"お薦めアーティスト"カテゴリーの記事一覧
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最近フェティッシュな音楽というくくりで「Harp On Mouth Sextet」という楽団が紹介されているページに行き当たり、You Tubeで実際にその動画を見たら、確かにフェティッシュな衣装を身にまとった独特なハーモニカ演奏楽団だった。紹介したブログは彼らの装束を「壷装束」というキーワードでくくり、リンクページも掲げてあった。
だがオレが最初にYou Tubeで彼らの姿を見たとき、ふと「この独特の帽子と顔の前を布で隠すイメージはどこかで見たことがある・・・・・」と思ったのだった。
そうだ、「ゼイラム」だ!
ということで、確認の意味で、ひさびさ、というか、またまたというか、「ゼイラム・シリーズ」を見返してみた(ゼイラム→ゼイラム2→タオの月っていうのがオレの「再鑑賞の定番リズム」である)。
思った通り、確かに似たイメージが「ゼイラム2」の中に出てくる。以下は主人公のイリアが身につけていた衣装だ。
オレは平安時代うんぬんではなく、もしかしたら彼らのうちの誰かが「ゼイラム2」に影響を受けた結果、あのような衣装になったのではないか、平安時代とか壷装束とかは、あとづけの理由じゃないのかとふと思ったのだった。
彼らのライブ映像を見ると梵字のようなものがスクリーンに映し出されるシーンがよく出てくるけど、実は「梵字のイメージ」も「ゼイラム要素」のひとつなのだ。以下「Harp On Mouth Sextet」
「Harp On Mouth Sextet」の音楽は独特だ。You Tubeで見ることのできる動画では「大団演舞-最終章」が一番分かりやすい曲だね。この楽団の楽器の編成はおもしろいと思うし、「改造ハーモニカを使った独特のハーモニー感覚」を駆使して作曲編曲にもっとよいアイデアを持ち込むことができれば、今後もっとずごいものが出てくる予感もある。ただハーモニカは「アコースティック楽器」(アナログ楽器)のはずだけど、You Tube上で聞こえてくる音色はあまりハーモニカの音色が前面に出てきているとは思えない。だから「これほどシンセ音を前に出すなら別に生ハーモニカ楽団でなくてもいいじゃん」と思える瞬間が「試し聴きリスナーたち」には必ずあるのではないかと思う。
なのでもっとハーモニカの音色の「生っぽさ」を----「女子ハーモニカ六人衆」が繰り出す音色を、倍音効果を----こそ看板にしてほしいなあ、そういう音づくりがなされていたらなあという、まあ、これはバウンドヘッドの希望なのだった。
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昨日やっとコリーヌ・ベイリー・レイをちゃんと聴いてみた。
なんでもデビューアルバムはインディーズとして出したので、録音も正規のスタジオ式録音じゃなかったらしいね。でもいい感じの音だよね。もしバックのオケのアレンジや音があんな感じじゃなかったら、オレも多くのファンたちがそうであったように気に入ったりはしなかったろうな。
You Tubeにはコリーヌ・ベイリー・レイの動画がたくさんあげてあったけど、「I'd like to」を初めて聴いたとき、ドラムのバスドラの印象からレッドツェッペリンのドラマーのジョン・ボーナムのことを思い出した。そしたら、コリーヌってレッドツェッペリンの大ファンだっていうじゃないか、なんか「あ、そーなんだ」と妙に納得してしまった。
新曲の
I'd do it all again
とかファーストアルバムに入ってる
Put your records on
とかももちろんいいけどね。
I'd like to
でもこの曲、どこか鈴木茂してない?
コリーヌの声の代わりに鈴木茂声にして、歌詞を日本語に変えてやったら「まさに鈴木茂の曲」になるよな。一方で、五輪真弓の初期のアルバム「蒼空」の1曲「ゲーム」のようでもある。だから20歳の五輪真弓が歌う「I'd like to」も聴いてみたかったなあ。
オレは「だからコリーヌはいいなあ」という意味で、昔なじんだ日本のアーティストの話もしているので、くれぐれも誤解しないでもらいたい。
要するにオレにとってコリーヌ・ベイリー・レイとは黄金の70年代の音楽を彷彿とさせるGOODアーティストなのだった。
同時に、昔next musicで聴いたdoobの歌もまた聴き直したくなった。この3曲はアルバムになっているのかどうかも、オレは分からないけど、いまだに「やっぱいいなあ」と思うよ。このユニットで10曲~12曲の入りのアルバム出たら買うんだけどな。
princess
I believe
If
p.s.1 ジョン・ボーナムのバスドラと言えば「CODA」に入っている「Poor Tom」「Bonzo's Montreux」のバスドラがオレは好きでねえ。
p.s.2 doobの後に続いてnext musicに登録されてるmickhaillの3曲もいいよね。
p.s.3 調べたら、今回紹介したdoobの3曲入りCDなら昔エキサイト・ミュージック(廃止)で売っていたようだ。現在はダウンロードとCDがここのサイトで手に入るみたい。ほんとフルアルバム作ってくれないかな。 -
ということで、「マリア様がみてる」シリーズ鑑賞後の後日談の続きなのだった。
「マリア様がみてる」1期の最終回で、ロサ・カニーナと呼ばれる蟹名静が「アヴェ・マリアはお好き?」と藤堂志摩子にたずねるシーンがある。「ええ、グノーのは特に」と藤堂志摩子が答えると、蟹江静は「では披露するわ」と言って、そのグノーのアヴェ・マリアを歌い始めるのである。
福沢祐巳が3期で歌った「マリア様のこころ」は素朴な歌だが、グノーの「アヴェ・マリア」はクラッシックの声楽家が歌う難しい歌である。
そういうわけで、このアニメからの連想で、昔CDを買って聴いていたスラヴァの「アヴェ・マリア集」を思い出し、久々に聴きなおしているところなのだった。いやー、やっぱいいわ、この「声の持つ質感」・・・・・つまり楽器で言えば「音色」にあたるような部分が。
スラヴァは昔「オッティモ」(ベスト盤)を最初に買い、後で「アヴェ・マリア」と「ヴォカリーズ」を同時に手に入れた。
アヴェ・マリア スラヴァ
01アヴェ・マリア(カッチーニ)
02アヴェ・マリア(ヴェルディ)
03アヴェ・マリア(サン・サーンス)
04アヴェ・マリア(バッハ/グノー)
05アヴェ・マリア(ブルックナー)
06アヴェ・マリア(トスティ)
07アヴェ・マリア(ストラヴィンスキー)
08アヴェ・マリア(シューベルト)
09アヴェ・マリア(リスト)
10アヴェ・マリア~コイ・ア・カペラ(ブルックナー)
11アヴェ・マリア(ビゼー)
12アヴェ・マリア(モーツアルト)
クラッシック畑の歌手の歌はほとんど聴かない、というかシンフォニーとかも普段はほとんど聴かないオレだが、「スラヴァの声」は好きだな。男が女の声域で歌うというところも含めてね。彼は「もののけ姫」を歌った米良美一と同じカウンター・テナーの歌手なのだった。
で、スラヴァのCDを聴きながら、そうだ、大貫妙子の声で「アヴェ・マリア」を歌わせたら面白いのにとふと思ったのだった。たとえばシューベルトの「アヴェ・マリア」を歌うスラヴァのオケに大貫妙子の声を置き換えてみる。
「あ、いいじゃん、これ・・・・」
「ってか、大貫妙子って昔、どこかでアヴェ・マリアを歌ってなかったっけ?」と思ったので、検索してみたら、2月に公開される「人間失格」でアヴェ・マリアを歌うって話じゃないか。「あれ? じゃ歌ったことないの・・・・・。おかしーなー」と思った。オレの錯覚はいったいどこから来たのか。
「大貫妙子にアヴェ・マリアを歌わせたらどうか」なんてオレと同じことを考えたプロデューサーとかがいたんだな、やっぱ考えるよな、大貫妙子ファンなら・・・・・、などと思ったのだった。
で、実際に大貫妙子声のシューベルト・アヴェ・マリアが「人間失格」の公式サイト上で聴けるとの情報があったので、聴いてみた。
すると彼女は低い音域で歌っていた。オレが仮想空間で----てかオレのアタマん中だけど----鳴らしたヴァージョンでは、高い音域で----しかもオケはスラヴァのもの----鳴っていたので、「うーん、オレの空想していたのと違うな」と感じてしまった。
サウンドトラックを発売するときは、ぜひ高音域バージョン(壮大なコーラスアレンジ付)もオマケで入れてほしいと切に願うオレだった。
p.s.1 「男が女の声域で歌う」に関しては、映画「カストラート」ってのがあった(「やっぱ書いたか」と今アナタ思いましたネ。)ということでDVD借りてひさびさに見なおしてみようと思ったら、レンタル化されてないじゃん。VHSはもはやどこにも置いていないので、「カストラート」は「オレには簡単に見ることのできない映画部門」に入ってしまった(販売用DVDは出ていたようだが)。でもこの映画初めて見たときは、ぶっとんだなやっぱり。声楽の箇所は合成なんだよね、これ。
p.s.2 「男が女の声域で歌う」に関してさらに補足。それはボーイソプラノの世界。リベラっていうプロの少年合唱団がいるんだね。なんでもNHKのドラマの主題歌なんかも歌っていたようだけど、オレ、テレビドラマとか見ないから、最近までほんと知らなかった。カッチーニのアヴェ・マリアとかとてもいいと思うけど、でも一方で何かちょっとセンチメンタルすぎるような感じがする。彼らの歌を聴いて感じる感情は、スラヴァの歌から感じるものとはまったく違う。リベラの歌から喚起される中心感情は、何か「薄幸な感じ」、それを無理やり聴かされているようないたたまれなさがある。アヴェ・マリアを聴いて「ありがたさ」(いや違うか、とにかく「うっとりさせられるような何か」だ)よりも「薄幸」を連想するとしたら、それはその歌い方が(編曲、演奏、演出の仕方を含めて)間違った表現になっているからではないだろうか。でもこれはきっと、この合唱団を率いている「大人」、つまりプロデュース担当者のセンスの問題なのだろうと思う。こっちのアヴェ・マリアもいいよ。
p.s.3 「カストラート」に関連して言っておきたかったのが、映画「フィフス・エレメント」のDiva Dance。この歌手の背中側から客席を撮ったショットってもしかしたら、「カストラート」からの引用ではなかろうか。こういうのを映画の世界ではオマージュとか言うよね。
p.s.4 「シンフォニーとかも普段はほとんど聴かないオレ」だが、アニメ版「のだめカンタービレ」はしっかり見てるぜ。なんか「野田恵」ってさ、今GYAOでやってるアニメ、「ケンコー全裸系水泳部ウミショー」のヒロイン蜷川あむろに似てね?
p.s.5 日本には大昔から短歌の世界で「本歌取り」という伝統があった。オレがここで「引用」というときは、まさに「本歌取り」「オマージュ」としての意味で使っている、って、こういう説明は読者にとってはすでに蛇足かな。
p.s.6 「安部マリア~、ボクの同級生~」とかシューベルト・バージョンの曲でどうしても歌ってしまうオレ。どうか不謹慎だとか思わないでね。そう歌うたんびに「やっぱオレもオヤジギャク言って自分で受けてるような切ないおっさんのひとりなんだな」って思うので。つまりひとしきり「自己笑い」したあと、「あー、えーと・・・・・」という感じでしゅんとなる。でも「安部マリア」って名前の日本人あるいは日系人は必ずいるとオレは信じている。
p.s.7 最近、大貫妙子の84年の3月20日に放送されたNHK-FMのスタジオライブの録音を聞きなおしてみた。このスタジオライブにドラムで参加している鈴木さえ子は、鈴木慶一と1月に結婚したばかりで、なんと大貫妙子はこの二人のために教会で賛美歌を歌ったとMCで語っていた。
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第1回『CDショップ大賞』、相対性理論の『シフォン主義』
というネット記事に出会って「ええっ」と思った。相対性理論って(注1)「地獄先生」くらいしか知らなかった。以前「え、地獄先生?」・・・・・「そういえば、地獄少女とか地獄小僧とかあったよな」と思い、実際にネット上で試聴してみたら、「かなりヤバイ雰囲気を醸す萌えアニメ系ボイス楽曲」だった。このボイスで「せんせえー、せんせえー」はないでしょう(ただし、歌詞を「リアルモード」で受け止める----つまり「真に受ける」----現役女子高校生には受けはいいようだ)。さらに「学級崩壊」に至っては、もはや完全なる反則ボイス=ご禁制ボイス・モード。このボイスは、「心臓の位置にある感情体」ではなく、「もっと下に位置する感情体」に矢を放ってこようとするようなヤバイしろものだった。私の場合、アニソンは基本的に嫌いではない。ていうか、声優が歌う何かのアニメのサントラだったら、そしてそれが私好みの、かなりキテル傑作アニメだったら、「即買い」に走ってしまったかもしれない。
「地獄先生」所収の『ハイファイ新書』。絵はボーカ
ルのやくしまるえつこが描いたものらしいです。
で、話題の「シフォン主義」を聴いてみた。ボイスは「地獄先生」よりもヘタウマ的ナゲヤリな感じだった。これはねらってそのように歌っているのだろう。ボーカル担当のやくしまるえつこは「声優的美声」の持ち主である。だから美声の持ち主であるアニメの声優さんたちの中には、このような歌声で----つまり時にハイファイ新書的ご禁制ボイス・モードを使い、また別の時にはシフォン主義的つっぱなしボイス・モードを使って----歌える人が結構いると思う。
「LOVEずっきゅん」所収の『シフォン主義』
アマゾンやYou Tubeでコメントなんかも読んでみた。椎名林檎、ジッタリンジンとかいう比較ワードも出てきたが、私がバンドサウンド的に比較していた人のなかではバービーボーイズっぽいというのが、もっとも自分にはしっくりきた。「あ、ほんとだ、確かにそんな感じだ」と。(今なら5/17までGyaoで86年に行われたバービーボーイズのライブを見ることができる。)ちなみに頭の中で「地獄先生」のボーカル・トラックをコンタ声に差し替えて聴いてみた。不思議にハマる感じに驚くオレだった。
天才いまみちともたか率いるバービーボーイズである。ギター演奏、作詞作曲編曲をしていたバービーボーイズにおけるいまみちともたか的位置に相当する人物が相対性理論にもいるハズである。いまみちともたかは詞のおもしろさでもかつてよく雑誌なんかで取り上げられていた。だから両者はとてもとてもよく似ている。相対性理論の歌詞はバービーのものよりも、もっと韻と掛詞(というよりダジャレだな)に満ち満ちていて面白い。「元素紀行」という曲はNHKのみんなの歌でも流せそう。言葉の持つ音韻の結びつき、(注2)聴いた感じの面白さに反応するのは、小さい子供たちが好むセンスである。まあロックに変な歌詞というのは、実はそうめずらしいことではないけれど、この手の歌は普通「あまり表に出てこない」ことが多いので。
いまみちともたかがコンタ、杏子というグッドボイスを得て才能をいかんなく発揮したようなことを、相対性理論のベーシスト「真部脩一」は「やくしまるえつこ」というグッドボイスを得て行っているということなのだろう。
相対性理論は、楽曲のなかに、ご禁制ボイスとナンセンスな音節の結びつきが繰り出す音韻効果を持ち込むことで、歌にメッセージ(言葉の意味)を込めるのではなく、「抽出された母音や子音の結びつきがもたらすもの自体」に「未知の感覚的メッセージ」があるということを教えてくれるバンドなのだった。だから歌詞は「いわゆる歌詞」ではなく、むしろ「詩」に近いものだと受け取るべきだと思われる。「新しいことをやっている」という意味でもお勧めバンドのひとつであることは間違いない。
おそるべきことに、You Tube上で「シフォン主義」も「ハイファイ新書」も全曲聴けてしまう。なので私は「買い」に走る前にYou Tube音源で「シフォン主義」と「ハイファイ新書」のCD-Rを作ってしまいました。ということで今、そのCD-R「ハイファイ新書」を聴きながら書かせてもらいました。
(注1) アニメ版地獄先生というものがあったこと最近知りました。
(注2)最近「銀魂」というアニメを見たのだが、ここに出てくる言葉じり遊びが、まさに相対性理論的言葉遊び。特にアイドル歌手寺門通のエピソード。やっぱ相対性理論的音楽展開は、漫画・アニメ的世界の先行的展開----言葉遊びにしろ、声優が歌う意味不明な歌詞のアニソンなどなど----があってこそという前提を抜きにしては考えられないのではないだろーか。銀魂DVD vol.3の神楽ちゃんの「習うよりなめろ」は良かった。あの神楽ちゃんボイス(釘宮理恵)で言われると特に・・・・・。昔、どこかで聞いた、
「おぼれる者は笑うと怒る」
以来のヒットだったような気がする。
p.s.1 銀魂ファーストシーズンvol.1猿飛あやめ(さっちゃん)登場シーンで(その他の巻でも数度)、クッキンアイドルのダンス教師カルメン後藤のテーマのような曲が流れたが、あれはいったいなんだったのだろうか。
p.s.2 にしても、オレ、神楽ちゃんキャラ、声含めて、ていうか、あの声だからこそ、大好きアル。
p.s.3 最近Gyaoでやってる「MEZZO」というアニメ、声優を担当している広川太一郎の言葉じり遊び、すなわちダジャレがあまりにも強烈で、「この絵に合わない浮いた感じってなんなんだろーか」と思ってしまった。でも、もはや「芸」の領域に達しているので、この芸に聞き入っているオレもいるのが、なんだか複雑ではあるのだった。広川さん、去年亡くなっちゃったんですね。
p.s.4 ネット上における「相対性理論」試聴関連で、リスナーから対照キーワードとしてよく名前が挙げられているのが椎名林檎。で、彼女の新曲「ありあまる富」でギターを弾いているのが、なんと「いまみちともたか」ではないですか。椎名林檎って昔クラッシック・バレエやってたんですね。なんかいろいろと面白い。というのは、気がつくとオレ、このブログで「バレエ経験者にまつわる話」が----もちろん前面にはバレエの話は少しも出てこないですが----多いような感じなんで。 -
「ネットの海は広大だ」とは「ゴースト・イン・ザ・シェル」の草薙素子のセリフだが、ネット上に無数に散らばっているアマチュアやインディーズの音楽作品をひとつひとつ丁寧にチェックするなど不可能である。私が音楽業界の人間で、給料という代価をもらってほぼ一日をまるまる未知のアーティストの発掘のためのネットサーフィンに費やせるなら、私は365日、それを嬉々としてやるかもしれないが、そのような振る舞いを仕事にしていない私を含めた普通の音楽好きたちにとっては、ほぼ「偶然」にたよるしか「発見の機会」はない。未知の音源探索に割ける時間が非常に限られているからである。
ひさびさNEXT MUSICのサイトを訪れて、アンビエント系のカテゴリーをなにげなくクリックしてまわったら、ひとつだけ心にひっかかったアーティストを見つけた。
matryoshka(マトリョーシカ)である。
覚醒状態から入眠状態へ移行する「まどろみ」という第三の意識状態を刺激するような不思議な感覚がある。マトリョーシカを聴いていると、頭から幽体がずれ、そのずれのはざまのなかに何か言葉にできない「感覚・感情イメージ」のようなものが現れるような錯覚をしてしまう。あるいは聴きながらそのまま意識不明になってしまい、そのまま黄泉の国へ行ってしまうとしたら、さぞ気持ちがいいかなあというような感覚。映画「ソイレント・グリーン」では安楽死センターに行った老人が希望して流してもらった楽曲はベートーベンの「田園」だったが、私ならマトリョーシカにしてもらおうかと思う。ひょっとすると、幽界から迎えにきた美しく輝く死の天使が臨死イメージのなかに紛れ込んでくるかもしれない。マトリョーシカが提示したものは、私にとって「お迎えの音楽」なのだ。
私は最初NEXT MUSIC版を上から順番にダウンロードしてCD-Rに焼いて聴いていた。(ただし「Evening Gleam Between Clouds」はmp3データにバグがあるのか、CD-Rに焼くと無音状態になるのでご注意ください。マトリョーシカのオフィシャルサイトに置いてある方は大丈夫でした。)
NEXT MUSIC版は、ボーカルの発音の輪郭がぼやけていて、私にはどこか外の話し声を家の中で聴いているような、あるいは壁を隔てて向こう側から聴こえてくるつぶやき声のようなそんな気がした。あるいは「幽界から聴こえてくる声もこのように音像がぼやけているのだろうか」とも連想した。私はこのはっきりと聞き取れない歌声を好ましく思ってしまったのだった。
私は改めてマトリョーシカのオフィシャルサイトに飛んで、公開されている音楽データをダウンロードし、掲示されている「zatoracenie」の曲順の通りにCD-Rに焼き直して聴いてみた。すると印象がまるで変わり、最初は違うアルバムを聴いているのかと錯覚してしまった。「幽界感覚」が若干弱まって聴こえたのだった。
私のお勧めはオフィシャルサイト版のデータを使ったCD-Rではなく、NEXT MUSIC版を使って最新公開順通りに上から10曲----ただしバグのある「Evening Gleam Between Clouds」は除いて----CD-Rに焼いてヘビーローテーションで聴くことである。やはり「Monotonous Purgatory」(題名の意味はウェブの翻訳機能などを使ってご確認ください)----これは、昔バーバーの「弦楽のためのアダージョ」を聴いたときに感じたのと同様の、ズンと落ち込むようなモチーフを持つ楽曲なのだ----から聴き始めるべきでしょう。以下の順である。
01Monotonous Purgatory
02Gentle Afternoon
03Oblivion
04Hallucinatory Halo
05Viridian
06February Lifesaver
07Anesthetic
08Slowsnow
09Beyond
10Sink Into The Sin
オフィシャルサイト版とNEXT MUSIC版はアレンジと音像に微妙な違いがある。変な話だが、私はぼやけて聴こえるNEXT MUSIC版の方がなぜか好きである。
最近はperfume以外には新しくヘビーローテションの仲間入りはしなかったので、昔の音源ばかり聴いていたのだった----perfumeは、あの「正三角の陣形の中で演じられるロータリーダンス」を見るのが好きだ。perfumeはもっと振付師の功績に注目すべきでしょう、中田ヤスタカさんのほかにも----、マトリョーシカの発見はうれしい偶然だった。