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ということで、今年も残すところあと一日になってしまった。
昔は「私の好きなアニソン集」なども投稿していたけど、最近はやってなかったなあ。
なので今年も含めてちょっと遡って、今でも強い印象が薄まることのない「忘れられない名曲」も前振りとして紹介しておこう。
まず1曲目は「骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中」のED、DIALOGUE+の「僕らが愚かだなんて誰が言った」
当時アマゾン・プライムで視聴して、評価投稿とか読んでたら、このEDをめちゃくちゃけなしている投稿があって、「?????」感覚でいっぱいになった。アニメ自体は評価してたので、アイドルグループの歌なので「そっち系の恨み」みたいなアンチの投稿なのかと思ったが、「自分の口に合わないのなら、黙っていればいいだけの話」なんだよねえ。
コーヒーが苦くてまずいと感じる人はたくさんいるけど、「別の感受」をする人たちもいるから、コーヒーの苦手な人は「わざわざ大声上げてコーヒーをけなしにSNSに出かけたりしない」よねえ。
飲み物や食べ物についてはSNSでも比較的そういう「常識感覚」を発揮して、「自分の嫌いなもの」について「人前で事挙げしないで黙っていることができるという美徳」を体現できている人々も、別の分野では「自制感覚」が働かないようだけど、これだって未来には、変容していくんだろうねえ(参考 岡田斗司夫=ホワイト社会&ルドルフ・シュタイナー=弥勒菩薩論)。
さて、アニメのOPやEDは1分30秒に編集されてしまうので、フルで聴くなら以下。
この骸骨騎士様アニメのEDに触れて、再び連想が及んだのが、「アサシンズプライド」のOP、Run Girlas,Run!「shere the light」だった。
それでYouTubeで探して聴き直してみたら、やっぱりDIALOGUE+の曲と同じようなバイブレーションを感じる名曲だった。
フルバージョンは以下。
さて、23年秋のアニメの私の一押しは、「七つの大罪 黙示録の四騎士」のOP、Little Glee Monsterの「UP TO ME!」だ。
そして同じアニメのED Moonchildの「Friends Are for」
この2曲を聴いたら「ハンソン」を思い出したので、探してみた(今や皆成人して三人ともひげ面のおっさんになってる。そりゃあ「かわいい男の子時代」はあっという間に過ぎ去っていくからなあ)。
やっぱ似ているバイブレーションだよなあ。(あと、フィンガー5とかジャクソン5とか?)
ちなみに米国には同じMOONCHILDって名のR&Bバンドがいて、実は私は彼らのファンなのだが、結局彼らを紹介するタイミングを逃して今日まで来てしまったので、ここでお薦めしておく。
最後に挙げたいのが「帰還者の魔法は特別です」のED、ももすももす「6を撫でる」
「君しかいないと思っていたよ、君しかいないと思っていたよ」のフレーズは強烈だなあ。
「23年秋のアニソンは名曲ぞろい」なので、ほかにも言及したい曲がいっぱいあるんだけど、これ以上やるとページが重くなっちゃうので、今回はこのあたりではしょりたいと思う。
P.S.
最近ずっと投稿してなかったけど、何をしていたかというと、「今日も始められなかったパソコンミュージック・ソフト」(CAKEWALK)をまたまた取り出してシュガーベイブの「downtown」のドラムの打ち込みとかそれに合わせる楽器の練習とかしてたのだった。打ち込みのドラム以外はMIDIじゃなくて、「手動」で楽器を操ってオーディオ録音で重ねていく予定。
20代の時にカセットテープ式の4トラックのMTRで作ったやり方と同じだけど、この時代のものをYouTubeにおけるGoogle式商売が始まる以前の時代に投稿してたんだが、Google式になったのを機に削除してしまった(今検索してみると、わー、たくさんdowntownのカバーから奏法紹介まで、いろいろとYouTubeに上がってる。今はそういう時代なんだなあ)。
ということで、今回、XP時代のDTMソフトを多重録音機材として使ってる。まあ、仕上がりは20代のものを超えられないだろうなあ(もはや声がでねえ)。PR -
以前、「勝海舟の写真をカラー化してみました」という題で、CODIJY Colorizer Pro 4という、白黒写真をカラー化するソフトの報告をした。そのときの写真が以下である。
このソフトは自動的にカラー化するのではなくて、あくまでも作業者が「手作業」で色付けをしてかねばならない。
とはいえ、「忙しい現代人」にとって、そういう作業に膨大な時間が奪われてしまうのは惜しい。
そういうわけで、、前回の投稿では「でも、こういった作業も未来には、さらに人の手を離れて写真を読み込んでAIに「適当に色を付けて」と命令すれば、延々と着色された別バージョンの提示を繰り返してくれ、その中からベストと感じたものを選ぶというようになるのでしょうか」と書いた。
するとそんなに時間を置かずにソースネクストから『着彩! モノクロ写真』という「自動着彩」を売りにしたカラー化ソフトの販売の案内が来た。「え、もうすでにそんなソフトがあんの?」と、もちろん即飛びついてしまった。
このソフトは色を付けたい白黒画像を読み込ませたら、おまかせで自動的に色を付けてくれるから、非常に作業が楽になった。とはいえ、フィルター機能はあっても、着彩のバリエーションを順次提示するということはないので(こう書いた当時は、初期のStable Diffusion Onlineのイメージを想定していたが、いまのStable Diffusionはもはや次々に画像を表示する仕組みをやめて、代わりに一枚提示式で高画質化している)、白黒写真の質が悪い場合、あまりいい結果を出してくれない。
けれど、特に傷も汚れもなく、濃淡のムラもない少人数の集合写真だったら、別に手を加えなくてもそのまま使えそうである。
以下の写真などがその手の写真だった。
『着彩! モノクロ写真』でカラー化すると、以下のようになった。
左から、私、母、三男、祖母(母方)、次男である。場所は日南のサボテン公園である。
卒業写真など人物が大量に含まれている集合写真の場合、顔認識に難があるみたいで、色のついた顔と青白いままの顔と混ぜ混ぜになってしまったり、黒い学生服集団の上着がみんな赤色に着色されていたりとかもあった。だから、こういう場合、オートで終わりというわけにはいかない。さらに手動で修整作業に入る必要がある。有難いことに、このソフトは自動着色ののち、その画像を土台に手動で着色修整を施すことができ、操作も簡単なので、「ソフトの自動色付けが完了したら、不満があってもあきらめろ」(by メーカー)・・・となっていないプログラム構成になっているところは有難い。
スキャナーで取り込んだ写真がすでに経年劣化(写真がセピア色化していたり、全体、あるいは端っこの色が薄くなってしまってたり)している場合は、無料のPhotoshop expressなどを手に入れて、そういう色あせを補修して、改めて、このソフトで着色してみるといいと思う。
カラー写真の退色復元には、EPSONのスキャナー「PX-402A(古いけど)」のEPSON Scanの機能が威力を発揮してくれた。
小さな傷は、Windows10とか11に入ってる「フォト」のレタッチ機能を使うと結構きれいに修復可能だ。
さて、以下のルドルフ・シュタイナーの写真は、ネットで拾った白黒写真を『CODIJY Colorizer Pro 4』で手動で着色して作ったものだ。その下のものは、それをWindows10の「フォト」の「フィルター機能」を使ってブルー系に変えたものだ。ほんと印象変わるよね。
今日、白黒写真のカラー化ソフトに手を出している人々は、若い人たちではないだろう。そもそも若い人たちはもはや、「写真を紙で所有する」という習慣を維持しているとは思えない。
「子ども時代の思い出写真はカラーでしか持っていない」という世代の人は、スキャナーとレタッチソフトがあれば十分だろう。
しかし昭和40年代くらいまでは、世の中の人にとって写真と言えば白黒写真の時代だった。だから、年配の人たちこそ、「終活の一環」として、子供時代の思い出を振り返り、白黒でしか見てこなかった子供時代の自分たちの姿やその当時の風景をもう一度カラーで眺めて直してみると、まことにしみじとして、感慨深い感情が湧き出てくるだろう。
私の手元には色あせてもはや何が映っているのか分からなくなっている白黒写真が何枚かあったが、それをスキャナーにかけ、『着彩! モノクロ写真』で着色してみると、「ああ、この人が映ってたのかあ、懐かしいなあ」と確認できた場面が何回かあって、そういう意味でも、経年劣化した写真を持っている人は、カラー化に挑んでみると、新たな発見があるかもしれない。
たとえば以下の写真なんかは、周囲の白い縁をカットして取り出したものだが、この部分だけで大きさを何かと比べるとすれば、クレジットカードほどの大きさだった。今の写真の規格としてもすたれてしまった大きさで、実物を見るとかなり判読に苦労するシロモノだった。
このクレジットカードほどの大きさの白黒写真を拡大、カラー化し、そのうえでPhotoshop expressとかWindows10の「フォト」のレタッチとかで修正を加えて、仕上がったのが以下。
「なんだ、左から二番目の麦わら帽子は自分じゃないか、で、一番右は弟。左端の女の子は道路向かいの近所の〇〇ちゃんで、右隣の背の高い少年は……誰?」と感動した一枚である。
当時の日本の家屋はどこもタールを塗ったような暗い板壁の木造建築ばかりだった記憶がある(今の日本の住宅の外壁はどこもほんと明るくなったね)。写真の背後に映っている木造住宅は、貧乏な若い夫婦(親)が暮らしていたものだろう。自分にはほとんどこの時代の借家暮らしの記憶がないのだが、家の外にぼっとん便所があって、長屋の住人たちが共同で使っていたし、水道もまた共同の井戸水を手動のポンプで汲み上げて使っていたと思う。
こんな田舎町でも、すでに水道は完備されつつあった時期だけど、きっと両親には金がなかったんだろう。家族がこの場所へ引っ越さねばならなかったのは、火事に遭ったからだった。アパートの住人の失火のせいで、家の中にあったものは何もかも焼けてしまった。だから私や次男の赤ん坊の頃の写真は一枚も残っていない。
このころの思い出話として、夕食時に母が「あら、息子がおらんが、どこへいったのか?」と外に探しに行くと、私が向かいの家の上がりがまち(縁台)にいて、障子の破れ目からテレビ放送をじーっと見ていたのをみて、「まー、ほんともぞなぎい(=不憫だ)」と感じた母が、「テレビを買ってやろうや」と、父に相談して小さな白黒テレビを買ったという話だった。今回最も力を入れたのは、傷とかしわとか破れとか、さんざんに傷んでいる白黒写真のカラー化だった。例えば、以下の写真(白い縁を除外すると、写っている面積はクレジットカードより少しはみ出す大きさ)。プロの写真屋さんなら(もはや自分の街からもほぼ姿を消してしまっているが)、もっと上手に修復できるのだろうが、まあ自分でも頑張ったほうだと思い、一応満足はしている。
今回、カラー化&修復の結果、意外なことも知れた。なんと神社の写真にはオーブがたくさん映り込んでいるじゃないか。これまでは破れた小さな白黒写真なんぞに深い関心なんて浮かばなかったので(というか、そもそも写真を見ることがほとんどなかった)たまたま写真を見ることになっても、「オレの子供時代だ」というくらいの感想で一瞥してまたもとに戻すという感じだった。
私が手をつないでいる人は、もちろん父である(すでに亡くなって久しい)。彼の背後の神社の右側の柱の真ん中あたりのオーブは、よく見ると、人の顔のようにも見えるじゃないか。以下、拡大写真。「おー、おれんちにもやっと一枚、心霊写真が存在したことが分かったぞー(しかも写真が撮られて約60年後に)」と、これはまた別な意味で得した気持ちになった。
いったい当時私と父はどこに出かけていたのか? 父は宮崎県高千穂町上野(かみの)の出身なので、そこいらあたりの小さな神社だろうか、とは思うのだが、今のところはっきりしない。
それはともかく、古い白黒写真も含めて、自宅に残っていた写真のデジタル化を行っている最中なので、すべての作業が完了するにはまだ時間がかかりそうである。
気が向くたんびにぼちぼちと進めていきたいと思っている。 -
前回、黄道十二宮、あるいは十二星座の話題に言及してましたが、実はそのちょっと前にアマゾンでタペストリーを購入して、家で飾ろうかと思い立った一連の出来事があったんですよ。その「企画案」は最終的に以下の写真のごとくになりました。
なかなか上手に仕上がっているでしょう? 床の間に飾るために、裏側の上下に1mのポールを通す筒状の袋をアイロンと裾上げテープを使って作り、吊り紐も加えて、掛け軸用の重りを加えて完成しました。自宅にミシンがあって使い慣れている人なら、ミシン縫いもありですね。予算に余裕があえば、外注でもいいし。私は安く上げたい派でしたので、百円ショップとホームセンターのものを利用しました。
100円ショップにはツッパリ棒がいろいろ売ってますが、伸び縮み機能のない1mちょっきりの品がなかったので、ホームセンターで探したら、暖簾を売っているコーナーに鉄製のものと木製のもと2種類売ってました。両方とも買って帰り、最終的に木製のポールに吊り紐を結ぶ金具をねじ込んで吊るすことにしました。以下の写真は鉄製ポールに通したタペストリーです。下段の写真は、全体にアイロンをかけて上下の端を折って裾上げテープで加工した後の様子。
「おー、そうかこんな風な手順を踏めば、これまでのように、伝統的な様式のものを買って飾るだけではなく、これからは、世界中にある、いろんなデザインの掛け軸を自分でつくれるぞ」と気づき、得をした気分になっております。
ちなみにアマゾンでは、自分のお気に入りの布の上下に挟み込んで、掛け軸にすることのできる器具も売ってました。ただ横幅が1mとかに対応したものは見かけなかったので、大きいものを飾りたかったら、いまのところ自作一択ですね。
AliexpressとかTemuとかも見回りました。廉価で布に客の希望する絵柄をプリントできるサービスもあるようなので、昔、秘教学徒のYouTubeのトップ絵をポスターかタペストリーにできないかと思っていたこともあり、試してみるのもいいかなと思っております。でもトリミングして縦横の長さは変えないといけないですね。
冬が近づくとなぜか動画を作りたくなってしまうので、途絶えている投稿を再開しようかなあと思っておるところです。 -
ギザの大ピラミッドは「アトランティス時代の遺物」であり、秘儀参入者のための神殿であったことは前々回書いた。
ルドルフ・シュタイナーは「中国人や日本人は紀元前1万年の歴史があり、アトランティス文化の継承者だ」というような趣旨の話を『地球年代記』でしていた。アジア・東アジアには、1万年前にすでに人間がいました。それらの人間には、もちろん子孫がいます。それらの子孫は、地上の最古の文化を有しています。モンゴル民族、日本人と中国人です。彼らは最古の地上の住人の末裔なので、非常に興味深いのです。(中略)日本人・中国人よりも古い文化には、表面的な科学は到達できないのです。『地球年代記』P179
しかしこの本の後の方で、「中国人にはまだ先祖たちのような古い感性が残っているが、今の日本人はまったく異なってしまった」というような話もしている(画像クリック)。
※一番上の段の黄道十二宮は人智学で語られる「2160年ごとの時代精神」を現し、宇宙から地球に近づいてくる太陽霊キリストの活動を象徴する時代のアイコンでもある。
時間の経過の中で、つねに、ある存在が崇拝されてきた。たとえばペルシアでは、紀元前3000年まで、双子座が崇拝された。紀元前3000年から紀元前800年まで、エジプトで神牛アピスが崇拝され、西南アジアではミトラ牛が崇拝された。紀元前800年からは、羊が崇拝されるようになった。黒海東岸のコルキスから金毛羊皮を取ってくるイアソン(ジェイソン)の伝説が生まれた。さらに、キリストが「神の子羊」として崇拝されるようになる。初期のキリスト教のシンボルは、十字架にかかった救世主ではなく、十字架を持った羊だった。(『神智学の門前にて』P50)
以上、シュタイナーによれば、今後「魚座はキリスト再臨の象徴となる」(雲間に神の光が再び見られるようになる時代、エドガー・ケイシー)という話だ。図表最下段の段の十二星座が、いわゆる近代占星術師たちが唱えている時代区分になる。ケイシーの発言はこちらの区分に準じてコメントしているようだ。アトランティス時代の七つの根幹人種の活躍時期と期間を現在の人類と同様2160年として扱うと別の情報と矛盾するのは自分でもわかっているので、今回掲げた図表はあくまでも参照対比のために便宜的に作成したものであることはあらかじめお断りしておく。
シュタイナーは、別の個所で「紀元前1万年から続く東アジアの古代文化」というような言い方もしているので、上ナイル地方でアトランティス(ポセイディア島)からの避難民たちとともにエジプト古王朝よりもさらに古い先史時代のエジプト文化をラータたちが築いていた紀元前1万2000年前の時期に、ユーラシア大陸が今日のような姿になる以前の東アジア地域で、アトランティス時代の七つの根幹人種の七番目である黄色人種(モンゴル人種)が、アトランティス文化のしんがりとして登場し、ついに「アトランティス的発展の幕を閉じた」のが、今から7000年から8000年ほど前だった。
シュタイナー的な黄道十二宮観で言うところの「蟹座時代」に文化基盤におけるアトランティス的なものからユーラシア的なものへの転換というか飛躍が行われ、ぼんやりとした世界から、まず先史時代の、つまり我々にはよく理解されていないヴェーダ以前の古インド文化が立ち現れた。
そしてインド文化期、ペルシア文化期、エジプト文化期、ギリシア・ローマ期と続き、今現在のところゲルマン・アングロ=サクソン文化期の真っ最中だ。この文化は今後、ロシア文化期、アメリカ文化期と変容していく。
井上陽水の『東へ西へ』という歌にかこつけて語れば、アトランティス文化の余波が避難民たちによって西へ伝えられて東の端へ達すると、アトランティス的なものは、そこでついに発展性を失い終焉を迎えた。そして数千年の闇のインターバルの中から古インド人がユーラシア的展開を開始し始めた。歴史の進展の渦は進行方向を反転して東から西へ向かうようになったのだった(画像クリック)。この渦巻文様は、中心の不連続点(空白部分)で時代が別種のものへ飛躍する変異の記号として使われてきたものでもある。そして人々はそれを蟹座の象徴と呼んだのである。
現在のゲルマン&アングロ=サクソン文化(唯物論的機械崇拝文化)は上の絵を見ても分かるように、ある一定の頂点に達したら方向を東へ変えてしまう。そしてシュタイナーによるとロシア人と東アジア人が霊(精神)の文化の担い手になっていくということだ。第六文化期の2160年である。
そしてまた2160年たつと時代の主流は、海を渡ってアメリカ大陸へ移動するが、この第七文化はちょうどアトランティス時代の第七人種が「アトランティス時代に引導を渡した」ように、ユーラシア時代に引導を渡すことになる。
そうすると、天から「ご破算で願いましては」と掛け声がかかり、レムリア時代やアトランティス時代がそうであったように、海上に出て人類の活動場所を提供する大陸が入れ替わり、人類は新たな目標、時代精神のもとで精進させられる時代が来るというわけである。第七文化期が終る頃、地球の状況が根本的に変化するであろう。その変化は、アトランティス期から後アトランティスへの過程で生じた大変動に匹敵するものとなろう。(神秘学概論-文庫版P421)
もし現代人が第二次世界大戦の渦中に『幼女戦記』のように「転生」させられたら、どうだろう? その状況の悲惨さは今日どころの話ではない。だれもが「今は黙示録の時代に違いない」と嘆き、世界中のキリスト教徒たちが、現代のキリスト教徒たちのように「世界の滅亡は近い」と思ったはずである。そのはずなのだが、そういう「歴史の証言」を聞いたことがない。イスラエルが再興されていなかったからだろうか?当時の人々は「地球滅亡の心配なんぞ何のその、皆、やる気満々だった」。あの時代こそ今よりもずっと「死の象徴に満ちていた時代」だったし、現実にも人の大量死が現代の比ではなかった時代だった。
現代は「うっかり八兵衛商会」と「トム・ソーヤー商法」が人類の精神生活を牛耳っている時代だから(「現代人は互いに悪徳商人になる傾向を持っています」とシュタイナー)、すっかり精神がヤワになった今日の人類は大騒ぎをするのだ、と言うこともできそうだ。
ちなみにシュタイナーによれば、ヨハネの黙示録に言うところの「新エルサレム」というのは、さらに遠い未来の木星紀のことである(画像クリック)。
現在、われわれは第五根幹(根源)人種であり、おもな活動大陸はユーラシア大陸であった。アトランティス時代にも併存するその他の陸地があったのである。その時代において「もっとも意味ある大陸」がアトランティスだったので、アトランティス時代と呼び、七つの亜人種に分かれてさまざまな土地に併存していても、みんなまとめて「アトランティス人」と呼んだのである。
古い時代の神智学者たちは第五根幹人種をアーリア人と呼んだが、アーリア大陸なるものは存在しない。だからレムリア人やアトランティス人の用例に準じて、ブラヴァツキーはもとより、シュタイナー自身もそういう用語は用いなかったが、ここでは私流に大陸名で説明している。今のような人種の区別はいずれ消えていくことはシュタイナーも強調している話で、本来の意味で「人種の区別」に意味があったのは、アトランティス時代までである。
さて、上の表を見れば分かる通り、人類は第六根幹人種と第七根幹人種時代も経ていかなければならない。
遠い未来に海上に出現する、まだ見ぬ大陸の名前など当然分からないので「NO NAME」となっている。しかし未来の人類は「それ」をちゃんと「固有名詞」で呼ぶようになるのだろう。
気の遠くなる話である。
「人類が物質界でやるべきことをすべてやって、天使族として帰還できる時代」はまだまだずっと先の話なのだった。 -
今年の秋、人生で初めてユリに興味を持った。
不思議なことだと思う。臭気を放つクサギの生い茂る住人がいなくなった隣家の土地で、花のつぼみを三つみつけた。
その経緯については以前報告しているので、以下のリンク参照のこと。
10月7日(土)からの三連休は変だったけど、タカサゴユリでほっとする
ふたたびタカサゴユリ
つまり時間をあけて真ん中、右側、左側と順番に、三つのユリの花が開花していく様子を観察できる機会があり、最初に出会った一番左側のユリは私の家の床の間の花瓶の中で運命を全うした。しばらくしてその右側でもう一輪も開花した。その開花したユリの花もまた、舟形の水盤の剣山の中に納まってくれた。その花を摘んだのは、その日の前日、開花している姿を確認した後、いったん家の中に戻ったのだが、一夜明けて翌朝早くに、何かいたたまれないような気分を感じたので、「やっぱり摘んでおこう」と思い立ち、切り取って自宅へ迎え入れたのだった。摘み取って花を生けた後すぐに、隣家の庭で芝刈り機のような音が騒音を上げ始めた。「いたたまれない気分」を感じたのはこのことだったのかと思った。結局一番左側のユリはつぼみのまま、クサギほかその他の雑草と一緒に業者さんの手によって地上から消されてしまった。そのきれいになった裏庭を見て、ユリのつぼみのことを思い、人が亡くなってしまったような気分になった。
気分が落ち込んだのだが、同時にエドガー・ェイシーの水瓶座時代に関する発言にも連想が飛んだ。
ケイシーによると、来たる水瓶座時代は「ユリの時代」なのだそうだ。リーディングにおける英語表現は「the age of the lily」である。
それで日本語圏で「水瓶座 ユリの時代」という言葉を検索欄に入れたが、まったくヒットしなかった。
それではということで英語圏で検索すると、やっぱりたいしてヒットしない。ケイシーが「ユリの時代」に言及した記事がひとつ出ていた。あとジョー・コッカーの「the new age of the lily」という歌を見つけた。その歌詞の中に「ウイリー・リリー」という人物が出てきて、調べると17世紀に活躍したウイリアム・リリーという有名なイギリスの占星術師であることが分かった。ということは、「the new age of the lily」は、やはり占星術関連の書物か何かに載っていたエピソードからとって来られた表現なんだろうか?
じゃあ「水瓶座時代はユリの時代」という言葉はウイリアウム・リリー由来なのだろうか? それとももともとケイシー用語だったのだろうか、と思ったがまだ結論は出ていない。
ユリがキリスト教絵画のモチーフとして使われていることも同時に知った。
聖母に関係してユリのモチーフが描かれているのが一つ目(手前の花瓶に一本の茎から咲いた三つのユリの花のイメージが見える)。The Lily & Sword in the Last Judgment(最後の審判の百合と剣)
※解説が興味深いので、日本語ページ化していない場合は、ご自分でGoole翻訳などでご覧ください。
右にユリの花を左に剣を咥えたキリストのイメージが描かれてるのを見て、キリストとユリが関連付けられていることを知ったのだった。
そして当然最近話題にした「三つのユリの花体験」にも連想が戻っていくのだった。
最後に、「ユリの時代」に関するエドガー・ケイシーのリーディングも紹介しておこう。
質問 肉体的、精神的、霊的な発達に関して、水瓶座の時代は人類にどのような意味を持っているのでしょうか。また、水瓶座の時代が〈ユリの時代〉と名づけられている理由は?回答 このようなことが一言で答えられると、あなたは思っているのか。これらは成長である。その成長とは何を意味しているのか。魚座時代の中央で、人の中にインマヌエル、あるいは神の降誕があった。わかるか。それは何を意味していたのか。そのことが、今度は創造力との関係に繋がり、あるいはそれに目覚め、物質界の中に活用する能力が完全に開かれることを意味するようになる。
だが、このような目覚めがアトランティス、レムリア、ムーの時代のその時期に何をもたらしたであろうか。人類への破壊であり、そこから利己主義を通しての旅が人類に必要となってきたのである。
今後これらのことがどうなるかについて言えば、今言ったことを受け入れる者だけが、周囲に展開されつつあることの何たるかに気づくであろう。互いに同一の振動数の力を持ち合いながらも、一方から他方へ影響するその振動力に気づく人の何と少ないことか。それでもなお、あなた方は、心と体と経験の中に水瓶座の時代が何をもたらすのかと、問うのだろうか。
質問 みずがめ座の時代を〈ユリの時代〉とおっしゃったのはどうしてですか。
回答 純粋さである。その時代が表す純粋さだけが、その道を求める人々の前に置かれたあの目覚めの意味を理解できるのである。(1602-3)
日本語のテッポウユリという名前は物騒だが(ちなみに英語名はEaster lily:復活祭のユリ)、タカサゴユリは「高砂や~この浦舟に帆を上げて」のタカサゴを連想して、おだやかな感じでいいじゃないですか。