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70年代のパッシブラジエーター型スピーカーについて、もっと情報がないかネット検索してみても、情報の絶対量が少なすぎて、NECのAUS-5500以外にどんなスピーカーが販売されていたのか見当がつかないままずっと過ごしてきたのだが、最近ダイヤトーンが70年代に販売していたパッシブラジエーター型のスピーカーを見つけた(さらに見つけたら、写真を増やして、このページをデータ集積所にしますよ)。
DIATONE SS-300
ESS LS4
Lo-D HS-F6
で、「70年代 パッシブラジエーター」で検索したら、Yahoo!知恵袋で、面白い情報が手に入った。
-------------------------------------------------形式あるいはエンクロージャの仕組みで現在絶滅している、パッシブラジエーター方式(ドロンコーン式)というスピーカーシステムを探してコレクションするとおもしろいと推測をいたします。これは主にメカニカル2~3ウエイというスピーカーユニットを主軸にその背(コーン紙の裏側にも押し出される振動音)をボックスの中で跳ね返して、時間差で主軸と同径または主軸より大きなフェイクのコーン紙だけのユニットをその背の空気圧のみで押し出して音圧を増強させる方式です。主軸=駆動するユニットはそんなフルレンジの場合もありますが中~低域のスピーカーユニットの背(コーン紙の裏側にも押し出される振動音)を応用して別に高域専用のツィーターをマウントしたものもあります。とにかく1970年代にトランジスタアンプを用いて当時の売価でシステムコンポを20万で組み合わせるのに、スピーカーシステムをペアで3万前後の価格設定にしなくてはいけませんでした。当然組み合わせるプリメインアンプも3万円以下の価格設定で製品化をしないと利益がとれない状況でした、しかも70年代中期頃にようやく混成厚膜式の集積回路が実用化(トランジスタなどを製造販売するメーカーからセットメーカーへその集積回路の供給が開始された頃)された頃で、70年代初期には個別の部品を採用してアンプを製造していましたのでさらにコスト高になるので、電源トランスなどをケチり大体各社足並みを揃えて。最大電力20W(片チャンネル)総合で40Wという弱体な電力でしたので、そのスピーカーユニットの裏面に押し出される音まで有効利用して、変換能率の増強をして音圧を確保するパッシブラジエーター方式(ドロンコーン式)のスピーカーシステムが組み合わされていました。この比較的安価で手に入るパッシブラジエーター方式(ドロンコーン式)は現在の低能率で帯域の広いそして全帯域に凹凸のない平たい音ではない、元気で少々暴れた再生音がなんとも言えない懐古的な雰囲気で聞く事ができます。元気が良いという事は余計な雑音も押し出す。と言う事でアンプの雑音もよく聞こえますし、主軸ユニットに空気圧の制動力をかけられない「スカスカ」なので、低域の切れが悪く(その構造上どうにもならない問題・これを解決するにはフェイクのコーン紙だけのユニットに物理的に制動力を与えるや電気的に制動をかけるしかない、しかしながらそれを施行すると密閉式やバスレフレックス式よりも価格が高くなるからメーカーでの製品化はしませんでした。物好きなアマチュアがウーハーを2個マウントして片方には可変抵抗器のみ接続して逆起電圧を可変抵抗器で相殺する方式で制動させるが試行された事があります、)だから不人気なスピーカーシステムの一つに取り上げられます。不人気な故に、単体でスピーカーシステムとして売れたものが残留せず、コンポからひとり歩きした中古が激安(不人気で無名な理由で)で運が良ければ見つける事ができます。
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自宅で使っているDianGoのAUS-5500は、スコット・ラファロのベースの音が、バスレフ型スピーカーのようにボーンボーンと響かない。その枯れたようなウッドベース音が実は気に入ってしまい、これって生のウッドベースを目の前で聴いた音にむしろ近いんじゃないかとさえ感じている今日このごろであります。きっとJ-POPとかには向かないスピーカーなんだろうなあ。PR -
アマゾン・プライムで動画を見ていることはすでに書いたけど、最近はプライム・ミュージックの方が利用頻度が多くなってしまった。
特に最近はビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビー」と「サンデイ・アット・ザ・ビレッジバンガード」ばかり聴いている。何がいいかというと、スコット・ラファロのウッドベースの演奏と音がすごくいいんだな。それが聴きたいので、ビル・エバンスのピアノ演奏を聴いている。だからスコット・ラファロの参加していないほかのアルバムは特に聴いてはいないんだよね。
あとアコースティック・ギター系では、ジョニ・ミッチェルの「Blue」。「All I want」では、右のスピーカーから聴こえてくるギターの6弦がガンと鳴った時の胴鳴りの響きがすごくいいんだよねえ。調べたら、あの音作りは、ジェームス・テーラーのバックアップがあったればこそ、ということらしく、結局ジェームス・テーラーのアルバムを探して聞くと、これが独特でまたいいんだな。
CDをリッピングして外付けハードディスクに入れ、これをWindows10のGrooveミュージックで聴くっていう習慣が始まって、リッピングが済んだCDはまとめてダンボールに入れて、倉庫に保管とかいうふうなことになっちゃうと、ますます部屋の中が片付くよね。自分の聴きたい曲が、すべてストリーミングで探せるなら、もともと部屋のなかをものでいっぱいにしないことが、日本の家の美意識だった時代に少しは戻れるかもしれないね。
でもさすがに本はアナログ式で、つまり手を使って「あの記事はこの辺に載っていたよな」って探すほうが速いような気がするので、キンドルとかはやっていない。
「ウッドベースいいなあ」というわけで、低音の出るスピーカーをヤフオクで探したら、70年代にNECがDianGo(ジャンゴ)名で出していたコンポのものだったろうスピーカーの写真が目に入った(AUS-5500)。
低音がボーンボーンと響きがちなバスレフ方式ばかりの商品のなかで(低音ブリブリ系が欲しかった)、「なんかデザインが異質」、ウーハーが2つ付いてて、「なんか低音出そう」と思ったので(しかも100円)、誰も見向きもしていなかったこのスピーカーを100円で落札した。送料が2000円ほど。
家に到着してさっそく鳴らしてみたら、なんかひでー音だった。「なんだよ、一番下のウーハー鳴っていねえじゃねーか(最初ごく小音量で聴いたのでそう感じてしまったのだった。音圧を利用するスピーカーなので、それなりの音量が必要だった)、欠陥品だったのか? 」ということで、裏側のネジを外して、中を見たら、そもそも一番下のウーハーには電源が来ていなかった。
「ああっ、これはいわゆるパッシブ・ラジエーターっていうやつじゃねえか?」そうだったのだった。初めて目の前で見た。うわー、70年代の、しかも、大型のスピーカーに付いている超珍しい形式のスピーカーじゃないか。まあ、「音質は現代風じゃない」けど、これはこれで珍品なので「ありだな」と思って使っている。70年代のセット売りコンポの慣例通り、スピーカーのネットは外れない。
スピーカーにはホームセンターで買ってきた、かなり小さめの硬質ゴム製のインシュレーターのごときものを木ネジで4つずつ取り付けた。
それにしても異常に音質が悪く聞こえたのは、プライム・ミュージックのストリーミング音質が「高・中・低」と自動的に切り替わることを知らなかったからだった(PC側の能力によるらしい。今では常時高音質設定にして聴いている)。使用するPCをHP DC7900USからHP DC5750SFにかえたら、高音質で聴けるようになった。もともと自宅にあったスピーカーで聴くと、低レート時でも、それほどひどくは聴こえないのに、このパッシブ・ラジエーター式スピーカーはもろに音源劣化の反応が出る。それが自分には不思議なことだった。ちなみに音源はPCのラインアウト信号をアンプに直結。USB-DACとか使わなくても自分には十分いい音なのだった。PCラインアウトからノイズがそもそも出ていないし、ハイレゾ音源を購入する予定もないし。70年代の高校生はLPをわざわざ音質の下がるカセットテープに録音して聴いていたじゃないか。LPを守るために。だから多少の音質の差は許容範囲なんだよ。どうせあんまり区別つかないんだからさ。
このセットは32インチモニターとカラーボックス以外は、もちろんヤフオク系中古品セットだけど、居間にあるセットとは別に、かつて自分が高校生まで自室として使っていた四畳半に一辺50cmのタイルカーペット敷き詰めて、据え付けたもの。いわゆるチープオーディオの世界だけど、結構きれいでしょ。ネットなんかで見かけるオーディオ・マニアの部屋は、まるで科学実験室のごとき「異空間」に満ち溢れているので、「人が暮らす場所として、やりすぎない」のも大事かと。 -
Wndows95が出て以来、音楽用の録音メディアがCD-R化していく前は、当然のことながら世の中、カセットテープがメインだった。私もカセットテープにはずいぶんお世話になった。
けれど、大部分を処分してしまい、手元に残っているのは20個ほど。大半はデモテープとかそんなのばかりで、かろうじてクロスオーバーイレブンを録音して編集したカセットが二つ残っていて、なぜか無性にこれらをカセットデッキで聴きたくなった。家にはラジカセがひとつあるので、それで聴けば済むことなのだが、「よしヤフオクで中古デッキを手に入れよう」と思い立ち、家で使っているパイオニアのアンプSA-7900とデザイン系列が似ているCT-415を見つけ、「ああ、これを上下に並べてレイアウトしたら、なかなか美的になるし、これデザインいいよなあ」と思い、1000円の値段のものを落札した。ヤフオクには同商品が多数出品されていた。届いた品物は、あわよくばそのまま動いてほしいと思っていたが、案の定稼働しないジャンク品だった。
早速中を開けてみると、駆動輪にかかっているはずのゴムが2つなくなっていた。黒い塊がべっとりと車輪にこびりついている。
このデッキの修理情報は出ていないだろうかとネットでチェックしたら、2つでていたので、その記事を参考にした。ただしこのカセットデッキ、いまだに発売年次が分からないままなのだった。
古いオーディオ達との戯れ記録
岩ちゃんのガラクタ倉庫
後日、ヤフオクで落札した平ベルト(内径63mm)と角ベルト(内径37mm)が届いたので、作業を開始した。
どろどろになってこびりついている古いゴムは、蓋を開けて、100円ショップで売っている落書き消しスプレーを綿棒に吹きかけて、上から何度ももごしごしとやりながら、きれいにしていった。
「岩ちゃん」の修理の仕方は、駆動部をまるごと取り出していたけど、自分は、記事を読んだだけでは、その取り出し方の細部がよく分からなかったので(強引にバラバラにしていくと、自分の技量ではもとに戻せなくなってしまう予感もして)、上蓋のネジを2つはずして、デッキの前面にある回転する軸を固定している黒いプレートのネジを3つはずし、フライホイールを軸から少しはずして、あとはピンセットでゴムをつまんで押し込み、ひっかけ、広げながら掛け、すべてをもとの状態に戻して終了した。
電源を入れ、カセットをセットしてプレイボタンを押すと、ちゃんと動いてくれ、ひさびさカセットデッキから流れる音楽を聴けたのだった。ヤッター。
これが居間にあるテレビとステレオセット。今回カセットデッキが入ったことで、チューナーの上に載っていたDVDプレイヤーを撤去した。これは昔はCD再生用に使っていたものだった。
上からターンテーブル(中古、駆動ベルト修理)チューナー(中古)カセットデッキ(中古、駆動ベルト修理)アンプ(中古)DVDプレイヤー&VHSデッキ(中古)。つかすべてヤフオクで手に入れた中古品じゃん。スピーカーは昔、地元のリサイクル店でセット品1500円で手に入れた品。テレビと外付けハードディスクだけが新品購入品。さすが、おれってボンビーマン。ちなみにPCもヤフオク中古品。テレビの下のテレビ台のなかにHPのdc7900sfが入ってるんですが、暗くて見えませんね。操作はワイヤレスのマウス&キーボードでやってます。
地元のレンタル店でDVDを借りて映画を見るなんてことをしなくなって久しいし、huluとかGyaoとかamazonプライムビデオとかで、もう十分だし、外付けハードディスクの容量がテラバイトレベルになっている今、音楽CDはmp3でリッピングじゃなく、WAV(無損失)でハードディスクに入れても全然容量気にしなくて済むようになったし、Windows10のGrooveミュージックという再生ソフトを使うと画面いっぱいにCD情報や再生情報を表示しながら(これCDプレイヤーではできなかったことだよねえ)、マウス操作だけで、即座にHDからアルバムを呼び出して音楽鑑賞もできるし、そういうわけで、ますますCDやDVDメディアを再生機にかけて見たり聴いたりするという行為を行わなくなってしまった(ただしLPはいまでも聴いてますよ)。なんという無精者になってしまったんだろうか。
しかし楽な行為に流されてしまうのが、悲しいかな、人間のサガというものですよねえ。 -
YouTubeで「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」を聴いて「しみじみした」と書いたけど、実は同じ頃、武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」タモリ編も聴いた。タモリの出世話はそれはそれでとても面白かったけど、それとは別に記憶にはっきりと残ったのは、「1975年の日本の30歳以下の割合は全体の49.4%だった。当時は日本人の半分が若者で日本中が若者だらけだった」というような趣旨の部分だった。
今年の日本の人口はどんな具合になっているのだろうと思って、ネット検索してみると、①15歳未満、②15~64歳、③65歳以上のおおまかに三つに分けた資料ばかりでてきて、30歳未満の人口比率が分からない。
けれどおおよその予想はつく。私が15歳だった1975年。中学3年だったときの学年の人数は約400人で10クラスあった。いま同じ中学校の3年生はすでに200人を切っている。市内のほかの中学校も1975年時の半分以下になっている。
おそらく2017年の日本において30歳未満の「若者たち」はおよそ25%~35%くらいの間にいるんじゃないだろうか。
「若者の音楽」を買ってくれる「若い層」が1975年の半分近くに減っているとすれば、産業が斜陽化するのも当然だ。それに加えて「新譜購入の誘引力」となる「新しい音楽の出現」という70年代に生じた「若者に鳥肌感覚をもたらした音楽感覚の革新」はもはや「商業的」には、起こりそうにない。今の日本の音楽状況はダブルパンチ状態なのだった。
私の場合、2000年以降、インターネットを始めて、仕事から帰ったら見ていた深夜のテレビニュース番組もだんだん見なくなってしまった。
ただテレビ経由で出会った音楽については、2007年に公共広告機構のCMでPerfumeが踊りながら歌っていたのを見て「おお、誰だ、この女の子たちは」とひさびさ「追ってみたくなる対象」を見つけたが、それ以後は、またもとにもどってしまった。もはやテレビ(というか電波系)をまったく見なくなったし(映画・ドラマ・アニメコンテンツはhuluとかGyaoのみ)。
Perfumeの音楽を担当した中田ヤスタカの仕事部屋は、シンセで一世を風靡した小室哲哉の仕事部屋とはまったく違っていた。以下の写真はYouTubeからとってきたもの。
PCとモニターとMIDI鍵盤とモニタースピーカー、そして隣に半畳ほどの声を録音するための部屋。たったこれだけである。音楽製作は究極のスタイルにまで到達した。これはギタリストなどの演奏家の部屋ではなく、「作曲家の部屋」である。かつては、たとえばベートーベンの目の前にあったピアノとペンとまっさらの楽譜がPCとMIDI鍵盤になった。YouTubeなんかで見かけるアマチュアの部屋のほうがもっと物(機材)が多くで雑然としているのに、なんとシンプルなんだろう。
さて「音楽の革新」「新しい音楽感覚」についてはどうだろう。シュタイナーなんかは将来人類は8度(オクターブ)の音程を特別に感じるようになると語っていたが、それと商業音楽が連結する時代がくるかどうかは分からないな。
そういうわけで、私は「思い出の音楽」に浸り、このブログでも紹介した「日本ではちっとも有名にはならなかった2000年以降、日本で手に入れることのできたJ-POP以外の音楽」をおもに聴いている。
最近「若者の音楽」で「これいいなあ」と思っているのはガリレオ・ガリレイの「ALARMS」というアルバム(解散しちゃったけど)。当然存在を知ったのはアニメ経由。「サークルゲーム」とかぐっとくるフックがあっていいよね。彼らは米国の小説家サリンジャーの登場人物を引用しているね。アニメ攻殻機動隊の「笑い男」で引用されたあのサリンジャーだよ。