(コーラスこそ聴きどころだ)。もしバックコーラス要員を調達したうえで、ライブ会場を回れたら、リスナーたちの反応ももっとあがったんじゃないかとは思う。
今回は全部で8曲紹介しようと思っているが、YouTubeでもその程度しか拾えなかった。彼女はもしかしたら「blue flowers」のようなサイケデリックな(というか精神的・内省的な)方向の歌をもっとやりたくなっているのかもしれない。既存の発表曲のジャケット絵には、中国だけではなく、日本の影響(草書体の引用)も感じるのだが、どうだろう。
私としては、これまで楽曲を一枚のアルバムにして、それこそ「日本仕様盤」(つまりCD)を出すなんて企画が出ないかな、などと思ってるところだ。それは、表題にもある通り、北米人よりも日本人に発見された方が「ウケがいい」と思う故だ。もっともっと新曲を出してもらって、彼女たちの歌と演奏を味わってみたいと思うが、とはいえ、私と同じ気持ちを抱いている人は北米にも日本にも少ないんだろうなあ。
p.s.
ちなみにXinxinのInstagramやFacebookを見ると、私が抹茶ラテ(秘教学徒)動画で引用したアーニャ(アニメ「Spy×Family」のキャラクター)の、「謎の笑い顔」が出てくるページに出会って、「あー、ジャニズもあのアニメ好きで見てたんだ」と思ったのだった。 -
不思議とシュタイナーの言葉と勝海舟の言葉は、私の中ではつながっていて、かずかずある人智学関連図書と一緒に勝海舟の聞き書き本(『海舟座談』『氷川清話』)も、「その関連本」のなかに含まれる重要参照本と感じる私の感覚は、おかしいのでしょうか。
そう言えば、「理解する」ということについて、シュタイナーはこういうことを言っていましたねえ。「理解するということは、ある事柄を別な事柄に関係づけることです。この世では一つの事柄を他の事柄に関係づけなければ、何も理解することができません。(P109)」(教育の基礎としての一般人間学)---------------------------------------------------------------------------------------
最近、以前買っておいた白黒写真のカラー化ソフト(CODIJY Colorizer Pro)のことを思い出して、「そうだ『氷川清話』の扉に掲げてある、あの写真をカラー化してみよう」と思ってトライしてみました。とはいえ、素材はネットから採ってます。文庫本の写真をコピーして着色しようとしたら、ドットの粗さが目立ってとても使いものになりませんでしたので(写真をクリックすればもとの作成サイズで見ることができます)。
本来の着物の色は分からないので何通りか試してみましたが、「派手系」の仕上がりの方が「より色が付いてる感」が強いので、着物は黒ではなく派手系にしてみました。
こういう作業はほんとめんどくさいです。アニメ制作をやっている人たちは、線描にいちいち色を指定して延々と色付けしていく作業を繰り返しているのでしょうが、白黒写真に色を付けるこのソフトにおいても、場所ごとにいちいち色指定していくのです。
だから白黒写真は線描画ではありませんが、部分ごとに色指定を繰り返すことでカラー化していくという点では似ているところがありますね。というか塗り絵ですよね。
でも、こういった作業も未来には、さらに人の手を離れて写真を読み込んでAIに「適当に色を付けて」と命令すれば、延々と着色された別バージョンの提示を繰り返してくれ、その中からベストと感じたものを選ぶというようになるのでしょうか。
さて写真だけではさみしいので『氷川清話』から海舟語録として、いくつかご紹介しておきます。
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何事も知らないふうをして、独り局外に超然としておりながら、しかもよく大局を制する手腕のあったのは、近代ではただ西郷一人だ。世が文明になると、皆が神経過敏になって、ばかのまねなどはできなくなるから困る。坂本龍馬が、かつておれに、「先生はしばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者もいって会ってくるにより添え書きをくれ」といったから、さっそく書いてやったが、その後、坂本が薩摩から帰ってきていうには、「なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少しくたたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く。もしばかなら大きなばかで、利口なら大きな利口だろう」といったが、坂本もなかなか鑑識のあるやつだよ。
西郷は、どうも人にわからないところがあったよ。大きな人間ほどそんなもので、小さいやつなら、どんなにしたってすぐ腹の底まで見えてしまうが、大きいやつになるとそうでないのう。子どもを教育するには、よほど気を付けんといかん。あまり学問学問といっていると、口ばかり達者になって、じきに親父(おやじ)をやりこめるようになるよ。今の若い連中には、おれはとてもかなわない。しかしそういう息子のある家の庫(くら)には、遠からずくもが巣を張るよ。
これは一家のことばかりではない。一国もまたそのとおりで、人民が理屈ばかりいっておっては、おっつけ貧乏してしまうだろう。------------------------------------------------------------------------------
「もう君(政府)には頼まない」「もう一度自分らでやり直す」という律令(出羽守)政治から御成敗式目政治への故事の(その本質は「こんなゴワゴワな身体に合わないお仕着せ服を着続けられない」という精神改革でした)再来はあるでしょか。
古代中世においては、当時の権威者だった出羽守たちが当時の日本人に従うようにと押し付けてきたのが「隋唐の舶来統治思想」でしたし、そのための革命政権でしたが(以前このブログで聖徳太子と昭和天皇に関連して言及したことがありますね)、結局それを変えてしまったのは地方の豪族たち、のちの武士団でした。
さて、「出羽守からの離脱」=「利口者に見せるために周囲に合わせて裸の王様を褒めたたえて生きる」というその場限りの自己保身からの離脱(自分自身で考える)を、日本人は「もう一度」始められるでしょうか。 -
前回の投稿の最後の方で、「すでに私は、シー・オリーナという名前を知る前に彼女のファンになっていた」と書いた。そのことに今年の6月に気づかされたのだった。
去年の10月、YouTubeで私は、CLANNという映像作家兼音楽家集団(カナダ人のマッキノン兄弟)の存在を知り、妖精女王とさまよえる騎士の交流を描いた短編映像が気に入って、その関連で以前に公開されていた三部作のサントラを自宅でよく聴いていたのだった。
彼らは「CLANN KIN Fables」と「CLANN Seelie」という二枚のアルバムを出していた。
Seelie(シーリー)は古語で、もともと古代には「陽気な」というような意味で使われていたが、この単語はsilly(馬鹿げだ)の語源であるという解説も検索の過程で見た。
短編映画「CLANN - KIN Fables: The Stolen Child」
この映画は日本語字幕で見ることができる。字幕アイコンをクリックするとなぜか英語ではなくロシア語が出てくる。けれどここでがっかりせずに設定アイコンをクリックしてロシア語>>日本語を選択すると、ロシア語が日本語になるので、これで会話を日本語で理解しながら視聴することができるようになる。
もちろん、彼ら(マッキノン兄弟)のことはシー・オリーナ同様、日本ではまったく知られていないも同然だった(ちなみに騎士を演じているのは監督のセブ・マッキノン自身だ)。だから彼らの情報を得たかったら、英語圏のウェブサイトに飛んで調べるしかなかった。
weblioで調べると、英語のCLANという単語は
(スコットランド高地人の)氏族、一族、一門、閥、族、一味、大家族
と出てくる。源氏とか平氏と織田家、武田家の集団を指すときに使われる英単語でもある。
Nが一個増えているCLANNは、アイルランドの古い言語から取られたもので「家族」を意味すると、〈彼ら〉は、自分たちの管理しているウェブサイトで説明していた。
6月下旬に改めてCLANNのウェブサイトを訪れて、アルバム紹介ページに出ている英文をつらつら眺めていたら、「the signature ethereal vocals of Charlotte Oleena」という部分に目が止まった。
えっ、Oleena?
この説明に出てくるOleenaはSea Oleenaと関係があるのだろうか、と思った私はCharlotte Oleenaで検索をかけてみた。すると、
Charlotte Oleena、bka Sea Oleena,(シー・オリーナことシャーロット・オリーナ)
という表現が出てくるページがあった。
それで「あ、CLANNのアルバムでボーカルを担当していたのは、シー・オリーナだったんだ」と愕然となったわけである。
アルバム紹介ページをchromeのウェブ翻訳にかけると「シャーロット・オレナの特徴的な幽玄なボーカル」という訳が現れたことにもはっとしたのだった。
かつてchou chou(シュシュ)のことを勝手に幽玄(幽界)系と名付けていた私だったが、ethereal(エーテル的)に対するクロームの訳語が「幽玄な」となっていた偶然に驚いた。
「シャーロット・オレナのエーテル的ボーカル」という訳になっていてもよかったのだが、「幽玄」なら通じても、秘教用語の「エーテル」ではイメージが通じない日本人はたくさんいるだろう。
だからまあ順当な訳語だろうとは思ったが、逆に英語圏では音楽批評として「エーテル的」が普通に流通してんだろうか、と「それって、どういうことなんだろう」と思ったのだった(そもそもわれわれが今オンラインに入るときに使っている、英語でいうところのイーサネットって、本来の日本語対訳で言い変えるとエーテルネットだからね、と誰かに突っ込まれそう。今は廃れて廃棄された化学用語としてのエーテルではなくて、世界をつなぐ通信技術用語として「エーテル」(ギリシャ神話の方へ接続する)を用いようと思ったエンジニアたちがいたわけだ。このコテコテのアーリマン的技術に秘教用語をあてがったというのが興味深いよねえ)。
英語圏では彼女はetherealだとかairyだとか言われているようだった。
日本仕様の紙ジャケCDを手に入れて裏表紙を見たとき、並んだ曲名の末尾に曲名よりも小さな文字でCharlotte losethという名前が印刷されているのに気が付いた。「あれ?Sea Oleenaじゃないの?」
それでYouTubeでこの名前を検索したら、以下のような動画が見つかった。
そして改めてウェブ上でCharlotte losethを検索したら、シャーロット・ロセスはシー・オリーナ名義でアルバムを出す以前に用いていた名前だったことが判明した。
2010年 Sea Oleena
2011年 Sleeplessness
2014年 Shallow
2015年 KIN Fables(CLANN)
2017年 Seelie(CLANN)
2020年 Weaving a basket
2021年 untethering(シングル)
最初、Charlotte loseth名義でSea Oleenaという「題名」のアルバムを出し、それが今度は彼女の「活動名」になってしまったというのが真相のようだ。
そういうわけで私はSea Oleenaの4枚のアルバムに加えてCLANNにおける彼女の仕事も一連の主要な活動として編入して扱うことにしたのだった。
「Untethering」は「Weaving a basket」制作時期の作品である旨を検索情報で得たので、私は、編集で「Weaving a basket」の8曲目の追加曲として同じホルダーに入れて聴いている。
アマゾンのSea Oleenaのページを見ると「feat.Sea Oleena」というクレジットのある楽曲が複数出てくるが、彼女は請われていろんな方面に出かけて行って、彼らのアルバム作りをボーカルで手伝っていた人でもあった。
日本のリスナーの間でも彼女の知名度が上がって、たくさんのファンができればいいなあ、と思ってますよ。 -
6月もっともたくさん聴いていたのがSea Oleenaだった。
とりあえず英語表記から始めたのは、このカナダ人ミュージシャンは、日本では、ほとんどまったく、と言っていいほど認知されていないからだ(つまり「決まったカタカナ表記」が日本人一般に共有されている状態にはなっていないのだった)。
とはいえ、日本のアマゾンでは、シー・オリーナという表記が当てられたページがあるので、日本のリスナーとまったく無縁な人というわけでもなさそうだ(とはいえ評価コメントは英文ばかりだが)。
日本では、彼女のファーストとセカンドの中身を一枚に収めたCDが販売されているが、その販売を請け負っている日本側の代理店は「シー・オリーナ」という名前で販売しているので、この表記に従えばいいのかもしれないが、伝統的に案外いい加減なのが日本側の対応なので、少しだけ自分の中に保留部分は設けておきたいのだった。
YouTubeで「Hi,I'm Sea Oleena」などと言っている動画に行き当たることができれば、その発音に沿って実際の英語の音が分かり、それから自分なりに日本語化(カタカナ化)できるんだけれども、活字をウェブ上で日本語翻訳にかけると、オレナかオレーナのどちらかが出てくるので、頭が混乱する。
WeblioでOleenaを調べると、ちゃんとした回答が出てこない。本来の表記はOlenaらしい。しかももともとは現在ホットな話題を世界に提供し続けているウクライナ人が使う名前らしい。Olenaにもうひとつeを加えてOleenaと表記して自分の音楽活動用の名前としているようだ。
2010年以来、彼女はSea Oleena名義のアルバムを4枚発表しているが、私の一番のお気に入りは2020年発表の「Weaving a basket」(籠を編む)
2013年に、彼女の2010年(「Sea Oleena」first)と2011年(「Sleeplessness」second)のアルバムを一緒に収めた「日本仕様」のアルバムが販売されている(手に入れた紙ジャケの裏表紙を見ると「printed In Taiwan」と印刷されている。えっ、日本版を台湾で作ったの?と思ったのだった)。
現在彼女は頭髪を長く伸ばしているようだけど、YouTubeでたまたま遭遇した「なんかおもしろいな」と思った動画では、彼女は坊主ヘアーで、屋外でエレキギターをエフェクター(Boss Loop Station RC-20XL)につないで歌を歌っていた。
私が彼女に興味を持ち、突っ込んで調べようと思い始めたのは、この動画のせいだった。
それでYouTubeで視聴できる曲をかたっぱしから見るようになって、すっかりファンになってしまった。
「おー、いいじゃん、シー・オリーナ」……以前、このブログでルドルフ・シュタイナーの『悪の秘儀』におけるルシファーとアーリマンの属性の対比まで引用して(その宇宙の2大フォースを相手に「フォースにバランスをもたらす者」としてのキリスト属性についてのシュタイナーの言及は省略しちゃったけど)大プッシュ記事を書いたchou chou(シュシュ)と同じ「幽玄系」だよなあ、と思いながらつい最近まで暮らしていたのだった。
ところが、私はすでに去年の時点で彼女の大ファンになっており、去年から最近までずっと入眠用御用達アルバムとして彼女の声を聴きながら過ごしていたことに最近までまったく気づかずにいたのだった。しかも彼女は私が知っている範囲で三つの名前を持って活動していたことが分かって、「おもしれなあ、シー・オリーナ」と思ってしまったのだったが、その話は次回に回そうと思う。
次回へ続く。