"エドガー・ケイシー"カテゴリーの記事一覧
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今年の秋、人生で初めてユリに興味を持った。
不思議なことだと思う。臭気を放つクサギの生い茂る住人がいなくなった隣家の土地で、花のつぼみを三つみつけた。
その経緯については以前報告しているので、以下のリンク参照のこと。
10月7日(土)からの三連休は変だったけど、タカサゴユリでほっとする
ふたたびタカサゴユリ
つまり時間をあけて真ん中、右側、左側と順番に、三つのユリの花が開花していく様子を観察できる機会があり、最初に出会った一番左側のユリは私の家の床の間の花瓶の中で運命を全うした。しばらくしてその右側でもう一輪も開花した。その開花したユリの花もまた、舟形の水盤の剣山の中に納まってくれた。その花を摘んだのは、その日の前日、開花している姿を確認した後、いったん家の中に戻ったのだが、一夜明けて翌朝早くに、何かいたたまれないような気分を感じたので、「やっぱり摘んでおこう」と思い立ち、切り取って自宅へ迎え入れたのだった。摘み取って花を生けた後すぐに、隣家の庭で芝刈り機のような音が騒音を上げ始めた。「いたたまれない気分」を感じたのはこのことだったのかと思った。結局一番左側のユリはつぼみのまま、クサギほかその他の雑草と一緒に業者さんの手によって地上から消されてしまった。そのきれいになった裏庭を見て、ユリのつぼみのことを思い、人が亡くなってしまったような気分になった。
気分が落ち込んだのだが、同時にエドガー・ェイシーの水瓶座時代に関する発言にも連想が飛んだ。
ケイシーによると、来たる水瓶座時代は「ユリの時代」なのだそうだ。リーディングにおける英語表現は「the age of the lily」である。
それで日本語圏で「水瓶座 ユリの時代」という言葉を検索欄に入れたが、まったくヒットしなかった。
それではということで英語圏で検索すると、やっぱりたいしてヒットしない。ケイシーが「ユリの時代」に言及した記事がひとつ出ていた。あとジョー・コッカーの「the new age of the lily」という歌を見つけた。その歌詞の中に「ウイリー・リリー」という人物が出てきて、調べると17世紀に活躍したウイリアム・リリーという有名なイギリスの占星術師であることが分かった。ということは、「the new age of the lily」は、やはり占星術関連の書物か何かに載っていたエピソードからとって来られた表現なんだろうか?
じゃあ「水瓶座時代はユリの時代」という言葉はウイリアウム・リリー由来なのだろうか? それとももともとケイシー用語だったのだろうか、と思ったがまだ結論は出ていない。
ユリがキリスト教絵画のモチーフとして使われていることも同時に知った。
聖母に関係してユリのモチーフが描かれているのが一つ目(手前の花瓶に一本の茎から咲いた三つのユリの花のイメージが見える)。The Lily & Sword in the Last Judgment(最後の審判の百合と剣)
※解説が興味深いので、日本語ページ化していない場合は、ご自分でGoole翻訳などでご覧ください。
右にユリの花を左に剣を咥えたキリストのイメージが描かれてるのを見て、キリストとユリが関連付けられていることを知ったのだった。
そして当然最近話題にした「三つのユリの花体験」にも連想が戻っていくのだった。
最後に、「ユリの時代」に関するエドガー・ケイシーのリーディングも紹介しておこう。
質問 肉体的、精神的、霊的な発達に関して、水瓶座の時代は人類にどのような意味を持っているのでしょうか。また、水瓶座の時代が〈ユリの時代〉と名づけられている理由は?回答 このようなことが一言で答えられると、あなたは思っているのか。これらは成長である。その成長とは何を意味しているのか。魚座時代の中央で、人の中にインマヌエル、あるいは神の降誕があった。わかるか。それは何を意味していたのか。そのことが、今度は創造力との関係に繋がり、あるいはそれに目覚め、物質界の中に活用する能力が完全に開かれることを意味するようになる。
だが、このような目覚めがアトランティス、レムリア、ムーの時代のその時期に何をもたらしたであろうか。人類への破壊であり、そこから利己主義を通しての旅が人類に必要となってきたのである。
今後これらのことがどうなるかについて言えば、今言ったことを受け入れる者だけが、周囲に展開されつつあることの何たるかに気づくであろう。互いに同一の振動数の力を持ち合いながらも、一方から他方へ影響するその振動力に気づく人の何と少ないことか。それでもなお、あなた方は、心と体と経験の中に水瓶座の時代が何をもたらすのかと、問うのだろうか。
質問 みずがめ座の時代を〈ユリの時代〉とおっしゃったのはどうしてですか。
回答 純粋さである。その時代が表す純粋さだけが、その道を求める人々の前に置かれたあの目覚めの意味を理解できるのである。(1602-3)
日本語のテッポウユリという名前は物騒だが(ちなみに英語名はEaster lily:復活祭のユリ)、タカサゴユリは「高砂や~この浦舟に帆を上げて」のタカサゴを連想して、おだやかな感じでいいじゃないですか。PR -
最近、またエドガー・ケイシーのリーディングをもとに「ギザのピラミッド問題」を追いかけてました。
公称ではギザのピラミッドはクフ王の墳墓だということになってますが、ケイシー情報によると、「あのピラミッド」は、今からおよそ1万2千500年前、100年の歳月をかけて(紀元前1万490年から1万380年[正確には「キリストのエジプト入りを起点に数えて」とリーディングにはあります])建設されたものだということでした。
どういうことでしょう?
つまりギザの大ピラミッドは「アトランティス時代の最末期」に建てられたものでした。
世界の陸地はまだ現在のような変容を遂げ切っていない時代でした。
当時のエジプト地域の状況をリーディングが以下のように語っています。
人は当時、サハラと上ナイル地帯に居住していた。川は北へは流れず、ナイルから今の大西洋へと注ぎ込んでいた。チベット、コーカサス地方の河川は北海へ注ぎ、モンゴルでは太平洋に、また高原地方では北方海域に注ぎ込んでいたのである。そして、諸部族の最初の統治者は、今は『王家の谷』として知られている所に近い、上ナイルのその場所に拠点を定めたのである。(5748-1)
海の下に沈んだ大陸のうち、ポセイディアと呼ばれるアトランティス大陸のなごりが海上に残っている時代でした。そこから避難民が世界中に散っていった時代でした。
ケイシーのリーディングを読むと、大ピラミッドが建設された当時、ギザのピラミッド群の東側にはナイル川は流れていなかったことになります。
シュタイナーによると、旧約聖書に出てくるノアの箱舟の話は、もっと古い時代のアトランティス時代の話で、当時の地球はどこもかしこも霧に覆われていました。北欧神話において「霧の国」として描かれていたのがアトランティス大陸でした。旧約聖書の大洪水エピソードは、長きにわたるアトランティス時代の「異変」について書かれたもので、大気中に大量に含まれていた水蒸気が大量の雨となって地上に降り注いだ事件を描いているとのことです。ノアはアトランティス時代に新しい使命を帯びてユーラシア大陸に移住した人物なのです。
霧が雨水となって地上に満ち、大気が晴れ上がったので、ノアは初めて虹を見た人物として描かれています。
大ピラミッドの時代は、その地球変動時代のさらにのちの時代の話ですが、アトランティス大陸が「沈んだ」という話は、現代人なら誰もが知っている話ですが、「それと入れ替わりに、それまで海の下にあったその他の地域が浮上した」のだということは、「思い及ばない」ことが多いようです。
上に掲げた絵は、ネットから拾ってきたものですが、ヨーロッパもアフリカも南北アメリカもだいぶ現代に近い描かれ方になってます。
よーく考えてみてください。アトランティスと入れ替わりに、それまで海面下にあった場所があちこちで浮上を始めたら、盆地状になっている個所の上にあった海水は、その海抜の状況に応じて、より低い場所へと一気に流れ落ちていくでしょう。
世界中で大洪水事件が頻発したはずです。
また別の話の関連で、シュタイナーは「イギリスでは土地が四回、海の上になったり下になったりしました。イギリスは四回、水浸しにされては、また上昇しました」とイギリスを例に、大陸の上昇運動と下降運動が「大きな周期」で繰り返されていることを強調しています(『神仏と人間』)。
現在は大陸の上昇期に入っており、4000年後には、また氷河期がくるとも語っています。「近年」においてヨーロッパがもっとも暖かかったのが1200年代で、「その当時は大地が最も低かったのです」とも述べています。
面白いことに、『古代日本正史』の著者である原田常治氏は、「平安時代は冬でも掛布団がいらないくらい、最も日本が暖かかった時期だった」と語っています。
温暖化が叫ばれて久しいですが、現在、京都はまだまだ平安時代の「平均気温」に達してはいないようです。当時の植生も何百年単位で以前のものと入れ代り、また寒くなっていって、以前の植生へと変化するというような、長周期のサイクルで植生も海の魚の生息地域も変容してきたのです。
以下、大陸の浮沈問題に関してシュタイナーの発言を、ご紹介しておきます。
大洪水がやってきて、アトランティス大陸が海中に没する以前まで「アカシャ年代記」を通して地球の進化を遡っていくと、このアトランティスで生じたさまざまな出来事の経過を辿ることができます。同じ経過が後に違った形でもう一度繰り返されました。キリスト時代の遥か以前、キリスト教が南から北上してくる以前に、北ドイツ、中央ヨーロッパ、アトランティス大陸の東の方で、アトランティスの洪水が再現されました。南方からの影響があった後で、初めて、ヨーロッパに独立して人々が住むようになったのです。
よく陥る誤謬として、「アカシャ年代記」の霊的映像ではなく、アストラル的映像を追っていくと、この繰り返しを本当の古代のアトランティスの出来事とみてしまうのです。スコット=エリオットのアトランティスについての叙述は、この繰り返しを本当のアトランティスの事件ととり違えているのです。
アストラル的な映像を見れば彼が書いたことは合っているのですが、神界の本物の「アカシャ年代記」とは符合しません。誤謬の原因がどこにあるかを知ることによって、スコット=エリオットの記述に対して正しい評価ができるようになります。(『薔薇十字会の神智学』P58)
ちなみに私の場合、スコット・エリオットの邦訳本はないのでアマゾンで英語版を手に入れて、ぼちぼちと目を通してます。91ページの薄い本です。今はバラしてクリップで綴じてます。
コーカサスの王とともに神官ラータ(エドガー・ケイシー)が一族を連れて、現在上ナイル地方と呼ばれている場所にやってきて、ひとつの国家を建設したのは、今のナイル川が、北上せずに、大西洋側へ流れ落ちていた時代のことでした。
当時の国民の様相は、もともと1万2千年以上前からそこに住んでいた部族、そしてラータとともにコーカサス地方からやってき王朝部族、アトランティス(つまりポセイディア島)からの避難民と、彼らが一緒に連れてきていた〈もの〉(英語表現ではthings)と呼ばれていた、人体と不完全な結びつき方をしていた人間たち(半獣半人)などなど多彩でした。当時の人間の人体はまだ柔軟でしたから(古代の人類の人体の有様についてはシュタイナーも『神々との出会い』において強調していた点でしたね。「古アトランティス人は自我なき従者たちを従えていた」というような話が出てきます)、ラータはアトランティス人たちから「同じ人間」として扱われていなかった「自我の働きの弱かった従者あるいは奴隷身分の人々」の人体を「修復」する事業に情熱を傾けたのでした。
以下そのシュタイナーの発言です。なんらかの魔法を使って、目の前の人間の肉体、エーテル体、アストラル体から、不可視的な本来の超感覚的な自我体を引き離したなら、その人間からディオニュソスの従者たちのような姿が生じたでしょう。(P166)
アトランティス時代には、自我はまだ人体の中に組み込まれていませんでした。一体、アトランティス人のからだはどんな様子をしていたのでしょうか。ギリシア人の想像力は、そしてギリシア人の直観力は、すばらしい仕方で、通常のアトランティス人の平均的な姿を、サテュロス、ファウヌス、パンとして描いたのです。
現在の地球の状況では、こういう人間形姿は生じえません。サテュロス、ファウヌス、そもそもディオニソスの従者全体は、アトランティス人の古い形姿を最も忠実に保持し続けた、後アトランティス人の集まりでした。ディオニソスは、まさにこのような人間たちを----その人間たちはまだ自我を内的にほとんど所有していなかったのですが----自分の隊に組み入れて、自我の最初の教師として働いたのです。
このことからも分かるように、ギリシア人は、ディオニソスの一行を、古いアトランティスの平均的人間の姿として示したのです。この一行は、現在の人間のような固い骨格を持っていませんでした。人体は固くなったのです。古アトランティス期の人間は、もっと柔軟なからだを持っていました。(『神々との出会い』P167-P168)
当時、「大陸」としてではなく「大きな島」としてのみ存在するようになっていたアトランティス文明が終焉しようとしているその時代において、大ピラミッドはそのような「将来における世界の大陸状況の変化」を見越して建設する上において、被害をこうむりにくい安全な場所として、アトランティスからの避難民たち(技術の提供者たち)との合意のもとに選定された位置に建てられたのです。
現在のギザの大ピラミッド群が見下ろしている地域は、その当時の陸地の大変動によって、ナイル川の流れ方が変わり、大洪水となって、氾濫するようになった地域なのです。
アトランティス大陸沈没後に、世界各地域の大陸隆起に伴って発生した大洪水によって、大ピラミッドの東側もまた、大量の土砂で埋まり、その上を「新しいナイル川」が地中海へ向けて流れ落ちるような時代に変容しました。
スフィンクスとナイル川の間の分厚い土砂の下に今でも「変動前に建設された未発掘の神殿」が眠っているのです。そこには「アトランティス大陸からの避難民」が保存しておきたかった膨大な量の「過去の記録」が保管されています。
「新ナイル川の出現」以降、本来の歴史上のエジプト王朝時代が始まります。クフ王は大ピラミッドの周囲に街を建設しました。本来、まったく異なった歴史時間存在だった二種類の遺跡群が考古学者や炭素年代法などの近代科学手法による「解釈の不手際」によって、今日も多くの誤解を抱えたままだというのは、少し残念ではあります。
大ピラミッドの内部には、未来の地球の変遷の様子が使用された岩石の違いによって表現されていると言います。本来は1998年までの地球の有様を載せていたようですが、1958年以降の部分は、のちの時代に悪意を持ったファラオによって削り取られてしまったそうです。一方で、大ピラミッドは秘儀参入者たちのための実践的神殿でもありました。ピラミッド内部にある「空の石棺」の意味は「そこに安置されていた人物が取り去られてしまった」というのではなく、もともと「空の石棺」として、象徴的にそこに置かれたものなのです。
いずれにしろ、「預言書としてのピラミッド」の使命は、21世紀の今日果たされ終わっていると言えますが、現代人は「解釈」することがいまだに果たせていないのでした。
ピラミッドの内壁を読んでも、これからやってくる未来は書かれていないのです。いずれにしろ「彼らが展望していた時代の範囲」からすでに脱出し「新時代」に入ったのだということです。
エドガー・ケイシーが神官ラータ時代に送った人生の詳細について、分かりやすくまとめている本として『大霊視者エドガー・ケイシー』(大陸書房)をお勧めしておきます。
アトランティス時代や古代エジプトの時代については、ほかにもいろいろとエドガー・ケイシー関連の翻訳本が出ていますので、興味のある方は、手に入れて研究してみられるといいでしょう。 -
以下、前回の投稿の続きです。
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アラン・カルデック 『霊との対話』1866年4月25日パリ
地球に風が吹き渡り、すべての人間に覚醒を促しているのを感じませんか。嵐が近づきつつあるという漠然とした予感が、世界全体を包んでいるのではありませんか。
しかし、世界の終わりが来るわけではありません。地球は、創られたとき以来、進化を続けているのであって、これからもまだ進化を続ける必要があるからです。しかし、人類は、大いなる変容の時期に差しかかっています。地球は次なる段階に入っていかなければなりません。
したがって、訪れようとしているのは、物質的な世界の終焉ではなくて、これまでの精神のあり方の終焉なのです。偏見、エゴイズム、傲慢、狂信が滅んでいくのです。毎日少しずつ、それらが消滅していき、やがて、新たな世代が新たな建物を建て、それに続く世代が、その建物を堅固にし、完成させていくでしょう。
罪が償われ、地球は幸福な星になっていくでしょう。そして、そこに住むことは、罰ではなく、報いを意味することになるでしょう。悪に代わって、善がそこを支配するようになるでしょう。
人類が地球上で幸せに暮らすには、地球が、よき人で満たされる必要があります。善を望む人々だけが生まれ変わってくる必要があるのです。そして、実際にそうした時期がやってきました。
現在、大規模な移住が進行中です。悪のために悪を犯す人々、善の感情を持つことができない人々は、変容後の地球にはふさわしくないので、地球外へと移り住むことになるでしょう。なぜなら、彼らが残っていると、新たに混乱をもたらして、進化の邪魔をすることになるからです。彼らは、地球よりも進化の遅れた星に移住して、そこで、善に対して無感覚になった心を変えていく必要があります。地球で獲得した知識を携えて、その星の進化のために使命を果たすのです。
彼らが出ていったあとには、もっと優れた魂がやってきて、正義と平和と友愛に基づく生活を展開するでしょう。
すでに言ったように、地球は、一世代全体を滅ぼすような大規模な天変地異によって変容するのではありません。いま地球上に生きている世代は徐々に姿を消し、それに続く世代が同じく徐々に姿を現すのです。自然の秩序が乱れるということではありません。物理的な世界が変わるのではありません。そうではなく、『いままで地球で生まれ変わっていた魂の一部が、もはや地球には生まれてこなくなる』ということなのです。
これからは、未発達の、悪に傾きやすい魂の代わりに、進化した、善への傾向を持った魂が生まれてくるということです。人類の肉体が大きく変わるということではなくて、そこに宿る魂のレベルが上がるということなのです。
したがって、『何か超自然的な、驚くべきことが起こって、人類が変わっていくだろう』と思っている人々は、失望することになるでしょう。
現在は、移行の時期です。いまは、二つの世代が混在しているのです。あなたがたは過渡期にあって、一つの世代が地球を去り、別の世代が地球にやってくるのを見るでしょう。
それらの世代を見分けるのは簡単です。それぞれに性格が際立っているからです。
交代しつつある二つの世代は、まったく異なるものの見方、考え方を持っています。心の傾向性もそうですが、生まれつきの直観力においても大きく異なっていますので、両者を区別するのは極めて簡単です。
一段と進んだ時代をつくる新たな世代は、幼少のころから発達する知性と理性、生れつき持っている善への傾向性、見えないものを信じる力などによって際立っていますが、それらは、彼らが過去世でしっかりと修行してきたことの、疑いようもない証なのです。彼ら全員が、霊格の非常に高い人々だというわけではありません。そうではなくて、すでに、ある程度の進化を遂げているために、進んだ考え方を取り込みやすく、人類を再生させる運動を支えることができる、ということなのです。
逆に、未発達霊の特徴は、摂理を否定し、高級霊の存在を否定し、神に対して反逆することです。さらに、低劣な欲望に本能的に惹かれ、傲慢、憎悪、嫉妬、煩悩といった、人と人を切り離す感情に親和性があり、そして物質に対する執着が非常に強いということなのです。
そうした悪しき精神作用を地球から一掃しなければなりません。そのためには、進化を否定する人々には地球から出ていってもらうほかないでしょう。これからやってくる友愛の時代に、彼らはふさわしくないからです。彼らがいると、善なる人々が苦しむことになるからです。
中略
そして、それ以外にも、自殺者の数が前代未聞のレヴェルに達するでしょう。そこには子供たちさえ含まれることになります。多くの人々が狂気に取りつかれ、みずからの命を絶つことになるのです。まさに、それこそが時代の異常さを告げるしるしとなるでしょう。
以上のようなことが、次から次へと生じるはずですが、それらはすべて自然の法則に則っているのです。
とはいえ、あなたがたを覆っている黒い雲を通して----すでに嵐のうなり声が聞えていませんか----、新たな時代の光が射しはじめているのを感じ取ってください。
地球上のあちこちで、友愛の基礎が築かれ、人々は手を差し伸べ合っています。野蛮が姿を消しつつあります。これまで数多くの流血の原因となってきた、民族的な偏見、宗教的な偏見が消えつつあります。狂信、不寛容がその立場を失いつつあり、一方で、良心の自由が社会に導入され、一つの権利となりつつあります。
あらゆる場所で、人々の考え方が変化してきています。悪が至るところに見られますが、人々はその悪を癒そうとしています。しかし、多くの人が、羅針盤なしに歩んでおり、夢想の世界に迷い込んでいます。世界はいま、産みの苦しみの最中なのです。これは、まだ百年は続くでしょう。まだまだ混乱は続きますが、やがては目的がはっきり見えてくるでしょう。和解の先触れである統合が感じられるようになるはずです。
それもまた、時代のしるしなのです。しかし、先に述べたのが、過去が滅びゆく断末魔の姿であったのに対して、これらは、新たに生まれつつある未来の新生児たちの泣き声なのです。新たな世紀が目撃することになる曙の最初の光なのです。やがて、新たな世代が力に満ちて立ち上がってきます。18世紀の様相と19世紀の様相が明らかに違うように、19世紀の様相と20生起の様相は、はっきりと異なるのです。
新しい世代の持つ特徴のうちで、最も目立つのは、彼らが生れつき信仰を持っているということです。それも、人間を分断する、偏狭で盲目的な信仰ではなく、人間を隣人への愛と神への愛で一つに結びつける、理性的な信仰なのです。いまの世代が消えていくにつれ、精神と社会の進歩に反する不信と狂信の名残も、姿を消していくことでしょう。
中略
戦いには、魂を鍛えるという意味もあります。悪に接することで、善の価値をよりよく認識することもできるようになるのです。諸能力を発達させる戦いがないと、霊はみずからの向上に無頓着になることもあり得るのです。自然の力との戦いは、肉体的な諸能力と知性を発達させます。悪との戦いは、モラルの力を発達させるのです。(P335-P346)-------------------------------------------------
19世紀の当時においては、まだそうではなくとも、いずれ世界中で「子供が自殺するようになる時代が来る」という言葉はすでにその通りになっています。ルドルフ・シュタイナーは『神智学の門前にて』において、今後も唯物論が克服されることがなかったら、「ますます人類一般は神経質になっていき、狂気という流行病が蔓延するようになる」とか「子供が震えながら生まれてくるようになる」と語っています。
実際には、単に震えながら生まれてくるだけでなく、たといこの世に生まれても原因のわからない死、つまり「突然死」という形で、「肉体との結びつきを放棄する赤子」だってすでに出ているかもしれません。
子供を唯物論的な思考態度(今日「日本的」と呼ばれているもの、戦後、特に発展し定着していった社会制度や慣習慣例の大部分もそうなのです)から守らなければ、今後も子供の受難は続くのです。 -
抹茶ラテの口パク化に熱中して一通りの満足を得られたら、「やる気なしモード」に突入して、「さあ、じゃ次回は口パクを導入して新作に挑もう」という流れになりませんでした。
ダラダラ過ごしながら、20年前のPCゲーム(ダイソー系)ばかりやってました。特にはまったのが「野球ゲーム 52」ですが、あまりにも気に入ったので、いろいろと調べたくなり、関連ソフトを収集したりしながら過ごしてました。
ダイソーの「ピンボールゲーム」のときにも深堀記事を書きましたが、今回もいろんな事実が分かり、「そーだったのかあ」と深い感慨にふけりながら、今日も野球ゲームやってます。「その調査生活の日々」については、また日を改めてご報告させていただきますね。
ということで、今回は、「野球ゲーム三昧」に入る以前に、あれこれやっていた「別系統の調査」の報告になります。
エーテル視力の獲得を目指しながら一方で重りとなって取りつくアーリマン族
とともにある人類の図
エドガー・ケイシーの全リーディングが納められたDVDを手に入れたという報告を以前しましたけど、実はケイシーのリーディングには公開されていないものがあることをご存じでしょうか。
これは、W・H・チャーチという作家さんがケイシー関連の著書のなかで言及している話です。
その公開禁止の条件で行われたリーディングの依頼主たちには2系統あり、一人はあのルドルフ・シュタイナーが警告を発し続けていたウッドロー・ウィルソン大統領であり(彼のいとこが代理人として派遣されてきた)、もう一系統が、当時イスラエルの再興運動、つまりシオニズム運動に参加していた米国在住のユダヤ人でした。
通常のリーディングにおいてはケイシーの奥さん(質問者役)や秘書(筆録役)の補助のもとにおこなわれていたリーデングですが、そういう「通常形態」ではなく、ケイシー関係者を排除して、ケイシーだけが招かれて行われたと言います。
そして守秘義務の書類にでもサインさせられたのか、ケイシーは死ぬまでそのときに行われたリーディングの内容を公開することはありませんでした。
ルドルフ・シュタイナーの黙示録解説については、そのさわりを少しだけ当ブログでも扱いましたが、ヨハネが扱っている時空は途方もない未来にまで及んでおり、21世紀に世界が崩壊し、「今の自称キリスト教徒たち」の天国に移行するという話ではありません。
長大な時空のなかで4(地球紀)-5(第五根源人種)-7(第七文化時代)の末期時代に起こることが、今ある種の人々が「起こってほしいと期待している地球の大異変」です。シュタイナーはこう語っていました。
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宇宙のひと時を2160年とすると、現在4-5-5(1413-3573)の時代の途中(610/2160)ですから、「大陸の模様替え期」までに約三分の二時と二時(1550+2160+2160=5870)が残っています。もちろん2160年という数値は説明の便宜のために用いている単位であることは踏まえておいてください。実際には前後するのです。
宇宙は7の数によって進展していきますから、ひと時とふた時と半時というのは、7という歴史単位の半分、すなわち3,5時ということになります。
4-6-1の時代に突入する直前に地球の様相が、アトランティス時代の終焉時代同様に変化するとシュタイナーは語っています。
4-5-4の時代、つまり7つの文化期の4番目の途中、ひと時と二時と半時に、インマヌエルの降誕がありました。そしてキリスト降誕から数えて、再び人類はひと時と二時と半時の時空を通り過ぎていくのです。7の半分、1+2+0,5とは、人類個人がが秘儀に参入する長さでもありました。
人類はこれから霊的発展の上昇期に向かうのですが、その前にアーリマンが地上にもたらしたものの精算期(今日)を通り過ぎなければならないので、アーリマンの受肉と言われる1998年は一種の焦点であり、ケイシーが新しい周期が1998年以降から始まると述べたのも、そのような長大な人類史の中に時おり現れるエポック現象を俯瞰して述べたものと考えるとよいでしょう。
アーリマンの地上降下事件は、ある意味、人類の成熟をテストするための中間試験のようなものでしょう。英語的振動(それはコンピュータ言語でもあります)を駆使して「人類の未来について狡猾な言葉を吐く人々」を人類は拒絶できるか、それが試されているのです。
ラテン語のスピリトゥスとは、もともとは「物質が希薄化したもの」を意味していました。今日、英語のゴーストは幽霊という意味で用いられています。ドイツ語で霊・精神を意味するガイストは古代の英語ではゴーストだったのです。けれどもこの近代の200年の間に、英米人たちは、物質性に関連づけられた言葉だったスピリットをゴーストの代わりに霊・精神という意味で口語訳聖書で使うようになりました。この意味をしばし考えてみてください。アングロサクソン精神の唯物論化はこういう領域でもひそかに進行してきたのです。
ラテン語が西洋の各民族言語を超えて支配していた時代はルシファー的錯誤の時代でした。15世紀以来徐々に、世界は英語という霊性・精神性を欠いた言語(シュタイナー曰く)、つまり物質の統治に最適な言語によって支配されるようになりました。しかし第6文化期(1500年後ですが)になると、支配言語もきっと交代するに違いありません。
前回「ドーリスライという言葉の脳内固着」の話をしましたけど、こういう現象って誰にでも普通にありますよね。特に多いのが特定の音楽、曲なり歌なりが、なぜか繰り返し頭のなかで鳴ってしまう日があるような…。
実は以前にも突然言葉がなんの脈絡もなく、頭の中に浮かぶ経験が去年の9月にありまして、それというのが、ケイシーのリーディングDVDの内容を調べている時期だったんですが、突然、なんの脈絡もなく「アラン・カルデク」という言葉が頭に浮かびました。
「え、アラン・カルデク、誰?」
それで、すぐネットで検索したら、「ああ、あの本を書いた人か」と思い出しました。若いころ地元の古本屋で『精霊の書』という、それまで聞いたことのなかった人物の「精神世界本」を見つけて買って帰って読み、すでにケイシーファンだった私は、当時の読後感としては特に新しい驚きや知見を得たということもなかったので、一度読んだきりそのままになって引っ越しを繰り返す中で無くしてしまっていた本でした。
記憶に残っていたのは「ブラジルの霊能者だ」ということだけでした。翻訳者の解説にはそのように書いてあったような記憶がありました。自分の頭の中に情報として残っていたのはそれだけだったのです。
しかし改めてアラン・カルデクをネットで調べてみると、「彼はブラジル人ではない」ことが分かりました。「間違って記憶していたんだ」と思いました。本自体が失われているので、記述を確認することもできません。例えば、翻訳者が「ブラジルで有名な…」と書いていたものをのちに私が記憶改変してしまった可能性があります。
「彼は19世紀後半にフランスで活躍した心霊主義者で、今日では本国よりもブラジルのカトリック教徒たちの間で有名である。彼らはカトリックでありながら、輪廻転生を信じており、カルデシアンと呼ばれて区別されている」というような趣旨の説明がネット上にありました。
そこで次に、本を手に入れようと思ったんですが、私が持っていた『精霊の書』は絶版で中古市場でも見つかりませんでした。それで代わりに『霊との対話』『天国と地獄』の二冊をネット経由で手に入れました。
その本の日本語呼称は、アラン・カルデックとなっており、21世紀の日本においては、私が記憶していたアラン・カルデク表記は廃れているようです。別の翻訳本ではアラン・カーデックという表記も見かけました。
さて、前置きが長くなりましたが、そうやって「奇妙な成り行き」で手に入れることになったアラン・カルデックの翻訳本のなかに私の印象に強く残った個所がありましたので、次の回でご紹介したいと思います。 -
大昔、エドガー・ケイシーのリーディングを管理している米国のバージニアビーチに本部があるA.R.Eが1万4千件に及ぶリーディングの内容をCD全集として販売したことがあった。値段は日本円で15万円ほどだったと記憶している。
欲しかったけれど、高すぎて初めから買う気は失せていた。
日本には米国のA.R.Eと提携している日本エドガー・ケイシー・センターが設立されていたので、金を支払えばA4判のコピーを取り寄せることが可能だった。
そこで私は、五千円払って、第二次世界大戦の勃発を扱っているID Number 3976 World Affairs Readingsを取り寄せてみた。
すると厚みが1センチくらいになるコピーが届いた。これは二つに分けてバインダーに閉じ、今でも大事に取ってある。
エドガー・ケイシーにしろルドルフ・シュタイナーにしろ、都市伝説・陰謀論系コンテンツでの扱われ方は予言者扱いしかされないうえに、「そんなこと言ってねえだろ」とツッコミを入れたくなるようなひどいまとめ方をされているが、トム・ソーヤーの壁塗り商法の氾濫するYouTubeにいちいちキレても仕方がない。
エドガー・ケイシーは、エジプトのギザのピラミッドの建設者としての前世があることはケイシーファンには周知の事実だが、その詳細を都市伝説家たちが取り上げることはない。
もっと言えば、ケイシーは死の近づいた晩年に自分がルカ福音書作者だったことをリーディングで告げられる。「なぜもっと早く教えてくれなかったのか」と関係者にリーディング時に尋ねさせると「それを知って思いあがりが生じることを避けるためだった」と答えたという逸話が残っている。
アトランティス時代には人間が使役する動物人間のような存在がいたことや巨人がいた話とか、イエス・キリスト出現前後のエッセネ派関連リーディング。ここではのちに発見される死海写本の存在を暗示しているなどなど、なかなか読み物としても面白いリーディングが目白押しだが、こういう話をじっくり研究してYouTubeでコンテンツ化できてる都市伝説系関係者はいまのところいないようだ。
最近、そういう話が載っている(手元から失われていた)エジプトやアトランティス関連の翻訳本を買い直そうと思って、ヤフオクとかメルカリを物色していたら、メルカリで以下のような出物を見つけた。9700円の値が付いていた。もともとの価格は119ドルと裏表紙に書いてあった。
これは大昔CD全集という分量のかさばる高額な商品だったものが、2010年に至ってDVD1枚にリーディング情報を収めて、新たな商品として売り出されたものだった。そんなことになっているとはまったく知らないで12年も過ごしてきたのだった。
結局私は長い間待たされてCD全集の15分の1の値段で「すべてのリーディング情報」を手元に置くことがやっとできたわけである。
このような商品が出ていたことに驚いて、改めて調べてみたが、日本のアマゾンにはそもそもこの商品のページが存在しなかった。メルカリの出品者は参考ページとしてインドのアマゾンのリンクを張っていたが、米国のamazon.comで調べて見ると、ここにもちゃんと商品ページが存在しているじゃないか(ただし売り切れ状態、値段も若干上がっている)。
2010年というのはwindows7が当時の最新OSだった時代で、2000、XP、Vistaも含め、商品自体はそれらOS上で動作する検索ソフトDVDを添えて二枚組で構成されていた(もちろんmacにも対応している)。
商品が届くとさっそく検索ソフトを導入してみた。導入したのはwindows10だがちゃんと動いてくれた。しかしものすごく使いにくいと感じた。今のところイジり倒しているという状況ではないので、あれこれやっていくうちに慣れてくるのかもしれないが、そもそもTEXTとしてDVDに収納されているのだから、DVDを開いて直接取り出せるんじゃないかと思って、DVDを開いてみたら、ちゃんと取り出せることが分かった。
いざとなったら、これをA4紙に印刷すればいいやと今は思っているところです。