こうしてひとりの少女によって
このスマイル園は救われたのでした。
ありがとう、スマイル少女。
ありがとう、ピノ。
Ergo Proxy 第19話 「少女スマイル」より
地元のツタヤが旧作DVD100円サービスをやるときには、連続アニメや海外の連続ドラマ----結局SF系か、サイキックorオカルト系に気づくとなっちゃうんですが----を借りてきて一気に見るという話は以前書きましたが、このあいだの100円サービスでは「エルゴプラクシー」(Ergo Proxy)を借りて見ました。
2006年の作品でWOWOWで放送されたものなので、衛星放送には加入しておらずしかも地上波さえニュースくらいしか見ない私は、まったくこの作品についての情報を持たず(雑誌も読まないですから)、作品がすでに2006年から存在していたという事実自体がノーチェック状態でした。
パッケージの裏表の絵を見て、ヒロインのリルの絵が気に入りました。なんか絵の感じは「witch hunter ROBIN」みたいな感じで好みだな、と思っていたら、監督さんが同じ人でした。
難解な作品で、チーフライターが「エウレカセブン」の佐藤大。初回から伏線の伏線のまた伏線の……ってな感じで、私は制作者たちが仕掛けた伏線の多くを見逃しました。そこで最終話まで見終わった後ウィキペディアで解説を読み、再度最初から見直して「ああ、そうか」と理解できました。
昔エウレカセブン関連で佐藤大という人はルドルフ・シュタイナーを知っていて、彼の著作から引用している部分があるというようなことを書いたことがあるのですが、今回の作品にも一部それがあるようです。生き物の心臓と寿命の話とか4つの石像は----これはフィレンツェにあるミケランジェロの彫刻ではないでしょうか----もしかしたら、シュタイナー経由かもしれません。
この作品は非常に実験性に満ちた作品で、時々、エピソードを「それまでの階調」から「逸脱」させます。私はまるまる1話をクイズショー形式にしたエピソードを見て、私の大好きな「機甲戦虫紀LEXX」シリーズの第2シーズンに出てくる「Lafftrak(番組出演者評価競争)」の話を連想してしまいました。
この作品では、「物語の階調」がさまざまに変化します。また筋の描写を意図的に欠損させます。たとえばリルとビンセントとピノがホームのロムドに帰還する経緯で、リルがビンセント(エルゴプラクシー)をどのように裏切ったのかは直接には描写されていません。いきなり「裏切った後の話」から始まります。
この難解な話のメインキャストがリルとビンセントだけだったら、私は----背景の絵もキャラクターの線描も彩色もほんとにすばらしい作品でありながら----あまり気にいらなかったかもしれません。というのもこれは、(作られた)創造主と(その創造主の)被造物たちの物語ですから。ではその「創造主」を作ったのは誰なのでしょうか。「それが問題」です。実は「この舞台」は「本物の人体を持った人間がいない世界」だったのです。大昔、「創造主たち」の「作り主たち」は宇宙へ去り、いまやまた戻って来ようとしています。
この作品を救っているのはクラウン(道化師)の存在です。道化師と言っても、サーカスなどで見るイメージを思い浮かべるべきではありません。この作品の道化師は着ぐるみ姿で現れます。そうです、ピノと呼ばれる愛玩用ロボットです。このロボットのことを作品中ではオートレイブと呼んでいます。
彼女は絵本を読むのが大好きです。そして『不思議の国のアリス』から引用されているみたいですが、「うさぎ」はひとつのキーワードです。ですが、彼女の着ぐるみは、「うさぎ」なんでしょうか。私には耳の感じが「きつね」っぽく見えるんですが、まあ、これは検索かけて調べてみれば確認できることかもしれません。
第3話でビンセントとともに逃げようとしている「着ぐるみピノ」がビンセントに向かって「待て、待て」と声を発します。私は「この声」を聞いて、ノックアウトされました(注1)。ドームの外では虫を珍しそうに眺めながら「うお」「ああ」とかいろいろ声を発します。あと飛び走りながら、「とう」とか「やっ」とか言います。
昨日の夕方、ネットカフェに行ったら、幼児を連れた若い夫婦も同時に入ってきました。その親子たちはボックス席に入ったのですが、時々幼児が「おお」「うおっ」とか声を発するのが少し離れたところに陣取っていた私の席にも聞こえてきました。お父さんが「しーっ」といっておとなしくさせていましたが、私がびっくりしたのは、その「本物の幼児」の発した声が矢島晶子演じる「ピノ声」にそっくりだったことです。
「そーなんだ、幼児はほんとにピノみたいな声を出すんだ……」と私は思いました。
第13話「構想の死角」で、リルがピノに髪をすくように命令すると、無言のまま絵本のページを一枚めくり「ピノ、ご本読んでるの」と相手にしないシーンが出てきます。ピノが着ぐるみの愛らしい姿でペタンと地面に座り込んだまま絵本の次のページをめくる「間の取り方」の素晴らしさ。エルゴプラクシーをまだ未見の方は是非ご覧になってください。それとビンセントが飛行艇の修理をしているそばでカンカンという修理の音に合わせて手にした鍵盤ハーモニカ(拾い物)をふりおろすマネをするシーン。
彼女はいつもマネをします。別のエピソードではリルのアイシャドーをまねた姿も傑作でした。それ----周囲にいる人物たちの振る舞いをマネること----はまさにわれわれの身近にいる現実の幼児たちがいつもやっていることですね。
この背景の暗い世界----物語的にも実際の画面上の彩色においても----ピノは異彩を放っています。制作者たちはピノのために「少女スマイル」というまるまる1話のエピソードを作ったくらいです。ここで彼女は「ナカマー」(仲間)----「ナ」にアクセントをつけて発音してください----という新しい単語を覚えました。
声は矢島晶子が担当しているのですが----私が最近みた100円サービス時視聴アニメ群では、近いところでは「神霊狩」の都(みやこ)ちゃん役で出てました----彼女は「クレヨンしんちゃん声」で有名な声優さんだったんですね。
第19話「少女スマイル」のエピソードで、「スマイル園の中」にいる人々がピノの笑顔に癒されたように、「スマイル園の外」にいる私も、この一連の作品を通してピノの愛くるしさと天真爛漫さ=無邪気さにうっとりさせられました。無邪気で愛らしい子供を見ると「私はこの子の前ではよい人間にならなければならない」と軽い胸のうずきを感じるようなことが、あなたには今までなかったでしょうか。愛らしい幼児の姿を目にすると、その無邪気さがかえって、「いまやあとは年老いていくばかりの自分のいたらなさや不完全さを自己認識しなさい」と迫るような経験があなたにはなかったでしょうか。とはいえ、私はいまだ独身で----若いころからずっと娘が欲しい欲しいとは思って今まで生きてきたのですが----結婚生活の現実にも子育ての現実にも触れた経験はないのですが、親は子育てによって成長すると言われることがあるのも、「愛らしき幼児の姿」が親となった人に「私の前では良い人間になりなさい」と迫り、それまでの親の精神や生活の自堕落さを「自己認識させようとする」からかもしれません。まことに「幼子のようにならなければ、天国には入れない」……ですね。
ということで、私はこれから何度もピノに会いたくなるたんびにエルゴプラクシーを見ることになるでしょう。皆さんも是非、ピノキャラをご堪能くださいませ。
ありがとう、ピノ。
ありがとう、スマイル少女。
オマケ
perfumeの名曲「シークレット シークレット」
のPVで「一瞬」愛らしい姿を見せるpino
(もちろんフェイクです)
(注1)ちなみにディズニー版アニメ「不思議の国のアリス」にも、「待て、待て」というセリフが出てきます。これはアリスのセリフではありませんが(男声でした)、ピノの「待て、待て」という台詞ももしかしたら「引用」としてなされたのでしょうか。
このスマイル園は救われたのでした。
ありがとう、スマイル少女。
ありがとう、ピノ。
Ergo Proxy 第19話 「少女スマイル」より
地元のツタヤが旧作DVD100円サービスをやるときには、連続アニメや海外の連続ドラマ----結局SF系か、サイキックorオカルト系に気づくとなっちゃうんですが----を借りてきて一気に見るという話は以前書きましたが、このあいだの100円サービスでは「エルゴプラクシー」(Ergo Proxy)を借りて見ました。
2006年の作品でWOWOWで放送されたものなので、衛星放送には加入しておらずしかも地上波さえニュースくらいしか見ない私は、まったくこの作品についての情報を持たず(雑誌も読まないですから)、作品がすでに2006年から存在していたという事実自体がノーチェック状態でした。
パッケージの裏表の絵を見て、ヒロインのリルの絵が気に入りました。なんか絵の感じは「witch hunter ROBIN」みたいな感じで好みだな、と思っていたら、監督さんが同じ人でした。
難解な作品で、チーフライターが「エウレカセブン」の佐藤大。初回から伏線の伏線のまた伏線の……ってな感じで、私は制作者たちが仕掛けた伏線の多くを見逃しました。そこで最終話まで見終わった後ウィキペディアで解説を読み、再度最初から見直して「ああ、そうか」と理解できました。
昔エウレカセブン関連で佐藤大という人はルドルフ・シュタイナーを知っていて、彼の著作から引用している部分があるというようなことを書いたことがあるのですが、今回の作品にも一部それがあるようです。生き物の心臓と寿命の話とか4つの石像は----これはフィレンツェにあるミケランジェロの彫刻ではないでしょうか----もしかしたら、シュタイナー経由かもしれません。
この作品は非常に実験性に満ちた作品で、時々、エピソードを「それまでの階調」から「逸脱」させます。私はまるまる1話をクイズショー形式にしたエピソードを見て、私の大好きな「機甲戦虫紀LEXX」シリーズの第2シーズンに出てくる「Lafftrak(番組出演者評価競争)」の話を連想してしまいました。
この作品では、「物語の階調」がさまざまに変化します。また筋の描写を意図的に欠損させます。たとえばリルとビンセントとピノがホームのロムドに帰還する経緯で、リルがビンセント(エルゴプラクシー)をどのように裏切ったのかは直接には描写されていません。いきなり「裏切った後の話」から始まります。
この難解な話のメインキャストがリルとビンセントだけだったら、私は----背景の絵もキャラクターの線描も彩色もほんとにすばらしい作品でありながら----あまり気にいらなかったかもしれません。というのもこれは、(作られた)創造主と(その創造主の)被造物たちの物語ですから。ではその「創造主」を作ったのは誰なのでしょうか。「それが問題」です。実は「この舞台」は「本物の人体を持った人間がいない世界」だったのです。大昔、「創造主たち」の「作り主たち」は宇宙へ去り、いまやまた戻って来ようとしています。
この作品を救っているのはクラウン(道化師)の存在です。道化師と言っても、サーカスなどで見るイメージを思い浮かべるべきではありません。この作品の道化師は着ぐるみ姿で現れます。そうです、ピノと呼ばれる愛玩用ロボットです。このロボットのことを作品中ではオートレイブと呼んでいます。
彼女は絵本を読むのが大好きです。そして『不思議の国のアリス』から引用されているみたいですが、「うさぎ」はひとつのキーワードです。ですが、彼女の着ぐるみは、「うさぎ」なんでしょうか。私には耳の感じが「きつね」っぽく見えるんですが、まあ、これは検索かけて調べてみれば確認できることかもしれません。
第3話でビンセントとともに逃げようとしている「着ぐるみピノ」がビンセントに向かって「待て、待て」と声を発します。私は「この声」を聞いて、ノックアウトされました(注1)。ドームの外では虫を珍しそうに眺めながら「うお」「ああ」とかいろいろ声を発します。あと飛び走りながら、「とう」とか「やっ」とか言います。
昨日の夕方、ネットカフェに行ったら、幼児を連れた若い夫婦も同時に入ってきました。その親子たちはボックス席に入ったのですが、時々幼児が「おお」「うおっ」とか声を発するのが少し離れたところに陣取っていた私の席にも聞こえてきました。お父さんが「しーっ」といっておとなしくさせていましたが、私がびっくりしたのは、その「本物の幼児」の発した声が矢島晶子演じる「ピノ声」にそっくりだったことです。
「そーなんだ、幼児はほんとにピノみたいな声を出すんだ……」と私は思いました。
第13話「構想の死角」で、リルがピノに髪をすくように命令すると、無言のまま絵本のページを一枚めくり「ピノ、ご本読んでるの」と相手にしないシーンが出てきます。ピノが着ぐるみの愛らしい姿でペタンと地面に座り込んだまま絵本の次のページをめくる「間の取り方」の素晴らしさ。エルゴプラクシーをまだ未見の方は是非ご覧になってください。それとビンセントが飛行艇の修理をしているそばでカンカンという修理の音に合わせて手にした鍵盤ハーモニカ(拾い物)をふりおろすマネをするシーン。
彼女はいつもマネをします。別のエピソードではリルのアイシャドーをまねた姿も傑作でした。それ----周囲にいる人物たちの振る舞いをマネること----はまさにわれわれの身近にいる現実の幼児たちがいつもやっていることですね。
この背景の暗い世界----物語的にも実際の画面上の彩色においても----ピノは異彩を放っています。制作者たちはピノのために「少女スマイル」というまるまる1話のエピソードを作ったくらいです。ここで彼女は「ナカマー」(仲間)----「ナ」にアクセントをつけて発音してください----という新しい単語を覚えました。
声は矢島晶子が担当しているのですが----私が最近みた100円サービス時視聴アニメ群では、近いところでは「神霊狩」の都(みやこ)ちゃん役で出てました----彼女は「クレヨンしんちゃん声」で有名な声優さんだったんですね。
第19話「少女スマイル」のエピソードで、「スマイル園の中」にいる人々がピノの笑顔に癒されたように、「スマイル園の外」にいる私も、この一連の作品を通してピノの愛くるしさと天真爛漫さ=無邪気さにうっとりさせられました。無邪気で愛らしい子供を見ると「私はこの子の前ではよい人間にならなければならない」と軽い胸のうずきを感じるようなことが、あなたには今までなかったでしょうか。愛らしい幼児の姿を目にすると、その無邪気さがかえって、「いまやあとは年老いていくばかりの自分のいたらなさや不完全さを自己認識しなさい」と迫るような経験があなたにはなかったでしょうか。とはいえ、私はいまだ独身で----若いころからずっと娘が欲しい欲しいとは思って今まで生きてきたのですが----結婚生活の現実にも子育ての現実にも触れた経験はないのですが、親は子育てによって成長すると言われることがあるのも、「愛らしき幼児の姿」が親となった人に「私の前では良い人間になりなさい」と迫り、それまでの親の精神や生活の自堕落さを「自己認識させようとする」からかもしれません。まことに「幼子のようにならなければ、天国には入れない」……ですね。
ということで、私はこれから何度もピノに会いたくなるたんびにエルゴプラクシーを見ることになるでしょう。皆さんも是非、ピノキャラをご堪能くださいませ。
ありがとう、ピノ。
ありがとう、スマイル少女。
オマケ
perfumeの名曲「シークレット シークレット」
のPVで「一瞬」愛らしい姿を見せるpino
(もちろんフェイクです)
(注1)ちなみにディズニー版アニメ「不思議の国のアリス」にも、「待て、待て」というセリフが出てきます。これはアリスのセリフではありませんが(男声でした)、ピノの「待て、待て」という台詞ももしかしたら「引用」としてなされたのでしょうか。
PR
コメント