"お薦めアーティスト"カテゴリーの記事一覧
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前回、Tale of usの相方のanymaの野外ライブについて書いたけど、彼らはベルギーにある、世界的に有名なTomorrowlandと呼ばれる場所でも頻繁にライブ活動をしているようだ。
いろんなEDM系アーティストがこの会場を使っているようだけど、その演出のド派手なことといったら、まさに「一夜の夢の世界」を演出して観客の目の前に出現させてる感じだ。以下はその例として示してみた。
最初にこういう画像に触れたとき(特に二枚目)、私はアニメ「マクロスプラス」のなかのAI歌手のド派手な野外ライブ風景を連想してしまった。
マクロスの足元に設けられた野外ステージでAIボーカリスト、シャロン・アップルが空中を舞いながら歌うシーンだ。
この作品が作られたのは1994年のことだから、派手な演出が今日Tomorrowlanndのような場所で現実化される前にすでに「アニメ制作陣の内部イメージ」のなかで、意識化されていたことになるね。
右側のイメージがマクロスプラスのものだけど(クリックで拡大)、私には二重の外構の中に塔のように立っているマクロスと左の塔のイメージが重なって見えた。
サーチライトの演出は最初に掲げた写真と重なってしまう。
おまけにマクロスプラスにはこういうイメージも出てくる(新居昭乃の歌う名曲「wanna be an angel」は、OVA4巻シリーズを後に劇場映画としてまとめたとき、新たに追加されたものなので、この歌を目当てにマクロスプラスを探す人は間違えないようにしてください)。
前回紹介したanymaのなかにも似たイメージを一部使っていた場面があった。
マクロス・シリーズは私の大好きなアニメ・シリーズだけど、マクロスプラスのなかでは「ひとつのテーマ」として十分にその意味を深めずに、男女の三角関係(マクロスの定番設定)の「補助線」として使われていたAI歌手の自立暴走問題は、21世紀の今日の問題としては、むしろ「三角関係」よりも、より「印象に残るテーマ」となっているように思う。
野外ライブシーンにおいても、1994~1995年の当時においては、制作側の空想にすぎなかった「彼らの心の中、精神界にあったイメージ」が、今日では現実として「地上に引き下ろされている」・・・・・。
30年前のアニメのイメージが今日のヨーロッパの野外ライブ風景と結びつき、結果として「不思議なものを見せられたなあ」という感覚にもなろうというものだ。
ヒプノティック(催眠術的)野外イベント演出の嚆矢として、かつてはよくやり玉にあげられたナチスの党大会の風景なんてものは、もはや、今日ではどこかにふっ飛んでしまうほどの盛り上がりを見せているのが、一か所に集められた万単位の人間たちを虜にするTomorrowlandのフェスティバルだった。以下はナチスの党大会風景。
※ネットから取ってきた写真をカラー化してます。PR -
トランスとかハウス・ミュージック、あるいはEDMとか、いろんな言葉が流通してるけど、要するにデジタル系の音楽、とくに四つ打ち系に、私は、あまり関心を向けなかったこともあり、全体像はよくわからない。
昔ユーロビートという言葉が日本で流通していたように基本トランス系四つ打ち音楽はヨーロッパ系なんだろうかとも推察する。
自分は数千数万単位の人間が一か所に集合するような場所には行きたくないので、もっぱらYouTubeなんぞでその様子を「観察」するくらいのことしかやれない。
今回言及するanymaというミュージシャンも、やっぱりYouTubeで出会った人物だった。
最近のAI議論の盛り上がりとか、トランスヒューマニズム、あるいはムーンショット計画とか、そうい議論の盛り上がを背景に、anymaが野外ライブで「CGで作った機械のような人間イメージ」を前面に打ち出しているのも、意外なことではない。
これまでよく知らなかったのだけど、最近の音楽のライブは日本においてもLEDパネルをくみ上げて巨大なスクリーンに映像を映すようなことが普通になっているようなのだ。
初めてこの巨大なスクリーンに映る機械のような人間イメージを見たときはびっくりした(特に連続する「壁ドン」シーン)。
「わ、おもしろいなあ」と思ったので、いろいろと、ほかのanyma関連の動画を見始めたが、会場では撮影許可されているのか、観客が皆スマホを持ち上げて体を縦揺れさせながら録画している姿を見て「あ、今までオレが知らなかったコンサート会場の姿だ」と思った。つまり「異様だ」と思ったのだった。
他の曲では、男のイメージや女のイメージが同じようなロボット像で描かれる(以下はフルバージョン)。
YouTubeで最初に出会った、けれん味たっぷりの「壁ドン」映像(「仕掛け」)には圧倒されたけれど、男女のロボットイメージが流れるシーンでは、正直「美的像」としては「いつまでも眺めていたい」とは思えなかった。
そういう感覚を覚えるのは、私だけじゃないだろう。人間一般の審美眼というものは、絶えず対象に向けて本能的に共感と反感を感じているものだし。
けれどセイレーン像を見たときは、魅了されてしまい、今でもときどき見に戻ってくる。
YouTubeではsyrenと表記しているけれど、このつづりだと辞書的には「空襲警報」なんかで言うところのサイレンだ。
日本人がギリシャ神話の訳語として長く使ってきたセイレーンは、英語ではsirenとつづるけど、、発音はやはりサイレンなので、英語話者の中ではすでに混同が起きているということだろうか。
私の地元ではダムの放流を知らせるときに「ウ~ウ~」と大音量の警報が流される。サイレンの音は人の心を不安にさせる。「〈サイレン〉(警報)のような歌声を聴いて、それに魅了されて海に引きずり込まれる船員」という者がいたとしたなら、〈相当な倒錯的趣味人〉だろう。
wikipediaによると、anymaという名前で活動している人物の名をMatteo Milleriといい、本来はTale of usという二人組の男性ユニットで活動してきた人物(もう一方の名前がCarmine Conte)で、それぞれ米国とカナダ生まれ、その後イタリアに移住して活動を始め、現在はドイツを拠点にしているそうだ。やっぱりヨーロッパ系であった。Tale of usが所属している(というか、彼らが立ち上げた)レーベルの名をafterlifeという。「あの世」と名乗る「会社」であった。
審美眼的には、頭がツルツルの男女のロボット像よりも、このセイレーン像の方がずっと好みだ(ただしヘルレイザーのピンヘッド像なら大歓迎だ)。
(ピンを抜くとこうなる)
このセイレーン像が、もし、フィギュアになって(まあないだろーが)売り出されるというのなら、手に入れたいなあと思っている。 -
ということで、今年も残すところあと一日になってしまった。
昔は「私の好きなアニソン集」なども投稿していたけど、最近はやってなかったなあ。
なので今年も含めてちょっと遡って、今でも強い印象が薄まることのない「忘れられない名曲」も前振りとして紹介しておこう。
まず1曲目は「骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中」のED、DIALOGUE+の「僕らが愚かだなんて誰が言った」
当時アマゾン・プライムで視聴して、評価投稿とか読んでたら、このEDをめちゃくちゃけなしている投稿があって、「?????」感覚でいっぱいになった。アニメ自体は評価してたので、アイドルグループの歌なので「そっち系の恨み」みたいなアンチの投稿なのかと思ったが、「自分の口に合わないのなら、黙っていればいいだけの話」なんだよねえ。
コーヒーが苦くてまずいと感じる人はたくさんいるけど、「別の感受」をする人たちもいるから、コーヒーの苦手な人は「わざわざ大声上げてコーヒーをけなしにSNSに出かけたりしない」よねえ。
飲み物や食べ物についてはSNSでも比較的そういう「常識感覚」を発揮して、「自分の嫌いなもの」について「人前で事挙げしないで黙っていることができるという美徳」を体現できている人々も、別の分野では「自制感覚」が働かないようだけど、これだって未来には、変容していくんだろうねえ(参考 岡田斗司夫=ホワイト社会&ルドルフ・シュタイナー=弥勒菩薩論)。
さて、アニメのOPやEDは1分30秒に編集されてしまうので、フルで聴くなら以下。
この骸骨騎士様アニメのEDに触れて、再び連想が及んだのが、「アサシンズプライド」のOP、Run Girlas,Run!「shere the light」だった。
それでYouTubeで探して聴き直してみたら、やっぱりDIALOGUE+の曲と同じようなバイブレーションを感じる名曲だった。
フルバージョンは以下。
さて、23年秋のアニメの私の一押しは、「七つの大罪 黙示録の四騎士」のOP、Little Glee Monsterの「UP TO ME!」だ。
そして同じアニメのED Moonchildの「Friends Are for」
この2曲を聴いたら「ハンソン」を思い出したので、探してみた(今や皆成人して三人ともひげ面のおっさんになってる。そりゃあ「かわいい男の子時代」はあっという間に過ぎ去っていくからなあ)。
やっぱ似ているバイブレーションだよなあ。(あと、フィンガー5とかジャクソン5とか?)
ちなみに米国には同じMOONCHILDって名のR&Bバンドがいて、実は私は彼らのファンなのだが、結局彼らを紹介するタイミングを逃して今日まで来てしまったので、ここでお薦めしておく。
最後に挙げたいのが「帰還者の魔法は特別です」のED、ももすももす「6を撫でる」
「君しかいないと思っていたよ、君しかいないと思っていたよ」のフレーズは強烈だなあ。
「23年秋のアニソンは名曲ぞろい」なので、ほかにも言及したい曲がいっぱいあるんだけど、これ以上やるとページが重くなっちゃうので、今回はこのあたりではしょりたいと思う。
P.S.
最近ずっと投稿してなかったけど、何をしていたかというと、「今日も始められなかったパソコンミュージック・ソフト」(CAKEWALK)をまたまた取り出してシュガーベイブの「downtown」のドラムの打ち込みとかそれに合わせる楽器の練習とかしてたのだった。打ち込みのドラム以外はMIDIじゃなくて、「手動」で楽器を操ってオーディオ録音で重ねていく予定。
20代の時にカセットテープ式の4トラックのMTRで作ったやり方と同じだけど、この時代のものをYouTubeにおけるGoogle式商売が始まる以前の時代に投稿してたんだが、Google式になったのを機に削除してしまった(今検索してみると、わー、たくさんdowntownのカバーから奏法紹介まで、いろいろとYouTubeに上がってる。今はそういう時代なんだなあ)。
ということで、今回、XP時代のDTMソフトを多重録音機材として使ってる。まあ、仕上がりは20代のものを超えられないだろうなあ(もはや声がでねえ)。 -
YouTubeでOTYKENを知ってもうずいぶんになるけど、このバンドをどのように扱っていいのかわからなくて、長らく自分だけのお気に入りとして、定期的に視聴してきた。
私が初めてOTYKENに出会ったのが、GENESISという曲だった。
一体、なにもの?
なんか衣装とか見るとアイヌ的雰囲気もある、遠い昔には彼らとも関連のある(枝分かれした)北方モンゴル系? でも騎馬民族(朝青龍)系とも違うよなあと感じた。
「おー、あれって精霊の仮面をかぶっているのか?、ビジュアルもカッケーなあ」と思ったのだった(おそらく彼がアンドレイ・メドノス?)。
というのが最初の感想で、しかもこの「民族言語で歌われる奇妙な曲」は、最後まで聴かせてしまう不思議な魅力に溢れていたので、続いて、次をポチりたいと思ってしまったのだった。
それが以下のLEGENDという曲だった。
いよいよ、「こいつあただならぬバンドじゃん」と思って、例によって検索開始。当然、まずは日本国内の認知状況から入ったわけだが、ほとんど情報がない。
それで英語圏のwikipediaに飛んだら、ちゃんと記事があった。
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オティケンのメンバーはチュリム族、ケト族、ハカス族、ドルガン族、セルクプ族であり、これらの民族はアイヌやアメリカ先住民と関連している可能性があります。メンバーは全員、パセチノエ村近くの小さな集落出身の地元の人材です。そこでは医薬品や電気へのアクセスが難しく、食料は漁業、狩猟、採餌、農業、養蜂を通じて地元で得られています。 その結果、グループのメンバーは、特にコンサートが中止になる夏の間、地域で働き、家族を助けるなど、バンドの外でも多忙な生活を続けています。グループの主なメンバーは約 10 人ですが、各人の空き状況に応じて、コンサートに参加する人は少なくなる傾向があります。出演者の中には(アハを除いて)専門的に音楽の訓練を受けた者はいなかったが、シベリア先住民の多くは家庭で民謡や楽器を演奏する習慣があり、音楽の才能を持っている。
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彼女たちは国籍的にはロシア人で、民族的には北方シベリア人の少数民族に属しているということだ。
日本のJ-POPのようにAメロBメロサビの永久運動みたいな古びた定型とは無縁の「構成的にもユニークな無国籍感タップリの音楽」を民族的土台から再構築して演奏している。日本でこういうアプローチに成功していると思えるものは少ない。劇場版「攻殻機動隊」のテーマくらいだろうか。ロシア語ではなく民族言語を使って歌われているとはいえ、彼女たちがやっているのは「伝統音楽」ではまったくない、ということも言っておきたい。
世界の音楽潮流にとってのオルタナ的展開である。
彼女たちの活動が、アメリカ先住民の多くがシベリア系民族の音楽をよく聴きに来ていたことから(彼らに民族音楽を聴いてもらう)始まったことを思えば、今回の最新バージョンのGENESISのヴィジュアルがネイティヴ・アメリカン様式になったのも、奇妙なことではない。
詳しくはウィキペディアの記事を参照してもらいたいが、彼女たちが世に出たのは、彼女たちの村と家業の養蜂業を通じて知り合いになったアンドレイ・メドノス(白人系、奥さんがチュリム族)が後押しをしてくれたからだった。
この絵を見て、日本の「今どきの女子がコスプレしてる」感じをも受けちゃう、奇妙な視聴体験時間だった。たまたま今日の夕方、彼女たちの最新の更新動画を見たせいで、やっと記事の投稿をする気になったのだった(OTYKENについて書きたいとずっと思っていたので、今回達成できてよかった)。
アイヌについて政治的に語ることが好きな人(アイヌ利権側も批判側も)はここではほっておきたい。戦前金田一京助博士は、鈴鹿山脈以北にはアイヌの足跡が残っていると語っていたが、最近の政治的アイヌ論争では、金田一博士の言葉が引用された場面に出会ったことがない。
日本列島の南方と北方は入れ墨文化があって、その間に別の文化を持った種族が入ってきたようだ。古事記ではボディーガードの隼人族が目の周りに入れ墨をしているの見て、姫が驚いて「それは何なの?」と尋ねたというエピソードが出てくる。南方の諸島人たちは明治期まで女性も入れ墨をする文化があった。西郷さんが島流しされていたときの島女房の女性も入れ墨の入っている人で、薩摩人の文化とは異なっていた。
かつて暴走族の総長で、のちに役者として活躍することになる宇梶剛士はアイヌの血を受け継いでいる。私は彼の名字を聴いたとき、すぐに古事記に登場する兄弟の名前を連想した。
エウカシとオトウカシ
である。兄のウカシと弟のウカシ、という意味である。
だから、「ああ、宇梶さんて古事記にも登場してくるキャラの子孫なんだろうか」と思ったものである。まあ、これはあてにならない憶測である。
単に民族音楽ではなく、それを踏まえて他の音楽要素も取り入れる、そして「まったくの先祖文化に戻るのではなく、今の時流を超えて新生する活動」こそがオルタナであるのだよ。だから、これから生まれて来るものは「これまでになかった何か」でなければならない。
ということで、月最低2回は更新すると言っておきながら、さぼっていた更新をなんとか月の最終日にクリアできてよかったですよ。
P.S.
大昔「こころの旅 神ありて我あり 我ありて神あり」という題名のNHK番組があったのを思い出す。アイヌの芸能一家のドキュメンタリーだった。そういやあすこに出てきた女子たちもOTYKENと同じような髪の伸ばし方をしていたなあ。(ということで調べてみたら2001年11月4日にNHK教育で放送された番組だった。なんと22年前。VHSビデオに録画したものをDVDに焼き直して保存してた。改めて見直したけど、やっぱいいわ。)
近年、アイヌの音楽で話題になったものと言えば、Netflix版のドラマシリーズ『呪怨』のエンディングテーマとして使われたsonkaynoがあるね。
Sonkayno / MAREWREW
南方諸島系のおすすめ
朝崎郁恵 おぼくり~ええうみ
P.S.
1:40前後から出てくる縄というかロープをくるくる回しながら太鼓をたたく
シーンがすごくかっこいいねえ。エスニック四つ打ちミュージック。 -
前回の投稿で、「お薦めアーティスト」系記事がさらに続くような書き方になっていた手前、そういう約束はちゃんと果たしておかないとダメだろうと思ったので、あともう一本記事を投稿しておきたい。
YouTubeにおけるインデー系アーティストたちのプレイリスト紹介のなかで、「選者のセンス」と「自分の趣味」が一致すると最高の新曲体験が味わえるという趣旨のことを書いた。
数々の選集ページの中で私がもっともお気に入りの楽曲選集ページはMusic like Men I Trust | Similar Artists Playlistに集められた楽曲集だった。
Men I Trustというバンドに似た楽曲集というテーマで集められた52曲だが、ほんと「選者さん」はいい曲を集めてくれたなあと思う。
思い出すと、エマニュエル・プルクスがボーカリストとして定着した以降のMen I Trustとか、スペイン語系のルーツを大事にしているThe Maríasとか、70年代のラジオ番組を聴いてるかのような感情を湧き出させるStrawberry Guyとか、Japanese BreakfastとかJakob Ogawaとか、ほか(and more)にも「調査意欲を沸き立たせたアーティストたち」が目白押しだった。
Men I Trust自体はOncle JazzというYouTubeページを偶然試しにクリックして知り、そこから似た楽曲のプレイリストということで今回の言及記事となった。
とはいえ、Xinxinみたいに「気合を入れて記事を書く=布教活動にいそしむ」よりも「結局自分が楽しんでいれば、それいいじゃん」とも思うが、「偶然の接触」こそ最強の出会い衝動の行使でもあるので、その行使が「誰か」にとっては別の局面において小さなお役にたってくれるかもしれないとも思っている。
さてここまで前振りをしておきながら、結局、名前を挙げたアーティストたちの深堀記事は今回書かないのだった(なんだ、それ?)。
今回紹介したいアーティストは、別のプレイリストで出会ったバンドだった。その名を「Night Tapes」と言う。
bandcampの紹介文はこのように書いてある。
Night Tapes started out as evening jams between housemates Max Doohan, Sam Richards and Iiris Vesik in London.
Night Tapes は、ロンドンでハウスメイトのマックス・ドゥーハン、サム・リチャーズ、アイリス・ヴェシクによる夜のジャムセッションとして始まりました。
前回紹介したXinxinは米国の西海岸側出身のバンドだったが、Night Tapesはロンドン出身のバンドだ。
彼らもXinxin同様に発表曲が極端に少ない。物販品としてビニール系、つまりレコードかカセットテープを作っている。CDは作らず、デジタル配信はさまざまな場所を通じて行っているようだ。
英語圏の検索機能を使ってNight Tapesのディスコグラフィーを調べてみたが、一番古いのがカセットテープとして発売された2019年発表の「Dream Forever In Glorious Stereo」で、実は「 Dream」 「Forever」「 In Glorious Stereo」という3曲を並べて、カセット版のタイトルにしていただけの話だった。
発表曲は次の順番だ。
「Dream Forever In Glorious Stereo」(2019) 3曲入り
「Download Spirit」(2020) 5曲入り
「Forever Dream Kids」(2021) 「Download Spirit」からのシングルカットとしてA面「Forever Dream Kids」B面「Forever」
「Perfect Kindness」(2023) 6曲入り
つまり彼らの既存曲は、3曲+5曲+6曲=14曲で、2019年を活動開始の年として数えると、すでにキャリアは5年ほどになるが、公式にNight Tapesとして公開された楽曲は14曲しかないということだ。
けれども内容はすばらしい。Men I trustの初期メンバーは男たちで結成されたので、初期の楽曲には男性ボーカルものもあるし、複数の女性ボーカリストを招いてアルバムを作っているが、Men I Trustが本当の魅力を発揮し出すのは、エマニュエル・プルクスが正式の女性メンバーとしてボーカルを引き受けるようになって以降に発表されたアルバム群からである。
同じようにNight Tapesにおいても初期(記念すべき第1曲目)は男性メンバーの声メインの楽曲も出しているが、やはりこのバンドはアイリス・ヴェシクの個性的なきんきら声あってのバンドなのだ。
私が小学生の昭和時代、「まこち、Mさんは、はよ、しね、はよしねち、きんきら声でおらんじかいよー」などと母がその日あったことなどを語っていた時代があった。私は一学年下の近所の遊びともだちのお母さんたる、Mさんを知っていたので(当ブログ「怪異な出来事」記事において灰色の背広男に追いかけられたときに私が逃げ込んだ家の敷地こそ彼女の家だった)、もちろん具体的に脳内でMさんの顔を思い浮かべ、きんきら声を再生しながら母の話を聞いていたものだった。
ちなみに標準語現代語訳では「ほんと、Mさんは、早くして、早くして、と言って、キンキンする声で叫ぶんだからねー」くらいの意味である。
私がYouTubeで最初に出合ったNight Tapesの楽曲が「Silent Song」という曲だった。他の音楽愛好家なら「ああ、〇〇っぽいね」と連想(過去体験との比較思考)できた人もいるかもしれないが、私の狭い知識では「新しい音像体験」だった。
それで「これはおもしろいぞ」と、いつものように「調査」を始めたわけだ。そして他の楽曲にも複数触れて、「このバンドはすごくいいぞお」と確信した私は、今では彼らの数少ない楽曲を発表順に14曲並べてヘビーローテーションで聴いている日々である。2023年の今年発表された「Perfect Kindness」は特に最高の出来だと思う。
ボーカルの声質に触れれば、アイリス・ヴェシクの歌声を聴くと、往年のケイト・ブッシュの声に連想が飛ぶ人もたくさんいるだろう。
ケイト・ブッシュを知らない若い人たちにとってはNetflixの「ストレンジャー・シングス」で引用されて話題にされた楽曲(Running Up That Hill)がケイト・ブッシュのものだったと言えば、「あ、なんかそんな記事読んだ記憶があるな」という人もいるかもしれない。
ケイト・ブッシュのような声質は、私の地元では古くから「きんきら声」と呼んで区別している。日常会話において、こんな声でまくしたてられたら、さぞ大変だろう。特に旦那になった人は夫婦喧嘩なんぞ絶対したくないと思うはずである。
けれども、近代芸術の世界においては、強烈な個性を持った声こそ武器である。クラッシックの声楽(あるいは日本の能などの芸能における発声もそうだ)が一定の型に沿って皆似たような響きになるように寄せていく訓練をほどこされるのに対して、販売を目的に作られている「現代のポピュラー音楽」においては誰かの声に似ている(というか、印象に残るような特徴がない)と感じられることはマイナス点でしかない。
だからこそ現代において「個性的な声質」をもって生まれてきた人は祝福された人である。洋画やドラマの吹き替えやアニメの仕事をする声優さんたちの声質の差異や個性に対して、長年に渡り、強い関心を持ちつつ視聴者として接してきた日本人にとって、戦後に新たに発展したこの独特のセンスは、近代以前から続く、詫び寂びを肯定的に感じる感覚や虫の声を雑音ではなく音楽的に聴いたりできる感覚同様、他国では生まれてこなかった感覚であった。だから声の個性に対する独特の関心もまた、日本でこそ生じた新しい何かであって、他国的ではないものだった。
そしてそういう感性があったればこそ「日本にしかない声優業」という仕事も「価値」を持ち、業種として成立できている。日本人という人々は「声の個性の価値」を世界中でもっともよく理解できる人々でもあるのだった。
とはいえ、一方では、最近の邦楽ミュージシャンたちの「声の個性は弱い」と感じる。
バンドで歌を売って成功したかったら、「宝(個性的な声質)を持っているボーカリストをまず探せ」と、日本でインディー活動をしたいと思っている人々には言いたい。
ということで、最後はNight Tapesとは直接関係のない話になってしまったけど、「Night Tapesいいじゃん」と思ってくれるリスナーが少しでも増えてくれれたら、幸いである。
p.s. ちなみに表題の「Silent Song」は「Perfect Kindness」所収の曲で、このアルバムの最後に出てくる曲だ。YouTube内に掲示している英語の歌詞を味わいつつ試聴してみるのも一興である。