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2014年にXPの更新が廃止されて以来、XP対応のホームページ作成ソフト(ホームページninja2003)でHPを作っていた私は更新をやめてしまっていた。
薔薇十字の方は、自分が気になったシュタイナーの発言の抜粋録集みたいなものだったし、だんだんと全体が重くなっていったこともあって、自宅のPCがビスタや7に変わった時も、更新する気はとうの昔に失せていた。
削除してもよかったのだが、結局長年手をつけずにほっておいたのだった。最近XP機でためしにアップロードを試みるとなんと更新できたではないか。
「え、直にFTPアップロードだとはじかないんだ。IE8でネットにアクセスしようとするとはじかれるのに。HP情報のアップロードはできるんだ、知らなかった」と自分の思い込みが10年続いていたことを認識した。
それで改めてXP機でデザインのマイナーチェンジを行い、抜粋ページは全部削除して、数枚の絵だけを残し、新たに専用ブログ(薔薇十字の瞑想者)をリンクした。シュタイナー関連で、ふと思いついたような軽い書き物は、こちらのブログで書いていこうと思う。
XP機で更新できることを確認したあと、Windows10 64bit機にXP用だったホームページninjaを移植できないかと試してみたら、ちゃんと動いたので、今後マイナーチェンジをするときは(たぶんあまりやらないだろうけど)、10を使って、やる予定である。
これに続いて「機甲戦虫紀LEXX」も10上からいくつかページを加えて更新できた。こちらもブログを付属させた。
まったくの個人的趣味で始めた、しかも日本に何人のLEXXシリーズ・ファンがいるのか分からない超ニッチなHPだけど(全4シーズン視聴済み日本人は何人いる?)、こちらも10年ぶりに更新できて、つぶさないでおいてよかったなあ、と思ってますよ。PR -
今月はずっとEDM系の音楽情報関連を書いてきたので、そこからの連想で、いつかブログで言及したいとずーっと思っていたドイツのバンドEisenfunkのpongとインダストリアル・ダンスの話をしたいと思う。
動画は14年前にアップされたものだけど、そもそもその当時、この曲自体は日本ではまったく流行らなかったと思う。日本のダンス・シーンにおいても、当然背景に現れる異形のダンサーたちに影響を受けたような形跡はなく、日本語圏のウェブ上においても、インダストリアル・ダンスに興じる日本の若い人たちの話についても詳しい話は出てこない。
ということで、まずはYouTubeの動画鑑賞から始めたい。
いわゆる四つ打ち系のエレクトロ・ミュージックである。
私がこの動画を見て、驚いたのはダンサーたちの風貌(衣装)と独特の踊り方だった。
確かに上半身の腕の動きが中心で、日本人であればすぐに「あ、パラパラだ」と連想してしまう。
日本のパラパラはカワイイけれど、西ドイツのパラパラは、なんと言っていいのか、あえて言えば
「ゼイラム2」に出てくる軍団じゃん・・・・・
であった(特に25:00あたりから出てくる連中)。
あの軍団がインダストリアル・ダンスを一斉にするシーンがあったら、相当にうけたんだけどなあ(オレ的に)と強く思ったものだった。
北野武監督は「座頭市」でタップダンスのシークエンスを入れたし、雨宮慶太監督だって、一部そういうシークエンスを入れてもいいじゃん、と思ったのだった。
今回、インダストリアル・ダンスについて書こうと思ったので、改めて検索してみたら、今回の表題にもなったセリフをインスタグラムの動画で見つけたので、以下紹介したい。
dilettantegenet
YouTube上で「Industrilal dance」を検索すると、いろいろと出て来る。メキシコなどスペイン語圏なんかでは結構大会なんかもやっていたようだ。
検索の上位に出てきたのを適当に並べてみた(なんでだろう、周期的に出てくる、左足を上げながら同時に両手が開く瞬間の姿に「なんか、かわいい」と反応してしまうダンスだった。実写なのに絵師たちの描く絶妙な絵の構図を見せられてるような感覚なのかな?)
以下は、やっぱ「ゼイラム」じゃん、という私の感想はハズれていないと、アナタも思うはず。
Eisenfunkのpongは私が定期的に見に戻るYouTube動画のひとつでもあった。 -
前回、Tale of usの相方のanymaの野外ライブについて書いたけど、彼らはベルギーにある、世界的に有名なTomorrowlandと呼ばれる場所でも頻繁にライブ活動をしているようだ。
いろんなEDM系アーティストがこの会場を使っているようだけど、その演出のド派手なことといったら、まさに「一夜の夢の世界」を演出して観客の目の前に出現させてる感じだ。以下はその例として示してみた。
最初にこういう画像に触れたとき(特に二枚目)、私はアニメ「マクロスプラス」のなかのAI歌手のド派手な野外ライブ風景を連想してしまった。
マクロスの足元に設けられた野外ステージでAIボーカリスト、シャロン・アップルが空中を舞いながら歌うシーンだ。
この作品が作られたのは1994年のことだから、派手な演出が今日Tomorrowlanndのような場所で現実化される前にすでに「アニメ制作陣の内部イメージ」のなかで、意識化されていたことになるね。
右側のイメージがマクロスプラスのものだけど(クリックで拡大)、私には二重の外構の中に塔のように立っているマクロスと左の塔のイメージが重なって見えた。
サーチライトの演出は最初に掲げた写真と重なってしまう。
おまけにマクロスプラスにはこういうイメージも出てくる(新居昭乃の歌う名曲「wanna be an angel」は、OVA4巻シリーズを後に劇場映画としてまとめたとき、新たに追加されたものなので、この歌を目当てにマクロスプラスを探す人は間違えないようにしてください)。
前回紹介したanymaのなかにも似たイメージを一部使っていた場面があった。
マクロス・シリーズは私の大好きなアニメ・シリーズだけど、マクロスプラスのなかでは「ひとつのテーマ」として十分にその意味を深めずに、男女の三角関係(マクロスの定番設定)の「補助線」として使われていたAI歌手の自立暴走問題は、21世紀の今日の問題としては、むしろ「三角関係」よりも、より「印象に残るテーマ」となっているように思う。
野外ライブシーンにおいても、1994~1995年の当時においては、制作側の空想にすぎなかった「彼らの心の中、精神界にあったイメージ」が、今日では現実として「地上に引き下ろされている」・・・・・。
30年前のアニメのイメージが今日のヨーロッパの野外ライブ風景と結びつき、結果として「不思議なものを見せられたなあ」という感覚にもなろうというものだ。
ヒプノティック(催眠術的)野外イベント演出の嚆矢として、かつてはよくやり玉にあげられたナチスの党大会の風景なんてものは、もはや、今日ではどこかにふっ飛んでしまうほどの盛り上がりを見せているのが、一か所に集められた万単位の人間たちを虜にするTomorrowlandのフェスティバルだった。以下はナチスの党大会風景。
※ネットから取ってきた写真をカラー化してます。 -
トランスとかハウス・ミュージック、あるいはEDMとか、いろんな言葉が流通してるけど、要するにデジタル系の音楽、とくに四つ打ち系に、私は、あまり関心を向けなかったこともあり、全体像はよくわからない。
昔ユーロビートという言葉が日本で流通していたように基本トランス系四つ打ち音楽はヨーロッパ系なんだろうかとも推察する。
自分は数千数万単位の人間が一か所に集合するような場所には行きたくないので、もっぱらYouTubeなんぞでその様子を「観察」するくらいのことしかやれない。
今回言及するanymaというミュージシャンも、やっぱりYouTubeで出会った人物だった。
最近のAI議論の盛り上がりとか、トランスヒューマニズム、あるいはムーンショット計画とか、そうい議論の盛り上がを背景に、anymaが野外ライブで「CGで作った機械のような人間イメージ」を前面に打ち出しているのも、意外なことではない。
これまでよく知らなかったのだけど、最近の音楽のライブは日本においてもLEDパネルをくみ上げて巨大なスクリーンに映像を映すようなことが普通になっているようなのだ。
初めてこの巨大なスクリーンに映る機械のような人間イメージを見たときはびっくりした(特に連続する「壁ドン」シーン)。
「わ、おもしろいなあ」と思ったので、いろいろと、ほかのanyma関連の動画を見始めたが、会場では撮影許可されているのか、観客が皆スマホを持ち上げて体を縦揺れさせながら録画している姿を見て「あ、今までオレが知らなかったコンサート会場の姿だ」と思った。つまり「異様だ」と思ったのだった。
他の曲では、男のイメージや女のイメージが同じようなロボット像で描かれる(以下はフルバージョン)。
YouTubeで最初に出会った、けれん味たっぷりの「壁ドン」映像(「仕掛け」)には圧倒されたけれど、男女のロボットイメージが流れるシーンでは、正直「美的像」としては「いつまでも眺めていたい」とは思えなかった。
そういう感覚を覚えるのは、私だけじゃないだろう。人間一般の審美眼というものは、絶えず対象に向けて本能的に共感と反感を感じているものだし。
けれどセイレーン像を見たときは、魅了されてしまい、今でもときどき見に戻ってくる。
YouTubeではsyrenと表記しているけれど、このつづりだと辞書的には「空襲警報」なんかで言うところのサイレンだ。
日本人がギリシャ神話の訳語として長く使ってきたセイレーンは、英語ではsirenとつづるけど、、発音はやはりサイレンなので、英語話者の中ではすでに混同が起きているということだろうか。
私の地元ではダムの放流を知らせるときに「ウ~ウ~」と大音量の警報が流される。サイレンの音は人の心を不安にさせる。「〈サイレン〉(警報)のような歌声を聴いて、それに魅了されて海に引きずり込まれる船員」という者がいたとしたなら、〈相当な倒錯的趣味人〉だろう。
wikipediaによると、anymaという名前で活動している人物の名をMatteo Milleriといい、本来はTale of usという二人組の男性ユニットで活動してきた人物(もう一方の名前がCarmine Conte)で、それぞれ米国とカナダ生まれ、その後イタリアに移住して活動を始め、現在はドイツを拠点にしているそうだ。やっぱりヨーロッパ系であった。Tale of usが所属している(というか、彼らが立ち上げた)レーベルの名をafterlifeという。「あの世」と名乗る「会社」であった。
審美眼的には、頭がツルツルの男女のロボット像よりも、このセイレーン像の方がずっと好みだ(ただしヘルレイザーのピンヘッド像なら大歓迎だ)。
(ピンを抜くとこうなる)
このセイレーン像が、もし、フィギュアになって(まあないだろーが)売り出されるというのなら、手に入れたいなあと思っている。 -
夕方、眠くなってしまったので、ベッドのなかでうとうとしているうちに眠り込んでしまった。
すると、「姉だが妹だかに子供が生まれた」という知らせが入った。というより「分かった」という感じだった。姉(または妹)にはすでに子供がひとりいたのだが、二人目が生まれたという「予備知識」も自分のなかには存在していた。
その知らせは、「どこ」から、「誰」から来たのかは判然としない、ただ直感的にそういう段取りで夢が始まった。
ちなみに現実の私には姉も妹もいない。私は夢の中で、その子に会うために、姉だか妹だかの家に行こうとしたのだった。
私が「その子」と対面すると、それは人間の子供の姿をしていなかった。
「えっ」と思ったのだが、別段恐怖心などは感じず、それどころか私は、「ああ、これは、件(くだん)というやつではないのか、じゃあ、質問をしなきゃ」と思ったのだった。
ちなみに、「件の」を「くだんの」と読むという受験勉強的な知識は前からあったが、「件」と書いて「くだん」と読む「魔物のような何か」の存在について私が知ったのは、たしか『新耳袋』シリーズにおいてだったと思う。
けれども、一般に流布している魔物としての「くだん」というもののイメージが曖昧だったので、目が覚めたあと検索をしてみたのだが、いろんな図像を眺めながら「あ、これだ」と思ったのは、以下の写真だった。
色はまさに写真のような感じだったが、顔はもっと牛に近かった。
上の写真は地べたに伏しているが、夢の中の件(くだん)は四つ足で立っていた(以下ペイントでラフに描いてみた)。夢の中ではもちろん背景もあったのだが、ぼんやりしていてはっきりしない。何か(白い自動車の右側?)の隣に接近して立っていた。右半分は向こうまで奥行きがあったが、街中であるということは覚えているが、土地の様子ははっきりしない。
「くだん」は予言をする、という話が頭に浮かんだので、私は質問をしようと思い、「私の未来はどういう感じになるだろうか」というような趣旨の問いかけを「その子」にした。
「その子」は何かをもごもごと言おうとしていたが、私には何を言っているのか分からず、結局、私の将来についての明確な返答は得られなかった。
ただ「あなた個人の将来は範囲外、そういうたぐいのことは言えない」的な感じの返答にも感じられたので、「なんか困った風な顔つきだったのは、そういうことなのか」と思い、なおも「その子」と顔を突き合わせていたのだったが、突然、スマホの音が鳴って(母からだった)、私はベッドから起き上がってしまい、そのまま夢の世界から日常世界へ帰還してしまった。
電話での会話を終え、部屋に静寂がもどると、「さっきの夢はなんだったんだろうか」と思ったので、ネットで写真を検索し、将来参照することもあるかもしれないと、このように、夢の報告記事を「自分用」に残しておくことにした。
P.S. せっかくなので夢繋がりで、「件の夢」の2、3日前に見た夢も報告しておこう。
松本人志が出てくる夢である。登場人物たちはみな黒服を着ていて、まるでマフィアあるいはやくざの集まりのように見えたのだが、お笑い芸人たちの集まりのようでもあった。
巨大なステージの上で行われている、何かの会合のようでもあり、ジャッジの現場でもあるようだった。右側に黒服の芸人たちが並んでいる。
ある茶髪で長髪の若者(後輩芸人の一人か?)がいて、松本人志がその若者に歩み寄って、「ほんとに申し訳なかった」といって彼に抱き着いて、涙を流しているというものである。
何かこの事件の背景を暗示していたのだろうか。だとしても、なぜ私がそんな夢を見る必要があるか、寝ても起きても世界は分からん事ばかりだ。