2000年代以降、自分の中では、ついにJ-POPの位置づけがかつての歌謡曲VSニューミュージック(J-POP)からJ-POP VS something else に変わっていることに気が付く。
今の日本の音楽好きの一部は、90年代に全盛を極めたような「形式(モード)」の音楽に見向きもしなくなったんじゃないかと思う。つまり歌謡曲でもJ-POPでもないような音楽を「好んで聴く」ようになっているんじゃないかと思う。洋楽の受容においても、同じような状況だと思う。
でも、昭和の歌謡曲のオルタナティヴとして登場したのちにニューミュージックとよばれるような音楽は70年代にはまだ「一部の音楽好き」にしか関心を持たれていなかったはずだ。それまで円盤売り上げからいえば、この新カテゴリーの売り上げは微々たるものだったんじゃないかと思う。(昔大貫妙子がFMのスタジオライブでそんなことを言ってた記憶がある。5万枚売れたら大成功と認識されてた時代。)
そして80年代から歌謡曲をだんだんと駆逐していく時代が始まり、90年代に頂点に達した。そしてその後2000年以降は下りの坂道行程に突入し、音楽自体が「商品」として大衆の魅力を失う時代がやってきた。
ということで、日本の音楽環境を、なんか他人目線(=評論家目線)で一般化して書いている感じだけど、この感じは「自分の感覚そのもの」を評論めかして書いているだけで、要するに「今のメジャーレーベル系の音楽なんてもう飽きたんだよ」と言っているだけの話ではある。
自分の場合、ラジオで新譜を追っていたのは中高大時代の遠い昔、2000年前後の時期は、日本の音楽CDを買うことがまったくなくなっていた時期でもあったけど、ネットが登場し、深夜アニメが台頭し始めて、そのオープニング曲やエンディング曲を毎回聴かされる環境が登場してくると、新譜の知識はアニソンから、そしてネット上でインディーズサイトで無名のミュージシャンを探しているというような状況に陥ってしまった。挙句の果てにはアニメのサントラとインディーズ系CDの購入がメインになるという振る舞いをするようになった。
「ガサラキ」とか「ラーゼフォン」とかのサントラを買った。そういう当時のアニメに曲を提供しているアーティストのなかでもっとも自分のなかでヒットしたのが、新居昭乃だった。実は彼女は種ともこが歌う「ガサラキ」のエンディングテーマの作曲者だった。別のルート(別のアニメ作品の影響)で彼女のアルバムを聴くようになっていた私は、あとでその事実を知って、「あ、すでにオレは彼女の曲を聴いたことがあったんだ」と驚愕した。
坂本龍一や細野晴臣たちが民族音階やエレクトロ音楽、アンビエント音楽を始めたころは、真剣につきあってはこなかったが、その界隈の第二世代、第三世代が日本に登場するようになったころ、ネットのインディーズサイトでアンビエント・エレクトロニカ系の音楽を探して聴くようになり、その後Googleに買収された後のYouTubeでambient(アンビエント)系の音楽を検索して熱心に聴くようになった。
インディーズサイトで出会った忘れがたきアーティストといえば、昔ここでも紹介したことがあるマトリョーシカ(matryoshka)を一つ上げたい。(以下「Monotonous Purgatory」、自分流に訳せば「単調な煉獄」あるいは「単調な死後の世界」くらいのものだろうか。)
以下この曲が入ってるアルアムのURL
新居昭乃については、昔「ブルガリアン・ボイス」関連でこのブログでも言及したことがあった。(以下、「wanna be an angel」(「天使になりたい」)
この曲はアニメ「マクロス・プラス」の劇中歌として書かれたものだ。曲名は英語なのに、歌詞は菅野よう子の作った人工言語で、地上に存在したことがない言語なのだからある意味菅野よう子のインスピレーションに降りた「天使語」と考えてもいいよね。歌を歌っているのが新居昭乃で、彼女自身すばらしい作曲家なんだが、この曲は作詞も作曲も菅野よう子がやっている。
YouTubeの「秘教学徒」では「人間天使シリーズ」を最後に天使論関連のアップロードをやめてるけど、あすこで語ったのは 「あなたがたは再び天使の位階に回帰できる」という希望の福音だからねえ。地球の管理天使という本来の「人間天使」の位階から地上に転がり落ちたが、「再び九位階の先輩天使たちの仲間に加わって天使となることができる」という話だからねえ。
Wanna be an angel?(天使になりたい、だって?)
もちろん、なれるよ、という回答が、まだ西洋の一般的なキリスト教徒たちには「意識化」できないでいるけれども、シュタイナーのキリスト論の中には含まれている、って話だった。
新居昭乃の曲は今でも時々聴いている。
アニソン系で「wanna be an angel」以外のオススメは、
アニメ「KURAU」(クラウ)のOPだった「懐かしい宇宙」
アニメ「東京アンダーグラウンド」のEDだった「覚醒都市」
アニメ「NOIR」(ノアール)のEDだった「きれいな感情」
などなど。あと大昔、YouTubeで銀魂のMAD(定春が巨大化するエピソードと曲をドッキング)で初めて聴いた記憶がある「ガレキの楽園」これもいいよね。(もはや見られなくなってるのが残念だ。)
さて、これまでYouTubeでいろいろとアンビエント系の曲を試しにポチって聴いてきた。その中でYAGYAの「sleepygirls」が気に入ったのだった。このアイスランド出身のアーティストのアルバムにおいて、日本人の女性歌手がボーカルで2曲参加しており、日本語の歌で「眠りの向こう側」という不思議な歌詞を歌っているのに出会って、その声と歌詞の不思議さに関心がわいたのだった。
彼女は名前を柳本奈都子といい、本来、rimaconaという二人組の音楽ユニットでボーカルを担当した人だった。どういう縁で録音に参加したのかはネットにも出てこない。ウィキペディアの日本語サイトにはyagyaの情報も載っていないので困った。「sleepygirls」の4曲目を聴いていたら「眠りの向こう側」という日本語が飛び出してきて驚き、しかも、どこかでなんか聞いたことがあるような歌詞だと思ったのだった。それはシュタイナーが語った「記憶の向こう側へ行く」(引用元「シュタイナーの死者の書」)という表現だったことを思い出した。「眠りの向こう側」ってどんな世界なんだろう?
それで、「ああ、やっぱオレはこういう覚醒と眠りの間をさまようような感覚にしてくれる曲も好きなんだな」ということを自覚するようになった。
だからchouchouに出会ったときも、雰囲気「マトリョーシカに似てね?」という反応ではなく、「やったー。こんなに大量にこの手の音楽浴ができるなんて、チョウチョウって最高じゃん」と思ってしまったのだった。ほんとはチョウチョウ(ローマ字読み)じゃなくてフランス語発音でシュシュ(日本では髪留めの呼び名だが、本来は「お気に入り」らしい)と読むということを後から検索で知ったのだった。(以下、「voyager」)
Farewell,Astronauts(chouchou)
紹介したアルバムは、比較的最近のものだが、ほかにも日本語や英語で歌われる曲が混在したアルバムをいくつか出している。日本語歌詞の場合、印象がJ-POP寄りになって聴こえる感じがする。
例えば、その代表例としてanemoneを聴いてみよう。
ALEXANDRITE(chouchou)
Farewell, Astronauts内での歌い声と印象が変わってしまう。でも名曲だよね。「エウレカセブン」の劇場映画に「ANEMONE」ってのがあって、chouchouのanemoneがエウレカセブンのアネモネに連結してしまった。
映画では坂本龍一の往年の名曲「Ballet Mécanique」(坂本龍一が担当日のNHKFM サウンドストリートのテーマだったよな)を、やくしまるえつこがカバーしていたけど、私は思わず、YouTubeに公開されている映画のトレイラー映像に坂本龍一バージョンではなくて、chouchouバージョンのanemoneを重ねて聴いてしまった。これはこれですごくいいじゃんと思ってしまった。(なので自宅で楽しむMAD動画みたいなものをAviUtlで作って遊ぼうかなとかも思っている)
自分が今のところ聴いたアルバムは以下。
INSOMNIA chouchou(2009)
NARCOLEPSY chouchou(2009)
VINCULUM chouchou(2010)
ALEXANDRITE chouchou(2015)
Night and Wanderer chouchou(2017)
Farewell,Astronauts chouchou(2019)
こういう幽界系の音楽も好んで聴けるという人にはお勧め。
P.S. 本記事投稿時の最新アルバムが去年の12月にでたばかりの「最果(さいはて)のダリア」
最果のダリア chouchou(2021)
「world's end」って言えば「世界の終わり」って訳語と「最果て」という訳語が出てくるけど、私のお気に入りで以前当ブログでちらっと言及したworld's end girlfriendのことを「世界の終末に直面している彼女」という意味では受け入れがたいと思ったので、自分では勝手に「最果ての彼女」と語呂がいい感じになるように訳していた。「最果てのパラディン」なんてアニメも最近見たし、「最果て=world's end」って言葉は、もしかして、ある界隈では関心語になってるのかな?
「最果のダリア」の前のアルバム「Farewell,Astronauts」の2曲目に「world's end lullaby」(最果の子守歌)ってのが入ってるから、そこをブリッジにして、今回のアルアムの題名に接続してるってことかな。
アニメ「ガンゲイル・オンライン」が好きで、さらには主人公レン(楠木ともり)が歌うED「to see the future」が好きで、「私の好きなアニソン・コーナー」(ずっとやってないけど)でいつか紹介したいと思っていたら、chouchouの「最果のダリア」所収の楽曲を楠木ともりに提供したという情報を得て、「いやあ、ほんといろいろつながっていくよなあ」としみじみとうれしく思ったところですよ。
今の日本の音楽好きの一部は、90年代に全盛を極めたような「形式(モード)」の音楽に見向きもしなくなったんじゃないかと思う。つまり歌謡曲でもJ-POPでもないような音楽を「好んで聴く」ようになっているんじゃないかと思う。洋楽の受容においても、同じような状況だと思う。
でも、昭和の歌謡曲のオルタナティヴとして登場したのちにニューミュージックとよばれるような音楽は70年代にはまだ「一部の音楽好き」にしか関心を持たれていなかったはずだ。それまで円盤売り上げからいえば、この新カテゴリーの売り上げは微々たるものだったんじゃないかと思う。(昔大貫妙子がFMのスタジオライブでそんなことを言ってた記憶がある。5万枚売れたら大成功と認識されてた時代。)
そして80年代から歌謡曲をだんだんと駆逐していく時代が始まり、90年代に頂点に達した。そしてその後2000年以降は下りの坂道行程に突入し、音楽自体が「商品」として大衆の魅力を失う時代がやってきた。
ということで、日本の音楽環境を、なんか他人目線(=評論家目線)で一般化して書いている感じだけど、この感じは「自分の感覚そのもの」を評論めかして書いているだけで、要するに「今のメジャーレーベル系の音楽なんてもう飽きたんだよ」と言っているだけの話ではある。
自分の場合、ラジオで新譜を追っていたのは中高大時代の遠い昔、2000年前後の時期は、日本の音楽CDを買うことがまったくなくなっていた時期でもあったけど、ネットが登場し、深夜アニメが台頭し始めて、そのオープニング曲やエンディング曲を毎回聴かされる環境が登場してくると、新譜の知識はアニソンから、そしてネット上でインディーズサイトで無名のミュージシャンを探しているというような状況に陥ってしまった。挙句の果てにはアニメのサントラとインディーズ系CDの購入がメインになるという振る舞いをするようになった。
「ガサラキ」とか「ラーゼフォン」とかのサントラを買った。そういう当時のアニメに曲を提供しているアーティストのなかでもっとも自分のなかでヒットしたのが、新居昭乃だった。実は彼女は種ともこが歌う「ガサラキ」のエンディングテーマの作曲者だった。別のルート(別のアニメ作品の影響)で彼女のアルバムを聴くようになっていた私は、あとでその事実を知って、「あ、すでにオレは彼女の曲を聴いたことがあったんだ」と驚愕した。
坂本龍一や細野晴臣たちが民族音階やエレクトロ音楽、アンビエント音楽を始めたころは、真剣につきあってはこなかったが、その界隈の第二世代、第三世代が日本に登場するようになったころ、ネットのインディーズサイトでアンビエント・エレクトロニカ系の音楽を探して聴くようになり、その後Googleに買収された後のYouTubeでambient(アンビエント)系の音楽を検索して熱心に聴くようになった。
インディーズサイトで出会った忘れがたきアーティストといえば、昔ここでも紹介したことがあるマトリョーシカ(matryoshka)を一つ上げたい。(以下「Monotonous Purgatory」、自分流に訳せば「単調な煉獄」あるいは「単調な死後の世界」くらいのものだろうか。)
以下この曲が入ってるアルアムのURL
Laideronnette(matryoshka)
最近注目したバーバパパの動画は諧謔と恐怖の併存が特徴的だったけど、せっかくなので、今回の幽界系音楽とは、ちょっとズレてしまうけど、Monotonous Purgatory動画の仲間に入れておきたい動画を以下二つだけ紹介しておこう。(以下「endless summer vampillia」)
森田童子の「マザースカイ」の世界は幻想文学してると思うけど、こういうvampillia的な幻想的な動画と相性がいいと思うんだが。例えばアルバム所収の「伝書鳩」なんぞは、自分には空中に飛んで自殺をしようとする少年(もとの意図はまったくそういう話じゃないのだろうが)を想起させる恐ろしい歌に感じる。「a boy」所収の「ふるえているネ」のアゲハ蝶イメージとかも、もろ幻想性マックスだよね。
(以下「lilac vampllia 戸川純」)
後年、「あれ、新居昭乃とマトリョーシカって、オレん中で、どこかつながってね?」と思っていた。最近注目したバーバパパの動画は諧謔と恐怖の併存が特徴的だったけど、せっかくなので、今回の幽界系音楽とは、ちょっとズレてしまうけど、Monotonous Purgatory動画の仲間に入れておきたい動画を以下二つだけ紹介しておこう。(以下「endless summer vampillia」)
森田童子の「マザースカイ」の世界は幻想文学してると思うけど、こういうvampillia的な幻想的な動画と相性がいいと思うんだが。例えばアルバム所収の「伝書鳩」なんぞは、自分には空中に飛んで自殺をしようとする少年(もとの意図はまったくそういう話じゃないのだろうが)を想起させる恐ろしい歌に感じる。「a boy」所収の「ふるえているネ」のアゲハ蝶イメージとかも、もろ幻想性マックスだよね。
(以下「lilac vampllia 戸川純」)
新居昭乃については、昔「ブルガリアン・ボイス」関連でこのブログでも言及したことがあった。(以下、「wanna be an angel」(「天使になりたい」)
この曲はアニメ「マクロス・プラス」の劇中歌として書かれたものだ。曲名は英語なのに、歌詞は菅野よう子の作った人工言語で、地上に存在したことがない言語なのだからある意味菅野よう子のインスピレーションに降りた「天使語」と考えてもいいよね。歌を歌っているのが新居昭乃で、彼女自身すばらしい作曲家なんだが、この曲は作詞も作曲も菅野よう子がやっている。
YouTubeの「秘教学徒」では「人間天使シリーズ」を最後に天使論関連のアップロードをやめてるけど、あすこで語ったのは 「あなたがたは再び天使の位階に回帰できる」という希望の福音だからねえ。地球の管理天使という本来の「人間天使」の位階から地上に転がり落ちたが、「再び九位階の先輩天使たちの仲間に加わって天使となることができる」という話だからねえ。
Wanna be an angel?(天使になりたい、だって?)
もちろん、なれるよ、という回答が、まだ西洋の一般的なキリスト教徒たちには「意識化」できないでいるけれども、シュタイナーのキリスト論の中には含まれている、って話だった。
新居昭乃の曲は今でも時々聴いている。
アニソン系で「wanna be an angel」以外のオススメは、
アニメ「KURAU」(クラウ)のOPだった「懐かしい宇宙」
アニメ「東京アンダーグラウンド」のEDだった「覚醒都市」
アニメ「NOIR」(ノアール)のEDだった「きれいな感情」
などなど。あと大昔、YouTubeで銀魂のMAD(定春が巨大化するエピソードと曲をドッキング)で初めて聴いた記憶がある「ガレキの楽園」これもいいよね。(もはや見られなくなってるのが残念だ。)
さて、これまでYouTubeでいろいろとアンビエント系の曲を試しにポチって聴いてきた。その中でYAGYAの「sleepygirls」が気に入ったのだった。このアイスランド出身のアーティストのアルバムにおいて、日本人の女性歌手がボーカルで2曲参加しており、日本語の歌で「眠りの向こう側」という不思議な歌詞を歌っているのに出会って、その声と歌詞の不思議さに関心がわいたのだった。
彼女は名前を柳本奈都子といい、本来、rimaconaという二人組の音楽ユニットでボーカルを担当した人だった。どういう縁で録音に参加したのかはネットにも出てこない。ウィキペディアの日本語サイトにはyagyaの情報も載っていないので困った。「sleepygirls」の4曲目を聴いていたら「眠りの向こう側」という日本語が飛び出してきて驚き、しかも、どこかでなんか聞いたことがあるような歌詞だと思ったのだった。それはシュタイナーが語った「記憶の向こう側へ行く」(引用元「シュタイナーの死者の書」)という表現だったことを思い出した。「眠りの向こう側」ってどんな世界なんだろう?
それで、「ああ、やっぱオレはこういう覚醒と眠りの間をさまようような感覚にしてくれる曲も好きなんだな」ということを自覚するようになった。
だからchouchouに出会ったときも、雰囲気「マトリョーシカに似てね?」という反応ではなく、「やったー。こんなに大量にこの手の音楽浴ができるなんて、チョウチョウって最高じゃん」と思ってしまったのだった。ほんとはチョウチョウ(ローマ字読み)じゃなくてフランス語発音でシュシュ(日本では髪留めの呼び名だが、本来は「お気に入り」らしい)と読むということを後から検索で知ったのだった。(以下、「voyager」)
Farewell,Astronauts(chouchou)
紹介したアルバムは、比較的最近のものだが、ほかにも日本語や英語で歌われる曲が混在したアルバムをいくつか出している。日本語歌詞の場合、印象がJ-POP寄りになって聴こえる感じがする。
例えば、その代表例としてanemoneを聴いてみよう。
ALEXANDRITE(chouchou)
Farewell, Astronauts内での歌い声と印象が変わってしまう。でも名曲だよね。「エウレカセブン」の劇場映画に「ANEMONE」ってのがあって、chouchouのanemoneがエウレカセブンのアネモネに連結してしまった。
映画では坂本龍一の往年の名曲「Ballet Mécanique」(坂本龍一が担当日のNHKFM サウンドストリートのテーマだったよな)を、やくしまるえつこがカバーしていたけど、私は思わず、YouTubeに公開されている映画のトレイラー映像に坂本龍一バージョンではなくて、chouchouバージョンのanemoneを重ねて聴いてしまった。これはこれですごくいいじゃんと思ってしまった。(なので自宅で楽しむMAD動画みたいなものをAviUtlで作って遊ぼうかなとかも思っている)
自分が今のところ聴いたアルバムは以下。
INSOMNIA chouchou(2009)
NARCOLEPSY chouchou(2009)
VINCULUM chouchou(2010)
ALEXANDRITE chouchou(2015)
Night and Wanderer chouchou(2017)
Farewell,Astronauts chouchou(2019)
こういう幽界系の音楽も好んで聴けるという人にはお勧め。
P.S. 本記事投稿時の最新アルバムが去年の12月にでたばかりの「最果(さいはて)のダリア」
最果のダリア chouchou(2021)
「world's end」って言えば「世界の終わり」って訳語と「最果て」という訳語が出てくるけど、私のお気に入りで以前当ブログでちらっと言及したworld's end girlfriendのことを「世界の終末に直面している彼女」という意味では受け入れがたいと思ったので、自分では勝手に「最果ての彼女」と語呂がいい感じになるように訳していた。「最果てのパラディン」なんてアニメも最近見たし、「最果て=world's end」って言葉は、もしかして、ある界隈では関心語になってるのかな?
「最果のダリア」の前のアルバム「Farewell,Astronauts」の2曲目に「world's end lullaby」(最果の子守歌)ってのが入ってるから、そこをブリッジにして、今回のアルアムの題名に接続してるってことかな。
アニメ「ガンゲイル・オンライン」が好きで、さらには主人公レン(楠木ともり)が歌うED「to see the future」が好きで、「私の好きなアニソン・コーナー」(ずっとやってないけど)でいつか紹介したいと思っていたら、chouchouの「最果のダリア」所収の楽曲を楠木ともりに提供したという情報を得て、「いやあ、ほんといろいろつながっていくよなあ」としみじみとうれしく思ったところですよ。
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