私が大学を出て最初に働いた場所は今住んでいる延岡市ではなく、宮崎市でした。就職した当初は、まだ車を持っていなくて、原付バイクに乗って通勤していました。この体験はその時期の話です。
ある夜仕事を終えて帰宅途中の話です。私は当時宮崎市の南部、南宮崎駅の裏手の3階建ての鉄筋コンクリート仕様のアパートの3階の東側の端っこの部屋に住んでいました。6畳部屋と3畳フローリング兼台所、ユニットバスのアパートで、20年以上前のことですが、確か家賃は1万5千円だったと思います(のちに車を買ったので近くに5千円で駐車場を借りました)。夜帰宅してくつろいでいると、深夜になって隣の若い女性の部屋に男がやってきて、しばらくすると、アン、アンという声が聞こえてくる。「おまいら、オレの隣で何やっとるんじゃー」というような非常に腹立たしいアパートでした(鉄筋建てなのになんて壁が薄いんだヨ)。向かいには2階建てのアパートがあり、そこはどんな住人が住んでいるのかよくはわかりませんが(おそらく中年の夫婦者です)、夏など女の叫び声にも似たアノ声が聞えてきて、「いったい、オレはなんちゅうところに越してきたんだ」とトホホ感覚で2年間過ごしました。(ときに無言電話がすでに始まってます。)私の真下の住人がこれまた非常識極まる野郎で、夜中12時過ぎても、ドンガ・ドンガ・ドンガ・ドンと、とんでもない大音量でステレオをガンガン鳴らし、寝られやしない。我慢に我慢を重ねたあげく、ついに直接行動に出ようと階段を降り、そいつの部屋のドアの前に立ってピンポンを鳴らしましたが出てきません(聞こえなかったのでしょうか。音はドンガドンガと鳴っています)。で、ドアの前で「すんませーん」などと大声出しても、いっこうに出てくる気配がない。仕方がないので、一階まで降りてアパート下正面の庭地に立って2階を見上げながら「こらー、うるせーが、夜はアンタだけのもんじゃねーぞ」と大音声で呼ばわったら、ボリュームが下がりました。それからはヤツは気をつかってくれるようになりました。しかし、結局私がこのアパートを引っ越すまで、その非常識野郎の顔を見ることはついにありませんでした。
そういう暮らしをしていた時期の話です。ある夜、私は仕事を終えて原付バイクに乗って帰宅途中でした。その日は小雨が振っていた夜で、私は白のフルフェイス型のヘルメットを被り、紺色のカッパに身を包んでバイクに乗っていました。ヌカヌカヌカと、こぬか雨が降っている夜です。
私のアパートは線路の南側にあったので、踏み切りを一度渡らないと帰れません。片側2車線の大通りを曲がって細い路地に入るとその先は踏み切りです。遮断機がカンカン、カンカンと警報を鳴らし始めました。前を見ると、40代くらいの男と30代くらいの女が腕をつかみ合って、なにやら喧嘩をしている様子です。男は女の腕を取って「来い、来い」といいながら道の先に引っ張って行こうとしています。女は「いや、いや」と叫びながら男の腕を振りほどこうとしておます。今思い出すと、私はなぜか遮断機の前で道路の右側にバイクを止めていたような気がするのですが、それはその男女が道路の左側で遮断機に近づきながらもみあっていたのを避けるためだったのでしょう。私は「痴話喧嘩か、いやだなー」と思いつつ、まだ来ない列車が早く通りすぎ、遮断機が上がってくれればいいと思いながら、待っていました。
ところが奇妙なことに気がつきました。その男は女の腕をつかみ、遮断機が鳴っている踏み切りの中へ女を引っ張りこもうとしていたのです。「えっ、心中」という考えが思い浮かびました。この男女はまったく私のことなど気がついていないかの様子でした。「どうしよう、どうしよう。列車が来ちゃう」と焦りました。いまから思うと行動力のなさが情けないです。私はバイクを投げ出して止めに入るような振る舞いはついにできなかったのです。ところがです、気がつくと「こら、またんか」と言いながら50代くらいの小太りの男性が後ろからすすすっとやってきて、遮断機のこちら側に彼らを引き戻しました。その直後、列車がガーと大音声を立てて通り過ぎました。
「ああ、よかった」、ショッキングなシーンに遭遇してまったく動けない状態だった私は、ほっとして遮断機が上がるとそのまますぐ近くの自分のアパートに戻ったのでした。もしあの「止め男」がいなかったら、私は警察の事情聴取を受けるハメになっていたかもしれないというような話であります。
次回も、もうひとつこの頃の奇妙な体験をお話します。
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